実験艦隊
昭和16年8月、日本は満州事変以来に続いている中国での事変を収拾する解決の糸口さえ掴めぬまま、今度はその中国における利権をめぐって、アメリカやイギリスと新たなる戦争に突入しようとしていた。
既に海軍は機動部隊によるハワイ真珠湾襲撃や、台湾からの基地航空隊によるフィリピン空襲を行なう準備に入っており、陸軍もマレー半島をはじめとする南方資源地帯攻略のために、さらなる兵力の動員を行なっていた。
そんな中、この日伊豆の下田にある実験艦隊司令部にも、海軍軍令部(大本営海軍部)から出撃準備命令書が届けられていた。
帝国海軍実験艦隊は伊豆の下田を母港とし、実験空母「天城」を旗艦とする艦艇で編成された部隊である。
元々は第一次大戦中に新開発した兵器や、ドイツから接収した兵器のテストや標的任務を行なうために設置された特務艦隊がその前身である。その後軍縮期に予算不足のため一時解隊されたものの、主力艦や補助艦に対する排水量制限が課されたワシントン、ロンドン条約での艦艇保有の隠れ蓑として再建された。
具体的には、一部の戦艦や巡洋艦を主砲や装甲板を撤去した上で実験艦籍(特務艦籍)、あるいは民間にスクラップとして売却して民間籍として配置しておくための艦隊として整備された。そのため、艦隊母港も東京からはそんなに離れてはいないが、人口も大して多くない伊豆の下田に設けられた。
しかしその後軍縮会議が失効すると、艦隊の存在意義がなくなり再び解隊される予定であった。ところが、折りから勃発した日中戦争以後の軍事予算の増額によってなんとか命脈をたもち、現在も主に新兵器のテストベットや、演習の際の標的として活動していた。
艦隊を動かす乗員は主に2線級の兵士から構成されている。具体的に言えば、志願時の検査で乙種や丙種の判を押された者や、前科持ちや前の配置での素行不良等、なんらかの問題を起こした兵士たちである。
士官にしても海軍兵学校を落第寸前の成績で卒業した者や、新人への教育の名目で再召集された退役軍人ばかりである。
また、使用している艦艇や航空機も少数のみ生産された実験品、または捕獲品ばかりであり、その戦力はあまり期待されていなかった。
そんな艦隊を率いるのは、軍縮時に一時退役させられ、現在は現役に復帰した桑名富四郎少将であった。今年満69歳を迎えるこの将軍は、現在連合艦隊司令官を務めている山本五十六大将よりも10歳も年上であった。
実験艦隊の艦隊司令部は、伊豆市郊外に設けられていた。日中戦争開戦以前は、艦隊には素行の悪い人間や、凡そ軍人とは思えない人間が多かったから、はっきり言って市民からの実験艦隊に対する評価は低く、ここに近づく市民もほぼ皆無だ。いても出前の兄ちゃんぐらいだった。
そんな実験艦隊であるが、アメリカやイギリスにその詳細は殆ど漏れていなかったから驚きである。
現在まで艦隊の存在が外にあまり漏れてこなかったのは、市内にいる憲兵隊や特高警察による緘口令もあったが、艦隊司令官の桑名が将兵に対して極力市民との融和をするよう協力してきたからであった。
とりわけ、桑名が司令官として着任した日中戦争開戦後はそれを徹底させており、以前ほど嫌悪ではなくなった。
というのもこれはただ単に、桑名が艦隊の評判を上げるためだけに行なった物ではなかった。実は、実験艦隊は軍縮条約時代から伝統的にその存在を秘匿していて、さらに2線級艦隊であるから割り当てられる予算は最小限である。そのため、食料などで生産可能な物は極力現地での自活が行なわれていた。
そう言う意味で、市民の協力、というか寄付は彼らにとって生命線であった。それを確保するために、桑名は住民との融和を進めたのであった。
閑話休題。
とにかく、そんな実験艦隊司令部に、珍しく東京からやってきた海軍軍令部の中佐が命令書を携えてやってきたのであった。
「こちらが海軍軍令部からの命令書です。ご確認をお願いします。」
佐伯と名乗ったその中佐は、赤い表紙の命令書を桑名に手渡した。その動きに乱れはなく、いかにもエリートと言った感じである。
「確認する。」
桑名は命令書を開き、簡単に中身を確認する。
数分後、とりあえず確認を終え、命令書を閉じる。
「内容は了解した。しかしだ、戦闘準備といわれても我が艦隊は平時から燃料の割りあてが少なく、通常の訓練さえギリギリの線で行なっている。今後、燃料の割り当てが増えるのかな?」
すると、佐伯中佐は顔色一つ変えずに答えた。
「私は命令書を渡して桑名閣下の返事を聞いてこいと言われただけですので、質問は後日東京の軍令部か、呉の連合艦隊司令部に出向いてしてください。それでは私はこれで。」
そう言って敬礼すると、彼は出て行ってしまった。
「ふん、軍令部の役人めが。」
「それで、どういたしますか?」
傍らに立っていた艦隊参謀長の近江勝彦大佐が聞いてくる。
「どうもせんよ。艦隊上層部の主だった士官に、この命令書の内容を通達するだけだ。もっとも、それでどうこう出来るわけがない。今の燃料事情では訓練の回数を増やす事も出来んしな。」
そう言って腕時計を見ると、彼は立ち上がった。
「さて、そろそろ「天城」行きのランチが出発する。君も行くだろう?」
桑名の問に、近江は頷いた。
「もちろんです。」
2人は司令部を出て、桟橋へと向かった。すると桑名が言ったとおり、そこには一隻のランチが艦へ戻る将兵をすし詰めにして出港しようとしていた。
「司令官に敬礼!」
ランチに乗ってくる司令と参謀長を見て、将兵達は一斉に敬礼する。中には2人に席を譲るべく立ち上がる人間もいた。
「いいよ、我々は立って行きたいからね。」
将兵の気遣いを断ると、2人は艇首に立つ。
ランチはそのまま出港し、艦隊旗艦である「天城」へと向かった。
出港して数分もすると、最初は小さくしか見えなかった空母「天城」の姿が大きくなる。
「何時見ても、この姿は異様だな。」
桑名は呟くように言った。
旗艦である空母「天城」は、確かに異様なシルエットをしていた。特に、前部で2段にわかれている甲板に、艦首から僅かしか見えないが発艦促進装置、所謂カタパルトの存在は帝国海軍の艦艇とは思えない物であった。
事実、この船はついこの間まで帝国海軍の物でなかったから当たり前である。
前回の反省を踏まえて、世界観や登場人物、さらに登場艦艇を大幅に変えました。
しかしながら、さまざまな架空戦記のパロディというスタンスは変えていません。
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