第三十六話 内政②
第一回目の評定を終えてからも、非公式に議論は続けた。
税制をいじるのだから、その後の影響も考えた上で、慎重に話を進めるのは当然である。
だが本音を言うと、皆が現状のシステムを理解するまでに時間が掛かった、というのが一番の理由であるが。
そして議論を重ねた結果、ようやく新たな税制の骨組みを纏めることが出来た。
結論から言うと、税額を収入の四割五分にまで減税する事にした。
具体的には、まず十分の一位税を廃止した。
これは領主とは別に神に捧げると言う名目で、強制的に収入の一割を税として納める仕組みである。
次に結婚税、出産税、死亡税(相続税は別)、領内通行税などの、理不尽な税目も廃止する事にした。
特に結婚税と出産税は人口増加を抑制する原因にもなるので即刻廃止だ。
逆に金銭と食糧に余裕が出来たら、出産祝い金でも出そうかと思っている程だ。
以上で、恐らく一割五分程度の減税になるだろう。
これを平均的な領民の年収から計算すると、年間で金貨五枚程度、手元に残る金が増える事になる。
今まで一月の生活費が金貨一枚半だったのだから、生活費三ヶ月分以上の収入が実質増える事になるので、これでそれなりに民の暮らし向きは良くなるはずだ。
この原案を次の評定で通すつもりでいる。
また今回の戦で被害を被った村々には、特別に見舞金と食糧を提供する事にした。
特に、ここヤコブーツクとウスリースク周辺は、クレンクフ領と距離か近い事もあり、働き手が無くなったり、金銭や食糧を徴発されたと言うケースが少なくないので、特段の配慮を配るようにと伝えてある。
一先ずこれで、減税関係については一段落だ。
続いて税収を増やす事を考えなければならない。
ここは待ちに待った現代知識の出番である、と言いたい所だが……。
悲しいかな、俺の頭の中には、よく異世界物で見られるような詳細な現代知識が克明には、記憶されてはいない。
なので藁をもすがる思いでノートパソコンを開き、大学時代のレポートやレジュメに片っ端から目を通す。
すると、一つ使えそうな知識があった。
それは農業経済学と経済史のレジュメだ。
農家への就活用に纏めておいたのが奏功した。
このレジュメには中世ヨーロッパから産業革命までおける農業の変遷が書かれてあった。
俺はこれを電池が切れる前に、必死で羊皮紙に要点を纏めた。
そして電池が勿体無いのですぐに電源を切る。
今度雷魔法の練習をして、充電する事も考えなくてはならないな。
そんな事を思いつつも、早くも農業改革を成功させた後の青写真を、頭の中で描き始める。
これで家畜の数を増やせれば毛織物業も興せそうだし、さらに製紙業にも手を伸ばせば、農業以外の柱を作る事が出来るかもしれないなと。
だがそれは実現出来ても数年先になるだろう。
今は妄想にだけ留めておいて、やれる事を片付けて行くとしよう。
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減税案が纏まってから、すぐに臨時の評定を開催し、原案を正式に決定させた。
これにより来月からは新たな税制が執行される事になる。
早速領内に早馬を飛ばして知らせてやる事にした。
そして今日は、先に話した農業改革を行う為に、現在の松永領に於ける農業の現状についての視察を行う事にしている。
数箇所の村を回る予定なので、朝早くから準備をして出立をする。
連れは家族五人とコンチンに加え、護衛の兵が数名である。
クラリスを留守番させるのは可哀相だったので、ピクニック気分で連れて行く事にした。
まずはヤコブーツク周辺の集落へと向う。
人口百人程の普通の村だ。
前もって視察することを告げてていた為か、それとも減税の効果があったのかは分からないが、村民達は
俺達の到着を、驚くほどの盛り上がりを見せて歓迎してくれた。
さすがに六割もの税金も取られては、エロシン家に恨み辛みを持っていたのだろうな。
村民からの歓待もそこそこに切り上げて、早速農場の視察に入る。
村長に案内され順番に見て回る。
まず向ったのは麦畑だ。
今は冬なので小麦・ライ麦の栽培を行っているのだろう。
続いて別の農地へと案内された。
ここは春から大麦を植えつけるとの事だ。
さらにもう一つ、放牧地に連れて行かれた。
そこは牛、馬、羊などの家畜が数は多く無いが放牧されており、来年から大麦畑として使用するらしい。
……これは完全な三圃制と言っても差し支えないな。
取り合えず農地視察はこれで切り上げて、後は村長に詳しい話を聞く事にしよう。
そして昼食ついでに村長の家にお邪魔し、村の農業制度について説明を受ける事にした。
せっかくなので、色々食材を提供したところ大変喜んでくれたので、お互い気分良く話しを始める事が出来た。
「では腹も膨れた所で聞きたいのだが、この村の農民は小作農か自作農のどちらなのだろうか」
すると村長はよく解らないと言う表情で、
「我々は御領主様から農地をお借りさせて貰っています。そしてその農地を皆で耕し収穫し、その一部を我々の糧として頂戴させて貰っております」
つまり、中世ヨーロッパのように自由農民のような土地持ちが存在しない訳か。
だとすると開放農地制における混在地のように、公平性を保つ為の区分けが必要無いのだな。
ならばこちらの方がより効率的な大規模農業が行われている、と言う事になる。
「成る程、ではここの農地の所有者は俺と言う事でいいんだな?」
「はい、左様でございます」
だが気になるのは、収穫高から一定の割合を抜いた残りを皆に、身分に応じて平等に配分するのだから、やる気の欠如が問題になりそうだな。
「だが常に一定の割合いしか貰えないとしたら、競争が生まれずに、さぼる奴も出て来るんじゃないのか?」
「……はい、正直に申しましてそのような者が居るのも事実であります。しかし今後は――」
「大丈夫だ、別に責めている訳では無いんだ。これは制度上の問題だから、すぐに俺達で対処するから安心しててくれ」
俺は一瞬顔が青ざめた村長の謝罪を制して、村に責任が無い事を伝える。
村長のお陰で現在の農業の実態について知れたのは大きい。
これなら、お決まりの現代知識が生かせそうだ。
「よし、大体事情は掴めた。今後、農業制度を変えるかもしれない。だが悪いようにはしないから安心してくれ。取り合えず今日はこれで、お暇させてもらうよ。忙しい所邪魔して悪かったな」
「こちらこそ大した御持てなしもできずに、申し訳ありませんでした。何も無いところですがまたお越し下さる時は、本日以上に歓迎させて頂きたいと思います」
「有難う、暇ができたらまた寄らせてもらうよ。では失礼する」
村長の家を退ぞくと、帰りも熱烈に村民達に見送られながらこの村を後にした。
そして同じような歓迎を受けながら近隣の二村も回ってから、ヤコブーツクへと帰還した。
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「既に囲い込みは済んだ状態だな。ならば新たな農地を開墾し、そこにクローバーなどのマメ科の植物を植えつければ、四圃制を導入できそうだ。そうすれば家畜の数も増え毛織物産業も発展するだろう」
俺は希望的観測を、寝室で一人呟く。
本日村を視察して、現代知識を生かせそうな手ごたえを掴んだ。
四圃制を導入できれば収穫量は確実に増える。
土魔法とかチートがあれば時短もできるのだろうが、それは仕方が無い。
恐らく数年は掛かるだろう。
既存のシステムを壊してまで急激に導入するのはリスクが高いと思う。
また村にも成果報酬制を導入しようと思う。
収穫高が上がれば上がる程、累進的に村民の取り分を上げるような仕組みだ。
この辺りは経営学でかじったフレデリック・テイラーの科学的管理法を参考にして、詳細を詰めるとしよう。
こちらは近い内に出来そうである。
さらに実験的に製紙場をクレンコフ領に作るとしよう。
これで上手く紙を作れたら、産業化を目指すとするか。
内政に関しては一先ずこれ位にしておいて、次は軍の再編成を行わないといけないな。