第四十一話 マルティナの願い
「どうしたマルティナ、不満があるのならはっきり言いな」
「うっうん。多分秀雄殿には言ったと思うんだけど、シチョフ家には嘗て家に嫁いできたマリアさんがいるはずなんだ。そこでお願いなんだが、マリアさんの一族は取り潰さないで欲しいんだ……。駄目かな」
マルティナは上目遣いでお願いしてきた。
うーん、この瞬間が堪らないんだよな。
何度見ても飽きないぜ。
そう言えば降伏してきた一族の中に、元側室の方が居たはずだ。
マルティナはマリアと言う人とは差別される事も無く、大層仲良くやっていたようなのだ。
年も近かったので、二人は姉妹のような関係だったらしい。
いきなり家の都合で関係を引き裂かれ、マルティナは胸を痛めていたようだった。
確かマリアはロマノフ家の傍系の出のはずだ。
クレンコフ家は他家から軽視されていたので、直系の姫は宛がわれなかったのだろうな。
バレスはマルティナの言葉に複雑な顔をしている。
彼もマリアを助けたい気持ちがあるのだろうが、敵の一族を生かす事の危険性を知っているので、簡単に賛成には回れないようだ。
だが、何にせよ可愛い嫁の頼み事だ。
無下に扱う訳にはいかないだろう。
「確かマリアさんだったか……。後の事を考えれば、シチョフ家は断絶させるべきなのだがな……。しかし他ならぬマルティナの頼みとあっては聞かない訳にはいかないか……。取り合えず会ってから決める事にする」
俺は後の禍根を断つ為に、当初シチョフ家の男は子供も含めて全員斬ると決めていた。
だが最後は降伏をした事から考えると、いくらかの温情を与えても良いとは思う。
そう考えると、マルティナの申し出は好都合かもしれない。
「本当か! では早速案内するから、付いて来てくれ」
彼女も戦の習いは知っているので、まさか聞いてくれるとは思わなかったのだろう。
驚きながらも嬉しそうではある。
マリアに会う為、俺は殆ど終わり掛けていた軍議を切り上げる。
そしてマルティナに手を引っ張られながら、シチョフ一族が幽閉されている牢屋へと足を運ぶ事にした。
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連れて行かれたのは、牢と言うのは申し訳程度の粗末な作りの小屋だった。
そこは木造ではあるものの、中の柱は確実に腐っていて少し力を加えれば折れそうな程だ。
さらに奥に入ると、明らかに糞尿から来る異臭が立ち込めている。
中にはシチョフ一族と思われる面々が牢にぶち込まれていた。
敗軍の一族らしい惨めな末路である。
女子供が苦しんでいる姿を見ると、憐憫の情が湧かないわけでは無い。
だがこれも生まれた家を間違えたと思ってくれ。
無駄な同情は身を滅ぼすからな。
そしてマルティナに連れて来られた一部屋に、マリアと思われる女とその一族が鎮座していた。
「マリアさん。この方は松永家当主で私の夫の秀雄様です。あなた方と話があるみたいです」
マルティナに気付くと、マリアは少し嬉しそうな顔になりこちらに視線を送る。
「秀雄様? 私のような者と話して何の意味があるのでしょう。敗軍の女などと話す事など無いと思いますが」
マリアは「なぜ私に」と言った様子だ。
後ろの一族達も同じような感じだ。
わざわざ傍系の一族に話をしに来る理由が解らないのだろう。
俺はそんな彼らを尻目にマリアを観察する。
彼女は牢生活で薄汚れてはいるが美しかった。
これは殺すのは勿体無いな。
「俺はマルティナに頼まれて来た。マリアさん、それに後ろの方々、シチョフを捨てる覚悟はあるか?」
敵の姓を持つ奴を養う訳には行かない。
これに反発するようなら命だけは助けるが、それだけだ。
後の事は面倒見切れない。
「えっ、マルちゃん……、私なんかに為に…………。はい、私は秀雄様のお心に従います」
マリアはもしかしたら死ぬつもりだったのかもしれない。
だがマルティナの悲しそうな顔見て心変わりしたのだろうか。
彼女は生きる事を選択したようだ。
そして俺は後ろの面々を見遣る。
すると長とみられる初老の男が前に出て、膝を突き頭を垂らした。
「我々は所詮は亜流です。シチョフに支払うべき義理は既に払い終えました。秀雄様が我らに新たな姓を与えて下されば、その名に恥じぬ働きをしたいと思います」
この人、なかなか良い事言うな。
下心丸出しで来てない感じに好感が持てる。
変にシチョフ家にこだわられるよりはよっぽどマシだ。
「そうかい、ならば俺は断る事はできん。姓は考えて置く。取り合えず牢から出すので一息付くが良い。マルティナ、彼らに湯と飯を用意してやってくれ。俺はやる事が山積みなので後は任せるぞ」
「ああ解った。秀雄君……、私の無理な願いを聞いてくれて有難う……」
俺はデレるマルティナに背を見せると、格好良さげに手を振ってから牢屋を後にする。
もうこれ以上はシチョフ家一族に情けを掛けてやる必要も無いだろう。
シチョフ家は向こうから絶縁をし、さらにエロシン家と共にクレンコフ家を苦しめて来たのだから。
だが女を殺すのは忍びない。
奴隷として売ろう。
男は悪いが予定通り全員斬首だ。
二日後。
マリア一族を除く、シチョフ家の男は子供を含め全員処刑された。
女は漏れなく奴隷に落とした。
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俺は湯に浸かりながら思いに更ける。
駄目だ、先程の光景が頭から離れない。
子供達の縋るような視線に胸が痛む。
先程からずっとこの調子だ。
これは確実に悪夢を見るな、と思いながら湯から上がり酒を飲む。
酔わなければ眠れそうにないからだ。
無抵抗の子供を殺す事がこれ程までに堪えるとは思わなかった。
まだ良心が残っていたのだろうな。
皮肉な笑みを浮かべながら酒を呷る。
自分では非情になったつもりではいたが……、まだまだのようだ。
一杯のワインで酔えるはずもなく、ボトルごとラッパ飲みを始めた。
……ボトル半分程飲み干したが全く酔えない。
酒はそんなに強くないはずなのに。
半ば自棄になり残りのワインを呷ろうとした時、寝室の扉が開けられた。
リリ、クラリス、ビアンカ、チカ、そしてマルティナだ。
今日は来るなと言って置いたはずなのに……。
式を挙げてからは週一のペースでローテーションを組み、相手をしてもらっている。
だが今日はそんな気分になれるはずも無かった。
「どうした、来るなと言ったはずだが……」
俺は力のこもっていない口調で五人に話し掛ける。
「いっいや、秀雄殿が元気が無いみたいなので、みんなでお酒でも飲もうかな、なんて思ったんだ……」
クラリス以外は処刑の場面にいたから、何と無く気付いていたのかもしれないな。
「そうか、ならば一緒に飲むか。リリ摘みも頼むよ」
「うん! 今出すねー」
俺は皆が心配してくれる事が嬉しかった。
それと同時に、ただ自分の欲望のままに動いているだけの男に付いて来てくれる皆を、シチョフ家の一族のような姿にしてはいけないと強く思った。
そう思えば、先程の子供の縋るような視線も飲み込める。
いや飲み込まなければならない。
彼女達や家臣の命に比べたら、子供の命など比べようがない程軽い。
ただの我が侭なガキを殺したと思っておけば、心も痛まないはずだ。
惣領たる者ならば、これが当たり前の事だとは解ってはいた。
ただ初めての事なので少々面食らっただけだ。
これからはもう大丈夫だろう。
俺はそう自分に言い聞かせる。
そしてこれ程まで早くに気持ちを落ち着かせてくれた彼女達に、強く感謝をしたいと思った。
その夜は皆で夜遅くまで語りあった。
この時から、俺達は本当の意味で家族になれたと実感した。