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幽明の織 作者:時嵩いちか
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8-3. イラスト

「信之さんって、イラスト上手ですよね」

 ディフォルメされた椿の花と、蕎麦そばのイラストを、太いマジックでざっくりと描く。お店のポスターを描いている時に、恭介君がそんなことを言ってきた。
「いや、そうでもないよ」
 僕は、副業で簡単なキャラクターをデザインする仕事をやっている。ポップデザインの資格を持っているわけじゃないけど。
 だから、お店のポップは全て任されている。秋人さんの知り合いがインド料理のレストランを経営しているから、そこのメニューも手掛けたことがある。

 最近、メニューに蕎麦が追加された。

 手打ちじゃなくて、駅前の『川崎製麺所』で作っている蕎麦。週に何回か、木の箱に入ったそれを、車で届けに来てくれることになった。
 僕が経営不振を心配しているせいか、秋人さんは『お客さんからのリクエストなんだよ。あと、君の身体にも良いと思って』と説明してくれた。
 確かに、僕はうどんよりも蕎麦の方が好きだ。だからせめてと思い、気合を入れてポスターを作っている。
 ラーメンのリクエストもあったらしいが、それは断ったらしい。目の前に大型チェーン店のラーメン屋があるのに、客はこのうどん屋にもラーメンを求めてくる。

「友達が」

 恭介君は、目線をイラストに向けながら、ぽつりと呟いた。
「くくるちゃん?」
 むつきくん、じゃなくてコッチで良いんだよな。呼び方。
「……はい、あいつが。デザイン系の専門学校に行ってて」
「へぇ……そうなんだ」
「アパートに色々、画材みたいなのあったんですよ。信之さんが使ってる、それ。そこらへんで売ってるマーカーですよね。本格的な道具じゃなくても、雰囲気が出せると違いますね」

 今までと褒め方が違う。昔から『上手ですね』とは言ってくれてたけど。
 目線が変わったらしい。
「そのうち、お店に連れておいでよ。くくるちゃん」
「え、いいんですか?」
「いいに決まってるじゃないか、何で遠慮してんの」
 僕が笑うと、彼はうつむいて何事か考えていた。そろそろ、恭介君はバイトをあがる時間だ。午後三時まで。
 秋人さんは、買出しに行っている。冬ごもりの準備と言ってもいいだろう。今日で、うどん屋はしばらく休みになる。正月を迎えるからだ。


 その日の夜。

 うどん屋には、数冊の本が置いてある。給水器の下に収納スペースがあって、お客さんに読んでもらうためのものだ。
 主に雑誌が置いてあったのだが、最近は漫画雑誌を買わなくなり、代わりに教養雑誌みたいなのが増えた。
「いいんだよ、別に。好きな漫画なんて、二つくらいしかなかったし。最近どっちも終わっちゃったから」
 閉店時間を過ぎたころ。そんなことを言いながら、秋人さんは真剣な顔でなにかを書いている。
 ちょうど、店のシャッターを閉めて来たところだ。僕はシャッターを下げる時に使う鉄製の長い棒を持ったまま、彼に近づいて手元を覗き込む。
 見ると、三葉虫のようなものを描いていた。小学生の自由研究のような絵柄だった。
「……なに描いてるんですか?」
「ああ、小説のネタでも考えようと思って」
 答える表情は真剣そのものだ。

「……三葉虫の……?」

 何故その題材……?

「あのレポート用紙に書いた文章は? ああいう自伝小説は書かないんですか?」
「あんなの小説じゃないよ」
 そうかな……ああいうのが小説っていうんじゃないのかな……。まぁ三葉虫がテーマの小説っていうのも、それなりに興味あるけど。

「信之くん、お茶飲む?」

 そう言いながら、秋人さんは席を立った。店に備え付けの給水器は、お茶と水が選べるものだ。僕は小さく「いただきます」と返事をする。彼の耳に届いているかは、分からない。
「そうそう、これ読んだよ」
 戻った時には、手に本を持っていた。

 『地獄のバスツアー』というタイトルの海外小説だ。

 内容は、現世で罪を犯した三人の男と一人の女が、地獄の入り口のような場所で試験を受けるというものだ。

 何かの施設のような場所。何故か入院患者が着る、薄い青色の病衣を着た男女四人組が、自分の罪から逃れるために試験を受ける――という冒頭から始まる、サスペンスものだ。
「海外の小説って、はじめて読んだけど。なかなか面白いね」
「好きなんですよ、その人の作品。描写が巧いんですよね。地獄っていう現実感のない舞台なのに、臨場感があって。地獄ってこんな感じなのかなって」
 地獄の入り口は、真っ赤な洞窟だった。岩壁が濡れたように、マグマのように光っている――という描写があり、印象に残った。

 秋人さんは、パラパラと本をめくりながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「勉強になるね。もっとたくさん読むようにするよ。君みたいに」
「いや――本なんて、そんなに持ってないですよ。気に行ったものしか部屋に置きませんから」
「……ああ、そうだよね。そしたら、たくさん食べる人はみんな料理人だ。いや、ちょっと違うかな」
「基礎は学べますけどね」

 軽く床を掃き清めて、秋人さんの向かい側に座る。いつも、閉店後はこんな感じで二人で話すことが多かった。

「秋人さんが小説家になったら、僕の絵を使って下さいよ」

 僕は冗談のつもりでこんなことを言った。
 秋人さんは、一瞬動きを止めると、急に真面目な顔つきになる。
「……分かった。頑張るよ」
「え? あ、いえ――」
「君の絵は、カワイイからね」
 僕がやっているイラストの仕事は副業で、小説の挿絵なんてやったこともない。そんなつもりで言ったわけじゃない。
「自分から言い出しておいて何なんですが、三葉虫なんて描いた事ないですね」

「いや、ちゃんとした人間も出るよ」
 秋人さんはいつものように、はにかんだ笑顔を浮かべた。
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