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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀二年 比叡山延暦寺

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千五百七十一年 八月中旬

七月上旬、静子は2000の精鋭兵を連れて京へ上洛した。
今回の目的は、信長がターキッシュアンゴラの子を帝へ献上するための従軍だ。それでも精兵は完全武装し、いつでも戦闘出来る状態だ。
家の中を管理する彩とお市たちを尾張に残し、それ以外の面子である侍女の(しょう、武将の慶次、才蔵、長可の3名と見習いの高虎が上洛に参加した。
更に今回はいつもの木曽馬ではなく、アラブ種の馬を使用している。
使用していると言っても、跨っているのは静子と慶次、才蔵、長可の四名だけだ。残りの騎兵と高虎、(しょうは木曽馬に跨っている。

慶次を筆頭に派手な身なりをした傾き者たちも目立っていたが、それより更に京の民から注目を浴びていたのが静子だ。
最も静子本人ではなく彼女の周囲にいる獣たちが、異常なまでに目立っていた。
体高約155cmと比較的高いアラブ種、馬を囲うようにヴィットマン一家、静子の左腕にシロガネ、馬の頭の上にアカガネ、静子の前にクロガネと、静子の元にいる動物たちがいた。
一番目立っていたのはヴィットマン一家だろう。柴犬や日本狼とは比較にならない体躯、眼光は鋭く、凛々しい雰囲気は見る者を圧倒させていた。
だが静子が彼らを連れてきたのは、最近遊べてないから連れてきただけで、それほど深い意味はなかった。

静子は京でいつも利用している居館に入ると、ターキッシュアンゴラの健康状態をチェックをする。
耳、目、口、鼻、息、体、皮膚、被毛をチェックし、次に奇妙な行動や食欲不振がないかチェックする。簡単なチェックだが全てに異常がない事が分かると、猫を信長の許へ送った。

信長の許へ送れば静子の仕事は終わったも同然だ。後は指示があるまで屋敷で待機していれば良い。待機と言っても余程目に余る行為をしなければ、京の街で遊んでも問題なかった。
慶次は大金を持って何処かへ消え、長可は毎度の如く相撲部屋へ道場破り、才蔵は屋敷を出ないものの囲碁や将棋で遊ぶばかり、など(しょうと高虎以外は遊びに興じていた。

「では私たちも遊びに行きましょう」

屋敷の主である静子も暇を持て余していたので、京の街へ出向く事にした。面子は静子、才蔵、高虎、(しょうだ。
ウィンドウショッピングと洒落こんだ静子だが、岐阜と比べて市場が小さい事もあり、あまり目を惹くものはなかった。だが売られている品々には、岐阜の市場にない『伝統』の匂いがあった。

「伝統的な物はあるけど、これと言って面白いものがないね」

「静子様は面白いものを作る側では……む」

何かに気付いたのか才蔵が手で全員を制する。彼の視線の先を見ると、何やら人集りが出来ていた。才蔵の反応を見るに、あまり良い意味での人集りとは思えなかった。

「与吉君、警ら隊に連絡。(しょうちゃんは万が一を考えて、うちから兵100人ほど呼んできて。こういうのは時間との勝負。はい、動く!」

手早く指示を飛ばす静子に対し、この手の経験が少ない二人はオロオロしていた。しかし静子が発破をかけると自らがすべきことを理解したのか、それぞれ目的の場所へ向かって駆け出した。

「才蔵さん、中で何が起きてるか確認するよ。悠長に様子見できるならそれに越した事はないけど、どうもそんな風に見えないからね」

「はっ。しかし身辺にはお気をつけ下さい。人混みに紛れて、怪しい者が静子様を狙うやも知れません」

「うん、無茶はしないよ。警ら隊が来るまでの時間稼ぎが出来れば御の字」

二人は周囲を警戒しつつ人混みに近づく。殆ど目と鼻の先まで近づくと、喧騒が二人の耳に届いた。会話のやり取りから片方が怒声を上げている事が分かる。
才蔵は会話の内容から一触即発の事態を理解すると、静子の前に出ると息を大きく吸い込んだ。

「帝のおわす京で何を騒いでおる! ここでの揉め事は厳禁である旨を忘れたか!!」

それは普段の才蔵からは想像すら出来ないほどの怒声だった。余りの大声に近くの人間がしかめっ面で振り返るが、合戦に出るいくさ人の雰囲気を漂わす才蔵を見て、慌てて視線を逸らす。
才蔵が一歩前へ足を踏み出すと人垣が割れた。

「双方得物を静かに下ろせ! 周りを良く見よ!!」

揉め事の中心につくと、才蔵は当事者双方に警告する。

「な、何だてめぇは、いきなり大声……うっ!」

男が文句を口にしたが、才蔵の鋭い眼光を受け、途中で言葉を飲み込んだ。騒動を起こした者たち全てを一瞥した才蔵は、手に持っている槍の石突で地面を力任せに叩いた。
鈍く大きな音に野次馬たちが数歩後ろへ下がる。騒動を起こした片方の集団も、才蔵から発せられる気迫にたじろぐ。

「はい、武器を収めてね。そっちの二人も良いかな?」

静子は騒動を起こした男たちの対面側にいる二人の少年に、なるべく敵意を感じさせない笑みで尋ねる。二人は考えあぐねているようで、しきりに年の若い少年が視線を彷徨わせている。
しかし武器を収める事が一番良いと結論を下し、手に持っていた刀を鞘に納める。
相変わらず反対側のリーダー格は刀を手に、不遜な態度を取っていたが、才蔵が槍を構えると慌てて鞘に納めた。

「それで、何で騒いでいたのかな?」

「けっ、お前に話す……いや、何でもありません」

ふてくされた態度でそっぽを向いた男だが、才蔵の殺気に冷や汗をかいてたじろぐ。それでも態度を改めない所を見るに、部下に気弱な所が見せられないのだろう。
やせ我慢をしているのは、誰の目にも明らかではあるが、そこをつついても話は始まらないと理解すると、静子は二人の少年の内、年上の方へ顔を向ける。

「そこな夫婦の子が、その男曰く奴隷だとの事だ。しかし夫婦は養子だと言う。わしの見立てでは夫婦が正しいと感じた。故に夫婦の味方をした」

「という話だけど、間違いはないかな?」

「そうだよ。そいつぁ奴隷商人から五貫文で買った。乱戦のどさくさに紛れて逃げやがったが、ようやく見つけたんだよ」

双方の話を纏めると山賊風の男が五貫文で奴隷を買った。しかし宇佐山城の戦いに巻き込まれてその間に奴隷が逃げた。紆余曲折の後、夫婦の養子となった所を見つけたようだ。

「話は逸れるけど、二人ともこの夫婦の知り合い?」

一番分からない事が二人の素性だ。見た所、年上は十五歳、年下は十一歳程度だ。
年上の方が身なりが良い所を見るに、武家の子と小姓だと静子は思った。その推論が正しいと仮定した場合、少年たちが夫婦にわざわざ助太刀する理由が思いつかない。
不意をつかれたか、主を守るためか、年下の少年は肩に怪我を負っていた。

「わしと夫婦の間に、血の繋がりはない。しかし弱きを見捨てては、わしの道義に反する」

「……それだけ?」

「それ以外の理由などない」

迷いなく断言する様に、静子は少年は腹黒い事を考えていないと確信する。
もしも考えているならば、先ほどの問答でもう少し上手く言葉を選ぶはずだ。だが少年は不器用ながらも、一切言葉に装飾をしなかった。

「はい、ありがとう。では、夫婦さんにお尋ねします。その子を養子として引き取ったという話だけど、何処から引き取ったの?」

「え、あ、はい。えと……あの、織田家が管理する孤児院から、です」

「じゃあ養子引取証文があるはずだけど、それをちゃんと保管している?」

織田家管轄の孤児院は奴隷売り場ではなく、親を失った子を自立させて社会の一員とする事を目的としている。
故に大半は職人の工房に弟子入りするが、稀に養子として引き取られる事もある。
その時、孤児院を管轄する織田家の組織から発行される公文書が『養子引取証文』である。

「あ、はい! 確かに受け取りました!」

「ではそれが本物と仮定すると……代金の請求先は織田家になりますので、そちらとやり取りをお願いします」

山賊のリーダー格に静子は死刑宣告をする。孤児院にいる孤児が本当は奴隷であり、逃亡奴隷であった場合、買取代金を織田家が支払う事になっている。
しかしそれは奴隷商人から孤児を買った人間である事を証明出来た場合だ。証明出来ない上に、信長の機嫌が悪ければ手痛いお返しが待っている。

「ふ、ふふふふふふざけんなよ! こちとら五貫文も損して……ッ!」

激高した男は、再び刀に手を伸ばしかけた。しかし周囲にいた野次馬たちは消え、完全武装した足軽たちが周りを取り囲んでいる事に気付き、その動きを停止させた。

「殿。ご命令通り、100人集めて参りました」

それだけでも山賊たちの心が折れそうになっていたが、その中から老練な兵士たちが静子の前で恭しく礼をしながら口にした言葉で木っ端微塵に砕け散った。

その後はとんとん拍子で話が片付いた。渡された養子引取証文を照会したが偽証文(にせじょうもん)でない事が証明され、夫婦の言い分が正しい事が証明された。
山賊たちは騒動を起こした罪で警ら隊に連行されていった。若い少年たちは夫婦を守った事でお咎め無しだが、警ら隊を呼ばなかった事で厳重注意を受けた。
最後に少年の怪我を確認したが、予想外に深手であり縫合が必要な怪我だったので治療をしようとしたが、少年が頑なに拒絶し始めた。

「この程度の傷、大した事はない」

「うーん、そう言うけど引っ付くまでに腐る場合があるよ?」

戦国時代の武将は怪我の治療を極端に嫌う。これは治療を受けると軟弱者という烙印を押される事が理由だ。反対に百姓たちは独自の治療法を利用し、怪我の治療を行っていた。

一方戦場での治療方法と言えば実に荒っぽく、現代からすると効果の怪しい荒唐無稽なものであった。
合戦での負傷に多い矢傷の場合、矢を力任せに引き抜いて後は安静にさせるのみ。
しかも安静にするとは言え眠れば死ぬからと眠ることを許さず、しかも食事も取らせないという拷問にも等しい乱暴なものであった。
戦場には薬などないため、身近にあるものを利用した怪しい民間療法が蔓延する。
例えば馬糞を煎じた水を飲めば血が止まるであるとか、小便を飲めば痛みが和らぐと言った迷信がまかり通っていた。

静子はそれらの治療方法を廃止し、負傷兵の治療を専門とする金瘡医衆を従軍させている。
現代医学ほど高度な治療は出来ないが、それでも現代医学の中で負傷兵の治療方法や薬学を学んだ金瘡医は、静子軍の戦死者軽減に大きく貢献している。
負傷した静子軍の足軽や雑兵が死ににくい理由は、彼らが縁の下の力持ちとして力を発揮しているより他ならない。

「う……問題ないッ!」

「傷をちゃんと治療しないと、その傷が原因で半年後に死んだり、傷口が腐って蛆虫が湧いた挙句、骨まで菌が入り込んで想像を絶する痛みを味わう可能性があるけど……まぁ無理にとは言わないよ」

説得しているのか脅しているのか判別し難い静子の言葉に、年下の少年は顔を青くする。しかし頭を横に振って、自身の想像を頭の中から追い出した。
一部始終を見ていた年上の少年は、重い溜息を吐くと静子の方へ向き直る。

「申し訳ないが、彼を治療して頂けないでしょうか。この怪我では、本当に貴女の言う通り死ぬ場合があります。わしは彼を失いたくない、どうかこの通りです」

「殿……我儘を申しました。それがしからもお願い申します、治療をお願いいたします」

言い終えると同時、年上の少年が頭を下げる。仕える相手にそこまで言われて我儘は言えないと考えた年下の少年は、頭を地面に擦り付ける勢いで頭を下げた。

「二人とも頭を上げて。しかし市場の一角を占拠して治療するのは問題ね。二人が良ければだけど、私の屋敷に来て貰うけど……問題ない?」

「問題ありません」

「殿、童とは言え見知らぬ輩を屋敷に入れるのは……」

今まで黙っていた玄朗は、才蔵を見つつ静子へ苦言を呈する。しかし才蔵は玄朗の肩に手を置くと、何もかも諦めた顔で首を横にふった。
それを見た玄朗も額に手を当てて呻いた後、小さくため息を吐く。

「そうでした、殿は才蔵様も呆れるほど無防備でした。今さら爺の小言など、簡単に流しましょう」

「いやいやいや、金瘡医衆を連れているのだから、流石に彼らに頼むよ。それに玄朗爺ちゃんを悩ましすぎないように、ちゃんと気をつけているよ」

全力で否定する静子だが才蔵と玄朗は揃ってため息を吐くだけだった。ろくに護衛も付けず京の街を練り歩いている時点で、油断し切っている様なものだ。
そんな小言を胸の中に仕舞い込んで、玄朗はもう一度ため息を吐く。

「そんな事よりも殿、まさかそのままご帰宅するとは申しませんよね?」

「あっさり流されて泣きそうなんだけど……いや、普通に帰るけど?」

質問の意図が分からない静子は首を傾げるが、そんな彼女に呆れたのか玄朗はこめかみを押さえる。

「ご帰宅なされるのなら、ここにいる我らが護衛致しますのでご安心下さい! それから殿! 貴女はご自身の事を軽んじすぎております!」

「は、はい。よろしくお願い致します?」

下手に逆らわない方が良いと考えた静子は、玄朗の言葉に素直に頷く。若干疑いの目を向けていた玄朗だが、兵士たちの方へ顔を向けると声を張り上げる。

「お前たち! 殿が屋敷へお戻りになるぞ! 全員、配置につけ!」

玄朗の声に弾かれたように、兵士たちが一斉に静子の周囲を固める。人っ子一人近づけない防御陣に静子は乾いた笑みしか浮かばなかった。

「(は、はは……もう好きにして)で、では……帰投しまーす」

玄朗の声とは対象に、気の抜ける声で静子は兵士たちへ号令をかけた。






少年の怪我は思いのほか酷く、抜糸出来るのが二週間後だった。
最悪の場合は金瘡医衆を残して岐阜に帰還する事になるが、信長の方も何やら時間がかかっている為、もう少し京へ滞在する事となった。

「朝廷って色々と決まり多そうだしね。(しょうちゃん、薪を三本頂戴」

予定外の滞在に暇を持て余した静子は、屋敷に備え付けている耐火レンガ製のアーチ型石窯で菓子を作っていた。
今回石窯で焼いた菓子はカステラだ。無論、それらを一人で食べる訳ではない。

「どうぞ、薪三本です」

「ん、ありがとうね」

薪を受け取ると、静子はすぐさま二本放り込んで火力を上げる。火の様子から三本要らないと分かると、残り一本の薪を横に置いた。

「家を開けっ放しにすると、賊が侵入するとか古典的だよね」

普段使われていない屋敷に人が入ると、荷物狙いの賊が侵入してくる。そして忍び込む人間はなるべく人が少ない時を狙ってくる。
静子や慶次たちが出払った時、金目の物目当てで賊が三人忍び込んできた。
だが賊の侵入をいち早く知ったヴィットマンたちとシロガネ、クロガネ、アカガネが問答無用で彼らに襲いかかる。
結果、一人目はヴィットマンたちに首、手、足を噛まれて半死状態にされた挙句、バルティが止めと言わんばかりに賊の喉を食い千切った。
二人目はシロガネの爪が眼窩を貫き脳に達して即死、三人目はアカガネとクロガネの爪に目や肺、内臓を潰された挙句、池に落ちて窒息死した。

玄朗の小言を聞きながら、静子は兵を使って直視したくない死体を運び出す。合戦経験が豊富な兵たちも、脳や内臓が露わな死体は見たくないのか、布を被せて直視しないようにしていた。
この賊侵入事件後、静子のいる屋敷に兵たちが見回りをするようになったのは言うまでもない。
ヴィットマンたちはストレスでも溜まっていたのか、と思った静子は事件後から彼らと遊ぶ事が多くなった。
いつも以上に静子が構ってくれる事に、ヴィットマン一家、シロガネ、クロガネ、アカガネの気分は高揚する。
石窯でカステラを焼いている時も、遊んでと言わんばかりにシロガネは羽で静子を叩いていた。

「ごめんね、今日は来客があるの」

謝罪の言葉を口にしつつ静子はシロガネの頭を撫でる。シロガネは頭を撫でられるのが好きなので、静子に身体を預けて気持ち良さそうにしていた。
静子の撫でが終わるとひと鳴きして飛び立つ。屋敷にあるお気に入りの木へ止まると、そこでまたひと鳴きした。

「ふふっ、明日は遊べるから今日は我慢してね」

言い終えると静子は石窯へ向き直る。やがて美味しそうなカステラが焼けた頃、小姓が静子の元に駆け寄って来客を告げた。

「ここに通してくれるかな」

「いえ、あの……その」

小姓の歯切れが悪い事に静子は首を傾げる。治療のお礼がしたい、との事で少年たちが本日訪ねてくる事は小姓や兵たちに伝えている。
仮に二人が見知らぬ人間を連れてきても、それは親族の誰かか、もしくは荷物運びの人夫ぐらいだ。その程度で小姓がここまで慌てるとは思えない。故に考えられる事は一つだった。

「もしかして違う人が訪ねてきた?」

「はい……徳川様が、参られ、ました……」

「……ごめん、もう一回尋ねて良いかな?」

我が耳を疑った静子は、こめかみを押さえながら小姓に質問を投げる。

「いえ、嘘でも何でもなく、徳川様が参られました」

「えー、何で? 私、招待した覚えもないし、第一ここにいるって伝えた覚えもないよ。と、とりあえず客間に通してくれるかな。ここを片付けたらーー」

「それには及びません。突然の来訪をしたわしなど、縁側で十分ですぞ」

小姓に家康を客間へ案内するよう指示を出そうとしたが、静子の声を遮って誰かが会話に混ざってきた。この状況では一人しか思いつかないが、静子は頭を抱えつつ恐る恐る尋ねる。

「徳川様……ですよね。幾ら何でも縁側は失礼では……」

「はっはっはっ、ここにいるのは旨そうな匂いに釣られた狸ですぞ、静子殿」

返答に困る言葉だった。頭を落ち着けさせると、静子は家康の方へ向き直る。
縁側の奥にいる家康はにこやかな笑顔を浮かべている。彼の後ろに護衛の武将がいたが、全員見知った顔だった。

(本多様に榊原様に……服部様? えらく厳重な警護だなぁ)

家康は静子の返事を待たず、適当な場所にあぐらをかいた。護衛役の三人もそれぞれ所定の位置に移動する。

「申し訳ありませんな。平八郎が甘い匂いがすると申しまして、些か強引でしたがお邪魔させて頂きました」

「と、殿ぉ!? そ、某はそのような意味では……」

含み笑いしながら理由を語る家康に、忠勝は慌てて否定する態度を取る。半蔵や康政も含み笑いをしていたが、静子は三人の考えが分からず首を傾げる。

「何か分かりませんが、カステラを切る為に刃物を出すので、出来れば反応しないでくださいね」

念の為宣告しつつ静子は手を洗った後、パン切り包丁を取り出す。通常の刃物と違って波刃ではあるものの、やはり武将の三人は無意識の内に反応していた。
少し痛い視線を感じつつ、余熱を取ったカステラの四方を切る。それが終わると一定の厚さにカットすれば完成だ。

「殿、例のお二人ですが急用が出来てしまい、ここへ参る事が出来なくなったとの連絡が先ほど届きました」

カステラを皿に盛っていると、小姓ではなく玄朗が報告を上げてきた。報告を聞いた静子は内心残念に思ったが、表情には出さず小さく頷いた。

「急用なら仕方ありませんね」

「はい。何でも国にいる親が病気を患ったとの事で……その辺りの事情は文に記載されておりました。こちらになります」

差し出された文を受け取ると静子は手紙を広げる。親が病気のために訪問出来なくなった事、急な事で申し訳ないという内容が書かれていた。静子は文を丁寧にたたむと懐に仕舞う。

「縁があれば次の機会が訪れるでしょう。その時にお礼を受け取れば良いだけの事です」

「いえ、彼らは文と共にお礼の品を届けております。こちらの太刀がそれになります」

「その内、七本ぐらい腰に太刀をぶら下げる事になりそうだね……」

戦国時代で定番の贈り物と言えば黄金、馬、太刀の三つだ。
稀に信長が上杉謙信へ屏風びょうぶを贈ったように、珍しい品物を贈る事はあるものの、大抵の場合はこの三つの内どれかが選ばれる。その中で一番贈られるものが太刀だ。

「まぁ贈り物にケチを付けるのは良くないね。ありがたく頂戴しよう」

倉で保管になるけど、と口にはせず心の中で呟いた静子だった。
焼けたカステラを十六切れにカットし二切れずつ皿に盛る。三本とも十六切れにカットするが、信長に一本、花街にいるであろう慶次に一本届けるよう依頼する。
長可もそろそろ慶次と行動を共にしている予感が静子にはあったので、慶次に届ければ問題ないと判断した。

「変わった食感ですね」

ふんわりとした食感となめらかな口当たりに家康は太鼓判を押す。忠勝や半蔵たちも同じ気持で、口に入れては満足気に頷いていた。
暫くは無言でカステラを堪能していた家康だが、ふぃに皿を置くと居住まいを正した。それに触発されて静子も無意識の内に居住まいを正す。

「本日は静子殿にお願いがあり伺いました」

「お願い……ですか?」

「ご心配なく。織田殿の許可は頂いております」

家康が目配せすると半蔵が書状を静子に差し出す。受け取って中を改めると、信長の朱印状で間違いなかった。しかし内容を深く読むと、あり得ない事が書かれていた。
静子は思わず顔を上げ、家康に疑問の視線を向ける。その視線を受けた家康は、にこりと人の良い笑みを浮かべてからお願いを口にした。

「うちの平八郎と半蔵を、少しの間預かって頂きたい」

それは静子にとって青天の霹靂とも言うべきお願いだった。

一方、静子の本来の客である二人の少年たちは、数日かけてとある場所へ向かった。到着後、彼らはその場所の主人に目通りを許されるなり、開口一番こう言った。

「只今戻りました、御実城様」






火縄銃にライフリングを刻む事を静子に頼まれて一年、足満はようやく完成までこぎ着けた。
銃にライフリングを刻む方法は大きく分けて二種類ある。
ライフリングブローチと呼ばれる専用工具で切削加工を行う方法と、冷間鍛造法(コールドハンマーリング)と呼ばれるハンマー機械で叩いてライフリングを整形する方法の二種類だ。

冷間鍛造法(コールドハンマーリング)は製造設備が大型化する欠点はあるものの、ライフリングから薬室まで一度に成型でき、大量生産に向いている方法だ。
しかし水圧や油圧を使って超高圧プレスする設備など、戦国時代で望めるはずもない。必然的にブローチ刃による切削加工しか選択肢はなかった。

ブローチ刃による切削加工は問題なかったが、加工時間が非常に長くなる問題が発生した。
作業はまずライフリングブローチを銃身に入れて、回しながら引き抜く事を数回繰り返す。次にバリで不均一になったライフリングの山を、リーマを通して均一にする。
ライフリングの山が均一になれば、ライフリングブローチの作業をまた行う。

技術よりも精神的に厳しい作業内容だった。途中から水車動力でライフリングを刻む施設を建設したが、トルクが足りない問題が発生した。
歯車を噛みあわせてトルクを上げる事で問題を解決したが、肝心のバリを削ってライフリングの山を均一にする問題は解決しなかった。
結局、一日に数時間だけ作業を行い、残りの時間は別の部品を製造する事で精神的負担を解消した。

火縄銃は一丁作るのに一日から二日ほどかかる。しかしライフリングを刻んだ火縄銃は、ライフリングを刻む作業に五日かかる事から、最低でも六日かかる計算になる。
ギアボックスやトルクコンバーター、切削加工とバリ取りが交互に行える機械があれば、もう少し作業が捗るがどれも高度な技術を要求される為、足満は不可能と判断して諦めた。

(密造拳銃に関する番組を見た時、数日もかかるなど軟弱だと思ったが、これは意外と精神的にくる。少しだけ奴隷が欲しくなったぞ……情報せきゅりてぃ的に問題があるから出来ぬが)

最終工程に入った火縄銃の銃身をチェックしつつ、足満は重い溜息をつく。しかしこれが完成すれば静子も喜ぶと思えば、萎えかけた気力も盛り上がる。
銃身が完成してもそれで終わりではない。ライフリングの性能を活かすミニエー弾の製造道具が必要になる。それが終われば銃身を組み込んで、最後に試射をすれば完成だ。

「ようやく一丁完成した」

見た目はエンフィールド銃に近く、今までのように頬付け形ではなく肩付け形の銃床だ。
この事で甲冑でも持ちやすくなる形を研究する必要が出たが、これは彼がウィンチェスターM1873カービンの形にしたいと考えた為に出た問題だった。
傍から見ると余計な苦労を背負った足満だが、彼は銃の形を研究する時が一番輝いていた。

(南蛮銃でございますか)

「そうとも言えるな。性能は後で見せてやる。先に報告を聞こうか」

持っていた火縄銃をテーブルの上に置くと、足満は椅子に腰を下ろす。鳶加藤は少しだけ間を置いてから言葉を口にした。

(反織田連合の内、一番織田家に敵意を抱いているのは延暦寺でございます。浅井家は今、軍事行動を起こせる状況にあらず。朝倉家は当主が動こうとせず、それが家臣の間で不満になっております。本願寺は一部がこれを機に、一向一揆の国を打ち立てようと騒いでおります)

「やはり一番目障りな組織は京に近い延暦寺か」

(……恐れながら延暦寺は危険にございます。今の延暦寺は武田家が庇護しております。もし延暦寺を叩けば、それは強大な力を持つ武田家を敵に回す事になります)

延暦寺は平安時代の僧である最澄さいちょうにより開かれた、長い歴史を持つ天台宗の本山寺院だ。
住職は天台座主てんだいざすと呼ばれ、金剛峯寺こんごうぶじとならんで平安仏教の中心だった。
皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った事で、強大な権力で院政を行った白河法皇ですら制御出来なくなるほど武装化が進んだ。
戦国時代には修行を怠り、酒色に(ふけ)り、自らの意に沿わぬことが起こると戦に出て人を殺すか、神輿を奉じて強訴する集団と化していた。

「ふっ、あの男にはもう時間がないが、逃げたと思われるのも癪だ。そうだな……潰して箔をつけるのも悪くはない」

(武田家を滅ぼす……と仰るのですか。そんな事が……)

「不可能ではない。良いか、鳶加藤。この世に絶対の強者など存在しない。武田だろうが、上杉だろうが、延暦寺だろうが、本願寺だろうが、いつかは負けて滅ぶ。無論、我々も滅ぶ可能性は十分にある」

(……)

「もっとも、わしは滅ぶ気など毛頭ないがな。さて、話は終わりだ。今、大きな仕事は特にない。武田の歩き巫女や上杉の軒猿……そうだな、最近ではちょこまか煩い徳川の伊賀者を始末しろ。尋問する必要はない、どうせろくな情報は持っておらん」

それで話は終わりと言わんばかりに、足満は懐から金子の入った袋をテーブルの上に置く。
そしてテーブルの上にある火縄銃を担ぐと、彼は鳶加藤に声をかける事なく部屋を後にした。
+注意+
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