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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

2章 ばら色の翼にのって

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◆1◆

 ジリリリリリリリ――
 携帯のアラームが耳元で鳴り響いて、あたしは思わず飛び起きた。
「やばい、遅刻――じゃなかった」
 いつもの時間だった事にホッとして、あたしは枕に顔をうずめた。窓の外からはチュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえてきて、ああ地獄の月曜日が来てしまったか――と、いつもなら嘆息するところなんだけれども……。
「そうだ!」
 今朝はいつもの月曜日じゃないんだ、と思い出すと睡魔が一瞬にして霧散した。
 耳を澄ますとキッチンからジュージューとフライパンで何かを焼く音に加えて、食器を置く音、水の流れる音が聞こえてくる。
 あたしはリビングへと続く戸を開けようとして、先に着替えを済ますべきよね、と思い直した。
 朝一でトイレに行きたいのを我慢しながら、クローゼットから黒とベージュの色合いの服を引っ張り出して素早く着替える。平日用のオフィスカジュアルは地味なものばかりなのだ。
 そっと戸を開けるとベーコンとコーヒーの香りが届いてきた。朝から豪華な気配……。
「おはよう、アゲハ」
「お、おはよっ!」
 アゲハとベルナルドの正式――かどうかわならない同棲生活一日目。ただしあたし達は恋人同士ではない微妙な関係……。
「顔だけ出して何やってるの? もうすぐできるよ」
 ベルは軽々とフライパンを振ってスクランブルエッグを作っている。
 何食べたい、と聞かれたから昨夜のうちにリクエストしておいたあたしの朝食だ。


 土曜の夜、レストランであたしが恋心を意識して……そして挙動不審でトイレに立って戻ると、ベルは自分のアメリカンエキスプレスで支払いを済ませた後だった。
「やだ、あたしが出すのに!」
 ここ行ってみたい、って言ったのはあたしだったから、マナーとして支払いはあたしがしようと思っていた。もしもベルの中に渦巻く男のプライドがしゃしゃり出てくるのなら割り勘にしようとまで考えていたのに。
 いつもならラッキーって思うけれど、会社関係の飲み会や上司のオゴリとは訳が違う。
「ねえ、いくらだったの? 半分出すから――」
「いいんだ、これはお礼だから気にしないで。今日一日付き合ってくれてありがとう、アゲハ」
 ネックレスまで貰っておいて、その上ディナーまで奢らせてしまった。普段なら嬉しいはずなのに……ああもうっ! この胸のモヤモヤはどうしたらいいの?
 これ以上しつこく支払いに固執するのも可愛げがない気がして、あたしは早々に折れた。この笑顔を消してまで割り勘にしたくはないでしょう?
「あの、じゃあ……ご馳走様でした」
 こんな事になるのならあんなに飲むんじゃなかった。
 あたしは遠慮しないでお酒のお代わりを頼んてしまったことを後悔した。
「アゲハ、行こうか」
 ベルはあたしの後ろに回ると、椅子にかけておいたあたしの上着を手に持った。何をしているんだろうと不思議に思っていたら、「どうぞ」と袖を通しやすいように広げてくれた。
 どうやら着せてくれるらしい。
 こんな事されるの、お店で試着する時くらいなんですけど!
「あ、ありがとう。やさしいのね……」
 そう言うと背後でふっと笑いが漏れ聞こえて、あたしはどうしようもなくドキドキしてしまった。
 その後もベルは高度なレベルのレディファーストであたしをお姫様扱いした。レストランの重厚な出入扉を開けて押さえてくれたり、エレベーターの扉が閉まらないように手で押さえてくれていたり。
 隣に立つ彼を意識すればするほど、朝から色々と気遣ってくれていたのだと今さらながらに気付いた。
 エスカレーターや階段でもあたしは自然に誘導されていて、もし足を滑らせてもすぐ支えられる位置にベルがいたのだ。
 少し前を歩いていたベルがいつの間にか後ろにいて、あたしはあれ? と思ったけどあまり深くは考えていなかったのだけれども……まったく気付かせない心遣い。これが紳士というものか! なにこれスゴくない?
 じっと横顔を見ていたら、気付いたベルがあたしを振りむいてにっこりと微笑んだ。何見てるの? とか、何の用? とか尋ねずに。
「あの、えっと……そうだ、明日はどうしようか? どこを探す?」
 無言のエレベーター内に流れる甘いような、そうでないような空気にドキドキしながらあたしは口を開いた。
「明日はもう一度このあたりを探してみるよ。何か見逃してしまったかもしれないし」
「そうね……」
 じゃあ、明日はサンシャイン通りを捜索してみようかな、と頭の中で計画を立てた。大家さんの言ったサンシャインなんとか、が「シティ」じゃなくて「通り」かもしれないし。サンシャイン60通りの可能性もあるよね。サンシャインなんとかって思ったより結構ある。
 ポーン、とエレベーターが1階に到着した事を告げた。
 ベルは当たり前のように扉を押さえてあたしが出るのを待っている。[開]ボタンを押しながら扉を押さえているのだ。
 優しい心遣いに、ありがとうとお礼を言おうとしたらベルが先に口を開いた。
「だからアゲハ、今日は付き合ってくれてありがとう」
「え? あ、うん……」
 その言葉にあたしの心はひやりとした。
「もう迷惑はかけられないし、明日は一人で探してみるよ」
 あいしてる――と言いそうな表情でベルは囁く。
「いいのよ、別にそんな……」
 ちょっと待って、どうしてそんなコト言うの? もうあたしは必要ないってこと?
「こちらこそごめんね、あたしあまり役に立たなくて……」
「充分だよ、ありがとう」
 だから、もうこれでサヨナラ――?
 あたし達はエレベーターから降りて一番近い出口へと向った。
 あたし、ベルの連絡先も知らない。苗字だって知らない。それなのに……もう終わりなの? 何も知らない。まだ何も教えてもらってない――聞きたい事がたくさんある。
「ベル、もう一度あたしにチャンスをちょうだい!」
 立ち止まって勢いよく振り返ると、あたしに追いつこうと早足で歩いていたベルとぶつかりそうになった。
 どうやらあたし、エレベーターを降りてから早歩きだったらしい。
「え、チャンス?」
 あたしの言葉か、それとも急に立ち止まった事に対してなのか、ベルは驚いた表情で聞き返した。
「優花さんを一緒に探そう! あたし役立たずかもしれないけど……でもほら、あたしは漢字が読めるし。日本って意外と漢字だらけよ? ウチにも見つかるまで泊まっていいし。っていうか、あそこを拠点に探した方が効率がいいと思うの」
 あたしは思ったままを口に出して一気にまくしたてる。
「乗りかかった船だもの。ここであたしだけ下りるなんて、なんか悔しいじゃない!」
 ベルは静かな表情であたしの話を聞いていた。
 どうやってこの提案を断ろうか――というような思案顔に見えて、あたしの勢いは急激に失速し始めた。
 確かに大きなお世話かもしれないけど――。
「だからお願い、協力させてよ……」
 最後は自分のつま先に向かって言葉を落とした。
 懇願するような声音(こわね)になっていると自分でも気づいた。でも、これでサヨナラなんて――あたしは絶対に嫌だって思ったんだ。
 好きになった途端失恋が確定していても、あたしはもっとベルの事が知りたい。この想いは止められないって確信してしまった。

 閉店してシャッターの下りた静かな通路に重く冷たい沈黙が流れる。
「アゲハ……」
 ふわりと空気が揺れてベルにそっと手を握られた。温かくて大きい男の人の掌に、あたしの両手はすっぽりと包まれる。
「ありがとう。本当に申し訳ないけど……しばらくご厄介になります」
「ベル……」
 頭上から降ってきた言葉に顔をあげると、ベルはやわらかい笑みを浮かべていた。
「祖母の言ったとおりだ。日本人はみんな親切だね」
 うっ。
 正直に言うけど――最後の台詞にはグサっときた。
 でもいいの、これは親切心からの提案なんだとあたしは自分に言い聞かせる。下心なんて……微塵もない、はず。
 そんなこんなで日曜日も池袋デート……もといシンデレラ探しをしたけれど、結果は実を結ばなかったのだ。

 そして今に至る――という訳で。
「わあ、すごいっ!」
 洗面所で顔を洗ってメイクをして戻ると、猫足テーブルにフレンチトースト、スクランブルエッグとこんがりベーコン、しかもサラダまで用意してある。
「冷蔵庫の物勝手に使ったけど問題なかった?」
 薫り立つコーヒーの入ったマグカップを2つ手に持ったベルが片方を手渡してくれた。
「うん全然問題ない!」
 むしろすごいと思う。料理の得意な男性ってポイント高い。
 家賃と水道光熱費は貰わないからね! とつっぱねたあたしの決意に溢れているであろう表情を見て、ベルは外国人特有の「お手上げです」ジェスチャーをすると、代わりに食事を作ると申し出てくれた。
 初めて会ったあの日、あたしはコンビニ弁当が夕飯だったから、つもそれを食べていると思ったらしい。あたしは焦って、いつもはそんな事ないのよ、自分でも作るのよ! と訂正したのだけれども……。
「キッチンが綺麗だったからとても使いやすかったよ。フライパンも使ってないんじゃないかってくらいピカピカだ」
 そう言って口元を(ほころ)ばせるベルに、あたしは引きつった笑顔を向ける。
「あ、うん……引っ越したばかりだから、あまり使ってないのよね」
 なんか、料理してる形跡がないよ? って聞こえた気がした。

「これ合鍵、外出るならちゃんと締めてね。何かあったらあたしの携帯に電話かメールして」
 ハイ、と鈴が付いた鍵をベルに手渡す。
「わかった」
「携帯の使い方はもう大丈夫よね?」
「大丈夫!」
 ベルは携帯をポケットから取り出した。日本にいる間、不便だからと用意したもの。
「一人で探しに行くのは止めないけど……迷子にはならないでね」
「子供じゃないんだから心配しないでよ」
 困ったように微笑むベルにあたしの胸は勝手にキュン、とときめいた。
「そ、それから火の元には注意してね。あとあたしの部屋には入っちゃだめよ!」
「……そう言われると入りたくなっちゃうね」
 いたずらっぽく笑うベルに、あたしもぷっと吹き出した。
 いいなぁ、こんな雰囲気。好きな人と同棲したらきっと楽しいんだろうな。
「じゃあ……いってきます!」
「いってらっしゃい」
 ベルはあたしのためにドアを押さえてくれていて、だからあたしはもう一度振り返った。
 本当の恋人同士だったらきっとここでキス――でもあたしとベルにそんな関係じゃないからキスはなし。手を振って送ってくれたので、あたしもおずおずと手を振りかえした。
 こういうのっていいよね、ほんとに同棲してるみたいで嫌な出勤もウキウキしてしまう。
 でも唯一残念な点は――あたしの一方通行な片想いだって事。
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