だからきっと彼女を愛さない。
舞台はいろんな世界の欠片で出来た、ごちゃまぜ世界。銃刀法などはない世界です。(連載「波の綾」と同じ世界のお話ですが、関係はありません。作風も違っていると思います。)
※誤字脱字、不自然なところを修正しました。
人は何故か、悲恋の物語が好きだ。添い遂げることが出来ずに心中する話や、恋人のどちらかが死んでしまう話。悲しい話と分かっていて嬉々として手に取り、やはり悲しい話だったので泣く。
俺には、そんな趣味は理解できない。実際の悲恋とは、大抵は美しさや感動とはかけ離れているものだ。
そんなことを考えながら、そんなことを考える人にはおおよそ向かないと思われる商売の店で、店番をしているのは、ジノという名前の男だ。歳は三十に差し掛かるかといったところ。茶色い短髪に同じ色の目。何をとっても標準的な顔立ちだがなかなかの男前で、特にどうというのではないが、見た目がいいことは誰もが認めるであろう、恵まれた容姿をしていた。
そんな彼は、色恋にまったく興味がない。それにも関わらず、いや、そうであるからというべきか。「恋愛援助」というサービスを売る仕事をしている。内容は様々だ。恋愛に関する様々な相談事に乗り、必要な手助けをする。恋愛は本当に人それぞれであるから、場合によって全く違った仕事になる。
ジノが一番乗り気になるのは、 「別れさせる」という仕事のときだ。ジノが働いている店では、依頼主が最優先で、人道的であるか、ということや、相手が幸せになるのか、ということは考えない。依頼主が幸せになる、ということだけが重要なのだ。だから、時折こんな依頼がある。
好きな女性が居るのだが、その人には恋人がいるので、別れさせて欲しい。
なんという卑怯で自己中心的な考えだと、呆れる人が多いだろうが、この店では、そう依頼されればそうするのだ。段々と、恋愛ということに虚しさしか見いだせなくなることも、無理のないことなのだろう。
今日も、一人の女が、狂気をはらんだ顔をして店に入ってきた。その足取りは、一歩一歩確かめるようにゆっくりだったが、その威圧感に、ジノは溜息を吐いた。随分重い仕事を持ち込まれそうだ。
「こんにちは」
ジノは、疲れたような声で何百回も言ってきた言葉を言った。女は、どこかに行ってしまっていた瞳を引き戻し、ジノをじっと見た。ジノは、挨拶をしたかったわけではない。この店の決まり文句なのだ。人間と深くかかわる仕事だから、店に入ってきた客には「いらっしゃいませ」ではなく、まずごく普通の挨拶をする。そうすることで、客を落ち着かせる役割もあった。
その女は、若い盛りを少し過ぎた頃の、艶のある美しい女だった。少し気の強そうな、それでいて幸の薄そうな目をしている。マントのように長く、薄い生地の黒い上着を着ていて、ウエストをベルトで絞った姿は颯爽としていた。身なりには気を配っているようだが、着飾ってはいない。
そして、その声がとても素敵な声だった。
「こんにちは」
見た目よりも、落ち着いているように彼女は言った。ジノは一体この女は何を求めてここに来たのだろうと、久しぶりに客に興味を持った。
ジノが座るよう促すと、彼女はジノが座っているテーブルの前に来て、座ることをためらったあと、立ったままどこか恐れを秘めたような眼でジノを見下ろした。何を思い詰めているのだろうと、ジノは身構えた。彼女は、ゆっくりと息を吐くように、言った。
「わたしを殺して欲しいの」
ジノはしばらくの間。落ち着いているふりをして彼女を見上げた。彼女を落ち着かせなければならない場面だろうと思ったが、彼女はジノよりずっと落ち着いていた。少し潤んだ目で、決然とジノを見つめていた。
誰かを殺して欲しいと依頼してきた客は彼女が始めてではない。いや、かなりの割合の客が、店に入って開口一番に「あいつを殺してくれ」と頼む。しかし、恋愛援助をするこの店に来て、自らを殺して欲しいなどと言った人間は、男も女も一人もいない。恋愛によって、死にたくなる人間はたくさんいるだろうが、ここに来て死にたいとのたまう奴は全く死にたがっていない奴ばかりで、依頼は別のことになるし、本当に死にたくなった者は、勝手に一人で死ぬのだろう。恋愛援助のこの店は、恋愛に疲れ、生きることすら諦めた人間が足を運ぶ場所ではない。
ジノは、暫くの間、この奇妙の余韻に浸っていたが、我に返った。もう一度「座ってください」と促す。声が震えそうになったのは気のせいではないかもしれない。仕事熱心ではないジノだが、この件には緊張して臨まなければと思う。
女は落ち着いて椅子に座った。座り心地のいい肘掛椅子だ。彼女はしとやかに腰を下ろすと、ジノを見た。
ジノは狼狽えた。なんと切り出していいかわからないのだ。しかし、顔には出さず、落ち着いて彼女を見つめ返すふりをした。
「妙な女だとお思いでしょう」
彼女は微かに笑みを浮かべながら、唐突に言った。
「死にたくなったら勝手に死ねばいいのよ。こんなところに来るべきではないわ」
彼女は笑った。まるで他人の話をしているようだった。しかし、ジノが声も出せずにいる様子を見て、目を伏せた。
「死にたいだなんて、そんなことを言う人間は最低だわね」
彼女は反省したようにそう言ったが、「殺して欲しい」という言葉を撤回するつもりは微塵もない様子だった。
「事情を・・・」
ジノは、決まり通りに聞こうとしたが、聞けなかった。とても、自分のような人間が、軽々しく扱っていい件には思えなかった。店長を呼ぶべきかもしれない。いや、この浅はかな考えすら、彼女には申し訳ない。
彼女はわずかに目を見開いてジノを見ていたが、嬉しそうに言った。
「真剣に聞いてくださるのね」
ジノは驚いた。今の自分の態度を、そんな風に受け取られるとは。ジノは答えることもしなかったが、彼女は微笑むと、自嘲するような顔になって話し出した。
「とても愛していた人がいたの。弱くて、どうしようもなく駄目で、可哀そうな人だった」
そこで、彼女は一瞬泣きそうな顔をした。しかし、それをせき止めるように続ける。
「本当はとてもいい人なの。だから、本当の彼を出せる、立派な人になって欲しくて、いろんなことを教えたわ。ああして、こうして、って口うるさく言った」
ジノは、どんな顔をして聞けばいいのか、わからなかった。いつものように、親身になっているふりをしたり、同情したような目をしたり、そんなことが出来なかった。ただ、彼女の美しい目を見つめていた。
「彼、かなりまともな人になってくれた。わたしと出会ったことで、彼が救われたんだって、わたしは思い込んでたわ」
次の言葉を言う前に、彼女はこらえきれなくなったように、笑いながら涙を零した。
「でも違った。彼は苦しんでた。わたしの理想になることに、疲れ切ってたの」
ジノは険しい表情をした。彼女の泣き顔は、どうすることも出来ない。誰かに裏切られた女よりも、誰かを亡くした女よりも、ずっと哀しげだった。ジノは、この先彼がどうしたのかを、もう知っているような気がした。
「彼はわたしの前からいなくなったわ」
彼女は、それほど辛くも無さそうになって言った。
「でも、時々戻ってくるの。わたしを愛しているって言いに」
そういう男は珍しいものではない。女の元から離れ、それでも愛しているというのだ。女が忘れられそうになったころに、姿を見せて惑わす。彼女も、他のたくさんの女と同じように、苦しんだに違いない。
「でもわたし、彼のことをもう愛していないわ。嫌いなの」
彼女ははっきりと言った。少し、声が上ずっている。
「彼はわたしから逃げて、たくさんの女に慰めてもらったのよ。わたしはそんな汚い男は嫌い」
震える声でそう言ったあと、彼女はジノをじっと見た。彼女の言葉を信じたかどうか、確かめるように。
ジノは、彼女は本当にその男のことを軽蔑しているとわかった。しかし、彼女がその男を消すことが出来ないと知っていた。だから、ジノは安心させるために頷いたのだ。心底、自分も同感だというように。
「何度も戻ってくる彼をもう見たくないわ」
彼女は、目を伏せた。他の女ならば、どちらかと言えば彼を殺して欲しいと言いだすところだ。しかし彼女は他の女たちとは全く違っている。
「わたしが彼を見捨てたのよ。駄目なあの人を良くしてあげたつもりで、もっと駄目にしてしまったんだわ」
テーブルに置いて組んだ彼女の手が、震えていた。
「だから、彼の前でわたしを殺して欲しいの」
彼女は顔を伏せたままで、ジノには彼女がどんな表情をしているのか分からなかった。そして、彼の前で殺されることに、なんの意味があるのか、わからなかった。
「彼がわたしを本当に愛しているなら、きっと助けてくれるわ。そうしたら、彼がどんなに駄目な男でも、わたしは彼を愛す。助けてくれずにわたしが死ねば、彼は救われる。わたしはもう二度と、彼の姿を見ることはないわ」
彼女は笑みを浮かべながら、低い声で言った。
この時ジノは、傷ついてはいても、正気だと思っていた彼女が、狂ってしまっていることに気が付いた。この店に来て散々騒いで取り乱したどの女よりも、取り乱していると思った。常識的なところを見せた彼女が、その常識に苦しめられていることも、彼女自身と違って常識から外れた彼を愛していることも、その哀しみもはっきりと眼に映った。
この店に持ち込まれる恋愛事情の9割がそうだが、恋愛は人を幸せにしない。
彼は、美しい男だった。着物を着ていて、さびれた通りを、顔を隠すように笠をかぶって歩いていた。弱弱しいような男だ。女に頼る以外、何も出来ないのではと思わせる。
彼女は彼の前を横切った。美しい白いドレスを着て。
彼は立ち止まった。笠を手で少し持ち上げて彼女の姿を見た。
その時、ジノは大きな黒光りする拳銃を持ち、彼の横を通って彼女に向かって走った。彼の目に、それははっきりと映っていたはずだ。彼女を殺しに行くジノが。
ジノは拳銃を彼女に向けて立ち止まったが、彼は動かなかった。ジノが彼を一瞥すると、彼は目を見開いてこちらを見ているだけだった。ジノは彼女に詰め寄り、拳銃を彼女の喉元に突きつけた。
こんなことをする予定ではなかった。拳銃を突きつけた時点で、彼が動かなければ、彼女はもう死んでいるはずだった。
ジノは彼女の美しい顔を見たとき、彼女に情けをかけてしまったことを後悔した。
彼女は笑っていた。声を出して笑っていた。
彼女に見せてはいけなかったのだ。彼が彼女を助けなかったところを。彼女がはっきりとそれを認識する前に、彼女の脳を打ち抜いてしまえばよかった。
今からでも遅くはない。彼女のこの狂った笑いを、止めてしまおう。
そう思ったとき、ジノのすぐそばで、彼が踵を返し、彼女から目を背けて静かに走り去って行った。
ジノは拳銃をおろし、彼女の手を掴んだ。優しく手を握り、それから、絶対に離れないように強く握った。そして、拳銃を投げ捨て、そのままただうつむいた。
彼女は笑うことをやめていた。笑顔を壊そうとして途中で止まってしまったように、崩れた笑いを浮かべたまま、虚空を見つめていた。
何故ジノは彼女を殺せなかったのか。
ジノは突然思ったのだ。
何故、こんな小さなことで、美しい彼女が死ななければならないのか。何故、彼女がそれほどまでに心を乱すのか。
たかが恋愛じゃないか。
いずれ終わりが来るものだ。多くの人が、ゲームのように楽しんで、終わったら捨てていくものだ。
彼女が生まれてからこれまで、関わってきたたくさんの人間のうちのたった一人なのだ。これから出会う沢山の人の中で、今消えて行ってしまう程の小さな存在の筈だ。人生のたくさんの喜びと、たくさんの哀しみの中の、ほんの一角を占めているだけのものだ。少なくともジノにとって、恋愛は人生の中でほんの小さな一角すら、ほとんど占めたことのない、小さな問題だった。
彼女には、命すら捨ててしまう程、大切なことだったのだろうか。
ジノには全く理解できない。
彼女の話を聞いて、ほんのしばらくの間だけ、理解出来た気になっていた。しかし所詮は理解できない他人の色恋なのだ。
どう慰めていいかなどわからない。彼女は本当に正気を失って、これから、生きていくことすら出来ないのかもしれない。それでも、ジノには色恋沙汰のために彼女を殺すことなど出来なかった。
そんなことは忘れて、強く生きて欲しいと思ってしまった。彼女の本当の笑顔が見たいと思った。あのたった一人の男のために、彼女の全ての幸せがなくなっていいはずがない。
ジノは、人形のように表情をなくした彼女の手を引いて歩いた。あの男が逃げて行ったのとは反対の方向へ。
今は傷ついていても、きっと彼女は立ち直るだろう。でもきっと、あの男を消すことは出来ない。それでも、屈託なく笑ってくれるだろうか。
ジノは恋愛というものそのものが憎かった。そう、ジノは・・・
だからきっと彼女を愛さない。
読んでくださった方、ありがとうございました。この作品は、連載の息抜きで思いつきで書いたものですが、いい息抜きになりました。読んで面白いものなのかは不安ですが。感想や評価をお願いいたします。
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