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あぁ 闇よ。
作:不死花 憂助



7


 夕子との再会は大学での授業が始まったその日だった。一般教養科目であった社会学の教室で僕は再び彼女を見た。その時のことを話そう。
 その教室は一番後ろの席から段々畑の様な形で楕円形の机がホワイトボードを囲むように並べられている。今でも僕のお気に入りの教室のひとつで、ここにいると自分が大学生になった、という妙な優越感に浸れるのだ。大学生活初めての授業で、僕は夕子の事ばかり考えていたのだが、そのせいで少し緊張、というかどこか張り詰めた空気感を身にまとってしまい、周りの人間全てが自分には嫌な感じに思えていた。
 そして僕の目は常に夕子の面影を探していた。様々な女性が教室へ入ってくるその度に微かな希望を持って見やる。夕子がその教室へ入って来る事は無かった。
 「どうも。」
 代わって誰かが僕の背中に話しかけていた。
 「どうも。」
 二度目の挨拶に僕は少し澄まして振り返ると、そこには人の良さそうな青年が座っていた。
 「どうも。」
 僕も少しはにかみながら挨拶を返した。
 「やっぱりそうだ。入学式の日、僕の隣にいましたよね?」
 彼は笑うと目が潰れてハの字になる、その笑顔がなんとも人懐っこくて人の良さそうな印象を受けた。
 「そうですか?」
 もちろん僕は彼の事など知らない。入学式にいた自分以外の人間の顔は夕子を除いて記憶から削除されていた。
 「隣にいたんですよ。俺、伊藤弘樹と言います。大学って広いっすよね。」
 突然自分のペースで話始めた伊藤弘樹だったが、彼は僕の大学での初めての友人である。そして現在においては僕の生涯で二人だけしかいない親友と呼ぶに値する特別な友人の一人である。
 「僕は青木慶介。確かに広いね。」
 僕は教室を軽く見回す振りをして答えた。
 「歳は18ですか?」
 彼の質問の真意は僕が浪人した人間かどうか、という事であった。
 「18です。」
 「なんだ良かった。敬語使ってたよ。」
 「あぁ。そうだな。」
 伊藤は不思議な人間ではあった。初対面だと言うのに気まずさを全く感じさせなかった。かといって馴れ馴れしい感じも、軽薄な感じも無かった。そして僕はこの瞬間、大学生活という漠然とした物を悟った気がした。
 無論、伊藤との会話はとても弾み、楽しかった。しかし改めて僕の大学生活の一端がそのふとした会話の中で現れたのだ。夕子の印象で忘れかけていた砂漠の景観が僕の脳裏を支配した。あえて言葉で表すとすれば、軽薄で割り切った人間関係。それは社会を目前とした漠然としてやや厭世的な舞台においての人間の当たり前な振る舞いである気がした。人は・・いや、この伊藤という男をどの程度まで知ることができるのだろうか?夕子の出現で忘れかけていたそんな心懸かりが突然胸をすき僕と伊藤の会話は急に覚束なくなった。
 「出身はどこ?」
 一瞬流れた冷たい空気を伊藤の少し高めの声が打ち消した。
 「横浜。そっちは?」
 静かに答えた。その返答には僕のこの砂漠を旅する決心が込められた。
 「静岡。春から市川で一人暮らし。」
 「一人暮らしかぁ。いいね。」
 心から羨ましく思ったことは無いが、とりあえずこう言っておけばいい気がした。伊藤もそう言われる事を期待していたのか、それに続けと勢いよく話し始めた。
授業開始五分前まで彼との会話が続いた。
 退屈な授業だった。インテリっぽい女がこれから半期渡って行う授業内容を説明して終わった。授業が終わって辺りを見回すと相変わらず教室は広いままで、人が疎らな教室の風景は僕の目に少し寂しく写った。
 「腹減った。学食行こう。」
 不思議と伊藤とは打ち解けていた。打ち解けると言っても初めから同じ調子で昔からの知り合いの様に話が出来ていたわけだが。
 「学食か。いいな。大学生っぽくて。」
 先ほどの教室同様に学生食堂はきれいで広かった。清潔感のあるピカピカに磨かれたタイルが気に入った。ガラスケース内に飾られたテカテカの食品サンプルは、まぁ僕の想像通りだ。
 「カレーが安いな。230円だってさ。」
 そう言いながらも僕の心は一人の人物を探し続けている。お昼時だからきっと彼女も食堂へ来ているはずだ。今度こそ見つけてやる。
 「どうしたんだよ?きょろきょろして。」
 伊藤に僕の挙動不審を気づかれてしまった。伊藤という人物を勘違いしていた。この男、こんな細い目をしているが観察眼が鋭いのかも知れない。真一文字な目の奥の小さな黒いが憎らしく見える。
 「いや。別に。」
 僕はカレーを口に運びながら、鋭い伊観の察眼から逃れるため平静を装いながら、あの女神を探していた。その間も伊藤は話続けていたが、僕は間の抜けた返事だけをしていた。
 伊藤の話など今となってはほとんど記憶にない。しかし今となってもはっきりと覚えている伊藤の言葉がある。次の言葉である。
 「あの子も入学式にいたな。」
 カレーのついたスプーンで伊藤が僕の五六メートル背後を指した。その方へ目をやる。
 「さぁ・・記憶にない。」
 嘘をついた。そこにいたのは紛れも無くあの女性、つまり夕子である。
 夕子を見つけたという喜びと安心感、しかし伊藤が入学式での彼女を記憶していて,しかも先に伊藤に気付かれてしまったという不安。その複雑な現状が僕を混乱へと突き落とし僕に嘘をつかせた。
 「よく覚えてるな。」
 平静を装い伊藤を探ろうと僕は彼の目を見た。彼の目はあの女性の方へ向けられている。それを見て思わず怒りすら覚える。
 「あぁ。可愛かったからな。」
 僕はそれ以上聞かなかった、これ以上聞けば後々こっちが不利な状況になる可能性があった。
 再見の感動は薄かった。もちろん僕が一人で彼女の姿を見に入れられたらその感動はあの入学式の衝撃を超えていたかもしれない。伊藤に邪魔された様な気分だった。
これは一体何なんだ?伊藤は入学式の時に僕の隣に座っていた、そして僕と同じく入学式で夕子を見た。そして初めての授業で僕に話しかけた。僕は思った、もしかたらこういうのを運命や宿命なんて呼ぶのかも知れないと。












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