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幽明の織 作者:時嵩いちか
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1. 入院した男の話

ご挨拶させて頂きます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。

*この小説は、過去に書いていた話をリメイクしたものですが、
はじめの方は新しく書き下ろしています。(2016年10月25日現在)
*9話目くらいから、リメイク版の話が出てきます。
 死ぬということは――身体の細胞の一つひとつが動かなくなっていくことなんだな、と。
 そんな風に思った。
 腕や足に力が入らなくなったりとか、呼吸をするだけで苦しくなったりとか。普段出来ている簡単なことが出来なくなって、初めてわかったような気になった。

 自分は、この肉体に生かしてもらっているだけなのだと。


「甘木さん、甘木信之(あまぎしの)さん。失礼します」

 カーテン越しに看護師さんの声がする。ああ、また採血か。
 よく分からないが、特殊な注射だとか言っていた。
 たかが血管から血を抜くだけなのに、ものすごく痛い。この間なんか四回連続で手首に針を刺された。いくらなんでも失敗しすぎだ。ガマン大会かよ。
 一度、注射針が骨に当たったことがある。あの痛みは説明できない。なんていうか、背中を丸めて歯を食いしばって耐えた。「いぐぃー」とか変な声が出た。ちょこちょこ刺しなおしされるんだ。血管が細いんだろうか。

 早く退院したい。


 仕事明けに動けなくなって、知人に病院に連れて行かれると――そのまま即入院の運びとなった。ボケっとしてる間に車椅子で運ばれて、集中治療室で一週間過ごした。
 どうも脳に酸素が行っていなかったようで、鼻からチューブを突っ込まれた。酸素はひどく暖かくて、もわもわと目の近くまで覆い、視界が霞んだ。

 心電図のために体中コードまみれになって動けなくなった。
 ああ、これがスパゲティ状態とかいうやつか。配線まみれのことをスパゲティなんて、何とも言えない例えだな。

 その間ずっと、生きるか死ぬかが五分五分だったらしい。
 そんなことを後から医者に聞かされた。僕が生きていたせいか、軽い口調だった。

 というかまぁ、陰鬱(いんうつ)な空気を出していると患者にバレるもんな。
 不安にさせてはいかんよな。

 人間なんてものは、いつか死んでしまうのだ。
 死に方なんて選べないけれど、ああいう苦痛はもう――味わいたくないな。
 でも、違うんだよ。苦しいとか、そういうのはどうだっていいんだ。

 生きるっていうのは、まだ生きていてもいいとか、生かされているとか、苦しみとか寂しさとか、温かさ――とか。そういう。そんなものの集まりなんだ。
 そういうことを、『生きる』というんだ。

 ぼやけた意識のなか、そんなことばかりを考えていた。
 あの世とこの世の境目のことを、『幽明』というらしい。きっとあの時は、ずっとそこにいたのだろう。
 そうやって過ごすうちに、人間の生きる意味とか、そんなところまで思いが巡るようになったのは――。
 あんなものが見えるようになったせい、なんだろう。


「お兄ちゃん! 起きてる?」
 妹が、カーテンの隙間からひょいと顔を覗かせた。
 子供のころのかくれんぼを思い出す。寝ぼけていたせいかもしれない。
 うわー見つかっちゃったなー、とか。そんな演技をした気がする。今思うと白々しいのだが、子供のころはそれで良かった。そういうことに本気を出すのが日常だった。

(りん)……毎日来なくてもいいんだぞ」
「いいの、病院は涼しいし。クーラー目当てで来てるだけだもん」

 この子はなんというか、ツンデレとでも言うのだろうか。僕が車いすで運ばれていたときは、あんなに泣いていたのに。
秋人(あきと)さんねぇ、今日も六時くらいに来るって」
「ああ……」
 秋人さんというのは、下宿先のうどん屋の店長である。
「忙しいのに、悪いなぁ」
「お兄ちゃんが退院するまでだもん、だいじょうぶだよ」
「うん……早く、退院するようにするよ」

 僕がそう答えると、満足そうに頷いて――凛は背中を向けた。窓の外を眺めている。

 階下に庭園みたいなものが見える。カモのヒナがいるとかで、カモの親がいつもうろうろしているのだ。庭園には出れないのかと聞いてみたが、どうも『危ない』との理由で入れなくなっているらしい。

 昔は歩けたみたいなのだが。もったいないな。

 窓のガラス越しに、青い空が見える。夏の空だ。白く、厚みのある雲が浮いている。入道雲、っていうんだっけ。
 凛の後頭部を、ぼんやりと眺める。
 柔らかそうな髪は、(わら)の色をしている。二つ結びにされて、ゆるやかな曲線を描く。
「窓、開けちゃダメなんだっけ?」
「ダメだよ」
 ざんねーん、とつぶやくと、凜はまだ窓の外を見ている。

 その頭の上に、文字が見えるのだ。青い空に透けるような、半透明の『文字』が。

 入院してから――正確には、生死の境を彷徨(さまよ)ってから――僕は、人の頭の上に文字が見えるようになった。

 はじめにそれが見えたのは、主治医だった。

 主治医の頭の上に、『使命:医者』と見えたのだ。その時は、透明なプラスチック板の上にでも書いてあるのかと思い、ずいぶんご機嫌というか……能天気な病院だなと思った。
 まだ酸素チューブをつけていたので、黙っていたけれど。

 次に、いつも来る看護師さんの上にそれが見えた。彼女の頭の上にあった文字は、『使命:本屋』だった。

 ――あれ? と思った。本屋? 看護師じゃないのか、と。

 それから、ほかの患者さんの頭の上に、みんなそれぞれ色んな文字が見えた。となりの患者は、『使命:教師』で、向かいの患者は、『使命:おもちゃ屋さん』だった。

 僕はそれが、僕にしか見えない、なんだか不思議なものだということが分かってきた。

 ――というのも、その文字に触れようとしたら、さわれなかったのだ。

 僕は、はじめて妹の頭の上に『それ』が見えたとき、とっさに振り払おうとした。
 でも、その手は虚しく宙を切り、妹に無駄な心配をかけただけだった。

 妹の頭の上に見えた文字は――。

 『使命:自殺しないこと』だったのだ。
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