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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀二年 比叡山延暦寺

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千五百七十一年 九月中旬

信長によって坂本が焦土と化しているころ、静子は勅命を受けて秀吉と共に小谷城を攻め、浅井久政を釘付けにしていた。無論静子軍、秀吉軍の両軍からなる寄り合い所帯だが指揮系統はそれぞれ独立していた。
守備側の要である大手口を両軍は攻めていた。
大手口は城の防衛の要であるとともに急所でもある。ここを抜かれると敵軍が大挙して攻め込んでくるため防衛側も多くの人員を割き精鋭を配していた。
時期的には信長の坂本攻めの前から攻囲戦を行っているが、城攻めは防衛側が有利であり一進一退の状態が続いていた、否、むしろ劣勢ですらあった。
しかし劣勢には理由があった。静子軍は精鋭部隊を下げ、新兵や練度の低い部隊のみを用いて規則正しい戦闘を繰り返していた。
毎日決まった時刻に戦端を開き、無理な力押しをせずに漫然と圧力をかけるに終始し、日暮れと共に撤退する。
敵側からすれば(いたずら)に消耗するだけで戦果のあがらない愚策にしか見えなかった。

無論、これは相手にある考えを植え付けるための罠だ。つまり織田軍は昼間しか攻めてこず、夜間は全く何もしてこないと防衛を担う者たちは考えた。
七日も同じことを続ければ夜半の見回りも等閑(なおざり)になりがちだ。その油断こそ、静子が欲してやまないものであった。

「さて皆さん、今日は十二日です。お館様の坂本攻めは終わっている頃でしょう。であれば、我々もそろそろ攻めに転じても良い頃合いです。存分に武功を立てましょう」

集まった面々に向かい静子は淡々と語る。相も変わらず気負いを感じさせない態度の静子だが、長い付き合いのある才蔵は彼女が何かを仕込んでいる事を理解した。

「百聞は一見に如かず、詳しく語るより見る方が早いでしょう」

それだけ言うと話を打ち切った静子は、玄朗に頼んで指定の兵士たちを集めさせた。また才蔵に月ヶ瀬城からあるものを回収するよう命じた。

「本日、少々危険なものを使います。広範囲に影響が出るので、いつもより部隊を下げて待機してください」

何の事かさっぱり分からなかった兵士たちだが、後ろに下がれという命令に不満はなかった。
各小隊に連絡が行き届くと静子は弓を手に立ち上がる。
いつものように大手門前に到着すると、先に来ていた秀吉が静子の姿を見るやいなや秀長と半兵衛を連れて静子のもとへ駆け寄ってきた。

「そろそろ何をするか、教えて欲しいものじゃのぅ。半兵衛は知っておるようだが、わしにも全く教えてくれぬ」

「ふふっ、某も半信半疑ですが静子殿との約束ですゆえ。ですが、本日策を披露するとの事ですので、詳細を教えて頂ける事でしょう」

今回の作戦は半兵衛にのみ事前に説明をしていた。しかし半兵衛も概要だけを知らされており詳細までは把握していなかった。情報漏れを警戒しての事かと彼らは考えたが、静子は別の事を狙っていた。
大手口を攻めている以上、浅井側からの間者は自軍に入り込んでいる可能性が高い。その彼らに「何かをするぞ」と教えるために、静子は核心部分のみを隠蔽しつつ敢えて情報を流していた。

「ははっ、口で説明するのは簡単なのですが……それより見る方が早いと思います」

「ぬ、何故じゃ。流石に開戦を目前に控える段になってまで間者を警戒する必要もあるまい?」

「兄上、どうやら静子殿は自信があるご様子。ここは一つ、黙って成り行きを見守るのも一興ですぞ。あまりにも白ける内容であれば……そうですね、清酒の一杯でも振る舞って頂きましょう」

なおも知りたそうな態度の秀吉に静子が困っていると、秀長がにこやかな表情で彼女に助け船を出す。流石に弟の秀長から言われては、素直に引き下がるしかないと秀吉は考えた。

「仕方ない。じゃが、実行するときはちゃんと教えるのじゃぞ!」

念押しした後、秀吉は二人を連れて自分の陣へ戻っていった。去り際に秀長が何か言いたげな視線を向けてきた事を見るに、実行直前に秀吉へ連絡する必要があると静子は理解した。

(流石は秀長だね。ほんと、秀吉の扱いがうまい。ある意味、秀吉を操っているとも取れるね)

秀吉が悩めばそっと背中を押し、秀吉が怒ればうまくなだめて怒りを解消させ、秀吉が望むものをいの一番に手に入れてくる。
ある意味では秀吉をコントロールしていると言っても良い秀長だが、彼はいつもにこやかな表情をするだけで決して自らの武功を誇ることはなかった。

(まぁ準備は完了しているけど、昨晩の事は知っているとみて良いね)

察しの良い秀長だ、静子が今までしてきた事から、何を企んでいるかおおよそは掴んでいるだろう。恐らく竹中半兵衛も詳細は知らずとも、おおよその流れは掴んでいると考えて良い。
敵に回したくない二人だ、と静子は思いつつ所定の場所に移動する。

「半刻後(約一時間)に開始します」

言葉通り静子は一時間じっとするだけで動かなかった。そして一時間後、昼前にようやく静子は行動を起こす。彼女はまず秀吉たちを自分のもとへ呼び寄せる。

「ようやくか。待ちわびたぞ!」

期待に胸を躍らせる秀吉に半兵衛と秀長は苦笑する。子どものようにはしゃぐ秀吉に、静子も苦笑いを浮かべる。

「さて、これからする事は至って簡単。あの門を破壊します」

一つ咳払いをして空気を変えた後、静子は大手口にある大手門を指さしながら説明する。
大手門を破壊する、それができれば今の状況は大きく変わるだろう。静子が何をするか理解した三人だが、すぐに疑問がわき上がる。

「いかような方法で大手門を破壊されるのです?」

それは大手門の破壊方法だ。大手門の破壊が目的なら、今まで静子が凡戦を繰り返してきた事と矛盾する。
防衛する足軽たちを殲滅する様子もなく、ただ消耗を繰り返していた事と何が関係しているのか、そこが三人には分からなかった。

「まぁまぁ、今からご覧に入れますので、しばしお待ち下さい」

困惑する三人を軽くいなすと静子は丁度良い位置に移動する。
馬に乗り、双眼鏡で大手門を確認する。しっかりと目当ての物が取り付けられており、相手側はそれに気づいていないことを確認した静子は、メガホンを口に当てるといつもと変わらぬ様子で言葉を紡いだ。

「大手口を守る浅井兵に告ぐ、そろそろ大真面目に侵攻します。まずは大手門を壊すので、死にたくない人は大手門から離れていて下さい」

迫力なく、逆に気が抜けそうな言葉が大手口に響く。一瞬、呆気にとられた浅井兵だが我に返ると、あちこちで嘲笑がわき起こった。
しかし、彼らの態度は織り込み済みで静子はメガホンを離すと、弓を構える。

(流石にここで外したら恥ずかしい。よーく狙いをつけてっと)

「おいおい、矢で門を破壊するってか。冗談は口上だけにしとけよ」

浅井兵が野次を飛ばすが静子は取り合わず、大手門に仕掛けたあるものを狙う。狙いが定まったと感じた瞬間、静子は矢を飛ばす。それは弧を描いて綺麗に大手門の一カ所に当たった。

瞬間、落雷のような轟音を伴う大爆発と共に大手門が後方へ吹き飛んだ。

直線上にいる浅井兵を轢き潰しながら三メートルほど飛んだ後、巨大な大手門は重量感のある音を響かせて地面に落ちた(・・・)。落下時の衝撃で砂塵が巻き上がる。

少しして砂塵が晴れ、視界が良好になるが誰一人として言葉を発しなかった。
浅井兵も、織田兵も、そして静子の後ろにいた秀吉や半兵衛、秀長も、誰一人として何が起きたか全く理解出来なかった。
そんな中、静子は弓を下ろすと再びメガホンを口に当てて、先ほどと変わらず気負いの欠片もない声で言葉を発する。

「さて、大手門の破壊が終わったので、これから侵攻を開始します。今から十数える間だけ降伏を受け付けます。全軍で攻め込むので早めに判断して下さいね。それではひとーつ、ふたーつ、みーっつ」

余りの状況に呆然としていた織田兵だが、静子の場にそぐわない軽快なカウントにようやく己のすべきことを思い出し戦闘準備をする。
だが、誰一人として静子が何をした結果として大手門が吹き飛んだのか理解できなかった。

「よーっつ、いつーつ」

弓騎兵隊も混乱から立ち直り、慌てて弓を構える。その音に反応してあちらこちらにいる織田兵が突撃の構えを取り始める。

「やーっつ、ここのーつ」

「ま、待ってくれ! こ、降参だ。そちらに下るから、攻撃しないでくれぇ!」

後は静子が腕を振り下ろせば侵攻が開始する一歩手前で、浅井兵側が降伏を申し出た。静子は手を上げたまま、スコープを片手に彼らの様子を確認する。

(ありゃ、少々脅しすぎたかな? 凄く怯えていて、ちょっと可哀想になってきた)

呆然と立ち尽くす者、震えて頭を抱える者、中には失禁したまま気絶している者もいた。何をされたか分からないが一撃で城門を吹き飛ばす武器があり、それは己に向けられる可能性があることに思い至ったのだろう、付け根から引き千切れ吹き飛んだ元大手門だった物体に己の未来を重ねて絶望したのでは、と静子は思った。
深く観察したが浅井兵に抵抗の意思がないと判断すると、静子は彼らに向かって言葉を発した。

「それでは武器全てを後方へ投げた後、両手を首の後ろで組んで地面に伏せて下さい。一人でも立っていたり、武装解除に応じなかったりしたら抵抗の意思あり、と見なします」

言われるがまま浅井兵は、所持している全ての武器を後ろへ投げる。気絶している者は付近にいる者が、腰に下げた刀や槍を奪い取ると、後ろへ力いっぱい投げていた。
大慌てて武装解除し終えた者から地面に伏した。目に見える範囲で立っている者がいない事を認識した静子は、いまだ困惑気味の兵たちに号令を出す。

「先行隊、大手口の様子を確認!」






「は……はっ!」

一瞬、呆けていて反応が遅れた玄朗だが、すぐさま頭を切り換えて返事をすると500名を引き連れて大手口をくぐり抜ける。
投げ捨てられた武器を回収し、浅井兵たちの様子を確認するが、抵抗の意思は感じられなかった。

「一人ずつ甲冑を脱がす。肩を叩かれた者から立ち上がれ!」

武器が織田軍の陣まで運ばれた事を確認した玄朗は、次に浅井兵全員の甲冑を剥奪する。時間がかかるため、幾つかのグループに分けて浅井兵の甲冑を脱がした。
武装解除が済めば僅かな路銀と1,2日の食料を持たせ、各自帰路につかせた。流石に最後の施しは理解の範疇を超えたのか、浅井兵は思わず織田兵を見返す。

「我が殿は大変に慈悲深い。貴様らのような雑兵の死にも悲しまれる。ゆえに降伏した者は武装解除後、家へ帰るならば見逃す事となっておる」

困惑した浅井兵の疑問に玄朗が答える。彼は静子と違って迫力のある声で言葉を続ける。

「しかし! 殿の慈悲も一度限りじゃ! 貴様ら、殿の慈悲にいつまでも甘えられると思うなよ。次にいくさ場で会えば、容赦なく斬り捨てる。さぁ、もうゆけ!」

言うことを言い終えると玄朗は浅井兵を追い払う。次々と兵が武具を脱ぎ捨て、家へと帰る。
一時間もしない内に、大手門にいた浅井兵は一人残らず帰された。大手門に巻き込まれた死体も深い穴に生石灰と共に埋められ、盛り土をして簡素な墓とした。

「解体じゃあ!」

浅井兵を大手口から追い払うと、玄朗は兵配備と共に大声で命令を飛ばした。その命令に待ってましたと言わんばかりに黒鍬衆が喚声を上げて建物へ突撃する。
彼らの役目は防衛施設の解体だ。普段、建物を建てる事が多い彼らは、滅多にしない解体という作業に気分が高揚していた。
板を引っぺがし、時には破壊したりして建物を解体していく。解体された資材は順次運び出され、中古資材として近江商人連合たちに破格の値段で売り払われた。
織田軍は小谷城の防衛網を破壊でき、黒鍬衆は解体作業で満足し、近江商人連合たちは資材を破格の値段で買い取れる。まさにみな幸せな状態だ。
敢えて不幸な人を挙げるなら浅井久政、そして自分の築き上げた防衛施設が目の前で解体されていく様を、一部始終見る事になった長政であろう。

「どんどん解体せよ!」

玄朗が黒鍬衆たちに発破をかける。それに対し、黒鍬衆たちは手斧を振るい破壊音で応えた。

一方、織田軍の本陣にいる静子は、秀吉からの質問責めにあっていた。

「爆薬じゃと? それだけの量で、どうやって大手門を破壊したのじゃ?」

「ええとですね。詳しい計算は省きますけどーー」

興味が尽きない秀吉に静子は辟易としていたが、彼が終わっても後ろに秀長と竹中半兵衛は控えていた。これは一日潰れそうだな、と静子が諦めていると、ふいに秀長が口を開いた。

「兄上、そろそろわしらにも質問させて頂きたい。先ほどから口を挟む暇がございません」

「ぬ、しかしだな」

「しかしも案山子(かかし)もございません。兄上はこれ以降、質問は禁止です」

珍しく語気を強めた秀長に、秀吉はしぶしぶといった態度で後ろに下がった。今もなお諦めていないことに秀長は苦笑すると、竹中半兵衛の方をむく。

「恐らく同じ質問をするであろう。であれば、半兵衛殿からどうぞ」

「これはかたじけない。では……今回のいくさ、静子殿は何を目論んでおられたのですか?」

秀長に一礼した後、竹中半兵衛は質問を口にする。秀長も宣告通り同じ質問をする気だったようで、笑みを浮かべながら頷いていた。

秀吉が静子に質問している間、竹中半兵衛はこれまで静子がしたことを思い返していた。大手門を簡単に破壊できる力を持ちながら、彼女は今日まで攻めず凡戦を繰り返していた。
最初は敵を大手口に引き付けておくための凡戦かと竹中半兵衛は考えたが、大手門を簡単に破壊した今、別の思惑が込められているのではと彼は結論づけた。

「別に大した思惑はないのですが……強いてあげるなら『あやふやな状態を作った』でしょうか」

「あやふやな状態?」

照れ笑いする静子の言葉に竹中半兵衛はオウム返しに問う。

「私の説明を聞いた竹中様は、私がした『仕掛け』を知っています。でも浅井側は? また、このいくさを見ていた間者たちは? さてはて、一体彼らから見て私は一体何をしたのでしょうか、となりませんか」

「む、確かに……」

静子がしたことは、現代でも行われる扉を破壊する方法だ。
門のつなぎ目に沿ってセムテックスなどのプラスチック爆薬を貼り、最後に対角線に貼り付けて中央部分に信管を埋める。
後は信管を様々な方法で起爆すれば、爆発の衝撃で扉が後方へ飛ぶか、固定の金具だけが破壊されてその場に倒れる。
今回、静子がしたのもそれとほぼ同じことだ。セムテックスではなくアルフレッド・ノーベルが発明した、世界初のプラスチック爆薬であるゼリグナイトを使用した。
珪藻ダイナマイトと違い、ゼリグナイトはニトログリセリンが染み出さない利点ゆえ、当時から便利な爆薬だった。

(金山や銀山用にダイナマイトの開発をしていたけど、思わぬ副産物が出来ちゃったのよね)

近年はアンホ爆薬に取って代わられ日の目を見ない爆薬だが、鉱山発掘に使用する爆薬と言えばダイナマイトが有名だった。
ニトロゲルに硝酸アンモニウム、減熱消炎剤(食塩など)を混ぜれば鉱山採掘用のダイナマイトが完成する。
しかし、ニトログリセリンは不安定な物質で、製作に高度な設備を要求される。更にニトロセルロースをニトログリセリンと混合するとき、温度と濃度管理に失敗すると爆発事故が起こる。

現代では加圧し、高温でも安定するようにしてから混合するが、戦国時代に加圧室を作ることは難しい。そこで静子は加圧室の代用として低温室を作り、そこで混合する方法を採用した。
混合に時間がかかる上に、少量しか混合出来ないが、それでもダイナマイトの威力だけで充分すぎるほどのお釣りが返ってくる。

「夜間戦闘は無いという固定観念を植え付けた上で、夜暗に乗じて爆薬を仕掛けましたので細工を知らぬ敵は門に信用がおけなくなる。どれほど強固に作ろうとも、門が耐えきれるか不安を感じる。その不安が自身を蝕む重圧となり、やがて正常な思考ができなくなる。付城戦術と組み合わせれば、もはや敵は正常でいられなくなる」

「しかし、正気を保つ人間もおりましょう。そういった相手はしぶといですよ」

竹中半兵衛の疑問はもっともだ。いくら防衛施設に不安を抱いても、それだけで人は簡単に壊れない。
不安を抱えながらも耐え抜く人間が出てきても、不思議ではなかった。

「確かに一人か二人ぐらいは耐えられるでしょう。しかし、耐えて解決する問題ですか?」

「……耐えるだけ無意味、ということか」

「付城戦術で周囲を取り囲まれて後詰めは期待出来ない。城を守る大手門はいとも容易く一瞬で突破される。織田軍は他にも隠し球を持っていないか? 今の城と兵で守り切れるのか? 頭の良い人間ほど、無意味に深く考えてしまう。そして頭の良い人間が潰れれば……もはや意思決定は困難となる」

織田軍が付城を用いて援軍を断ち、堅牢なはずの大手門を一撃で吹き飛ばした。これははっきりと結果が残っているので判る。だが『どのように』して吹き飛ばしたのかが判らない。
結果が見えるのに過程が不明瞭な状態は、相手にとってこの上なく不安感を誘う。他にも何か隠し玉があるのではないかと疑心暗鬼になり、精神的な消耗を強いる。

恐怖ではなく不安を覚えさせるのには理由がある。恐怖は具体的な対象を伴うが、不安は対象がはっきりしない状態だ。よって不安は制御するのに多大な精神力を必要とする。
織田軍が何をするか分からない、という不安は漠然としていて、そして不安の程度は人によって違う。更に心配を加えればネガティブな思考から、より強い不安を抱いてしまう。

「(まぁ、大体は足満おじさんの組んだ理論だけどね)最後は降伏を申し出るでしょう。大して損害も受けず、相手の兵力を丸ごと自軍に取り込める。勝手に自爆して、勝手に降伏してくれる」

静子の城攻めは基本的に足満が考案したものだ。
まず付城で囲って後詰めが近づけなくし、城にいる連中が外界から隔絶され情報が入らない状態にする。次に城内部に不安と心配の種を植え付け、冷静さを削り取っていく。
既に周囲は包囲されている状態だ。織田側は焦る必要はなく、仮に敵方が打って出てきても付城まで撤退し強固な城に籠もって迎撃すれば良い。やがて敵は攻略を諦め、自身の城へ逃げ帰る。
抜け出すことが出来ず、外部の情報は一切入らなくなると城内部では降伏か徹底抗戦かで意見が割れ、家臣内で不和が起こる。

こうして程よく不和が蔓延したころ、誰かが内部情報を漏らしたように見える工作を行い、家臣同士を疑心暗鬼状態に陥らせる。
情報漏洩の容疑者に仕立て上げられた人物は、情報を漏らしていない、という悪魔の証明を強いられる。しかし、漏らしていないことを証明することは不可能だ。
そして必死に弁明したり、嫌疑に対して感情的に反論したりすれば、周囲からは怪しい態度に見える。
憐れな容疑者は命がかかっているから必死になるのは当然だが、疑い始めればそんな事にすら気付かなくなる。
こうなると普段は表ざたにならない陰口や悪口の応酬が所構わず起き、最後には派閥が生まれて刃傷沙汰に発展する。

最後の仕上げとして静子側から裏切りを推奨する。最初に投降した者のみ助命に応じる、と外から呼びかけて裏切りやすい環境を作る。
仮に呼びかけに応じなくても、適当な人間を一人誘拐すれば良い。後は勝手に互いを疑い居もしない裏切り者を探して血眼になる。
いかに強固な城に籠もろうとも、城を守る人間の心がへし折れれば容易に陥落する。

「こちら側は消耗せず、相手も上の人間だけが勝手に自滅していく。そして相手から容易く資源を徴収できる……ってどうしました?」

説明している途中で、秀吉たち三人の顔色が良くないことに静子は気付いた。何か気に障ることを言ったか、と不安になった静子だが、それを否定するように竹中半兵衛は首を横にふる。

「いえ、問題ありません。少々、驚いただけです」

「そ、そうですか。では説明はこの辺りで、続きはまた後日ということで」

静子の提案に秀吉たちは異論を唱えず頷いた。






「抜けた顔に似合わず、えげつない城攻めを考えつく奴だ」

自身の陣へ戻る途中、ふいに秀吉は口ずさむ。竹中半兵衛と秀長も同じ意見なのか、頷いて秀吉の意見に賛同した。
三人とも想像力が豊かゆえ、静子が考えたことを実際にやられた場合、どうしようもない状態に陥ると気付いたのだ。

「後詰めが来ない。内部に不和が起これば、脱走兵は後を絶たず。一体誰を信じて良いか判断出来ない状況になれば、もはや軍として動くことは叶わず、ですなぁ」

空を見上げながら秀長が軽口を叩く。それで幾分気が紛れたのか、秀吉は苦笑しながら言葉を発した。

「半兵衛、あそこまでの苛烈さはいらんぞ。流石に敵が憐れじゃ」

「あれは敵を恐怖に陥れて、周囲に降伏を促すことも計算に入れているので、そこまで苛烈な策ではございません」

「そうですなぁ。攻められている城は情報を遮断されていても、外部の城は何が起きているか理解しておりますからのぅ。そんな攻め方をされると思えば……容易く落ちるやも知れませぬ」

「ぬ……ぬはははっ! も、勿論わしも気付いておるぞ。ただ、そこまでする必要はないと思ってな」

二人の納得している様を見て焦ったのか、秀吉が冷や汗を流しながら言い繕う。バレバレの態度だが竹中半兵衛と秀長は深く突っ込まず、苦笑するだけに留めた。

(……なるほど、読めてきました)

秀吉と秀長の話を聞き流しながら、竹中半兵衛はあることを理解した。

(静子殿がしていることは、犠牲を最小限にして城を落とすこと。城を孤立無援にし、何をしてくるか分からない不安を抱かせ、降伏しやすい環境を作る。それを見た周囲は、次は自分の番だ、と怯える)

竹中半兵衛は視線を秀長の方へ向ける。にこやかな笑みを浮かべている秀長だが、彼の目は笑っていなかった。竹中半兵衛は、自分と同じ答えに彼がたどり着いたことを知る。

(武力ではなく心理戦で落とす。簡単に真似できない恐ろしい戦術だ。これから先、静子殿に落とされる城は、ある意味では幸せであり憐れでもある不可思議な事態になるな)

さしあたっては月ヶ瀬城か、と竹中半兵衛は心の中で言葉を付け足した。






静子・秀吉連合軍の本隊が小谷城の大手門を攻略していたころ、別動隊が月ヶ瀬城攻めを行っていた。
戦術は変わらず周囲を二重、三重に付城で囲み、補給路を断ち、後詰めが近づけないようにした。その後は攻めては下がり、攻めては下がりの遅滞戦術を繰り返した。
後詰めがこない事、補給線が完全に潰されたことで、城を守りきれる自信がなくなった月ヶ瀬城の城主・月瀬丹後守頼次は頭を抱える。

虎御前山に砦を築いた信長だが、すぐ西に月ヶ瀬城があり、一つ間違うと挟撃される恐れがあった。ゆえに信長にとって月ヶ瀬城と、近くにある山本山城は戦略上、必ず落とす必要がある。
そこで静子の黒鍬衆を使い、プレハブ工法を応用して開発した『一夜付城』を使って二城を取り囲むようにした。

一夜付城は現代のプレハブ技術のように、付城を建てる場所で部材を作るのではなく、予め安全な場所で付城に必要な部材を生産・加工し、付城を建てる場所で組み立てる方法だ。
秀吉の墨俣城すのまたじょうにあやかって名付けられた工法は、見た目は出来ていても中はスカスカ状態という欠点がある。
しかし、目の前に一夜で付城ができるという事は、城へこもる兵や民に対して戦意を挫く利点が得られる。下の者が総じて戦意を失えば、城主に打てる手は降伏しかなくなる。

これを証明するかのごとく、月ヶ瀬城を守る兵士たちは日を追う事に戦意を失っていた。
一日目で付城が出来上がり、二日目で城内に不和が生まれ、三日目に山本山城の後詰めが来ないとの情報を知った彼らは降伏を申し出た。
山本山城の情報は嘘だが、周囲に敵の城がある状態は彼らに閉塞感を(もたら)し、正常な思考ができる頭を失わせた。

「よし、必要分は入手した」

静子から依頼されたものを手にすると、才蔵は早速と言わんばかりに静子・秀吉連合軍本陣へ向かった。

「城攻めすることなく月ヶ瀬城を陥落させられましたが、某はちと物足りない感じです」

従者の一人が少し困った表情で呟く。いくさ場の働き次第で出世を望めるが、静子の戦法は殆ど戦うことがなかった。これでは働き云々以前の問題だ。

「月ヶ瀬城は浅井・朝倉にとって重要な拠点だ。それを損害なく、戦わず陥落させることの難しさを知れ。兵法も言っておる、戦って城を落とすは下策、戦わず城を落とすは上策、とな」

「はっ……」

若干納得いっていない顔をしているが、才蔵は従者を無視して本陣へ急いだ。彼にとって静子の許を長期間離れることは滅多にないことだからだ。ゆえに落ち着かない。
馬に多少の無理をさせて、普段かかる時間の2/3で本陣に到着した才蔵は、早速静子の元へ向かう。軍議を開いているわけではないが、才蔵は静子が秀吉たちと一緒にいる事を知る。
ようやく静子の姿を見た時、才蔵は小さくホッと胸をなで下ろした。だが、すぐさま平伏すると言葉を口にする。

「静子様。ご命令通り、適当に見繕った者たちから、例のものを差し出させました」

「ありがとうございます、意外と早かったね。兵たちには休息を取らせておいて。次の山本山城は……お館様次第かな」

言いながら静子は才蔵に頼んでいたものを受け取る。それは文だった。しかし、彼女が文を開くと、中には白紙、否、その者が書いたと証明する花押だけが隅っこに書かれていた。
一緒にいる秀吉や竹中半兵衛は勿論、秀長もそれで何をするか分からず首を傾げる。

「おい、静子。その白紙は何に使うのじゃ?」

気になった秀吉が扇子で文を指しながら尋ねる。文を広げて秀吉たちに見せながら静子は答える。

「何って、これに織田家へ内通することを記載するだけですよ。まぁ、文の送り主は小谷城に籠もっている浅井宛ですが」

「月ヶ瀬城は陥落したのじゃろ? なぜ、わざわざ内通する文を書くのじゃ?」

「内通する文とは別に『人の心とはままならぬもの。崩れゆく結束を見るのは虚しいものよのう』という手紙を付け足します。後は文を読んだ浅井がどう判断するかは……まぁお好きにという事で」

「……? ーーッ!?」

最初は分からなかった秀吉だが、言葉の意味を理解した瞬間、背筋に寒気が走った。竹中半兵衛や秀長、才蔵も答えにたどり着くやいなや冷や汗を流した。
静子がこれから行う策が成功すると、山本山城にとって悪魔の証明を強いることになる。内通の文が浅井の手に渡れば、彼は裏切り者がいるせいで月ヶ瀬城が落ちたと考える。
仮にそう考えなくても、内通した者がいると浅井が思えば御の字だ。なにしろ国人にとって家臣の裏切りには万全の注意を払う必要があるのだ。

山本山城も同じ、という言葉だけで浅井久政は疑心暗鬼に陥る。山本山城も同じように落ちれば、彼らは更に劣勢に立たされる。しかし、内通者がいるのなら、自分たちの動きが知られる。
もしも内通者の手によって、山本山城が落ちていれば後詰めが殲滅される恐れがある。もはや援軍を送る猶予がない浅井にとって、後詰めの壊滅は避けたい事態だ。
だが、国人は支城へ後詰めを送る義務がある。この義務を怠れば家臣は一族を守るために国人を簡単に裏切る。
後詰めを送るか、それとも見捨てるか、浅井久政は大いに悩むことになるだろう。

「浅井は頭を悩ませ、家中は互いに疑い合い、謂われのない疑いを向けられた山本山城の者たちは疑心暗鬼に陥る。そのまま放置しておけば、浅井家の団結は脆く崩れ去り、勝手に内紛を始めるでしょう。浅井家が程よく弱った所で一気に……潰す」

潰す、と言葉を発すると同時、静子はテーブルを強く叩く。少々痛かったが顔には出さず、言葉を続けた。

「小谷城は堅牢な城です。ですが強固な壁も、たった一つの亀裂が原因で崩壊します。どれほど城を強固にしようとも、兵たちの心が折れれば陥落します。今回の策で浅井家に亀裂を作れれば、のちのち有利に働くことになりましょう」

その言葉を証明する事件が起こる。
久政が無闇に山本山城の城主・阿閉(あつじ) 貞征(さだゆき)を疑ったため、貞征と久政の間に溝が出来た。更に溝はなくなるどころか、時間が経つに連れて広がる一方だった。
決して浅くない溝にまで広がった時、阿閉の心に魔が住み着く。『信長に内通する』という魔が。
+注意+
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