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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀二年 比叡山延暦寺

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千五百七十一年 四月上旬

静子は手で周囲の人間に停止の命令を出しつつ馬首を返した。彼女が玄朗の方へ馬の向きを変えたのを見て、慶次や兵たちも静子に倣う。

「どうしたの? そんなに慌てて」

「先ほど伝令が参りまして、お館様が明日、館へ来るようにとのことです」

汗を流しながら玄朗が静子に伝令の内容を伝える。この時期に信長が呼び出すのは珍しいと静子は思った。
また何か良からぬことを考えているのか、それともいつものように気まぐれなのか、判断しづらいところではあるが、彼女に行く以外の選択肢はない。

「分かりました。明朝に出立できるよう準備をしていてください」

「はっ!」

元気よく返事を返すと、来たとき同様玄朗は走ってその場を去っていった。静子も護衛の兵や慶次、才蔵、長可、蕭に対して明日に備えるよう命令を出す。
信長の居館へ向かうこと自体は、よくあることなので各自つつがなく準備を整える。今回は見学がてら蕭や高虎も同行させ、静子は信長の居館に向かった。
足満だけいないが、静子とは違うルートで信長からの呼び出しがかかったようだ。つまり足満だけ信長は別枠の人物と捉えている、と静子は理解した。

(前から不思議だったけど、足満おじさんは何をしたのだろう? 最近、やたらと危険な毒草を入手しているけど、その辺が関係しているのかな)

足満は隠しているつもりの毒草収集であったが、静子は動向を把握していた。
海外からの入手ルートを構築したのは静子自身なので、織田家の伝手を使って海外より取り寄せれば必然的に彼女の知るところとなる。
しかし、静子は知らないふりをしていた。足満が隠すということは、それを知らない方が良いという意味だ。下手に全てを把握しようとする必要はない、余計なことに首を突っ込んで彼の邪魔をするべきではない。
ゆえに静子は状況を知りつつも、足満を信用し一切の詮索をせず、何も知らないふりをすることに決めた。

「お館様、静子様がご到着なさいました」

「通せ」

信長の命令と共に小姓が静かに襖を開ける。一礼をしてから部屋に入ると、静子の目に信長と森可成、竹中半兵衛、滝川、明智、足満とそうそうたる面子が目に入る。
情報収集担当の滝川がいることに、静子は若干首をかしげながらも、空いている場所に腰を下ろす。

「全員集まったな。では、早速話を始めよう」

信長の言葉に全員が表情を引き締める。彼がわざわざ招集をかけた面子だ、重大な話し合いになるのは簡単に予想できた。

「わしらの現状を、今更説明する必要はなかろう。周辺国は敵だらけ、裏切り者は続出、と散々な状態じゃ。これを打破するには一つずつ敵を潰していく他ない」

義理堅い上杉以外、基本的に織田家に敵対していると考えて良い。武田も明確な敵意表明をしていないが、織田家の味方でないことは確実だ。
朝倉家、浅井家、武田家、延暦寺、本願寺、雑賀衆、長島と四方八方敵だらけだ。武田と違い、積極的に敵対する様子を見せない上杉家も油断ならない状態だ。
むしろ上杉家のような態度が、下手に敵対している者よりたちが悪かった。味方のふりをする敵は対応を間違えれば大義名分を掲げられず、また内部から相手に同情的な意見が出やすい。

「明智、貴様は変わらず京を押さえておけ。公方がまたぞろ良からぬ事を企むだろうが、適当にあしらっておけ」

「はっ!」

信長の言葉に光秀が返事を返す。誰がどこを担当するか、を伝える場と理解した静子は、自分の担当がどこになるか少々気になった。
この場に呼ばれるということは、すでにある程度個人の裁量が認められるということと同じだ。場所によっては良い働きができ、それで発言権を強めることが可能となる。

(権力は余り欲しくないけど、ある程度の発言力を獲得するためには権力も必要になるよね。何かしら手柄を立てて、土地のインフラ整備に力を注ぐよう仕向けないと、このままじゃ尾張・美濃だけが繁栄するに留まってしまうし)

土地の支配権を仮にでも与えられた場合、静子がまず行うのはインフラ整備だ。人とものを動かして経済活動を活発にするには、まずインフラ整備が万全でなくてはならない。
インフラ整備が終われば治安維持になるが、そのころには別の人間が土地を支配していると静子は考えていた。
静子を長期間、特定の土地に縛り付けることを信長はしないからだ。信長にとって静子は土地の生産力を上げる存在であり、土地の生産力が安定期に入れば手元に戻しても問題ない。

「静子、貴様はサルや竹中と共に浅井・朝倉を押さえろ。ただし、足満はわしと共に行動しろ」

「はっ!(あーやっぱり足満おじさんは別担当か。多分、比叡山の方かな?)」

返事をしつつ、静子は足満が別枠で呼ばれた理由を理解する。しかし、わざわざ足満だけを分ける理由は分からなかった。
自分と同じで宗教に対する考えが違うからか、とも思ったがそれだけではない気がした。信長がその程度で人を手元に置こうと考えるほど、浅い人間ではないからだ。

「後、貴様に話がある。残っておくように」

その後も各自担当が告げられる。だが分担作業に入るのは長島を攻めてから、とのことだ。
喉元の長島を放置しておくことは危険、ゆえにしばらく軍事活動ができない程度に叩いておくのが理由だ。長島相手なら、いろいろと『兵器』を作っておく必要がある、と静子は考えた。

(長島で兵の損害は抑えたいところ。ライフリング火縄銃はまだだし、あんなところで爆薬を使ったら後々の支配が困難になる。うーん、やっぱり遠距離系の兵器かな)

話し合いで片付けば一番楽だが、相手はこちらの話を聞く気は全くない。ならば取る方法は一つ、相手を話し合いの席につかせるために、いくさで勝利する。
ただし、長島を完膚なきにまで滅ぼすことで、ほかの一向一揆を押さえ込める可能性もある。事実、信長が長島一向一揆に対して苛烈な対応をしたことで、ほかの一向一揆がなりを潜めた。
静子もそれに倣って長島一向一揆に対し、手加減無用の作戦を行う気でいた。それがほかの一向一揆を押さえ込み、双方に余計な被害を出さない結果になる。
如何なる作戦を行うか考えたが、これといった良い案が浮かばなかった。会議が終わり、信長の話を聞き終えた静子は軍を連れて帰路につく。

信長の話は至極単純な内容で、静子の家を新調し、武家屋敷にすることだった。身分と家の規模があっていないことを、信長は前から気にしていた。
静子は規模の大きい家を必要としないが、次の世代を育てるために静子が身分にあった家を持つことは、信長にとって必要な条件だった。
合わせて静子が住む周辺も、様々な拡張を行うことがすでに決定されていた。何もかもが決定事項で、静子が意見を介入させる余地は一つも無かった。
これは静子に任せると田畑のために土地を多く取るからだ。ビニールハウスの関係である程度の意見は出せたが、採用されるか否かは半々だ。

(頭痛い……あれだけの規模になれば、2人だけじゃ足りない。最初から人を増やすこと前提で計画を立てたな)

武家屋敷になれば、彩と蕭だけで家を管理することは不可能だ。最低でも10人の使用人が必要になる。家へ入るのも今とは比較にならないぐらい手間がかかる。
代わりにヴィットマンたちの寝所、アカガネ、シロガネ、クロガネの小屋、象亀が冬に過ごす小屋、シェパードたちの寝所が、以前とは比較にならないほど大きくなる。
それだけではない。信長の計画が完了すれば、ある意味では隔離施設に等しい場所になる。例えるなら織田領内の鎖国地域、江戸時代に存在した出島のようなものだ。

「……廃湯の捨て先を堀にして、若干温かい湯で囲うかな。それなら、温暖な気候の動物も飼えそう。早速、フロイス殿に文を送るか」

静子にとっては信長の行動は過剰に見えるが、信長にとって静子は金の卵を産む鶏だ。
周囲に間者が増えたと報告を受け、それに対して静子が何もしなければ、対策に乗り出すのは至極当たり前だ。

そんな信長の思惑がなかなか理解できない静子だが、命令である上に明確に拒否する理由もないので、余り深く考えず信長の話を受け入れた。
尾張に到着すると静子は軍を解散し、それぞれが帰宅していくのを見送った後、餌を片手に自分用の池へやってくる。
静子専用の池には紅白か紅一色のコイとカラフルな金魚が入荷されていたが、ちょうど忙しい時期に入荷されたので彼女がコイと金魚に気付くのが少し遅れた。
幸いにも金魚とコイは雑食なので基本的に何でも食べる。下手をすれば死んだ仲間でも食べる。
コイの餌やりは一日に数回だが金魚は一日一回で問題ない。

「ほ~れ、餌だぞ」

餌を池に投げ入れた瞬間、コイや金魚が恐ろしい勢いで餌に食らいつく。5分から15分程度で食べきれる量を入れた後、静子はコイや金魚の様子を確認する。
病気や怪我はなく元気に泳ぐ姿を見て、自然と笑みが浮かんだ。しかし、楽しいことばかりではない。コイや金魚の池には、稀に危険な生物が近づくこともある。

「こら丸太。この魚はお前の餌じゃないの」

池をのぞき込むマヌルネコの丸太を、静子はあきれ顔で抱え上げる。アカガネやクロガネは新しい水浴び場を用意すると、コイや金魚など見向きもしなくなったが丸太だけは別だった。

「フニャアアアアアア!! フーッ! フーッ!」

いきなり抱え上げられ丸太が威嚇の声を上げるが、手足をじたばたさせるだけで迫力は皆無だった。そのうち疲れたのか、だらりと手足を投げ出してされるがままになった。
静子は丸太を小脇に抱えると家を目指す。家に到着する手前で、タマとカイザーがじゃれ合っているのが目に入った。
その付近で妙に大きい猫、もとい幻の動物と言われたユキヒョウ2匹があくびをしていた。美しい白と黒の斑点模様は幻想的だが、今は土で汚れてて色々と台無しだった。

「ゆっきー、しろちょこ、こんなところで寝ていると汚れるよ」

ユキヒョウと判明してからオスの名前がゆっきー、メスの名前がしろちょこと名付けられた。2匹に声をかけるが、寝る方が優先なのか尻尾をふるだけで2匹とも動こうとしなかった。
一方、カイザーとタマは静子の姿を確認すると、じゃれ合いをやめて静子の元に駆け寄る。

「フギャア!」

まずカイザーが静子の元にたどり着き、続いて到着したタマが最初にカイザーの背へのぼり、次に小脇に抱えられている丸太の背を台にして静子の肩に飛び乗った。
うたた寝しているところに背中へ衝撃を受けたのだから、丸太は驚いて周囲を確認していた。しかし、丸太の背中を飛び台にしたタマは静子の肩でゴロゴロ甘えていた。
カイザーも丸太の驚きに興味を示さず静子に甘えていた。結局、周囲を見回しても原因が分からないことを理解したのか、丸太は手足を投げ出して再度寝はじめた。

「よーしよし、寒いから家の中に入ろうね」

甘えてくる2匹の顎をなでると、静子は肩にタマを乗せ、左側に丸太を抱え、右側にカイザーが並び、少し後ろにいつの間にか起き上がったゆっきーとしろちょこを連れて玄関を開ける。
彩や蕭は別の用事を片付けているのか、2人からの出迎えはなかった。少々寂しく思いながらも、静子は家に上がると一直線に自分の部屋へ向かう。
襖を開けるとまず目に入ったのは、その辺りで雑魚寝しているヴィットマンファミリーだった。

「……私の部屋は寝床じゃないぞ。いや、確かに快適な環境を作ってはいるけどさ。まぁ仕方ないか」

丸太やタマを床に下ろすと、静子はビーチチェアに寝転がる。本来は浜辺やプールサイドに置かれるビーチチェアだが、せっかく広い部屋にいるのだからと室内用に改造した。
ただ室内用ビーチチェアは木曽檜きそひのき黒柿くろがきでできているため、無駄に高級品であった。クッションも絹と木綿と麻をふんだんに活用しているため、寝心地は最高だ。
ほかにも室内用のハンモックなど、快適に寝転ぶことに関しては充実している部屋だった。

「……タマとハナは猫ちぐらを使うのに、お前は何で私の腹の上に乗るかな」

自分の腹の上に乗っている丸太をつつきながら、静子はそんなことをぼやく。丸太は彼女の呟きを無視して、そこが自分の居場所と言わんばかりの顔で丸くなっていた。
丸太に気付いたヴィットマンたちが、邪魔と言わんばかりに丸太をつつくが、当の本人は一切反応を示さず寝ていた。

「良いか」

それだけを呟くと、静子は傍にいたアーデルハイトの頭をなでた。すぐに自分も、といった態度でヴィットマンたちが集まるのはご愛敬だった。






四月に入ると静子は軍を率いて京へ向かう。進軍目的ではなく定期的な巡回が目的だ。
信長にとって京が落ちることは死活問題だ。定期的に尾張・美濃から京、京から尾張・美濃を巡回させ、異常が無いか目を光らせる必要があった。
静子を筆頭に慶次、才蔵、長可の3武将と兵500の軍を構成する。高虎は時期尚早、彩と蕭は留守番、ヴィットマンたちは軍事行動でもなく単なる見回りのため留守番となった。
足満は素性の関係で京へ行けないが、静子が彼の裏事情を知るはずもなく、緊急時の対応メンバーとして尾張に残した。

京の巡回は地味だが重要な仕事であるため、通常の軍事行動と変わらぬ装備で行う。
永楽銭紋旗を使用し、末端の兵まで武具を装備させる。はた目には軍事行動をしていると言われても、違和感を覚えない集団だった。
しかし、その中で異彩を放つ存在がいた。言うまでもなく静子と慶次、才蔵、長可だ。正確には彼らではなく、彼らが手に持っている武器にある。

静子が持つ武器は鮮やかな装飾が施され、蒼い刃と柄の先端に紅い布が巻き付けられていることが特徴のクーゼと呼ばれる儀礼用グレイヴだ。
慶次はハルバード、長可はバルディッシュだ。しかし、ハルバードとバルディッシュは日本刀や槍の製造技術が応用されている。
慶次は最初、色々な武器を扱っていたが最終的にハルバードの派手さに惚れ込んだ。独自の改造を施し、多芸なハルバードがさらに多芸となり、文字どおり慶次専用の武器となった。
長可のバルディッシュは肉厚で重量感がある。文字どおり『兜ごと叩き潰す』を目的とした武器だ。
凶悪なフォルムから独特の威圧感があるバルディッシュは、見る者を恐怖に陥れる。

才蔵だけ普通の大身槍だが、槍身の材料がダマスカス鋼という特殊な鋼で作られていた。
19世紀に途絶えたダマスカス鋼の製造技術だが、戦国時代には数多く残っている。すでに多くのインゴットを入手した静子は、ダマスカス鋼で槍を作ることを刀工に依頼した。
初めて見るダマスカス鋼に刀工たちは恐れおののいた。だが、ダマスカス鋼で作られたナイフを見て惚れ込み、何度か失敗したのち静子の望む槍身が完成した。
木目状の模様がある大身槍を見た才蔵は、一目見た瞬間惚れ込んだ。
気付いたら彼は大身槍を手に取り、普段からは想像もできないほど、ある意味では強引なまでの願いで大身槍を欲した。
常に沈着冷静な才蔵がみせた猛り狂う情熱を前に、静子は異論などあるはずもなく彼へ大身槍を譲った。

三者三様、惚れ込む武器を手に入れればやることは一つだ。新しい武器だが手になじむ武器を抱えて、彼らは一向衆が起こす小競り合いへ、時には陣借りまでして合戦場で暴れた。
それゆえ、バルディッシュで人間を両断した長可は「鬼斬武者」、合戦場でも傾く慶次は「織田家随一の傾奇者」、持ち運べない首級に笹をくわえさせた才蔵は「笹の才蔵」の渾名を得た。
ただし、武器を試すことに集中しすぎたため、たびたび報酬を受け取り忘れて懐が寂しくなり、最終的に静子からお金を借りた3人だった。

京へ到着後、静子は軍にあてがわれている屋敷に入る。武装解除後、計画どおり金子を200名に渡して休息、100名に屋敷の警護、残り200名には待機を命じた。
わずかだが金子を使わせることや、現地でものを買わせることで京の経済活性化が目的だ。無論、信長が決めた法を破ること、賭博や女を買うこと、賄賂に使うことは禁じられている。
禁制を破る者には厳しい処罰が下される。内容が悪質であれば晒し首になる場合もある。
上洛時も信長は女子の顔をのぞいた罪、一銭を盗んだ罪で雑兵2人を斬り捨てている。世に言う「信長の一銭切り」は、織田軍には厳格な規律があることの宣伝として使われた。
厳格な規律は今もなお続いており、女子に乱暴狼藉を働いた者、飯屋で料金を踏み倒した者、禁制を破った者は立場問わず晒し首となった。

「しかし、私は仕事があるので身動きがとれません。上が仕事していると、下が気楽に遊べないと思うので、2人はいつものように遊んでください」

「承知した」

静子の言葉に慶次と長可が元気良く返答する。軍の規律が高くても、それだけでは息が詰まる。
緊張をほぐす意味でも、兵たちには思う存分遊んでもらう必要があった。しかし、静子が仕事をしていれば、兵たちは気になって満足に遊べない。
そこで静子は慶次や長可を派手に遊ばせ、彼らの罪悪感を打ち消した。なお、才蔵が参加しないのは彼自身の性格によるところが大きい。
早速と言わんばかりに金子を受け取った2人は外へ飛び出していった。

「緊張感が感じられませぬな」

2人の身の変わりように才蔵は呆れつつぼやく。

「仕方ないよ。誰だって窮屈な毎日を過ごしたくないしね」

「某は静子様の馬廻衆を任され、今日まで窮屈と感じたことはございませぬ。そして、それはこれからも変わることはありませぬ」

「ふふっ、ありがとね。京では頼りにしているよ」

「はっ!」

才蔵の返事に満足すると静子は机に向き直った。






越後の春日山城にいる謙信は、ここのところ織田領、特に静子の情報収集に熱心だった。
自分のところもそうだが織田家家臣もくせ者ぞろいだ。その中で重鎮に上り詰めるには、近衛家の者という理由だけでは無理がある。
何かしらの能力があり、それが周囲も納得する才能だと謙信は確信していた。そして彼の考えは正鵠を射ていた。

「ふむ……病院に紡績工場とな? いくつか理解が追いつかぬものがあるな」

軒猿からの調査報告を景綱から聞いた謙信は、不思議そうな表情をする。

「軒猿自身も困惑しておりました。しかし、近衛静子が現れてから、織田家の懐は格段に潤っております。また、民には飢えに苦しむことなく、乱世を感じさせない穏やかな生活が出来るよう配慮されております。なにゆえ、その様な真似をするか、まことに奇怪」

奇っ怪と言いたげな表情で景綱が答える。彼自身も、軒猿の報告に対して半信半疑だった。しかし、軒猿の報告が正しくなければ、織田家が裕福な理由の説明がつかなかった。

「説明はつく。要は建物と同じだ。民という土台がしっかりしていれば、多少のことも耐え抜ける。今の乱世は武家も公家も仏家(僧のいる寺)も、みな民からすべてを奪う。いくさとなれば何もかも略奪し、揚げ句の果てに人売りをする。それはわしとて変わらぬ……どこも同じことをしておる」

「しかし、そうしなければ国には飢えた民であふれてしまいます」

「そうじゃ。そこにこそ、彼女の強さがある」

謙信の言いたいことが理解できず、景綱は困惑した表情を浮かべる。

「どの国も飢えが多い。それはわが国とて変わらぬ。しかし、そこに飢えをものともせず、民に食い扶持を、着る服を、安心して住める家を与える者が現れた。ならば抑圧された民は、その者のために死を恐れぬ兵となる。その差は宇佐山城と野田・福島で如実に出た」

「確かに、そうですな。本願寺と織田軍のいくさは、織田軍が防戦一方でした。しかし、宇佐山城は甚大な被害を出しながらも、最後まで守り通した。雑兵には逃げる機会が幾らでもあったにもかかわらず」

景綱の言葉に謙信は頷く。合戦の殆どは食い扶持確保の略奪戦だ。もしくは、食い扶持を減らすための合戦だ。己が領国のためだけに戦い、誰も他国のことなど考えてもいない。
否、誰も己の領国で手一杯、他国のことを考慮する余裕がないのだ。

「静子殿は分かっていた。宇佐山城を抜けられれば、織田家が滅びることを。それは公方様と織田家の元で落ち着きを取り戻している治世が、再び乱世に逆戻りすることを意味する」

「乱世に戻れば、また民は略奪される。その意識が静子殿と彼女に従う民にあったからこそ、多大なる犠牲を出してまで、朝倉・浅井連合軍から宇佐山城を守り通した」

宇佐山城の戦いで織田軍の損害は、まさに異常の一言だった。第四次川中島の合戦を越える死者を出した宇佐山城の戦いを知った周辺国は、織田軍の凄まじさに震え上がった。
それだけの死者を出したことではない。それだけの死者が出るほど、織田軍は最後まで戦い抜いたことに、だ。

「やはり、静子殿の方に義がある。本願寺側の要請は無視しろ。旧態依然に民を搾取してきた者たちと、新しき世を作る者たち、果たしてどちらがより天に愛されているか見てみたい」

「はっ! しかし、織田がわが国を狙ってきたときは、如何いたしますか」

景綱の懸念はもっともだ。今は織田と上杉は同盟関係だが、いずれ織田は上杉の領国へ攻めてくる。そのとき、謙信はいかような対応をするかが気がかりだった。

「何も変わらぬ。いくさにて遺恨なき決着をつけよう。わしが負ければ、新しき世が天に愛されている証拠。逆にわしが勝てば、天はわしに何かをさせようとしておる。それだけのことじゃ」

「……御実城様おみじょうさま)

「そのためにも静子軍をつぶさに調べ上げよ。我が軍と織田軍が合戦をするとき、必ずあの者たちが肝になる。わしの予感がそう告げておるのじゃ」

「承知しました。軒猿たちに詳しく調べ上げるよう命じておきます」

謙信は景綱の言葉に頷いた後、静かに目を閉じる。

(もし、わしが織田といくさをするときに彼女が変わらぬままなら、おそらく天は彼女を愛すだろう。だが、それで良い。民が優しく生きられる世ができるのなら、わしは礎となる覚悟はできておる)






静子は頭を抱えて唸る。毎度のことながら信長の思いつきのような、騙し討ちのような話の持って行きように頭痛がした。

「試し合戦に参加せよとか……事前に話をしてほしいなぁ」

しかし、仮に京へ発つ前に教えられていたとしても、果たして参加を承諾したかは自分でも怪しかった。合戦など致し方ない場面では静子も手を出すが、それ以外はなるべく目立つ行為は控えたかった。

「でも……織田家の威信をかけるから、やるしかないのかなぁ」

気は乗らないが、この時期に試し合戦をする理由は理解した。信長としては織田軍はいまだ健在だという姿を周囲に知らしめたいのだ。
昨年、あれだけ大敗続きだった織田軍は、周辺国から若干舐められた態度を取られるようになった。ゆえに、織田軍の強さを周囲に見せつけようと信長は考えた。

静子の返答などあってなきが如く、話はとんとん拍子で進む。織田軍からは明智軍、柴田軍、そして静子軍が出ることとなった。
畿内からも、信長が上位者へ出す賞金目当てでいくつもの軍が参加する。そして静子が京に到着してから四日後、将軍・足利義昭や朝廷の使者が見守る中、信長主催の試し合戦が始まった。

「あーうん、皆も知っての通り試し合戦だから、普段の合戦と少し毛色が違うよ」

誰が見ても気力や迫力が皆無の静子が、のんびりした声で兵たちに話しかける。兵の人数は規則で100名と決まっている。
静子は弓騎兵隊から5名、残り歩兵95名とした。内、静子隊から35名、慶次、才蔵、長可からそれぞれ20名の精鋭兵で構成されている。
兵100と、5名の武将、計105名の軍で試し合戦は行われる。静子は武将の数が3人しかいなかったが、5名を超えなければ問題ない規則のため、何も問題はなかった。

「静っちー。少しは気迫を入れてくれ~」

慶次が茶化すと周囲がどっと笑う。静子は顔全部を覆う総面を付けているため外見は物々しいが、声がのんびりしているので軍全体の空気はゆるやかだった。

「はっはっはっ、それはむちゃな注文って奴だよ。でもまぁ真面目な話をしようか。初戦の相手は摂津半国守護・和田殿。幕臣だけに油断は禁物よ」

「俺は気合十分だぜ。先陣は俺に任せてくれ!」

気合十分の長可が叫ぶ。しかし、彼が叫ばなくとも長可が先頭に立つのは間違いないと思っていた。だからこそ、静子の次の言葉に誰もが驚かされた。

「あ、勝蔵君は盾もって防御担当ね」

「うぉい! ちょっと待て!」

「話は最後まで聞きなさい。いいこと、今回は織田軍の威信を見せつけるの。勝蔵君が先頭に立って、そのまま相手を倒しても意味はない。こういうときは、予想外の人物が予想外のところに配置されているからこそ、織田軍の強さを見せつけられるのよ」

抗議の声を上げた長可だが、静子の説明に言葉を引っ込める。静子の言葉は正しく、仮に長可が幕府軍を蹴散らしても、剛勇無双の若武者である彼なら当たり前だと周囲は思う。
しかし、長可が防御を担当し、別の人物が血路を切り開けば、周囲は驚き織田軍の層の厚さに恐れおののく。

「そんなわけで、突撃は才蔵さんにお願いします。慶次さんは遊撃隊、突撃の合図は私が出すけど、それ以降は合戦場の状況を見て独自に動いてください」

「はっ! 承知しました」

「ひゅー、好き勝手しろとは静っちは大胆だねぇ」

「おぉ……俺も突撃したかった」

落ち着いた態度の才蔵と、楽しげな笑みを浮かべる慶次、若干気落ちをしている長可と三者三様の態度だった。

「第一印象が重要だからね。大丈夫、相手しだいだけど次の突撃は勝蔵君かもよ」

「ほんとか! いいか、約束だぞ! 次は俺が突撃するからな!!」

「いや、だから相手しだいって……まぁ良いか。次の軍はけが人が多く出るかもしれないから、事前に伝えておこうかしら」

現金なもので次に突撃隊になれると分かった長可は、もろ手を挙げて喜んでいた。次の試し合戦では死人が出るかも、と思った静子は乾いた笑いしか浮かばなかった。

「静子様、本当に某が突撃隊で宜しいのでしょうか」

困惑気味の才蔵が静子に声をかける。困惑と言うより何か迷っている風にも見えた。何が彼を迷わせているか理解した静子は、人の良い笑みを浮かべてから言葉を口にする。

「迷う必要はありません。私はあなたのすべてを受け止めます。だから、胸の内にくすぶっているものを解放してあげなさい」

それだけ言うと静子は決められた位置に馬を歩かせる。一瞬、驚いた顔をした才蔵だが次の瞬間、普段浮かべることがない不敵な笑みを浮かべると静子に向かって頭を下げた。
再び顔を上げたとき、才蔵の表情は落ち着いた者の表情ではなく、まさに荒くれ者といった表情を浮かべていた。

「合戦始めぇ!」

和田軍と静子軍が所定の位置についた後、少しして合図役の兵が開始の合図を叫んだ。
開始の合図が聞こえた瞬間、才蔵と20名の兵は突撃を開始した。防戦に於いて優れた実績を持つ才蔵が、槍を持って突撃する様に周囲は驚きどよめいた。
しかし、間もなくその驚きは驚愕に変貌する。

「邪魔だぁ!!」

槍部隊とかち合う寸前、才蔵たちは下馬すると槍部隊に突撃した。槍部隊の持つ棒は長槍(約5メートル)、対して才蔵部隊が持つ槍は手槍(約2・7メートル)と半分しかない。
周囲は才蔵が槍の餌食になると思った。しかし、彼らの予想に反し、才蔵部隊は槍部隊の槍を躱し、懐に潜り込むと手槍を相手の腹に力いっぱい叩きつける。

何人もの兵がなぎ倒された。中には1メートル以上も吹っ飛ばされた人間もいた。
才蔵と彼の兵たちの突撃で、和田軍の兵はボロぞうきんの如く薙ぎ倒され、あっという間に10名以上の兵士が戦闘不能となった。

()が鬼をも喰らう羅刹と恐れられた可児才蔵よ! 身を惜しまぬのなら()の道を阻んで見せよ!」

合戦場のど真ん中で才蔵が吠えた。その声は遠くから観戦していた義昭や朝廷の使者、信長や畿内の国人の耳にも届くほどの大音声だった。
一瞬で和田軍は恐怖にのまれ、武器を手落とす者、その場に立ち尽くして失禁する者もいた。
彼らを叩き潰し槍部隊を壊滅させると、才蔵は勢いそのまま和田軍の本隊へ突撃を仕掛ける。

「どうした! 畿内の将とはこの程度か!!」

静子の元に来てからの才蔵は、思慮深く、常に落ち着いた雰囲気の人物だ。しかし、元は美濃随一の剛勇無双の若武者であり、荒くれ者で粗野な武将だった。
最初は周囲にたしなめられて嫌々大人しくしていた彼だが、いつの間にか今のスタイルが定着してしまった。
本人も過去を振り返るとき、「なぜ、某はあれほど暴れん坊だったのだろう」と疑問を口にするほどだ。そのため、才蔵は周囲から沈着冷静な武将と思われるようになった。
しかし、胸の内に眠る獣は常に外へ出る機会を窺っていた。だが獣を表に出して静子の不興を買ったら、と思うと才蔵は一歩前に出られず及び腰になっていた。
それが今回、静子より『委細問題なし』と告げられた。何も恐れる心配がなくなった才蔵は、内に眠っている獣を外へ解放した。

獣の咆哮を上げながら兵を薙ぎ倒す才蔵の姿を見て、和田軍の心は完全に折れていた。

「そろそろ……かな。慶次隊、突撃。途中、私が悪戯をするけど気にしないでね」

「はっはー、それは楽しみだ。じゃあ行ってくるぜ!」

言うやいなや慶次隊は馬を走らせる。静子の予想どおり、側面から攻撃するため、慶次隊は端を縫うように移動していた。

「まぁ必要ないと思うけど、一応お仕事しないとね」

軽く肩を回した後、静子は鏑矢(かぶらや)をつがえる。

「……3、2,1、発射」

甲高い音を鳴らしながら、鏑矢は慶次隊とは反対方向へ飛んでいく。
和田軍は突如聞こえた異音に、無意識の内に反応してしまう。時間にしてわずかだが、それが勝敗を分ける分水嶺となった。

「うわっ! 側面から敵が!? ぎゃあ!」

正面からの才蔵隊、そして側面からの慶次隊の攻撃を受け、和田軍の本隊は壊滅した。残った者たちがやけっぱちで静子隊へ向かってきたが、長可の前に全員為す術もなく倒れた。

「大将旗、とったりぃ!!」

試し合戦は生死のやりとりをする合戦ではない。ゆえに、兵には命代わりの布印を、総大将には大将旗をつけさせて戦わせる。
兵は相手に布印を取られたら討ち死に扱いとし、そこで合戦場より退場させる。そして武将の持つ大将旗が相手に取られると、その時点で勝敗が決する規則だ。
熱が入って過剰に殴り合うこともあるが布印は後頭部につけるため、背後から忍び寄った敵にもぎ取られることもある。

「勝者、織田軍!」

司会進行役がやぐらから静子軍の勝利を叫ぶ。宣言をしても取っ組み合いをする者が何人かいたが、周囲が引き剥がしていた。
しかし、剛勇無双の才蔵は近づくことすらままならず、慶次も才蔵相手なら手加減ができず、双方怪我を負う可能性があったため、どうしようかと考えあぐねていた。

「そこまでです」

いつの間にか和田軍の手前まで移動した静子が、いまだ手槍をふるう才蔵に声をかける。
覇気はなく、迫力も皆無に等しい声だったが、今まで暴れ馬のような才蔵が嘘のように動きを止めた。才蔵は手槍を地面に置くと、静子の方へ跪く。

「申し訳ございません。熱が入り、冷静さを失っておりました」

「内なる獣を解放しろ、と言ったのはわた……某です。気に病む必要はありません。どうしても、と仰るのなら次の試し合戦で、立派に務めを果たしてください」

「寛大なご配慮、感謝いたします」

静子の言葉に才蔵は深々と頭を下げる。
あれだけ荒れ狂っていた才蔵を、たった一言で黙らせた。そのことに和田兵はもちろん、遠くで観戦していた国人たちも声を失った。唯一、理由を知っている信長だけ楽しそうに笑っていた。

「撤収するぞ!」

「はっ!」

静子の号令に従って兵たちが整列すると、一糸乱れぬ統制された動きで隊をなし行進する。機械のような正確な動きは美しく、見ている者たちは息をのんだ。
立つ鳥跡を濁さずという言葉の如く、静子軍の奇麗な去り方は周辺国に強烈な印象を与えた。
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