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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

4章 誰も寝てはならぬ

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◆4◆

 水の中をたゆたうような感覚の中で寝返りを打つとふわりとベルの香りが届いた。目を開けるとそこはほんのり明るい見慣れたリビング。
 あたしは彼が寝るために使っていたソファでうたた寝をしていたようだった。
 ベルに抱きしめられているような錯覚に陥りながら、残り香に顔を(うず)めて、めいっぱい吸い込んだ。
 うーん、いい香り。
 でも――そういえばあたし、どうしてここで寝ていたんだっけ?
 時計を見ると、時刻は朝の6時を示していた。
「……まだ6時、か…………じゃなくって!」
 一気に覚醒したあたしは飛び起きると寝室の扉を開いた。いつもあたしが使っているベッドには今、ベルが静かな寝息を立てて眠っている。数時間前よりだいぶ落ち着いた様子に、あたしはほっと胸を撫で下ろした。

 病人をソファに寝かせるという状況に気が引けて、意識朦朧のベルをベッドに移動させたのは昨夜の事。
 それから水枕を作って、脱水症状を起こさないように、と定期的にスポーツドリンクを飲ませた。熱がなかなか下がらず、心配でベッドの横でしばらく見守っていて……そうだ、冷凍庫の氷を補充しておこうとリビングに戻って、何故かソファにもたれたあたしは10秒だけ目を瞑るだけだから、と誰にともなく言い訳をして……その後の記憶はない。
 ベルに近づきそっと首元に触れてみるが、彼の体温はまだ高かった。
「病人ほったらかしてうたた寝するなんてサイアク……」
「ア、ゲハ……?」
 水枕の氷を交換しようとベルの頭を腕に乗せて持ち上げた時だった。
「あ、ごめん。起こしちゃった? 喉かわいてる?」
 彼はぼうっとした表情でこくりと頷く。
 こんな時にキュンとしてしまうのはものすごく不謹慎なんだけど……普段とは違う、弱っている男性のそんな仕草がすごくかわいいと思ってしまい、あたしはにやけそうになる顔を必死で引き締めた。
「はい、どうぞ」
 のろのろと上半身を起こした彼にスポーツドリンクを手渡す。
「コーヒーが飲みたい……」
 彼はしばらくそれを見つめた後、小さな声で呟いた。
「そ、そんなの飲ませるわけないでしょ!」
 つい大声を出してしまった事にとはっとして口元を押さえたけれど、ベルはそんなあたしを見て楽しそうにクスクスと笑い出す。
 彼が冗談を言ったのだと気づいたのは一拍遅れてから。こんな状況でそんな事を言えるなんて随分余裕なのね! もう!
「僕ね……好きなんだ」
 ベルは眠そうな顔であたしを見つめた。
「えっ……ええっ!? そ、それは、あたしを……好きって意味?」
 今まで有り得ないと一蹴しつつも心の奥底では望んでいた言葉――不意打ちだとしても、それを聞いたあたしの心臓はバクバクと暴れ出した。
「うん。アゲハに怒られるのも、心配されるのも好きだ――なんだか、すごく嬉しくなる」
「えっ、あ……えぇ?」
 ベッドに横になったベルは、毛布の中から片手を出してあたしの頬に軽く触れた。
「霧人くんが羨ましいな。こうやって、心配されて……素敵な……お姉さんを持って――」
 ゆっくりと目を閉じたベルは腕の力を抜くと同時に意識を手放したようだった。
「な、なんなの……」
 頬に触れたベルの手が熱かったから、熱に浮かされたが(ゆえ)の言葉なのだと、この時になってようやく理解した。
 お、怒られるのが好きって……どんだけMなのよっ! 突然好きだって言うから愛の告白かと思ったじゃない!
 めちゃくちゃ期待しちゃったわよ、頭の中でリンゴーンって鐘の音が聞こえた気がするし!
 あたしの中でたくさんの感情がむくむくと浮かんでは消えを繰り返す。
 この説明のつかない感情をどこにもぶつける事ができず、いてもたってもいられなくなって、彼の髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜた。汗で水分を含んだ髪は元の位置に戻らず、色々な方向に跳ねたままになる。
「はぁ……。ベルはお姉さんが欲しかったのかな」
 いつだか男だけの兄弟だと言っていた事を思い出し、あたしはふふっと笑みを零した。
 身を乗り出して眠れる王子の額にキスを落とす。自分の無意識の行動に驚きつつも、彼の寝顔を見ていると愛おしいと思う気持ちが溢れ出して、じっとしていられなくなってしまったのだ。急に恥ずかしくなったあたしはそっと寝室を抜け出した。
 振り返り、ちゃんと眠ってるよね、と確認しながら――。


 次にベルが目を覚ましたのはお昼を少し過ぎた時間だった。その頃になると意識もはっきりしていて、自分のいる場所がいつものソファではなくあたしのベッドだと気付いたのもその時だったようだ。
 汗をかいたから着替えるついでにシャワーを浴びたいと言う彼と、それに断固反対するあたしとの攻防戦は数十分間に及び、結局折れたあたしはその代わり、と今日はこのベッドで過ごす事を約束させた。
 だって何度もソファに戻ろうとするし、ちょっと動けるようになったからって夕飯は作るとか、買い物に行くとか言うんだもん。
「ねえ、アゲハ……今暇?」
 じっとしている事に耐えられなくなったのか、行ったり来たりと動き回るあたしを目で追っていたベルに声を掛けられた。
 あたしは洗い終わった洗濯物をベランダに干しに行こうとしたところ。
「こら、大人しく寝てるって約束したでしょう! そうやって動けるのは薬が効いてるからなんだからね!」
 ベッドから用もなく出ようとするベルを叱れば、彼はクスクス笑いながらも大人しく戻ると、ベッドの端をポンポンと叩いて座るように促した。ものすごく機嫌が良さそうだ。
 その満面の笑顔に吸い寄せられるように、あたしはベッドに腰掛ける。
「どうしたの?」
「アゲハ、僕の話を聞いてくれる?」
 改まって言われ、あたしは居住いを正す。きっと帰国の話をするのだろうと思った。そしたらあたしは、風邪が治るまではここにいるように、と言うつもりだ。
 ベルはあたしの手を自分の両手で包むと、まっすぐ目を見つめてきた。
「僕は――アゲハが好きだ」
「あ……うん。もう聞いたけど……」
 改まって何を言うかと思ったらそっちですか……。
 「好き」という単語に一瞬ドキッとしたけれど、もう勘違いも期待もしないように、と心構えはしていたから平常心でそう答えられた。
「え、僕……言った? いつ?」
「今朝起きた時。ベル、あなたコーヒー飲みたいって言ったでしょう? その時に聞いたけど……」
「お、覚えていない……」
 彼は焦った様子で前髪をくしゃっと掴んだ。
「あの時はまだ熱が高かったからね。あれ、今も顔が赤いみたい。熱が出てきたのかも、横になってないとだめよ?」
 額に手を伸ばそうとしたら彼に捕まれた。
「それじゃあもう一度、改めて聞くから返事を――その洗濯物、僕のじゃないか!?」
「そうだけど、自分で干すとかだめよ! やらせないからね!」
「さすがにそれは……その、下着もあるし……」
 自分の洗濯物をあたしに干されることを遠慮しているらしいベルは、熱のせいか照れているせい、か顔を赤らめてごにょごにょと口ごもる。
「大丈夫。あたし弟いるし、見たことあるし、気にしないから!」
「僕は……弟?」
 少し不服そうだ。
「それは違うけどね……今日、ベルがすべきことはただ一つ、大人しく寝ていることだけ。わかった?」
「でも……」
 顔を真っ赤にして呟くその表情がかわいくて、あたしは彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ベルくん、お姉ちゃんの言うこと聞いて大人しくしてるのよ? 洗濯物干したら買い物行ってくるけど、いい子でお留守番してるのよー?」
「わかったよ、もう!」
 彼は拗ねた様子でベッドに潜り込み、毛布を頭からかぶって隠れてしまった。
 その姿が子どもっぽくてあたしは大笑いした。
 風邪を引いて弱っているとはいえ、こんな姿を見られた事に嬉しさが込み上げる。この出来事もいつか楽しい思い出になってしまうのかな、なんて思いながら。


 ピンポーン、と部屋中に音を響かせる呼び鈴が鳴ったのは、夕食の深山流なべやきうどんを煮込んでいる時だった。ちなみにこれは弟が風邪を引いた時に母親がよく作っていたもの。
「うわ、本当にきちゃった……」
 昼間、母親に電話でうどんの作り方を聞いていた時、風邪でも引いたのかと心配されたから適当に誤魔化したのだけれども……。
 願わくば――ベルと鉢合わせしませんように。彼が起きてきませんように、と玄関のドアを開ける。
「お母さん、大丈夫だって言ったでしょ? 死にかけたらちゃんと帰るから――よ、吉野さん!?」
「確認もせずドアを開けるな、不審者だったらどうする? 一人暮らしなんだから気を付けないと殺されるよ?」
 目の前にいたのはなんと吉野さんだった。ドアを開けたら吉野さん――なんて誰が想像する?
「突然のヒドイ忠告ありがとうございます……」
 驚いたあたしは思った事をそのまま口に出してしまった。
 吉野さんは眉間の皺を深くする。
「とりあえず元気そうだね。でもちょっとやつれてる。寝てないの?」
「ええ、まあ……それよりどうしたんですか? 仕事の話なら電話してくれれば――」
「仕事終わって電話したけど出ないから、もしかして家で倒れてるんじゃないかと思って見に来たんだよ。それに俺のマンションこの駅だし」
 吉野さんは、あくまでついでね、と付け加えて言った。
 そう言われてみればしばらく携帯を見ていなかった事に気付いた。確かお昼に一回使って……あれ、最後にどこへ置いたっけ?
「あの、さ……今日休んだのって確実に俺のせいだよね?」
「へ?」
「賞味期限の切れた生キャラメル……原因はあれでしょ?」
 初めて見る吉野さんの困惑顔にあたしは絶句した。それを気にしてここまで様子を見に来てくれたの?
「そうだ、これイチゴ。食べて」
「あ、ありがとう……ございます。あの、あたしもう大丈夫ですから! っていうか、キャラメルはおいしかったし……その、腐ってないと思います。明日は出勤しますから」
 そう言うと、吉野さんはやっといつもの――ふてぶてしい方の笑顔を見せた。
「まあ、明日は飲み会もあるけど無理しないでね。ところでその男物の靴、誰か来てるの?」
「あ、えと、弟です!」
「ふうん……」
 いまいち納得していない顔をしながら吉野さんは帰っていった。わざわざ様子を見に来るなんて、優しいんだか鬼なんだかわからない人……。
「あれ?」
 ドアを閉めた後でふと気づく。吉野さんの家は駅の反対側だから、ここからだと結構距離があるはずじゃない? 本当についで?
「ま、いっか。これはデザートに食べよっと」
 いちごは消化にいいのかな?
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