米軍再反攻開始!!
昭和18年4月18日。日本軍は1日より始まったセイロン島攻略作戦を順調に遂行しつつあった。度重なるアフリカや中東への兵力引き抜きで、セイロン島守備隊の数、質ともに大幅に落ちており、上陸した日本陸軍の敵ではなかった。
空海軍力も同様で、積極的な攻撃は出来ず、専らゲリラ的な攻撃に終始せざるを得なかった。そのためもはや日本軍の大兵力の前に出来る事はなく、セイロン島陥落は時間の問題であった。
そんな中、ある一通の報が連合艦隊司令部、海軍軍令部に衝撃を与えた。
2ヶ月前の日豪講和のさい、日本軍はパプワ・ニューギニアからは撤退したが、ソロモン諸島は終戦まで軍の駐屯を行なう事となった。日本軍としては、ニューカレドニアやエスピリット・サントといった米軍の最前線基地を見張る上で、またサモア方面へ攻撃をかける上で、ソロモン諸島は重要な戦略拠点であると考えていた。そしてその最前線基地は、昨年激戦が行なわれたガダルカナル島に置かれていた。
そのガダルカナル島所属の2式大艇が、敵機動部隊発見の報を打って消息を絶ったのである。ただちに1式陸上偵察機が発進し、大艇が消息を絶った海域を調査した。
その結果、同島の南東約600kmに正規空母3隻を基幹とする機動部隊、さらにその後方に輸送船団が発見された。そしてその針路は間違いなくガダルカナル島だった。
この時点において、ガダルカナル島には2つの飛行場が完成し、ニューギニアから転戦してきた機体も併せて100機近い戦闘機と、ほぼ同数の各種機体が終結していた。また後方のブインやラバウルにも航空隊が展開していた。
日本軍はこれら機体をもってただちに反撃するとともに、この時トラック島に展開中だった第一機動部隊の一部に出撃命令を与えた。
航空部隊による反撃はただちに始まり、まず第一波として零戦53型36機と1式陸攻18機、「天山」雷撃機20機により行われた。
しかし、この攻撃は失敗に終わった。この時米艦隊は最新鋭の「エセックス」級空母3隻に、「インディペンデンス」級空母2隻からなっていた。その搭載機は約400機である。そしてその内半数が戦闘機で、しかも最新鋭のF6F「ヘルキャット」であった。
この時米機動艦隊上空にいた「ヘルキャット」は54機。さらに日本機の接近を受けて発進した24機が合流したため、総数は78機になっていた。日本側の護衛戦闘機の2倍近い数である。
それだけの戦闘機に襲い掛かられては、ベテランの多い日本側といえど分が悪かった。零戦隊の攻撃や、攻撃機自身の必死の反撃も虚しく、零戦10機、1式陸攻11機、「天山」9機が撃墜されてしまった。対する米戦闘機の損害は撃墜8の不時着水7であり、日本側の敗北であった。
それでも残存機は攻撃を続行し、輪陣形外縁を走っていた駆逐艦1隻に雷撃を敢行してこれを撃沈している。
しかし戦果はそれだけで、米艦隊の対空砲火によりさらに3機の陸攻と2機の「天山」を失っている。
総計すると1式陸攻は18機中の14機、「天山」は20機中の11機を失った。損耗率は前者が8割近い数字で、後者も6割近い数字という、大損耗になってしまった。
この数字を見て、ガダルカナル島基地司令官も顔を蒼くし、以後ブインとラバウルからの増援が到着するまで積極的な攻撃を控えるよう命令した。
そしてこの翌日、今度は米軍による攻撃が始まった。機動部隊より発進した第一波150機、第二派120機がガダルカナル島に来襲したのである。
日本軍も全力を上げて迎撃した。陸海軍、さらにラバウルやブインより応援にかけつけた機体、併せて100機の戦闘機が米攻撃隊を迎え撃った。
この迎撃戦の結果は、日本側が死に物狂いで戦ったこともあり、米軍にそれなりの出血をさせている。米軍側の未帰還機は戦闘機41機、爆撃機17機、雷撃機10機の合計68機であった。この他に着艦後の廃棄機が15機ほど出たので、それも併せると80機近い機体が失われた。
一方の日本側は迎撃に上がった各種戦闘機のうち32機が未帰還となった。ただし基地上空の迎撃戦であったため、パラシュート降下したパイロットも多く、戦死率は低かった。この他に地上に置かれていた機体10機と、数箇所の対空陣地が破壊された。
この損害は飛来した機体の数からすると少ない方で、日本側が奮戦した証しと言えた。
だが、まもなく陽が落ちようとしていたころ、約60機からなる第三派攻撃隊が来襲した。この攻撃は完全に日本軍の裏を掻く形となり、日本軍に大損害を与えた。
地上に置かれていた50機の機体が完全破壊され、その他20機も損傷を受けた。対空陣地も7割が使用不能に追い込まれた。戦死者もこの日の攻撃で最多となった。
対する米軍の被害はわずか4機。昨日の敵機動艦隊攻撃に続いて、日本軍が辛酸を舐めさせられた瞬間であった。
こうしてガダルカナル島の基地航空隊戦力は当初の4割にまで落ち込んでしまった。
日本側もこの日ラバウルとブインより発進した戦爆連合が米機動部隊へ攻撃を仕掛けたが、戦果は約40機の機体を消耗して、戦闘機20機撃墜、防空巡洋艦1隻撃沈、軽空母「ラングレー」大破というもので、米軍の侵攻を止めるには至らなかった。
このままではガダルカナル島が危ない。米軍は明日にも上陸するかもしれない。既に度重なる航空偵察や、潜水艦による索敵で、敵機動部隊の後方にいる輸送船団が戦艦、護衛空母をようする大部隊であるのが確認されていた。
この危機に対して、救援のために出撃した第一機動部隊分遣艦隊は速力を上げて南下、米機動部隊壊滅を目指した。この時分遣艦隊は空母「瑞鶴」、「翔鶴」、そして昨年シンガポールで捕獲した英空母「インドミダブル」改装の「剛龍」の計3隻の空母と、それを護衛する巡洋戦艦2隻からなっていた。
その搭載機は合計200機と、米機動部隊の総計からするとおよそ半分であったが、米軍が度重なる空襲で機体を損耗している事を考えると、決して少ないということはなかった。
もっとも、米軍には長距離爆撃機の使用という手もあった。だから機動部隊を壊滅させても上陸作戦を強行する可能性があった。そのため連合艦隊と軍令部はさらなる戦力の増強を決定し、連合艦隊はトラック島の潜水艦艦隊にガダルカナル方面への進出を命じた。そして軍令部は、間に合うか疑問であったが、ブルネイで訓練中だった独立艦隊へのラバウル進出を命令した。
命令を受けて、早速独立艦隊は訓練を中止して東進を開始した。それにあわせる形で、基地航空隊の特試航空隊もラバウルへ向けて発進していった。
第二次ガダルカナル島攻防戦は、ますますその激しさを増しつつあった。
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