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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

5章 もう飛ぶまいぞこの蝶々

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◆1◆

 こんなに泣いたのはいつ以来だったかな……?

 あたしが涙を我慢するようになったのは――そうだ、弟が生意気盛りになって、周りの大人から「お姉ちゃんなんだから」と言われるようになった頃からだった。
 そしてあたしは、泣く前に怒る事を覚えたのだ。そうすれば負けた気がしなかったから。
 あたしって本当に可愛げのない女なんだなって気付いた。

 あの時、八つ当たりなんかせず冷静になって話せていたら――と思う。
「そのネックレスの方が似合ってるよ――」
 彼の発した言葉を思いだすだけで、目頭が熱くなり心臓がきゅうっと締め付けられた。
 肩を抱かれてタクシーに乗り込んだ時も、静かな車中で流れる景色を眺めていた間も、アパートについてドアを開けてくれたあの瞬間も、そう思われていたのかと思ったら勝手に涙が溢れてきた。
 そして……。
「アゲハは――好きでもない男とでも平気でキスができるんだ?」
 あの言葉でとうとう涙腺が決壊した。
 気持ちのこもっていないキスをされた事が悲しくて悔しくて、それに喜んで応えてしまった自分が愚かしくて、腹立たしくて――多少なりともお酒の入った頭では彼を罵る言葉しか生まれなかった。

 一瞬でも幸せを感じてしまったベルとのキスは、ただあたしを試しただけのものだったらしい。彼の言葉の裏側にその意味を見つけた途端、涙は自分の意志では止まらなくなった。
 きっとこれで、あたしがふしだらで誰とでもキスをして――舌を絡ませる女なのだと確信できたんでしょう?
 ――だからあたしはあの場から逃げ出した。
 だって、ひどいじゃない。
 じゃあ……自分はどうなの? あなたはあたしにキスをして……とろとろに溶かしたくせに、本当は優花さんだけを愛しているんでしょう?
 そのキスには気持ちがこれっぽっちもこもっていなかったんでしょう?
 それなのに、どうしてベルはあたしを責めるの?
 あたしが誰とキスをしようと、あなたには関係のないことじゃないの。

 泣いて泣いて、もうどうでもいいコトかもしれない、と朦朧とする意識の中で思った頃、あたしはやっと意識を手放す事に成功した。
 けれど夢の中でもあたしはずっと泣いていた気がする。
 何かに追われるように、そして何かから逃げるように……浅い眠りのまどろみの中を、落ちたり浮かんだりを繰り返しながら――。


 ガンガンと響く頭に起こされて、あたしはうっすらと目を開けた。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しくて思わず目を背ける。
「うぅ、頭いたーい……」
 嬉しい休日の朝だとしても最悪の気分には変わりない。
 頭痛がひどいのは二日酔い、身体が痛いのは床で寝てしまっていたせい。
 目の周りの違和感は……まあ、心当たりがないわけじゃないから、鏡で見たりとか改めて確認はしないけれど……。
 (くる)まった毛布から片腕を出してどこかに転がっているであろう携帯を探したけれど、近くにない事がわかっただけだった。
 時間を確認する事を諦め、痛む頭を押さえながらのろのろと起き上がる。
 帰ってからずっとトレンチコートを着たままだった事に気付いて、あたしは小さく呻いてから脱いでハンガーに掛けた。
 裾の部分が皺だらけになっていたけれど、今は見ないフリをしておく。
 シフォン生地のスカートも裏地も含めて深い皺がついていた。ちなみにあたしが持っているスカートの中で一番カワイイもの……コート共々クリーニング店へ直行だ。
「ああ、もう……!」
 休日の朝なのにこんなに気が重いと感じたのは初めて。

 あたしは大きく息を吸って壁掛けの全身鏡と見つめあう決心をする。
 この部屋でやるべきことをすべてやってから――そう、次の行動を考えよう。
 痛む頭を押さえながら自分に言い聞かせた。
「うわっ……」
 鏡には昨夜の服装のまま、髪の毛もボサボサのひどい自分が写った。化粧も落とさず、泣きはらした後の顔はぐちゃぐちゃで、目は恐ろしいまでに腫れている。
 思ったよりもひどい――それはもう見るも無残な姿だった。

 そして、首にはクロスのネックレス――今回の元凶となったものだ。
 あの時、吉野さんがあんなイヤガラセをしなければ……そう思い返した途端に怒りが蘇り、チェーンを掴む手に力がこもった。
 どうして吉野さんはあたしなんかにネックレスをプレゼントしたの?
 あたしがこれを大人しく受け取っていたら、吉野さんは何もしなかった?
 やさしい人なのかなって思ったのに……。吉野さんは二次会から早めに抜け出せるように手助けしてくれた。
 やり方はどうであれ助けれくれた事に変わりはなかった。
 それなのに、彼はあたしの携帯の電源をいつの間にか切っていて、ネックレスをプレゼントするためだけに無理矢理キスをした。
 そして――ベルから貰ったネックレスを似合わないというだけで壊した。
 思い出せば沸々と怒りが湧いてくる。
 あたし、吉野さんを怒らせるような事した? 
 ネックレスのプレゼントを断っただけでどうしてキスまでされなきゃいけないの!?
 あたしが好きとか……? いやいや、そんなの有り得ないから!
 考えれば考えるほど有り得ない想像ばかりが浮かんできて、同時に頭痛もひどくなる。
 あたしは眉間をぐりぐりと揉んで余計な考えを排除した。
 とりあえず、このネックレスは吉野さんに返すもの。八つ当たりで壊しちゃだめ。
 首からネックレスを外して、寝ていた床に落ちていたバラのネックレスも拾ってベッドのサイドテーブルに置いた。
 ピンクゴールドのチェーン……買ったお店に行けば、売ってるかな?


 それにしても……喧嘩をすると厄介だ。一緒に住んでいれば顔を合わせたくなくても合わせなければならないのだから。
 この狭い部屋でやるべきことを全て終えたあたしはリビングへと続く戸をちらりと見る。
 とりあえず、朝からお風呂に入るのは無理だとしても――シャワーを浴びたい、顔も洗いたい。
 けれどその望みを叶えるためには、ベルのいるリビングを通らなければならない……。
 時計を見て、最後に会ってからまだ10時間ちょっとしか経っていないことがわかった。
 冷静になった今、非常に気まずいという思いしかない。

 彼の動きを探ろうと、寝室とリビングを隔てている戸に耳を当てて隣の様子を伺ってみる。
 微かに人の動く気配がして、ベルはすでに起きているという事がわかった。
 わかったところで――ど、どうしよう……。
 あんなことがあったにも係わらず、ベルはまだここにいてくれていると思うと、あたしは少し救われた気分になった。
 もしもこの生活に嫌気がさしたのなら、昨夜のうちにでも出て行こうと思うでしょう?
 気まずいと思っているのはベルも同じはず……。
「だから大丈夫よ、アゲハ」
 まず会ってなんて言えばいい?
 オハヨウ? ゴメンネ? それとも話し掛けられるまで黙って待つ?
 いやいやそれよりも……このひどい顔を見られると思っただけであたしの心が折れた。
「ああもう……どうしよう!」
 小声で呟きながら寝室を行ったり来たりして考えてみるけれど、動けば動くほど頭がズキズキと痛みだすだけだった。
「うーん、頭……割れそう」
 壁にもたれて部屋を振り返る。落ち着け、自分! と言い聞かせながら。
 ふと目に入ったベッドは床に落ちた毛布以外、彼が使っていた形跡そのまま残っていた。昨夜、急いで家を飛び出したから? ベッドメイクなんて気にかけていられなかったのかなと思うと胸がきゅんとうずいた。
 そんな彼をあたしは寝室から締め出したのか……なんてひどい家主なんだろう。
 彼の体調が気になり始め、あたしは戸を開く決意をした。

 ――ピンポーン。

 突然、玄関の呼び鈴が鳴って、あたしはびくりと飛び上がった。
 こんな時間に誰が尋ねて来たの?
 宅配便? それとも――まさか吉野さん……?
 玄関のドアが開く音が聞こえる。あたしの代わりにベルが出たのだ。
 あたしは耳を澄ませて様子を伺う。
「ベルナルド! ああ良かった、まだここにいたのね!」
 この聞き覚えのある声は――。
「君は……誰?」
「私よ、ベルナルド。あなたの優花よ!」

 尋ねてきたのは優花さんだった。
 想像もしていなかった来訪者にあたしはその場に氷りついた。
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