次なる戦いへ
一方、バラバラに米艦隊が逃走する様子は独立艦隊のほうでも、レーダーと観測機からの連絡で確認された。
「陣形を崩しただと!!」
近江司令官は相手の司令官が気でも狂ったのではないかと思った。陣形をいきなりくずせば、それこそ多重衝突を起こしかねない。ましてや今は視界が制限される夜である。いくらレーダーを持っていても危険すぎる。
しかし、これこそがスプルーアンス中将の目論見であった。この混乱によって、日本艦隊からの砲撃は一時的に止んだ。その隙に、米艦隊は全速力へとスピードを上げた。幸いな事に、彼らは危ない場面こそあったが衝突は免れていた。
「敵艦隊、バラバラの方向に逃走しています。目標はどうしますか?」
狙いをつけるのに困った砲術長が艦橋にお伺いを立ててきた。
近江はあまりにも常軌を逸した行動を取った敵艦隊に向かって歯噛みした。
「一杯食わされたな。・・・しょうがない、一番近い場所にいる敵艦を攻撃するんだ。」
結局、全速力で逃げ去った敵艦の追尾は不可能と判断し、近江は確実な戦果を期すことにした。そしてその目標にされたのが、魚雷を受けて速力が20ノットしか出なくなっていた軽巡「セント・ルイス」と「ホノルル」だった。また「リヴァモア」級駆逐艦1隻が独立艦隊の針路を逃走中だった。
「ようし、では落ち武者狩りの開始だ。駆逐戦隊と巡洋艦戦隊に突撃命令を出せ、戦艦と打撃艦は砲撃で敵艦の前進を妨害しろ!!」
「了解!」
独立艦隊は開戦以来、敵艦の拿捕を繰り返し行なってきた。海賊行為のようで他の軍人からは忌み嫌われる行為であるが、新造艦の配備予定がない彼らにとって、敵艦を拿捕して自艦隊に組み込むことは、撃沈よりも有意義な事であるのだ。
早速重巡「普賢」、軽巡「筑後」、「明日香」に4隻の「雪嵐」級駆逐艦と同数の「松」級駆逐艦が突撃を開始した。
上空の観測機も、逃げる敵艦は放っておき、目標となった3艦上空へ照明弾を連続投下して掩護する。
「撃ち方はじめ!!」
艦長の命令の下、砲撃を中止していた戦艦「土佐」と打撃艦2隻が砲撃を開始した。敵艦に当てない、かつ針路を妨害する砲撃である。夜間であるとはいえ、目標に当てない分だけ気が楽な砲撃と言えた。
一方不運にも目標とされた3艦は、目の前の現れた大口径砲弾による水柱に肝を潰されつつも、何とか逃げ延びようと全速で走る。しかし、20ノットしか出ないのではどうしようもない。さらに、砲撃による針路妨害によってさらに速力を落とさざる得なくなった。
そこへまず重巡「普賢」による20cm砲による砲撃は加えられた。こちらは針路妨害ではなく、命中を狙った弾である。もちろん初弾であるため命中弾はなかった。
この時、2隻の軽巡には3隻の巡洋艦と4隻の「雪嵐」級駆逐艦が向かい、1隻のみの駆逐艦には4隻の「松」級がそれぞれ制圧へ向かっていた。
そして、「普賢」の発砲から間もなくして2隻の米軽巡は逃走をやめ、砲門を開いた。もはや逃げるのは不可能と判断し、敵に一糸でも報おうとしたのである。
御自慢の15門の15,2cm砲が火を吹き、そのマズルフラッシュが煌々と海面を照らし出した。さらに残存する両用砲や機関砲まで使って反撃を試みた。
だが結局、彼らの反撃が身を結ぶ事は無かった。損傷している両艦は砲撃こそ可能だったが、浸水による傾斜や電力の半減によって速射が不可能となっており、本来の機能を生かすことが出来なかった。
一方の独立艦隊側の艦艇には損傷がなく、100%の戦闘力が発揮可能であると共に数の上でも勝っていた。「普賢」につづいて「筑後」に「明日香」、さらに4隻の「雪嵐」級駆逐艦からの集中射撃が加えられた。
この状況下で、米艦隊が勝てない事ぐらい子供でもわかる道理だった。そして現実はそうなった。砲撃戦開始後10分の内に、「セント・ルイス」は多数の20cm砲弾を始めとする命中弾によって砲の半分が使用不可能となり、速力も8ノットまで下がってしまった。また「ホノルル」も艦中央部に多数被弾し、航行不能へと陥った。
それに対して独立艦隊側は軽巡の「筑後」が1発喰らって水上機カタパルトが損壊しただけであった。
またただ1隻となった駆逐艦の方も、「松」級による集中砲火を浴びて、上部構造物が穴だらけにされてしまった。
ここまでこれば後は魚雷で留めをさすだけでよいのだが、独立艦隊各艦艇は敵からの反撃がほとんどなくなったところで、無線と発光信号で降伏を勧告した。
もはや米艦隊に選択肢はなかった。もちろん、艦を敵に渡さぬようにキングストン弁を開けようとした艦もあったが、その時には独立艦隊各艦から捕獲のための要員が乗り移り、結局成功させられなかった。
3隻の艦長はこれ以上の抵抗は不可能と判断し、しぶしぶ敵に艦を引き渡さねばならなかった。
こうして小規模な海戦が終わった頃には、既に夜が明けようとしていた。
拿捕した3隻はそれぞれ曳航されて日本へ回航されることとなった。近江は2隻の打撃艦と軽巡「筑後」、さらに駆逐艦4隻をその任務に分離して残る艦艇で近海の諸島群にある飛行場攻撃を続行する事となった。
この後独立艦隊は2ヶ所の飛行場を発見、攻撃して使用不能へと陥れている。
そしてこの日の夕方、ポート・モレスビーに上陸部隊が無事上陸を行なったという報告が入った。
ポート・モレスビー上陸作戦は、味方上陸軍の半数が上陸前に失われるという大損害を出しながらも強行された。大本営はその穴埋めとして、飛行場制圧に落下傘部隊までも投入し、1週間後にポート・モレスビーは陥落した。
こうして日本海軍は豪州封鎖作戦を大きく前進させることに成功した。もっとも、その代償も小さくなく、空襲で大破した「飛鷹」が回航中に米潜水艦の雷撃で撃沈された。また、上陸部隊も海没した人員も含めて戦死傷者約4000を出してしまった。これは決して無視できない損害であった。
このため、日本軍は再び数ヶ月に渡って積極的な構成を控えなければならなかった。
米海軍も空母全滅という手痛い損害を被ったが、既に本土では「エセックス」級と「インディペンデンス」級軽空母が続々と竣工しており、着々と反撃準備を整えつつあった。
日本は早期に豪州を連合国から分離し、なおかつ米軍の反攻に備える必要に迫られていた。
日本が陸海軍の総力を上げて豪州封鎖作戦を成功させ、オーストラリアを連合国より脱退させるのに成功するのは、この2ヵ月後のことであった。しかしさらにその2ヵ月後、日本側がセイロン島攻略作戦を行なっている最中、米軍による第二次ガダルカナル上陸作戦が敢行される事となる。
戦火はますます激しい物となりつつあった。
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