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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十二年 伊勢平定

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千五百六十九年 七月中旬

七月、ポルトガル宣教師のフロイスはロレンソを連れて岐阜を訪問する。
訪問の理由は京で起こっている宣教師追放の動きを止めるため、そして信長に自身の保護を求めるためだ。

最初は宣教師追放運動の主導者である日乗と、フロイスたち宣教師を日乗から身をもって守る和田惟政の間で手紙のやり取りが行なわれていた。
天正元年を境に政治から消える日乗だが、この時の彼は信長の懐刀と言っても過言ではない。
彼はその卓越した手腕を、信長の京支配の万般おいて遺憾なく発揮した。更に禁中の諸事情に精通している事から朝廷との窓口も担った。

信長の外交政策の一翼を担う日乗は、一貫して宣教師排斥に動いていた。
「宣教師のいるところは騒乱が起きて破滅する」と信長へ進言した所から、彼は何かを知り宣教師に対して危機感を覚えたのだろう。
しかし残念な事に、彼が何を見て、何を知ったかは記録に残っていない。

キリスト教を憎悪している日乗と、和田惟政の話し合いに進展はほぼなく、逆に悪化の一途を辿る状況だった。
この状況を解決するため、フロイスは信長に保護を求める事を決意したのだ。

彼はまず夜半過ぎの四時に近江国へ出発し、坂本でロレンソと合流した。
その時、ロレンソは日乗の書状を持参して和田惟政のいる越水城にいたからだ。
なお惟政は日乗の書状を見た後、それを床に投げ捨てたとの話が残っている。
そこから推測するに、日乗の書状は彼にとって好ましくない内容だったのであろう。

ロレンソからフロイスが美濃へ向かう事を知ると、惟政は信長の家臣宛に一通、岐阜にある宿の主人宛に一通、計二通の書状をロレンソに渡した。
その二通の書状を持ってロレンソはフロイスと合流し、船で坂本から朝妻へ向かう。
朝妻に到着後一泊し、翌日陸路で近江国から美濃国へ入り、岐阜にある惟政推薦の宿屋に泊まった。
すぐ動かないのは佐久間信盛と柴田勝家が京から岐阜に戻っておらず、また秀吉が尾張にいるためだ。

時間を持て余したフロイスはロレンソと共に岐阜の城下街を散策する。
あちらこちらから喧騒が聞こえ、さながらバビロンの雑踏の様相を呈していると彼は感じた。
岐阜の城下街は楽市楽座政策のお陰で、訪れた人々が豊かさを実感出来るほど賑わっていた。

楽市楽座は領国経済振興策として、信長が実施する前に今川義元や斎藤道三、六角承禎などが実施していた。
しかし彼らは部分的にしか導入しておらず、本格的に導入したのは信長が初である。
彼は永禄十年(1567年)に岐阜城下加納市場を楽市とし、翌年に楽座令を発布した。これにより信長は商取引における既得権益を排除した。

室町末期から既得権益の弊害は目立ち始めていた。
商人が商売を始める場合、まず市を統括する寺院に納入金を払う必要があった。この納入金によって営業権を取得したのである。
納入金を支払わなかった場合、武装集団が商売道具や店を破壊、場合によっては商人やその家族にまで乱暴狼藉を働いた。
また座も生産から販売の独占権を持ち、この座に加入する場合も株という会員権が必要だった。
無論、これを取得せず商売をした場合、やはり武装集団が乱暴狼藉を働いた。
この弊害をなくすため、信長は楽市楽座を施行すると共に、乱暴狼藉を働く者を徹底的に取り締まった。

更に信長は関所の整理も行った。
この関所についてはそれなりに誤解が多い為、最初は関所について説明する。
まず江戸時代からの関所と、江戸時代以前(室町~安土桃山時代)の関所では役割が違う。

江戸時代の関所は要地に設置されており、そこで「身分改め」という往来手形(身分証明書)と、関所を通るための関所手形の検閲、危険物の持ち込み・持ち出しがないか荷物検査等、いわば現代の入国手続きに近い事を行っていた。

なお江戸時代で女性の関所通過が非常に厳しい理由は、人質である大名の妻子が逃げ出さないようにする為だ。
その為、江戸から女の一人旅は確実に関所で弾かれた。親兄弟同伴か、男性を含むグループ旅行、男性の使用人等がいなければならなかった。
更に女性には通常の手形の他に、御関所女手形なる物が特別に必要だった。

これを入手するには、まずは藩の係の人や名主から証明書を発行して貰う。
次にそれを持って町奉行で許可を貰う。
最後に幕府御留守居役に必要書類を提出して、ようやく御関所女手形が発行された。
だが御関所女手形があれば素通り、という訳にはいかなかった。
江戸時代は全国に五十三箇所の関所があり、内重要な関所は二十二箇所だ。
その内、十七箇所には人見女ひとみおんな改姥あらためうばと呼ばれる、女性専用の検査官がいた。
彼女たちは二人一組で検査を行い、どちらかが駄目だしをすれば、いかに御関所女手形があろうと関所を通る事は許されなかった。
この検査で弾かれた女性は、再び江戸へ戻り幕府御留守居役から新しい証文を発行して貰い、再度関所に向かうという途方も無い労力を強いられた。
十五日経ってようやく関所を通った、という記録が残るほど女性の関所通過は厳しかったのだ。

更に時代劇等で関所は一つに思われがちだが、最も重要な関所と呼ばれた「箱根の関所」は本関所の他に、五つの裏関所というものがあり、本関所を含むそれら全てが柵で繋がれていた。
これらを迂回するには途方も無い労力を必要とし、見つかれば問答無用の死刑という重罪だった為、よほど後ろ暗い事がない限り、時間がかかっても関所を通過した方が安全だった。

対して江戸時代以前の関所は、幕府ではなくその地を治める領主が勝手に設置したものだ。
そして持ち込む物に対して、統一された関銭せきせんがなく領主によってまちまちだった。
本来、関銭せきせんは次の関所までの安全保証に対する警固料(対価)だった。
しかしいつしか領主たちは租税の一つとして関所の数を増やし、ついには僅か十五キロの間(伊勢の桑名から日永)に六〇もの関所が作られる所も出来た。
大坂と京都を結ぶ淀川の問には、一時期四百近くの関所が設けられ、多種多様な関銭せきせんが課せられた。
これにより輸送業者や商人の移動コストが跳ね上がり、物流の動脈硬化が起こった。

この幕府・公家・寺社による関所の乱立を止め、不要な関所を廃止にしたのが信長である。
彼はまず尾張・美濃の関所を整理し、上洛を果たした後は畿内の関所を整理し、伊勢国で影響下にある土地の関所を整理した。
ただしこの関所整理、物理的に関所を無くしたように聞こえるが実はそうではない。
関所廃止政策は、国防、流通ルート、輸送コストや輸送時間など様々な事を考慮し、必要な場所だけで交通税を取り、不必要な場所では交通税を取らないようにしただけだ。
更に彼は敵勢力の関所に対して難癖に近い理由をつけ、無理やり交通税を廃止させた。
これは敵勢力の資金源を奪うと共に、自分の領土へ商人や商品が円滑に流れるように仕向ける為だ。

つまり信長は既得権益を排除、もしくは破壊して回ったのではなく、元々あった既得権益を織田家が「独占」出来るよう仕向けただけに過ぎない。
更に楽市楽座は市場開放のように聞こえるが、岐阜の時は合戦で荒廃した城下町復興の意味合いが強かった。
それでも商人たちにとってはありがたく、「織田領では誰でも自由に商売が出来る」という言葉だけで商人やたちが岐阜へこぞって押し寄せた。

勿論、何をしても良い自由ではなく明確な規則があった。
商人たちは諸税免除、債務破棄、諸々の労役が免除される代わりに、押し買い、狼藉、喧嘩、口論、不法占拠、不法者を市の中へ入れない事を厳守しなければならない。
また諸税免除と言っても、織田家の公共サービスを受けるには税金を支払う必要があり、店を構える時には最低限ではあるものの保証金を支払う必要があり、他国の市より低いとはいえ商取引には一定の税が課せられていた。

(岐阜は物に溢れ、それを目当てに人が集まり、そしてこの地にお金を落とす。織田殿の政策は素晴らしい。我が国にも導入出来ないか検討が必要だ)

都から離れた地域が繁栄するには、何か理由があると考えた彼は、この手法が自分の国でも応用出来ないか考える。
しかし考えこむ時間は余りない。まずは目の前の敵をどうにかするのが先決だ。

フロイスは柴田や佐々と会談し、岐阜を見て回って秀吉が尾張から戻るのを待つ。
柴田と会った時、フロイスは信長と会う事は出来たがその場で会談を開くことは叶わなかった。
そして岐阜について数日後、ようやく尾張から秀吉が戻ってきたため彼らはすぐに行動を起こす。その甲斐あってか秀吉と会談の場を設ける事が出来た。

秀吉は協議後、フロイスたちが持参した草案を信長へ渡す。信長は内容を確認した後、右筆を呼び寄せて朝廷と義昭に宣教師たちを庇護する内容の書状をしたためた。
その後、天下布武印がついた宣教師たちを庇護する内容の書状を秀吉に与え、更に秀吉はフロイスたちの為に、惟政と日乗へフロイスを庇護する書状をしたためて両方をフロイスに渡した。

「此度は誠にありがとうございました」

書状のお礼を述べるため、フロイスは柴田に信長との会談を頼んだ。信長も色々と思う所があったのか、柴田から話を聞くやいなや彼らを居館へ招いた。

「気にするな」

信長は笑みを浮かべながらそう答える。フロイスはもう一度お礼と思って頭を下げた後、ふと周囲を見て違和感を覚える。
信長の知恵袋である頭巾宰相(静子)の姿が見えないからだ。
常に信長と行動していると思ったが、良く考え直せば信長が京にいる時、彼がいない時の方が多かった事をフロイスは思い出す。

「お館様、ご試食会の準備が整いました」

「ん? おお、そうじゃった。フロイス殿よ、本日は料理の試食会を行う予定じゃったのだが、貴殿もどうかね」

「宜しいのでしょうか」

「構わん。京の料理ではないが、岐阜の料理を堪能していきたまえ」

「ありがとうございます。お相伴しょうばんさせていただきます」

フロイスの言葉に満足した信長は、楽しそうな笑みを浮かべて何度か頷く。
勿論、彼が笑みを浮かべた理由はフロイスの返事に満足したのではなく、ある目論見が成功した為であった。

「始めろ!」

信長の号令と共に入り口の襖が静かに開けられる。
先頭にはフロイスと謁見した時の格好をした静子、その後ろに小姓たち二人がそれぞれおぜん(一人前の食器と食物を載せる台)を手に入ってきた。
静子を見たフロイスは思わず彼女の方へ顔を向けるが、静子は気にせず信長の前に座るとおぜんを静かに置く。

「一品目は鶏皮と葱の炒め飯でございます。鶏皮と葱と飯、そして溶き卵を混ぜて炒めただけの単純な料理でございます。木匙ですくってお召し上がり下さい」

信長から少し横に移動した後、静子は咳払いをしてから料理の説明をする。

「この木匙で食すのだな……うむ、旨い。混ぜ飯を炒めるだけで、こうも味が変わるとはな」

底の浅い木匙で食べる信長を見て、フロイスとロレンソも見様見真似で食べる。
口の中に入れた瞬間、飯粒が浮遊するような食感にフロイスは驚く。次いで醤油の香ばしい匂い、鶏皮のカリカリした食感など咀嚼するたびに新しい味や匂いに目を回す。

「美味しい」

極めて月並みな表現だが、フロイスはそれ以外に的確な表現が見つからなかった。

「ふむ、鶏皮を炒めただけではないな。皮の脂が殆どないのに、飯が脂を吸ってべとべとになっておらん」

悪戯っ子のような笑みの信長が、炒飯を食べながら質問を投げる。

「ご慧眼恐れいります。鶏皮は炒めると油を沢山出します。本来なら捨ててしまう所ですが、この油に葱と大蒜おおひる)(ニンニクの事)、生姜を入れて油に香りをつけますと、独特の香ばしい風味をつける油、鶏油(チーユ)というものが作れます。先ほどの炒め飯は、この鶏油(チーユ)を使って調理しました」

「なるほど。本来なら捨ててしまう油を、飯に風味をつける油へ変えたのか。実に見事な逆転の発想じゃ」

信長は上機嫌で静子を褒める。言葉にこそしなかったが、フロイスも同様の思いだった。
余り物で作った、と言えば聞こえは悪いが、余り物でこれほど素晴らしい料理を作れる人間が一体どれほどいるのだろうか。
改めて頭巾宰相の知恵、そして発想力に驚いたフロイスだった。

「ご堪能頂けて幸いです。では、次の料理に参ります」

静子は軽く両手を叩く。今度は小姓が三人、新しい料理を乗せたお膳を運んできた。
お膳が信長の前に並べられると、軽く咳払いをしてから静子は料理の説明を口にする。

「二品目は鶏肉じゃがでございます。鶏モモ肉、ジャガイモ、玉葱、しらたきを砂糖、味醂、酒、醤油、ダシ汁で作った煮汁で時間をかけて煮ました」

「ジャガイモ……? あの観賞用のジャガイモの事ですか?」

ジャガイモ、という言葉にフロイスは眉をひそめる。
ヨーロッパにジャガイモが伝来したのは16世紀だが、食品としての地位を獲得したのは18世紀中頃である。
欧州で最初にジャガイモを食品と考えた人物はプロイセン王フリードリヒ二世だ。
フリードリヒ二世はジャガイモが寒さに強く、踏まれても大丈夫、収穫量は小麦の三倍、必要な時に収穫出来るという点が、富国強兵を進める上でうってつけの作物だと考えた。
彼は1756年にジャガイモ令を公布し領民たちにジャガイモの栽培を推奨した。

欧州でジャガイモが食品として受容されるまで、ジャガイモは観賞用の花として扱われていた。
同時に「聖書に載っていない作物」として「悪魔の植物」扱いも受けた。
トマトが伝来した時、ヨーロッパで食用として受容されなかったのも同様の理由である。
だからフロイスにとってジャガイモは悪魔の植物であり、食用として用いられる材料と露ほども思っていなかった。

「ジャガイモは芽や緑色になった部分を摂取すれば腹痛や嘔吐を起こしますが、取り除けば実は食用として利用出来ます」

ジャガイモはナス科に分類され、芽や緑色になった部分には天然毒素の一種であるソラニンやチャコニン(カコニンとも呼ぶ)が多く含まれている。
これを摂取すると頭痛、嘔吐、下痢、食欲減退などが起こる。
当時の欧州はジャガイモに対するレシピがいい加減で、このソラニンを摂取するようなレシピが平然と世に出回っており、中毒を起こす人が続出した。
ウォルター・ローリーがジャガイモをエリザベス女王に献上した際、料理人が誤って葉と茎を調理したため女王が食中毒を起こした逸話もある。

「ジャガイモに良く味が染みておる。それにほこほこして食感も良い。しかしジャガイモでなくとも、里芋で代用出来そうだな。五郎に里芋が代用品に出来るか研究せよ、と命じておけ」

「了解致しました」

信長と静子の会話を聞きつつも、フロイスはジャガイモを前に難しい顔をしていた。
一分近く逡巡した後、彼は思い切ってジャガイモを口の中に放り込む。
最初は涙目で嫌そうな顔をしていたフロイスだが、徐々に顔が和らいでいく。

「……美味しい。ジャガイモは苦くて、土臭くて、とても食べられたものではない、と聞いていたが、料理の仕方を変えるだけでこれほど美味しくなるのか」

最初の嫌悪も忘れ、フロイスは鶏肉じゃがを次々と口の中に入れ、あっという間に平らげる。

「この汁に混ざっている何か……ええと、醤油でしたか? これがとても良い味を引き出しております」

「我が国で開発された醤油を気に入って頂けるとは幸いだ」

醤油の起源は幾つかあり、更に初期はたまり醤油であった。
一七世紀には日本国外へ輸出されていた事から、それまでに本格醤油が発明され量産された事は間違いない。
だがたまり醤油から本格醤油に切り替わった時期を記す文献は残念ながら存在しない。
つまり信長の時代には、醤油はどこか一部でしか使われていないか、それとも静子が知っている現代の製法ではない方法で、醤油として製造しているかのどちらかだ。

だからこそ信長は、贔屓の醤油を自身の名と共に歴史へ刻むため、あえて「我が国が開発した」と断言したのだ。
故に本来の醤油がどこかに存在していても、既に織田印がつけられた醤油が朝廷、将軍、同盟国にばら撒かれているので、歴史上に名が出てくる事はなくなってしまった。
なお、もう一つのお気に入りの調味料である『だし入り味噌』も、信長は同じ手段を用いて広めていた。

話を戻そう。
信長は小姓を呼ぶと、火入れ済の醤油を瓶詰めした後、フロイスに渡すよう命じた。
この時、陶器の瓶(コンプラ瓶)に詰めて歴青で密封した醤油瓶の内、一本がポルトガルへ届けられ、枢機卿であり後のポルトガル王になるエンリケの手に渡った。
以降、彼は死ぬまで醤油をこよなく愛し、親族は勿論、ポルトガルの大貴族、聖職者、官僚に至るまで醤油をばら撒く熱狂ぶりを見せるのは、また別の話である。

「三品目のご紹介に移ります」

お膳には大皿一枚にチキンカツが乗せられていた。
その横にトマトケチャップ、大根おろしポン酢、タルタルソースの三種類が入った小皿が添えられていた。

「鶏モモ肉に衣をつけ、油で揚げたカツという料理でございます。酒、水、醤油で下味をつけた後、小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣をつけて揚げました。かけ汁はトマトから作ったトマトケチャップ、大根おろしにポン酢をかけたもの、そしてタルタルソースでございます」

勝つカツか。何とも良い名前だな」

弱い自分チキン勝つ(カツ、という語呂合わせも可能でございます」

「ふはははっ! 何とも良い意味だ! 気に入ったぞ」

上機嫌で笑った後、信長は三種類のタレでチキンカツを食べ比べする。
フロイスたちは信長に一歩遅れる形で食べ比べをした。

「上にかけるもので、こうも味が変わるとは新鮮です」

「衣の歯触りが心地よいです」

三品ともフロイスとロレンソに好評で静子は内心ホッとした。
実は試食会をするというのは大嘘で、自分たちの料理でフロイスたち宣教師を驚かす事が信長の目的だった。
特に信長は醤油を売り込む意気込みが強く、静子に南蛮人が苦手とする食材を使った醤油料理を作れ、という指示を出すほどだった。
ジャガイモが毛嫌いされている事に着目した静子は、メインがジャガイモに見えやすく、それでいて味の調整がし易い鶏肉じゃがを出す事にした。

「以上を持ちまして料理の試食会を終了させて頂きます。続いて菓子の試食会に移らせて頂きます」

静子の言葉と共に菓子を乗せたお膳が運ばれる。
しかし小姓が運んできたお膳は、先ほど料理で使ったお膳より一回り大きかった。
その理由はソーサー付きコーヒーカップ、そして比較的大きめの二段重箱がお膳に乗せられているからだ。

「何じゃ、この黒い液体は」

コーヒーカップに入っている黒い液体に信長は首を傾げ、静子に質問を投げる。

「まずは重箱の蓋をお取り下さい。その中には三種類の菓子が入っております」

言われるまま信長たちは重箱の蓋を開ける。中を見て信長は感嘆の息を吐き、対してフロイスは顔の筋肉を硬直させた。

「上段の左から順に金平糖、パンケーキの蜂蜜かけ、野いちご大福。下段に参りまして左から順にみたらし団子、餡ドーナツ、羊羹になります。黒い液体は大豆コーヒーという飲み物でございます」

「大豆……コーヒー?」

コーヒーという単語に信長は勿論、フロイスやロレンソも首を傾げる。
フロイスがコーヒーを知らないのも無理はない。コーヒーは17世紀前半にヴェネツィア商人を介してヨーロッパに広まるまで珍奇な飲料扱いであった。
その為、植物学者や医学者以外の人間には、その存在を殆ど知られていなかったのである。
逆にイスラーム世界でコーヒーは、9世紀に豆の調理法が記述されるほど古くから愛飲されている。

「はい。大豆を炒って熱を冷ました後、煎った豆を挽きます。その挽いた大豆を布で包み、熱湯を注いで漉したものが大豆コーヒーでございます」

代用コーヒーの一つであるため、本来のコーヒーと比べて物足りない感じはするが、カフェインがなく、軽い飲み口ながら爽やかな苦みと豊かなコク、大豆独特の香ばしさがある。
更に大豆の栄養価が評価され、大豆コーヒーは健康食品として扱われる事もある。

「苦い……しかし菓子を食べた後に飲むと、この苦味が癖になる」

「爽やかな苦味が、菓子で甘くなった口を洗ってくれます」

「甘い餡、そして酸味の強い野いちご、両方が混ざって何とも言えぬ味が口の中に広がります」

信長、フロイス、ロレンソの三人は、菓子と大豆コーヒーをいたく気に入ったようで、三品試食した後というのに、六品の菓子をあっという間に平らげた。

「旨かった。しかし蜂蜜かけの量が、少々物足りぬ感じだ」

味の濃い物、塩分の多い物、そして甘いものが好物の信長は、蜂蜜かけの量が物足りないと感じた。

「それが適量でございます」

しかしその言葉が必ず出てくると考えていた静子は、即座に信長へ反論した。

「多少なら問題ないだろう?」

「駄目です」

「食後の運動に励めばーーー」

「ご自重下さい」

「……仕方ない」

「ご理解頂けて幸いです。過度な甘味の摂取は健康を害しますので、くれぐれもお気をつけ下さいませ(……私の知らない所でたっぷりかけそうな気はするけどね)」

姿勢を正した静子は、一度三人を見据えた後、深々と頭を下げてこう言った。

「これにて、某の試食会は終了になります。皆様、お付き合い頂き、誠にありがとうございました」






信長とフロイスの会談は和やかな雰囲気で終わった。フロイスは信長に見送られ、ロレンソと共に岐阜の宿屋へ戻る。

「これから織田殿を中心に、この国は変わっていくでしょうね」

「はい。我らが思いもつかないような事を、次々と実現しております」

「しかし頭巾宰相殿が、料理にも詳しいとは意外な発見です。彼は優れた武人であると同時に、教養が高い文化人でもあるのでしょう」

フロイスは楽しそうに言葉を口にする。彼にとってどんな事も神の導きである。
よってフロイスは静子のような異端児と出会う事も、神が自分に試練を与えていると考えた。
良く言えば非常に前向き、悪く言えば何でも神を盲信する考え方だ。

「いずれこの国が織田殿に支配された暁には、彼を我が祖国に招待したいですね。あの叡智の持ち主であれば、きっと回答を頂けると思います」

「それは……?」

ロレンソの言葉にフロイスはにこやかな笑みを浮かべてこう言った。

「船乗りが恐れる血を吐く病(壊血病)と、我が祖国や周辺国を襲う黒い病(黒死病)です。共に我が教会の権威を失墜させた病……ですが彼ならば、何かしら知っていると思います」

「そ、それは流石に無理なのでは」

「いいえ、彼はコンフェイトを見ただけで、同じような菓子である金平糖を作りました。何か我々には分からないような、それでいて核心に迫る何かを知っていると思います」

ロレンソは半信半疑だったが、フロイスは静子が何か知っていると確信していた。
賢者に匹敵する叡智を持つ人間の旅立ちを、誰一人として止めないのはあり得ない。
きっと何かを知り得たが、時の権力者に脅威と見なされ追放されたのだろうとフロイスは考えた。

「ひとまず織田殿に本日の件で贈り物をしましょう。焦る必要はありません。徐々に彼へ近づけば、自ずと頭巾宰相と繋がりを持つ事も出来ます」

その後、フロイスは信長にあるものを贈るが、彼はすぐに『それ』は手に余ると理解し静子へ丸投げした。






「でっか!」

絶叫に近い叫び声を長可が上げる。無論、驚いているのは彼だけでなく、慶次や才蔵も呆然とした表情だった。彩に至っては失神そうな勢いだ。

「おお……これはまた随分珍しいものだね」

信長の下賜品である巨大な檻、その中にいる動物に静子は物珍しげに見る。
彼女の眼前にある檻は一辺が2m以上、高さはゆうに人の倍はある。その中に威風堂々たる姿で鎮座しているのは一羽の(ワシ)だ。
日本では大鷲(オオワシ)犬鷲(イヌワシ)尾白鷲(オジロワシ)の三種が見られるが、大鷲(オオワシ)は北海道に鮭を求めて、尾白鷲(オジロワシ)は冬季に北日本へ飛来(冬鳥)する為、戦国時代の人間が犬鷲以外を見る事はまずない。
余談だが、日本の鷹狩りは主に(ハイタカ)大鷹(オオタカ)の二種が使われ、小鳥には小型の(ハイタカ)を、(キジ)や鴨、兎には中型の大鷹(オオタカ)が用いられていた。

「周りを忙しなく見回しているけど、見知らぬ土地で警戒心が強くなったかな? とりあえず生肉食べる?」

生肉を見せた瞬間、鷲の顔つきが変わる。明らかに獲物を狙う顔だが、ケージが邪魔で狙う事は叶わず。

「えーと何々……肉を与える者を主人と見なすよう調教しています。とても人懐っこい子です。是非とも可愛がって下さい……って本当かいな」

一緒に届けられた説明書を読むが、にわかに信じがたい内容だった。
しかし鷲が空腹なのは間違いないと考えた静子は、家鴨の肉を檻の中へ投げ入れた。
瞬間、止まっていた木の棒から目にも留まらぬ速さで鷲が飛び降りる。肉を足で押さえつけ周囲に邪魔者がいない事を確認した後、肉を啄み始めた。
啄んでいるというより、肉を引き千切っていると表現する方が正しいが。
威勢の良い豪快な食事光景だが、それは相当餌が抜かれていた事だと静子は理解する。

「そりゃ日本じゃ獣肉なんて簡単に手に入らないよね(……この子もヴィットマンと同じく、人間の都合で生まれ故郷から無理やり連れ出された子か)」

鷲は雛の状態で生息地から運び出され、船の上で調教されながら日本の九州にやってきた。
最初は献上された国人も喜んでいたが、成長するに従って食事量は増加。ついには人夫一人が三ヶ月雇える金子で買える食料を、僅か一ヶ月で消費するまでに至った。
こうなると国人は懐事情が無視出来ず、ついに宣教師たちへ鷲を返すまでに至った。他の大名も同じ結果になり、遂には宣教師たちも鷲を持て余すようになった。

献上品としての利用価値がないと判断した宣教師たちは、京のフロイスへ献上品として使えと押し付ける。
押し付けられたフロイスも最初は扱いに困ったが、鷹狩りが好きな信長なら鷲を喜ぶと考え、一縷の望みをかけて彼へ献上する。
しかし信長は自身の手に余ると判断し、静子に下賜品の名目で押し付けた訳である。

フロイスも知らない事だが、実は静子に下賜された鷲より更に大型の鷲が一羽いた。
しかし半年前、飼い主が鉄で出来た檻から木製の檻へ鷲を移し替えた。
それから数日後の夜、大型の鷲は木製の檻を粉砕し悠々自適に逃亡したとの事だ。

「うちはヴィットマンたちがいるから、肉が沢山あるのよね。今さら鷲が一羽増えても大した差じゃないね」

信長は鶏、家鴨、鵞鳥、そして最近では合鴨(あいがも)(うずら)の養殖まで手を広げた。
五鳥衆(ごちょうしゅう)という鳥養殖専門の職業を新設した事から、彼の意気込みが伺える。

この五鳥衆(ごちょうしゅう)とは養殖技術の規格統一は勿論、生態の観察及び研究、養殖の手法を汎用化や簡略化の研究、効率の良い養殖方法の研究、羽毛一本に至るまで無駄のない利用方法の研究等、多種多様の研究が基本的な役割だ。

信長は『極めなければ内容が理解出来ない養殖技術は無価値』と考え、鳥養殖に関しては徹底的に規格統一と汎用化、合理化を突き詰めていた。
正月に配布された「食十二ヶ条」の影響もあり、鶏卵産業は尾張・美濃の百姓の間で瞬く間に広まり、今では一大産業にまで発展した。

「さて、この子を腕に乗せてみるけど……誰か挑戦したい人はいる?」

瞬間、全員が手を振って拒否する。しかし彼らの反応は至って正常だ。
檻にいる鷲は大鷹(オオタカ)と比べると、大人と赤子ほどの差がある。爪の長さは見た感じ十五センチ以上、全長は一メートル近くもあるのだから。

多少怖さはあるものの、鷹を腕に乗せたい欲求があった静子は、自身の腕に太い縄を巻き、その上に鹿の皮で作った手袋を重ねる。
準備が整うと静子は檻の中にいる鷲へ顔を向ける。鷲を良く観察した彼女は、檻の中にいる鷲に見覚えがある事に気付く。

「これ……オウギワシ?」

頭頂にある黒い扇形の冠羽、顔の周りにあるもこもこした毛、見る限り全長一メートル近く、爪の長さは二〇センチ近く、とオウギワシの特徴と尽く一致した。
全長から大型の雌個体である事が推測出来る。雄より雌の方が大型化する猛禽類だからだ。

「もしかしてネイティヴ・アメリカンから貰ったのかな?」

ネイティブ・アメリカンは中央アメリカから南アメリカに生息するオウギワシを捕らえて飼いならし、装飾用に冠羽を使っていた。
また、生きたオウギワシを飼っている者は、仲間から大変尊敬されたと言われている。

(まさかこれ以上の大きさの鷲って……絶滅したあの鷲じゃないでしょうね)

まさかそんな、と静子は自分の考えを否定する。しかし歴史に記されている年月に絶滅したという証拠はない。
単に絶滅したであろうと推測したに過ぎず、そのため少数ながら生き続けている可能性は否定出来なかった。

「(まぁ今はオウギワシに集中しよう)ほらここ、ここに乗るの。おーよしよし……いい子いい子」

自分の腕を指さしながらオウギワシが乗るのを待つ。暫くして首を傾げながらも、オウギワシは檻から出て静子の腕に乗った。
流石に握力百以上で握られる事はないが、それでも十キロ近い重さが静子の腕にのしかかる。

「(確かテレビとかで、鷹師はご褒美を与えていたなぁ)ご褒美のお肉だよ」

久々のお肉なのか、オウギワシは一心不乱に家鴨の肉を引き千切っては食べていた。

「(多分、長期間肉を与えないと主人とは認めないだろうね)よし、君用の小屋を作らないとね。鉄製の檻は狭いだろうし」

静子はオウギワシが、手紙通り単に肉を与えた人間を主人と認めるとは思えなかった。
人間に媚を売らず、他の個体と群れず、ただ生涯一人の伴侶と生きる。そういう孤高な生き方が猛禽類の魅力だ。その猛禽類と信頼関係を結べなければ、主人と認められないだろう。
鷹狩りでも同じだ。鷹匠と鷹の間に固い信頼関係があるからこそ、鷹狩りは可能なのだ。

「ま、暫くは鉄の檻で我慢してね」

静子の言葉を理解したのか、オウギワシは一際高く鳴いた。






静子が正式に飼っている動物は、ヴィットマンたちハイイロオオカミと信長より下賜されたオウギワシだ。しかし彼女の周りにいる動物はその二種だけではない。
静子の居住地一帯は今も開墾が続けられているが、主にインフラ整備であり規模は小さい。
人口密度も低く、畜力開墾は規模によっては数年を要するため、まだ人の手が入っていない自然が多く残されたままだ。そこを多種多様の野生動物が住み着き始めた。

その中で幾つかの種が静子と関わりを持った。
まず農業と切っても切れない関係のカラスだ。日本にはハシボソガラスとハシブトガラスの二種が多く、現代日本では大型の鳥類に分類されるハシブトガラスが都市部で良く見られる。

余談だがハシボソガラスとハシブトガラスは大きな違いが幾つかある。
まずハシボソガラスは単独かペア行動が多く、対してハシブトガラスは群れでの行動が多い。
またハシボソガラスは地面を歩く事が多いが、ハシブトガラスは食べる時と水浴びをする事以外、常に高いところにいる。
これはハシボソガラスが開けた場所で生息するのに対し、ハシブトガラスが森林の中で生息していた事が理由と言われている。

ハシボソガラスはハシブトガラスより小さく、良く餌を奪い取られたりしているが、その分、彼らは創意工夫や学習能力が非常に高い。
現代日本で横断歩道に胡桃を落として車に割らせたり、賽銭箱から金を盗み鳩の餌を自動販売機から購入したりするカラスは、たいていハシボソガラスだ。
無論、ハシブトガラスが低能という訳ではなく、ハシブトガラスもまた数々の賢い逸話を持っている。

動物系を好むハシブトガラスに対し、主に植物系の餌を好むハシボソガラスが静子の居住地周辺を縄張りとしたのは当然の結果だ。
最初こそ農作物被害を防ぐためハシボソガラスを追い払っていた静子だが、暫くして彼女はハシボソガラスを追い払う事を止めた。
決してハシボソガラスを追い払うのを諦めた訳ではない。そこにはハシボソガラスの驚くべき戦略があった。

農作物を狙えば静子に対策を練られると彼らは考え、餌を農作物から畑の害虫へ切り替えた。
雑食のハシボソガラスは昆虫やカエルなども食べる。農作物から害虫を主食に切り替えても何ら問題はなかった。
こうして自分たちは敵ではない、と静子にアピールし続ける事で彼女の敵愾心を無くしていく。
この作戦は大成功をおさめ、見事ハシボソガラスの集団は静子の居住地近くに縄張りを持つ事に成功した。
およそ三〇羽の群れは、野菜屑や間引きした農作物、害虫にやられた作物限定なら食べ放題だった。

静子と野生動物の共存関係は何もハシボソガラスに限らない。
ホンモロコを養殖している地域にはニホンカワウソが住み着き、養殖場から外の川へ逃げたホンモロコや周囲に住むカエルを餌としていた。
更に静子が椎茸を栽培している山には2,3組のつがいのオオワシがいつしか住み着いていた。
彼らは夏の終わりから冬の初めは鮭を求めて北海道へ。それ以外の季節はホンモロコが主目的、たまに漁村でお零れを貰いに行っていた。

蚕産業が活発な地域や穀物を保管する区画には、いつしか無数の日本猫が住み着いた。
それを知るや否や、静子はすぐに「猫を首輪で繋げるべからず」という禁令が書かれた木札を掲げた。
貴重な愛玩動物の猫をできるだけ失わないようにするために、首輪を繋ぐ飼い主が多かったからだ。
禁令を出した事で最初は飼い主たちから不満が出たが、猫の放し飼いを厳命した時期を境に、鼠による鼠害が目に見えるよう激減した。
この結果を目の当たりにした飼い主たちは、猫を首輪に繋げる事は鼠を駆逐するという猫本来の役割を阻害していたと理解し、静子へ抗議した事を謝罪した。

人間と動物が共存する環境は、大小問わず多くの生き物が住み着く。そしてその中で循環サイクルが出来上がり、生態ピラミッドが完成する。
故に静子の周りに様々な野生動物が集まってくるのは自明の理であった。

「だからと言って野犬まで欲しくない、かなぁ」

しかし野生動物の中には招かれざる客もいる。その中で一番問題視している動物が野犬だ。
鼬鼠(イタチ)も野犬と同様の害獣だが、鼬鼠(イタチ)は大型の猛禽類が生息している地域には住まない。
鹿は現代日本なら農作物を食い荒らす害獣だが、静子の居住地周辺は多くの肉食動物が生息する関係で、害獣というより山の環境を破壊する問題動物扱いだ。

「多分、この辺りだと思うのだけど」

静子はカイザーたちを引き連れて、野犬が侵入した区域に移動する。
カイザーたちとしては縄張りに侵入した野犬は見せしめの意味も含めて始末したい所だが、静子は例え野犬といえども余計な血を流したくなかった。
しかし縄張りの支配は静子にとって必要な仕事だ。これを怠ればヴィットマンたちが安心出来ない。
そこで彼女は素早く、しかし正確に野犬の群れを統率するリーダーを始末する事にした。
これをする事で静子は頼りがいがあるとヴィットマンたちに思わせ、かつ野犬の群れを屈服させる事が出来るのだ。

犠牲なしが一番良いが、戦わなければ縄張りを失う。そして野犬に縄張りを奪わる事は、周囲に多大な迷惑を被らせる事になる。
ヴィットマンたちの飼い主として、静子は縄張りを守り通す責務を果たさなければならない。
しかし強者の理屈を野犬に押し付けてリーダーを殺める以上、その犠牲を無駄にしないのがせめてもの手向けだ。
リーダーは丁寧に埋葬し、残りの野犬はダニやノミの除去、各種健康診断後、訓練を経て警ら犬や伝令犬として生まれ変わらせていた。

「さて、この辺りのはず……おや?」

コンパウンドボウを構えて周囲を警戒すると、野犬の群れが目に入る。だが彼らはこちらに意識を向けず、木の下にある何かに意識を向けていた。
だがそれも僅かだった。静子たちに匂いに気付くと、野犬たちは警戒と威嚇の声を上げる。
一際大きく吠え、野犬に護衛されている犬が群れのリーダーだと静子は気付く。矢を筒から取り出すと同時、周囲の茂みから野犬が次々と現れた。
しかし静子に恐怖はなかった。すぐ傍に在る頼もしい護衛たちを撫でると、矢を番えながら短く告げた。

「カイザー、ケーニッヒ、前後の警戒をお願い。アーデルハイト、リッター、ルッツは左右の警戒。一撃で決めるよ」

瞬間、カイザーたちが猛々しく咆哮する。
静子は五匹のハイイロオオカミ、対して野犬は三十匹近くを従えていた。数の差では圧倒的に不利だが、カイザーたちは大型犬を超える体躯である事、何より闘争心の違いがあった。
その勢いに飲まれた野犬たちは、頭を低くし耳を頭の方へ倒した。それを見たリーダーが、怯える犬たちに発破をかけようと、周囲の野犬たちに向かって吠え出した。

(目を逸らした!)

リーダーの意識が静子から手下に変わった瞬間を、彼女は逃さなかった。番えていた矢をリーダーの脳天目掛けて放った。
矢を放つ音にリーダーが気付いたが、流石に静子から目を離した状態で、秒速100mを超えるコンパウンドボウの矢には対処しきれなかった。
脳天を貫かれたリーダーは、血を流しながら地面に倒れ伏す。僅かに痙攣した後、呻き声一つ上げず絶命した。
そこからは話が早かった。群れのリーダーが死んだ事で野犬たちは抵抗の意志を失い、仰向けに寝転んで静子に服従のポーズを取った。

「ルッツ、彩ちゃんに手紙を届けて。アーデルハイトとリッターは野犬を整列。カイザーとケーニッヒは一応周囲の警戒をお願い」

犬笛が無くとも静子の言葉を理解しているのか、カイザーたちがそれぞれの役割を全うする。
ルッツは手紙を彩に届けるため駆け出し、アーデルハイトとリッターは吠え声を上げて野犬たちに命令を飛ばした。
静子は絶命したリーダーに合掌をすると、野犬たちが興味を示していた場所へ向かった。木の下まで移動すると、野犬たちが興味を示していたものが何か理解する。

「……フクロウ?」

木の下にいたのはフクロウの雛だった。しかし毛は薄汚れており、動きも怠慢で、見るからに衰弱しているのが分かる。
更に鳴き声が木の上からも聞こえ、少なくともフクロウの雛が二羽いる事が分かった。
木を登って巣を確認すると、こちらも衰弱死手前の雛が一羽いた。
親の痕跡が見当たらない所から、何らかの理由で親が子供を放棄したか、それとも怪我や病気で死んだかのどちらかだろう。

「仕方ない。見てしまった以上、見過ごす訳にもいかないしね」

雛を巣ごと抱えて木から下りた後、地面にいた雛を巣の中に入れた。
二羽とも大人の羽根が生えてきている所から、生後二ヶ月程度だと静子は思った。

「確かフクロウって生後三ヶ月で大人と遜色ない姿になるけど……それにしては大きいような」

産毛が残っている事から、雛が生後二ヶ月程度なのは間違いない。
しかし親鳥から食事が与えられていなかった点を考慮しても、フクロウの雛にしては大きいのだ。
そして大きいのは落ちていた雛だけでなく、巣の中にいた雛も負けず劣らず大きい。

(……うちに来るのは大型の猛禽類ばっかり?)

なんだか嫌な予感がしつつも、静子はフクロウの雛二羽を家へ持ち帰り、彼らの為の小屋を設置した。勿論、彼らが単なるフクロウではない事を、後に静子は知る事となる。
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