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ニューキーツ 作者:奈備 光

7章 ピンクのハートマーク

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103 幻影の色

「まだ、ふざけてるのか?」
「ふざけてないよ」
「じゃ、これやってみて、ってどういうことなんだ!」
「なんかさあ。最近、ンドペキ、怒りっぽくない? 部下に嫌われるよ」
「それなら、俺を怒らせるな!」

 小さな明かりに照らされて、スゥの白い顔が暗闇に浮かんでいる。
 スゥが真顔で見下ろしていた。
「頼むから、被ってみて。ふざけて言っているんじゃないのよ」
「おまえが被ってみるんじゃないのか」
「これに、力があることは私は知っているの。私は試す必要はないのよ。あなたが被ることに意味がある。だから、お願い」
「断る!」
「そんなことを言わないで。そのために借りたんだから」

 わけがわからなかった。
「なぜ、俺がやってみなくちゃいけないんだ!」
「じゃ、理由を言うよ。あなたの記憶が戻るかもしれないと思って」
「そんなことで、なぜ記憶が!」
「いちいち、怒鳴らないで。なぜかって言うと、あなたも聞き耳頭巾を使ったことがあるから」
「はあ?」


 洞窟の家主はスゥだ。
 我々はそこを無償で借りている。
 スゥはそんな脅しは使わなかったが、ンドペキは折れることにした。
 記憶が戻るなど全く期待はしていなかったが、スゥにしてみれば真剣な気持ちかもしれなかった。
 未だに、自分の記憶の中にスゥは姿を現さないのだから。
 あの夜、この洞窟でスゥと初めて会ったとき、スゥは涙を見せた。
 その時の罪悪感は今でも生々しく思い出すことができる。
 あの罪悪感は消えることは無いのだ。
 何かを思い出さない限り。

「すまなかった」
 ンドペキは心からそう言った。
「まだ俺は君を思い出さない。もう思い出せないんだと思う。これを被ってみるよ」

 ンドペキは、布地を頭に巻いた。 
 そして、教えられたとおりに息を整え、無我の境地に心を近づけた。
 ゆっくりと目を閉じた。


 風が吹いていたことに気がついた。
 いや、風の音ではない。
 遠くで何かがささやくような……。
 遠くで、ラジオが鳴っている……。
 早口のDJが何かを話している、あるいは音楽が鳴っているのか……。


「聞こうとしちゃだめ。声を出しちゃだめ」
 スゥのささやく声がした。
「空気のように……」

 まぶたに浮んでくるものがある……。

 おぼろな影……。
 森の中……。
 夜だ。
 大きな木の根元に、人影が……。

 少しずつ見えてくる……。

 小さな女の子と、若いきれいな女性……。
 女の子は木の幹に耳を寄せている……。

 滝の音……。ラジオじゃない。水の音だ……。

 小さな電灯が近づいてくる。ひとつ……、またひとつ……。

 村の子供の遊び歌……。
 くりのきからすな……。


 後はよく聞きとれない。
 そう思った途端、まぶたの裏は元の黒一色の世界に戻った。
 もう何も見えないし、聞こえもしなかった。

 ンドペキは薄く目を開けた。
 すぐ目の前に、スゥが立っていた。
 ンドペキはまだ呆然としていた。


 スゥの顔が近づいてきて、唇が触れた。
 唇が触れるか触れないかのかすかなキス。
 互いに体は触れないまま。
 唇の感触だけが相手の存在であるかのように。


 どれほど、そうしていただろうか。
 ンドペキはいつのまにか目をつぶり、再び幻影の世界に戻っていった。


 蛍が飛んでいた。
 巨石にもたれて……。
 荒い石の表面……。
 手の平に砂が食い込む感触……。
 得体の知れない動物の顔を持った石像……。
 それが真っ二つに割れて……。


 はっとした途端、幻影は消えた。
 唇にはまだスゥの唇の感触があった。

 ンドペキは目を開けると、今度はスゥを抱きしめた。
 そして口づけた。
 スゥが涙ぐんでいた。

「すまない……。やはり、思い出せない……」
 ンドペキは、スゥを抱きしまたまま、感じたものを話した。

「すごいよ……」
 スゥの目から涙が溢れ出した。
「それは、大昔、あなたが見たもの……」
「そうなのか……」
「若い女性は私。女の子はアヤちゃん……。岩代神社のクスノキで、聞き耳頭巾を試したとき……」


 ンドペキは朦朧としていた。
 すべてが霞の中にあるような気がした。
 スゥとキスしたことも、今見えたのも、耳にしたのも、自分がしたことではないような感じがした。

 自分がかつて見たものだと説明されても、言葉として脳には伝わったが、そこから何も引き出せるものはなかった。


 ンドペキは、スゥを抱いている腕を緩めた。
 そして肩に両手を乗せ、「ふがいないだろ」と、呟いた。
 スゥの目から、どんどん涙が流れ出し、頬からこぼれて、ぽとぽと落ちている。
「でも、私が出てきた。よかった。それだけでも……」


 それから何度試してみても、聞き耳頭巾の力は現れなかった。
「もはや、ここまでか」
「また今度ってことね」
「ああ。でも、一旦は返さないと」
「もちろん。ね、あの子には、今のこと、絶対に話さないでね」
「ああ。ん? なぜ?」
「まずは、あなたが先」


 ンドペキは、心が少し晴れたような気分になった。
 依然として、スゥのことは何ひとつ思い出せなかったが、幻影だけは見えた。
 なんとなくうれしかった。
 そして、いつか思い出せそうな気もした。
 そして今、はっきりと、自分はスゥが好きなのだと思った。

「長くなったな。そろそろ帰ろう」
 しかし、スゥの足は動かなかった。
「まだあるのよ」
「ん?」
「最も大切な話が」
 スゥが腕を取ってきた。
 ンドペキはスゥに向き直った。

「抜本的に、あなたの記憶を戻す方法があるとすれば、試してみる気はある?」
 ンドペキは即答できなかった。
 記憶を戻したいという気持ちはもちろんある。
 しかし、それが今の自分の最大の希望かといえば、違う。
 今は、東部方面隊の危機。
 ニューキーツの街の危機。
 これがすべてに優先する。
 自分の記憶を元に戻すというような、何の役にも立ちそうにもない感傷的な望みは持っていなかった。


 ンドペキは正直にそう答えた。
「悪いけど、今はそんなときじゃない」
 スゥは握った手を離そうとはせず、じっと目を覗き込んでくる。
「いずれ、そんな時期が来るかもしれないけど」
 ンドペキはそう言って話題を終了し、洞窟へ戻ろうと思った。
 ほろほろとした気分は失せ、本来のンドペキに戻っていた。

「そのいずれというのは、案外早いと思うのよ」
「そうか?」
 ニューキーツの街が元のように戻れるというのなら、それに越したことはない。
「じゃ、そのときにまた考えよう」
「そうじゃなくて」
「ん?」


 スゥがきっぱりと言った。
「そのときは、私に任せて欲しいの。すべてを」
 あまりに、唐突な宣言だった。

「任せろって言われても……」
 腕を取ったスゥの手に力が篭った。
「時が来れば、ある意味で、あなたはあなたじゃなくなる。すべての記憶が回復するんだから。でも、私のことも思い出す。すべてを」
 スゥの勢いに思わず押されてしまった。
「ああ……」
「覚悟だけはしていて欲しいの。そして、私に任せると言って欲しい。別に危険なことじゃない。ンドペキという人がいなくなるわけじゃない。ンドペキはンドペキのまま。いい?」
「今じゃなくちゃいけないのか。その判断は?」

「そう、今。私、何度もこんな話をしたくないし、できない事情もあるのよ」
「うーむ」
「聞き耳頭巾を試すのは、今度から、ひとりでしてね。ふたりきりで話す機会はもうあまりないと思うから」
「えっ、そうなのか?」
 例によって、スゥがまた秘密めいたことを言い出した。
 今と同じように、ふたりで出掛けてくればいいではないか。
 もともと洞窟はスゥのもので、それを借りているのだ。折りいった話をすることは、奇妙でもなんでもない。


「ということは、ここ数日のうちに、また大きな動きがあると?」
「そうじゃない。私の方の事情」
 スゥの手にますます力が入っている。
「しかしな」

 と、手の力が抜けていった。
「そうよね。いきなりそう言われてもね。でも、本当に考えておいて。そうしてくれないと、私はどうなってしまうかわからないから」
 ンドペキは思い出した。
 スゥが、自分の行動の裏に誰かがいる、と話してくれたことを。
「誰かの指示で動いているって、前に言ってたよな」
「あ、ま、それは忘れて」
 ンドペキは図星だと思った。
 会ったことはないが、スゥと同業者だというライラという老婆の顔を想像していた。

「ンドペキ、キスしてくれてありがとう。こんなにうれしい夜は、まさしく六百年ぶりだったね」
 そういって、スゥがようやく腕を放した。
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