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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

4章 誰も寝てはならぬ

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◆2◆

「もう少し、このまま――」

 吐く息に耳元をくすぐられて、期待と不安で背筋がぞくりと震えたのを覚えている。
 聞き違いなんじゃないかと慌てて顔をあげたら、彼は何事もなかったようにあたしに回した腕を(ほど)いた。
 思いもよらないベルの行動の意味を計りかねてぽかんと見つめてしまう。彼はそんなあたしの頭をポンポンと軽く撫でると、シャワーを浴びるためバスルームへと向かって……扉を締める直前で振り返った。
「あのね、明日でいいから聞いてほしい事があるんだ……」
 微笑んではいたけれど、眼の奥に憂いの色が一瞬よぎった気がしたんだ。


 書類をホッチキスで綴じながら、そんな昨日の出来事を思い出すこと数十回……。
「はぁ……」
 突然のキスとハグに時間差でうろたえたあたしは、その言葉の意味を聞くことなく逃げるようにベッドへ潜り込んだ。しばらく眠れなかった事は言うまでもない。
 一体あの行動にはどういう意味が込められていたのか――。
 別れを意識していたから? だからもう少しこのままでいたいと思ったの? あるいは……あたしに惚れちゃった……とか?
 そもそもどうして彼は、あたしの手の平にキスをして抱きしめたのだろう?
 背中に回された腕は、優雅にバイオリンを引く姿からは想像もできない力強さだった。
 耳にまだ残るベルの囁き声――思い出した途端、恥ずかしさで頬が熱くなる。
 外国人のスキンシップだと思えば別段焦ることもないけれど、そこに深い意味があるのでは――とそればかりを考えてしまうのだ。そして考えれば考えるほどベルの真意がわからなくなった。
 不意にカツン、とホッチキスが空振りする。
「はぁー……」
 デスクの引き出しから針を探して補充すると、あたしはまた書類を綴じ始めた。
 しかも聞いてほしい事って何だろう?
 もしも……もしもよ、その話があたしを好きになっちゃったかも系だったなら、すぐにでも、あの瞬間こそ最高のタイミングだったはずだ。
 それなのに明日と言い切ったという事は……いやいやいや、イタリア人男性が愛の告白をする場合、花束とか用意するのかもしれない。だから明日なんて言ったのかも。
「はぁぁ……」
 やっぱりその可能性は無い。だとしたら、彼が聞いて欲しいと予告した話はイタリアに帰るという内容なのだろう。
 告白されるかも! なんて浮かれて帰って、ベルが荷物をまとめていたら?
 三つ指揃えて「お世話になりました」なんて言われたらどうしよう!
「あぁぁぁ……」
 それってものすごく切ない、かつ一番有り得る話だ。

「ちょうちょちゃん、いい加減うざい」
 隣の席の吉野さんが、カタカタとキーボードを打ちながら言った。
「あ、え!? もしかしてあたし声に出してました?」
「いや、ため息が。何回目? 手だけは仕事してるから放って置こうと思ったけどね、うざい」
「スミマセン……」
 手だけは、って何? しかもうざいって2回も言われた……。
「ため息ばかり吐いてたら幸せが逃げるよ?」
 声に出ていなくてよかったと胸を撫で下ろしたと同時に、なぜだかそれが無性に可笑しくて、あたしはひとりクスクスと笑い始める。
「幸せ……逃げちゃいますか。それはしょうがないですね」
 それに気づいた吉野さんからの視線を感じたけれど、あたしは気づいていないフリをして席を立った。
「……嘘を吐き続けている罪は重いんです。だからあたしはどうあっても幸せになれないんですよ」
 空席だった部長のデスクに完成した書類の束を置きながら誰にともなく呟いた。

「はい、ちょうちょちゃん。これ食べていいよ」
 席に戻ると吉野さんから手の平サイズの箱菓子を手渡される。
「貰いもので悪いけど、俺甘いものは食べないから」
 かわいらしいラッピングが施されたそれは、明らかに女性からのプレゼントと思われた。こんな大事なものを「甘いものは食べない」と簡単あげる人の気が知れない……。
 吉野さんに惚れたら最後、涙を流すのは絶対女性の方だわ、とあたしはこっそり嘆息した。
「わあ、生キャラメルだ! すごい、本当に口の中で溶ける! あたし初めて食べました」
 ……でも食べ物には罪はないから、あたしがきちんと食べて供養しておきますので! 両手を合わせて、でも口は動かしながらお祈りのポーズをした。
 ふわりと空気が動いた気がしてちらりと吉野さんを見る。彼は女性を虜にし続けるキラースマイルをあたしなんかに見せて、なんともご満悦の表情だ。
「そう、よかったね。元気出た?」
「え、あ、ハイ……」
 もしかして吉野さん、あたしが落ち込んでると思って元気付けてくれた……?
「でもごめんね。さっき気づいたんだけど、これ賞味期限切れてた」
 ――な訳なかった!
「ちょっと吉野さん、いつ貰ったやつですか!」
「大丈夫だよ、封開けてないし常温保存可って書いてあるし」
「そういう問題じゃありあません! もうっ一瞬でも優しいだなんて思った事は取り消しますからね!」
 あたしが怒ると吉野さんは嬉しそうに声をあげて笑いだす。
 絶対わざとだ。吉野さんは賞味期限が切れていたのを知っていて、全部食べた頃を見計らって言ったんだ!
 もう、サイテー! 

「ハイハーイ、皆さーん。これから送別会の会費を徴収シマース!」
 突然舞子ちゃんの明るい声が営業部のフロアに響いた。
「女性は一律3千円。主任以上部長未満は5千円頂きまーす!」
 今週の金曜日は平田先輩の送別会が予定されている。先輩本人は今月末に退職するが、月末は忙しくなるので今週末にやる事になっていた。
 そして舞子ちゃんは幹事の一人なのだ。
「本当に5千円レベルの料理がでるんだろうね?」
 吉野さんは渋々といった様子でポールスミスの長財布から5千円札を取り出して言った。
「まさかっ! その3割ほどはお祝いの品に消えちゃいまーす」
 舞子ちゃんは天使のような笑顔で吉野さんの手から5千円札をひったくると名簿にレ点を付ける……と思ったら「バカ」と記した。
 吉野さんの席からは見えなくてもあたしからはそれが見えてしまったのだ。
「ま、舞子ちゃん!?」
 アナタ、吉野さんに何かされたの!?
 けれど舞子ちゃんはまったく意に介すことなく、そのうえ内緒ですよと人差し指を唇に当てた。あたしは苦笑いをするしかない。
「あれ、深山センパイなんか元気ないですね。何か悩み事ですか? アタシが聞きますよ?」
「君に聞いてもらったって何の解決にもならないと思うけど?」
 キッと吉野さんを睨む舞子ちゃんをなだめながら、あたしは鞄を膝の上に置いてごそごそと財布を探す。
「はい、3千円。あと……舞子ちゃんにこれあげる」
 会費と一緒に渡したのは例のファッション雑誌。
「うわぁ! この表紙のイケメンって深山センパイのっっ!」
「そう、弟ね」
「イケメンモデル……深山霧人……ミヤマって、えぇ! ホントに弟だったんですか!」
 がっかりしたのも束の間、ぱらぱらとページをめくるにつれて舞子ちゃんは興奮した表情になる。
「わわ、確かにイケメン! きゃあ、見てください割れた腹筋! 細マッチョ! アタシの好きなタイプです!」
 特集ページをめくりながら騒ぎ立てる舞子ちゃんに、吉野さんはだんだんと苛立たしさを露わにし始めた。その証拠にキーボードを叩く音が怖い。
「まったく……キャンキャンキャンキャン(うるさ)いな」
 静かだが殺気を感じさせる声音にあたしは思わず言葉を飲み込んだ。それにしても、女の子にイヤミを言う吉野さんは珍しい。もちろんあたし以外で、という意味だけれども。
「やだぁ! 聞き耳立てるなんてヘンタイですか? ガールズトークに口挟まないで下さい!」
 すかさず舞子ちゃんが言い返す。
「君の甲高い声が耳に響くんだよ。声のトーンを落すか、それができないのなら口を聞くな、鬱陶(うっとう)しい」
「あら、若い子の声は(わずら)わしい? 吉野さんもうオジサンですものねぇ。あ、この前はお誕生日おめでとうございました。31歳? オジサンになったご感想は?」
「君ね……俺が大人で良かったと思えよ」
「あの、二人とも――」
 このまま放っておいたら大火事になりそうな言い合いを止めようとしたら、2人から噛み付かんばかりの勢いで睨まれた。
「の、飲み物買ってこよーっと」
 吉野さんに睨まれても物怖じしない舞子ちゃんに関心しながら、あたしは逃げるように席を離れた。
 それにしても、この2人ってこんなに仲悪かったかしら?
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