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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀元年 第一次織田包囲網

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千五百七十年 六月下旬

六月二十七日。
横山城攻め中の信長は、この日の夜に大依山で篝火(かがりび)が蠢いている事に気付く。
暗く遠い場所故に肉眼だけでは判断に迷ったが、フィールドスコープが問題を全て解消した。急造の監視櫓から篝火が移動している事を確認すると、信長は全軍に命令を飛ばす。

「明日の夜明けに奴らは来る。手早く布陣せよ」

その大号令を受けた織田軍の面々に緊張が走る。戦国時代、大軍が展開出来る土地での合戦は稀だ。大抵は軍を何箇所かに分けて、それぞれ攻めこむのが主流だ。
だが姉川畔は万の軍が展開出来る広さがある。更に姉川には岡山(家康が勝った事に因んで以降「勝山」と呼ばれるようになった)があり、織田軍と徳川軍は分断された状態だ。
必然的に織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍ではなく、織田と浅井、徳川と朝倉の合戦が繰り広げられる状況になった。

横山城を防衛する浅井家家臣の上坂氏、三田村氏、野村氏は援軍に喜ぶ。しかし彼らが気を緩めるのはまだ早い。
信長は横山城を包囲する軍を姉川に移動させただけで、決して包囲網を解除した訳ではない。
彼は軍の大部分を姉川に布陣させるも、横山城からの追撃を防ぐために数千の兵を残した。

六月二十八日未明、両陣営とも布陣を完了させた。
姉川を挟んで北側に浅井・朝倉連合軍が布陣し、南側に織田・徳川連合軍が布陣する。
浅井軍は野村に布陣し、対して信長は浅井軍の対岸に布陣。朝倉軍は三田村に布陣し、対して家康は朝倉軍の対岸に布陣した。
姉川畔の立地の都合で両陣営とも陣形が縦長になり、図らずも正面突破の力がものを言う形となった。
信長は十三段の構えを取ったが、家康はある作戦のために主力級の武将を後方に下げた。

「皆の者。先日話した作戦通り、我々は暫く彼ら(・・)の後方に控える」

甲冑姿の家康が主だった家臣たちに告げる。
彼ら、とは言うまでもなく静子隊千五百名と弓騎兵隊三十名を率いる足満だ。残りの兵と慶次、才蔵、長可は織田軍の森可成がいる第五陣にいた。

「しかし……宜しいのでしょうか」

傍に控えている家臣が心配げな顔で疑問を口にする。彼だけでない、前線を任されるのは武人の誉れだ。それを織田軍に任せるのは、些か不愉快だと彼らは思っていた。

「我々は一万、対して朝倉軍も一万の兵力だ。単純なぶつかり合いは、両者とも甚大な損害を受ける。それを防ぐにはちょうど良いと思わぬか」

「は、はぁ……」

「心配無用。作戦の都合上だが、旗印は徳川のものを使用して貰っている」

「……」

「確かにそなたたちの気持ちは十分理解しておる。しかし万が一という事もある。わしはこの様な地で、そなたたちを失いとうない。その気持ちを理解してくれというのは、わしの我儘かのぅ?」

「とんでもございません。殿のお気持ち、我らには勿体無い事でございます」

「ありがとう。どうしても彼らが信じられないのなら、彼らを信じたわしを信じてくれ」

家康の言葉に家臣一同は感激する。勿論、これは彼らの気持ちを理解した上で、家康が言葉を選んでいるのだから、当然の結果と言えよう。
信長から腹黒狸と言われる家康は、家臣の言葉に笑顔で対応する。その間にも彼は腹の中で様々な事を考えていた。

(静子殿の信を得た武将は、一体いかなる戦いを見せてくれるのかな? 無様な敗北はせぬと思うが……二千程度で万の軍を潰す作戦は少々気になる)

家康は足満の作戦を半分以上聞いていないが、にこやかな笑みを浮かべて了承した。
しかし作戦会議が終わると同時、半蔵を筆頭に間者たちを足満率いる静子隊の背後に展開し、足満の行動をつぶさに監視するよう命じた。
その一方で忠勝や榊原を後方に下げると、彼らに別の命令を与える。

手筈通り(・・・・に突撃せよ」

忠勝たちに伝えた内容を、家康は足満には伝えていない。
彼の頭の中では既に合戦がどの様に流れ、どの様にして勝利するか出来上がっていた。後は足満を含む全員が、自分の思惑通りに動くのを待つだけだ。
故に余計な情報を足満に伝える必要はなく、伝える必要性も家康は感じなかった。

突き刺さる視線に足満は舌打ちする。しかし彼は背後にまで気を回す余裕はない。
今はまだ姿は見えないが、もうすぐ朝倉軍が視界に入る事を彼は知っている。故に足満の目はまっすぐ前を見据えていた。

「仁助、四吉、先に宣言しておく。静子に信を持つ貴様たちは、わしが全権を持つ事を快く思うてはおらぬな」

足満の問いに仁助と四吉は顔を強張らす。彼の指摘通り静子隊、特に弓騎兵隊のメンバーは静子へ高い忠誠を持つ。
出世街道から言えば、静子隊は遠のいていると言っても良い。
しかし彼らは静子を隊のリーダーとして、また指揮官として慕っている。出世街道よりも、弓騎兵隊である事が誇りだ。
それがポッと出の男に全権が渡されているのだから、つまらないと思うのも当然だ。

「わしを信じられないならそれで良い。だが、わしを信じた静子は信じてやってくれ」

「……貴方に言われるまでもない。静子様が貴方に全てを託した時から、我らは貴方の命に従うのみ」

「ただし覚えておくと良い。下手な指揮をすれば容赦なく矢を射る」

「ならば委細問題なし。では始めようか」

仁助と四吉の脅しを軽々といなし、足満は悪巧みの表情をして告げる。

「教育の時間だ」






朝倉軍は第一陣が朝倉景紀隊の兵三千、第二陣が前波新八郎の兵三千、第三陣が朝倉軍大将の朝倉景健の兵四千、合計一万の軍だ。
対して徳川軍は第一陣が足満隊の兵千五百と弓騎兵隊三十、第二陣が酒井忠次隊の兵千、第三陣が小笠原長忠隊の兵千、第四陣が石川数正隊の兵千、第五陣が家康のいる本隊の兵二千、織田軍千五百三十と徳川軍五千・・の連合軍だ。

朝倉軍は徳川軍の兵数が自分たちより少ない事に気付き、姉川の手前まで接近した。合戦が始まると同時、一気に徳川軍へ突撃する考えが伺える。
現在の姉川は川幅が二百メートルほどあるが、戦国時代は小川と言っても良いほど狭い。川幅は五十メートルもあれば良い方だ。
無警戒に川の手前まで朝倉軍が接近してくれた事に、足満は不敵な笑みを浮かべる。

「全軍に告ぐ!」

兵を鼓舞する為に足満は声を上げる。その咆哮に朝倉景紀隊が思わず足を止める。しかし足満は一向に気にせず言葉を続ける。

「この地を赤く染めよ! 何も恐れる必要はない。この合戦、勝った(・・・のは我らだ! 全軍、突撃ー!」

槍を朝倉へ向けると、足満と弓騎兵隊三十人が飛び出す。しかし飛び出した兵はそれだけで、背後にいる千五百名は微動だにしなかった。その事に朝倉兵は馬鹿にしたような笑いを上げる。
対して足満たちの背後にいる、酒井忠次隊の面々と半蔵率いる間者は奇妙な事に気付く。足満と弓騎兵隊は弓を背中に隠していた。
その理由が何なのか分からなかった半蔵だが、その答えは単純なものだった。

「ーーすると思うたか。阿呆どもめ!」

突然、足満と弓騎兵隊全員が馬を急停止させる。彼らは槍を投げ捨てると、背中に隠していたコンパウンドボウを構えて放つ。
矢が弧を描いて飛ぶが、たかだか三十本の矢では何も変わらない。そう誰もが思っていた。

「うわっ!!」

「な、なんだ!!」

朝倉景紀隊が一瞬にして白煙に包まれた。いきなりの展開に朝倉兵たちは勿論、後ろから監視していた半蔵たちも驚きに目を見開く。
だが足満と弓騎兵隊はそれらの驚きを無視して二発、三発と朝倉軍に矢を射る。

「第二波を行え!」

足満の言葉に弓騎兵隊は素早く反応し、予め用意していた矢を飛ばす。
よく見れば最初の時も、第二波の矢にも筒のようなものがついていた。今度も煙かと思いきや、その矢は高い位置で破裂音と共に粉微塵となる。
二発ほど射った所で弓騎兵隊が左右に分かれ、足満だけが後ろに下がった。突然の煙で混乱した朝倉景紀隊だが、体勢を立て直すと怒りに震え足満たちへ突撃を行う。
しかし彼らと足満たちが激突する事はなかった。

「ぎゃああああああ!!」

「い、いてええええええ!! いてええええええ!!」

突然、朝倉兵の一部が悶え苦しみ出す。突撃を行っていた事で彼らと他の兵がぶつかり合い、所々将棋倒し事故が起こる。
コンクリートや階段ではないとはいえ、甲冑に身を固めた人間が折り重なって倒れれば、それだけで重大事故だ。
そこに謎の痛みで暴れまくる兵が加われば、更に混乱に拍車がかかる。

「斉射!」

足満は兵たちに命令を飛ばす。出番を待っていた後方の弓五百名が、朝倉軍めがけて一斉に矢を放つ。彼らの矢には筒が付属してはいないが、代わりに矢尻へあるものが付着している。
それは雑菌やカビだ。体表面と比較して肉の深い部分は雑菌やカビに弱い。体内に細菌が繁殖すれば、姉川の戦いには生き延びても後に感染症で死亡する。
雑菌やカビという概念そのものがない戦国時代、毒より雑菌の方がはるかに危険であるからこそ、足満は矢尻を雑菌やカビまみれにした。
矢を動物の死骸に刺しておく、汚物を発酵させ矢につけるなど、矢尻に雑菌を繁殖させる方法は簡単だ。

「左右から弓騎兵隊が援護射撃を行う! お前たちはただ射てば良い!」

弓兵の前方に兵千で雁行の陣を敷く。今回も足軽はコンクリートで補強した竹束で固めていた。
コンクリートの厚さは五センチあり、矢や火縄銃の攻撃にビクともしない。反面、重さで運搬が困難になるが、足満は近場でコンクリートを製造し運搬の問題を解決した。

「足満様! 例のものが準備出来ました!」

「よし、着火しろ!」

雁行の陣を敷く兵から一メートルほど前に、上へ傾けられた四角い箱が並べられていた。
箱の後ろから伸びている一本のコードに、身をかがめた兵が松明で火をつける。火がついた事を確認すると、兵は身をかがめたまま素早くその場から離れた。
火を噴きながら一定の速度で燃え進む様子から、箱に繋がっているコードは導火線である事が分かる。
その導火線の火が箱の中へ吸い込まれた瞬間、けたたましい音と共に箱の前方から火の矢が飛び出した。

「わしの用意したおもちゃ(・・・・)の威力、その身をもって味わうがよい」

白煙を吹き上げながら飛んで行く代物は、現代で言う『害獣対策用のロケット花火』だ。
ロケット花火の構造はシンプルで、僅か4gの黒色火薬で最大五十メートル飛ぶ。10から15グラム使えば風向きや天気によっては三百メートルも飛ぶ場合がある。
ロケット花火自体を知らない朝倉軍の中に撃ちこめば、音響効果や爆裂でパニックを誘発する事は容易い。

「煙幕は順調だな。無風に近いから煙が吹き飛ぶ心配もない」

煙幕、発煙弾はつえんだんとも言うそれは硝酸カリウム、砂糖、ワックスという実にシンプルな材料で出来ている。
敵の視界を遮断する事を目的としたWP発煙弾(黄リン発煙弾)ほどの性能はないが、硝酸カリウムと砂糖はキャンディロケットと呼ばれるほど煙を出す。
混合の仕方で煙の量は元の体積の六百倍にもなるため、ロケット観測の飛翔跡として使われる事が多い。ワックスを追加すれば更に煙の量が増え、視界の遮断に抜群の効果が得られる。
欠点としては外で使う場合、無風状態でなければすぐに煙が霧散する点だ。

「飛び出してくる兵はおらず、か。想像以上に効果的だな、カプサイシン爆弾」

カプサイシン爆弾とは足満と弓騎兵隊が第二波の時に放った、暴徒鎮圧用の催涙爆弾の事だ。
唐辛子を乾燥させた後、細かい粉末状にしたものに無水エタノールを入れてかき混ぜる。
ある程度混ざった所でろ紙と漏斗(じょうご)を使い、液を濾過(ろか)して別の容器に移す。最後にエタノールを揮発して残った粉末が多少不純物の混じったカプサイシンの結晶だ。
このエタノールに溶かす行為と濾過を繰り返せば、純粋なカプサイシンの結晶に近づくがメリットは薄い。
人間を数十分行動不能の状態に陥らせるだけなら、一万から五万スコヴィル程度あれば良い。
一万スコヴィル程度なら、普通の唐辛子からでも十分抽出可能だ。

このカプサイシン結晶を細かく砕き、筒に入れて内側から爆発させ、周囲に散布すればそれだけで兵器だ。
目や鼻、口の粘膜につけば耐え難い苦痛に襲われ、咳き込み涙が止まらなくなる。更にカプサイシンは水に溶けにくく、油(脂)に溶けやすい脂溶性(しようせい)だ。
故に水では洗い落とせず、逆に手や顔の脂に溶ける。その状態で痛む箇所を擦れば痛みの場所が広がる悪循環に陥る。

カプサイシンの痛みはどんなに鍛えた人間でも防ぐ事が出来ない。更に小さい粒子の為に見え難い利点がある。
ただし誰にでも効果があるという事は、敵味方の区別が出来ない事を意味する。乱戦に撃ちこめば味方にもダメージを与えてしまう為、大変使い難い武器だ。

なおキャンディロケットの煙幕弾やカプサイシン爆弾、ロケット花火を人混みに向けて撃つ事を現代で行えば、警察に逮捕される事は確実だという事を付け加えておく。

弓兵の矢を飛ばす音、弓騎兵隊が飛ばすカプサイシン爆弾の破裂音、ロケット花火の笛音と爆裂音、朝倉軍の悲鳴、嗚咽、慟哭、苦悶、絶叫が合戦場を支配する。

朝倉軍が反転攻勢に出られないのは、カプサイシン爆弾もあるが他にも理由がある。
心理学の用語には情動伝染という概念がある。自分の感情を相手がそのまま抱いてしまう事だ。これは人間にしかない高次の脳機能と言われている。

集団の中に煙幕を投げ込んだ程度では、朝倉軍もパニックにはならない。大抵の人は多少の事が起きても『大丈夫』と思い込むからだ。
しかしカプサイシン爆弾やロケット花火を打ち込む事で、朝倉軍は初めて『異常事態』を知る。そうなれば個人の混乱は瞬く間に伝染し、やがて集団全体がヒステリー状態となる。
この状態でも心理的に問題だが、カプサイシン爆弾の被害を受けている者と、そうでない者がいるため、もう一段階問題が発生する。

混乱した部隊の立て直しには多大な労力を要する。朝倉軍が撤退を決めれば、合戦場から逃亡する者と逃げ遅れる者が出る。
この逃げ遅れる者の集団が、ヒステリー状態に陥ると被害が拡大する。
全速力で逃げ出して他人と激突したり、見えない敵に向かって刀や槍を振るって味方を殺傷したり、妄想や幻覚に取り憑かれて虚言を口にして周囲を混乱させたりする。

煙幕弾もカプサイシン爆弾もロケット花火も、朝倉軍を危険から逃げ遅れた人々が起こすヒステリー状態と同じにするための道具に過ぎない。
朝倉軍が手のつけられないヒステリー集団と化せば、無理に近づく必要はなく、遠巻きに矢を放ち続ければ勝手に自滅する。
朝倉軍の混乱ぶりを見て、誰もが勝敗は決したと思った。しかし足満の鋭敏な耳は、僅かな異音を捉えていた。
カプサイシン爆弾や煙幕、ロケット花火、集団ヒステリーをもろともせず、何者かが向かってきている。その事を理解した足満はコンパウンドボウを構えて、相手が現れるのを待つ。

「すぐに死ねば楽になれるものを。馬鹿は死んでも治らないとは本当の事だな」

朝倉軍大将の朝倉景健は、既に撤退していると足満は予感した。そしてその予感は正しく、朝倉景健は混乱した軍を立て直すのは不可能と考え、自分の隊を引き連れて撤退した。
ただし撤退出来た兵は、煙幕やカプサイシン爆弾の影響外にいた朝倉景健隊の兵四千だけだった。朝倉景紀と前波新八郎の隊は、もはや手がつけられない集団パニック状態だった。
更に前波新八郎はこの混乱で身動きが取れない時に、運悪く弓騎兵隊が放った矢が刺さって討ち死にしていた。
朝倉景紀は討ち死にこそしなかったものの、僅かな供を連れて集団ヒステリーを起こした軍隊から抜け出し、命からがら撤退した。

朝倉軍は第一陣と第二陣の指揮官が不在、第三陣は既に撤退済という軍としてほぼ機能していない状態だった。
この状態であえて徳川軍に突撃をしてくる人物を、足満は三人ほど知っている。

「小癪な策に踊らされ、おめおめと逃げては名折れ! この策を行った武将に一太刀浴びせ申す!」

「……真柄(まがら) 十郎左衛門(じゅうろうざえもん) 直隆(なおたか)か。愚かな人間だ。もはや勝敗は決したのに、今さら貴様一人が突撃した所で何も変わらん」

ため息を吐きながら、足満はコンパウンドボウの照準を直隆に合わせる。
カプサイシンの痛みで暴れる馬を制御し前へ進もうとする直隆だが、残念な事に彼の目はカプサイシンにやられており、足満を捉える事はなかった。
それを理解していたからこそ、足満は家の名誉や面目で逃げる事が出来ず、こうして自暴自棄の特攻をする直隆を若干哀れに思った。

「残念だよ、直隆。お前がもう少し利口なら、わしの駒として使ってやれたのにな」

足満が矢を放つ。矢は正確に、寸分違わず直隆の喉を貫いた。頸椎が破壊された直隆は、太郎太刀を地面に落とし、空を仰いだ後、口から血を吐いて馬から落ちた。

「太郎太刀を取ってまいれ。隣の浅井軍に知らせてやる必要があるからな」

近くの兵士が直隆から太郎太刀を剥ぎ取り足満に渡すと同時、今まで朝倉軍へ煙幕弾やカプサイシン爆弾を放っていた弓騎兵隊三十名が戻ってきた。
何人か負傷していたが死に至る負傷は負っておらず、隊としての損害は軽微だった。しかし長時間馬に乗っていた事で予想以上に体力を消耗したのか、全員息があがっていた。

「ほら、次郎太刀だ」

背負っていた次郎太刀を、仁助が足満へ乱暴に投げ渡す。次郎太刀を掴み取ると、足満は不敵な笑みを浮かべる。

隆基(たかもと)も討ち取ったか。上々だ、これで――」

浅井軍は終わりだ、と足満は言おうとした。だが、その言葉を彼が口にすると同時、混乱する朝倉軍の側面から徳川軍が姿を現す。
彼らは徳川の軍旗をはためかせながら急襲すると、混乱する朝倉軍を真っ二つに切り裂いた。
そこから更に前後の朝倉軍へ突進する。軍を退ける武将がおらず、また未だ混乱中の朝倉軍は反撃が出来ずされるがままだった。

「チッ、やられた」

慌てて背後を確認した足満は、徳川軍が異常に少ない事に気付いた。一見した限りでは三千もいれば良い方だった。
榊原康政に命じて姉川の川下から迂回させ、朝倉軍の側面から奇襲攻撃をさせる事を知っていた足満だが、家康は想像以上に腹黒狸だという事を彼は理解した。

「煙幕が薄れるのと、弓騎兵隊が一旦下がる時間が重なると考え、合戦が始まると同時に兵を動かしていた訳か」

酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、大久保忠世、小笠原長忠ら主力武将が奇襲攻撃を行っている以上、朝倉軍は足満の奮闘を覚える事はない。
煙にまかれている間、徳川軍に弄ばれたとしか考えない。浅井や周囲の国人たちも同様だ。
戦果を誇る気は微塵もないが、こうも見事に戦果を奪われると、それはそれで苛立ちを覚えた。

「苦労は我らが、一番良い所は徳川、という寸法か」

「おや、支援のために出した隊が、思わぬ誤解を生んでしまいましたか」

飄々とした態度の家康がどこからともなく現れ、足満の言葉に肩をすくめる。

「失礼しました。からくり武器が終わったと思い、朝倉軍の反撃を受けぬようにと思って兵を動かしました」

その言葉は一見正しいように聞こえた。数万発あったロケット花火は撃ち尽くしており、更に煙幕弾やカプサイシン爆弾を弓騎兵隊は全弾撃ち尽くしていた。
足満が用意した兵器は朝倉軍を壊滅させるものではなく、あくまで補助的なものに過ぎない。
しかし誰が見ても勝敗は決しており、後は歩兵を余さず狩り尽くす時間だ。事実、足満は装備を整え直した後、弓騎兵隊と静子隊と共に姉川を超えて朝倉軍を壊滅させる予定だった。
故に装備を調え直す僅かな時間を狙って、家康が朝倉軍を追撃したと足満が感じても不思議ではない。

「……貴方の中ではそうなのでしょうね」

「ははっ、これは手厳しい。確かに美味しい所だけ取ったと思われても反論は出来ませぬな」

「ですが仕方ありません、いくさですからね。良い時に良い手を打つ、当たり前の事です」

「そう言って頂けると助かります。さて、もう勝敗は決しました。足満殿も、貴方の兵もお疲れでしょう。宜しければ我が陣で疲れを癒やしてください。必要ならば我が陣にいる者を使っても結構」

家康の言葉は足満たちを気遣っている風に聞こえるが、本音はこれ以上合戦に出させない為の方便だった。
唯一、それを理解した足満は口の中で舌打ちをすると、にこやかな笑みを浮かべて家康の申し出を了承する。

「それでは負傷者や疲労の激しい者から、そちらの陣で休憩するよう命じます」

「承知しました。陣の者には、その様に伝えておきます」

足満の言葉に家康もまた、にこやかな笑みを浮かべて丁重に一礼をした。






徳川軍と朝倉軍の合戦は徳川軍の圧勝だが、一方の織田軍は浅井軍に押され気味だった。
朝倉軍は浅井の援軍であり、自分たちの土地を守る為ではない。対して浅井軍はまさに今、織田軍から侵略されている立場だ。
自分たちの城を取り返す、という浅井軍の意気込みが、兵力の差による劣勢を覆し織田軍を圧倒していた。
特に浅井軍先鋒の磯野隊が猛攻を仕掛け、織田軍の第一陣や第二陣を突き破り、更に秀吉隊や柴田隊をも切り崩し、森可成隊すら突き破って信長のいる本陣に迫る勢いだ。

「はっはー、ここから巻き返すのが俺たちの役目だぜ」

森可成隊にいる慶次が余裕の表情で叫ぶが、状況は完全に浅井側にある。
それでも向こう見ずな突進を行い、敵を足止めする長可隊、周囲を混乱させるトリッキーな動きをする慶次隊、一人ずつ確実に始末していく質実剛健な才蔵隊が奮闘を見せる。
だがそれでも数十名の浅井兵が森可成隊の防衛網を突破し、第六陣の佐久間信盛隊に迫った。

「佐久間隊出る――」

佐久間隊の最前線にいる兵と浅井兵が激突した時、第五陣と第六陣の間に補給を終えて徳川の陣から駆けつけた静子隊千五百名が割って入る。
一瞬、新たな敵かと混乱した佐久間だが、軍旗を確認してすぐに状況を理解する。静子隊が第五陣と第六陣の間に入る事で、磯野隊の兵士は前後を挟まれた状態に陥った。
退路を断たれた事に磯野隊は浮き足だち、今までの勢いが嘘のように次々と討ち取られていく。

更に状況は浅井軍の悪い方へ動く。
磯野隊が第六陣にまで到達した事に、危機感を覚えた横山城監視役の氏家卜全・安藤守就らは、遊軍を結成して浅井軍の左翼側を突く。
更に忠勝や康政が率いる徳川軍二千、そして稲葉一鉄隊の兵千人が浅井軍の右翼側を突く。
三箇所から挟み込まれた事に、退路が塞がれる事を恐れた浅井軍は磯野隊と同じく浮き足立ち、ついには全軍が総崩れとなり小谷城へ敗走を始めた。

戦闘は午前六時に開始され、朝倉軍が壊滅し潰走したのが午前九時、浅井軍が潰走したのが午前十時、午前十一時までに大勢が決した。
この合戦を信長と久政は野村の合戦、朝倉は三田村の合戦、家康は姉川の合戦と、それぞれ自分がいた場所の地名で称している。

浅井・朝倉双方共に多くの武将を失い、兵の損耗も大きかったが、それは織田軍も同様だ。
唯一徳川軍のみ兵の損耗は少なかったが、守兵二千を残す小谷城の攻略は不可能だった。
様々な状況を鑑みて信長は小谷城の攻略を諦め、横山城を攻略するだけに留めた。そして秀吉を横山城に入れて小谷城への抑えにした。
信長にとっては小谷城の攻略まで漕ぎ着けたい所だが、家臣の坂井尚恒(享年16歳)が討ち死にし、兵の損耗率が高い事から攻略を断念せざるを得なかった。
それでも横山城を手中に収めた意義は大きい。満足する成果とは言い難いが、それでも一定の成果を得られたと信長は確信した。

信長が横山城を攻略している間、足満は兵を使って合戦で死んだ軍馬を回収した。馬は馬油の他に肉、皮、毛、骨と有効活用出来る部位が多い。
特に馬革は牛革と比べると繊維密度が低いため頑丈さは劣るものの、非常に柔軟性があるため衣類などに利用できる。
損傷の激しい部位以外の皮をはぎ終えると、後は各部位の肉を切り落とし、平行して馬油を採取し、骨は肉を削ぎ落とす。
肉は全て塩や塩麹、味噌漬けにし、馬油は精製して壺に入れ、骨はボーンチャイナの材料、肥料等に使用するため洗浄する。

ボーンチャイナは磁器の種類の一つで、十八世紀にイギリスのロンドンで発明された。
当時のイギリスはシナ磁器に多用された白色粘土の入手が困難だった。
白色粘土の代用品を求めたイギリスは、最終的に牛の骨灰(リン酸カルシウム)を陶土に混ぜて製作する事を考えついた。
一般の磁器と違って特殊な釉薬を使用する、二次焼成を低温で行うなどの違いがあるものの、骨灰を使用する事で温かみのある乳白色の下地が備わった。

一般的にボーンチャイナは牛の骨灰で作られている。
馬骨は牛骨ほどリン酸カルシウムが多くなく、酸化鉄も多いため白色に焼成出来るかは怪しいものの、乳白色に拘らなければ製造自体は可能だ。
それどころか、うまく行けば牛骨とは違う味わいの磁器が出来る可能性もあった。

(わしが頑張る訳ではないが……まぁ素材が多いに越した事はない)

足満は一言も不満を漏らさず、黙々と馬を解体する。沢山の馬を解体し終えると、彼は不要な内臓やゴミを数か所に分けて穴に埋めた。
穴に埋めておけば内臓やゴミは微生物に分解され土に還る。野犬や熊に掘り返される可能性はあるものの、腐食したものを遠くへ運ぶ鳥がついばめなければ問題ない。
病気の蔓延を防ぐためにも、内臓を穴に埋める事は必要な作業だ。

「これで良し。後は商人に肉を売り払うか」

日持ちしない肉のみを商人に売り捌き、残りの馬毛と馬油、馬骨を尾張へ運ぶよう手配した。

(早く神社へ帰りたいものだ。もうすぐ敵対する本願寺との対策を立てねばならん。まぁ……煙草に乾燥大麻を混ぜて本願寺に広めれば、薬物汚染による内部崩壊を引き起こせるが)

大麻と言えば麻全般を連想するが、正確には麻薬成分の多いインド麻などを指す。
静子が栽培している麻は日本に自生する麻だ。日本の麻は陶酔成分であるテトラヒドロカンナビノール (THC) が0.1%未満と他の亜種より低い。
対してインド麻は最低で1.8、最高で20%含有している。インドやジャマイカではガンジャ(神の草)と呼ばれ、2000年以上前から品種改良されてきた。
余談だが大麻の花や葉を乾燥させたものを乾燥大麻(マリファナ)、大麻の樹液を乾燥させたものを大麻樹脂(ハシシ、乾燥大麻や樹脂をアルコールや油で溶かした加工品を液体大麻(ハニーオイル)と言う。

詳細は省くが日本の麻でも乾燥大麻を作る事は可能だ。しかし静子の様に産業用に利用する為の麻栽培と、嗜好用に利用する為の麻栽培は方式が異なり、両立させる事は出来ない。
設備や栽培方式が異なる為、詳しく知っている者が麻畑を見れば、どちらを目的に栽培しているかひと目で分かる。

(春にばら撒いたとして……夏には常習者となり、秋には離脱症状に苦しみ、冬は栽培が不可能だから摂取出来ず、無気力になって餓死するか、勝手に世を嘆いて自殺するかどちらかだな。紙巻き煙草にしてばら撒けば、あっという間に広がるだろう)

日本に煙草が伝来したのは四百年前だが、煙草自体の歴史は古く、紀元前千年頃には南米で吸われていた。
しかしその時は香りやニコチン摂取による陶酔感から神のお告げを聞いたり、煙の上り方で未来を占ったり、現代のような嗜好品としてではなく宗教行為の道具として使用した。
やがて時は流れて1492年、コロンブスが新大陸を発見する。その時彼は、原住民から乾燥した煙草の葉を献上された。これが初めて西洋人が煙草に触れた瞬間と言われている。
その時のコロンブスは価値が分からず、謎の葉っぱと思い気味悪がって献上された葉を捨てた。後にキューバで煙草の葉の使い方を覚えると、彼は煙草の葉をスペインへ持ち帰った。

それから紆余曲折を得てヨーロッパに広まった煙草だが、現代と同じくヨーロッパ人の間で煙草に対して意見が割れた。
煙草を吸う派はリラックス作用や覚醒作用のある薬として利用した。対して規制派は急速に広まる薬物への防衛反応を示し、数多くの規制を行った。
有名な所でスペイン王フェリペ三世が煙草を禁止にし、国内の煙草を全て焼却処分した。またローマ法王ウルバヌス八世は神聖な場所で煙草を吸った者を破門にした。

煙草と一口に言っても様々な方法と吸い方が存在する。
紙巻き煙草に水煙草、嗅ぎ煙草、噛み煙草、手巻き煙草など様々な方法がある。吸い方も紙巻き煙草、葉巻、パイプ、煙管など様々だ。
この中で紙巻き煙草は他にない『手軽さ』がある。葉巻やパイプ、煙管は吸う為の準備と吸い方に手順があり、ものによっては吸う時間が非常に長いため簡単に吸えるものではない。
対して紙巻き煙草は箱から煙草を取り出し、火をつければ終わりだ。吸う時間も葉巻の二十分から八十分に対し、紙巻き煙草は三分から四分で終わる。

自動煙草巻き機が発明される、廃棄される茎等を再加工して煙草に混ぜる事で質は悪くとも大量生産が可能になった、吸う為の準備が必要ない、等の理由で紙巻き煙草は普及した。
かつては宗教行為の道具だった煙草は、今日では世界の至る所で販売されている気軽な嗜好品となった。
しかし爆発的に普及した事により、公共の場での喫煙マナーが問われ、中世ヨーロッパの時と同じく煙草の規制が叫ばれている。

(三年……いや二年あれば良い。準備が整えば手始めに雑賀衆さいかしゅうを内側から崩壊させるか。ふっ、出入りの商人を探し出さねばな)

煙草が爆発的に普及した理由、そして喫煙環境論争が起こる根本原因が『手軽さ』だ。
この手軽さを利用し、雑賀衆に煙草の葉に乾燥大麻を混ぜた紙巻き煙草を普及させる事が足満の策だ。
ニコチン、一酸化炭素、タール、シアン化合物等の中毒性が強いものや危険な物質が体内に入るが、大麻にある多幸感をもたらす鎮痛作用や食欲増進などの薬理作用が働くため、吸っている人間は危険な物質が体内に入っている事に気付かない。

雑賀衆は海外との貿易を得意とする。そして幾つかの集団に別れて行動する。大麻入り煙草が蔓延する条件は十分揃っている。
しかしこの策には問題がある。大麻入り煙草が他に広がれば、一緒に悪弊が広まる事になる。
故に状況を慎重に見極めた上で、策を行使する必要がある。

此処から先は筆者の考えだが、喫煙環境論争に一定の成果を出すなら分煙をするよりも、紙巻き煙草を廃止、そして子供が手軽に買えない程度に葉巻の価格を下げる事が良い。
食後に一服、休憩時間に一服、寝起きに一服、寝る前に一服、全て紙巻き煙草で『手軽に吸える』からこそ出来る事だ。
紙巻き煙草の最大の利点と同時に欠点でもある『手軽さ』をなくせば、分煙について揉める人間や、路上で煙草をポイ捨てする人間が減るのではないだろうか。

また乾燥大麻は依存性が低く、翌日には全て抜け切ると言われているが、依存性がない訳ではない。
そのような乾燥大麻を合法化すれば生産性は落ち、治安悪化や社会保障費増大、出生率の低下、人口減少という悪循環が発生する。
実際、ヨーロッパのとある国では合法化する事で違法ドラッグの密売人を減らす事に成功したが、同時に治安悪化や社会保障費増大が発生した。
故に命がかかっていない限り、テトラヒドロカンナビノール(THC)を摂取、そして合法化する事は危険だ。

以上が筆者の考えだ。話を戻す。
制御が難しい乾燥大麻入り煙草を、いかにして雑賀衆の中だけに留めるか、その方法を足満は思案する。

(……まぁ良い、時間はまだある。状況が変わる可能性もあるし、今急いで考える必要もない)

今すぐ答えを出す必要はない、そう結論づけた足満は作業を再開した。






七月一日、織田・徳川連合軍は磯野員昌が籠城している佐和山城を攻める。
だが佐和山城の陥落が困難だと理解すると、周囲に武将を配置させて長期包囲網の体制を固めた。包囲網完成後、徳川軍は三河へ帰還し、信長は四日に上洛、八日に岐阜へ戻る。

後世に名を残す『姉川の戦い』で織田・徳川連合軍は勝利を収めた。だが完全に浅井・朝倉を屈服させた訳ではなく、双方とも抵抗する力はまだ残っていた。
その点に不安がない訳ではないが、ひとまず武将や兵たちに休息時間が必要と考え、各自身体を休めるように通達、自身も静子の村で疲れを癒やした。

「此度の合戦は失敗だ」

湯を浴びて身体の汚れと疲れを洗い流し、静子の料理を平らげた信長は、食後の茶を飲みながら呟いた。

「浅井と朝倉軍を壊滅させたと聞いておりますが」

歴史云々に関係なく姉川の戦いは信長の勝利、と彼女は聞いている。しかし勝利したはずの信長は姉川の戦いを失敗と見ている。
彼の思惑がどこにあるか分からず静子は首を傾げる。

「今、思えばわしは久政を監視するよう、備前守に進言しておくべきだった。わしが油断し慢心したからこそ久政は備前守を追い出し、再び近江国の国人へと咲き戻った。そして……これじゃ」

言葉とともに信長は静子へ紙束を投げる。
今この場には信長と静子の二人しかおらず、小姓や小間使いすら追い払っている状態だ。
つまりそれだけ人に見せたくない資料だと理解し、静子は若干緊張の面持ちで紙束を手に取る。

「貴様の良き理解者である足満。奴は野村や姉川の地形をつぶさに調べていた。合戦は始まる前に、どれだけ準備を整えるかが大事。わしはそんな基本的な事も忘れ、兵力の差に胡座をかいていた」

紙束には足満が測量した姉川の土地地図が詳細に記載されていた。詳細に測量された地図の上に、自分たちの配置図が事細かに書かれていた。
配置図を書き込んだ地図は一枚だけではない。測量された地図を基本に、何十パターンもの配置図が用意されていた。
歴史を知ろうともどこに布陣するか、正確な位置は残されていない。だから細かい測量を行い、どこに布陣しようとも問題ないように対応したのだと静子は考えた。

「自分の不甲斐なさに呆れる」

茶を一気に煽り、一息吐いた信長は一度目を瞑る。数秒後、再び目を開いた信長は、今までのような緩んだ表情ではなく、険しい顔つきで宣言した。

「今回の合戦はわしの負けだ」






元亀元年は戦いの連続である事を静子は知っている。次の戦いに向けて彼女は人知れず準備を整える。どうしても防衛力を強化しなければならない城が二つある。
それは森可成が守る宇佐山城と、信長の弟である信興(のぶおき)が守る小木江城だ。

織田軍が浅井・朝倉攻めを行っている時、隙を突いて三好三人衆が摂津河内国を攻める。
この時、荒木村重が三好長逸に通じ、池田城から池田勝正を追放してしまう。
三好三人衆の侵攻を食い止めるために信長が摂津で合戦を繰り広げている時、本願寺顕如が蜂起し諸国の門徒に信長討伐の命を出す。
摂津に信長が釘付けになった所を、浅井・朝倉連合軍に比叡山延暦寺が加わり、宇佐山城が攻められて森可成(享年48歳)と信長の弟である信治(享年26歳)が敗死する。
この宇佐山城に対応しようと信長が軍を移動させるが、浅井・朝倉連合軍は比叡山に篭もる。
この間に北伊勢で蜂起した伊勢長島一向一揆衆が、信長の弟である信興を討つなど織田家は各地で窮地に陥る。

この第一次織田包囲を切り抜ける事こそ、信長の天下布武における最難関だと静子は考えていた。その後に続く第二、第三の織田包囲網に、静子はそれほど注意を払っていなかった。
第二、第三包囲網は第一次包囲網に比べてまとまりが悪いからだ。もしも第一次織田包囲網に武田や上杉まで参加したなら、織田家は完全に終わっていただろう。
しかし全身に火が回るまで、彼らは織田包囲網に参加しないという慎重な姿勢を崩さなかった。

だからこそ織田包囲網への対応が、静子には一層難しく見えた。
下手に常勝無敗を続ければ武田や上杉が危機感を覚え、第一次織田包囲網に参加する可能性がある。
ある程度負けている風に見せつつ、森可成や信長の弟である信治・信興の命は必ず守らなければならない。歴史通りの事を故意に起こしつつも、大事な人間の命を守る事は至難の業だった。

「うーん、駄目だ。やっぱりどっちか片方の城しか強化出来ない」

織田包囲網に対する勝利条件が面倒な上に、幾ら資金があると言っても静子一人では強化出来る城はよくて一つだった。

「むむむ……ペニシリンやストレプトマイシンの実用化も行わないといけないのに。あーもう、いくさなんてせず、さっさと降伏すればいいのに」

問題が山積みという現実に静子は思わず頭を抱えて愚痴をこぼす。

梅毒・淋病などのSTD(性感染症)を始め、様々な感染症に有効なのが世界初の抗生物質と言われたペニシリンだ。
そしてストレプトマイシンはペストや結核症の特効薬、そして細菌性赤痢などの多くの細菌性疾患に有効である。

ただしどちらにも言える事だが、抗生物質は多用するとそれに耐性を持つ菌が出現する。
現にペニシリン耐性菌は、抗生物質の無秩序な濫用が引き金となって生まれた。
ストレプトマイシン耐性菌も出現するなど、抗生物質は使い所が難しかった。更にストレプトマイシンは保管や菌の抽出が難しく、ペニシリンより更に困難な問題が付きまとう。
しかし抗生物質の純度を上げるには培養と抽出を行い、その中から優良個体を使ってまた培養と抽出と、気の遠くなるような作業を繰り返さなければならない。

その為、抗生物質は特効薬という秘中の秘扱いをし、普段は人体の持つ抵抗力を強化する方法が一番ベターな選択肢だ。
結核は貧困層を襲う『貧者の病気』と言われ、不養生な生活に原因があると言われている。その点を考慮して食料を豊富にした静子の政策は、徐々に実を結んでいた。

政策の効果が最も顕著に出た人物は竹中半兵衛である。
体が弱く見た目は痩身と言われた彼だが、今は血色の良い身体付きをしていた。もし斎藤家に仕えていた頃の彼を知っている者が、今の竹中半兵衛を見れば我が目を疑うだろう。
幼少の頃から竹中半兵衛を見ていた弟すら驚くほど健康体になり、長時間の激しい運動は今も無理ではあるが、角力をとれる程度の体力は持っていた。

他にも静子と出会った時の慶次は飛び抜けて高身長だったが、骨の成長に肉が追いつかず痩身だった。それが今では筋肉という鎧を纏った巨漢だ。
彼だけでなく才蔵や長可、奇妙丸に彼の教育係は勿論、信長を筆頭に森可成、柴田、秀吉などの武将たち、女性陣は濃姫を筆頭にねねやまつ、えいなども静子流健康術を取り入れた。
一日三回、栄養バランスのとれた食事を取る、ラジオ体操第一と第二を朝昼晩行う、柔軟体操を行う、歯を磨く、安眠できる寝具を利用する、など大半は現代人が行っている事だ。
無論、完璧な健康生活は逆に不健康になる場合があり、ある程度の余裕は必要だ。

「抗生物質は後でも問題ないか。どちらかと言うとBCGワクチンとかMRワクチンが先だね。ま、その手の事は追々考えていくとして……今は目の前の現実に対応しないとなぁ。しかし兵士は増える、所属は変わる、と何で面倒事って一度に来るのだろう」

姉川の戦いで足満、慶次、才蔵、長可は見事な働きぶりを見せた。その事の褒美として足満は静子隊の正式な武将として配属される事となった。
また各武将たちは兵五百が追加され、静子隊二千と黒鍬五百、慶次隊千五百、才蔵隊千五百名、長可隊千五百となる。
足満は自身も兵士を持つ事を許され、兵千が割り当てられた。弓騎兵隊も新たに試験する事で二十名が追加され、合計五十名の弓騎兵隊となった。
静子軍は4530から7550と黒鍬衆五百に兵数が増え、その規模は信長の重鎮たちと肩を並べられるほどだった。

静子軍の所属は第五軍だったが全員が一度軍から脱退、再結成を行わせ信長専用の第零軍『特殊作戦師団』に配属された。
いわば独立遊撃隊であり、信長の命令によって様々な任務につく。なお第零軍は後に奇妙丸が指揮官になる事が決定していた。

信長は簡単に指揮系統を変えたり、配属場所を変更したりするが、巻き込まれる方はたまったものではない。
兵士が増えても住む土地や何やらを考える必要があり、更にその土地を工面するのが静子の役割だ。
そして配置を考えただけでなく、彼らの家を建てる為にあっちこっち掛け合う必要がある。無論、今の立場に見合う権力を信長は静子に与えていた。
更に信長は『老成持重(ろうせいじちょう)』の黒印を静子へ下賜し、一度信長が内容を改めてから届く仕組みだが、ある程度の命を出せる立場にある。

「黒印状って何か偉そうに聞こえるのだよね。やっぱり挨拶は大事、コミュニケーションを断ったらろくな結果にはならない。まぁ暫くは後方で学んで貰う必要があるね。何よりも抗体がなさ過ぎる」

追加された兵士、そして家族には牛痘による天然痘と麻疹の免疫を持っていない人間が多い。
先の4500名の兵士と家族は、既に天然痘と麻疹に対する免疫を持っている。
天然痘は牛痘にかかっている牛と接触させて免疫を得させるだけだが、麻疹は限定的に感染させて免疫を得させている。

現状、意図的に麻疹ウィルスの弱毒化が出来ないので、兵士たちの抵抗力を強化した後に、劇症化していない人間から感染させる以外、麻疹の免疫を手に入れる方法はない。
劇症化した者は隔離治療とし、それ以外は通常の麻疹対策を行っている。
ビタミンAを摂取する事で死亡率を下げられる事から、鶏レバー、小松菜、山羊乳、干しぶどうなどを摂取させ、なるべく劇症化しないように注意する。

それでも劇症化の可能性がある以上、麻疹の免疫獲得時に死亡する危険をはらんでいるが、今のところ麻疹感染による死者は一人も出ていない。
こうまでして無理に麻疹の免疫を、手に入れさせるのには理由がある。免疫を持った女性が赤子を出産した場合、赤子は生後八ヶ月まで麻疹に対する免疫を持つからだ。
一年経てば失われている免疫だが、それでも赤子が麻疹によって死亡する率を減らせられる。

麻疹と天然痘の免疫獲得プログラムは、着実に成果を出していた。
静子たちは勿論、その周辺地域に住む百姓たちや兵士たちが住む地域は、周囲で麻疹が流行する事はあっても彼らの地域で流行する事はなかった。
仮に感染者が出ても、対応方法を理解している兵士や百姓たちは、すぐさま隔離治療を行い疫病の流行を防ぐ。
自分たちの命を守る為にも、病原菌を持つ人間を隔離する事は重要だと彼らは理解していた。

「まぁ食事の内容を変えるとか色々あるけど……それは先輩兵士たちに任せよう」

丸投げとも言うが、全て自分が取り仕切るのは現実的ではないし、任せられる所は任せ、信頼して見守らなければ人は育たない。

「さて、ここから二ヶ月が勝負になるかな」

呟いた後、彼女は肩を回して気合を入れなおした。
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