ガダルカナル島
米大船団発見の報告に、大本営、ならびに連合艦隊司令部は上へ下への大騒ぎとなった。まさかそんな所に米艦隊が現れるとは予想していなかったのである。
その後の報告で、艦隊には戦艦、空母も随伴していることが判明したために、この艦隊がソロモン諸島のどこかに敵前上陸を敢行するのは確実だった。問題はその場所だったが、すぐに予測はついた。ガダルカナル島である。
ガダルカナル島は、5月に占領したばかりのツラギの目の前にある島で、飛行場に適する平地があったことから、日本軍は飛行場の建設を行なっていた。既にその工事は終わり、後は航空隊の到着を待つだけの状態で、8月21日を目処に零戦2個中隊が派遣される予定となっていた。
それまで同島にいるのはわずかな警備隊と非武装の設営隊のみ。つまり占領するには打ってつけの状態であった。
この状況が判明したのは8月6日になってからだった。そして、大本営と連合艦隊は再び大騒ぎとなった。もし今ガダルカナル島が占領されれば、豪州封鎖作戦の要であるサモア方面の侵攻が大幅に遅れる、もしくは挫折する事となる。さらに飛行場を占領されて航空隊を展開される事は、ソロモン海の制海権と制空権を日本側が失う可能性もあった。
ただちにこの米艦隊の再発見と、艦隊ならびに航空隊による攻撃が下令された。しかし、この時点で米艦隊が現れてもそれを迎撃出来る部隊は限られていた。一番近い艦隊はラバウルに停泊中の第8艦隊であったが、その実体は合同訓練も行なった事のない巡洋艦と駆逐艦の寄せ集め艦隊であった。
また航空隊も、ラバウル基地の零戦と陸攻がその主力となったが、零戦はポートモレスビーに攻撃に備えてラエなどの前進基地にその多くが進出しており、ラバウルに残る零戦も3分の1が航続力の低い32型だった。
一番良いのは直ちにガ島飛行場へと航空隊を前進させることであったが、飛行場にはまだ燃料弾薬が届いていなかったために、航空機の運用は不可能だった。
それでも、ラバウルの南東方面艦隊司令部は輸送機と飛行艇からの落下傘での荷物輸送を命令し、最低限の航空機の派遣を命令した。これにより、零戦32型9機と99艦爆6機、そしてそれら航空機の出撃2回分の燃料弾薬が緊急輸送された。
翌8月6日夕方、ツラギ基地所属の水偵がついに米輸送船団を捕捉した。その針路は間違いなくガダルカナル島であった。
この報に、ラバウルを始めとする各基地では緊急出撃できる態勢が整えられた。また、第8艦隊にも出撃命令が下された。そして、トラックにいた独立機動艦隊も、ラバウルへ前進するよう大本営命令が出されて慌しく出港していった。
運命の8月7日。太平洋戦争始まって以来の米軍の大規模上陸作戦が始まった。目標は勿論ガダルカナル島である。23隻の輸送船で運ばれてきた海兵隊の精鋭1万2千名が、機動部隊艦載機と艦砲射撃の掩護の下で上陸を始めた。
もちろん、日本側もただちに反撃を開始した。臨戦態勢にあったラバウル、ツラギ、ガダルカナルの各基地から航空隊が出撃した。そして最初に戦闘の矢面に立ったのは、ツラギの水上戦闘機隊と、ガダルカナルの零戦隊であった。
この時両基地を飛び立ったあわせて約20機の戦闘機は、6倍に達する米戦闘機と交戦した。しかしベテランぞろいではあったが、3分の2が性能で劣る水上機で、しかも6倍の相手では多勢に無勢で、米軍機22機を撃墜したが、日本側も零戦2機、水戦11機を失ってしまった。
幸いといえたのは、ツラギとガダルカナルにいたその他の航空機はなんとか空中退避して無事だった事だろう。この内99艦爆は爆装した状態であったので輸送船団に攻撃を仕掛け、1隻を撃破したが戦果はそれだけで、敵の上陸を挫かせるには程遠かった。
結局この最初に行なわれた米軍の空襲と艦砲射撃でツラギとガダルカナルの基地機能はほぼ失われた。
その数時間後、今度はラバウルからやってきた零戦と陸攻が攻撃を開始した。しかしこちらは数こそ充分だったが、長距離飛行のため行動が制限され、敵機に対してこそ43機撃墜という戦果を上げたが、艦艇に対しては駆逐艦「ラルフ・タルボット」と輸送船3隻を撃沈し、巡洋艦「オーストラリア」に打撃を与えたのみで、徹底さを欠いた。せめてもの慰めは、輸送船に積まれていた弾薬と食料を燃やしたことだろう。
しかし、ガダルカナル上空での空戦と併せて65機の機体損失は米機動艦隊司令官フレッチャー中将に恐怖心を抱かせ、米機動部隊は一端戦線から離脱した。
そしてその隙を突くように、三川中将率いる第8艦隊が夜襲を行なった。1回目の泊地突入で同艦隊は輸送船団を守る巡洋艦主体の連合軍護衛艦隊と交戦し、重巡4撃沈、駆逐艦1中破に対して味方の損害は巡洋艦1小破という歴史的なワンサイドゲームを行なった。
その後、敵機動部隊からの攻撃を恐れる三川中将を旗艦「鳥海」艦長の早川大佐が説き伏せて、2回目の突入が行なわれることとなった。しかし、ここで思いもしない伏兵が彼らに襲い掛かった。
それは今回上陸支援に派遣されていた戦艦「メリーランド」だった。同艦はこの時ガ島東方で待機していたのであるが、日本艦隊出現の報を聞きつけてやってきたのであった。
第8艦隊は同艦出現のために2回目の突入を中止して、戦闘に入った。この時第8艦隊にとって幸いな事に、「メリーランド」には2隻の駆逐艦の護衛しかついていなかった。
結果、帝国海軍の誇る酸素魚雷を駆使し、第8艦隊はなんとか「メリーランド」と護衛の駆逐艦「ブルー」を屠った。しかし日本側も重巡「加古」を失い、「青葉」と「衣笠」に大被害を受けた。また輸送船団攻撃にも失敗した。
こうして、ガダルカナル島を巡る戦闘は初日から苛烈な物となった。
一方、陸上においては警備隊と設営隊が航空機用の物資とともに運ばれた小銃や軽機関銃といった武器を駆使して、上陸してきた米海兵隊に対して反撃を行なった。だが、相手は戦車等も保有し、さらに数でも5倍であった。おまけに、設営隊は武器の扱いに不慣れだった。そのため、米軍の侵攻がもたついていた1日目はなんとか飛行場を維持したが、2日目に行われた総攻撃の前にあえなく敗退し、もてるだけの食料を持ってジャングルへと退避した。
こうして上陸2日目、米軍は飛行場を占領し「ヘンダ−ソン飛行場」と名付けた。
もっとも米軍とて楽な状況ではなかった。断続的に行なわれた日本軍の空襲で輸送船を沈められたために弾薬は1会戦分、食料は1週間分しかない状況に陥った。
太平洋戦争最大の焦点と言われることとなるガダルカナル攻防戦は、日米両軍にとって非常に苦しい状態でスタートしたのであった。その戦いへと、独立機動艦隊は足を踏み入れたのであった。
|