挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀二年 比叡山延暦寺

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

94/134

千五百七十一年 十二月下旬

信長と静子が歓談しているころ、慶次たちも暇を持て余し、車座となって談笑していた。途中から長可も加わり、一層賑やかになった。
唯一、蘭丸だけはそわそわと落ち着きがなく、時折信長と静子が消えた襖へ視線を向けていた。

「おい、蘭。さっきからキョロキョロと鬱陶しいぞ」

見かねた、というよりは本気で煩わしがっている長可が、若干目を細めて蘭丸を睨む。

「あ、兄上は気にならぬのですか! 人払いをして女子と密会など、某は気が気でならないです!」

「お前がしているのは邪推だ、その方面での心配などするだけ無駄だ。ついでに邪魔だからどっか行け」

蘭丸の必死の訴えもどこ吹く風、長可は左手で耳をほじりながら右手の人差し指を蘭丸に見せ、左右に動かしながら手を払う動作をする。

「殿のご命令だ。我らはそれに従うのみ。従えぬとあらば、お前に小姓は務まらぬ」

小馬鹿にした態度に蘭丸は逆上するが、堀が彼を諫める。小さくため息を吐いた後、堀は長可に詫びる。

「すまぬな。蘭丸は殿が静子殿を重んじるのが気に入らぬのだ。(わらわ)の僻みと思って聞き流してやって欲しい」

「そんな所だと思ったぜ。急に小姓に取り立てられて、一人前になった気分で差し出口を挟むようになったんだろう。気に入らぬ理由も、静子が女子だからだろう。あー、やだねー、餓鬼の嫉妬は醜いぜ」

長可も全く同じことを言っていたのを知っている、慶次と才蔵は長可に生暖かい視線を向ける。

「そ、そのような理由ではござらぬ! 某は殿を一番に考えているだけでございます!」

「じゃあ殿の命令には従わないとな」

「ぬぐっ!」

長可と蘭丸が喧嘩、もとい長可が一方的に蘭丸をからかっている頃、信長と静子は国策を論じていた。

「……と、言うわけで私としては唐攻めは不要と思います」

内容は天下統一後の海外政策という、ある意味気の早い話である。
海外をも視野に入れた議論が出来るのも、静子が齎した戦国時代には相応しくない、正確な測量による精密な世界地図があるからだ。
お陰で信長は日本が如何に小さくかつ僻地にあるのか。またヨーロッパが恐ろしく遠くにあり、遥かな土地より日本まで手を伸ばす南蛮人の手腕を正確に理解した。

「南蛮人が珍重する香辛料の産地を無視してまで、世界の果てにある豪州へ舵を取ることの利点を述べよ」

「まずはこちらをご覧下さい」

信長の質問に静子は世界地図付属の資料集から要約した一枚の紙を差し出す。それには豪州に眠る金・銀・銅・鉄などの地下資源に関する埋蔵量が記されていた。
オーストラリアと言えば農業国と思われがちだが、実は膨大な天然資源を持つ資源国でもある。
特にアルミの原料となるボーキサイトの埋蔵量は世界一を誇り、場所によっては地表に鉱脈が露出しており、露天掘りが可能である。
本島とタスマニア島が発見されたのは1642年ごろだが、当時のヨーロッパ人はオーストラリアを発見しても、軽くて値が張る香辛料が取れないのならば不毛の土地だとした。

「航海技術や輸送技術の発達していない今でこそ、香辛料は珍重されますが、いずれは大量生産により需要と供給が釣り合い価値が下がります。しかし地下資源は、算出する土地を支配しなければ、得ることができません」

気軽に料理に使えるようにしたいというのが胡椒栽培のきっかけだったが、信長が海外へと目を向け始めると、静子の道楽が一転して重要な意味を持ち始めた。
それは香辛料の産地拡大と、大量生産による価値の低下を証明したことだ。
今でこそヨーロッパ人は香辛料を戦略物資として重要視しているが、いずれは工業化に必須の金属資源へと変遷することを示すべく、尾張での胡椒生産を成し遂げた。
その結果、険しい海を越えて海外へ進出しなくても、手間暇さえ掛ければ日本でも香辛料の産地になれることが証明された。
最初は半信半疑だった信長も、静子から献上された胡椒をヨーロッパ商人が高く買い取った事で、ようやく静子の意見が正しいと理解した。

「また、大陸の東部と南部は肥沃な穀倉地帯です。自然災害も少ないため、膨大な量の食物が生産出来ます」

オーストラリアの東南部山岳地帯は降雪地帯だが、それ以外の東部と南部は比較的温暖な気候で肥沃な穀倉地帯だ。
大陸全土から見れば僅かな土地だが、生産量は日本の総生産量を凌ぐ。
現代のオーストラリアは水不足に悩んでいるが、野放図な畜産重視による弊害であり、計画的に農業を営めば問題にならない。

「米はどうじゃ」

「充分に栽培可能でございます」

余り知られていない事だが、オーストラリアでも米は栽培されている。
米栽培だけに留まらず、稲作、穀作、マメ科牧草栽培と放牧をローテーションすることで限られた土地から、実に多くの産物を得ることが出来る。
日本と違って自然災害が少なく、それでいて四季に近い季節感があるため、オーストラリアは稲作に適していると言える。

「先住民がおりますが、彼らの聖地を侵さぬ限り友好的です。彼らの聖地は不毛な荒野部にあるため、我々が関わる事はございません」

オーストラリアには先住民族(アボリジニ)が居る。しかし、彼らは聖地ウルル(イギリスの探検家がエアーズロックと名付けた)に侵入しなければ、友好的な態度で接してくる。
たとえ肌の色や見た目が違っても、だ。これが理由でイギリス人の入植者は最初彼らと争いを起こすことはなかった。
しかし、入植者であるイギリスの流刑囚は次第に傲慢な態度を取るようになり、ついにはスポーツハンティングと称して多くのアボリジニを虐殺するにまで至った。
サウスウエールズ州の図書館には、当時のイギリス入植者がアボリジニの虐殺を、スポーツ感覚で楽しんでいた事を示す日記が残されている。
1600年ごろは100万人、700以上の部族がいたアボリジニは1937年まで白人による虐殺を受け、タスマニア島のアボリジニは絶滅、オーストラリア本島は数万人程度まで減った。
それ以降も傲慢な白豪主義による強制同化政策が行われ、1970年まで多くのアボリジニが強制的に文化を捨てさせられた。

「私としては彼らと友好的に接する方が得策と考えております。理由は幾つかありますが、やはり一番は彼らと争う意味がない点です。とはいえ深く関わることは禁物……付かず離れず、程よい関係がもっとも良いと思います」

組織的なスポーツハンティング、水場に毒を流す、アボリジニを離島に置き去りにして餓死させるなどをしたイギリス入植者だが、静子には白人至上主義のような思考は一欠片もない。
無論、下心がないわけではない。一部族とは言え先住民族とのコネクションを得れば、他の部族と話し合いをするのにも役立つ。
静子が欲しいのはあくまで肥沃な穀倉地帯での農産物と地下資源だ。他国の侵略を防ぐために独立国としての体裁を整える必要はあるが、それには時間が必要と静子は考えていた。

「南蛮人の侵略を許さぬためには、軍事力も必要か」

「豪州は我々の想像を超える大陸です。国を形作るには十年、二十年と見ておいて良いでしょう」

「まさに全てを一から作るということだな。刻が幾らあっても足りぬわ」

肩をすくめる信長は、言葉とは裏腹に楽し気な表情をしていた。
民すら居ない場所に国を築くとなれば膨大な労力を必要とするが、それは同時に自分が思い描く理想の国家を作り得ることでもあった。

「しかし、まずは目の前の敵を片付けなければ、豪州での国家樹立など絵に描いた餅だ」

「はっ。差し当たっては武田でございましょう。ですがこちらは問題ありません。今のところ、武田は我が棋譜通りに動いております」

「頼もしいぞ。わしは貴様の策通り、武田と事を構えぬ態度を維持する。腹黒狸にも武田と表立って対立するなと文を送った。今ごろ狸はさぞかしおかんむりであろうな」

「……返答は控えます。武田の次は上杉……とはいえ佐渡金山さどきんざんが目的ですので、上杉に関しては宥和政策で問題ないでしょう。武田は織田の名を日ノ本に轟かせるための生け贄なので滅んで頂きますが」

「武田が生け贄か。他の者が聞いたら腰を抜かす発言じゃ」

言葉とは裏腹に信長は不敵に笑う。彼は静子から説明を受け、既に武田といくさをしても勝てる算段が付いていた。しかし、それを前面に出せば武田が警戒して動かなくなる可能性がある。
『甲州兵1人は尾張兵5人に匹敵する』、それを覆す必要が、信長にはどうしてもあった。平時においてもいくさにおいても、兵のイメージは重要だからだ。
強兵のイメージが付くだけで無駄ないくさを回避でき、かつ敵に見えない圧力を与える事が出来る。

「先も言ったが貴様へ優先的に金子を与える。充分に準備し、存分に名を上げよ」

「はっ!」

信長の言葉に静子は深々と頭を下げた。






静子軍の中で唯一、試食会に参加しなかった足満は神社から少し離れた所にある竹林で竹を集めていた。
今まで竹を必要としなかった足満だが、バイオコークスが作れるとなれば竹は良い原料になる。しかし、水分を抜くのに時間がかかるので、時間を見つけては伐採して乾燥させていた。
最も適した原料はそば殻で、粒の大きさや水分量が理想に近い。乾燥や粉砕加工は不要、そば殻がそのままバイオコークス製造に投入できる。
またそば殻は重要視されていない。用途としては土作りに利用されるか、枕の素材に使われる程度で、それらもそば殻でなくてはならない訳ではない。
ゆえにそば殻はバイオコークスの原料としては理想的素材と言える。
とはいえ、そば殻だけでは不安が残るため、足満は様々な材料でバイオコークスが製造出来るように研究を続けていた。

「人を雇うか。いや、伐採に時間がかかる。わしなら刀ですぐだが、他の者は鉈でも用意する必要があるし億劫だ」

足満が腰に下げている太刀、分類的には大太刀に入る刀は、現代科学と伝統技術が融合して出来た傑作だ。
実践向けに刃が厚い蛤刃(はまぐりば)で出来た足満の刀は、斬撃能力ならばいかなる名刀にも追随を許さない。手入れが少々面倒な点を除けば、至高の武器と言っても過言ではない。
また、彼が手に装備している小手にも同じ技術が用いられている。

当然ながら竹を斬るなど、足満にとっては朝飯前だ。一振りで一本、並んでいれば数本纏めて竹を伐採出来る。
誤解されやすいが日本刀は扱いが難しく、素人が名刀を振るってもすぐに使い物にならなくなる。同時に達人であろうとなまくら刀を使えば、すぐに刃こぼれを起こす。
卓越した腕前を持つ者が名物を扱って、初めて日本刀は真価を発揮する。それほどに日本刀を扱うには高度な技術が必要になるのだ。

「ふんっ!」

手頃なサイズに見えた竹を、足満はかけ声と共に根元から切断する。少しして重力に従って倒れた竹をどけた後、根側を腰の鉈で十字に割る。
これは切断面に水が溜まって蚊が湧くのを防ぐと共に、早く腐らせるための措置だ。

「これぐらいで良かろう。軽トラでもあれば一気に運べるのだが、それは高望みが過ぎるというものだ」

足満は今と同じように、日本刀で竹を伐採した時の事を思い出す。当時は静子の時代だったため、刀での伐採は色々と手間がかかったが、伐採後の運搬は非常に楽だった。
適当なサイズにカットして軽トラに積み、荷台から落ちないよう縄で纏めれば苦も無く運搬できた。

(トロッコみたいなものがあれば……いや、よそう。運ばれている姿が非常に間抜けだ)

竹と一緒に自分がトロッコで運ばれている姿を想像した足満だが、すぐにそれを頭の中から追い払う。バイオコークス用とは別の用途で必要な青竹を担いだ足満は一歩足を踏み出す。
だがすぐにその足は止まる。それと同時にどこからともなく矢が飛来し、足満のすぐ傍の地面に突き刺さった。
すぐさま周囲を見回したが、射手を見つける事は叶わなかった。ため息と共に地面に刺さった矢を引き抜く。
矢の中央付近に紙が結ばれた、いわゆる矢文というものだった。文を一瞥した後、足満は竹を担ぎ直して神社へ戻る。

「おや、時間がかかっておりましたが何かありましたか」

神社に戻るとおっさんずの一人、みつおが魚を捌きながら声をかけてきた。もう一人の五郎は必死になって火の加減を調整していた。少し離れた所に鶴姫と侍女の柴が控えていた。

「手ごろな青竹を探していたから時間がかかった。こちらも準備を始めよう」

「よろしくお願いします」

みつおの言葉に足満は小さく頷く。彼は運んできた青竹に枝打ち(竹枝を切り落とす行為)をした後、手頃な長さにカットする。次に竹の節を一番下以外全てくり抜く。
これまでが足満の作業だ。必要な処理を終えた足満は、その足で五郎が調整しているたき火に近づくと、先ほど飛んできた矢文を投げ入れた。
一瞬にして文ごと矢に火が燃え移ったが、足満はさして気にもとめず再びみつおの元へ向かう。
近づいてきていきなり矢を投げ入れた事に首を傾げた五郎だが、足満が奇怪な行動を取るのはいつもの事と思い、火を調整する作業に集中した。

「魚を網脂で包んで竹に入れれば、後は竹を焼くだけで川魚の青竹焼きが出来ます」

「次は青竹の炊き込みご飯だな。その合間に豚汁が出来れば完璧だ」

「豚ではなく猪ですけどね」

「おーい、おっさんと足満さん。火の準備が出来たぜ−」

「おっさんではなくみつおです」

恒例のやりとりをしつつ三人は料理を続ける。基本的に下ごしらえをした後、竹ごと焼く料理が多いので、竹を調理用に加工するのに多くの時間を費やした。

「もう後は焼くだけだ。みつおは奥方の様子でも見てやれ」

準備が終わって竹を焼き始めた頃、足満はみつおに言葉を投げる。五郎も同じ意見なのか、口笛を吹きつつみつおを一瞥した。

「何ですか、気持ち悪いですね。また何か企んではないでしょうね?」

「ほ〜、あくまでとぼける気か。で……奥方は何ヶ月だ」

足満の指摘にみつおの顔が強ばる。慌てて五郎の方を向くと、彼はみつおの表情を見てニヤニヤと笑っていた。
全て知られていることを理解したみつおは、身体を小さく縮こませておずおずと尋ねる。

「……いつ気付きました?」

「最初からだ。貴様の態度はあからさまだ。何時もと違って奥方をやたら気にかけていれば、誰だって察するさ。全く、なーにが子どもだから、だ。きっちりやることをやりおってからに」

「いや、私もですね。流石に年齢差が……と思いましたがその、色々とありまして、ですね」

羞恥心が込み上げたのか、みつおは顔を手で覆って身体を揺らした。足満はみつおの肩を軽く叩き、首を横に振りながら言葉を口にする。

「素直になれ、みつお」

「いや待って下さい。足満さんなら分かるでしょう。(この時代の人は)子を産む事を大事に思っている事を」

時代云々を言うと五郎が訝しむため、その部分だけ声を小さくしてみつおは反論した。だが、足満は皆まで言うなとばかりに肩をすくめる。

「恥ずかしがる事は無い。男はみな、若い女が好きなのだ」

「その言い方だと、私が節操なしな男に聞こえるじゃないですか」

「違うのか?」

「全力で否定させて頂きます。いや、別に鶴姫さんが嫌いな訳ではないですよ? 何事にも一生懸命な姿は素敵ですし、姫君だというのに傲慢なところもありませんし、ほんと古き良き大和撫子とでも言いましょうか。畜産は汚れるし臭いし重労働なのに、嫌な顔も見せず手伝ってくれますし……って何ですか」

一生懸命弁明していたつもりのみつおだが、足満と五郎はご馳走様と言わんばかりの態度だった。五郎など額に手を当てて、これ見よがしにため息を吐いていた。

「聞きましたか五郎さん。これが伝説の『みつおの惚気』ですよ」

「知っていますよ足満さん。確か織田の殿様から娘を側室にどうか、と言われたのに対して、おっさんが盛大に惚気てお流れになった件ですね」

「そうですよ五郎さん。織田の殿様を前に、半刻近く惚気たアレですよ。ほんと、暑いですよね」

「そうですね足満さん。わたしゃもう熱に()てられて汗みずくですよ」

奥方衆の井戸端会議さながらに、足満と五郎は地面にしゃがみ込んでコソコソと話し合う。みつおは頭を抱えて目の前の二人をどうしようか考えていた。

「という訳だみつお、お前は奥方を大事にしてこい」

「そうだぜ、おっさん。このままじゃ竹がおっさんの惚気で燃えてしまう」

だが二人に何を言っても馬の耳に念仏で、聞く耳をもたないだろうことを理解した。盛大にため息を吐いた後、足満と五郎に「料理をお願いします」と呟いて鶴姫の元に足を向けた。

「もう料理は終わりでしょうか、みつお様」

薄く微笑んで鶴姫はみつおにねぎらいの言葉をかける。
先ほどまで座っていた場所をあけて、そこにみつおを座らせようと思った鶴姫だが、彼女が腰を浮かせたところでみつおは肩に手を置いて止めた。

「駄目ですよ、もっと身体を労って下さい。私は大丈夫ですよ」

鶴姫が何か言う前にみつおは彼女の隣に腰を下ろす。先ほどまで火の元にいたため、冬風の寒さが少し骨身にこたえた。
しかしみつおは決して顔に出さず、鶴姫の肩にカシミアストールを掛ける。丹精込めて育てたカシミアヤギから取った毛を、静子の技術街に持ち込んで編んだ逸品だ。

(正確にはカシミアではありませんが、面倒ですのでカシミアにしておきましょう。しかし、静子さんは凄いですねぇ。あれだけの人間を紙一枚で動かせるのですから)

みつお個人が毛を持ち込んでも間違いなく門前払いされるのが落ちだ。事実、静子から渡された文を見せる前は、そっけない態度をとられていた。
カシミアヤギの毛から糸を作り、それらを指定の色に染める。細かい所の違いはあるものの、絹や木綿と同じように手で編めば求める製品は出来上がる。
口で言うのは簡単だが、その違いを見極めないといけないため、大変な労力を要する。職人からすれば素性のあやしい人間が持ち込んだものなど、関わりたくないのが本音だ。

(しかし、静子さんの文を見せたら態度が一変しましたね。あれは凄い変わり身です)

「どうなされました、みつお様?」

考え込んでいるみつおを鶴姫は首を傾げて不思議そうに見つめる。

「いえ、大した事ではありませんよ。私は幸せ者だなぁ、とふと思っただけです。心許せる親友が二人もいますし、こんなに可愛らしい奥方が隣にいますからね」

言いながら鶴姫の肩を抱くと、みつおは彼女を自分の方へ引き寄せる。数年の付き合いで知った事だが、鶴姫は姫様扱いされるより一個人として扱われる方を好む。
それは戦国時代、女は政治の道具か略奪の品という扱いだからだ。特に鶴姫は赤子のころ、身体が弱かったために親族からぞんざいに扱われた。
そのときの精神的外傷が、鶴姫に立場ではなく、己自身に価値を認めて欲しいと望む心理が生まれた。

「大丈夫でございます。妾はどこにも行きませぬ。みつお様を残して仏にもなりませぬ。石にかじりついてでも生きぬいてみせます」

みつおの心の言葉を察した鶴姫は、みつおの手に自分の手を重ねる。一瞬、驚いたみつおだがすぐに笑みを浮かべると、肩を抱く腕に少し力を入れる。

「すみません。貴女に彼女を重ねるような事を言ってしまって。これではいつまで経っても、駄目な夫ですね」

「そんなことはございません。みつお様は妾には勿体ないぐらいの(あるじ)様でございます」

鶴姫はみつおの肩に頭を乗せる。表情は本当に幸せそうで、一片の翳りも感じられなかった。みつおは肩を抱いていた腕を離すと、鶴姫の頭に手を置いて彼女の頭を撫でる。

「砂糖を吐きそうなぐらい甘いな」

「見ているこっちが恥ずかしいですな」

「茶化すのはやめて下さい。せっかくの雰囲気が台無しです」

足満と五郎の茶化しに、みつおはため息交じりに言った。






本願寺の要請に応じた甲斐国の武田信玄は、このところ機嫌が悪かった。彼の頭の中には織田家を潰す算段ができており、彼の思い描いた通りに各国が動いていた。
全て己の思惑通り進んでいる情勢の中で、ただ一つ思い通りに動かない存在があった。
彼の思惑から外れる人物、それは静子である。
思惑通りに動かないというより、こちらを天から俯瞰し先回りされているように感じた。そもそもが同じ土俵に立てておらず、良いように弄ばれているような気さえする。

(近衛家の娘は動向が読めぬ。小娘一人に何が出来るかと言われればそれまでだが、何かが引っかかる)

たかが女子一人に自分の描く譜面が覆されるとは思えないが、長年のいくさで培った勘と経験が静子に注意せよと警鐘を鳴らす。
ゆえに安心を得るため情報を集めているが、これが思うように集まらない。外枠の情報は集まっても肝心の部分の情報が、ぽっかり穴が開いたように抜け落ちる。
重要な立場を担っていたり、秘匿技術を独占していたりするかと思えば、技術がある程度軌道に乗れば信長に惜しげもなく引き渡している。
まるで五里霧中であり、先行きの見通せぬ状況に信玄は苛立っていた。

視点を変えようと思い、信玄は静子ではなく周囲の武将たちから情報を得ようとした。しかし、それもうまく行かなかった。
まず慶次は家臣とも思えぬ行動ばかりが目に付いた。何の連絡もなく数日家を空けたと思えば、帰ってきても終始飲み食いしているのみ。
信玄も含めて武田家家臣も信じられないと思ったことは、静子が信長に呼ばれて城へ向かっている時、慶次は情を交わした女と港街を練り歩いていたとの情報だ。
馬廻衆なのにまるでその責務を果たさない、警護される静子自身がそのことについて何も言わない。どういった主従関係なのだと、信玄以下武田家家臣は頭を抱えたのは言うまでもない。

他にも当たったが才蔵は静子から殆ど離れない上に、長可と同じで基本誘いに乗らない。己を利する話も立場を危うくする話も、どちらも等しく聞く耳を持たない。
長可に至っては逆鱗が何処にあるのか判らず、それまで笑っていたのに突如豹変し、場合によっては相手を殺めた。
二人に輪をかけて話を聞かないのが足満だ。何しろ老若男女を問わず、己の内面に踏み込まんとする者は例外なく殺める。

(異色揃いの武将たちを御せる理由が分からぬ。あれだけ我の強い者たちを、どのような手法で操っておるのだ)

静子には配下に褒章として分け与えられる知行地がない。
また、信長からも知行地が与えられる様子はない。だからこそ、戦国時代初期の思考が強い武田家では、静子のしている事が理解できない。

静子の事を理解するには、信長がしている事を理解出来なければならない。
織田家は他家と違い家臣に与えるのは知行地ではなく立場と金銭だ。いわゆる貨幣経済を推奨し、雇用も金銭のやり取りで行われている。それを一番実践しているのが静子である。
しかし、それだけでは周囲はついてこない。物を生み出す知行地よりも、産物を贖える金銭を受け取る方が『お得だ』と思わせる仕組みを作らなくてはならない。
その為に土地を開発し、様々な産業を興して発展させ、市場にものが溢れる状態を作り上げる。そうして得られた金子を一旦集め、家臣たちにばらまいて贅沢をさせる。
家臣たちは受け取った金子で物品を購入し、生活をし贅沢もする。
そうすると自然を相手に土地を耕し、運に左右される収穫を待つよりも、安定して支払われる賃金を得る方が気楽であると考えるようになる。
固定観念を取り払い真っ新な目で見れば理解も出来ようが、祖父の代からお家騒動や家臣同士の諍いが多かった信玄には、静子の思惑がどうしても理解出来なかった。

「どんな些細な事でも良い。全力で織田を調べ上げろ」

今以上に情報収集が必要だと感じた信玄は、家臣に発破をかけた。






「あっはっはっ、中々愉快な事になっておるな」

軒猿から上がった静子の報告を聞いて、謙信は豪快に笑った。間者の報告を聞いて渋面を作った信玄とは正反対の反応だった。

「笑い事ではございません、お実城様。織田は着々と敵を潰しております」

景綱が咳払いをしながら苦言を呈する。彼が頭を痛めるのも無理はない。一時は存亡の危機に立たされた信長だが、現在は逆に包囲網に参加した国人たちを潰しにかかっていた。
六角氏は滅亡、浅井氏は既に殆どの支城が落とされ、朝倉氏は金ヶ崎城まで落ちている状態だ。延暦寺は坂本にいる光秀が目を光らせており、再興の気配すらない。
本願寺は石山本願寺こそ落ちていないが、一向一揆衆が何度か織田軍に攻撃を仕掛けるものの、散発過ぎて効果は薄かった。

「仕方なかろう。あれだけ反織田を掲げておきながら、未だに纏まらないのだからな。これを笑わずにおられようか」

「……それについては何も申しませぬ。しかし、手をこまねいていては始まりますまい」

景綱の言葉に謙信はニヤリと笑う。彼もこのまま信長が包囲網を打ち破るとは思っていなかった。

「甲斐の巨獣・武田が動けば、織田軍などひとたまりもないでしょう。彼らの強さは、刃を交えた我々が良く知っておりますゆえ」

武田と上杉、そして北条は時に同盟を結び、時にいくさをする関係だ。武田や北条の強さは骨身に染みている。
武田の戦いを知らぬ織田軍では、10分の1の武田軍に蹴散らされるのが目に見えていた。

「果たしてそうかな?」

だが、謙信は景綱の考えに疑問を抱いた。逆を言えば知りすぎているからこそ、見落としている盲点があるのではないか、と彼は最近思うようになった。
灯台下暗し、武田軍とのいくさが余りにも身近過ぎるが故に、変化や機会を見落としている可能性があった。

「我々は武田と何度もやり合った。だからこそ、見当違いをしていると思う時がある。もしかしたら、織田軍は我々では思いもよらぬ盲点を突き、武田軍を打ち破るやもしれぬぞ」

「まさか、そんな」

言いつつも景綱は完全に否定できなかった。信長は悪運ともいえる強運で、本来なら滅んで然るべき織田包囲網を切り崩し、多大な損害を出しつつも生き延びた。
今回もまさか、と思う事が起きるかも知れないと景綱は考えてしまった。

「無論、いともたやすく負ける場合もある。だが、織田殿は悪運の持ち主だ。それに静子殿の存在もある。彼女が大人しくしているとは思えぬ」

「果たしてそこまでの力があるのでしょうか」

「あるやもしれぬし、ないやもしれぬ。だが、最近の彼女は活発に活動していると軒猿が言うておる。もし、彼女が本気で武田戦を考えているのなら、わしらは結末が予想出来なくなる」

万事に比類なき成果を示してきた静子が、こと軍事に関してだけ手出しをしていない事に謙信は違和感を覚えていた。
あれほどの叡智の持ち主が軍事に付いては疎いと言うことはあり得ない、そう謙信は考えた。

「いずれにせよ、織田が大きく動くとき、起点は静子殿になるであろう。武田も北条も静子殿の存在は既に知っているだろうが、今後は彼女の情報をどれだけ集められるかが勝負の鍵となろう」

「はっ、軒猿には些細な事でも報告を上げるよう命じます」

「『彼ら』が使えればすぐに接触はできるだろうが、無理を押しては機を失う」

静子が京にいるとき、彼女に近づけさせた二人組を謙信は思い返す。岐阜か尾張で偶然を装って合わせることが可能だが、周囲に余計な警戒心を抱かせる危険もある。

「それが……その……」

謙信の言葉を聞いた景綱が、珍しく歯切れの悪い態度をとる。

「どうした。何か『彼ら』に問題でも起きたのか」

「……あの、ですね。奴が『静子殿を見物してくる』と申して、尾張に向かってしまったのです。数日前に」

「——————ぷっ、ふぁっふぁっふぁっ! 何とも愉快な話じゃ。奴は静子殿を見て琴線に触れる何かを感じたのだろう。放っておけ、その内ひょっこり帰ってくるであろう」

初めは鳩が豆鉄砲を食ったような謙信だったが、一転破顔し大笑した。そんな謙信を見て、景綱は深いため息を吐いた。






試食会は大盛況の内に終了した。途中、柴田と秀吉の喧嘩を仲裁するために酒を使った後、即席の宴会になった事に目をつむれば、だが。

12月も後半にさしかかり、大きないくさもないため正月の準備に入った静子の元に久治郎が訪ねてきた。何か注文していたかな、と首を傾げる静子に久治郎はあるものを見せる。

「お忘れですか、静子様。随分と前ですが、南蛮人よりこれを受け取るようお命じになられたではございませんか」

何時もの如く腹に一物あるようなニヤニヤ笑いで久治郎が掲げたもの、それは鳥かごだった。鳥かごだけではない、獣を入れる小型の檻が幾つか足下にあった。
ようやく静子は久治郎が何を持ってきたのか思い至った。忘れていた事を謝罪して彼を応接の間に通そうとする。

「いやいや、お忙しいそうですし、お代さえ頂戴すればあっしはお暇いたします」

しかし、久治郎は額をペチペチ叩きながら辞する。正月前だし商売の話が多いのかな、と思った静子は深く考えず彼の言うとおり、代金を持ってくるよう彩に命じた。

「それでは、あっしはこれにて。何かお入り用でしたら、ぜひともあっしにお声掛け下さい」

約束の金額に少し色をつけて渡すと、彼は上機嫌で去って行った。それと入れ替わるようにヴィットマンたちが静子の元に駆けつけてくる。
静子の元にやってくると普段は甘えるのだが、今回はすぐに新しい動物の臭いに気付いたのか檻に対して低いうなり声を上げて警戒していた。

「こらこら、大丈夫よ。それに、これは大事な動物なのだから、傷つけちゃ駄目よ」

ヴィットマンたちを一通り撫でた後、静子は彩と蕭の三人で檻を家の中に運び込んだ。初めて見る動物たちに、二人は腰が引けていたが実は静子も見るのは初めてだった。
理由は簡単だ。静子がヨーロッパ商人から購入した動物は、静子の時代には絶滅してしまった動物たちだからだ。

まずは乱獲によって19世紀に絶滅したオオウミガラスだ。外見がペンギンに似ているが大型の海鳥に分類される。
全長が80センチ以上と、ウミスズメ類の中でもっとも大きな身体を持つ。南極にいるペンギンと似ているが、本来はオオウミガラスがペンギンと呼ばれていた。
しかし、絶滅してしまった今、南極ペンギンがペンギンと呼ばれるようになった。

人間に対する警戒心が薄く、それどころか自ら人間に近寄るほど好奇心が旺盛だ。餌を与えるために檻から出すと、無警戒に静子に近づいてきた。
ペンギンそっくりで可愛いと思ったが、環境の変化がストレスを与えている事を考慮し、構い過ぎない程度に抑えて餌を与えた。

オオウミガラスのチェック及び餌やりを終えると、次は同じく乱獲によって同じく19世紀に絶滅したウミベミンクだ。
オオウミガラスと違う点は、オオウミガラスは食用に捕獲されていたが、ウミベミンクは毛皮が目的で捕獲された。
アメリカ先住民族も毛皮と肉を求めてミンク狩りをしたが、ヨーロッパからの入植者がより熱心で毛皮の需要を補うために乱獲し続けた。

こちらは警戒心が高く、敵意むき出しだがウミベミンクが特別警戒心が強いわけではなく、ミンク種全般にその傾向がある。
様子から空腹だと察した静子は、残っていた魚を檻に放り込む。途端、ウミベミンクは魚に殺到し、あっという間に平らげた。
満腹したら満足したのか、そのまま横になって眠り始めた。大胆なのか、それとも間抜けなのか悩む所だが、大人しいのならこれ幸いと彼らもオオウミガラスと同じく飼育地に運ぶ。

最後が絶滅動物の中でもっとも有名な鳥であるリョコウバトだ。鳥類の中で最も個体数が多く、一説には50から60億匹いたと言われている。
しかし、リョコウバトも先の二種と同じく、ヨーロッパやアメリカ人による乱獲が原因で20世紀初頭に絶滅した。
リョコウバトの肉は大変美味と言われ、都会でも高い値段で取引された。加えてアメリカは火薬の原料である硝石・硫黄・木炭が容易に入手できる環境だった。
そのため、その影で昼間を陰らせる程の群れを成す彼らに向かって銃撃するとリョコウバトと鉛玉が落ちてきた。
後は弾を再利用して撃ち続ければ、火薬を消費するだけでリョコウバトを狩ることが出来た。

莫大な数がいたリョコウバトだが、繁殖力は弱く、僅かな個体だけでは繁殖が出来ず、また数が多かった事が災いして保護する声が上がりにくく、その間にヒナまで乱獲され続けた。
19世紀末期、それまで空を覆うほどいたリョコウバトの姿が消えたことで、ようやく保護に乗り出したが、既に傾いた天秤を戻すことはできなかった。
更に数が減った事でリョコウバトの価値が高まり、それに応じて密猟者が後を絶たず、20世紀初頭に野生種がハンターに撃ち落とされた事で、野生種のリョコウバトは絶滅した。
動物園で僅かながら飼育されていたリョコウバトだが、野生種が絶滅してから数十年後、最後の個体が老衰で死んだ事でリョコウバトという種は絶滅した。

「日本もそうだけど、後先考えず狩るのはどうなのかな」

個体数が多い事が幸せとは限らない。一匹減った所で、という心理が働いて安易に狩猟してしまう。
かつて日本には空を覆うほどトキがおり、江戸時代にはトキの数が余りに多すぎて田畑が荒れてしまうため、百姓がトキの狩猟許可を上に嘆願した記録もある。
しかし、明治時代に入ってから僅か100年足らずで絶滅してしまった。
羽目的の狩猟、環境の激変、農薬による水銀中毒など、様々な要因が重なって21世紀初頭に日本固有種のトキは絶滅した。現在残っているトキは中国のトキだけだ。

「日本のどんぐりでも大丈夫……か?」

砕いたドングリの実を与えてみたが、リョコウバトは特に気にせず餌に食らいついた。

リョコウバトの餌は木の実や種子で、餌が豊富にある地域を求めて移動した。ドングリ以外にも草木の種子や実、小さな昆虫にミミズなども食べる。
アメリカ大陸の気候は多種多様だったため、餌が豊富な地域を移動して回ることが可能だった。

「……とりあえず生態観察でもするか」

少しだけリョコウバトの肉が気になった静子だが、大金を払って購入したリョコウバトを無駄に減らしたくないので自重した。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ