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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀元年 第一次織田包囲網

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千五百七十年 一月上旬

毎年、元旦の翌日に行なわれる信長主催の酒宴に、静子はいつものように参加した。
今年は前年と違って信長に「お年賀」を渡した静子だが、これは倉の中に眠っている軍需品を信長に献上する事と、倉の整理という二種類の意味があった。
勿論、信長だけではない。彼女は倉の中をほぼ空にする勢いで、森可成、丹羽長秀、佐久間信盛、木下藤吉郎秀吉、滝川一益、柴田勝家、佐々成政など重鎮にも贈る。
静子にとっては知らぬ間に溜まっていたものを放出して倉庫整理をした程度の認識だったが、末端の家臣にとっては小国並の軍事行動が可能な人物に見えた。
更に誰もが恐れる信長に対して極めて自然体、重鎮の誰とも友好関係がある人物とくれば、新規加入した家臣たちにとっては凄い人物に見えてしまうのも無理はない。

昨年より更に注目を集め、様々な人物から挨拶される立場になった静子だが、その状況に彼女は辟易していた。
表面上はにこやかな笑みで対応しつつも、挨拶してくる人物の野望に胃が痛かった。
誰かに取り入り上を目指す事が悪いわけではない。しかし自分にそれを求めてくるのは勘弁して欲しい、それが彼女の嘘偽りない本音だった。
人が来る度に胃がキリキリしている彼女を気遣ったのか、森可成が軽く咳払いをして家臣たちを追い払う。
そして暫く平穏な酒宴を満喫していた静子だが、信長が手招きで呼んでいる姿を見た瞬間、平穏は終わった事を悟った。

「お呼びでしょうかお館様」

「先ほど丹羽と茶の湯で使える言葉はないか、と話をしていていな」

「は……ッ? 茶の湯……で、ございますか」

「案ずるには及ばない。紙と墨は既に用意しておる」

(そっちの心配じゃなくて……なんて言えないよね……)

静子の返答は最初から考慮してないかのように、信長は彼女の前に紙と墨を用意する。諦めた彼女は少し考えてから、紙にある四文字熟語を書いた。

「一期……一会?」

それは茶道の精神でもっとも使われる言葉『一期一会』だ。

千利休が遺した言葉とされるが本人の筆によるものは無い。彼の弟子である山上宗二の著書に利休の言葉として登場するのみである。
意味としては一期が仏教用語の一生を指す言葉であり、人生において一度限りの機会と考えて誠意を尽くす心構えを指す。
因みに『一期一会』という四字熟語として広く知らしめたのは、江戸末期の彦根藩主であり江戸幕府大老も務めた井伊直弼である。

(まぁ千利休、今井宗久、津田宗及という天下三宗匠がいる時代、私の言葉なんてあっさり消え去るよ)

存命中の人物の言葉を使うのはどうかと思ったが、これ以上の言葉が思いつかなかったのだから仕方ない、と彼女は自分に言い聞かせる。

「一期とは人が生まれてから死ぬまでの間という意味。一会とは主に法要などで一つの集まりや会合を意味します。全てのものはたえず変化し、同じところにとどまる事はありません。茶会に臨む際、この人との茶会は二度と機会がない一生に一度の出会いと心得え、互いに誠意を尽くす心構え。それが一期一会という言葉の意味でございます」

暫く静子の書いた文字を見ていた信長だが、ふいに柔らかい笑みを浮かべる。

「世の全ては諸行無常、という事か。面白い、さっそく茶室に戒めとして飾ろう」

「は、はい……(いいのかな、流石にこれは……まぁ言っても無駄か)」

信長は名物狩りと揶揄されるほど、軍事力と財力を背景に茶器の蒐集を行っている。
その行為が野蛮人だと陰口を叩かれているので、茶器蒐集だけの野蛮人ではなく茶の湯に通じる文化的な言葉を語れる文化人である、と周囲に知らしめたいのかもしれない。

後に城一つ分の価値にまで上がる茶器だが、静子から見れば洗ってない不潔な器にしか見えなかった。
その上、これから茶器は新しい恩賞、茶の湯は政治に深く関係し、権力の演出装置となる。
そんな茶の湯に関わってもろくなことはない、そう思っている静子はなるたけ茶の湯に関わらないでおこうと決めた。

(ふと思ったけど茶器って洗っているのかな。いや洗わないか)

現代で茶道の体験入学をした静子だが礼儀作法、マナー、茶の作法、その他いろいろな決まりが多すぎて息苦しさを感じた。
礼儀作法やマナーは大切なものだと理解はしているが、どうしても茶を楽しむというより礼儀作法の発表会に感じてしまったのだ。
結局、茶道は自分に合わないと理解し、彼女は茶道の思想や哲学のみを学ぶ事にした。

それ以降信長に絡まれる事はなく、周囲に愛想笑いを振りまいて静子は酒宴を乗り切る。
新年早々、精神的に疲れた彼女は帰って布団に潜ろうと思い、酒宴が終わるやいなやすぐさま帰路につく。
しかし出発直前、彼女は信長の小姓に呼び止められた。

「お館様より静子様に恩賞をお渡しするよう仰せつかっております」

言葉と共に小姓は長方形の木箱を静子に差し出した。中身が何か確認するよりも、帰宅し睡眠を取る方を優先した静子は、特に何も言わず木箱を受け取り帰宅する。

翌日、疲れが取れた静子は木箱に何が入っているか気になり、静かに蓋を開けた。
中には使い古されて所々汚れている一丁の火縄銃が入っていた。
メンテナンスが必要と感じた静子は、彩に布と水、熱湯、それから細い棒の用意を頼んだ。

「火縄銃の分解は出来るけど、引き金の仕掛けは特注品だから注意しないとね」

古今東西、軍用に使われる武具類は構造が単純な作りをしている。それは単純な作りの方がメンテナンスしやすいからだ。火縄銃も例に漏れず部品数は少なく、単純な構造をしている。

まず銃身(バレル)銃床(ストック)、そして一番注意する尾栓ネジブリーチプラグを外す。
注意する理由は火縄銃が焼き付けを起こし、(かす)がネジ山に詰まって固着している場合があるからだ。
幸いにも尾栓ネジブリーチプラグは固着を起こしておらず、更に引き金の構造も単純だった為、静子は火縄銃の分解に詰まる事はなかった。

火縄銃の構造は極秘情報で一般には公開されていない。
だが静子は詳細な構造を文献で学び、更に火縄銃の解体ショーに何度も足を運んでいる。故に火縄銃の構造は細部に至るまで頭の中に入っていた。

分解が終われば次は洗浄だ。黒色火薬の残宰は水溶性である為、水で洗えば殆どが落ちる。
水で落とせなかった汚れを拭き取るため、各パーツを手ぬぐいで磨く。それが終われば最後の仕上げに熱湯を銃身にかける。
熱湯をかける事で銃身が加熱され、その熱で水分が蒸発する仕組みだ。

途中からハラハラしつつ見ている彩に苦笑した静子だが、彼女も「前装銃はお湯で洗う」という事実を知った時は、心底驚いたので彼女の気持ちは理解出来た。

「かなり汚れていたね……うん、これで綺麗になった」

洗浄に使った水やお湯が濁っている所を見るに、メンテンナスを怠っていたことが伺える。

「あ、そうだ。彩ちゃん、椿油持ってきてくれない?」

「椿油ですか? はい、分かりました」

菜種油と同様、植物油の選択肢を増やすため、静子は他にも大豆、胡麻、ひまわり、落花生、米ぬか、紅花、椿油の製造を行った。
しかし大豆は軍需品、胡麻は耕作地に対して収穫量が微々たるもの、米ぬかは糠から採れる油の量が少なかった。
対してひまわりは緑肥用に育成、落花生は信長から不評を受けている、紅花や椿は可食部がない。
その為、油用の加工品として大量使用しても問題はなかった。

ひまわりや落花生と違い、日本で紅花や椿の利用の歴史は古い。
特に椿は日本最古の歌集「万葉集」でも詠まれ、古くから美しい花の象徴とされてきた。
椿材は家具、調度、工芸品、薪炭用。木灰はお酒造りや草木染めに、子実から得られる油は最高級の揚げ油、化粧品、医療として珍重されてきた。
特に椿油は鎌倉時代に確立された精進料理に、揚げ油として使われていたほど歴史が古い。

静子が椿油の用意を頼んだ理由は、椿油がさび止め用として使われているからだ。
江戸時代に包丁の手入れ用として使われた記録があり、現代でも刀や包丁、彫刻刀の手入れ用として使われている。
更に椿油は髪のケアにも使われる。戦国時代、長く艶のある黒髪は美貌の象徴と言われていたが、その為のヘアケアとして椿油は珍重されていた。
少しして戻ってきた彩から椿油を渡された静子は、ハケを使って銃身の表面に薄く塗る。

「表面に塗った程度だけど、これで暫くは大丈夫かなー」

火縄銃は炭素を殆ど含まない軟鉄が使われている。よって椿油を塗る必要性は殆どない。
それを知っていながら静子が椿油を塗った理由は、念の為に錆止めの油を塗っておこうと考えたからだ。

「はぁ……」

「しかし少ないね。もっと椿を増やしたら油が多く取れるのに、何で皆あんなに嫌がるのかな?」

「静子様でなければ、神聖木の椿に対してあれだけ豪快な真似は出来ません」

椿は霊力の宿る聖なる樹、神聖木として古くから人々の信仰対象だった。
ただし霊力を一ミリも信じていない静子は、いつもの様に椿から挿し木になる部分を切り取った。
無論、彼女が挿し木を採取した椿は御神木として信仰されているものではなく、その辺りにある普通の椿だ。
それでも何人かに止められた為、採取した挿し木の数は予定の半分程度だった。

余談だが実生の場合は開花まで数年、長ければ一〇年ほどかかる。対して挿し木は一年から二年で開花する事が多い。
静子は椿の花の品種改良を目的としているのではなく、完全なめしべを持っている結実用の椿を増やす事だ。故に彼女にとって、椿を実生から育てる事にメリットは一つもなかった。
ただし椿は他家受粉で結実するため、安定して結実させるには人工授粉させる必要がある。故に、ある意味では品種改良と同じ事をしていると言っても良い。

「そんなに気にする事ないと思うのだけどね。椿が増えれば、椿油が増えて皆万々歳?」

「私には無理です」

「うーん、まぁいいか。後、椿の葉と茶葉を揉捻すれば椿茶が出来るから、そっちの準備も整えておかないとね」

「現状、椿の管理に余り人を割り当てていません。したがって、葉を収穫する際は人夫を雇わなければなりません」

「それなら仕方ないね。まずは椿油を作る職人を増やすか」

椿油を取るには花が落ちた後に結実する実から種を得て、天日干しした後に蒸し、これを『角胴』と呼ばれるてこの原理を利用した人力圧搾機にかけて絞り出す。更に長期間の保存に耐えるよう油を高温で煮沸し、布で粗漉しした上に和紙で本濾しを経てやっと透き通った黄金色の椿油を手にできる。歩留まりは原料の種十キロに対して約一升半(約2.7リットル)と比較的良好であった。
副産物として得られる椿油粕つばきあぶらかすは、天日で乾燥後肥料として配布した。

精製された椿油の大半は濃姫たちに買い取られる。たまに出入りの商人が買い取っているとの話だが、どこへ売りに出かけているのかまでは把握していない。
最終的に静子の手元に残る量は僅かだが、個人消費を考えれば十分な量なので彼女はそれで満足していた。
減らそうとしている金子が逆に増えている事に目を瞑れば、の話だが。

また椿とは直接関係はないが、蜂蜜と蜜蝋採取は特殊な機器が完成した事で効率が上がった。
それは螺旋(ねじ)を回転させながら圧力を加える圧縮製蝋器だ。
蜂蜜は回収した巣箱の巣に切れ目を入れれば、重力に従って落下するがそれで全てが採れる訳ではないので、残りを絞り取る必要がある。
蜜蝋も沸騰した水に溶かした後、木綿袋に入れて絞る必要がある。蜂蜜も蜜蝋も絞り取る方法が人力の上に、労力がかかる事から静子は圧縮製蝋器の製造が必要と判断した。

圧縮製蝋器は蜂蜜採取と蜜蝋採取の両方に使用出来る利点がある。
ただし螺旋(ねじ)の技術が、火縄銃に使われている軍事技術のため金属が使用出来なかった。
そこで静子は金属より強度は落ちるが、工具さえあれば簡単に量産出来る木製ボルトとナットを製造した。
利点は材料が金属より入手し易い、ダイス、下仕上げタップ、仕上げタップと呼ばれる工具を使えば大きさを統一して製造し易い点だ。
金属より太い丸棒を使用するが、旋盤を使えば太さの調整はし易かった。
金属の螺旋(ねじ)製造を禁止にした信長も、この様な搦手で対応されるとは思わず頭を抱えた。だがすぐに気持ちの切り替えを行い、木製ボルトとナットの利用価値の研究に着手した。

蜂蜜や蜜蝋用に圧搾機を製造して効率を上げた理由は、単純に二つの需要が高い点だ。
蜂蜜は言うまでもなく重箱式巣箱がなければ採取し難い高級品だ。
そして蜜蝋は日本蜜蜂を誘導する金稜辺(きんりょうへんと共に使用されたり、ワックスとして使用されたり、植物油を混ぜてリップやハンドクリーム、蝋燭として使用されたりと活用方法は沢山ある。
特に植物油と蜜蝋を混ぜた蝋燭は、すすが出難く優しい光を出す利点のお陰で大人気商品だ。

圧縮製蝋器は構造を応用すれば、菜種や落花生などの含油量の多い植物から油脂をしぼり取る圧搾機にも利用出来る。
しかし植物油は蜂蜜や蜜蝋に比べて量を必要とされるため、一度に多く搾り取れる水車動力式の大型圧搾機が製造された。

「そう言えば慶次さんがいないけど、どっかに出掛けているの?」

「例年通り、倉から色々なものを持ち出して、実家に向かわれました。恐らく半月は帰ってこないと思われます」

慶次が倉から持ちだした物の目録を、静子に差し出しつつ彩は語る。
目録を受け取った静子は軽く目を通す。相変わらず良く分からないものを持ち出しているな、と静子は思った。

「ま、正月だしね」

「半月は正月を大きく過ぎている気がしますが……」

「別に気にする事ないよ。どうせもうすぐ忙しくなるし、今のうちに休息をとっておく事は大事だよ」

まるで確定事項の様に語る静子に彩は眉をひそめる。
しかし彩はそれ以上深く追求する事はしなかった。漠然とだが静子から深く尋ねられる事を拒絶する意思が感じられたからだ。
滅多にない事態に彩は動揺してしまい、気付いた時には尋ねる機会を失っていた。

(いえ、きっと情報網から何か得られているだけ……それだけのはずです)

そう思い込もうとした彩だが、不安を完全に消し去る事は出来なかった。






一月二十三日、信長は義昭に殿中御掟でんちゅうおんおきて追加五ヶ条を承認させる。
これは前年に承認させた殿中御掟九ヶ条(永禄十二年一月十四日)と殿中御掟追加七ヶ条(永禄十二年一月一六日)より遥かに厳しい将軍権力・政治権限規定だ。
特に重要とされるのが四条目の『天下の儀、何様にも信長に任置かるるの上は、誰々によらず、上意を得るに及ばず、分別次第に成敗をなすべきの事』である。
意味は『天下の政治について将軍は信長に任せたのだから、信長は誰かに従う必要はなく、また将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えることが出来る』である。
合計二一ヶ条の殿中御掟は信長と義昭の不和を顕在化させた。だが両者の仲に決定的な悪化をもたらしたものではない。
二人の対立が決定的になったのは、元亀年間(永禄十三年四月二十三日)に入ってからだ。それまで信長と義昭の間に不穏な空気は流れるものの、表面上は穏やかな時間が流れる。

二月に入り静子の状況は幾つか変わる。
まず静子の上司は森可成だが、軍属は第五軍の仮所属となり、四千人の兵士が追加で与えられる。
慶次と才蔵は静子の馬廻衆という立場は変わらぬが、彼らも軍属は第五軍となる。

長可は昨年の伊勢侵攻で、若干十一歳ながらも立派な働きをした事に対する恩賞として、一月末に元服の許可が下り、更に信長より一字拝領し「森勝蔵長可」と名乗る事を許された。
軍属は父親の森可成がいる第三軍ではなく、第五軍・静子隊の部隊長となる。

静子は慶次、才蔵、長可にそれぞれ千名の兵士を与え、残りの千人と黒鍬くろくわ部隊の五百名を自分の配下に入れた。
更に弓の才がある人間を引き抜き、コンパウンドボウを装備した弓騎兵隊を結成した。ただし弓騎兵隊の試験に合格した者は僅か三十人だった。

第五軍は輸送任務がない時期、他の軍と違い尾張・美濃にある道という道にマカダム舗装の整備工事を担った。
技術屋街とは比較にならない人員が投入され、尾張・美濃の道がマカダム舗装で整備される。
急ピッチで道路整備が行われたお陰で、信長が提唱する平時・軍事の物流管理システムは予定より少し早く稼働し始めた。

馬の需要に対して供給が追いつかない問題が発生したが、信長は馬で引く輜重車と人力で引く輜重車の二種類を用意し、更に荷物船で物資の運搬をする河川ルートを構築する。
馬で引く輜重車は最大積載量が人力より多く、一日に移動出来る距離は長いが、運搬費は高く簡単に輜重車を増やせない。
人力の輜重車は馬より移動速度が遅く、移動距離も短いが価格が安く、輜重車を簡単に増やせる柔軟性がある。
河川ルートは一度に運搬出来る量が一番多いものの、運搬ルートが川の流れに左右され、天候が悪い日は運搬出来ない場合がある。
それぞれ一長一短はあるが、商人たちは荷物に合わせて使用する運搬方法を選んでいた。

治安維持に関しては厳しい対応を取った。輜重車を使っても治安が悪ければ商人の信用は得られない。信用が得られなければ、金子が尾張・美濃に落ちる事はない。
故に野盗はいかなる理由があろうと最低で禁錮刑、場合によっては斬首される事もあった。
禁錮刑も扱いは酷く、ぎりぎり生きていける状態を強いられる。これは言う事を聞かない子どもに殴って言う事を聞かせる方法に近かった。
辛い思いをしたくなければ野盗や野伏せりをせず、信長が課した法律を守れという事だ。

野盗が駆逐され治安が向上し、尾張・美濃にある道がマカダム舗装で整備されていく。道路舗装が終わるとその地域は商業活動が活発化し、戦争で荒廃した地域が復興していく。
だが織田家を包む不穏な空気は、彼らが他から抜きん出ていけばいくほど強くなっていった。






相変わらず彼女の嗅覚は異常だ、そう思わずにはいられない静子だった。

「南蛮の果物は甘いものが多いのぅ」

収穫されたみかんの味見し終えた濃姫は、満足気な表情で感想を口にする。

秋から冬の初旬にかけて収穫されるみかんを、二月に食べられる理由は簡単だ。
みかんの果実は樹に遅くまでならせておくと、甘みが増し、酸味が減ってとても美味しくなる。
極早生温州ごくわせうんしゅうみかんの様に酸味の減少が早く甘みがほぼ増加しない例外はあるものの、基本的に遅くまでならせておくと美味しくなる品種は多い。
しかしメジロやヒヨドリに狙われやすく、また遅くまで果実をならせておくと来年の着花数が少なくなる欠点がある。
これを回避するために、静子は外側や上方にあるみかんを十二月初旬の収穫時期に収穫し、木の内側にあるみかんには鳥に食べられぬように袋かけ処理を行った。

「果実をつける樹が一本とは寂しいな」

「おや、白々しいですぞ濃姫様。静子がみかんの木を増やすために、色々な所へ指示を出しておる事はご承知のはず」

まつの指摘通り、静子はみかんとレモン、更に柚子の樹を増やす準備をしていた。
みかんやレモン、ゆずなどの柑橘品種を増やすには接ぎ木が一番良いとされている。
挿し木は発根する率が低く、種子から栽培した場合は結実するまで十年以上もの長い年月を必要とする。
対して接ぎ木は台木に使うカラタチが入手し易く、また柑橘品種との活着・親和性が高い。そして早ければ三年、遅くとも七年程度で開花結実する。

「今日の茶請けはそばぼうろか」

そばぼうろの「ぼうろ」はポルトガル語で「ケーキ」を意味する「ボーロ」が語源だ。
一般的には軽い歯触りと口中でさらりと溶ける食感が特徴だが、中にはカステラのように焼き上げたものも存在する。
形も丸い形から平たくしたもの、せんべいのように大きい物や小粒のものなど様々だ。
余談だが「そばぼうろ」は明治末期、京都の「河道屋」という蕎麦屋が、ぼうろの材料にそば粉を加えて梅型に焼いたのが始まりだ。もうひとつ有名な「丸ぼうろ」は佐賀市の銘菓である。

「最近はどうですか?」

「みつおと足満が五郎に料理を仕込んだそうだが、まだまだみつおの域には達しておらぬ」

「はぁ……そうなのですか」

「冗談じゃ。端的に言えば、良い状況とは言い難い」

静子が尋ねた内容は織田家を取り囲む状況だ。そしてその状況を把握しやすい濃姫が「良い状況ではない」と言い切った意味を、静子は嫌というほど理解した。

(どんな手を使っても、歴史の大きな流れが変わる事はないのかな)

1570年に起きる歴史的事件は、浅井長政の同盟破棄、姉川の戦い、そして本願寺法主顕如の蜂起から始まる志賀の陣だ。
特に志賀の陣の初めに起こる坂本の戦いが問題だ。
この戦いにより信長の右腕である森可成、青地(あおち) 茂綱しげつな、信長の弟・信治のぶはるの三人が討死する。
それだけではなく本願寺が蜂起した事で、長島一向一揆が発生し小木江城こきえじょうを含む尾張の城が幾つか攻められる。この戦いで小木江城こきえじょうを守る信長の弟・信興のぶおきは奮戦の末自刃した。
信興のぶおきは信長から信頼の厚い弟で、彼が殺された事で信長は一向一揆衆に対し強い憎しみを持ち、一切容赦しなくなったとも言われている。

(小木江城の改修工事計画は万全、だけど石山本願寺が蜂起しないと話がやり辛いのよね。こういう時、女ってのは不便だなー。武功がなければ話聞いてくれないもん)

事前に準備をする事は男女関係なく行えるが、やはり戦場になると女の扱いは下がる。
武将を説得するには、やはり同じく武将となれる人間でなければ説得は難しい。

(そろそろ避けられないかな。きっと……坂本の戦いが決断する日になると思う)

武将たちと円滑に話をするためにも一定の武功を上げる。それは人生としての選択、後戻りの出来ない重要な決定を静子がしなければならない事を意味していた。






人夫が募集し易い農閑期、信長の命を受けた静子は尾張各地で開墾を行っていた。
尾張は山間部の少ない肥沃な大地だが、長きに渡る乱世の影響で荒廃した村は多く、また開墾されていない地域も多く残っている。
信長は今以上に尾張の税収を増やすため、荒廃した村落の復活や荒地を開墾する耕地面積の拡張計画を立てた。

一口に開墾と言っても人力、畜力、機械開墾の三種類がある。
現代ならブルドーザーなどの大型重機による機械開墾を行い、短期間で用地の開拓を終わらせる事が出来る。
しかし戦国時代に大型重機など存在するはずもなく、人力か畜力のどちらかしか選択肢はない。

そこで静子は付近の村落から牛や馬を借用し、人夫を多く雇う事で作業時間の短縮を図った。
また三男、四男など農地を持っていない若衆に、新しい村落への移住を打診する。
人夫は中間ちゅうげん(傭兵のようなもの)や出稼ぎ目的の百姓だけでなく、人身売買による労働奴隷も含まれていた。

中間は忠誠心がなく、身の危険を感じるとすぐに逃亡を図る欠点がある。しかし補充が利きやすく、こちらの都合で動かせる利点があった。
同様に奴隷も悪い言い方をすれば補充が利きやすく、こちらの都合で動かせる利点があった。
特に合戦が集中し易い農閑期は、奴隷の価格が通常の二貫文(約20万円)から二十文(約二千円)にまで急落する。
しかし奴隷の価格が安かろうと、過酷な労働を強いる様な真似はしない。見せしめ目的に働かない労働者を殺す行為は愚策中の愚策だ。
その様な真似をすれば人は育たず、いつまで経っても労働意欲が上がらない事は火を見るよりも明らかだ。

様々な事情を抱えている人夫たちだが、そんな彼らの労働意欲を上げる方法は非常に簡単だ。
それは労働による死亡率の低下、不平不満の改善、良く働く者や良く頑張った者を正しく評価し、それ相応の恩恵を与える、上手く仕事が出来た者を褒める事だ。
それが人夫の労働意欲を上げ、結果として全体の作業効率を上げる事に繋がる。

その事を証明するエピソードが、秀吉の『清洲城の石垣普請を三日で終わらせた』時の対応だ。
秀吉は人夫を幾つかの組に分けて作業場所を分担させ、更に手早く作業を終わらせた組ほど恩賞を多く与えると約束し競い合わせた。
つまり秀吉は身分にとらわれず、恩賞を上手に配りながら人夫の人心を掌握する事で、見事三日で普請を仕上げたのだ。

しかし正しく評価されている事が、中間や奴隷に伝わらなければ恩賞の意味が半減する。
そこで正しく評価された者への恩賞の話、不正を行った者への罰則の話、時事ネタなどを纏めた労働者向け瓦版を作成し配布した。

労働条件の改善を常に努めていた事から中間や奴隷たちの労働意欲が上がり、それに伴い彼らの中から才能を発揮し始める者が現れる。
優れた成績を収める者、人を率いる事が得意な者、作業効率を上げる者、労働者の不平不満の解消が得意な者などだ。
無論、良い事ばかりではなく作業が捗らず腐る者、自分の利益ばかりを優先し周囲と揉める者、不正に評価を得ようとする者など、悪い方に知恵を働かせる者もいる。
しかし全体を見れば労働意欲は上がり、当初の予定より早く開墾の計画が進んでいた。

「うん、良い感じだね。このまま行けば、数年で300万石にまで生産力が上がるかな」

「計算通りに行くと桁が二つ上がるねぇ。ま、予定通り行かなくても、桁が一つ上がる事は確定だ」

静子が見ている報告書を拾い上げた慶次が、算盤を弾きながら呟く。元は長可の為に教えていた算盤だが意外にも一番良い成績を収めたのは慶次だった。
彼は真綿が水を吸うように、算盤や印度式数学、数学の公式をものにした。
既に現代小学生、下手をすれば中学生の学習内容まで習得している状態だが、慶次はその辺りで数学の学習を止めた。その理由は、何とも慶次らしい理由だった。

「何事も少し知らない方が良いのだよ。全てを理解してしまえば、知らない事を学ぶ楽しさが味わえなくなるしよ」

彼が算盤を弄る姿で、その言葉を思い出した静子はくすくす笑う。楽しそうに笑う静子につられて慶次も笑う。だが思い出した事は良い思い出だけではなかった。

「そう言えば算盤で思い出した。また前田又左衞門様をからかってはないよね?」

静子の指摘に慶次は視線を逸らす。
元々、慶次が静子から算盤を教わった理由は、叔父の前田利家をからかう為だ。
静子は最初、慶次のからかいは利家に算盤が出来る事を自慢する程度だと思っていた。だがそれは甘すぎる考えだった事を彼女は後に思い知った。

慶次が行ったからかいは、利家が片付ける仕事を先に片付けておく事だ。前田家の決済は、大小問わずすべて利家自身が行っている。
これは信長の茶坊主である拾阿弥に度重なる屈辱を受け、遂に斬殺した笄斬り事件による二年間の浪人生活で、金子の大切さを身をもって知ったからだ。
まつから「吝嗇(りんしょく)(ケチという意味)」と揶揄される利家だが、その性格のお陰で前田家の財政は健全であり続けた。
この決済を先に片付ける事が慶次のからかいだ。それも書類に対して直接書くのではなく、ご丁寧に答えを書いた別紙を添えておくという念の入れようだ。

「うん……まぁ良くないけど諦めておく」

「すまんね、静っち。俺はただ叔父貴の仕事を肩代わりしているのに、何故か恨まれるものなぁ」

「程々にね。所で最近、倉にある清酒が減っている――」

静子が言葉を言い終える事はなかった。その前に慶次が素早く身体を反転させ、部屋から大急ぎで出て行ったからだ。呆気にとられる静子だが、頭の理解が追いついた彼女は彩を呼ぶ。

「お呼びでしょうか、静子様」

「倉の清酒を呑んだのは慶次さん、と多分だけど勝蔵君だと思う。ま、それはどうでも良くて、この書類をお館様に送って欲しいの」

傍に置いていた分厚い紙束を手に取ると、静子は紙束を彩に差し出す。受け取った彩は中身を確認するため資料を一瞥する。

「造船に関する書類ですか?」

「農地改革が落ち着いてきたから、そろそろ船に関する事を尋ねてくると思うの。だから、こちらで用意出来る情報を纏めておいたよ」

資料は船の推進器であるスクリュープロペラに関する情報だ。
プラスチックにガラス繊維を強化材として混合した、ガラス繊維強化プラスチックの船(FRP船と呼ぶ事が多い)も製造だけは可能ではある。
しかし船を廃棄する時に問題が出る。FRP船は廃棄処理やリサイクルが難しいのだ。
FRP廃船を解体、粉砕してコンクリートの原材料として再利用する技術は存在する。しかし戦国時代に実用化出来るかどうかは、検証してみない事には確証が得られなかった。
そのような問題があり、静子はFRP船の情報開示を見送った。

「分かりました。お館様にお届けするよう手配致します」

言葉通り、彩は数日の内に信長へ静子の資料を届けた。受け取った信長は間を置かず、スクリュープロペラの研究を行うよう九鬼水軍を率いる九鬼嘉隆へ命じた。






時は少し遡り、寒さが身に沁みる一月下旬。
伊勢の運営が軌道に乗り始め、京や尾張・美濃の政務が落ち着いた頃、信長は前久や家康、自身の家臣たちと鷹狩りを楽しんでいた。
鷹狩りは大鷹や灰鷹、隼などの猛禽類に訓練をさせ、鳥類や兎などの小動物を捉えさせて成果を競い合う狩猟の一種だ。
日本の鷹狩りの歴史は古く、鷹狩りに関する書が幾つも残されている。
818年に編纂され現存する鷹狩技術教科書として二番目に古い『新修鷹経(しんしゅうようきょう)』、朝倉(あさくら) 宗滴そうてきが飼育していた大鷹(オオタカ)が繁殖に成功した世界初の記録『養鷹記』、近衛前久が執筆した鷹狩りの専門的な解説書を兼ねた歌集『龍山公鷹百首』などがある。
鎌倉時代から武家にも鷹狩りが広まり、戦国時代には国人や武将の間で大流行した。
公家及び公家随身による鷹狩りも、後に江戸幕府を開く家康が禁止するまで代表的な娯楽の一つだった。

武家が鷹狩りを行う理由は、鷹を放つ瞬間を見切る事で戦場勘を養う、敵地の下見を兼ねた偵察任務が出来る、家臣たちを手足のように動かす訓練が出来ると言われている。
しかし信長と家康の鷹狩りエピソードを見るに、自慢の鷹を他人に見せびらかせたい事が一番の理由なのかもしれない。

(いつの時代も男は変わらないのかなー)

一週間ほど前、前久はひとつがいの大鷲(オオワシ)を捕獲し持ち帰った。
建前は大鷲の飼育と鷹狩りの訓練を経験したいとの事だが、本音は日本最大の猛禽類である大鷲が純粋に欲しかっただけと静子は内心思っていた。

「私も木菟たちの訓練を行わないとね」

静子が保護した梟の兄弟は頭に羽角がある梟、木菟(ミミズク)に分類される品種だった。
流石に品種名までは不明だが体長を測定すると兄の体長は75センチ、弟の体長は73センチと、これまたオウギワシの体長105センチに劣らぬ体躯であった。
中身は禄に狩りも出来ないヒヨッコだが、兄弟どちらも薄茶色に濃い茶褐色が混じり、立派な耳と鋭い目、そして堂々たる姿は見る人を圧倒する。

梟は夜行性に進化した猛禽類で、本来昼間は殆ど活動せず夜間のみ活動を行う。
これは鷲や鷹に捕食される危険性を避けるためと言われている。だが捕食者がいなければ昼に活発な活動を行い、夜に眠る生活を送る個体もいる。
昼に活動出来ると言っても目の構造上、日差しが強い日は大人しくしている事が多い。

兄弟故に同じ見た目をしているが、全てが同じではなく細かな所に違いがあった。
その内の一つが眼の色だ。兄は日の出、日の入り時に適応している橙色の眼をしており、かつ鋭い目つきをしている。
対して弟は昼間に適応した黄色の目をし、常に鋭い目つきをしている兄と違い、時々眠たそうな顔つきをしている。

「今日は捕まえた小型の鹿を使うね」

木菟たちは生後二ヶ月頃に、何らかの事情で親から見捨てられた所を静子に保護された。
故に静子には親鳥に代わって、木菟の幼鳥たちを訓練する義務がある。
訓練と言っても短距離飛行訓練、長距離飛行訓練、獲物を捕まえる訓練、腕に止まる訓練など基本的なものばかりだ。
そして今日、行う訓練は小型の鹿を木菟に捕まえさせる訓練だ。小型と言っても野兎や鼠と比べれば大きさは桁違いだ。
しかし二羽に怯えの色はなく、むしろ早く捕食させろと言わんばかりの態度だ。

旗を振って鹿を押さえ込んでいる者たちに、鹿を放すよう合図を送る。拘束がとけた鹿は一目散に逃げ始める。その事を静子が確認した所で、ようやく木菟たちを放った。
予め獲物を決めていたかの如く二羽は迷いなく飛ぶ。羽の構造上、羽音が無音に近い木菟たちの接近に鹿たちは気付かない。
接近に気付いた時、鹿たちが鳴き声を上げるが時既に遅し、木菟たちの爪が容赦なく鹿たちへ襲いかかる。
兄は長い足と鋭い爪で鹿を仕留め、弟は鹿の側面を蹴って急な坂を転がすという一風変わった仕留め方をした。弟が狙った鹿は生きていたが、後ろ足の骨が折れており立つ事は不可能だ。
翼を広げて警戒と威嚇をしていた弟の木菟も、やがて相手が抵抗出来ない事を理解すると鋭い爪で鹿の息の根を止めた。

「弟の方は中々愉快な狩りだなぁ」

静子は木菟弟の狩り方に感心するが、実は獲物を崖から突き落とす事は珍しい話ではない。高地に住む山羊を鷹が断崖絶壁から落下させ、その後巣に持ち帰った話を聞いた事がある。
野生の環境では他の動物に獲物を盗られる問題はあるが、爪で掴んだまま獲物を引きずれる力と飛翔能力があれば、高い所から獲物を突き落とす事も悪くない戦法だ。

「しかし雄の割に大きいな。迷鳥の可能性もあるから一概に何かって当てられないけど、大型の木菟は結構限定されるよね」

兄弟の品種は何かを考えながら二羽に視線を戻すと、食事を終えてこちらに飛んできているのが視界に入った。

「鹿は微妙だったか。やっぱりバランスの良い(うずら)が良いのかな」

鹿はお気に召さなかったようで、肉がかなり残されていた。
土に帰るか、野生動物の餌になるかのどちらかゆえ、鹿の死骸は放置して問題ないと静子は考えた。彼女は二羽を腕に乗せると馬の手綱を操作し、帰宅の途についた。

(……どうするかなぁ。オウギワシも木菟兄弟も、自然に帰すべきなのか、それとも責任を持って飼育すべきなのか)

馬の背に揺られながら静子は考える。ヴィットマンたちとオウギワシの違いは、固有の名前をつけているか否かだ。
固有の名前をつけるという事は、対象の動物を飼う事を意味する。それは動物の命を預かり、健康的で安全に暮らせるよう気を配り、最後まで飼育し切る責任と覚悟を負う事になる。

静子がヴィットマンたちハイイロオオカミの飼育を決断出来たのは、彼女に犬を飼育した経験と、犬や狼の生態、習性、生理に関する知識があったからだ。
対してオウギワシや木菟の飼育経験は無い。特にオウギワシは絶滅危惧種の一種だ。専門家でもない限り、個人が飼育経験を積む事など不可能に近い。

(決断しなければならないのは理解している。でも、簡単に決断出来れば苦労しないなぁ)

生態や習性を殆ど知らない猛禽類たちを、ただ可愛いや格好良いだけで飼えば双方が不幸になる事は目に見えている。
だが猛禽類はつがいの相手と同じく、一度主人と認めた相手と一生添い遂げる。オウギワシや木菟の懐かれ具合から、双方にとって一番良い未来を考えずに保護した自分の甘さを恥じた。

(あー! やめやめ。どうせ悩んでも答えは出ない。よし、決めた! 一ヶ月……一ヶ月で答えが出ない場合は責任を持って生涯飼育をする事! 今、私が決めた!)

思考回路が出口のない迷路になりかけた時、静子は全てを頭から追い出して心の中で叫んだ。
それは生涯飼育を決断した事と同意義なのだが、興奮した彼女はその事に気付かない。

その後、油断した静子は忙しさも相まってオウギワシと木菟を飼育するべきか否かの問題を忘れ、一ヶ月後に当時の決断を思い出して頭を抱えた。
お約束の様な結果だが、優柔不断になりかけていた静子にとっては良かったのかも知れない。
無理やりだが問題を解決した静子だが、すぐに新たな問題に直面する。

「名前……どうしようか?」

オウギワシと木菟二羽の名前が決まらない事に、静子は再び頭を悩ませる事となった。
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