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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十二年 伊勢平定

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千五百六十九年 一月上旬

その問いに静子は即答出来なかった。
タイムスリップ直後なら、彼女は迷わず「帰りたい」と答えたであろう。
しかし彼女は戦国時代に長らく居ついてしまった。今生の別れだと考えただけで、無意識に近しい人々の顔が思い起こせるほどに。
そんな彼女の心情を察したのか、みつおは明るい声でこう言った。

「まぁ早急に結論を出すのは難しいでしょう。ですが覚悟はしていて下さい。その時になって後悔しない為にもね」

その言葉を最後に、みつおはタイムスリップの話を強引に打ち切る。

そこでみつおは自分は静子と初対面であり、足満も静子との会話を優先して自分の紹介をしてくれていない事に思い至った。
そんな事に今更気付いた彼は、空気を変える為に小さく咳払いをする。

「改めて自己紹介をします。私の名前はみつお、フルネームは田中みつおです。しがない平社員です。本当はこんな喋り方ではありませんが、丁寧な口調をと心がけていたら癖になりました。話を戻しますね、私が現代で関わっていた業種は畜産業ですが、私は畜産を行う契約農家ではなく、畜産の経営を補佐する方です。あ、副業で料理店のバイトをしていました。なので料理の腕前にはそこそこ自信がありますよ」

「畜産の経営を補佐する方……?」

料理の腕を自慢したみつおだが、見事に見向きもされなかった為、少しだけ落ち込んだ。
だがすぐに気分を切り替えると、咳払いをして言葉を続ける。

「ええ、畜産も元は農業の一部でした。しかし田畑で作物を作る事と、牛や豚を育てる畜産はまるで別物です。実際は混同している農家の方が多く、中には何も考えず畑を潰して畜産にシフトする方もいます。そういう彼らに畜産の基礎を教えたり、飼料を提供したり、害虫への対処法、肉食加工業者などの出荷先を斡旋したりと、畜産業の一連の流れをトータルサポートする仕事です」

「なるほど……では畜産業に関しては一家言(いっかげん)をお持ちであると?」

その問いにみつおは申し訳無さそうな顔で首を横にふる。

「残念ながら私は畜産の歴史を深く知りません。あの時代にある当たり前の品種に対してしか、対処法を知りません。例えば鶏で言えば卵用品種ではホワイトレグホン、肉用品種ではブロイラー種が有名ですよね。それに対しては自信を持って応えられますが、原種に近い鶏に対しては……」

みつおの知識はあくまで現代で飼育されている品種に対してだ。途中の品種や、初期の品種に対しては全く知らない。
しかしそれはみつおが悪い訳ではない。その業種にいるからと言って、歴史を深く知ろうと思う人間は少ない。

「……とは言え、基礎というのはそう変わる物ではありません、ある程度原種にも応用が効くのでは?」

「え、ええ……まぁ……この道で十五年は食べてきていますので」

十分だと静子は思った。畜産に直接関わった事がないとはいえ、みつおはその業種で十五年は働いている。
ならば出来ずに頓挫した計画が再開出来る。しかしいくら知識があるとはいえ、彼が多大な苦労をする事は目に見えていた。
だから静子はこの計画の成否は、みつおのやる気次第だった。

「ふーむ。少しお尋ねしたいのですが、みつおさんはこれからの事をどうお考えで?」

「私ですか? 私はこの時代に骨を埋める覚悟です」

静子の問いにみつおは迷いなく答える。

「最初は現代に戻る事ばかり考えていました。しかし連れ合いも居ない、娘も嫁にやり現世に未練らしい未練と言えば孫の顔を見る事ぐらいです。それよりもこの世界で己の力を振り絞って生きることに一生懸命になっていて、ふと日々がとても充実している事に気付いたのです。そう思って周囲を見る余裕が出来ると同じ日本なのに知らない表情を見せる世界があり、自分の料理の腕を高く評価してくれる人も居てやり甲斐を感じている自分が居ました。すると不思議なことに、あれだけ帰りたいと思っていた気持ちがどこかに消え失せてしまったのです」

「そうなのですか」

「理解し難いと言いたそうな顔ですね、静子さん。難しく考える必要はないのですよ。男という人種は単純に出来ているのです。死にかけても、少しすれば笑い話にしちゃうほどにね。まぁそういう訳で田中みつお、戦国時代で第二の人生を歩む、という心づもりです」

「ふむふむ……でしたら第二の人生として、私たちと共に織田領で畜産を牽引して頂けないでしょうか?」

「は……?」

「勿論、多大な苦労を背負うことになります。ですから、私は無理強い出来ません。全てはみつおさんのやる気次第になりますので」

腕を組んでみつおは考える。
そんな彼に、今まで黙っていた足満が小さく笑みを浮かべながら呟いた。

「やってみたらどうだ、みつお。立つ位置が変われば、見えるものも変わる。それが面白ければなおよし。どうせ現代のしがらみは一切ないのだ。思い切って冒険するのも楽しいぞ。何、心配するな。失敗しても己の身一つにしか累は及ばぬ」

煽っているのか、それとも不安を与えているのか分からない足満の言葉だが、みつおは少しだけ考えた後、満足そうに頷いた。

「……そう、ですね。料理だけでなく長年培った畜産の知識と経験を腐らせるには惜しいですしね」

何度か頷くとみつおは静子の方へ向き直る。
その顔に後悔や不安の色はなかった。期待に胸を膨らませて未知との遭遇を待ち構えているように見えた。

「その話、お引き受けします」

「分かりました。と言っても……うーん、鶏は今の品種で良いでしょうね。豚は琉球王国から1385年に渡来した血統の黒豚アグーを取り寄せましょう。確か今の琉球王国は政治的腐敗が酷いので、ある程度の金を積めばアグーを取り寄せる事も可能でしょうね。それから猪の飼育も視野に入れて――」

「ず、随分と多いですね」

鶏と牛程度と考えていたみつおは、静子があげた品種に少しだけ腰が引けた。
だが一度吐いた唾を飲むような真似は男のプライドが許さない。

「あ、牛は絶対です。天然痘の対策として牛は必須ですからね。山羊は幼児の乳代わりに使えます。牛よりアレルギー反応が低いですし、山羊も必須ですねぇ……」

戦国時代にもっとも流行した二大疾病しっぺい、それが『麻疹』と『天然痘』だ。
麻疹は伝染力が非常に強く、合併症を発症しやすい。天然痘も大きな感染力と、一説によれば四十パーセントという高い致死率で猛威をふるった。
特に天然痘は牛痘を用いた種痘が開発される十八世紀末まで、時に国や民族が滅ぶ遠因になっていた。

「なるほど、確かに牛痘は素人では分かりませんからね。私や足満さん、静子さんは予防接種を受けていますが、この時代の方々は受けていませんから、天然痘ワクチンとして必須ですね」

静子の時代では全国民に定期予防接種が義務付けられている。これはウィルスを使った細菌兵器に対抗する為と、撲滅宣言がされた病気が再び流行した為である。
以前と違うのは予防接種は推奨ではなく義務であり、違反すれば『故意に病気を蔓延・流行させようとした』罪で罰金刑もしくは禁錮刑となる。
それほど細菌兵器によるテロを警戒したのだが、予防接種の義務化は様々な団体からの反発を引き起こした。
反対の団体が感情論で抗議している為か、政府は抗議を無視し、予防接種を継続している。

「そういう意味では牛が特に重要ですね」

「そうなります。ご苦労をお掛けすると思いますが、よろしくお願い致します」

みつおが畜産対象とするのは牛、黒豚、山羊、猪、鶏だ。
広大な土地と大量の水が必要となるが、交通の便などの理由で開拓が進んでいない土地は幾らでもある。

「みつおの話は終わりか? なら次はわしだろうな。と言っても過去の事は何も覚えておらん。足満という名前も偽名だ」

「ああ、確か静子さんに助けられた時から、過去の記憶がないのでしたよね足満さんは」

みつおの言葉に足満は頷く。彼の素性については非常に複雑な事情が絡んでくる。
まず足満という名前は仮の名前で、彼の本名は誰も知らない。本人も思い出そうにも、謎の単語が浮かぶだけで肝心のフルネームを思い出す事が出来なかった。
結果的に彼が思いついた単語を並べ、『足満』というそれっぽい名前をつくり上げる事となった。

そして彼は静子に発見された時、血塗れの満身創痍、ほぼ瀕死の重傷で倒れていた。
息も絶え絶えな状態から、静子の通報によって駆けつけた救急隊員も十中八九は緊急搬送中に息絶えるだろうと思ったほどだった。
奇跡的にも一命を取り留めた彼だが、待っていたのは長期間のリハビリだった。
まず彼は極度の栄養失調、全身打撲に擦り傷や刃物傷、命に係わる程の刺し傷が四箇所。そんな満身創痍でも足満は抜身の刀を手放さず硬く握り締めていた。
三ヶ月はベッドで寝たきりだったが、身体を動かせるようになってからは医者も驚くほど驚異的な回復力を見せ、僅か半年で退院し定期通院に切り替えられる程に回復した。

しかし彼の処遇について医者は頭を悩ませる。
外国人と思われた彼だがDNA検査の結果、日本人特有の遺伝子を持っている事が分かった。
つまり足満は紛れも無く日本人ではあるのだが、出生から今までに関する記録が一切見つからない正体不明の存在だった。
銃創や刃物傷などの外傷に事件性がある場合、医師には通報の義務があるのだが、担当医は過去に何があったのか極度の警察嫌いで有名だった。更に足満は警察が何か分からない、という状況だった為、警察への通報は見送られた。
(警察への通報は、病院や医師によって判断基準が違います)

紆余曲折の後、足満は静子の両親が保証人となり、引き取る事となる。

「まぁ最初は苦労しました。何しろ記憶喪失……風呂やトイレの扱い方、携帯やテレビなどの家電製品の扱い方、みーんな知りませんでしたからね。しかも何故か家電製品に怯える始末です」

「仕方なかろう。わしにとっては全てが未知だったのだ。何もかもが当然のようにありながら、それを何一つ知らない。まるで世界に取り残された孤児のような気分だったわ」

「テレビを初めて見た時は悲惨でした。何かに怯えた挙句、棒で殴って破壊しましたからね。あの後は大変でしたよ。お姉ちゃんが見たい番組が見られなくなって、発狂したお姉ちゃんと足満おじさんが大喧嘩するのですからね」

「……そんな事もあったな」

一緒に住んだ当初のことを思い出したのか、静子は懐かしそうな表情をして語る。
だが足満にとっては恥ずかしい思い出だったのだろう。彼は頬を少し赤らめながら咳払いをする。

「なるほど、普段クールな足満さんにもそんな過去があったのですね」

「別にクールに振舞っている訳ではない。こうしているのが自然だと体が覚えているだけだ。ま、生活に慣れるのは簡単だった。ただ過去のわしは薄味を好んでいたのか、濃い目の味に慣れるのだけは苦労したな」

「そうなのですか。それにしても記憶喪失の割に、意外と博識な足満さんはどこでそれだけの学を?」

「戸籍がない足満さんは、バイトなどは出来ませんでしたからね。だから家にある本を読んでいたのですが……途中から図書館に引きこもっていましたね」

助けて貰ったお礼として、足満は何か手助けをしようと考えたが、悲しい事に彼は農作業の素人であり、現代知識が著しく欠如していた為、まずは知識の吸収が必要と判断された。
幸いにして足満は頭の出来が良く、最初は苦労したものの一年も経てば義務教育レベルは問題ないレベルまで吸収した。
その後、本を読む事に目覚めた彼は、図書館に行っては様々な書物を読み漁った。理由は不明だが、彼は特に心理学を好み、様々な書籍を求めてはあちこちの図書館を尋ねた。

「……また話が脱線したな。ともかくわしは自身を満足に説明出来ん。足満という名前を持つおっさんと思ってくれれば良い。そうそう、忘れずに言っておこう。みつおが持ち込んだ現代の品物が入った鞄は静子の手に渡ったようだが、他にも少しだけある。と言っても、家族の写真と若干の調味料の他は小物だな。わしのは静子も知っておるが、刀二本と籠手だけだ」

「あの刀を持っている状況で、バス事故に巻き込まれるのって想像つかないのですが……言っても始まりませんね。コホン……では最後に私ですね。と言っても名前が静子と、ちょっと前まで女子高生でしたぐらいしかないですねー」

わざとらしく咳払いをして静子は自己紹介をする。しかし紹介と言っても語る事は少ない。
何しろ現代で何をしていたか、と語ってもここでは無意味で、何の役にも立たない。

「名目上はお館様、つまり織田様の配下の森様の配下……という事になっていますが、実質は体の良い便利屋ですね」

「なるほど……立場的に一番静子さんが苦労していますね。私たちは単なる料理人ですから」

「慣れました、お館様の無茶ぶりには」

だが信長の無茶ぶり要求に全て応えたからこそ、静子は独り身ながら安定した生活を手に入れている。
そう考えると微妙な気分になる彼女だった。

「とりあえず私は変わらず、みつおさんは畜産。となれば足満さんは……神社の神主さん?」

静子は申し訳ない表情でそう言った。






流石に神社の神主は予想外だったのか、足満は奇妙なものを見る目で静子を見る。

「すみません、確か信長は宗教嫌いだったと聞き及んでいるのですが……なので神主なんてすれば殺されるのでは?」

静子が何か言う前にみつおが挙手しながら疑問を口にする。
信長が仏教徒を嫌い、伴天連を保護し京での布教を許可したが、決して基督教を信仰する事はなかった。
比叡山延暦寺やその他の寺社仏閣を焼き討ちしたり、本願寺の一向一揆衆を徹底的に虐殺したり、伴天連の信者だった高山右近に『宣教師を殺して聖堂を燃やすぞ』と脅しをかけたりした。
信長が宗教に対して冷酷非情な態度を貫いていたのは歴史を見れば分かる。
敵であれば神や仏すら斬り捨てる、と揶揄された信長だがそれは少し違うのでは、と静子はここ最近思っていた。

「お館様は宗教が嫌い、というより特定の宗教が権力を持つ事を嫌っているように見えます。まぁ簡単に言えば、宗教家がまつりごとに関わるな、ですね。しかし当の宗教勢力は既得権益を侵されまいと反発したので、寺院の持つ検断権けんだんけんをなくすため、徹底的に弾圧したのでしょう」

中世日本において、警察・治安維持・刑事裁判に関わる職務や行為、権限を総称した言葉を検断けんだんといい、検断を行う権限を検断権けんだんけんと言う。
しかし中世日本では検断権けんだんけんを、領主である武士と寺院の二勢力が持つという二重支配構造になっていた。
例えば本願寺は明確に本願寺としての領土を持っておらず、きちんと領主が存在していた。
だが領民は領主に税を収めながらも、本願寺に帰依しているという支配構造になっていた為、領主と寺院の検断権が重複して存在していた。

信長が目指す天下布武とは、武士による日本の一元支配だ。
寺院の検断権けんだんけんを全て消し去り、領主である武士のみが検断権けんだんけんを持つという、政教分離原則を徹底しようとした。

「現代の我々ならいざ知らず、近代まで国民は熱心な信仰心を持っていました。だからお館様の行動は、仏教を徹底的に弾圧しているように見えたのでしょう」

「しかし信長は本願寺の一向一揆衆を皆殺しにしたり、自ら神と言わんばかりに第六天魔王を名乗ったりしました」

「武田信玄が自分を仏法の守護者と宣言した手紙に、お館様は確かに自分を第六天魔王だと名乗り返しました。第六天魔王は仏教において信仰を妨げる欲を司る天魔ですが、同時に第六天魔王に向き合う事で信仰を深める面も持っています。宗教的なウィットに富んでいる返事を返した人が、自らを神だと思っているようには思えないのですよね。まぁ後世で確かに神になりましたけど……」

「え?」

後世で信長は神になった、という言葉にみつおは首を傾げる。

「……京都には明治天皇により、信長を主祭神とした建勲神社たけいさおじんじゃ(旧称健織田社たけしおりたのやしろ)がある。ついでに子の信忠も配祀している」

みつおの疑問に足満がボソリと答える。

日本が外国勢力に侵略されなかったのは、天下布武を目指して日本を一つに纏め上げた信長のお陰だ。
そう考えた明治天皇は、天下布武、朝儀復興などを進めた信長を賛えるために健織田社たけしおりたのやしろの創建を、明治2年11月8日(1869年12月10日)に決定した。
建勲神社たけいさおじんじゃは信長の業績にちなんで国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。

「元々、織田氏は越前国丹生郡織田の織田劔神社の神官をしていた一族です。後に越前守護職斯波氏に従って、彼が守護を務めていた尾張に移っただけです。つまりお館様は神官一族であり、それなりの宗教知識はあると思います。実際、神社に関してはかなり豊富な知識を持っておられます。私が建立こんりゅうを指揮した『櫻信之社おうしんのやしろ』も、お館様の好みがかなり入っていますから」

櫻信之社おうしんのやしろ?」

「ええ、ここから少し離れた所に神社があります。当初は単なる神社の予定でしたが、お館様がかなり手を入れてしまい、今では別物になっています」

時を知らせる為に静子が建立した櫻信之社おうしんのやしろは、彼女の予定では小さな本殿と鐘があれば良かった。
しかしそれ以外に全く手を入れない静子に不満を感じたのか、それとも自分で神社を設計したくなったのか、何時の頃からか信長が色々と手を入れ始めた。
神社の境界を整備し、施設や設備を次々と足していく。
気が付けば信長の手によって、通常の神社として遜色のない規模に拡張されていた。
そして興が乗ったのか魔改造とも言える拡張は加速し、信長の神社建立はあらぬ方向へシフトした。
いくら明治時代に神社が国家の管理下に入るまで、神社そのものの構成は統一がなかったものの、流石に意味不明な設定になった神社を渡されても、静子としては困るの一言だった。

「魔改造に満足したのか、建造が終わると何も言わなくなりましたけどね。ですので神主というより管理人ですか」

「神職の人間が増えれば、教育者の説得力がつくか。寺子屋もたいていは仏僧がやっていたしな」

「それもありますね。ともかくこれで各自方向性は決まりました。みつおさんが直近で忙しくなりそうですが、よろしくお願い致します」

「ちょっとばかり頑張らないといけませんねー」

そう呟くみつおだったが、声色からは気負いはあれど難色は全く感じられなかった。






まずは足満・みつお二人の雇用主である濃姫の説得を、と考えた静子だがこれはあっさり了解を得られた。
まず濃姫の料理は八割がみつお担当で、残り二人は補佐しかしていなかった。よって足満が抜ける事を濃姫は問題にしなかった。
しかし流石にみつおの配置換えには難色を示した。だが黒豚アグーや山羊など、畜産を行う事で獣肉のバリエーションが増えると聞くやいなや、みつおの転属を許可した。
正確には完全なる転属ではなく、みつおは濃姫専属の料理人兼畜産農家という立場だが。
黒豚や山羊肉を最初に食べさせる事を条件に、濃姫はみつおに対して援助を約束した。
専属料理人としては突然一人きりになった五郎だが、彼は落ち込むどころか「濃姫様を唸らせる料理を作ってみせる!」と意気込む程度には料理人であった。

三人はそれぞれの役目を担う為に奔走する。みつおの第一歩は久治郎や他の商人と共に黒豚や山羊を求めて沖縄・九州地方への旅だった。
静子は信長に足満を神社の管理人にする朱印状を希望する手紙を出した。少しして彼から足満を管理人にする事を許可する朱印状が届く。これで足満は晴れて正式に神社の管理人に採用された。
その足満は元々管理していた人たちと最初はぎくしゃくしたものの、寡黙だが生真面目な性格が好意的に受け取られ、すぐに打ち解けた。

一方、静子はある特殊な設備の建造に取り掛かる。
それは一見すると大型の土蔵に見えるが、中身は魔改造された雪室である。
土蔵は蔵の中の温度と湿度の状態を一定に保つ機能を持つ。その機能を利用して雪を使った天然の冷蔵庫を作るのだ。
小氷河期の戦国時代、冬に雪が降るのは珍しくない為、大量に集めるのは容易だった。

ただ現代の冷蔵庫と違い、蔵の温度が一定に保たれる事はなかった。
実験用の桶の水が凍った日もあれば、凍らずに水の状態を保った日もあった。そこから静子は蔵の温度は、マイナス五度から五度の間ぐらいだろうと推測した。
更に蔵の地下にコンクリートで囲まれた小さな室を作る。コンクリートの冷輻射作用を利用した天然の冷凍庫だ。
こちらもやはり温度は一定にならないが、冷凍野菜が出来上がる所を見るに、確実にマイナス一八度以下であろうと静子は考えた。

冬の間は雪を集める事が可能だが、やはり日本海側と違い太平洋側は雪が降らなくなるまでの期間が短い。
越前辺りからの運搬ルートを構築したかった静子だが、越前が信長の領土になるまでそれは叶わない。

雪室とは別作業を行うため、静子は信長直営の漁村へ足を運ぶ。
伊勢湾に面した東海地方には、古くからこの時期に食されるある魚があった。それはボラだ。
冬のボラは『寒ボラ』と呼ばれ、脂がのって美味な魚として珍重されている。見分け方法は簡単で、寒ボラは目に脂が入って白濁した状態になっている。
現代では汚染された河川の影響を受け、臭みが強いボラが多いが戦国時代は汚染された河川は少なく、臭みが少ないボラが多い。
そもそもボラの臭みの原因は血であり、血抜き処理をしっかりすれば、寒ボラでなくとも臭みをかなり抑える事が出来る。

他の魚ではなくボラを選択するのは、何も取りやすいからだけではない。
ボラの卵巣を塩漬けした後、乾燥させれば日本三大珍味と言われるカラスミが作れる。
だがカラスミ作りは初めての試み、十月に取れたボラは卵巣を摘出するのに何度も失敗し、よしんば取り出せても血抜きが悪くて臭みが出ていた。
十一月は比較的マシになったが塩の加減を失敗し、とてもではないが珍味とは言えるものではなかった。
十二月にようやく形となったが名産品への道のりは遠い。それでも酒の肴には良い、と信長からの評価は良かった。

カラスミとは別に、ボラの身を使った燻製作りも伝授した。
ボラは三〇から五〇センチあり、干物にするよりは纏めて燻製処理をした方が効率的だ。
燻製は干物では抑えきれない「脂の酸化」と「細菌の発生」を解決する為、干物より保存性に優れている。
更に燻煙する事で、いくつか失われるとはいえボラは栄養価が高く、また燻煙で生とは違った風味や味わいが加味される。
寒さや時化しけで漁に出られない日が多い厳冬期の食糧事情を改善し得る貴重な蛋白源となるボラの燻製を逃す手はない。

更に静子は牡蠣の養殖も開始する。
牡蠣は牛乳と同じように様々な栄養素を含んでおり、日本では『海の玄米』と言われている。
縄文時代から重要な食料だった牡蠣は、日本では天文年間(1532ー1555)頃に養殖が行なわれた記録がある。
本当はもっと早い段階、昨年八月までには準備したかったが、上洛とその後の処理にかかりっきりになった為、翌年以降に持ち越しとなってしまった。
養殖する牡蠣は日本二大牡蠣の一つである真牡蠣だ。これは日本全土で収穫出来、採苗から一年で出荷出来る。
三年も経てば身が大粒になるが、生存確率が年ごとに下がっていくため、基本的には一年で出荷される。
本当は太平洋からの黒潮と伊勢湾からの海水、そして木曽三川と宮川の淡水が程よく溶け合う浦村湾辺りでも養殖したかった。
だが現時点で南伊勢は信長の領土ではないため、伊勢侵攻が終わった後で事業を行おうと静子は考えた。

広い海を牡蠣養殖だけに使うのは勿体無い。そう考えた静子は、牡蠣養殖の他に海苔とわかめの養殖も手掛ける。
現代の乾海苔が登場するのは江戸時代以降で、戦国時代は生海苔が主流だった。だが希少価値の高い割に、海苔は不遇な扱いを受けていた。
海苔やわかめの主な産地に伊勢湾が含まれている事から、海苔の養殖は可能と静子は考えた。

海苔もわかめも本格的な作業に入るのが、九月下旬から十一月と農繁期が終わった直後だ。
わかめの養殖期間は十一月から翌年五月頃、海苔は十月から翌年四月までだ。
浮き輪が容易に作れないため、海苔は支柱式で養殖する事になる。大量の竹材を捻出する必要に迫られたが、静子は自身の竹林から融通した。

「海苔とわかめ、それから牡蠣。この三つを海で養殖しよう。海苔とわかめは一年、牡蠣は一年から二年。順調に行けば五年で養殖事業が軌道に乗るね。完成形になるには十年ぐらい必要だろうけど」

これも網や縄の原材料である麻線維、そして支柱などに使う竹を潤沢に持つ静子だからこそ出来た事だ。

「しかし海苔なんぞ何に使うのだ」

「うむ。麻を大量に使ってまで、養殖とやらをする必要があるのかね」

奇妙丸と長可が揃って疑問を口にする。
護衛三人衆はいつもの事だが、奇妙丸まで付いてきた事には流石の静子も頭が痛くなった。

「備えあれば憂いなし。慌てる頃に足りないと言っても遅いの。普段、どれだけ下準備が整っているかが大事よ」

「そういうもんか」

「たまにいるけどね。慌てるような状態になってから、大変だと言っても手遅れなの。危機管理能力は重要よ?」

「なるほど……そういえばちょっと前に慶次が七輪で焼いていた小魚。あれも何かの準備なのか」

「……聞き捨てならない事が聞こえたけど、今は置いておくわ」

陸の作物生産を軌道に乗せた静子は、次に海産物に対してテコ入れを始めた。
それが海苔、わかめ、牡蠣の養殖。そして小魚のホンモロコとドジョウの養殖だ。
語る必要がないほど栄養豊富な海苔、わかめ、牡蠣を彼女が見逃すはずはない。
今まで海産物にテコ入れをしなかった理由は、麻線維を潤沢に生産する環境が整っていなかったからだ。

「ホンモロコとドジョウの養殖ね。まぁお館様が土地を貸してくれたから、実行出来たのだけどね。ドジョウは鰻に匹敵する栄養を持つし、ホンモロコを養殖していると土地が肥えるの」

信長は静子に「もっと良い家に住んだらどうだ」と思い、それなりに広い土地と職人を与えた。
しかし彼女はその事に気付かず、広い土地をホンモロコとドジョウの養殖場に大改造してしまった。
それなりの広さの土地が、殆ど養殖場という名の池で埋め尽くされた事に、信長が頭を痛めたのは想像に難くない。

だがドジョウはともかくホンモロコにはある問題があった。
琵琶湖から生きたまま運ぶ必要があるが、現代ならば水温を維持したり酸素濃度を保つための道具(エアポンプや水温計)が当たり前に存在するが、無論戦国時代には存在しない。
いかなる方法を使って尾張まで運ぶか、これが静子にとっての最大の問題だった。
結局、力技が最もシンプル、かつ計画実現の可能性が高い解決法だと考えた彼女は、職人を使って琵琶湖から養殖場までの間、ホンモロコを一時放流して保管できる池を各地に点在する宿場に作らせた。
その池を使ってホンモロコを生きたまま、尾張まで運ぶという荒業を成し遂げた。
当然、弱い個体は運搬途中に死んだが、それは運搬に携わった人間の胃袋に収まった。

「(あれって確か家を建てたらどうだ、で渡された褒美だよな)」

「(左様。職人たちは憐れだったが、静子様ゆえ仕方ない)」

信長が頭痛に悩まされた原因を理解しながらも、二人は「婉曲な表現をした信長が悪い」と考えていた。

「そこの二人、何をしているの? ここ以外にも回るから、のんびり出来る余裕はないよー」

雪室の設置作業や漁村へ技術を伝授するなど、農閑期であろうと静子は多忙の日々は変わらない。
そんな忙しい彼女の元に、ある一通の手紙が届いた。






「……これを私にどうしろと?」

静子の元に届けられた手紙の差出人は、明智光秀と秀吉の二人だ。
二人は今、信長と共に京都で二条城を建設している。その二人が共同で手紙をしたためるとは何事だと静子は一瞬訝った。
だが内容を読んだ後は呆れたの一言だ。手紙の内容は「お館様が最近、我儘で対応が難しい。引いては静子殿に何とかして欲しい」なのだから。

「風呂に入れるようにしろ。味が薄いから何とかしろ。寝所が硬くて敵わない……単なる我儘じゃないか……」

「それだけ頼りにされている、と前向きに考えろ」

手紙をぶん投げて床に突っ伏す静子に、茶を飲んでいる奇妙丸がのほほんと答える。

「ただでさえこの一帯を整備し直す案件もある身なのに……更に京にいるお館様の我儘なんて対応出来ないよ」

「原因の一端は静子にあるのだから仕方あるまい。貴様の考える生活環境は、どれも快適過ぎるのだからな」

「わかっているよ……」

静子が戦国時代の生活スタイルを改良し、快適な生活環境を構築する。それを信長が気に入れば取り入れる。
そんな事を続けていたせいか、信長は生活の快適さが段違いに上がってしまった。いくら京が当時の流行の最先端とはいえ、数百年先の生活スタイルには及ぶべくもない。

「うーん、でも今すぐには動けないかなぁ。今後を見据えて、村人たちに危害が及ばないよう移動させないといけないし……何より茶丸君がこっちに引っ越すから線引がー」

静子は頭を抱えて唸る。
信長は上洛を果たした事で多くの味方を得た。既に日本を代表する国人と言っても差し支えない。
しかし同時に敵も増えた。少し前まで東国の田舎国人だった信長が、一躍日本を代表する国人になったのだ。それに反発を覚える人たちは少なからずいる。
更に彼の政策は庶民に人気ではあるものの、権力者の立場から見れば自らの既得権益を侵すような内容だ。
一口に既得権益と言えども生活基盤に直結しているため、容易く侵害を許すことは出来ず、それが敵を増やす要因ともなっていた。
敵が増えた事で彼のあら探しをする人間の数も増えた。そこで静子の周囲が特異な環境である事だと思った信長は、住んでいる村人たちに危害が及ばないよう、彼らを遠ざける事とした。
村人たちも命を狙われるのは勘弁、と言いたげに信長の移住政策をすんなり受け入れた。

「慶次さんに才蔵さん、勝蔵君もこっちに引っ越すでしょう。更に武将たちが泊まる宿泊施設も必要だし……かと言って田畑は潰せないし……うわぁー」

村人たちを全員移住させた後、信長は温泉と付随する施設を改良し、更にある程度の兵士たちを長期の駐屯もしくは定住させる計画を立てた。
計画に先駆けて一先ず、静子の村を含む五つを取り潰し更地にする。
そこからまず防衛施設を第一に考え、周囲を含む防衛網を強化する。
それが終わると信長の別荘、静子の家を改築。同時に慶次や才蔵の家を建築、武将たちが温泉に泊まる為の宿泊施設を建築する。
その中に明らかに浮いている田畑が入るのだが、それよりも更に驚く事がある。
信長は別荘の管理を奇妙丸に一任した。まだ元服していない事を理由に、彼の教育係も同様に引っ越すが、それを抜いても周囲の度肝を抜くには十分だ。

「お前から教育を受けろ、と父上は言いたいのだろう」

「何ともまぁぶっ飛んだ事をするね、お館様は。所で計画書の中に女性用の宿泊施設があるのって……」

計画の中に田畑と同じように浮いている施設がある。それがどう見ても女性用の宿泊施設だ。
それを信長の計画にねじ込める人物は一人しかいない。嫌な予感をひしひしと感じつつ静子は奇妙丸に問う。
当然、彼女の予感は外れる事はなかった。

「お主の予想通りじゃ。そんな施設を父上の計画にねじ込めるのは、この世でたった一人しかおらんわ」

「やっぱり……濃姫様だよねぇ、これを入れたの。庭の一角に西瓜畑って絵図面(えずめん)があるし……まつ様の希望とかもねじ込んでいるよ」

「ま、諦めろ。別に貴様が管理する訳でもあるまいし」

重い溜息を吐く静子へ、奇妙丸は他人ごとのように言う。

「……はぁ、お館様への対応は来月かな。それまで我慢してくれれば……いいけども」

「期待は出来んな」

だよね、と静子は呟いて、もう一度重い溜息を吐いた。
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