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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

Another story ~Bernardo~

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◆1◆

5章2話でベルナルドが家を出た後のお話です。
ネタバレを含むため、エピローグまで読み進めてからの閲覧をお勧めします。

 目を瞑るとあの夜の記憶が蘇るんだ。
 アゲハが目に涙を溜めて、それでも泣くもんかと堪えている顔を――その顔にさせたのはヨシノではなく僕だった。
 乱れたままの胸元から除くクロスのネックレスは、銀色の光を反射させてアゲハを別人のように飾り立てて、まるで僕を挑発しているように思えたんだ。
 ならば、その挑発に乗ってしまおうか。
 そう思ってアゲハにキスをしたけれど、彼女は拒絶するどころか大人しく受け入れた。本当ならば嬉しいはずの反応に愕然としたのを覚えている。
 ねえ、アゲハ……ヨシノにもそうやって瞳を潤ませて見つめ返したの? 僕にしたように、うっとりとした眼差しを向けてキスの続きを待ったの?
 アゲハとヨシノがキスをしている所を見た時、まるで恋人の不貞を目撃した気分になった。腹立たしくて、悲しくて、裏切られた気さえしたんだ。
 僕達は恋人同士でもないのにおかしな話だと思うけれど、あの光景がふと脳裏に蘇った一瞬、僕はAmore mio(愛しいひと)と囁きながら、誰とでも平気でキスができるのかと彼女を罵倒した。
 そんな表情をするアゲハがいけないんだ、そうだろう? 君が何を望んでいるのか僕にはわからない。あの時ほど人の心が読めればいいのにと望んだ事はなかった。
 けれど、それからしばらくして寝室からすすり泣きが聞こえてきた頃、僕の中にはもう後悔の気持ちしかなかった。謝ろうと何度か寝室をノックしようとしたけれど、結局何もできなかったのは僕が臆病だからだろう。
 その証拠にアゲハが眠ってからでないと近寄る事もできないし、話しかけることもできなかったのだから。
 冷たい床の上で丸くなって眠るアゲハの頬にそっと触れて涙を拭った。耳元で何度謝っても、何度愛の言葉を囁いてみても、彼女は何も答えてくれなかった。
「アゲハ、君が大切なんだ。僕は……」
 絡まった髪を梳いてから、ベッドの掛布団をアゲハの上にかぶせて、その上からそっと抱きしめた。
 こんな身勝手でくだらない独占欲のためにアゲハを傷つけて泣かせてしまったのかと思うとやるせない気持ちになる。
 今、これだけは言えるんだ。僕が言いたかったのはあんな言葉じゃなかった。
 愛の言葉を伝えるという事がこんなに難しいなんて――僕は今まで知らなかった。


「ねえ、聞いてるのベルナルド?」
 流れる景色を見つめながら昨夜の出来事をぼんやりと思い出していた僕は、ユーカに呼ばれてはっとした。
「あ、ごめん、なに?」
「いいのよ、あのね……」
 彼女は見せたいものがあると言って持っていたバッグを自分の膝に乗せ、何かを探し始めた。
 運命の女神が僕とユーカを引き合わせたのは今朝の事だった。
 ずっと探していて会いたいと夢に描いていたその女性は黒髪を栗色に染めていた。日本人は黒い髪なんだと勝手に思っていたから、彼女がユーカだと知った時は心底驚いたものだ。
 そしてユーカはアゲハとは違った美しさを持っていた――そう、自分の美しさを十分理解していて、それをどう使えばいいのかを知っている、知力と妖艶さを兼ね備えている美しさだ。
 こういった女性は会社主催のパーティに参加させられた時にイヤというほど見てきた。
「ねえユーカ、アゲハはどうやって君を見つけたの?」
「さあ、知らないわ。事務所に来たから会っただけよ。あなたが日本に来てるって伝えに来たのよ」
「そう……」
 どうしてアゲハは僕に黙ってユーカに会いに行ったのだろうか。一体どうやってユーカを見つけたのか――いくら考えてもわからなかった。
 アゲハのアパートを出る前に理由を聞きたかったけれど僕はそれを諦めた。彼女は怯えていて、きっと僕があの場に留まれば彼女は必要以上に取り乱してしまうと思った。
 だから僕はユーカの提案に乗ってアゲハから距離を置くことにしたけれど……離れた距離に比例するように、僕とアゲハの溝が広がっていくように思えるのは気のせいだろうか。
「あった! 見てベルナルド。この雑誌にあなたが乗っていたのよ。私すごい驚いたんだから!」
 ユーカはバッグの中から英字で書かれた経済紙を取り出した。
「ベルナルド・フィオーレ。フィーオレロイヤル・ジャパンの新社長――あなたの顔写真が載っていなかったら全然気づかなかったわ!」
 そういえば、と日本に来る前にどこかの雑誌社のインタビューを受けた事を思い出した。
「それでね、私、今そのホテルに泊まっているの」
「どうしてホテルに?」
「え? だって……あなたのホテルでしょう?」
 彼女はさも当たり前のような顔をして問いかけてきた。
「ユーカはホテルに長期間滞在するためにアパートから引越しをしたの?」
「あら、細かい事はいいじゃないの。それよりねえ見て――」
 ああ、そういうことか……。
 ユーカはなおも雑誌の記事を読み上げながら嬉しそうに話をしていたけれど、僕は何も頭に入らなかった。
 そうだ、アパートを出て行く前に朝食とプリンを作った事をアゲハに伝えておけばよかったな、と思い返す。夜になってもアゲハから連絡が来なかったら、僕から電話をしてみよう。
 もちろん昨夜の事を謝るために、だ――。

「ねえ、ベルナルド……」
 しばらくするとユーカは僕の右手に指をからませてきた。
「やっぱり結婚式はイタリア? それとも日本で? あたしの希望が通るのなら、ラスベガスで式を挙げたいの。友達もたくさん呼ぶわ。ドレスはシャネルがいいかしら? 身体にピッタリのオーダーメイドがいいと思って。ねえ予算はかかるけどあなたなら大丈夫よね?」
 その瞳に僕は映っていなかった。彼女の目に映るのは先の未来の自分の姿だ。今まで出会って来た女性と同じ目。フィオーレと聞いて僕の親の持つ財産に目がくらんだ女性達の――。
 この事に対してあまりショックを受けなかったのはアゲハのお陰かもしれない。
 ユーカの事は送りあう手紙の上でしか知らなかった。手紙では彼女の表情も瞳の奥の野望もすべて隠れていたらしい。会ってわかる事もあるのだと今更ながらに気付かされる。
 僕は大きく息を吸って吐いた。
「ユーカ、僕も聞いていい?」
 彼女は期待に満ちた瞳を向けて続きを待っている。
「最近どこか旅行にでも出掛けたの? 日に焼けているみたいだよ」
 突拍子もない質問に彼女は目を丸くした。
「いいえ違うわ、スポットライトだと思う。舞台での練習中はずっと浴びてるから……日焼け止めは塗ってるけど、私は主役だから舞台にいる事が多いのよ」
「ああ、そういうことか……」
 僕は右手に絡んだままのユーカの手を取って、彼女に見えるよう持ち上げてみせた。
「見て、この薬指の付け根だけ日焼けをしていないのは指輪があったからだね?」
 途端にユーカは顔色を変えて僕の手から自分の手を引き抜いた。
「ち、ちがうわ……指輪は役作りの為よ。次の公演で椿姫を演じるの。それで――」
「練習中に小道具は必要ないはずだろう?」
 さきほどまで媚を売るように見つめてきたユーカが初めて目を逸らした。


 タクシーは滑るようにフィオーレロイヤルホテルの正面エントランスに停車した。
 トランクから荷物を降ろしてくれたボーイにチップを渡そうとしてやんわりと断られてから、日本は必要ないのだと気付く。
「支配人のミスタークドウはいますか? 彼にベルナルドの荷物だと伝えて部屋に運ぶように頼んでほしい」
「承知致しました。恐れ入りますがお名前をフルネームで頂けますか?」
「フィオーレだ。ベルナルド・フィオーレと言えばわかるよ」
「……畏まりました」
 一瞬はっとしたものの、表情を取り繕うとボーイは深く頭を下げた。
 なるほど、よく教育できている。
「ユーカ、どこか静かな所で話そうか」
 誰に見せ付けたいのか、ユーカはタクシーを降りるなり妖艶な笑みを僕に向けてしなだれかかってきた。
「じゃあ私の部屋で話しましょう?」
「いや、そこのレストランで十分だよ。あまり時間は取らせないから」
 そう言って、歩きにくい態勢で2階のレストランに入った。店内は多少混んでいたものの、話が伝わっているのか店員は僕の顔を見るなり奥のVIPルームへと無条件で案内する。
 その扱いに気を良くしたのは僕ではなくユーカだった。
「あのカサブランカは私の趣味じゃないわ。あとでバラに変えてもらいましょう、ねえベルナルド」
 窓際に飾られている花瓶を指さして彼女は言った。
 他にもホテルの経営方針についてあれこれと話し始める彼女に、椅子を引いて座るよう促してから、僕は向かいの席へ座った。
 聞いて、と前置きしてから口を開く。
「ユーカ、僕は君と結婚するつもりはない」
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