第3部第2章第16話 決壊(3)
ヒビ割れた鎧を必死で繋ぎ止めようとするかのように冷静を装うが、言葉尻が微かに震えた。
(いや……)
もしかすると、それだけじゃない?
レーヴァテインの魔力を放とうとした瞬間に割り込んだ砂漠の光景が脳裏によぎる。
呆然と目を見開いて、俺の中で何かが起きているということを理解しながら、俺は微かに顔を横に振った。
いずれにしても、何も感じていないフリが、出来なくなっている。
冷静を装うことすら出来ず、唇を軽く噛んで俯いたままの俺を、キグナスは少しの間黙って見ていた。
やがて、静かに口を開く。
「カズキ」
顔を上げると、キグナスが俺をまっすぐ見ていた。
今まで見たことがないほど、大人びた、俺を案じてくれる優しさの滲み出た眼差し。
「乗り越えろ。生きてる奴は、前に進め」
――――――投げ出すな。
◆ ◇ ◆
「カズキ……目が、覚めた……」
目を開けると、アンドラーシの声が聞こえた。
焦点を結ばなかった視界が次第に輪郭を取り戻し、やがて間近に覗き込んでいる顔を捉える。アニスだ。
「良かった……」
その後ろに立って両手を組み合わせていたアンドラーシが、涙声で呟く。
それを聞きながら、俺は記憶を探った。
ええと、何だっけ……。
国境近くの村に泊めてもらって、アニスはその家の子で、深夜に……。
「……! あいつらは……」
意識を失う前の出来事を思い出して跳ね起きると、アンドラーシが顔を横に振った。
「死んだわ。さっき、近所の人たちが死体を運んでいった」
「死んだ!? アンドラーシ……強いな……」
「違うわよ!」
あ、違うの? じゃあロアナが?
「ロアナは?」
「今、一時的なショックで寝ているけど……怪我はないわ。休めば良くなると思うわよ」
あれ? んじゃあ違う。
きょとんとアンドラーシを見返す俺に、アンドラーシが眉を顰めた。
「カズキ、覚えてないの?」
「何を?」
「あなたが、剣の魔法を使ったんでしょ?」
「剣の?」
ああ……炎狼のことだっけ。確かに最後に放った。だけど、それを境に意識が……。
(キグナス)
……そう。キグナスとのシャインカルクの庭園へ。
「あれは、何だったんだろう……」
口元に手をやりながら、小さく呟く。アンドラーシが小首を傾げながら、「お水をもらってくるわね」と部屋を出て行くと、俺は記憶を探った。
レーヴァテインの魔法は、俺の予想以上に活躍してくれたようだ。
おかげで俺が意識を失ってからも、放たれた炎狼は自分の為すべきことを果たしてくれて、アンドラーシもロアナも無事だったらしい。
でも、そもそも俺はどうしてあの時、意識を失ったんだ? いや、失ったって言うんだろうか。シャインカルクの庭園は? 夢? 夢に決まってる。だって俺はロンバルトにいるんだから。
キグナスは、いないんだから。
だけど……。
……馬鹿だよなあ、もう。死んだのは、一番辛い思いをしたのは、お前だと言うのに。
死んでまで俺のこと心配してどーすんだよ。
どうして無駄になることなんかないなんて言えるんだ。
お前自身が死んだことをプラスに変えろなんて、言うなよな……。
でも、意識を切り替えなきゃ、俺が前に進めないのも事実だ。
夢かもしれない。ただの、俺の意識の具現。
だけど、夢じゃない。
俺はきっと、確かに、キグナスに会ったんだ。
……ばぁか。
せっかく積み上げてきた心の鎧を、そう簡単にぶち壊すなよ。そうして逃げることで自分自身を守ってきたってのに……。
人の心が、沁みちゃうじゃないか……。
「おにいちゃん」
眩暈のように揺らぐ頭の中、完全に自分の世界に没頭していた俺の意識を、その声が引き戻す。はっと顔を上げると、ベッドにしがみ付くようにしていたアニスが俺を見上げていた。
初めて聞いたアニスの言葉だ。
「アニス」
「ありがとう」
ロアナによく似た目で俺をじっと見上げ、アニスが何かを差し出す。
小さな小さな野草の花束。
「助けてくれて、ありがとう」
細く貧弱なただの草花を寄せ集めただけの、小さな花束だ。
だけどこれがきっと、アニスの精一杯の感謝の気持ち。
彼女なりの最大限の誠意。
俺が目覚めるまでずっと握り締めていたのか、少し萎れかけたその花に、なぜか視界がぼやけた。俺の中で、何かが激しく揺れ動いた。
素朴で質素だからこそ、澄んだ真っ直ぐで純粋な謝意を感じ、その萎れかけた花に託された幼い少女の澄んだ気持ちが胸に迫る。
「おにいちゃんがいてくれたから、アニスも、ママも、おじいちゃんも無事だったよ」
人も別に捨てたもんじゃない。
わかってる。
人間を信じないと思うことで、生きようとすることから背を向けることで、俺はひたすら自分の中に抑圧されてきたいろいろな想いと向き合うのを避けてきたんだ。
初めて人を手にかけた時から、少しずつ全てを押し殺してきた。見ないフリ、感じないフリ、だけどその時々で昇華して来なかった感情の全てが、俺の心の奥底で軋轢を起こして軋みをあげていた。
ハヴィは、俺を卑怯だと言った。
知ってる……俺は自分を守るために、誰かの気持ちを斟酌することを放棄してきたんだよ……。
――ご大層な意味なんてなくて良いよ。
だけど俺は、俺がどう考えたところで、生きるのを放棄したいと思ったところで、俺が生きようとすることを知ってしまった。
俺は生きたいんだ。きっと。死にたくない。生きていきたい。
だったら……。
――乗り越えろ。生きてる奴は、前に進め。
「おにいちゃん、泣いてるの? 痛いの?」
「……ありがとう。アニス」
犯した罪は、背負わなきゃならない。
その重責に耐え切れるかわからない。
だけど、真っ赤に染まった俺のこの手のひらでも、アニスは感謝をしてくれる。
……血に染まった手だったからこそ、きっと。
以前の俺では、誰も助けてやれなかった。
今の俺だから、出来ることが。
肉体を失ってまで俺を案じてくれるキグナスの優しさが、失っていた心の均衡を支えてくれたのを感じた。
素直で純粋だからこそ、嘘偽りのないまっさらな優しさ。俺を、とても大切に思ってくれる気持ち。
――無駄になることは、何もない。プラスにするかマイナスにするかは、お前次第だろ?
ご大層な意味なんかなくて良い……。
澄み切ったありがとうの言葉が、俺が今ここにいる意味を教えてくれている。
今更になって、人に感謝をされることがこんなに嬉しいなんて。
心に負った傷、その中には人から受けたものもある。
だけど、それを癒してくれるのはやっぱり……。
(キグナス)
人の優しさなのか……。
◆ ◇ ◆
慌しい一夜が明け、東の空には今日を照らす太陽が姿を現す。
ロアナとアニスに見送られて村を後にし、俺とアンドラーシはエルファーラを目指して歩き始めた。
「ね。良かったわね」
「何が?」
二人の姿が見えなくなった頃、アンドラーシが朗らかな声で笑顔を見せた。
「だって、何だかんだ言って、結局問題の逃亡兵たちを綺麗に片付けちゃったもの」
一人だけ生き残っているが、レーヴァテインによって重傷を負っていた彼は村人たちに捕らえられた。その後どうなったかは、俺たちは知らない。多分、これまでの行動の責を負わされているんだろう。
「根本的解決にはなってないけどね。このままなら、またこういうことがあった時には同じことが起きるよ」
「だから、ロアナさんたちが国に働きかけをするって言ってたじゃない」
「まあ、ね」
半ば無意識に微笑んで空を見上げる。彼女たちの為に俺がしてやれたことは大してないけど、それでもここに俺たちが立ち寄った意味は少しでもあっただろうか。
また、俺の背負う罪は増えたけど。
でも、それと引き換えに守れた人は確かにいる。
澄んだ高い空の向こうに稜線を描くファリマ・ドビトークを眺めてそんなことを思っていると、横顔に視線を感じた。顔を向けると、アンドラーシが俺をじっと見ている。
「……何」
「ううん。何か、少し晴れやかな顔をしてるみたい」
「俺?」
「そう」
「そうかな」
そうかもしれない。
何かが少し、自分の中で変わった気がする。
今までとは違う方向に。これまでとは違って、多分、良い方向に。
頑なに閉じようとしていた心の扉が、ほんの少し、開こうとしているような。
これ以上キグナスに心配させても悪いしさ……。
「アンドラーシ」
「うん?」
「レハールに向かう前に、俺はエルファーラで立ち寄りたいところがあるんだ」
「うん。わかってるわ」
「二箇所」
「二箇所?」
「うん」
これからのことを考えよう。
今の俺が出来ること。
エルファーラに向かい、気にかかることを片付けて、アンドラーシをレハールへ送り届ける。
そして、その後は。
(その後は……)
生きて、元の世界へ帰ろう。
レオノーラへ戻って、俺に出来ることを全てし終えたら、俺は、元の世界へ帰ろう。
「行こう」
決めた。
もう、迷わない。
……俺は、必ず、生きて帰る。
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