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恋の悩みを知る君は 作者:来栖ゆき

1章 恋とはどんなものかしら

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◆1◆

 月末で、金曜日で、残業で、コンビニ弁当と缶チューハイの入ったビニール袋片手に、一人暮らしのアパートへ帰ってきた夜9時43分のこと――。

 あたしの部屋の前に見知らぬ男が座っていた。視線は空に昇った細い三日月。
 日本人とは思えない、鼻筋の通った横顔が印象的だった。毛先が少しカールしている黒髪は耳にかかるくらいの長さ。
 第一印象で、うわイケメンだ、と思ってしまった事は言うまでもない。
 彼は立ちすくむあたしに気付くと、サファイヤのような青い瞳でじっと見つめてきた。
 知り合いではない――けれどあたしを見て嬉しそうな笑みを向けてくるものだから、あたしは記憶の引き出しを片っ端から開けてみる。
「あの、あたしの部屋なんですけど、何か御用ですか?」
 引き出しから何も見つからなかった事を悟ると、あたしはその人物に話しかけた。
 彼はすっと立ち上がった。
 180センチくらいの長身に、濃いネイビーブルーのジーンズと黒のTシャツ。ぱっとしない服装だけどなんでだろう、外国人が着ると何でもカッコイイと思えてしまうのは日本人の不思議。
 外国人……? ということは――通じるのは英語?
 はっとして気付いたけれどもう遅い。彼は満面の笑顔であたしに近づいて来た。


 そして、(くだん)のプロポーズ……。


「あれ、おかしいな」
 彼の意見に激しく同意、確かに色々とおかしすぎる。まず、リングのサイズが小さすぎで第二関節で止まった。
 こう……プニっと。
 リングの周囲にはみ出たお肉が乗っている。それから、どう考えてもこの人とあたしは初対面のはずだ。「結婚しよう」の前に「初めまして」という挨拶の方がしっくりくる。
 そして極めつけ、この外国人、日本語が流暢(りゅうちょう)すぎる。その青い目は本物?
 彼はどうにかリングを指に通そうとするけれど、第二関節の骨はリングの内径よりも太いのは明らかだった。
 いい加減恥ずかし過ぎるんですけど……。
 遠回しに太っているのでは?と(ほの)めかされている気がしてならない。一応服のサイズは9号だけど、女性としてこういう所は敏感なのだ。
「あの、いくらやっても入りませんけど」
 少しムッとした声になってしまったけれど、あたしは取り繕う事もしなかった。
 だって初対面で「指、太いよ?」みたいな事されたら、誰だってムッとするでしょう?
 彼は跪いたままの姿勢からあたしを見上げて、指輪を押し込むことを中断すると、優雅な仕草で立ち上がった。
 けれど手は握ったまま。
 秋風に冷えたあたしの指先は、彼の熱によって温められている。
「でも、リングのサイズは7号と聞いたよ?」
 あたしは聞かれた事ないけど、9号ですから!

 ――彼が跪いて手の甲に口付けした時、どこかの国の王子様かと思ったのは確か。駅のホームかどこかの横断歩道ですれ違って、この人はずっとあたしを探していたのだ。
 家来に命じて居場所を見つけ、こうしてあたしを迎えに来た。そう、プロポーズをする為に――きっとアパートの前にはカボチャの馬車かリムジンが待っているのだ。
 金髪じゃないのは百歩譲って許そう。
 なんて、手の甲への口付けからリングが指にプニっとなるまでの間、あたしの脳裏を駆け巡ったその妄想は、リングのサイズが合わなかったという(はずかし)めにより、ガランガランと音を立てて崩れ落ちた。
 家来っていつの時代の王子よ。しかも王子が駅のホームとかいないから!
 まったくもって自分の妄想に辟易する。
 そう、これは、きっと――。
「人違いです。誰か他の女性と間違えていませんか?」
「僕だよ、ベルナルドだ」
 わからないかな、と苦笑いで微笑む初対面の男に、あたしも苦笑いで返す。
「ごめんなさい、本当に人違いだと思う」
 だって、プロポーズしてくれる外国人の知り合いなんて、あたしにはいないんだもん。


 あたしの名前は深山揚羽(みやまあげは)――読んで字の如くミヤマアゲハ、26歳。
 蝶でもなければキャバ嬢でもない。正真正銘あたしの本名だ。
 こんな名前を付けた親を恨みがましく思った事もあったけれど、この変な名前のお陰で第一志望の大手IT企業に就職できた。
「ミヤマアゲハって蝶々だよね?」
 面接で開口一番にそんな質問を投げかけた人事部長の趣味はまさかの登山と写真だった。最初は意味がわからなかったけれど、山に登って蝶や花の写真を撮るのだそう。
 お陰で内定即ゲット!
 安定した会社でそこそこ良い給料を貰いながら、営業事務4年目。
 悲しいかな、彼氏イナイ歴も4年目に突入。就職と同時にまだ学生だった年下の彼氏とは別れてしまったから。
 このアパートには引越しをして明日で1週間。別に新しい一歩を踏み出したかったわけではないけれど、実家を出て自活したかったから。
 会社からは2駅という距離で、アパートの前にはやや大きめの自然公園がある。結構気に入っている立地なのだ。

「どうぞ……」
 コーヒーを出すと、彼はありがとう、と日本語でお礼を言って一口飲んだ。
 あたしはコーヒーにたっぷりホットミルクを注いでカフェオレにした。夕食もまだなのに、空腹にブラックは重すぎる。
 玄関を入ってすぐのリビングダイニング。猫足のテーブルを挟んで座る、あたしと、ベルナルドと名乗った外国人。
 2人きり。
 さて、これからどうしよう……。
「あの、もう理解はできました? ここは1か月前から空き部屋で、あたしが1週間前に越して来たんです」
 日本語が通じる事にほっとして、外があまりにも寒くて、しかも人違いだとやっと信じてくれたこの人が捨てられた子犬のような瞳で、行くところがない……とか呟くものだから、ついつい部屋に入れてしまった。
 まだ誰も招待した事のないこの部屋に――。
「彼女はここにいないんですか? ならどこにいるんですか?」
 ……そんなの、あたしが聞きたい。
 ベルナルドがプロポーズをするために会いに来た女性は、1か月ほど前に引っ越をした後だった。
「引っ越し先はあたしには解らないです」
「そう、ですか……」
 ああもうっ! 幻覚だけど、垂れた耳と尻尾が見えるのは気のせい。幻覚だけど。幻覚だけどね……!
「あの、その人の電話番号は? メールアドレスは? 勤め先とかなにか聞いてないんですか?」
 ベルナルドは恋人から最後に届いたらしいエアメールを握っていた。
 けれどそこには住所と名前しか書いていない――そう、ここの住所が。
 そして差出人の名前は――真田優花(さなだゆうか)
 彼ははるばるイタリアから、住所と名前だけしか知らない女性に結婚を申し込む為に来たのだ。
 い、一途すぎる……。
 頭をナデナデしたくなるのは、あたしだけじゃないはず。
「じゃあ……明日このアパートの管理会社に電話してみましょう。望みは薄いけど前の住人に連絡取ってくれるかもしれないし」
 途端、彼は表情を明るくした。
 ちょっとくらくらする。イケメンの不意の笑顔は、一人暮らしの独り者にとっては猛毒だ。
「大丈夫ですか?」
 少し眩暈を覚えて額を押さえたあたしに、ベルナルドはテーブルに乗り出して心配そうな顔を向けた。
「大丈夫、デス……」
 ほんとは大丈夫じゃないけれど。
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