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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十二年 伊勢平定

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千五百六十九年 九月上旬

米の収穫から税の徴収までを終えた頃から、静子は伊勢湾方面に訪れる事が多くなった。
それは信長の港湾都市群計画に携わっているからだ。
正確な日本地図を熟読した信長は、知多半島に幾つかの港湾都市を建設し、伊勢と尾張を海運で繋ぐ都市計画を打ち立てた。
現在の漁業や養殖業で生産されたものを、素早く京や堺、三河へ輸送する事で莫大な利益を得る事が計画の目的だ。
海運は重量や距離当りのコストが、他の運搬手段に比べて格段に安く、まさに大量・長距離輸送に最適な方法だ。
輸送時間は陸路より長くなるものの、信長のように精密な日本地図を持っているならば、海路による大量輸送は十分メリットを享受出来る。

元々、伊勢湾周辺は海運が盛んな地域だ。
近江国と東国との物資の中継地点である伊勢桑名・阿濃津をはじめ、伊勢神宮の外港としての大湊や鳥羽泊浦などを中心に多くの交易が行われている。
特に大湊は東海道一帯に広がる神宮領の年貢米が陸揚げされる著名の地ゆえ、物資の他に人や金も多く集まったため、相当額の関銭収入があったと言われている。

信長直営の港街は、既に多種多様の船舶が活発に往来していた。
事前に許可を取れば畿内、西国、東国を問わず停泊が可能、更に保証金を支払えば港街での商取引も可能だからだ。
開放的な港街ではあるものの、犯罪の増加や地域住民との摩擦は起こらず、良好な治安が維持されている。

商船は多くの物資を効率よく輸送する。故に一度の商取引で動く金子は陸路と桁違いだ。
その点を理解していた信長は、安全の確保と治安への信頼こそ港街が繁栄する大前提と考え、警ら隊の総力を上げて社会秩序を乱す者の摘発や、犯罪防止に力を注いだ。
また他の治安部隊と違い、港街の警ら隊には六箇条(整理、整頓、清潔、清掃、作法、躾)の教育を行った。
凡事徹底を怠らず、日々黙々と治安維持に励む事で、信長の港街は短期間の内に商人の信頼を獲得する事に成功した。

その内の一つ、完成すれば尾張最大級の規模になる港街に、静子は才蔵を連れて訪れた。

「お元気ですか、琴さん」

歓楽街にある茶屋、その店の前に置かれた縁台に腰掛けて、キセルをふかしている艶のある女性を見つけるやいなや、静子は彼女に声をかける。
眠たいのか億劫そうに顔だけ向けた琴と呼ばれた女性は、相手が静子だと分かると彼女が座れる分の空間を開けた。

「これはこれは静子様。卑しい女郎に何の御用でしょうか」

「数日前に花街で喧嘩があったと聞きましたが、その後どうなのかと思いまして」

静子は琴の話を半分流しながら、彼女が開けた場所に座る。

「花街は喧嘩ご法度、いかなる人物も喧嘩両成敗。織田様の決められた通り、警ら隊に引き渡して終わりですよ。店主、茶と蕎麦餅を二人前ね」

「そうですか、それは良かったです。所で蕎麦餅を二人前って、それだけ好きなのですか?」

「……才蔵様。静子様はたまに抜けている所がありますね」

「否定はしません」

そう言った後二人揃ってため息を吐く。
何が何だか分からない静子は、二人の様子を見て不思議そうに首を傾げる。

「静子様的に言えば『奢り』ですよ。こちとら良い商売させて貰っている身ですからね。今まではどこへ行っても、糞どもの『座』が絡んできましたから」

「私はあくまで場を提供した身ですよ。商売繁盛しているのなら、それは琴さんたちが頑張った証ではないでしょうか」

「……相変わらず変わったお人だね。女郎が座っている場所など言語道断、という連中が多いっての、あんたは気にせず座るのだね」

静子の言動に呆れた琴は、煙管(キセル)をふかした後、タバコを備え付けの灰吹きに捨てる。
歓楽街の一角を占める花街には大きく別けて三つの区があり、それぞれの区に有力者が存在している。
一之区の有力者・(こと)、二之区の有力者・(さき)、三之区の有力者・おと
三人は互いの縄張りを犯さないよう注意しつつ、花街の利益を独占していた。
花街の利益独占に対して信長が容認している理由は、彼女たちが性的サービスを含む女郎の管理を行っている事への見返りだからだ。

人で溢れかえる街は、どれほど厳しく取り締まっても女郎がいなくなる事はない。
ならば自分たちの利益になる花街を最初から歓楽街に組み込み、そこへ女郎を押し込めれば良いと信長は考えた。
それを理由に信長は女郎令を施行し、令の書かれた木札を至る所に掲げた。
女郎名簿に登録する義務を女郎に課し、無登録での営業を禁じた。また登録者も花街以外での営業を禁じた。
これらに違反した者は、逮捕され取り調べを受けた後、身一つで街から追放される。
しかし大半の違反者は警ら隊の取り調べではなく、花街の有力者からシマ荒らしに対する制裁(リンチ)を受けていた。

「あたしは自分の仕事をこなしているだけですよ」

煙管(キセル)を脇に置くと、琴は視線を変えず何気ない表情で呟く。

「本当、早いものだねぇ。この街にも様々な国の間者が入り込んでいますよ。調べた限り武田、上杉、北条、同盟国の浅井と徳川、そして本願寺に延暦寺だね。他にも色々といるが、大きな所ではそれぐらいよ」

花街は信長から利益の独占を容認される代わりに、様々な事を受け持っている。他国の間者を調べあげるのも、その内の一つだ。
他にも無許可の女郎に制裁を加えて性病のまん延を防いだり、税の代わりに上納金を収めたりと細かい取り決めが交わされている。

「お館様は大規模な港湾都市群を作ろうとしているからね。たとえ同盟国であろうとも、調べておく必要があると考えたのでしょう」

「あたしには(まつりごとが全く分かりませんわ。おっと、店主。ようやく蕎麦餅を持ってきたのかね」

茶屋の奥から茶と平皿をお盆に乗せて、店の主人らしき人物が姿を現した。
彼は遅くなった事を謝罪しつつ、両手に持っているお盆を静子と琴に手渡した。
お盆を受け取ると琴は代金を店主に渡す。代金が足りているか数えた後、店主は笑顔で「まいどあり」と呟いて店の奥に引っ込んだ。

「ありがとうございます。琴さん、ご馳走になります」

「良いって。こっちは静子様のお陰で甘い菓子が手軽に食えている身だ。感謝するのはあたしの方だよ」

蕎麦餅は蕎麦粉、米粉、塩、廃糖蜜(本来は砂糖)、水を混ぜた後、火を通しながら練り上げ、形を整えて蒸したものだ。茶は古くから愛飲されているよもぎ茶だ。
海運は船員が栄養不足になりやすい。その点を考慮し、港街の食事は美味しく、かつ栄養のあるものを低価格で提供する価格制限令が施行されている。
甘酒や焼き芋は老若男女問わず購入出来るよう最高で五文、蕎麦がきやかけ蕎麦は最高で十五文に価格を制限している。
中でも人気を誇る食べ物が焼き芋と焼き鳥で、停泊する船舶次第では警ら隊が列の整理に駆り出されるほど長蛇の列が出来る事もある。

「蕎麦餅は美味しいですが、廃糖蜜を使う関係で色が単色になってしまいますね」

「そこは店主の腕の見せどころでしょ」

廃糖蜜は食品廃材の一種ではあるが、六十パーセントほど糖分を含んでいる。
静子はこの廃糖蜜を肥料、エタノール、ラム酒、甲類焼酎(ホワイトリカー)の材料に使っていたが、最近では和菓子の甘味料として提供していた。

「ご馳走様でした。そろそろ私はおいとまします」

雑談を交えた情報交換が終わると、静子は琴に一礼して席を立つ。

「ああ、何かあったら連絡するよ」

琴は手をひらひらと振って静子を見送った。静子はもう一度頭を下げた後、才蔵を連れてその場を去った。
彼女の背中が見えなくなった頃、タバコを煙管(キセル)に詰めながら琴はポツリと呟いた。

「相変わらず腹の底が読めない娘だ」






八月二十六日。
北畠家の重臣である大宮入道が籠城する阿坂城に、秀吉を先駆けとした織田軍が城攻めを開始した。阿坂城攻めには森可成も参軍しており、必然的に長可と慶次も阿坂城攻めに参軍した。

城攻めが始まる前、森可成は長可に『一端の武将と認められたければ、周りが納得する才を見せてみろ』とだけ告げ、慶次と共に足軽の中へ放り込んだ。
慶次と共に放り込む辺り、子への甘さは完全に捨てられなかった森可成だが、それでも子どもだからという理由で長可を特別扱いする気はない。
多少は驚いたものの長可はふて腐れる事なく、逆に父親へ己の才を見せつけてやると意気込んだ。

「勝蔵、変な気負いはするなよ。何、心配するな。しくじったら死ぬだけさ」

意気込み過ぎて無駄な力が入っている長可に、慶次はいつもと変わらぬ笑みを浮かべる。

慶次の態度に気が紛れた長可は、自身を落ち着けさせるため呼吸を整える。
二秒ほど鼻から息を吸い、そのまま五秒間息を止める。そして一〇秒近く時間をかけて、口からゆっくり息を吐き出す。
これを三回から四回続けて行うと、長可から余計な力や緊張が抜け、心身ともにリラックスした状態になった。

「今回は城の中が戦場だ。十文字槍では長さが不利になる事もある。ふむ……そうだ、例の武器を使ってみよう」

「初陣でお試しとは、随分と楽しい事を考えるじゃないか。そういうの、俺は嫌いじゃないぜ」

二人が退屈を紛らわす会話をしていると、突然遠くから兵士たちの咆哮が耳に届いた。
すぐに理解する。前軍が阿坂城攻めを開始した事を。すぐさま長可と慶次のいる中軍にも、阿坂城攻めの命令が飛んだ。
命令を聞いた長可は自分を鼓舞するため、地面を力強く踏みながら咆哮を上げる。それは近くにいた雑兵たちが全員耳を塞ぐほどだった。

「うおおおおおおおおおおおおっ!!! 武将の首はどこだ――ッ!!」

猪突猛進という言葉が似合うほど、長可は勇ましく突っ走っていく。
甲冑を身に纏った状態で効率良く走る訓練を、長可は日々黙々と励んでいた。そのお陰で彼は同じく走る足軽や雑兵たちをごぼう抜きし、いつしか中軍の先頭を走っていた。

織田軍と北畠軍の雑兵たちが攻防を繰り広げる中を走りぬけ、長可はひたすら城への入り口を目指す。彼の目標は唯一つ、首級を上げる事だ。
その為に彼は幾つもの武器を携帯していた。その内の一つであるモーニングスターを、彼はいつの間にか握りしめていた。

日本では鬼の持つ金砕棒かなさいぼうが、モーニングスターに類似する武器だ。
東洋西洋問わず、鎧は断ち切ることは困難であるが、打撃に対しては耐性が低い。
広い空間なら殴打武器はリーチの差が問題になるが、城は急な階段や狭い通路が多く、そのためリーチの長い武器は扱いが困難になる場合がある。
その問題点の解決策として、長可は打撃武器を直感的に思いつく。思い立ったが吉日、すぐさま長可は鍛冶屋へモーニングスターの製造を依頼した。
出来上がったものは重量感ある見た目をしているものの、テコの原理と遠心力で殴打するため、人の力はそれほど必要としない。

「邪魔、だ――ッ!!」

城門前で秀吉軍を足止めしている敵兵の脇腹に、突如横から現れた長可のモーニングスターがめり込む。
骨が砕ける音と肉の潰れる音しかしなかった。敵兵は悲鳴を上げる前に、骨と内臓が潰された痛みでショック死していたからだ。
血と肉、体液をまき散らしながら、敵兵の死体がボロ雑巾のように転がっていく。
事の一部始終を目の当たりにした両陣営の兵士たちは言葉を失い、長可を見ながら呆然と立ち尽くす。

長可はそれを好機と捉え、呆然と立ち尽くす北畠兵を次々と撲殺していった。
やがて長可の甲冑が血塗れになった頃、ようやく北畠兵の頭の理解が追いついた。しかし追いつくと同時、彼らの戦意は完全に粉砕した。

「お、鬼だー!!」

蜘蛛の子を散らすように敵兵が逃げ惑う。

「失礼な奴らだな」

モーニングスターを担ぎ直しながら長可は呟く。彼は逃げる敵兵を無視し、城の中へ突撃する。
阿坂城内は既に乱戦状態で、至る所で織田軍と北畠軍が小競り合いを繰り広げていた。北畠軍は善戦していると言い難く、織田軍の勢いに飲まれ兵士たちは次々と命を散らせていた。
長可は雑兵同士の乱戦を無視し、敵武将の首を求めて城の中を走り回る。しかし都合良く敵武将が出くわす事はなかった。

彼は城の中を走り回りながらも、雑兵相手に五フィート(約1.5メートル)の槍、刀というより脇差しに近い長さの刀など、狭い場所向けの武器の使い勝手を試す。
その中で一メートル程度のモーニングスターは、お手軽で使い勝手が良いと彼は思った。
一度振り回すと勢いの向きを変え難い欠点はあるものの、ほぼ一撃で雑兵を撲殺出来、見た目の凶悪さで敵兵の戦意を喪失させられる利点があった。
何よりモーニングスターは重量感のある見た目をしており、敵味方問わず自分の力を見せつける事が出来る。それが彼にとっては何よりも心地よかった。

(空気が暑い。これが戦場の空気か……悪くねぇ!)

歯向かってくる敵兵を潰しつつ、長可は城の中を走り回って武勲となる武将を探す。
織田軍の勝利がほぼ確定した頃、ようやく彼は敵武将を見つけた。周囲を足軽たちが守っている所から、敵武将はそれなりに立場のある人間と長可は推測した。
彼は高ぶる気持ちを落ち着けさせると、襲いかかる織田兵を斬り伏せ、活路を見出そうとする敵武将の分析を開始する。

(……少々物足りないが、この機会を逃せば初陣で首級を上げられない。よし!)

気合を入れた後、長可はモーニングスターから槍に持ち替える。万が一、顔を潰したら武将が誰か分からなくなるからだ。

「どうした! 強大な織田軍と言っても、兵の強さは大したことないな!」

織田兵を嘲笑いながら敵武将は近くの雑兵へ斬りかかる。恐怖に飲まれた織田兵は、ただ呆然と自分へ降りかかる刀を見る事しか出来ない。
だが敵武将の刀が織田兵を斬る事はなかった。長可の槍が敵武将の刀を受け止めたからだ。
彼はそのまま力技で刀を押し返す。予想外の事に動揺していた敵武将は、長可の力を受け止められず、身体を後ろへ仰け反らせる。

「雑兵ばかりで飽きただろう。来な、相手をしてやる」

余裕の表情を浮かべた長可は、右手の親指以外の四本指を、上向きに曲げたり伸ばしたりして敵武将に安っぽい挑発をする。

「小童が! その槍ごと叩き斬ってやる!?」

乗せられた敵武将は周りを押しのけて長可を斬るため、刀を振りかぶる。しかし彼が振りかぶった瞬間、長可の槍が正確に敵武将の喉を貫いた。

「安っぽい挑発に簡単に乗るお前の名など要らん。首だけ置いていけ」

「ごが……ごぼ……」

声にならない声を上げて敵武将が崩れ落ちる。一度の斬り合いすらなく、自分たちより一回りも小さい長可が一瞬で勝敗を決めた事に、みな声を失った。

「首級、頂いていくぜ」

その場の状況が理解出来ず、立ち尽くしている雑兵たちに向かって、当然と言わんばかりに長可は宣言した。






かつて室町幕府三万の軍勢にも耐え、「難攻不落の城」の名声を天下に知らしめた阿坂城は織田軍の猛攻の前に即日落城した。

北畠家の筆頭家老的重臣であり、阿坂城の城主である大宮(おおみや) 入道(にゅうどう) 含忍斎(がんにんさい)は捕らえられた。
惜しくも彼の長男であり、秀吉の大腿部に重傷を負わせた大宮入道含忍斎の長男・大宮(おおみや) 大之丞(だいのじょう) 景連(かげつら)は逃げ延びた。
自身の大腿部に重傷を負わせた景連に、まんまと逃げられた事に秀吉は憤慨する。
すぐさま探し出すよう兵士に命じるが、彼自身も良い結果が出るとは思っていないのか、命じた後に重いため息を吐いた。

長可もまた、空を見ながら重たいため息を吐く。
彼はあの後、首級を幾つか上げたが、どれも名の知られていない人物ばかりだった。初陣を華々しく飾りたかった長可だが、現実は甘くない事を思い知った。

「探す方法をもうちょっと効率良くしないとなぁ」

「おっす、勝蔵。どうだ? 初陣は華々しく飾れたか?」

築城の勉強をするべきか長可が思案に暮れていると、城攻め時に忽然と姿を消した慶次がひょっこり姿を見せた。
普段なら何をしていたか問いただす長可だが、落ち込んでいる今の彼には慶次を問いただす気力すら湧かなかった。

「初陣が華々しい結果なら、今ごろこんな所で腐っておらん」

「わはははっ、それは残念な話だ。だが、何もかも上手く行ったら、それはそれでつまらないと思うぞ」

「分かっているが、お前に言われると腹が立つ。所で一つ聞きたい。雑兵が妙に弱かったのだが、何か知らないか?」

長可は攻城中の事を思い返す。堅牢な阿坂城の兵士に似合わず、雑兵や足軽たちはすぐさま降参した。
最初は腑抜けどもと見下したが、城主の大宮入道が織田軍の降伏勧告に応じず、徹底抗戦の構えを見せた事を考えれば、足軽たちの素早い降伏は異常な状態である事が分かる。

「簡単な話さ。北畠の領土は、稀にみる不作に見舞われた。見てきたが城の中には殆ど備蓄が残っていなかった。多分、足軽や雑兵たちは今日食うのも困るほどだったのだろうよ」

「……蓄えが一切なかったのか?」

「雑兵を使って食料庫を虱潰しに調べた。捕虜に尋問をしたが、どう考えても食料が枯渇している以外の結論は出ない。不作の上に備蓄が底をついている、だから足軽たちの士気が落ちていたのだろうよ」

「ふーむ。やっぱり静子は特殊って事か。あいつの場合、日照りや不作の気配が見えたら、何かよくわからん対策しているしな。日照りで収穫が下がる事はあっても、一定の収穫量は常に確保しているし」

「まぁうちは静っちがいなかったら、軍備がもっと少なかったと思うぜ。大軍を動かしているのに、まだ余裕があるそうだからな」

北畠の治める南伊勢は不作による食料不足が起きていながら、織田軍と戦うために強引な食料の買い占めを行った。
百姓は支配者が誰であろうと、自分たちを守ってくれる人間であれば問題視しない。これは支配者が自分たちを簡単に捨てる人間と理解すれば、すぐに手のひらを返す事を意味する。
その点を理解している信長は飢えた民を懐柔する調略を行い、彼らの信を得た。
地元民の協力が得られれば、北畠軍に関する情報を入手したり、意図的に情報が遮断されるようにしたり、虚偽の情報を流して北畠陣営を混乱させる事が可能だからだ。

軍備の底が見え始めた北畠軍に対し、織田軍は十分な軍備があり、更に試行段階とはいえ兵站の導入を行っている。
尾張・美濃から武具類や食料が次々と陣中へ運ばれ、荷物のなくなった小荷駄隊に補給が行われていた。
この差に北畠軍は勿論、味方の神戸氏や長野氏も信長に恐怖を覚えた。
昨年の税で得た米を放出し、今年納められる税の保管場所を確保する為、信長は南伊勢への侵攻時期を九月に定めていた、と理解したからだ。

「今回、織田軍は試す事ばかりしているな。二軍体制もその一環だ」

「何だそれは?」

「北畠が籠城するのを見越していたかは知らないが、今回の合戦は五万の兵士を一ヶ月毎に交代させるそうだ」

信長は当初、伊勢侵攻に十万という大軍を導入する気でいた。
しかし伊勢侵攻の作戦を考えていく上で、彼は重大な問題に気付いた。十万もの大軍で侵攻する際、武具類や食料の消費量はどの程度か。物資の輸送コストはどの程度必要か。
北畠陣営が籠城を選択し、年が過ぎるのを待つ作戦に出ると考え、信長は最前線である程度戦った部隊は、一旦後方に下げて補給と休養を与える事にした。
五万の兵士を30日から40日ごとに交代させれば、北畠陣営に対して精神的な重圧を与えられ、更に他国に対してもまだ兵力に余裕がある事を見せつけられると彼は考えた。
無論、戦力の逐次投入は愚策と理解している信長は、作戦の全てを五万の兵士で行えるかどうかで計算した。

「籠城する北畠親子を降伏させる為の圧力か」

「そ、大河内城の四方を囲んで降伏を促す作戦さ。ただ北畠親子が劣勢に立たされても、頑なな態度を一切崩さないから時間はかかると思うけどな」

「ふん、どうせ六〇日もしない内に降伏する」

「そうだな。それを考えると、北畠氏も阿呆と言わざるをえない。昔から備蓄のない籠城は地獄のように悲惨な上に、事態が好転する事はまずないのに」

「腹が減ったぐらいでひ弱な。と、言いたい所だが阿坂城の雑兵たちを見るに、やせ細った雑兵は敵側だと有りがたいが、自軍の場合は頭を悩ませる事になるな」

「織田軍は食糧難にならんからねぇ。おまけに今年は静っちの政策が実を結ぶ年だし」

「あぁ、岐阜米だったかな。確かあれは旨い米が沢山作れる品種、と静子が言っていたな」

岐阜米は元々狭い土地で生産高を上げる為に研究開発された品種だ。
赤米や黒米を超える収穫が見込め、更に赤米や黒米とは比較にならないほど美味しい。
また病害虫に強い品種を掛け合わせて作り上げたため、有機栽培でも農薬栽培に近い収穫量が可能だ。
その岐阜米生産が、今年から尾張・美濃全土に広まったのだ。

「俺も報告書から推測された数値を見たが……はっきり言って静子じゃなかったら頭を疑っていたな」

「それは俺もだ。ま、俺は岐阜米より尾張米が好みだ。確か今年は結構な量を生産していたはずだから、帰ったら楽しみだぜ」

「尾張米は下賜品にも使われるから、どれほど残るか分からんぞ」

そんなくだらないやり取りをしつつ二人は陣へ戻る。
その後、織田軍は少し休憩を挟んでから北畠具教、具房父子が籠る大河内城を包囲した。






八月二十八日。
信長は大河内城の東にある山に柴田勝家、森可成、佐々成政らを従えて陣を張る。
西側には秀吉、氏家ト全、佐久間信盛らが、北側には斉藤新五、坂井右近将監らが、南側には丹羽長秀、池田恆輿、滝川一益らが置かれた。
更に鹿垣を四方に二重、三重に結わせ、柵ぎわを前田利家らが見張った。

包囲開始から数日後、信長はまず潤沢にある黒色火薬と堺で調達した火縄銃を使って、北畠父子に軍備の差を思い知らせて精神的に屈服させる作戦に出た。
しかし通常の合戦とは比較にならない量の黒色火薬を使用し、城の一部を蜂の巣状にしながら何度も降伏を勧告する書簡を大河内城へ送ったが、十日ほど経っても降伏に応じる旨の書簡は返ってこなかった。

包囲してから十二日目の九月八日、信長は現状を打破するため夜襲を決意する。
しかし、その日は昼過ぎから伊勢の山々の上に灰色の雲が現れ、肌に感じる風も秋にしては生暖かい。信長は生暖かい風を感じつつ思案した後、森可成を呼び出す。

「可成、今宵雨は降ると思うか?」

「……はっきりと断言出来かねます。ですがこういう時、悪い方に当たる事は多いです」

「ふむ」

信長は夜襲時に雨が降るリスクが何かを考える。
雨で火縄銃が使えず、視界が悪くなる事で距離感が狂う。それは夜襲が失敗するリスクを上げるだけだと理解した信長は、夜襲の指示を少しだけ変更した。
南に布陣している丹羽長秀、池田恒興、稲葉一鉄らに夜襲を行わせる事自体は変わらないが、雨が降った場合は夜襲をせず兵力を温存するように命令を変更した。

また雨で視界が悪くなる事は相手側が好機と考える可能性があるため、各方面にいる武将たちに『相手側からの夜襲を警戒せよ』と注意喚起を促した。
これが功を奏し、史実ならにわか雨で鉄砲が使えず、城兵の抵抗の前に損害を被って撤退を余儀なくされた恒興らだが、雨に見舞われたため信長の指示通り夜襲を行わず撤退した。
無謀に突撃せず兵を引かせた事に機嫌を良くした信長は、丹羽たちを労い、夜襲の兵士たちに十分な休息を与えるよう指示した。

九月十一日、北畠父子は依然として降伏勧告に応じず、徹底抗戦の構えを解かない。
南伊勢の攻略を短期間で終わらせたい信長だが、籠城する相手に力技は兵の損害が無視出来ない。

(食料がないと思われる城で籠城しておきながら、家臣の不満が高まらない理由は何か)

備蓄は枯渇気味、援軍は期待出来ない、食料を買い占める事もままならない。
絶望的な状況で数ヶ月も耐えられる人間はそう多くない。
本来なら不平不満によって家臣内に不穏な空気が漂うはずだが、その気配が一向に感じられない理由は、どこかから食料が供給されていると信長は考えた。

「猟犬部隊を呼べ!」

信長は近くの小姓へ命令を飛ばす。

猟犬部隊とは訓練された犬を中心とする軍用犬部隊である。犬は轟音に弱い欠点を抱えているが戦闘、伝令、探知、追跡、警護、哨戒、運搬と人間との共同作業に従事する忠実さがある。
犬の漢字は他に「狗」があるが、これは「下級の、劣っている」という意だ。故に信長は「狗」ではなく「犬」の漢字を使っている。

「夜目がきく者を集め、敵の補給路を探せ」

少しして猟犬部隊の隊長たちが集まった。彼らに対し、信長は短い命令を出す。
短く返事をした後、猟犬部隊の隊長たちは部隊の中から選りすぐりの人間を集める。
四日後、兵士たちが寝静まった夜中から明け方にかけた時間帯に調査を行った猟犬部隊は、数本の補給路が大河内城に続いている事を発見する。
更に二日間、綿密に調査すると補給は一度に大量の物資を運ぶのではなく、複数の補給路を使い分け、かつ数日かけて少量の物資を運んでいる事が分かった。

「無意味な頑固さを見せておきながら、その裏で合理的な戦略を練っていたか。誠に見事である。補給路を発見しなければ、我々はいつまでも阿呆な面を晒していた事だろう」

報告を受けた信長は北畠親子を褒め称える。劣勢に立たされても、白旗を上げず勝ち抜く気概を持ち続ける北畠親子を素直に凄いと思ったからだ。

「補給路を潰しになりますか?」

「いや、補給路は潰さない。数日の間は、こちらが用意した補給物資を運び込んで貰う」

「は、はい」

信長の真意が見えず、森可成は困惑する。しかし彼が真意を語る事はなかった。

九月二十日、信長は補給物資を運ぶ人間を皆殺しにし、物資を自分たちが用意したものにすり替えた後、大河内城へ運び込ませた。
更に彼は武将たちに周囲にある田畑の作物を全て刈り取らせた。そして周辺の村、城下の住人を全て城内に追いやった。
数日で異変を察知した北畠陣営だが、それを見越して信長は北畠陣営の補給路を断つ。
補給路の間に幾つもの簡易的な関所を設置し、兵たちへ積み荷の半分を関銭として徴収するよう命じた。

明確な嫌がらせを知っても北畠陣営は手も足も出ない。
関所へ攻め込めばその道が重要である事を織田陣営に教えてしまう。しかし関所をそのまま放置すれば補給はままならず、増えた住人のために一ヶ月もしない内に軍備が枯渇する。
住人を放置し餓死させれば、やがて住民による食料暴動が起き信長と合戦どころではなくなる。
様々な負の情報により、あっという間に北畠陣営は不穏な空気に包まれる。

「報告では城内から時折怒号が聞こえるとか」

「はい。住人による暴動が発生するのも、時間の問題かと思われます」

可成の言葉に信長はますます上機嫌になる。

「だが慢心するのは良くない。追い詰められた奴らが、ここで一気に巻き返しを図ろうと夜討ちを仕掛けてくる可能性がある。各武将たちに夜討ち対策の準備を怠らないよう喚起しておけ」

彼の予想は当たり、北畠軍の船江衆が氏家卜全の陣所に夜討ちをかけた。
しかし信長の指示に従って夜討ち対策を整えていた氏家卜全は夜襲を難なく防ぎ、更に徹底的に追い詰めて船江衆を壊滅させた。

氏家卜全の陣所への夜討ちは防げたが、北畠陣営を追い詰め過ぎたため信長は手痛いしっぺ返しを受ける。
滝川一益が西の魔虫谷から攻め上がったが、城中から弓・鉄砲が隙間なく射ちかけられ、更には鑓先に油を塗って火を入れた数万本の竹鑓が投げ落とされた。
大河内城からの激しい抵抗に滝川勢は手痛い損害を受け、戦果を上げられず撤退する。

「もはや奴らに力は残されていない。四方八方から波状攻撃を仕掛けるぞ」

滝川の敗退に信長は北畠軍が風前の灯火であると考え、四方から波状攻撃を仕掛ける事を決断する。
兵の入れ替えが終わる九月二十七日から、織田軍は大河内城に対し波状攻撃を行った。
今までにない猛攻、しかし城から打って出ればすぐさま撤退する織田軍の態度に、北畠軍は思うように動けず肉体的・精神的負担が重なるだけだった。
死中に活を求める事すら出来ず、北畠陣営は極めて厳しい状況に陥る。

「一切の手加減を許さぬ。皆殺しにする心構えで城を攻めよ」

しかし信長は北畠がどれほど武将や兵を失おうと、家臣たちが手加減する事を許さなかった。
それから六日後の十月三日、遂に北畠陣営は白旗を上げ講和の打診を信長に送った。






講和の打診を受けた信長は、すぐさま大河内城へ使いの者を出す。
北畠具教、具房父子は大河内城から出城する事。茶筅丸を具房の養嗣子とし、更に北畠具教の娘である雪姫(千代御前)の婿として迎え入れ、茶筅丸を北畠家の跡継ぎとする事。
その他様々な条件を全て受け入れれば降伏を認めると、使者は北畠陣営へ通達した。
内容は完全に北畠家の乗っ取りだが、北畠具教、具房父子は信長の条件を全て受け入れ、大河内城から退却した。

十月四日、信長は北畠具教、具房父子を大河内城から出城させた後、田丸城をはじめとする北畠配下の城を破却させた。
そして滝川一益らに城を押さえさせ、茶筅丸が大河内城に入るのを見届ける。
また往還の旅人を悩ませていた伊勢の諸関を廃止し、関銭の徴収を固く禁じる布令を発した。

十月五日、宇治山田へ行き、伊勢神宮の内宮、外宮、朝熊山に参拝する。

十月六日、小作に宿泊する。

十月八日、伊賀上野の城に移り、信長はここで軍を解散した。

十月九日、馬廻衆と共に京へ向かった。しかし千草まで進んだ所で大雪に足を止められ、一泊する事となる。

十月十日、近江の市原で宿泊する。

十月十一日、京へ入り伊勢国平定を将軍義昭に報告する。
京で四日から五日ほど政務をこなした後、信長は十七日に美濃の岐阜へ帰る。

そのスケジュールを知っている静子は、長可たちが帰ってくるのは十日と考え、彼らを迎え入れる準備をする。
だが慶次と長可は静子の予想より一日遅い十一日に帰宅した。彼らは荷物を片付け終えるとまず風呂に入り、次に食事を取り、最後に酒を呑んで寝た。
彼らが帰宅して以降、武将たちも入浴を目的に次々と訪れる。彼らは信長が来訪するまで、束の間の休息を満喫した。

「……何故、私がこんな事をする羽目に……?」

十七日に岐阜へ戻った信長は、溜まった政務を片付け静子の元へ訪れる。
彼は温泉を満喫する前、静子にある指示を出した。それは端的に言うと飯を作れ、である。
戦国時代、料理人になれる人間は少ない。特に武将や国人に食事を出せる料理人は極僅かだ。

何故なら国人が体調を崩して病にかかれば真っ先に疑われる立場であり、更に史に名を残すような名誉は中々得られないが責任は重大という、極めて不遇な立場だからだ。
更に仏教の考えが根強い戦国時代は、信長のように贅沢な食事をする事は悪徳と考えられていた。
しかし彼はそれを逆手に取り、家臣たちにこう言い聞かせた。

「仏の開祖である釈迦仏陀は『全ての命は等しく尊い』と説いた。なのに、何故貴様たちは仏の言葉を無視し、命に優劣をつけようとするのだ? 全てのものに感謝し、残さず食す事こそ仏の教えとわしは思うが、貴様たちはどう思っておるのだ?」

正論を語っているが、信長の本音は『いちいち人の食べているものにケチをつけるな』だ。
彼は食べ物へのこだわりが薄いとはいえ、他人から意味もなく指図されるのを嫌う。

「だからと言って旨い飯を頼むぞ、と丸投げは止めて欲しいなぁ……」

愚痴を零しても仕方ないが、ついため息が出てしまう静子だった。
だが食事会はガラス製品の良さを信長に伝える良い機会と考え、静子は前向きに献立を考える。
彼女が考えた献立は鶏肉と本しめじの炊き込みご飯、松茸の吸い物、舞茸や椎茸の天ぷら、季節の温野菜だ。
これに食前酒として梅酒、更にデザートとしてアイスクリームを乗せたマロンプリンを出す。

静子がアイスクリームやプリンが作れるのは、殆どみつおのお陰と言っても過言ではない。
夏の終わり、技術街でギアやクランクの再現に成功したため、静子は遠心分離器の開発を考えた。
しかし彼女は深く考え過ぎたせいか、中々設計図が書けなかった。その話をどこから聞きつけたのか、みつおが現れてあれよあれよという間に設計図を書き上げた。
構造がシンプル過ぎて不安になった静子だが、実際に製造すれば驚くほど簡単に作れた。

勿論、色々な欠点はあるものの、ひとまず遠心分離器としての性能は満たしていた。
後に足満から『みつおは日曜大工が趣味だ』と聞かされ、彼が遠心分離器の構造を理解していた理由が判明した。
もっとも遠心分離器がなくとも、生クリームは生乳を静置しておけば、勝手に脂肪分が分離される。
その生クリームを容器に入れ、上下に振れば短時間でバターが作れる。
だが生クリームもバターも日本料理では必須調味料ではない事から、静子は強く所望しなかった。あれば便利、という程度の気持ちだ。

牛乳や生クリームが手に入れば、プリンやアイスクリームを作る障害はほぼない。
バニラエッセンスなどは流石に入手出来ないが、なくてもアイスクリームやプリン作りにさほど問題は発生しない。
マロンプリンの材料は茹でた栗、牛乳、砂糖、卵。アイスクリームは生クリーム、砂糖、卵、牛乳が最低限あれば良いからだ。

「(最初が肝心)お待たせしました」

タンブラーグラスを乗せたお膳を、静子は緊張の面持ちで信長の前へ置いた。

「ほぅ……これは磁器とも陶器とも違う器だな。陽の光を浴びて輝いておるわ。それが何とも幻想的な美しさだ」

タンブラーグラスは美しい蒼色のカットグラスだった。
望遠鏡に使えるガラスレンズの製造が、ガラス開発の最終到達点だ。対してカットグラスは反静子派を黙らす目的として作られたものだ。

出来栄えによっては反発する人間を黙らせられる、とガラス職人見習いたちは考え、彼らをあ然と言わせる作品作りに没頭した。
笹っ葉に麻の葉紋、 矢来三筋紋など江戸切子に多いデザインを彼らは好んだ。これは江戸切子が身近な和の文様を切子にしている事が理由だ。

「南蛮でガラスと呼ばれる器です。私は尾張切子と呼んでいます」

透きガラスで作られた蒼色のカットグラスは神秘的な輝きを放っていた。
信長は一目惚れしたようで、中身のなくなったグラスを手の上で転がしてグラスの輝きを楽しんでいた。

「お、お館様。ガラスは割れると鋭利な刃物になりやすい為、お手を怪我する可能性がございます。取り扱いにはご注意をお願いします」

「ん? そうか……もし、この中に今でも静子へ不満を持つ者がいるなら名乗り出よ。これほど美しい器を超える成果が出せると、自信があるのならな」

信長の問いに声を上げる者は一人もいなかった。

「さて、話はこれで終いじゃ。料理を持ってまいれ!」

信長は家臣を一瞥した後、号令を下す。外に控えていた小姓たちが、信長の指示に従い次々と料理を運ぶ。

「流石、静子じゃ。大した馳走を作りおる」

梅酒からマロンプリンまで概ね好評だった。特に舞茸と椎茸の天ぷらが大好評で、信長にしては珍しく三回おかわりを要求した。勿論、武将たちもおかわりを要求したのは言うまでもない。

「まこと美味ですなぁ」

「このキノコと肉の混ぜ飯など、毎日食べたいぐらいですぞ」

(まぁホンシメジは私の時代でも贅沢品だったからねー)

史実は不明だが、幸いにして信長から借りている山はきのこの宝庫だった。勿論、危険な毒きのこもあるがそれらは深い穴に埋めて捨てている。

きのこ好きなら静子の立場は垂涎の的であろう。
松茸、舞茸、ホンシメジ、更には人工栽培の椎茸。その他にもマイナーだが、旨いきのこが旬に取れる。
更に他の人間は山への侵入が禁止され、万が一それを犯せば厳しい処罰が下される。

「温泉で身体を癒やし、馳走をたらふく食べて英気を養うが良い」

信長は腹いっぱい飯を食う家臣に対して、笑みを浮かべながらそう語る。

誰もが楽しげな笑みを浮かべて食事を取る中、黙々と食べる人間がいた。秀長である。
反静子派を煽った秀長は企みが失敗したが、元より彼はいかなる結果であろうと問題なかった。

反静子派が強くなれば、主流派との間をとりなして両方に影響力を強められる。主流派が力で反静子派を抑えれば、反静子派を自陣営に取り込む事が出来る。
静子が失敗し失脚すれば、彼女を救い上げて自陣営に取り込む。静子が成功を収め、見事な結果を出せばそれはそれで面白い。
今回の騒動は彼にとって小手先調べで、静子を潰す気は毛頭なかった。

(あの娘、意外と肝が座っておる。まさか年を超える前に成果を見せるとは。ただ単に流されるだけではない。敵に対しては容赦なく攻めてくる気構えがある。主流派が彼女を擁護する理由が少し分かった気がする)

表面だけ見れば、静子は信長に良いよう扱われているだけの存在だ。
しかし貧弱な雰囲気は偽装であり、内側は武将に劣らぬ闘争心があると秀長は考えた。

(女と侮れば手酷い火傷をおう可能性がある。ここは暫く様子見といかせて頂きましょう。しかし、来るべき時が来た時、その力は織田様ではなく兄者の為に使って頂きますよ、静子殿)

伊勢を平定し、天下布武への道は順風満帆の歩みを見せていた。
しかしこれから先の道は、一難去ってまた一難、まさに試練と困難の連続である事を彼らは知らない。
織田家を取り巻く不穏な空気は徐々に、そして着実に広まりつつあった。






本格的な冬の到来を迎え、寒さもひとしお身にしみる頃。
櫻信之社おうしんのやしろにある社務所兼住居から、二振りの愛刀を腰に下げ、マフラーを首に巻いた足満が出てきた。
マフラーは彼が自分で選んだとは到底思えない、北欧系の可愛らしいデザインだった。

足満は周囲を警戒しつつ、ある木の根本に腰を下ろす。瞑想するような雰囲気を醸し出しているが、勿論彼は瞑想などする気は一切ない。

「……公方は密書を浅井と朝倉に送ったか?」

(はい。貴方様の予測通り、足利公方様は密書を各地に出しております)

見渡す限り周囲には誰もいないが、足満の問いかけに対して老人の声が応えた。しかし足満は顔色一つ変えず、むしろそれが当然の様に問いかけを続ける。

「織田が各地の国人に上洛を促しているが、朝倉はそれを無視しているな」

(配下の調べでは完全に無視しているようです)

「浅井に届けられた密書は誰が受け取った。備前守か、それとも左兵衛尉か」

(左兵衛尉様が先に受け取っております)

「ならば早急に朝倉とやり取りをするであろう。その辺りを注意深く監視しておけ。備前守はともかく左兵衛尉は、朝倉程度の雑魚に固執する可能性は高い」

浅井家は六角家と長年に渡り勢力争いを続けていた。
そんな六角家からの攻撃を防ぐため、浅井家は近畿北部の名家である朝倉家と同盟を結んだ。
以後、浅井家と朝倉家は互いに深い信頼関係を持っていた、と言われている。
しかし浅井家と朝倉家は対等だったのか。幾つかの証拠を見れば、その疑問が湧き上がる。

「詰めの城」に位置する大嶽おおづくにある城は、浅井家の城ではなく朝倉家の城だ。
小谷城をはじめ、周辺の浅井氏の城郭には、全て朝倉の城郭技術が使われている。
浅井の領国である近江国と、朝倉の領国である越前国との国境付近に、浅井が城を一つも建てていない。
朝倉の本拠地である越前一乗谷には、朝倉の家臣たちに混じって浅井氏の館がある。
禁制の書留文言で朝倉景健の「下知」に対し、浅井長政の禁制では「執達」である事など、おかしな点は枚挙にいとまがない。

特に朝倉との国境付近に城が存在しない点が異常だ。
一度は同盟だったが後に敵対関係となった信長に対しては、姉川合戦前に美濃との国境にある城の防御を高めるため、急きょ修築等を行っている。
愛知川を挟んで対立関係だった六角に対しても、明確に国境の防御を担当する「境目の城」を構築している。
しかし朝倉との間にだけ「境目の城」が構築されていない。
朝倉にだけ国境という感覚が感じられない浅井家の態度こそ、浅井家が越前朝倉家の被官(守護大名に従属する国人領主)である可能性が高いと言える。

(恐れながら朝倉氏は歴史ある名家。雑魚という評価は眉をひそめかねません)

「歴史ある名家か、それが何になる。足利氏も名だけなら長いが、今や将軍一人を守る力すらない。織田家の財力と軍力があってこそ、奴は生きておれるのだ。それが現実だ」

(……貴方様は足利氏の為に動いているのではないのか)

「勘違いするな、鳶加藤。わしにとっては公方が死のうが、足利氏が滅ぼうが関係ない。無論、浅井や朝倉も同様だ。だがあの娘は備前守とお市の事を気にかけておる。だから、わしは動いているに過ぎん」

姫をあやすような目で、壊れ物に触れるような優しい手でマフラーをなでる。されど優しい目の奥に狂気を感じた鳶加藤は、無意識の内に背筋を震わせた。

「お前に武田の暗殺を知らせたのも、優しさなどという安っぽい理由ではない。お前の能力がわしの為になる。ただそれだけだ」

(それでも貴方様のお陰で助かった事は事実。老い先短い身ながら、最後まで貴方様の為に働かせて頂きます)

「死ぬまでわしの為に働け」

それだけ告げると足満は腰を上げる。
座る時にはなかった袋が木の根本に置かれていたが、足満は気にせず社務所兼住居に向かって歩く。やがて彼の背中が見えなくなった所で、鳶加藤は小さく呟いた。

(一度も気を抜かれなかった。徹底しておられる……だが仕方なし。あの方は常に裏切られてきたのだからな。それでもあの狂気が、わしの心胆を熱くさせる。ふっ、わしも既に狂気に飲まれた人間かも知れんな)

彼がそう呟くと同時、軽い風が木々を揺らす。 木々の揺れが収まると、木の根本にあった袋は忽然と姿を消していた。
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