FS作戦発動!
昭和18年10月初旬、千島列島択捉島。ここは2年前の開戦直前にハワイへ出撃して行った第一機動部隊が集結地とした場所である。
その後は特に艦艇が集まることは滅多になかった。(北方警備の第五艦隊の在泊地は幌筵島)
しかしながら、この日は久しぶりに艦艇が集まっていた。それも第一機動部隊よりも遥かに数の多い艦艇数だった。
この艦隊こそ間もなく始まる大作戦、FS作戦の従事艦隊である独立機動艦隊と、それに護衛される海兵師団座乗の上陸支援艦隊だった。
独立艦隊旗艦である戦艦「土佐」(元フランス戦艦「リシュリュー」)の艦橋では艦隊司令官の近江中将と、新任の参謀長である黒木大佐が集まった艦艇を眺めていた。
「いやあ、さすがにこれだけの艦艇が集まると壮大ですね。」
「うむ。なにせ正規空母3隻、軽空母2隻、戦艦3隻、巡洋艦8隻、駆逐艦20隻。打撃艦や補給艦、輸送艦艇も併せると50隻近い艦隊だからな。もっとも、HW作戦に投入される艦艇はもっと多いが。」
そう言って近江は笑った。
HW作戦とは、FS作戦とともに開始される作戦で、トラックやサイパンから出撃する部隊によるサモア、フィジー攻略作戦を指す。
一方独立艦隊担当のFS作戦は、名前こそサモア、フィジーを連想させるが、もちろんそれは擬装で、実際の攻略目標はアリューシャン列島である。しかも、占領する島々はミッドウェー作戦の失敗で攻略が棚上げされたキスカ、アッツのみならず、米北太平洋艦隊の拠点でもあるダッチハーバーまで含まれていた。
この2つの作戦は米国の太平洋進出の一大拠点、ハワイを南北から挟撃する態勢を取るための作戦である。米太平洋艦隊が戦力を大幅にすり減らしている現在、わざわざこんなことをする必要など無いようにも思えるが、軍令部と連合艦隊は敢えて補給線を確保して地固めしてからハワイ、さらには米本土へ圧力を強める正攻法を選んだ。
その理由はまず北太平洋における制海権を確保し、米本土の一部でもあるアラスカに圧力を掛けることによって、米本土の世論を反戦へと導くとともに、さらに援ソルートを破壊するためであった。
援ソルートの破壊については、現在の日本にしてみれば直接的にはあまりメリットのないことである。しかし、友邦ドイツからの強い要請があった。
この時期ソ連は相次ぐ援ソルートの破壊によって、戦力が大幅に減少しており、このまま行けばウラル山脈に疎開した政府や工業地帯も打倒されかねない状態だった。
もしそうなった場合、ドイツは日本に対してソ連邦のシベリアを中心とした東側を譲渡させても良いと申し出ていた。ナチスにとって、ソ連邦の西側を征服出来ればそれで十分だった。
別にシベリアを貰っても特に有望な資源などない土地であるから、日本にとってはそこまで嬉しいことはないが、ただし長年に渡る北の脅威が取り除かれることは国家戦略的には大きなメリットがあった。特に陸軍にとっては。
こうした理由により、まずFS作戦が承認された。
また、HW作戦も外交上の理由が多分に含まれていた。こちらの場合は先日単独講和したオーストラリアとニュージーランドに対する牽制目的が多分に含まれていた。
サモアとフィジーを占領してハワイとの航路を完全に遮断することで、再建された太平洋艦隊がオーストラリア方面へ進撃するのを阻止することと、なおかつ、両国が米国と繋がって寝返ることを抑止する上で必要となる拠点作りが目的であった。
HW作戦のほうには連合艦隊主力が投入され、戦艦8、正規空母4、軽空母6隻を初めとする艦艇が投入される予定だった。
また今回の2つの作戦で特筆すべきことは、多数の同盟軍が参加することであった。
まずFS作戦には今回、満州国軍と朝鮮義勇軍が併せて8000名投入される。
満州国軍の投入理由は、今回の作戦がソ連崩壊へ繋がる作戦で、満州国にとっても大きなメリットがあるからであった。また、本格的な渡用作戦の経験を積ませることで、今後外征部隊としても運用できるようにしたいという思惑も秘められていた。もちろん、日本に恩を売っておくのも重要であった。
もう一つの朝鮮義勇軍は、朝鮮半島と満州国関島省出身の朝鮮人から編成された部隊である。その多くは北の寒い気候に慣れた兵士ばかりで、しかも勇猛果敢な関島警備部隊出身者も多いため、今回の作戦でも大いに活躍することを期待されていた。
ちなみに、植民地支配されてこの方、反日色が非常に強い(元が独立国なのだから当然とも言える)朝鮮人が日本軍のために大々的な義勇軍を作ったのは少しばかり不自然に思えるが、これには訳がある。
日本の主要な植民地の内、台湾は貴重な資源が多数出て、なおかつ近代化が大いに促進されていた。戦前には視察した中華民国の役人がその発展振りを評価したほどだ。もちろん、日本支配特有の差別や同化政策もあったが、それでも経済的には大いに日本を潤わせていた。
ところが朝鮮の方は、石炭以外は有望な資源があまり無く、併合当初期待された北方進出の拠点としての重要性も満州国が成立し後は薄れつつあり、なおかつ反日暴動がやたら多発していた。そのため治安維持を管轄する内務省としてはお荷物同然であったし、さらに収支を見ても赤字続きだった。
そこで満州国が成立し、中国との講和が成った後行われた御前会議によって、日韓併合条約の条項である、日本による朝鮮の発展が達成されたことによる再独立が承認され、朝鮮王国の独立準備委員会と、同じく軍の設立準備委員会が組織された。(朝鮮王国の再独立は1944年4月1日に決定されている。)
この内王室は日本にいる李狠皇太子が皇帝に即位し、政府は朝鮮半島や日本にいる朝鮮系議員などで構成されることとなっていた。そして軍の方は日本軍内で働いていた朝鮮系軍人や、あらたに日本軍の指導の下で養成された朝鮮人で構成される予定だった。
これらの準備は1938年から本格的に始まり、既に日本領朝鮮は大韓帝国としての再独立の準備を完了していた。
そんな中で始まった太平洋戦争において、編成中の大韓帝国陸海軍も日本政府の要請に応じて一部の部隊が実戦に参加している。もっとも、その規模は小規模であり、大規模な派兵は今回が初めてだった。
その目的は満州国軍と同じく、実戦による経験を積むことと、日本に対して恩を売るという政治的意図が多分に含まれていた。
この両軍の参加によって、海兵師団と併せた戦力は合計14000名に達し、アリューシャン列島を制圧するには十分な戦力となった。
そして10月28日、ついに作戦開始となった。
「全艦出撃!!」
近江中将の命令一過、独立艦隊と海兵師団、さらには増援の輸送艦隊とその護衛艦艇は一斉に錨を揚げ、一路第一目標のキスカ島とアッツ島目指して出撃していた。
また同日、HW作戦従事の連合艦隊各部隊もトラック島とサイパン島を出撃した。
ここに、日米の天王山とも言うべき戦いが始まろうとしていた。
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