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34.座り込んでも良いのです

 教室に着いた時から、何か違うという事には気付いていた。


 昨日はあんなにも楽しみにしていたのに、ユランの顔を見たヴィオレットの笑顔は、自分が想像し、待ちわびていたものでは無かったから。

 元々笑う事があまり得意ではない人だけど、それでも自分といる時はどこか力が抜けている様だった。これは自惚れではなく、長い時間で培った実感として。

 少し目尻の下がるだけの笑顔も、しょうがないなと呆れている微笑みも、ユランの為を思って自分のワガママを演じてツンと澄ました表情も。どれもが美しくて愛しくて、凛々しさに心を隠してしいまうよりもずっといい。

 ヴィオレットを取り巻く見る目のない者達は、、きっとその仮面に騙されて彼女を素晴らしいと評価するだろうけれど。メッキに騙された阿呆共は腹立たしい程に滑稽だ。彼女が素晴らしいという一点だけは同意するが、彼らの知る素晴らしさなんて、彼女の良さの一割にも満たないだろう。

 

 ヴィオレットにはいつだって笑っていてほしい。

 ヴィオレットには、幸せになってほしい。

 そしてそれは、自分の手でもたらしたい。


 今日だって、そのために誘ったのだ。


 あの家に帰したくないと思っても、今の自分ではどうにも出来ない。いつか必ずヴィオレットからヴァーハン家を引き離してやると心に決めているが、その為にも今は耐えなければならない時だ。

 本心では駆け落ちでもなんでもして、汚い手を使ってでもヴァーハン家を潰してやりたい。ヴィオレットを傷付ける全てはこの世から消えてしまえと願い続けている。

 でもそれでは、彼女が傷付く事はなくなっても、幸せにはきっとなれない。そして自分も、ヴィオレットを幸せに出来ない。


 今はまだ、気休めしかさせてあげられないけれど。少しだけ、ほんのわずかでもあの牢獄を忘れさせてあげたくて。そして、楽しいお出掛けなんて経験した事のないだろう彼女に、自分との楽しい思い出を植え付けたい下心。


 逸る気持ちのまま、駆け込んだ教室にいたヴィオレットは、想い描いていた笑顔でも、想定していた苦笑でもなかった。

 少し悲しそうで、辛そうで、でもそれを押し込める為に無理矢理作った笑顔。いつもよりずっと分かりやすく“笑って”いるのに、感情がともなっていない。父親の前、社交界、彼女に憧れる令嬢への笑顔の様な、貼り付けられた仮面だった。

 それはヴィオレットにとって、触れてほしくないが故の規制線。必死に手当てをした傷を不用意に触れて痛みを振り返させる必要はない。

 だから笑って、いつも通りの弟分を演じた。可愛くて優しくて穏和な男の子を。

 触れる手の温かさが嬉しくて、傷を塞ぐのではなく、忘れさせる為に頑張ればいいと思っていた。


 ヴィオレットが立ち止まった時、一抹の不安が騒ぎ出した。気分が悪くなったのかと、精神的な側面が体調に影響してしまったのかと。

 顔を上げたヴィオレットの表情には、不調ではなく焦りがあった様に思う。 


「教えて。私は、ユランに何をしてあげられる……?」


 真っ直ぐにこちらを見つめる、つるりとした光沢の瞳。その目に写る瞬間が世界で一番幸せだと、きっと彼女は想像もしていない。

 貴方に名前を呼ばれるだけで心が踊るのだと、言った所で冗談だと思われて終わりだろう。 それはヴィオレットの自信のなさと、自分が今まで幼馴染みを盾に好意を表してきた事が原因だ。


 ヴィオレットが、ユランに出来る事。

 ユランがヴィオレットに望む事。


 今日だけじゃなく、二人で色んな所に出掛けたい。街でちょっとした買い物でもいいし、遠出するのも楽しいはずだ。全身を自分のセレクトで飾りたい。色んな人にこの美しい人を見せびらかしたいし、逆に誰の目にも写らな様に閉じ込めてしまいたい。

 手を繋いで歩きたい、その細い腰に腕を回してみたい、苦しいと言われるまで抱き締めたい。白くて冷たげな頬が真っ赤になるくらい、この尽きない愛を捧げたい。頭の先から爪先まで、全部丸ごと自分の物にしたい。


 鞄の持ち手を握り締める手に自分の手を重ねる。力が入って赤みを増した見た目とは裏腹に、温度の下がった指先がその内心を表している様だった。

 緊張、しているのか。それとも何か不安なのか。

 不安になる必要はない、不満があるなら取り除いてあげる。彼女が憂いを抱えずに済む様に、ヴィオレットが、いついかなる瞬間も快適であればいい。

 誰かヴィオレットを害するなんて許せない、許さない。

 でも、ヴィオレットが自分のせいで心を動かされている事実は、嬉しかった。ヴィオレットの頭を自分が占めているのだと思うと、それはなんと甘美な事か。

 にやけそうになる口元を引き締めて、まだ可愛い弟の仮面を脱ぐ訳にはいかないから。


「ありがとう、ヴィオちゃん」


 ユランの為に、ユランの想いに、報いたいと想ってくれて。

 その優しさは、全部自分の為だったけれど。ヴィオレットの為じゃない、ヴィオレットを想う自分の為。全ては彼女に幸せになってほしい、幸せにしたいとういう自分のエゴで。

 だからこそ、ユランがヴィオレットに望むのは、たった一つだけ。


 何もしなくていい。ただそこに、居てくれさえすればそれでいい。出来るなら笑っていてほしいけれど、傷付かずにいてくれればいい。

 他の全ては、自分が与えて見せるから。


「一緒にいて」


 えっ、と言葉にならない空気が口か溢れて、僅かに開かれたまま固まった唇が柔らかそうだった。驚いている……予想外だというのが表情に出ていて、真ん丸い目が猫みたいだ。


「ずっと一緒にいて。そばに居る事を許して。遠くにいこうとしないで」


「ユ、ラン」


「俺が隣に居る事、忘れないで」


「っ……」


 くしゃりと歪んだ顔は、泣きそうな時泣くのを我慢しいている時なんだって気付いたのはいつだったか。

 一人でいる事に慣れすぎて、誰かがそばにいる事を怖がって、目を離すと彼女はあっという間に背を向けて行ってしまう。きっとヴィオレット自身も気付いていない、幼い頃から刷り込まれたそれは一つの習性といってもいいだろう。

 独りぼっちは寂しい。愛が怖くて、愛されたい。一人になりたい。そばに居て欲しい、そばに居てくれる訳がない。

 ヴィオレットの心の中は、あらゆる矛盾が渦巻いている。怖がって、願って、諦めて、心を磨り減らしていく。

 あの家にいる以上、ヴィオレットは諦め続けるだろう。

 だから何度も、何度も、擦れて薄くなってしまうなら、その度に上書きしなければ。


「ヴィオちゃんは、一人じゃないんだよ」


 唇を噛み締めるヴィオレットを見て、掌でその目を塞ぐ。

 睫毛が肌を撫でる感覚がして、何故か少し、温かかった。



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