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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十二年 伊勢平定

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千五百六十九年 一月上旬

永禄十二年一月五日(1569年1月31日)、京の本圀寺(当時は本国寺と呼称されていた、江戸時代に入り本圀寺と改名される。ここでは改名後の名称を使用します)を奉公衆と共に仮御所として使用していた室町幕府第十五代将軍足利義昭が、四国へ逃げていた三好三人衆から襲撃を受ける所謂「本圀寺の変」が起った。
義昭の警護は光秀を中心に近江と若狭の国衆だけで、信長の本軍は殆ど関わりを持っていない。
京にいる『京治安維持警ら隊』は、あくまで京の治安を維持する部隊であり、義昭の警護は任務として含まれていないため装備が貧弱であった。
彼らは主な任務の性質上、狼藉者を取り押さえる非殺傷武器を装備しており、槍や弓などの殺傷が可能な武器を携帯していなかった。
直接的な戦闘行為を行えば、まず間違いなく甚大な被害を出し壊滅の憂き目を見るのは明らかであった。その問題点を何処で知り得たのか、三好三人衆は『京治安維持警ら隊』を相手にせず進軍した。

そもそもが寺院であり仮御所としての体裁を整えていたとは言え堅固な砦からは程遠い本圀寺では、陥落も時間の問題かと危ぶまれた。
しかし三好勢の先陣である薬師寺貞春の軍勢を、若狭国衆の山県源内や宇野弥七らが奮戦し、寺域への進入を幾度も阻止した。
結局、彼らの踏ん張りが功を奏し、この日の本圀寺は陥落に至らず日暮れとなった。翌日に備えて三好三人衆は兵を収める。

同日、本圀寺襲撃の知らせを聞いた信長は直ちに出立した。
大雪という悪天候での行軍だったが、彼は本来三日かかる行程を二日で走破した。
だが非常な寒さと急な出立の代償か、信長配下の陣夫が数名凍死してしまった。そんな犠牲を出しつつも、信長は八日に十騎足らずの供を連れて本圀寺に到着する。

しかし信長が到着する前、一月六日に状況は一変していた。
細川藤孝や三好義継、摂津国衆の伊丹親興、池田勝正、荒木村重など畿内各地からの織田勢が集結したのだ。
三好三人衆は『京治安維持警ら隊』を侮った。彼らは力こそ弱いものの五千人という膨大な数で構成されている。
故に畿内各地にいる織田勢への急報、短時間で彼らが辿り着く為の道案内、三好三人衆へのスパイ行為及びゲリラ活動、味方への物資補給など直接の合戦以外の後方支援を一手に担い織田勢の逆撃を支えた。
五千人という定員は信長が思いつきで口にした数ではない。平時にあっては京の治安を維持し、有事に於いては軍の兵站及び後方支援が可能な規模として必要な人員を見積もった結果が五千なのだ。

不利を悟った三好三人衆は退却を試みるも、足利・織田軍の追撃を受ける。
桂川河畔で合戦に及んだものの、元々の戦力や指揮官の優劣により三好三人衆は散々に追い散らされた。
後の世に「六条合戦」「本圀寺の変」と呼ばれる義昭襲撃事件は、足利・織田軍の圧勝で幕を閉じる。

結局、信長の到着を待たず雌雄は決した。
京に到着した彼はまず戦功のあった池田衆の池田正秀、初日に踏ん張りを見せた若狭国衆の山県源内や宇野弥七らを賞する。
次に義昭の叱責を受ける。ただし態度こそ甘んじて譴責を受けてはいるものの、彼が言った言葉の十割を信長は左から右に聞き流していた。
付き合いは短いものの、義昭のような性格の持ち主は言うだけ言わせておけば良い、と信長は直感的に理解した。
長い割に実のない戯言を聞き終えた信長は、かねてより考えていた将軍御所の建設に取り掛かる。
勿論、新しい将軍御所として二条城の造営に着手するのは義昭の為ではない。義昭の守護によって自分の配下や畿内の手駒が討ち死にするのを、可能な限り減らすためだ。

一月十日、義昭方の三好義継らは堺の南北荘へ使者を遣わし、堺衆が三好三人衆を助けたことを責めた。
三好三人衆は阿波(徳島県)から一旦堺浦に勢ぞろいし、正月に京へ入り、五日に将軍義昭のいる本圀寺を攻め囲んだ。
堺浦に集結出来た事から、三好義継は堺の商人に三好三人衆を応援した者がいると考えた。
彼の使者に南北荘は恐れをなし、足弱や荷物などを根来、粉川槇尾寺などに隠した。しかし一方で、堀を巡らし、矢倉をあげるなど戦の準備をし始めた。
堺が明確な対決姿勢を見せる状態は二月十一日まで続く。

信長は堺の行動を監視しつつも光秀と秀吉の二人に二条の御所の普請を命じ、更に京の奉行に任命する。
二条城の御殿などの建設を統括する代行奉行に、村井貞勝と島田秀満の二人を任命する。
普請総奉行、つまり工事の陣頭指揮を執る人物は信長自身だ。
建物の多くは本圀寺の建築物を解体・再組み立てし、石は細川一族の分家である典廐てんきゅう細川ほそかわ) 藤賢(ふじかたの旧邸の庭にある名石「藤戸石」が使われた。
その他、京のあちこちから集められた墓石や石仏も使われ、本格的に石垣を積んだ城として山科言経が「石くら(石垣の別名)」を見て驚嘆した記録がある。

京は二条城の築城で持ちきりだった。その頃、静子は少々面倒な事を手掛けていた。






正月直前、静子は信長により「技工総奉行」という役職に任命された。
どういう役職かを確認すると今までと変わらず、周囲の技術的な改革を成功させるよう知恵を貸す相談役兼陣頭指揮者、との話だ。
違う点は明確な役職と権限が信長から付与されているため、静子単独で命令を出せる所だ。
今までのように静子から彩、彩から森可成、森可成から信長、信長から各組織へという経路を取らなくて良い。直接静子が人や組織に命令を出せる。
無論これには制約があり、静子が命令するには技術改革を行う責任者の署名がいる。つまり改革を行う人物がいなければ、いくら信長から権限を付与されても彼女は権力の行使が出来ないのだ。

結局、今と大差ないと理解した静子はのんびり構える。大きな改革を行う人物は信長以外いないと思っていたからだ。
しかしその思惑は毎度の事ながら脆くも崩れ去る。彼女が「技工総奉行」に任命され、「六条合戦」から一週間後、静子の元に竹中半兵衛が訪ねてきたのだ。

「軍における食糧事情の改革、ですか?」

「左様。今以上の大軍を動員するに際して、欠かせない軍需品が食料だと考えます」

竹中半兵衛の話は軍における食料の改革だった。
つまり軍事行動中に各兵員に配給される食糧コンバット・レーションを改革したい、という事だ。

「……何故食料なのでしょうか?」

最初に食料事情を思いついた竹中半兵衛に疑問を抱いた静子は、その事を彼に尋ねる。

「食事とは誰もが毎日する行為です。そして食事をしなければ必ず死に至ります。また好物だけを食べ続けると体を壊します。この事から、某は食事から体に必要な何かを摂らなければならない、と考えました」

「……確かに人は食事で体に必要なものを取り込んでいます。私は体に必要なものを『栄養』と呼んでおります」

「なるほど、栄養ですか。無学で申し訳ないが、仮に栄養が体からなくなると、人はどういう状態になりますか?」

「ものを見る事が出来なくなったり、慢性的な頭痛に悩まされたり、古傷が開いたり、歩行が困難になったりします。他にも色々とありますが、最悪の場合は死に至る病に冒されるのは変わりないですね」

「そうですか。貴女の説明を聞いて、やはり某の考えは誤っていなかったと確信出来ました。正直な所、この様な話をしても、誰もまともに取り合って頂けなかったので助かります」

竹中半兵衛は静子の説明を聞いて満足気に頷く。
正直な話、例え信長でも軍用食についての改革は考えなかっただろうと静子は思った。何しろ彼は食事に無頓着だ。
近頃は栄養を気にして食事を取ってはいるものの、対象になるのは自分だけであり、軍にまで考えを巡らせていなかった。

(まぁ史実とは随分変わったと思うけどね。正月に家臣に対して「食十二ヶ条」を配布したぐらいだし)

正月に酒会を開くのは信長の恒例行事となっているが、今年は挨拶に来た家臣に対して食事の訓示ともいうべき一二ヶ条を書いた書を渡していた。
その内容は以下の通りだ。

壱 食事は日に三度、毎食一汁一菜を心がけるべし
弐 七日に一度、鳥肉か魚肉を食すべし
参 童子には元服するまで三、四日に一度は卵を与えるべし
肆 塩、味噌、醤油、味醂は必須調味料として切らすべからず
伍 二日間は困らないほどの干し肉を所持しておくべし
陸 雑穀・玄米を尊び、白米の過剰摂取を控えるべし
漆 甘味の過剰摂取は控えるべし
捌 酒は一日二杯程度に止め、過剰摂取を控えるべし
玖 食前は「いただきます」、食後は「ごちそうさま」の食事の挨拶を心懸けるべし
拾 妻、童子に満足な食事を与えられぬ当主は半人前以下だと心懸けるべし
拾壱 全ての食物に感謝し、残さず食べる事を心がけるべし
拾弐 全ての食物に格なし。等しく天道(お天道さま)の味と肝に銘じるべし

法ではなく訓示であり、信長自身も冗談を交えつつ家臣に配布していた為、必ず守れという考えではないのだろう。
しかし上下関係が厳しい戦国時代に、仕える主君から訓示として渡されて何の反応も示さないという事は許されない。
特に信長は気分屋な所があり、いつ訓示が厳守する法律に変わるか分からない。信長の意図とは関係なく、勝手に強制力が付いた一二ヶ条を守るため家臣は奔走する。
彼らの行動が後に尾張・美濃に住む人の食生活を革新した事に、この時は誰もが知る由もなかった。

「軍用の食事、仮に『戦闘食せんとうしょく』と名付けましょうか。色々と条件が厳しいですねぇ」

「そうですね。まず輸送に耐え得る保存性が必要でしょう。次に栄養補給に優れた物ですね。贅沢を言えば軽量かつ入手が容易い材料が良いと思います」

「うーん、高栄養補給食はあるにはあるのですが……食べ慣れていないものですから、ちょっと困りものなのですよね」

そう言った後、静子は彩を呼んであるものを作らせた。すぐに出来上がったそれを、彩は竹中半兵衛の前に置く。
試験用に作ったオートミールだ。器は三つあり、左から水で煮ただけ、味噌で味付けして煮たもの、醤油と塩で味付けして煮たものだ。

「……ふむ、麦の香りが強いですね。確かにこれは少々問題です。味噌や醤油の方は匂いがある程度押さえられていますが、水だけは厳しいと思われます」

オートミールはお手軽に栄養補給が出来る健康食品だ。しかし麦の香りが強い為、米が主食の日本人は受け付けない人が多い。
味噌や醤油で味付けするとある程度は緩和されるが、それでも麦の臭いを消すには至らない。

「平時なら問題なくとも、戦場は精神的重圧が強い場所です。食事は重要な娯楽なので、不味い飯や単調な食事では飽きて士気の低下にも繋がります」

「他にも問題があります。行軍中は商人が必ず付いてきます。雑兵の食事は彼らにとっては商売の種です。下手に彼らの商売に食い込んで反発を招くわけには参りません」

戦場には武将、武将の世話役、足軽、雑兵と多くの人が集まる為、商人にとっては魅力的な環境だ。
商人は水や食料を持って戦場へ向かい、雑炊などの食料や酒、タバコなどの嗜好品を売り利益を得ていた。
陣中によっては商人の市場が造られるほど大規模になる場合もある。
敵地ともなれば足軽や雑兵は様々なものを奪うが、これら略奪品を買い取るのも軍に随伴する商人だった。
ただし買い取った商品を、別の雑兵に奪い取られるケースもあった。

「完全に追い出すのは不可能。しかし捕らえられた雑兵から、食料の価格を聞き出されるのも問題。やはり雑兵は現状のまま、上級足軽から武将は独自に用意、が良いでしょうね」

商人が販売する食料の価格が高騰する事は、陣中にある食料が不足している場合が多い。
故に国人たちは捕えた雑兵から、陣中で売られている食料の価格を聞き出し、敵の食糧事情をある程度推測した。
これを撹乱、または隠すためには陣中での食糧事情を自前で全て用意する事がベストだ。しかし現状、それだけの備蓄は織田軍でも持ち合わせていない。
更に利益の高い戦場から商人を追い出せば、平時での売買にも影響が出る可能性がある。

「それが現状では一番良いかと思います」

「戦闘食を配給する対象は、行軍する都度決めるとしましょう。まずはこの麦粥が受け入れられるか確認しなければなりません。場合によってはえん麦……でしたか? それの量産を依頼する事になるかと思いますが」

「えん麦については春と秋の二回収穫が可能です。栽培についても手間はかかりません。しかしこの麦粥はえん麦を加工しています。その加工に時間がかかりますので、量産の場合は専用のからくりを作る必要がありますね」

「なるほど、その点も踏まえて今後を決めましょう。今はお館様が京ですので、大きく話を進める事は出来ませんが……あ、いえ、進める所はありますね」

「それはどういう所でしょうか?」

「何、ちょっとした事です。麦粥が受け入れられなかったら、麦と米を混ぜてみるのですよ。雑穀米も米に粟やひえを混ぜています。あれと同じで、麦と米を混ぜてみてはどうでしょう。うまく行けば、米の消費を押さえ、かつ栄養のある戦闘食を作れると思います」

現代でも白米に押し麦などを混ぜて炊く人はいる。オートミールは短時間で調理出来る為、米と一緒に炊かず、炊きあげた後に混ぜて蒸す方法がよく取られる。
これは白米の味とオートミールの「歯ごたえ」が混ざる事で、普通の白米を食べるよりも高い満足感と満腹感を得られるからだ。

「それはありですね」

どれだけ混ぜるかは実験が必要だが、竹中半兵衛の思いつきは悪くない話だった。






竹中半兵衛と戦闘食の事を話して一週間ほど経った頃。
金華山の麓にある信長居館で、濃姫は優雅に食事を摂っていた。主がいない間にではなく、たとえ信長という主がいても濃姫の奔放な振る舞いは変わらない。
濃姫が勝手を許されているのは信長本人が好きにさせているのが主原因であるが、本人の数々の言動も影響している。

まず彼女は信長の元へ嫁ぐ時、父の斎藤道三から「信長が真のうつけならこれで刺すのだ」と小刀を渡された。それを受け取った彼女は「そんな面白みのない事を言う父上から刺してあげましょう」と返答して道三の度肝を抜かした。
また斎藤道三と斎藤義龍の戦い(長良川の戦い)が終わった後、義龍から文で「お前がいると命がいくつあっても足りない。だから帰ってくるな」と帰宅拒否を受けた。
誰が見ても帰る場所がない窮地であるに関わらず、それでも濃姫は生活態度を変えず、それどころか美濃攻略で悩む信長に発破をかけることまでした。

だが悪い面ばかりではない。間者に対して鋭い嗅覚を持っているのか、信長居館に入り込んでいる他国の間者を見つけては、引っ掻き回したり胃痛で潰したりしていた。
時には血を吐いて倒れた間者もいたが、濃姫が一体何をしたのかは誰も知らない。信長が質問しても彼女はにこにこと笑うだけで答えない。
彼女の世話役に尋ねても、皆青い顔をしつつも口を噤んだ。最終的に「濃姫は自由にさせておけ」という暗黙の了解が出来上がった。

そんな異物を見抜く能力が優れている濃姫は、足満に奇妙な違和感を抱いていた。

「足満、お主は普通の人間とは異なる境遇を歩んできたのであろう」

違和感を覚えた後の、濃姫の行動は早かった。人払いを済ませ、足満を一人呼び出し、単刀直入に素性について問いただした。

「何を仰います。わしはしがない料理人でございます」

馬鹿らしいと言わんばかりに足満はため息を吐く。
しかし濃姫は彼の態度に怒るどころか、さも愉快そうに口の端に笑みを浮かべた。

「ふふっ、そう警戒するでない。妾の幾つかの問いに答えれば、お主の探し物に便宜を図っても良いぞ」

「……何の事でございましょう」

「飽くまで白を切るか。時間をかけて信用を得ることも出来ようが、腹の探り合いをする気分でもない。素直に口を開かぬのなら殿に進言して決して会わせぬようにすることも出来るのじゃが?」

瞬間、足満の纏う空気が変わる。ふわふわした空気から、研ぎ澄まされた刃のような、命のやり取りを是とするヒリついた空気に。それでも濃姫の態度は些かも崩れない。

「そこまで大事に思うておるのか。しかしお主の態度から、あ奴に対して情愛を抱いている訳ではなさそうじゃな。どちらかと言えば……そう、慈しむ相手、と言った所じゃな」

「……あの娘に手出しはさせん。それが例え神仏の類であろうとな」

「その心意気は立派じゃが、妾は奴をどうこうする気はないぞ? 少なくとも、この尾張・美濃であ奴に害意を抱くなど自殺行為に他ならん。ほれ、判ったのなら、その物騒なものをはようしまえ」

足満は逡巡する。ここで濃姫を斬る事は容易いが、その後の展開はどう考えても状況は好転しない。下手をすれば尾張・美濃にいる事すら叶わない。
息を吐いて足満は黒い感情を吐き散らす。それが答えと理解したのか、濃姫は笑みを浮かべつつこう言った。

「良い判断じゃ。では早速じゃが、お主とは取引をしたいと思う」

「取引?」

「そうじゃ。お主の探し人、つまり尾張にいる静子に会わせる機会を設けよう。代わりに殿の夢に協力をして貰う」

「……あの娘がいれば、わし程度など要らぬであろう。一体、何を協力すれば良いのだ?」

「静子は確かに国を富ませている。その分、間者が増えたがまぁそこは間者を始末すれば良いじゃろう。ではなく静子では出来ぬ方面で、殿の夢を手伝って貰いたい」

「そう言う事か」

静子の技術継承は多岐に渡るが、一部分だけ狙ったように外しているものがある。

「あの娘では出来ぬ『人を殺す技術』が欲しいと、貴様は言っておるのだな」

それは兵器開発だ。
静子がその気になれば時間はかかるものの、前装式ライフル歩兵銃であるミニエー銃か、それに近いものが再現出来るであろう。
否、それだけではない。黒色火薬を推進力とした局地的なロケット弾や、塩素酸カリウムを精製して黒色火薬の手榴弾を作ったりも出来る。
しかし静子は黒色火薬の材料である硝酸カリウムの人工精製以降、その手のものを研究・開発した話は一つもない。

「殿の周りにいる敵は、一癖も二癖もある連中ばかりじゃ。そんな連中を屈服させるには、拮抗した武力だけでは物足りない。連中とは一線を隔す圧倒的な暴力こそ、今の殿には必要じゃ」

「意外だな。貴様なら遠巻きに見ているだけかと思ったが」

「己を賢いと自負している連中の足元を掬い、呆然自失の体を高みから見下ろすのは畢竟ひっきょう最高の暇つぶしになろう」

性悪女め、と足満は心の中で毒づいた。

「分かった。だが織田の殿様がすんなり協力を求めるとは思えぬが、そこはどうするのだ」

「そこは妾に任せておくが良い。何、気にするな。ちょっと趣向は凝らすが、そう大した事はせぬ」

「期待せず待っておこう」

そう言うと話はこれで終わりだと言わんばかりに足満は席を立つ。
だが出入口の戸に手をかけた時、彼は振り向かず濃姫に向かって尋ねた。

「一つだけ聞こう。何故、わしを選んだのだ。その手の知識ならみつおが持っているかも、と考えなかったのか」

「何を今さら。そんな事、お主の素性で答えが出るじゃろう?」

「……失礼する」

濃姫の言葉に肯定も否定もせず足満は立ち去る。彼が立ち去って暫くした頃、濃姫は突然くすくすと笑い出した。

(やはり足満だけ泰然としていて妙じゃ。静子とみつおは地に足がついておらぬ。二人からは存在しないものが、無理やり存在しているような臭いを感じる。じゃが足満は地に足をつけながらも、静子とみつおと同じ臭いがする。さて、これは一体どういう事じゃろうな)

不可解すぎて怪訝に思う事すら、濃姫にとっては思考する娯楽に過ぎなかった。






一月中旬を少し過ぎた頃。

「今日という今日は逃がさぬ」

濃姫はそんな言葉をはいて、静子を信長の別荘へ拉致していった。
年末年始、信長は多忙を極めた上に現在は京で工事現場監督をしている。周りの武将たちもあれこれ動きまわっており、必然的に正室も家の事でてんてこ舞いである。
この状況下で遊び歩ける濃姫の神経は、どれだけ図太いのだと静子は思わずにはいられなかった。

「ここ最近、おねやまつも大忙しじゃ。妾の遊び相手が誰もおらん。唯一、暇であろうと踏んでいた静子も、竹中半兵衛とあれやこれやと忙しいとは予想外じゃ」

「いや、暇人の方が良いのですが……というか、どこから竹中半兵衛様との話を聞いたのですか」

打ち合わせをしてからまだ一週間しか経ってない。その間、長可や慶次、才蔵にオートミールの試食をして貰った程度で、具体的な話はまだ信長にもしていない。
普段から放蕩している濃姫が、まるで当たり前のように情報を仕入れてくる事に、少しだけ恐ろさを感じた静子だった。

「ほっほっほっ、妾は間者の頭領だからのぅ。情報を仕入れる事など造作も無い事。妾が命じれば領土内にいる一万の間者が、あっという間に調べ尽くしてくれるのじゃ」

「……冗談、ですよね?」

「うむ、冗談じゃ。まさか信じてはおるまいな?」

(く、食えない婦人だ……流石、あの斎藤道三に「流石、わしの娘じゃ」と言わしめただけの事はある)

一体どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか分からない。その上、相手の心理をいとも容易く見抜く底知れない眼力を持っていた。
相手の心情を斟酌しない信長が、どうして相手の心理面を予測して行動する事が出来たのか。その答えが濃姫なのでは、と思わずにはいられなかった。

「さて、静子をからかうのもこの辺にしよう。妾の名物料理人を紹介するぞ」

「紹介も何も、私が京から連れてきた料理人ですが……と言うか、ほんとに残り九人をクビにしたのですね」

「文化とは流れる川のように、たえず変化するもの。決まった形でしか表現出来ぬ輩が、殿の希望を叶えるなど不可能だろう?」

「まぁ……確かにそうですが」

信長は京の職人を岐阜へ連れて帰り、そこで元々の岐阜文化と日本最先端と言われる京の文化を融合させ、新しい文化を築きあげる考えだった。
その為に静子やその他の武将を使って可能な限り職人を持ち帰った訳だ。だがやはり流行の最先端にいたというプライドが邪魔して、新しい文化を形成する職人は中々出てこなかった。
信長や濃姫のお眼鏡に叶わなかった職人たちは、結局京へ帰っていった。もっとも、帰った所で彼らの立場が変わる訳ではないが。

「そうじゃ、ただ紹介するのもつまらん。静子、お主何か問題を考えるのじゃ。それを妾の料理人が解く。どうじゃ、面白かろう?」

「え、えぇ……じゃあ……うーん、そうですね。では普段目にする材料と、薩摩芋を使って料理を作って下さい。後、ただ旨い料理を作るだけじゃ駄目です。毎日、その料理を食べても飽きないものでなければなりません」

「ふむふむ、中々面白そうじゃな。では復唱しようか。料理の材料は普段目にするものと薩摩芋を組み合わせたもの。条件は毎日食べても飽きない事、相違ないな?」

濃姫の言葉に静子は小さく頷く。彼女が料理に条件をつけたのは思いつきではない。
栄養面を考えて作物を栽培している静子だが、やはり食べ慣れていない作物は中々受け入れられない。
しかし民の栄養改善をするならば、栄養豊富な食材を常に摂取するように仕向けなければならない。

今の静子にとって一番普及して欲しい作物が薩摩芋だ。
薩摩芋に含まれるカロチンは体内でビタミンAに変わり、夜盲症の予防や視力の低下を防ぐ。
そしてビタミンCは白血球の免疫力を高めるため風邪にかかりにくくなる。熱に弱いビタミンCだが、薩摩芋は加熱してもビタミンCが失われない特性を持っている。

だが物珍しさや、栄養が豊富なだけでは人々の興味を引く事は出来ない。
普及させる為にはレシピがセットで必要だ。しかも一、二回で満足するような旨すぎる料理・・・・・・では駄目だ。
美食が過ぎれば二日続けて食べる事は出来ない。故に毎日食べている当たり前の材料に、薩摩芋を組み込まなければならない。

「では、料理人にそう伝えるのじゃ」

静子の意図を理解したのか、それとも単なる余興だと受け取ったか、相変わらず腹の底で何を考えているか分からない濃姫は、楽しそうな笑みを浮かべてそう言った。






そしておよそ一時間と少し、濃姫の料理人たちが作った料理が濃姫と静子の前に並べられた。

「ほほぅ、これは」

(……やられた。まさかこんな方法で実現するなんて)

二人の前に並べられた料理は『炊き込みご飯』だ。元々、炊き込みご飯は糅飯かてめしと呼ばれていた。
文字通り麦や稗、野草や雑穀などのかてと呼ばれる具を増量材として、少量の米と混ぜて炊き込んだ料理だ。
その歴史は古く、奈良時代の初期に粘り気のある栗だけを混ぜて炊いた「栗飯」が原型と言われている。
米が満足に食べられなかった時代に、米を節約するために生まれた料理だ。
室町時代にお米料理として登場し、江戸時代には風味や季節感を楽しむ料理に発展した。

(歯応えは食べた時の満足感に繋がる。薩摩芋の弱点は歯応えがなく、食べ応えがない事……それをこういう形で補うとは)

薩摩芋の甘みは満腹中枢を刺激する働きがあるし、豊富な食物繊維のお陰で完食に時間がかかる。
しかし歯応えがないので満足感が得られない。ストレスを感じながらの食事は代謝を下げる。
炊き込みご飯なら別の食材で歯応えを得られる。しかも見た目を楽しみ、米の消費を押さえる事が可能だ。

「……降参です。今回は私の負けですね」

「ほっほっほっ、料理に勝ちも負けもない。強いてあげるなら不味ければ負けよ……うむ、うまい」

濃姫にとって、今回の事は勝負ではなく単なる自分の手駒自慢である。静子が驚き、今の様な態度を取った時点で濃姫の目的は達成されていた。

「料理人をここへ連れてまいれ」

食事を続けながら濃姫は小間使こまづかいに命を出す。
少しして入り口の向こうから小間使の言葉が帰ってきた。手際が良い事に、彼らは普段でも良く濃姫から呼び出しを受けていると感じられた。

(まぁ、今回だけだろうね)

正直な話、濃姫の料理人と静子では接点が少なすぎる。今回紹介されても、数カ月後には名前すら忘れている気がした彼女だ。
気乗りしない顔で漬物を食べていると、入り口の襖が静かに開けられる。ため息と共にその奥を見た静子だが、あるものを見た瞬間、全身が硬直した。
正確には襖の向こうにいる三人、その内の一人に視線を釘付けだった。

「左から順に五郎、みつお、そしてー」

「足満」

濃姫が最後まで言う前に静子がポツリと呟く。
口に咥えたままの箸を盆に置き、額に手を当てつつ更にこう言った。

「どうして炊き込みご飯が出てきたか納得しました。足満おじさん・・・・・・が関わっていたのなら、それが出てきても不思議はないですから」

「なんじゃ、主は足満と知り合いかえ?」

わざとらしいと足満は思ったが、それを顔に出さず濃姫の問いに答える。

「知り合いといえば知り合いですが……ちょっと前まで一緒に住んでいましたし」

「本当なのか、足満」

濃姫の問いに足満は目を閉じて笑う。
今の状況を楽しんでいる事から、過去を懐かしんでいる事から、そんな人によって受け取り方が違う笑みを浮かべつつ足満はこう言った。

「久しぶりだな、静子。大体四年ぶり……か」






微妙な空気が部屋の中に漂う。
普段は喜怒哀楽の内、楽以外の感情が出てこない静子が、珍しく怒気を漂わせていた。
その感情を向けられているであろう足満は、大して気にも留めず堂々としていた。
濃姫に至っては場を収めぬどころか、この状況を楽しんで見守っている様子。五郎は何が起きているか分からず目を丸くして混乱していた。

「あのー、大変申し訳ございませんが、私にも分かるように説明して頂けませんか?」

小さく手を上げつつみつおがそう言う。
それで自分の感情を理解したのか、静子はハッとした顔をした後、頬を赤く染めながら咳払いをする。

「失礼、みつおさん。少々、感情的になりました」

「いえいえ、お気になさらず。むしろ、静子さんは落ち着き過ぎですよ。貴女ぐらいの年なら感情的になっても、さして不思議ではありませんから」

ニコニコとみつおは人の良い笑みを浮かべる。
それだけで彼が良い人だと分かるが、同時にこの時代を生きていくには少々辛い性格だろうと静子は思った。

「コホン、今から大体十年ほど前、瀕死だった彼を拾って病院に運んだのが始まりです。一年ほどで完治した後、私の両親が『行く宛がないのなら我が家に住むと良い』と彼に言いました。そこから私がこちらへ来るまで、およそ六年を共に過ごしました」

「そなたの親御は中々に出来た人物のようじゃな。だが、見知らぬ瀕死の男を、年端も行かない娘がいる所へ放り込む不用心さもあるようじゃが」

「まぁ、確かにそれは言えますね」

濃姫の言葉に静子は頷く。足満が良い人間だったからこそ何も起きなかったが、犯罪者だった場合、静子は殺されていた可能性もある。
田舎特有の閉鎖感だけが抜け落ち、おおらかさしか残ってない両親は、第三者から見ると危険極まりない選択をしていた、と改めて思った彼女である。

「ふむ……二人の関係を詳しくは問わぬ。じゃが再会した今、積もる話もあろう。妾は席を外すゆえ、存分に語り合うが良い」

それだけ言うと静子の返事を待たず、濃姫は人を連れて部屋から出て行った。
困惑した顔で、出て行く濃姫と足満たちを交互に見ていた五郎だが、二人の間にある雰囲気を察したのか、そそくさと部屋から出て行った。
部屋に残ったのは静子、足満、みつおの三人だ。だが三人の間には再会を喜び合う雰囲気はなく、どちらかというとぎくしゃくした感じが漂っていた。

「……静子さんはタイムスリップ直前の記憶はありますか?」

このままでは話が進まないと感じたみつおは、二人が口にしやすい話題を出す。
二人の関係を詳しく知らない彼にとって、必ず絡んでいると確信できる事がタイムスリップだ。

「いえ、私は何も……」

しかし静子にタイムスリップ直前の記憶はない。申し訳無さそうな顔で彼女は首を横に振った。
みつおは最初から期待していなかったのか、あまり落胆してない態度だった。

「そうですか。いえ、私も直前の記憶はありません。ですので足満さんだけが、その時の記憶を持っている事になりますね」

その言葉を聞くやいなや、静子は足満を凝視する。
機械で繰り抜いたように当時の記憶がなくなっている静子だが、みつおの話では足満にのみ僅かに記憶が残っているとの事だ。
少しばかり期待を抱いても仕方ない。だが、その期待ほど彼の記憶は定かではなかった。

「わしもそう覚えている訳ではない。覚えているのはみつおが乗っていたバスが事故を起こしたこと、そしてわしと静子はその現場に居合わせたという事だけだ」

「という事は……」

静子の言葉に足満は頷きながらこう答えた。

「タイムスリップの原因は依然謎だ。だが原因は一つだけだ……そしてこの場にいる三人が戦国時代へ飛ばされた。バス運転手は……確か民家に電話を借りに行っていたから飛ばされていない。それからわしもバスの事故内容までは覚えていない。老朽化したバスだから……恐らくエンストを起こして畑にでも落ちたのであろう」

その言葉に静子は納得した。
バス運転手が死んだら確実に廃線になる村唯一のバス路線は、型落ちした中古のバスだ。
所々錆び付いていた上に、しょっちゅうエンストやエンジン異常などの故障が起きていた。
滅多に村の外へ出ない村人は利用しないし、外部から来る人間は大抵車に乗ってくるので利用率も悪い。
『長年走ってきたから』の一言で維持されているバス路線だった。

「恐らく超常的な力が働いて、私たちは戦国時代に飛ばされたのでしょう。しかし私たちにはタイムスリップの原因や、帰る手段を探る時間はありませんでした。何しろ日々生きていくだけで精一杯ですからね」

「まぁ……な。正直な所、その辺りも考えて静子を探していたのだ。みつおが先に見つかったのは、まさに偶然の一言だ。今だから言うが、あの時は本気で落胆した」

「酷い言われようですね。まぁ私が足満さんの立場でも、同じように感じたでしょうが」

二人の会話に静子は首を傾げる。自分を探していた二人に、彼女は疑問を感じていた。
彼女は自分の立場が、自分で考える以上に特殊な位置だという事を忘れていた。

「理解していない顔だな、静子。この時代、後ろ盾がない者が食べ物を手に入れるには、並大抵の努力では済まされない。明日どころか今日の飯すら手に入るか分からん。だからこそ、静子のように農業に携わる者が重宝されるのだ」

「はぁ……」

「ひもじい時は松の皮を水でふやかして食べていました。それほどこの時代は食べ物がないのです。後ろ盾がない者に、わざわざ自分の食い扶持を減らしてまで、分けてくれる方は仏ぐらいなものですよ」

そこまで言われて静子はようやく理解する。
自分は最初から百姓仕事に従事しており、食料もある程度は信長から与えられていた。
しかし二人は違う。信長のような国人の後ろ盾がなく、百姓や他の芸がある訳でもなく、本当に身一つしかない。
身分を保証してくれる人物がいない為、寝所や食料を自力で手に入れなければならない。
彼らにとって信長の元に来るまで、毎日がサバイバルだったのだ。

「漫画やゲームでは、タイムスリップ者同士が諍いを起こしますが、現実はそんな余裕などありません。衣食住を安定させるために、互いに協力しあわなければなりません。そうしなければ待っているのは自滅だけですからね」

「左様。損得勘定だけで考えても、タイムスリップ者同士の諍いは間抜けのする事だ。自分の事情を理解してくれる仲間を、自分から減らしてどうするのだと思うわ」

「ま、まぁ漫画だから……としか言い様が無いですね」

「いけません、話が脱線しましたね。ともかく互いに協力するとして、まずは静子さんの覚悟を聞きたいと思います」

「覚悟?」

静子が首を傾げて尋ね返すと、みつおは小さく頷いてからこう言った。

「この時代に骨を埋めるか、それともあくまで現代へ帰るか、貴女はどちらを選びますか?」
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