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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀二年 比叡山延暦寺

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千五百七十一年 五月中旬

間者狩りが行われて数日後、麻疹の感染者は格段に減った。四月末には新規感染者は現れず、隔離病棟に入院している者もほぼ無事に退院していった。
今もなお、織田家の影響力外では猛威を振るっている麻疹だが、一度感染すれば体内に抗体が作られ、10年以上に亘って感染を防ぐことができる。
ゆえに、外から来た感染者が京に入っても、再び京の中で麻疹が流行する事はない。後はMR(麻疹・風疹混合)ワクチンを用意出来れば完璧だが、現代でもゼロから環境を構築し製造するには数年を要する。
戦国時代ではもっと時間が必要となるため、そう簡単に完成はしないだろうと静子は考えていた。
研究を進めてはいるが、今の調子でいけば実用化は30年から40年後だと予想していた。

屋敷前の人混みも減り、京は普段の落ち着きを取り戻していた。

「そろそろ尾張に戻っても問題なさそうね」

伝令から送られてきた報告書を読み終えた静子は、自身の役目は終わったと判断する。
麻疹の感染者数は減少傾向、四日以上新規感染者はいない、臨時の隔離病棟も半分以下で十分という状況なら、これ以上京に留まる必要もないと考えた。

「あー! 紙に埋もれた生活がようやく終わる」

言いながら肩を揉む長可だが、彼は言うほど書類整理に関わっていない。しかし、彼からすれば多少の事務処理でも、書類漬けの生活に感じていたのだろう。

「勝蔵君が書類整理をさぼって私に押しつけた件は不問にしようかと思ったけど、そんな事を言う余裕があるならまだまだいけるね」

ちょっぴり非難を込めて静子は長可を半眼で睨む。しかし、それ以上何かを言う気にはならず、彼女は疲れたようにため息を吐く。

「勝蔵……貴様、外回りで遊んでいただけでなく、あろうことか静子様に書類を押しつけていたのか」

反応したのは才蔵だった。声のトーンはいつもと変わらなかったが、目は笑っていなかった。

「い、いや待とうか! こ、これにはな、ふかぁ~い事情があるのだ。うん、だからな、少し落ち着こう……か?」

今にも腰の刀に手をかけそうな雰囲気の才蔵に、長可は慌てて両手をふって言い訳を口にする。

試し合戦以来、長可の中で才蔵は『怒らせてはいけない人物』になっていた。荒事に慣れているがゆえに常人に怒りを向けられた程度では気にも留めない。
しかし、才蔵の怒りには純粋な畏怖を長可は抱いた。
特に彼の薄笑いは、張り付いた笑みを浮かべる目の底に狂気を孕んでいると長可は感じた。
人生経験が豊富と言い難い長可でも理解出来る。才蔵は怒らせては駄目な部類の人間だという事が。

「良かろう。その言い訳とやらを聞こうか」

「お、おう。え、っとな」

「ただし、ろくでもない理由なら容赦はせぬ」

本当に長可の言い訳が才蔵の耳に届いているか怪しく、彼は少しずつ長可を追いつめていた。才蔵の実力を良く理解している長可は、彼の怒りを何とかなだめようとする。
その傍で、喧嘩は男子の誉れと言わんばかりに慶次は二人の様子を楽しそうに眺めていた。

「楽しそうだね。こっちは頭痛のネタが沢山出来たってのに」

言葉にしつつ静子は部屋の隅へ視線を向ける。部屋の隅には今にも溢れんばかりに文が詰め込まれた箱と、贈り物らしき品々が置かれていた。
文の大きさは様々だが、見ただけで質の良い紙が使われている事が窺える。そこから、送り主はみな貴人だという事が分かる。

「伴天連に寺社、将軍家、朝廷、帝の側近である公卿衆くげしゅう、禁裏関係者と京の様々な勢力から熱烈な勧誘が引きも切らないな」

言葉とは裏腹に慶次は楽しそうだった。しかし、静子としては悩ましい以外の何者でもない。

各勢力が彼女に夢中になるのも無理はない。古来より流行り病は社会や経済、文化面に多大な悪影響を与えてきた。
一度、感染力の高い病が流行すれば数万人、多ければ数百万人が命を落とした。地域によっては僅かな期間で、住民の7割が死亡するケースもあった。
日本では麻疹は疫病神に神格化され、天然痘や水痘と合わせて「お役三病」と言われるほど恐れられていた。
ヨーロッパではペストが有名で他の疫病が隠れがちだが、天然痘や麻疹も十分恐れられていた。

感染すれば高確率で死に至る病を、希少な薬剤を用いず、神仏にも祈らず防疫する。
上は公家衆や朝廷関係者、下は奴隷や物乞いまで様々な身分の人間が感染した。そして殆どの人間が病を克服し、自らの足で歩いて退院していった。
麻疹が流行しながら極めて少数の病没者に抑え込んだ、この事は日本中の権力者たちを震撼させた。
麻疹防疫に非協力的な寺社や武家は「織田が病の人間を殺して入れ替えた」だの「魑魅魍魎を使役し、京に疫病をもたらした」だの、難癖としか言えない風説を流したが、大半の人間は織田の理知に恐れおののいた。
だが、今回は信長の理知の出所がはっきりしていたため、静子に対する引き抜き工作が行われる事となった。
どんな事をされても信長以外に仕える気はない静子だが、毎日のように話を持ってこられると気分が滅入る。

「私に金を使うより、治安維持に金をかけて欲しいよ。ただでさえ一揆で治安が悪化していて、今でも人々に余裕がないってのにね」

京は信長の治安政策で平穏を取り戻したかに見えた。しかし尾張や美濃と違って、人々の生活に余裕がないために軽犯罪は絶えず起こっている。
政治や文化の中心である京では、様々な勢力が入り乱れているため、致し方ない面もある。

「そう言えば慶次さん用に頼んだ馬、もう少しで届くと言っていたなぁ。受け取るために京に残る?」

「はっはっは、静っちは面白い冗談を言うな」

「まぁそうよね。今回の長島一向一揆には間に合わないけど、次の戦には間に合うかなー」

アラブ種とは別に、静子は慶次専用の馬をフロイスに注文していた。何故、慶次専用かというと、静子が1年前に所望した馬を乗りこなせるのが慶次以外にいないからだ。

(デストリアか。現代では失われたけど、軍用の重馬種のうち特に大型で一番スタミナが優れたものだったよね)

中世ヨーロッパでは重装騎兵の軍馬として、体格の大きな馬種が求められた。
現代の中世を描いた映画に見るような巨躯を持ち、瞬発力に優れる馬よりも安定した持久力が求められたため体高は低く、足も太いものが好まれた。
その中でも特に立派で強い軍馬がデストリアだ。大型と言っても当時の人間と比較してのことで、その体高は現代のサラブレッド程度しかない。
しかし、性能は突出しておりグレートホース(Great Horse)と呼ばれていた。
残念ながら現在では失われた馬種のデストリアだが、今日の重馬種へと大型の遺伝子は受け継がれていると考えられている。

実際に戦場で騎乗された軍馬としてはコーサーが最も有名で、語源のCorsiero(戦う馬)という意味のイタリア語にある通り、戦争における騎乗用馬として広く用いられた。
対してデストリアは戦争よりも、馬上試合での用途が主であった。これはデストリアが非常に高価で、場合によってはコーサーの約30倍にも達したほどだった。

余談だが大型の馬として有名なのはペルシュロン種だが、現代のようなサイズになったのは近代になってからで、中世・近世時代ではデストリアと大して変わらない大きさだった。

「誰かいるかな?」

才蔵と長可の喧噪を眺める事に飽きた静子は、入り口に向かって声を投げる。直後に荒々しい足音が聞こえたかと思うと、先ほど静子が声を掛けた場所で音が止まった。

「お呼びですか、殿」

玄朗の声が入り口の向こう側から聞こえた。どういう耳の構造をしているのか、若干気になった静子だが、ここのところ疲れ気味の彼女はすぐさま考えるのを止めた。

「明日には尾張に帰還するから、随伴兵全員に帰還の準備を命じておいて。終わったら休息を取り、明日に備える事もね。これ以上、京の政治に巻き込まれるのもご勘弁ですしーーーー」

言っている途中に欠伸が漏れた静子だった。麻疹の時は肉体的疲労だったが、現在は精神的疲労の方だ。しかも、相手はこちらの都合などお構いなしにやってくる。
門を閉ざし、体調不良を理由に会わなくとも、相手側から来るプレッシャーで静子は疲労困憊だった。

「っと、ごめんね。ともかく、私はこれ以上、京には残りません。明日には尾張に向けて帰還します。その後の話は尾張に到着してからします。以上を伝令に伝えて下さい」

「はっ! 承知しました。殿もお疲れのご様子、露払いは我らにお任せ下され」

「お願いね」

静子の言葉に短く返事をした後、玄朗は今度は素早く、かつ足音を可能な限り抑えながら立ち去った。
自分でも気付かないほど苛つきと疲労が顔に出ている事を理解した静子は、多くの思案事のせいで鈍っている思考回路を無理に動かす。
頭が全然働かず、考えがまとまらなくて普段より時間を要したが、彼女はようやく一つの結論にたどり着いた。
下手の考え休むに似たり、状況が改善しない以上は自身ができる一番良い事はただ一つだ。
静子はカイザーとヴィットマンを自分の近くに引き寄せると、誰に告げるでもなく、独り言のように結論が口からすべり出た。

「寝る。明日になったら起こして」






考える事を投げ捨てた静子は、翌日各勢力よりの勧誘に一括で断りの返事を出し、相手の返事を待たず尾張へ帰還した。
尾張の自邸に到着すると、静子はすぐさま信長からの朱印状を彩から受け取る。内容を確認すると、彼女の予想通り長島一向一揆に関する事が書かれていた。
しかし強行軍をしてまで急を要する内容でもなく、岐阜に赴いた際に疲労困憊では役に立てないと考えた静子は、京に従軍した随員全員に交代で合計2日間の完全休養を命じた。

2日後の五月初旬。
しっかり休息をとった静子は気持ちを切り替えると、長島一向一揆の件で話し合うため軍の幹部たちを招集した。
招集した人間は慶次、才蔵、長可、足満、そして弓騎兵隊の隊長・仁助と四吉の六人だ。高虎はまだ入って日が浅く、(しょうは侍女の為に彩と同じく参加不可だ。

「今回の長島一向一揆への進軍なのだけど、朱印状には『好きにしろ』としか書かれてないのよね。だから今回、こっちは独自の判断で動く事になりました」

「好きにしろと言われると、何をすれば良いか混乱するな」

足満が不満を零すが、それほど気にしていないのか小さく笑みを浮かべていた。

「ちゃんと決めているから安心して。まず敵の状況から説明するね。長島一向一揆衆は長島城と十四の城砦で防衛力を高めている。長島城を攻めるのは難しいから、今回は無視するよ」

長島城を中心に大島城、中江城、小田御崎砦、大鳥居城、香取砦、屋長島城、松ノ木砦、篠橋城、一ノ江砦、鯏浦砦、蛯江砦、加路戸砦、押付砦、殿名砦の十四城砦を築き、長島一向一揆衆は織田軍に抵抗した。

史実の第一次長島侵攻は四日程度で終わった事から、静子は力押しで城砦を攻めてもいたずらに兵を損耗するだけで利がないと判断する。

「今回の主役は弓騎兵隊、指揮は足満おじさんに任せる。例の兵器は完成した事を計算に入れているけど、大丈夫かな?」

「なるほど、そういう事か。問題ない、例の兵器は運用試験も済んでいる。河川上で使用したが、一日放置したものでも使用出来た」

「ならば問題なし」

「おい、どういう事だ。俺にも分かるように説明してくれよ」

話の内容が全く読めない事に苛立った長可が、若干荒い口調で疑問を口にする。

「ごめんね。それじゃまず地図を見てくれるかな」

静子は近畿地方と中部地方を大雑把に書いた地図を机の上に広げる。全員がそれに視線を向けたのを確認すると、静子は小さな指揮棒を片手に説明する。

「まず今回行う作戦の主目的は雑賀衆潰しだよ。雑賀衆が本願寺に協力している事は、皆も知っているよね。ならお館様が長島を攻めれば、彼らは必ず桑名方面から海路を使って長島へ補給支援を行う。この補給隊を潰す事が、今回の目的よ」

「なるほど、補給隊を潰せば物資と人員の両方に損害を与えられる。しかし、海上で弓を扱うのは困難じゃないかな」

「そこは理解しているよ。それに普通の弓だと、敵防衛施設にかなり近づく事になる。それをしない為にも弓騎兵隊の腕前が必要なのよ」

下馬している状態では足場が不確かな場所での狙撃をこなし、一方馬上でも十分な狙撃訓練を積んでいる弓騎兵隊なら、船の上でもかなり距離を空けて補給隊を狙う事が出来る。
問題は船上での狙撃に関する練度が低いことだが、数日しか合戦がない事を考えれば目を瞑れる。

「それだけ遠いと敵の判別が難しいのでは?」

「何言ってるの。海上で動いている船は全て海の藻屑にするのよ」

何気なく呟いた長可の言葉に、静子は至って普通の表情で答える。返答内容に質問をした長可自身が驚いていたが、彼女はさして気にせず言葉を続ける。

「今回は織田家の覚悟を見せる必要もある。だからご丁寧に相手を確認してから、お行儀良く攻撃なんてしないわ。先手必勝、物資も人員も何もかも全て沈めなさい」

「降伏してきた場合は、どうするのだ」

答えが分かっていながらも、足満は静子へ質問する。彼の意図を理解したのか、静子は表情を変えず全員を見回しながら告げた。

「何も変わらない。物資も人員も全て海の底に沈めるのよ。良いこと、ここで弱みを見せれば、連中はどんどん織田家を侮る。それが将来多くの犠牲を生む。味方の損害を防ぐ為にも、今回は甘い事を言っている余裕はないの」

「いや、そこは理解している。雑賀衆が海の藻屑になろうが構わん。が、静子の話だと軍の殆どが動かないぞ? 俺たちは何をするんだ?」

長可の疑問は当然だ。静子の作戦では弓騎兵隊と足満しか働く場所がなく、それ以外の慶次、才蔵、長可など主力隊に関しては持ち場の話がない。
動員すれど作戦に従事しない状態は見聞が悪く、何かしら活動をしておかないと良くないと静子は考えた。

「ん~、やっぱり見聞が悪いよね。流石に一万の内、五十しか動かさないのは問題か。でもする事が……あ、そうだ。じゃああれをしよう」

長島周辺の地図を思い出しながら、静子は一万の兵に何か仕事を与えられないか考える。
少しして彼女はある戦術を思い出した。そしてそれならある程度の名目が立ち、更に味方の被害を抑える事が出来ると確信した。

「静子様、何か妙案がおありで?」

「単純に言うと付城戦術をするよ。付城は皆も知ってると思うけど、一応説明するね。と言っても敵の拠点の直ぐ側にこちらの拠点を作る事だけどね」

付城とは敵城を攻め込む為に用意する、簡易的な防衛拠点の事を指す。[※1]
造りが比較的簡素でも敵城を攻め落とす事ができ、かつ味方の損害を減らせる事から、敵城の近くに付城を築く事は古くから行われていた。

「それだと余り意味がないんじゃないかな」

付城は一つ程度と考える長可は、静子の付城戦術に首を傾げる。しかしそれは彼の誤りだ。
静子の付城戦術は自身の付城をネットワークで結び、敵城の連携を遮断し、孤立させることで外部との連絡を断つ事を目的としている。
膨大な労働力と土木建築技術、物資の輸送能力、敵の猛攻を防げる武器弾薬と兵力が必要となるが、それに見合う成果が得られる。
尾張側ならインフラ整備が進んでいるので、付城用の物資搬入や労働力を得る事はさして難しくない。

「それは付城を一つと考えるから、効果がないと思うのよ。良いこと、勝蔵君。例えばこの黒丸が敵の城だとする。この場合、私が作る付城は周囲を囲むように作らせるのよ」

真っ白な紙の中心に黒丸を書くと、静子は黒丸の周囲を覆う六芒星を描き、各頂点にそれぞれ丸を描く。

「この付城戦術の利点は、こちらの被害が格段に減る事よ」

付城の防衛性能を向上させれば、仮に敵が打って出てきても付城に籠り両隣の付城と連携すれば容易に防衛できる。負傷兵も後方に下げて付城内で治療すれば、死傷者数を格段に減らせる。

「敵も馬鹿じゃない。援軍を送って来るが、それはどうする気だ?」

「敵も後詰のために援軍を送ってくるでしょうが、その時は付城に篭って矢や鉄砲を撃てば問題ないよ。防御力がある付城に篭っていれば、やがて相手は攻略を諦めるでしょう。そうなったらこっちのものよ。降伏させるも、干殺ひごろしさせるも思いのままよ」

初期は敵城を攻略するための足がかり的な存在だった付城だが、信長が大規模化かつネットワーク化した事で、時間はかかるが相手の城を確実に落とす戦術になった。
信長もこの事にすぐ気付いたのではなく、苦肉の策で小谷城を付城を取り囲んで攻めた時、付城戦術の有効性に気付いた。
以降、彼は付城戦術を多用して堅牢な城を攻略していった。また、付城戦術は家臣たちにも採用させ、秀吉が鳥取城攻めをする時、彼は付城戦術を使った大規模な兵糧攻めを行った。

「お前の考える事は相変わらずえげつないな」

「しかし戦術としては申し分ない。援軍が来ないのだから、城内で降伏か徹底抗戦かで意見が割れるだろう。織田側に寝返る者が出れば、更に敵は負担を増やす事にもなる」

「資材とか資金とか沢山使うけど……織田の殿様は『好きにしろ』って書いてるしねぇ。命令なら仕方ないよなー」

「土木工事なら中間を雇えば問題ないしね。私としては尾張側にある一ノ江砦と鯏浦うぐいうら砦を攻めたい。本当は桑名方面を押さえれば良いのだけれど……今回は諦める」

「ふむ、状況によっては砦へ海上補給を行う可能性がある。そこを私が叩けば、相手は更に絶望の淵に落ちるであろう」

「海上封鎖には九鬼水軍に手伝って貰う。スクリュープロペラはまだだけど、竜骨を採用した軍船は建造しているからね。数はまだ二十か三十ぐらいだけど……十分な数と思う」

スクリュープロペラは様々な問題があり、未だ試験段階で実用化には至っていない。しかし一本の木材を竜骨とする竜骨船の建造は実用化されている。

古くから日本で建造される和船は、板材やかすがいなどを用いて造船する方法を採用している。
竜骨のある船より軽量というメリットはあるが、反面強度がないため衝突に弱いというデメリットがある。このため、和船は船体を使った戦術が西洋の船より少ない。

「では纏めましょう。まず軍を三つに分けます。足満おじさんを筆頭に九鬼水軍と弓騎兵隊による海上封鎖と輸送隊潰しを担う第一軍。鯏浦砦を狙う慶次、勝蔵隊の第二軍。そして一ノ江砦を狙う私と才蔵隊の第三軍ね。資金は必要分を出すから申請してね」

「ひゅー、太っ腹だな」

「出すのはお館様ですからね。好きしろと言われたのですから、好きにさせて頂きます。後、忘れない内に言っておきますが、相手は一向衆なので説得は無意味です。では他に何もなければ解散します」

特に異議は出なかった。目的がはっきりとし、かつ目的に向かって道筋もついている。
慶次、才蔵、長可たちは勿論、足満も異論はなかった。最後に静子は全員を一瞥すると、静かに立ち上がって全員に告げる。

「では各自、準備に取り掛かって下さい。解散!」






第一次長島侵攻は史実通り1571年(元亀二年)五月十二日、信長は五万の兵を率いて伊勢に出陣した。
全軍が固まって出陣ではなく、軍団は四つに分かれて攻め入った。
津島に着陣した信長本軍、中筋口から攻め入る佐久間信盛軍団、西河岸の太田口から攻める柴田勝家軍団、そして一ノ江砦方面から攻める静子隊だ。

最初は二軍に分かれて攻めようと考えた静子だが、一ノ江砦の抵抗が思った以上に激しい事から第二軍と第三軍で一ノ江砦に対し、全力で付城の建築に取り掛かった。
第二軍は尾張側から、第三軍は信興が守る小木江城側から付城の建築を行った。左右にわかれた理由は風向きに理由があった。

プレハブ工法を用いて僅か一日で付城が建つ。後に織田軍内で『一夜付城(いちやつけじろ)』と呼ばれる付城建築法が初めて実戦投入された。
外面を覆う石膏ボードは更に一日をかけて順次コンクリートブロックに置き換えられ堅固な外壁を持つ付城が完成した。
建築中、川の対面側にある付城を破壊すべく何度か一向衆が打って出るも、三方向からの攻撃で追い返す。
そして三日目、ようやく思い通りの風向きになったので、静子は秘密兵器その一を使う事を決断する。

「今回は短期決戦を旨とする。最低でも三〇発は撃ちこむから、準備が整ったものから順次発射せよ!」

静子の秘密兵器その一を抱えた足軽たちが、彼女の号令と共に素早く動く。

静子の秘密兵器その一は棒火矢だ。
棒火矢は焙烙火矢とも呼ばれ、黒色火薬を推進力とする原始的なロケット弾だ。火薬量の調節や追い風によって飛距離は変わるものの、射程が三キロに達したという記述が残されている。

ロケットの燃料は黒色火薬ではなく、硝酸カリウムと砂糖、コーンシロップを使った燃料だ。
赤酸化鉄(弁柄(べんがら))を混ぜると更に強力になるが、今回はそれらを用意する時間がなかったため見送った。
そして先端部分には特殊な薬品を詰めこんでいる。詳細は割愛するが砂糖と濃硫酸、そしてとある薬品を混ぜると雨の日でも着火する物質が精製出来る。
これをコルクもどきで蓋をし、着弾と共に入れ物が爆発して飛散させるようにすれば、あちこちで火の手が上がる。

兵士の一人が付城へ合図を送る。静子たちが棒火矢を一ノ江砦に撃ち込むタイミングを知らせる合図だ。
付城側からの返事を確認した静子は、指揮刀(指揮棒代わりの日本刀)を一ノ江砦へ向ける。
発射の合図だと理解した足軽は、一斉に棒火矢を一ノ江砦へ向けた。

「撃てぇ!」

静子の号令と共に周囲が煙に包まれる。棒火矢は大量の煙を吐くので、周囲の視界が一瞬奪われる。しかし風向きが一ノ江砦を向いているので、すぐさま煙は晴れた。
五発発射し、二発は外れたが三発は一ノ江砦の一部に刺さった。

「四番砲と二番砲のみ射角を変更! 他はすぐさま次弾発射せよ!」

「承知しました! 次弾装填ーーーーーーーーーー装填完了しました! 発射します!」

足軽の声と共に、棒火矢が次々に発射されていく。一ノ江砦の中であちこちに火の手が上がり、傍目から見ても消火が不可能な状況になった頃、砦から多くの一向衆が飛び出してきた。
一部は鯏浦砦側へ逃亡したが、大半は自暴自棄のように付城へ攻め寄った。しかし防御に徹している付城を攻略する事は困難で、一向衆は次々と命を落としていく。
その間に静子隊は堤防を切って輪中の中を水浸しするが、増水時ではないので効果はあまりなかった。

「……手早く片付け終えろ! 準備完了次第、小木江城へ戻る!」

「はっ!」

その後、僅かな時間で撤退準備を終えた静子隊は、小木江城へ帰還する。各付城で指示を出していた慶次、才蔵、長可、高虎が順次帰還する。
四人は小木江城へ到着後、各自休憩に入る。高虎は間近で人が生きたまま焼き殺される光景を思い出したのか、隅っこの方へ移動すると嘔吐した。

「軟弱な奴だ。あれでは少々厳しいと思うぞ」

「確かにアレは気持ちの良いものではないが、連中を見てると手心を加えるのは不可能だな」

「左様。静子様が徹底的に潰せと命じた理由、連中を見て理解しました。通常なら降伏を勧告出来ますが、連中には話が通じない。滅ぼすか、滅ぼされるかの二択だ」

「いや、私も結構きてるよ。周囲の目がなかったら吐いてたね。更に言うなら、あの酸鼻極める惨状を見て肉を平気で食べられる勝蔵君が、特別だと思いたい気分だね」

流石の静子も人が生きたまま焼かれる光景を見た後、干し肉を普通に口にできる図太い神経はなかった。少し嘔気が込み上げてきたが、それを何とか押さえ込む。
総大将の自分が軟弱な面を見せれば、それは兵たちの士気に直結するからだ。

「別に普通だろ」

「……君の普通って私の普通と違う気がする。はぁ……落ち着いた。あ、そうだ。一ノ江砦攻略に使った付城は他に引き継いで、明日から鯏浦砦を攻略するよ。一ノ江砦から逃げた人が今ごろ鯏浦砦で大騒ぎしていると思うから、明日からは少々厳しいだろうね」

静子の予想は半分当たっていた。一ノ江砦から鯏浦砦に逃げ込んだ逃亡兵は、織田軍の事で騒いでいたがそれは棒火矢の事ばかりだった。
しかしそれは仕方ない。派手な攻撃故に、棒火矢は印象に残りやすい。
対して付城戦術は傍から見ると、若干過剰に付城を設置しているだけに過ぎない。今回は付城で囲むと同時に、棒火矢で火の海作戦を決行した為、付城戦術の価値が理解されなかった。

「付城で砦を囲むとは、面白い戦術を考える。いつもあ奴には驚かされるが、今回もまたしてやられたな」

だが何事にも例外はある。麾下の将兵たちが棒火矢の話で盛り上がる中、信長は付城戦術の有効性を実感していた。
彼は棒火矢の弱点をすぐさま理解した。棒火矢は超長距離攻撃が出来る武器だが、それだけでは敵を窮地に追い込むことはできても砦は落とせない。
故に付城で砦を囲い込んだ後、棒火矢で一ノ江砦を焼き落としたと彼は考えた。棒火矢が主力ならば付城戦術は縁の下の力持ちだ。どちらがかけても戦術としては成り立たない。

更に棒火矢は輪中では使いやすいだけで、他では使いどころが難しいと信長は考えた。
一般の城砦は多くの兵が展開できない難所の山中などに構築されるからだ。安易に火攻めなどしようものなら山火事を引き起こし自軍の陣地ごと火に巻かれてしまう。

一方輪中は河川の中州に堤防を作り、生活環境自体を囲い込んでいる。苦労して防壁を越えて内部に攻め入ったとしても上流の堤防を切られるだけで水に押し流され撃退されてしまう。
このため遠距離から放火し一方的に攻め立てた方が損害は少ない。また輪中は堤防により周囲から隔絶されているため、延焼の心配がなく安心して火攻めができるという利点もある。
大軍を展開し難い輪中地帯なら、付城を構えて軍を小分けにする事は理に適っている。

「ふっ、周辺の村々を焼き落とした後、撤退しようと考えたが止めじゃ。他の軍団に伝令を出せ! 付城で一向衆の砦を囲い、一つずつ攻略せよと!」

史実では五月十六日に撤退した織田軍に、一向衆が逆襲をかけ氏家卜全と彼の家臣数名を討ち取ったが、信長が撤退時期を数週間伸ばした事で彼らが死ぬ事はなかった。
六月六日、一ノ江砦、鯏浦砦、加路戸砦を落とした信長は、付城に兵と在番する諸将を配置させ、残りの軍を全て撤退させた。

奇しくも信長が撤退する日は、史実では願証寺四世の証意が三十五歳の若さで急逝した日と同じだった。
その証意は六月六日以降も生きたが、史実通り被害状況を確認する為に多度の地を訪れた時、隠れていた織田兵に狙撃され命を落とした。






勝ち進んでいた織田軍が長島から撤退した理由は複雑だ。
まず、静子は僅か四日程度だという事を前提に、短期決戦用の装備で進軍した。
そして長島周辺は大軍を展開出来ない土地だという事を前提に二軍団に分け、静子と才蔵が一ノ江砦を攻略中に、慶次と長可の第二軍が別ルートを使って鯏浦砦を攻略する予定だった。
しかし一ノ江砦が強固な砦という事に気付き、戦力を分けたまま時間を取られれば堤防を切って輪中を水浸しにされ短期決戦の前提が崩壊する恐れがあった。

そこで静子は第二軍を止め、全軍で一ノ江砦を攻略する作戦に切り替えた。
この時点で静子は一ノ江砦攻略のために、全ての兵器と資材を使い切る考えに切り替えた。その為、大金を投じて中間に土木工事をさせ急ピッチで付城を築いた。
後は一ノ江砦を火の海にし、堤防の上にある家屋を全て焼き払い、農地に塩を撒いた後、堤防を修復不可能なまで破壊した。これで後は撤退命令を待つだけと静子は考えていた。

しかし信長が付城戦術の有効性に気付き、織田軍が次々と付城戦術で砦を攻め始めた。
無論、急に作戦変更されて佐久間信盛軍団と柴田勝家軍団が効率良く動けるはずもなく、また付城の準備をしていない事から、攻略は遅々として進まなかった。

信長としては損害を防ぐため、また長島一向一揆衆は単調な力技では攻められないという予感がしたための作戦変更だが、予想以上に大混乱をきたしてしまった。
己の失策に気付いた信長だが時既に遅く、軍の士気を戻すのは不可能だった。
結局一ノ江砦に使った資材を再利用し、それらを使って信長本軍と静子軍団とで鯏浦砦と加路戸砦を攻略した。
だが戦略の練り直しが必要と感じた信長は、勝ちに浮つきかけた全軍に撤退命令を出す。
多少、困惑したものの全軍命令に従い長島から撤退する。一方、長島一向一揆衆は突如撤退した織田軍を警戒し、罠を恐れて襲撃を取りやめた。
こうして第一次長島侵攻は終わりを告げた。

六月十日、長島から戻ってきた静子たちは士気が緩んでいた。敵からの襲撃で思うように作戦が遂行出来ない事なら割り切れもしたが、今回は味方に足を引っ張られる形となった。
流石に今回の戦は勝ちと思えなかった。長可ですら微妙な顔で今回の戦を振り返っていた。

「今回は負けね。ろくな結果じゃないわ」

食事をしながら静子はぼやく。敵からの攻撃ならいざ知らず、味方の行動で軍団が混乱に陥ったのは無様に過ぎた。

「しかし三つの砦を落とす事に成功しました。これは勝ちとは言えないでしょうか」

彼女のぼやきに対し、高虎が疑問を口にする。(しょうも同じ感想なのか、高虎の言葉に頷いていた。

「あれでは一向衆を押さえる事は出来ない。小木江城から一番遠い付城は、もって一ヶ月だな」

「砦を攻略しようとも、その土地の支配が維持出来なければ無意味だ。付城を利用される訳にはゆかぬ、守り切れぬとあらば破壊も止む無し」

才蔵と長可が二人の疑問に答える。彼らの言う通り、静子は未だ朝倉・浅井が健在である以上、現状の織田軍では長島周辺を支配する事は不可能と考えていた。
そこで静子は長島一向一揆衆が動き難くなるよう、堤防の破壊や意図的な塩害を仕込んだ。
一ノ江砦が川の手前に存在している事から、堤防を切れば砦のある土地は水浸しになる島だと分かる。

長島の堤防は排水を考慮して一部しか堤防を築いていない。
故に静子は堤防に工作すれば増水時に耐え切れず決壊して水害を受けると判断し、あちこちに破壊工作を行った。
もし工作が露見しても相手方が一から堤防を作り直した方が早いと判断するほどに工作を徹底した。

次に農地らしき場所や家屋があった場所に塩を撒いて塩害を引き起こした。塩害とは農作物やその他の植物が塩分によって害を受ける事を指す。
一般的には海沿いの地域で多く発生するが、塩をまけば内陸部でも人為的に塩害を起こせる。
塩害になると作物の代謝が阻害され、また栄養を吸収する根が塩分で破壊されてしまう。
真水をかけ流せば除塩できるが、塩が抜けきるまで畑が使い物にならなくなるので、嫌がらせとしてはそれなりに効果はある。

「ま、二ヶ月後には元通りでしょう。結局、大した成果がなく終わったから、織田軍の負けって思うのは仕方ないんじゃない?」

「それはそうですが……」

「いや、別に悲観してる訳じゃないよ。勝敗は兵家の常、って言うしね。今回は運がなかったって事で、反省点を洗い出して次に活かしましょう」

これで話は終わり、と話を打ち切った後、静子は食事を再開した。






夏の日差しを感じさせる日、長島侵攻から帰還した足満は暫く神社業務に専念していた。
直接的な影響はなかったものの、今回の織田軍の行動に彼は呆れ、暫く従軍を控える事を決めたからだ。尤も、静子がお願いすれば即甲冑を身にまとい、戦場へ足を運ぶが。

今回の彼の戦果は良いとは言い難かった。レーダーも何もない状態で、海上の何処かにいる輸送隊を探す事は至難の業だ。
双眼鏡やフィールドスコープがあろうとも、発見の是非は運任せだ。更に日が沈む前に港へ戻らなければならない事を考えると、捜索時間が四時間から五時間程度しかない。

最初の一週間は時間を浪費するだけ、そこから更に四日を無駄に浪費した。しかし海上封鎖作戦を行って十五日目、ようやく雑賀衆の輸送隊を発見した。
そこから先は一方的な襲撃となった。小早こはや関船せきぶねならまだしも、安宅船あたけぶねの船速は遅い。100メートル以上離れれば、一方的に攻撃する事が可能だ。

だが火矢程度では軍船を撃沈させる事は出来ない。そこで火矢の他に矢尻へ黒色火薬を詰めた炸薬矢を放った。着弾した地点を爆破し、船体に穴を開ける事が目的だ。
秘密兵器二号の炸薬矢は見事に安宅船を蜂の巣にする。補給隊の護衛は一切の抵抗が出来ず次々と海中に没した。
近寄れば矢で集中砲火を受ける事から、輸送隊は逃亡を図るが追いつかれ、海の藻屑と消えていった。当然ながら足満は降伏を許さず、白旗を上げている軍船も容赦なく沈没させた。
六割の船を撃沈し、更に輸送隊が積み荷を殆ど海へ投げ捨てて命からがら長島へ駆け込んだ事から、成果は上々と言っても良い。

ほぼ一方的な勝利を収めた足満と九鬼水軍だが、この日から織田軍が長島から撤退するまでの間、雑賀衆の輸送隊を発見する事はなかった。

「そうしていると、本当に小さな社の神官だな」

箒で掃除する足満に、近くで腰掛けている前久が声をかける。口元に笑みを浮かべて茶を飲む様は、彼を良く知らなければ五摂家筆頭の当主とは思えなかった。

「冷やかしなら帰れ」

「冷たいな。折角、友が訪ねてきたのだ。せめて愛想良く、歓迎出来ぬものかね?」

足満の硬い態度に肩をすくめる前久だが、彼は愛想笑い一つ浮かべず、ますます態度が硬化していった。その事に前久は軽いため息を吐くが、口で言うほど気にしている様子は窺えない。

「それで、話は何だ」

「そう急くな。私としては、もう少し友との会話に花を咲かせたい。その程度の我儘にも、付き合ってくれぬのか?」

「……好きにしろ」

「では、好きにさせて頂こう」

前久の態度に舌打ちした足満だが、それ以上は何も言わなかった。彼は箒を持ち直すと前久に背を向け、掃除に専念する。拒絶の意志が感じられる態度だが、前久は気にせず語る。

「これは私の独り言だ。内容は大した事はないから、聞き流して良いぞ」

そう告げると前久は足満にとって聞き捨てならない言葉を口にした。

「私は静子殿を養子(・・)として近衛家に迎え入れる」

瞬間、足満の手が止まる。彼は一瞬、空を見上げた後、箒を投げ捨てた。

「家臣に裏切られ、親に裏切られ、そして友にも裏切られるか。わしの生は裏切られる事の連続じゃな」

語りながら足満は前久の方を向くと、腰に下げている刀へ手をかける。その様を見て前久は小さく笑った。目の前に今にも抜刀せんとしている人物がいるというのに、彼は楽しそうに笑った。

「……何を笑っておる」

「いや、その態度で良く分かった。主が静子殿を大切に思っておる事がな。ほれ、物騒なものから手を離して、私の話を聞け」

暫く前久を凝視していた足満だが、やがて重い息を吐き出すと刀から手を離す。

「養子の件は貴様を試しただけだ。だが、静子殿を猶子にする話は本当だ」

「……」

「短気は損気だぞ、話を最後まで聞け。静子殿が織田殿の元で為した功績は、誰も真似など出来ない。だが彼女は女で一人身だ。彼女の権力を求めて、政略結婚を企む輩は無数に出るであろう」

再び刀へ手を伸ばしかけた足満だが、前久の言葉を聞いて手を止める。

政略結婚、それは足満が最も危惧していた話だ。
現代より家と家同士の繋がりが重視される戦国時代、双方の家の繋がりを強固にする為、政略結婚を行う事は当たり前のように行われていた。
しかし言うほど政略結婚は簡単ではない。双方の家は互いに気を使い、慎重に執り行っていた。
特に他国の家との婚姻は、両国それぞれの国人から承認を得る事が必須要件だった。
戦国時代最初の分国法と言われる『今川仮名目録いまがわかなもくろく』では、家臣たちに領国以外の私的な婚姻関係を禁じている。

「静子殿には『家』がない。ならば策を講じる愚か者は増えるであろう」

「ふん、その為に近衛家を使う、と言いたいのか」

足満の言葉に前久は小さく頷く。

政略結婚を執り行う事は家同士の繋がりを結ぶのと同義だ。しかし政略結婚をする際、家同士の繋がりには『家の格』というものが重要視されていた。
ゆえに国人の子息と百姓の娘が結婚するような事は稀、というよりほぼ不可能に近い。

「近衛家と釣り合う家柄が、この日ノ本に幾つあるというのかね? 更に彼女は織田家の重鎮、私と織田殿の両方を納得させねば、彼女と婚姻する事は不可能だぞ」

「逆を言えば貴様たち二人が納得すれば、彼女の気持ちなど無視するのだろ。その場合、わしは容赦なく貴様たち二人の前に立つ事を忘れるな」

「ははっ、それはないだろう。彼女の頭の中には、織田家が豊かになった理由が詰まっている。織田殿が、そう易々と手放すとは思えないな。するとすれば……婚姻ではなく養子を与えるとかだろう」

「下らぬ話だ」

前久との会話を打ち切ると、足満は投げ捨てた箒を拾う。既にゴミが落ちていない境内を掃除する様は、まるで余計な穢れを祓っているように見えた。

「昨年、彼女は私の子だと織田家家臣の前で話した件、聞かされていなかったのかね?」

「嫌でも聞こえたさ。そのせいか彼女の周りにサル・・がうろついた」

「ふふっ、それだけ周りは彼女に夢中なのさ」

「……笑えぬ冗談だ」

足満の言葉に、前久は満足げな笑みを浮かべて茶を飲み干す。

「一つ質問良いかな。足満殿は何故、静子殿に固執する。私から見ても、彼女は傑出した叡智を持つ人物だ。しかし、ただそれだけだ。君が執着する理由にはならんと思うがね」

「……」

「些細な疑問だが、私としては不思議に思ってね」

「かつて誰にも必要とされなかったわしを、あの子は必要としてくれた。ただ、それだけの話だ」

「うん? それはどういう……?」

足満の言葉の意味が分からなかった前久だが、彼がそれ以上語る事はなかった。足満は小さく笑みを浮かべると、続きの言葉を心の中で呟く。

(ここに戻ってきた時、結局わしは足利将軍家としてのわししか必要とされなかった。わしは足満という男を必要としているあの子が失われる事を恐れている。だからこそ、あの子に危害を加える者は誰であろうと容赦せぬ。それが例え自分の血を分けた弟であろうとな)

ほうきの手を止めると、足満は空を見上げる。足満たちの上空には、雲一つない晴れ渡った青空が広がっていた。
【参考文献】

[※1 付城戦術]
 書籍名:歴史群像デジタルアーカイブス <織田信長と戦国時代>信長を勝利に導いた付城と機動戦術とは?
 出版日:2014年6月
 版:Version1.0(Kindle版)
 著者:橋場日月
 会社:学研パブリッシング
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