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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

6章 ある晴れた日に

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◆4◆

 12月に入ったと思ったら、あっという間に街はどこもかしこもクリスマス一色になった。今年ももうすぐ終わるんだな、なんてしみじみしていたら、いつのまにかクリスマスイブ当日。
 すれ違う人はみんな、恋人同士や友達同士で今日のこの日を満喫している。
 駅前のケーキ屋、エトワールの前を通ると店外ではサンタの格好をした店員がクリスマスケーキの販売をしていた。クリスマス商戦に乗る気はなかったけれど、本日限定の文字に惹かれてあたしは足を止める。
「本日中にお召し上がりください。メリークリスマス!」
 あたしは幸せそうな笑顔を作ってブッシュドノエルを受け取った。
 ホールケーキやブッシュドノエルの隣に並ぶ少人数用と書かれた明らかにお一人様用の小さいケーキが目に留まったけれど、プライドが邪魔をしてあたしは普通のサイズのものを選んだのだ。
 本日中に一人で食べられる大きさではないという事は十分わかっているけれど……。
「別に、明日半分食べたってあたしのお腹は大丈夫だもんねー」
 白い息とともに呟いた言葉は冷たく澄んだ空に吸い込まれていった。

 この数週間、あたしは実家に帰って犬のタローとじゃれあったり弟と喧嘩をしたり、それから学生時代の友達と会って買い物に出かけたりと忙しく過ごした。12月の最初の土曜にはその友達を付き合わせて池袋までネックレスのチェーンを買いに行った。
 ピンクゴールドのバラのネックレスは、こうしてまたあたしの身体の一部となったのだ。
 そうそう、吉野さんがくれたクロスのネックレス、ちゃんと返すのが礼儀だと思ったけれど、どうしても受け取ってくれなかった。
「いらないのなら犬にでも食わせておけ」
 吉野さんは最後にそんな捨て台詞を残すものだからタローの首輪に付けることにした。男前になったね、タロー!
 そんな吉野さんとは家が近いからという理由で、たまに飲みに行ったりはするけれどそれだけだった。あたしが一歩踏み出さないのもあるし、吉野さんもきっとそうなのだと思ってる。
 今まで通り、同じ部署の先輩と後輩。営業と営業補助の関係――。

「めりーくりすます、と……」
 メールを打ちながらコンビニの前を通過した。夕食にお弁当を買おうかなと一瞬迷ったけれど、やっぱり家に帰って料理をする事にした。冷蔵庫に何かしらあったはずた。
 ベルの携帯はもう鳴らなくなったけれど、あたしは性懲りもなくメールを送り続けている。送った後に目を瞑ると遠くからアメージンググレースが聞こえる気がするんだ。
 いつまでも過去にすがりついていないで、忘れるべきなんだって思うけどどうしてもそれができなかった。
 まるで大切なものを失ったような、心にぽっかりと穴が開いた感じはまだ消えない――だけど携帯の充電はしなかった。いつか携帯を解約しにいこうと思うだけに留めておく。
 どちらかと言えば、ただ穏やかなだけの気持ちで、この理由のつけられない想いと一緒に過ごしているんだ。

「うわ、超邪魔……」
 アパートの前にはこの地域には場違いと思われる外車が2階へと続く階段を塞ぐように停車していた。
 後ろから車が来たら絶対通れないと思うんだけど……。
 白くてツヤツヤの車体は大きくてボンネットの中央には天使みたいな像のエンブレムが付いていた。多分、何千万とする高級車だと推測。
 運転席に誰も居ないのを確認して、シルバーのエンブレムを観察した。羽根のような、手を広げた女性の像に、あたしはそっと手を伸ばす。
 けれど、触れるか触れないかというところで、車の左側のドアが開いて、運転席から持ち主が現れた。
「何か御用ですか?」
「あ、いや……かわいいなって思っただけで――スミマセン!」
 あたしの頭の先からつま先まで無遠慮に見る黒いスーツの男性に苦笑いで答えると、逃げるようにアパートの階段を駆け上がった。
 どうやらあの車は左ハンドルで、運転席に座っていた持ち主にすべて見られていたらしい。
 あたし、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……。
 でもあんな高級車を乗り回す人とはもう二度と会わないはずだと思い込む事にする。
 ――めりーくりすます! いたりあごだと、なんていうの?――
 階段を上がりながら作りかけだったメールを完成させて送信した。アメージンググレースが遠くから聞こえてくる。
 そう、これもいつもの空耳――。

 階段を登りきると、あたしの部屋の前には見知らぬ格好の外国人がいた。黒っぽいスーツにワインレッドのシャツ、赤いバラの花束を手に持っている。
「イタリア語ではBuonNatale(ヴォンナターレ)って言うんだよ」
 その人は手に持っていた携帯から顔をあげて振り向くと、懐かしい笑顔を向けて言った。

「ベ、ル……?」
「アゲハ、おかえり」
「た、ただいま……」
 立ち尽くすあたしの元へ、ベルがゆっくりと近づいて来る。
 彼は初めて会った時のように、その場に片膝をついて跪くと、あたしの左手を掴んだ。
「アゲハ……僕と、結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
 ――静かなアパートの廊下で、右手に持っていたケーキの箱がぐしゃりと落ちた音だけが響いた。
「うわ、これケーキだよね? 中は大丈夫かな……でも姉弟でよく落すね。キリト君は卵を――」
 あたしを見上げたベルの表情がみるみるうちに変化した。
「アゲハ、ごめん。その、馬鹿にして言ったわけじゃなくて、姉弟で同じ事するからおかしくて……ああ、だから――泣かないで」
 そう言われて初めて自分の頬が濡れている事に気づいた。あたし、いつからこんな涙もろくなったんだろう。
 それもこれも――。
「ずっと連絡もよこさないで、今まで何してたのよ! いまさら帰ってきたって……」
 どうにか搾り出した言葉は、おかえりとか、また会えて嬉しいとかそう言ったものではなくて、180度あたしの想いと逆のものだった。
「会いたくて戻ってきた……あ、そうだイタリア土産があるよ。クリスマスプレゼントも用意したし――ねえアゲハ……お願いだからもう泣かないで、ね?」
 ベルはおずおずとあたしを抱きしめると、子供をあやすように背中をポンポンと叩き始めた。
 背中に回された腕が温かくて、頬にあたるベルの胸のぬくもりを感じて、もう少しこのままでいたかったから――本当はもう涙は止まっていたけれど、あとちょっとだけ困らせておくのもいいかな、なんて思った。


「落ち着いた?」
 ベルはあたしをソファに座らせると、馴れた手つきでカフェオレを作って隣に腰掛けた。
「ベル、優花さんはどうしたの? 一緒にイタリアに行ったんじゃないの? なんでここに来たの? だって、あたし……」
「落ち着いて、順番に話すから」
 彼はあたしにカフェオレのマグカップを手渡すと飲むように促した。
 十分落ち着いていると思っていたけれど、ミルクと砂糖を多めに足されたカフェオレを半分くらいまで飲んだら、興奮がさざ波のように引いていく感覚に気づいた。
 深呼吸して落ち着いた事を証明する意味でベルを見たら、彼は頷いて口を開いた。
「まず、ユーカとは別れたよ。いや、別れたって言うのも変な話だね。ユーカには僕以外の婚約者がいたみたいだから……」
「それ……知ってたの?」
「知っていたというか……アゲハの部屋で破かれた手紙を見つけた。彼女と話していても辻褄が合わなくて、でもその手紙を見て納得したよ」
「あ、あれは違うの……あたしが破いたの。ごめんなさい」
「いいんだ」
 ベルはふわりと笑うと、まるで子どもをあやすようにあたしの頭を撫でる。また泣き出すとでも思っているのかしら?
「ユーカと話した後、すぐアゲハに連絡を取ろうとした。でも気付いた時には携帯電話がなくて、だからその日のうちにここへ戻ったんだ。でも、インターホンを押しても反応がなかった。寝ているのかと思ったけれど――嫌な予感がしたからジーンズのポケットに入っていた合鍵を使って入った。そしたらアゲハがソファで……」
 そうだ、あの時あたしは高熱でソファから動けなかったのだ。
 そんなあたしを、ベルはベッドまで運んだのだと教えてくれた。
 どうして気づかなかったのだろう――会社帰りにベルと会った時、彼はあたしに風邪は大丈夫かと訊ねた。あの時点でおかしいと気付くべきだった。
 風邪は土日で完治したのだから、ベルがそれを知っているということは、ここにいて看病してくれていたのだということ――。
「でも、朝起きたらいなかったじゃない。どうして?」
 いてくれればもっと早く謝れたのに、もっと早く話が出来たのに――。
「アゲハは……僕がそばにいると変な行動をとる。いない方がいいと思ったんだ。だから、悪いとは思ったけどアゲハの携帯電話を勝手に操作して、アドレス帳の‘深山霧’という漢字が並んだアドレスにメールを送った。あの漢字は雑誌に書いてあったから覚えていたんだ」
「あの平仮名のメールはベルが送ったのね……」
 ちなみにあたしは家族でも友達でもフルネームで登録する主義。
「アパート前の公園でキリト君が来たのを見届けてから帰ったよ。目が覚めて目の前に僕がいるよりは、心穏やかに過ごせると思ったんだ――」
 そしてベルは、その帰りに花屋へ行った。イタリアへ帰ると言ったのは、辞めないでくれと引き止められてしまったから。
「そうならそうって言ってよ。あたしてっきり、もう顔も見たくないって思われてるんだと――」
「そんなことないよ、Amore mio(アモーレミーオ)
「ねえ、それって――」
 どういう意味? と聞こうとしたら、あたしのお腹がぐう、と鳴った。
「さあ、話はまた後にして先に食事をしようか」
「え、嘘! だめ、いや!」
 ベルはにっこり笑ってあたしをぎゅっと抱きしめると、上着を脱いでキッチンへ行ってしまった。
 冷蔵庫を見回して残っている食材を見つけると、手際よく何かを作り始めた。
 途端にいい匂いが部屋中に広がる。
 シャツの袖をまくって、楽しそうにフライパンを躍らせる彼から話が聞けない事を早々に諦めて、久しぶりのその姿を眺めることにした。
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