23.メアリージュン・ヴァーハン
「え……」
突然の、予想外の質問に、メアリージュンは答えられず固まった。思考が追い付いていない事は一目瞭然で、必死にヴィオレットの問いを飲み込もうとしている。
正義と交わる事の出来ない者は、悪なのか。
「それは、違うでしょう。貴方と違う正義を信じる者だっている、その人達は……少なくとも本人にとって悪ではない」
正義の敵は、別の形をした正義。
それその物は悪ではない。どちらも正しく、どちらも間違っているのかもしれない。それを決められるのは誰でもなく、人は各々持つ正義を信じるしかないけれど。
「でも、私達は違う。私達は……貴族は、それを決められる位置にいる。決めている様に、見えてしまうのよ」
貴族が、公爵家が、否定した正義に大義名分はない。紙屑の様に捨てられた正義はいとも簡単に悪へと落ちてしまう。
ましてや声高らかに自らとの違いを間違っているだなんて、人はその光景をどう見るだろうか。正義が勝つのだとしたら、負けた者は悪となってしまうのだろうか。
争う事は間違いではない。ぶつかり合う事も、わかり合うには必要な事。例えそれが怒りであったとしても、それが相手にとって譲れない大切な一線ならば。
「考えなさい。貴方の発言に伴う責任を、理解した上で考え、行動しなさい」
その責任こそ、貴族が貴族足る所以なのだから。
普通の人よりも沢山の利益が手に入る、望みを叶えられる地位にいるからこそ、 負った責任と義務を忘れてはならない。
「広い視野を持ちなさい。わずかでいいから、歩み寄りなさい。それでも受け入れられないなら、顔を笑って心で毒を吐きなさい」
間違っていると断じてしまえばそこで全ては終わり。自分とは違う相手を切り捨て生きて行けば、いつか一人になってしまう。
「隣人を愛さなくてもいい。ただ、そこにいる事を許しなさい」
猪突猛進に進むだけでは、いつか潰れてしまう。美しいバラは刺だって艶やかでなくては。
磨ける武器を持って、必要ならば振るう覚悟をしておく。それがこの先メアリージュンが戦う社交界で不可欠なスキル。
「貴方はもう、メアリージュン・ヴァーハンなのだから」
その名を背負ったなら、もう逃げられない。身分は鎖であり、逃れられない宿命だ。いくら父に愛され護られたお姫様でもひと度表に出たら一人で立たねば渡っていけぬ。
「…………」
一人話しきったヴィオレットに何を思ったのか、いつの間にか俯いていて表情は確認できなかった。ただ反論もなく、泣く訳でもない。好き勝手に投げ捨てたヴィオレットを酷いと詰る事もしない。
伝えたい事は全て吐き出したヴィオレットにとって、後はもうメアリージュン次第。
「……失礼」
自分がいたら思考の邪魔になりかねない。そう判断して、メアリージュンに背を向ける。少し歩けば打って変わり明るい中庭で、来た時とそう変わらず人気は少ない。
少ない、けど……ゼロではなかった。
「おかえり」
「ユラン……っ!」
壁に寄り掛かって片手をヒラヒラをはためかせる。太陽の光に照らされt一層輝きを増した瞳が甘く溶けて、朗らかに笑っていた。
長い足が数歩進めば、あっという間に目の前で。柔らかく緩い手が髪身触れる。
「髪、冷たい」
「あぁ……影にいたからかしら」
日の当たらないあの場所は、思い返してみると少し空気が冷ややかだった。体温に反するほでではなかったが神経も血管も通っていない髪はあっという間に熱を奪われたのだろう。
そういうユランの手は少し熱い。いつからここにいたのかは知らないが、降り注ぐ熱量が末端に影響するくらいの時間はここにいたという事だ。
恐らく、自分達姉妹の会話は聞かれていた。
人気がないといっても開放されている場所で話していたのだ、責任はこちらでユランには欠片の責もないのだけれど。
「ユラン……」
「ん?」
「……何でもないわ。貴方こんな所で何してたの?」
「ヴィオちゃんを探してたんだよ。お昼、食べようと思って」
ヴィオレットが気付いている事なんてお見通しだろうに、知らぬ振りを貫いてくれるのなら甘んじて受け入れよう。
普段と変わらず、当たり前の距離で。笑う顔はどんなに成長しても可愛らしいまま。
並んで歩く歩幅が、ずっと隣にいると知ったのはいつだったか。身長が超され随分経った後だった様に思う。背の高さが頭一つ分、足の長さも相応に違って、歩調だってきっとヴィオレットよりも早い。それでも隣を見れば、何の変化もなくそこにいる。
「もうそんなに時間ないのに……先に食べなかったの?」
「一緒に食べたかったんだもん」
「約束していないんだから、自分の昼食を優先させなさい」
「うん、次からはもっと早く見つけるようにする!」
「そうじゃないわよ」
もう、と少し膨らんだ頬はどこまでも無防備なヴィオレットの姿。ついさっきまで緊張感の満ちた場所にいたからか、そのギャップに精神が自分で思う以上に影響しているのだろう。
さっきまで血の繋がった異母妹が目の前にいたというのに、赤の他人である弟分の方がずっと肩の力を抜いてお姉さん面が出来る。マリンと一緒にいる時に似た、海原に包まれている様な安心感。
だから、気付かなかった。
物陰に隠れた金色の髪に。それを睨み付けるユランの形相に。
立ち去る自分の背を、頬を赤らめたメアリージュンが見詰めていた事に。