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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十一年 上洛

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千五百六十八年 八月中旬

それ以降は特別なイベントもなく、また織田軍は六角軍から奇襲を受けることなく、平穏無事に次の日を迎えた。
織田軍四万から五万程度、徳川軍千程度、浅井軍三千程度、総勢六万近い上洛軍。
それに対するは本陣の観音寺城に当主六角義治、義治の父である義賢、そして義治の弟の義定と精鋭の馬廻衆千騎、箕作城には剛勇で知られた吉田重光・建部秀明・狛修理亮・吉田新助などを武者頭に三千余人、そして和田山城に田中治部大輔らを大将に六千余人を配置した総勢一万程度の六角軍だ。
数だけで言えば六角軍は上洛軍の半分にも満たない。しかし和田山城を攻めれば背後を箕作城に取られ、本陣の観音寺城を攻めれば、和田山城と箕作城から挟撃を受ける。
箕作城がある箕作山は標高三百メートル程度の小山だが、城へ通じる道は急斜面の一筋しかない上に、周りを大樹に覆われた天然の要害だ。

箕作山は二か所の頂上を有し、その内の片方である北側の頂上に箕作城がある。
北側の箕作山から北西に観音寺山(現在は繖山という名称)があり、観音寺城がある。
そして観音寺山から東に2kmほど離れ、愛知川と大同川の合流点の西に位置する標高180mほどの和田山、その山頂付近に和田山城がある。
和田山城は50m×100mほどの城域の周囲に土塁を廻らせ、南から馬出曲輪、主曲輪と連ねており、更に主曲輪の背後に10m×10mほどの櫓台を配している。

箕作山と観音寺山は湖東平野、つまり近江盆地おうみぼんちにある山である。
そして二つの山の間は隘路を形成する交通の要衝の地だ。現代では国道八号線、JRびわこ線、および新幹線が繖山と箕作山の間を通っている。
このルートを掌握するために六角氏が観音寺山に居城、そして箕作山に支城を築いたのは当然と言えよう。

長い年月をかけて築き上げた防衛線に、六角家当主の六角義治は絶対の自信があった。
しかしそんな彼に不幸は舞い降りる。
それは彼が絶対の自信を持つ防衛網、及び今回の作戦や人員の配置、古式に則って逃走するルートなど、およそ軍事関係の情報で記録に残っているもの・・・・・・・・・・は、全て信長と彼の主要な配下に知れ渡っている事だ。

「六角如きに策を弄する必要はない。我らが持つ力で奴を蹂躙せよ」

信長が宣言すると同時、観音寺城の戦いの火蓋は切られた。

早朝から戦を開始した織田、徳川、浅井の三軍は、愛知川を渡河すると三隊に分かれた。
稲葉良通が率いる第一隊が和田山城、柴田と森可成率いる第二隊が観音寺城、丹羽、秀吉、そして信長率いる第三隊が箕作城に向かった。
戦端は箕作城で開かれる。北の口から秀吉率いる二千三百人が、東の口から丹羽率いる三千人が攻撃を開始した。
しかし箕作城は急坂や大木が覆う堅城。そして吉田出雲守隊の守りも固く、秀吉と丹羽は苦戦を強いられていた。
その間、信長が何をしていたか。それは箕作城に続く一筋の道の封鎖だ。
箕作城に続く道は一本しかなく、それ以外は巨木で囲まれていたり、急坂の獣道であったりと通常の軍事行動を行える環境ではない。
つまり一本道が封鎖されれば箕作城にいる守備隊は、組織だった撤退は行えないという事だ。

山の麓に三箇所、そして道中に四箇所を封鎖し終えた信長は、あるものが入った壺を大量に運びこむ。
ある程度の数が集まると、兵士たちはそれを城に向かって投げ込む。派手な音を立てて壺が割れ、中身が周囲に飛び散る。
信長が壺に入れたもの、それはアルコール度数が六〇度を超えた液体だった。お酒というより危険物に該当するそれを、信長はどんどん城の中へ投げ入れる。
吉田出雲守隊は信長の行動が分からず、困惑しながらも秀吉隊や丹羽隊と相対する。
やがて一部の床では小さな水たまりが出来るほど投げ込まれたアルコールが、周囲の熱気にあてられて少しずつ蒸発し始める。
その瞬間、箕作城に警笛の音が鳴り響く。それに呼応するように秀吉隊と丹羽隊が攻撃の手を止め、素早く撤退した。
彼らの行動が一つも理解出来ず、軽いパニック状態に陥った吉田出雲守隊は、その場で呆然と立ち尽くす。

それが彼らの運命を決めた。

一本の火矢が城へ放たれる。それが気化したアルコールに触れた瞬間、世界は一変した。
一瞬で箕作城が火の海に包まれた。その事に理解が追いつかなかった吉田出雲守隊だが、現状を認識できた瞬間、パニックが兵士たちを包む。
もしも彼らがアルコールは燃焼速度こそ早いものの、瞬発力だけで持続力がないものだと理解していれば、また違った未来になっていただろう。
しかし彼らは周囲が一気に火の海に包まれ、どこへ逃げれば安全なのか方角すら分からない状況に浮足立った。
それがパニックの伝染に拍車をかける。僅かな時間で彼らは集団パニック状態になり、吉田出雲守隊は潰走した。

元々、六角軍は六角家当主の六角義治が、器も才能もないくせにプライドだけ高く、上から目線の命令ばかりするために士気が低い。
そんな彼らが火の海となった箕作城など守る訳がなく、武具類を投げ捨てて我先にと逃げ出した。
だが彼らには逃走すら許されなかった。何故なら、彼らを狩るための準備を終えた織田軍が、城へ続く一本道で待ち構えていたからだ。






箕作城落ちる。それは城が攻撃されてから僅か六時間後の事だった。
半日程度で箕作城が陥落した事に六角軍、特に現当主の六角義治は動揺を隠せなかった。何しろ和田山城と観音寺城、そして箕作城へ同時に攻撃を受けていたが、前者二つは押し気味だったのだ。
このままの勢いでいけば上洛軍を押し返す事も可能、そう考えていた彼だが事実は異なる。
上洛軍は城から彼らを引きずり出すため、また箕作城の状況に意識を向けさせないため、わざと押され気味の演技をしていたのだ。
演技が得意でないものもいるため、どこかぎこちない感じの負け戦を演じていた上洛軍だが、勝ちの目があるという事に目が眩んだ六角軍は、その拙い演技を見抜けなかった。

幸いにも義治は観音寺城にいたが、踊らされた彼の父と弟は馬廻衆七百を連れて城から打って出てしまった。
急いで父と弟に観音寺城へ戻る事と、和田山城に籠城して耐えるように伝令を出す。だが帰ってきた伝令がもたらした情報は、彼を絶望に追いやる内容ばかりだった。

「ば、馬鹿な……ッ! 我が精鋭の馬廻衆が全滅、更に父と……弟が討ち死にだと!」

精鋭の馬廻衆千騎の内、七百もの馬廻衆が全滅。更にその七百を引き連れた父の義賢と弟の義定は討ち死にしていた。
更に和田山城は箕作城が落ちた事でほぼ瓦解してしまった。雑兵たちは勿論、武将たちも武具を捨てて我先にと逃げ出していた。
義治は僅か半日にして箕作城と和田山城を失った。日が沈み切るまでには未だ数刻を要する。更に今の季節は夏、秋や冬に比べて日が長い。
その間を僅か二百程度の馬廻衆で、万を超える上洛軍と相対しなくてはならない。その事実を理解した瞬間、義治は膝から崩れ落ちる。

「な、何故だ、何故こうも上洛軍の都合が良い事ばかり起こる!!」

癇癪を起こした子どものように、彼は床を両手で叩く。だがこうしている間にも、上洛軍は観音寺城を目指している。
和田山城と箕作城に比べ、観音寺城は防御が弱い。もはや一刻を争うと認識した彼は、古来の例にならい甲賀へ落ち延びる判断を下した。
本来なら夜陰に紛れて移動する必要はあるが、それまで観音寺城が保つ可能性は低い。
義治は逃げる事を側近に伝え、急いで準備をするよう命令を出す。観音寺城から逃げるための隠し通路は幾つも設けてあった。

「皆、各々の場所へ逃げよ。わしは甲賀方面へ落ち延びる」

それだけ言うと彼は馬廻衆の中で最も信頼している者たち二十余人を連れ、逃走ルートの一つを使い観音寺城から脱出する。
薄暗く狭い隠し通路に入ってすぐ、遠くの方からかちどきのような声が義治の耳に届く。
憎々しげな表情で隠し通路の入り口を睨んだ後、彼は息を潜めて隠し通路を歩く。暫く歩くと山中の木々に隠した出口に辿り着いた。
警戒しつつ馬廻衆の一人が隠し通路から這い出る。周囲を見回すが人影はなし、遠くの方で上洛軍の声が聴こえるだけだった。
安全だと判断した馬廻衆が合図を送る。少しして馬廻衆二十余人と義治が隠し通路から這い出る。
衣服のホコリを払うと義治は甲賀方面を指さす。

「逃げる方角はこちらだ。ゆくぞ」

そう言いながら一番前を歩いていた義治だが、数歩進んだ所で突然彼の姿が消えた。
突然のことに馬廻衆はざわめきながら義治を探す。木々のこすれ合う音で上を見上げた馬廻衆は、地面へ落下中の義治を発見する。
彼はトラップに引っかかり、空へ打ち上げられていたのだ。骨の折れる音が何度かした後、地面に叩きつけられた義治は息も絶え絶えだった。
勿論、トラップは義治だけでは終わらない。茫然自失状態の馬廻衆にも襲い掛かる。あっという間に馬廻衆は全滅し、生き残ったのは義治だけになった。

「な、なに……が……」

「まさか六角家当主自らが真っ先に罠に掛かり配下に範を示すとは。露払いを立てる事すら頭を過らない程にお急ぎか?」

義治は声のした方へ目だけ動かす。滝川と、彼が従えている忍びの集団が、自分より少し離れた所にいるのが見えた。

「何故……」

隠し通路の出口が知られていた事、この場から自分が出てくる事を知っていた事、予め罠を仕掛けていた事、など様々な疑問を思いながら義治は言葉を口にする。
しかし滝川は義治の問いに答えず、事務的な口調で短い言葉を告げた。

「楽にしてやれ」

それが南近江を支配していた六角家の当主、六角義治がこの世で聞いた最後の言葉だった。






南近江で行われた上洛軍と六角軍の戦い、観音寺城の戦い(または箕作城の戦い)は僅か一日で決着がついた。
織田軍は千人程度の損害、徳川軍は数十名の損害、浅井軍は三〇〇人程度の兵の損害、長政の家臣脇坂安明が討ち死にした。
対して六角軍は六角家当主義治、父義賢、そして弟の義定は討ち死に。精鋭の馬廻衆千騎は全滅、六角家を支えてきた有力な武将たちは殆どが討ち死にした。
兵は四〇〇〇程度の損害、四五〇〇の逃亡、残る兵士は最後まで主君と共に、などという殊勝な心がけではなく、かつて味方だった者たちの躯から装備を強奪する始末だ。
観音寺城、和田山城、箕作城は廃城、残り無事な支城も六角家老臣の蒲生賢秀が守る日野城以外、大勢が決したその日に上洛軍へ降るという散々な結末となった。
その日野城も後日織田家の武将神戸具盛が、単身日野城に乗り込んで蒲生賢秀を説得した。何故彼がこの様な事が出来たのか、それは具盛の妻が賢秀の妹だからだ。
具盛の説得に応じた賢秀は降伏し、質子を差し出して信長に忠誠を誓った。この時の質子が信長の娘である冬姫を娶った蒲生氏郷である。

「で、僅か一日で陥落したのだが、これは相手が逃げる気満々だったと思うのだが?」

本陣待機を命じられた奇妙丸、長可、静子の三人。退屈を持て余していた奇妙丸と長可は、六角が一日で落ちた理由を考えていた。

「明日か明後日には京かなぁ……」

「その前に六角だ。落ちる原因、そこを考えるのが武将としての役目というか」

「そう……まぁ頑張って。私は別に武将じゃないし。大体、あれは先祖代々続く伝統の戦術だし」

「待て、そう簡単に結論を出すな。貴様なら何か詳しく知っているのだろう? お館様も色々と尋ねていたようだしな」

「時には自分で考える事も大事だよ」

どんな名将でも一日で城を落とすのは不可能に近い。
しかし信長の「一日でケリをつける」という考えと、六角の「都合が悪くなれば撤退」という先祖代々の戦術が一致した結果、観音寺城の戦いは一日で雌雄を決したのだ。
もっとも義治は長期戦になると踏んでいた為、僅か一日で撤退を選択する状況になった事は、彼にとっても予想外だっただろう。

「今のままでは何も分からん。何か手がかりのようなものをくれ」

「んー、まぁそれならいいかな」

自分が一から十まで説明すれば、奇妙丸と長可から思考する能力を奪ってしまう。そう考えて静子はわざと重要な情報を教えていない。
しかしノーヒントでは何も思いつかないと考えた彼女は、大きめの紙にヒントとなる情報を書いていく。

紙の中央に六角と書くと、琵琶湖(近江海とも呼ぶ)、不破関(美濃)、愛発関(越前)、鬼門守護(比叡山)、そして甲賀と伊勢を付け足す。
六角の文字の横に「京職(京の治安維持)」と「検非違使(朝廷警護)」を付け足した後、その紙を奇妙丸の前においた。
二人は仲良くその紙を覗き込む。

(この二人、いつの間に仲良くなったのかな?)

年が近いせいかな、と思いつつ静子は二人の言動を様子見する。

「この配置だと、六角の税収は琵琶湖に頼っているな」

「そうなると北近江の浅井と敵対した事は、六角にとって痛手という事か」

「いや待て。それだけだと逃げるという選択肢にはならん。六角にとって不都合な事……確か文献か何かで不破関と愛発関、そして鈴鹿関は三関と呼ばれていたな。考えられるのは、不破関も織田領土になった為、最初から逃亡を計算に入れていたのでは?」

「浅井家には裏切られ、斉藤家は滅び、代わりに美濃を支配した織田家とは敵対……ふむ、六角の『都合が悪いなら撤退』が先祖代々の戦術ならあり得ん話ではないな」

(おお、良い所ついているね。まぁ六角は「強者」に寄生するタイプだから、最初から戦う気なんてなかったと思うね)

六角の住む南近江は琵琶湖と三大防衛拠点(比叡山、不破関、愛発関)に守られた土地だ。
税収も琵琶湖と三大防衛拠点に寄生している。しかし土地の大半が琵琶湖という立地上、抱えられる兵士は常に少数だ。
動員兵力は多く見積もっても一万前半程度。そんな状態の六角は寄生する先が比叡山、不破関と愛発関、琵琶湖の商人連合と複数存在しているので、六角自体が分裂してまとまりがない。

南近江は代々大戦の場所になりがちな為、大軍が押し寄せてきたら隠れて通り過ぎるのを待ち、戦火が収まるまで身を隠す戦術が六角軍の常套手段と化した。
関所、もしくは比叡山が破られれば、彼らは打つ手がない状態に陥るのだから。
おまけに京に上ろうとする国人たちは殆どが数万の大軍で押し寄せ、気迫も軍備も六角軍とは比べ物にならない。

「だがそうなると不思議じゃ。何故、六角家当主は最初から逃げの姿勢に入らなかったのだ。上洛軍はおよそ五万、対して連中が動員出来る兵の数は一万程度。古来の例にならえば、最初から上洛軍を素通りさせて、身を隠すべきだ」

「俺に言われても……単に当主が状況把握すら出来ない馬鹿だったのではないか?」

「いくら何でもそれはない。一日目の状況で今後の予定を考えておったのかの? だとすれば半日で箕作城が落ちた事が、六角にとって予想外だったという事か」

「うーん、やっぱり俺には単なる馬鹿としか思えないな。話では籠城していたはずの観音寺城から、兵と多数の武将が出てきたのだろう? 普通に考えれば籠城中に、兵を出すなんて阿呆以外の何ものでもないのだが……」

その後も二人の話は尽きない。
ほぼ初対面に近い二人なのに、何故だが静子には刎頸の交わりともいうべきかたい絆で結ばれているように見えた。

「そう言えば箕作城で火攻めを行ったが、火種はどうやって運んだのだろうか」

「ん? それはこれを使ったと思うよ」

長可の言葉に静子はファイヤーピストンを取り出しつつ答える。
二人は仲良く彼女の方へ顔を向け、そして同時に首を傾げた。彼らから見れば、ファイヤーピストンは単なる木の棒にしか見えなかったのだから、当然と反応である。

「南蛮で使われている火起こし道具の一種だよ。うちだと一番長く使っているのは彩ちゃんかな?」

木の棒にしか見えないものから、火種が作れると言われても二人は想像すら出来ない。
静子は苦笑しつつ彼らの前で火起こしを実践する。小さな布切れがあっという間に火種へ変わった事に、二人は揃って驚愕する。

「何という道具だ。だが確かにこれなら、わざわざ火種を持ち歩く必要がない。大きさもそれほどないから、隠し持つ事も可能だな」

「作るのも小刀一本で出来るしね。三本作ったけどお館様に全部持って行かれたね」

「当たり前だ、馬鹿者。火種を持ち歩かなくて良い、という事がどれほど有利か分からぬのか」

火種は保管する専用の職人がいるほど、戦国時代は貴重なものであった。
人々は火入れという専用の道具を用意し、かまどで火を保ち続けるなどの工夫をして火種を維持し続けてきた。それほど火起こしは大変な作業なのだ。

「全く、静子にはいつも驚かされる」

「そうだな。そんな便利な道具があるなら、もっと早く出すべきだ」

腕を組んで二人は仲良く頷き合う。
二人の関係がこれからも良き関係で続く事を、願わずにはいられない静子だった。






六月三十日。
あっという間に南近江を平定した信長は、すぐさま不破光治を義昭のもとへ向かわせ入洛の準備をさせる。
それから十日後の七月十日、義昭は京へ向けて出発する。七月十五日、信長は三井寺極楽院(滋賀県大津市)に陣を移す。
翌日、信長は三井寺光浄院で義昭を出迎える。そして七月十七日、信長はついに京へ入る。

信長が東福寺に陣を構えると、先陣の柴田勝家・蜂屋頼隆・森可成・坂井政尚の軍は桂川を越え、まずは小手調べと青竜寺(勝竜寺)にいる三好三人衆の一人・岩成友通を攻める。
三好勢は抵抗するもののすぐに籠城を余儀なくされる。この信長の勝利で安心したのか、義昭も京にある清水寺に入る。

翌日、信長の本軍が出陣してくると岩成友通は観念し降伏した。その後も信長は手を緩めず、三好方の城を次々と攻撃し落城させる。
芥川城の細川昭元・三好長逸は大した抵抗も出来ず退去。越水・滝山城の篠原長房も城を捨て退去した。
無人となった芥川城に義昭は入城する。
その間に織田軍は池田勝正の居城である池田城を攻める。しかしここだけは他の城と違い抵抗が激しく織田軍は討ち死にが多数出るなどの損害を受ける。
だが抵抗する池田勝正も圧倒的な力を誇る織田軍の前についに降伏し、信長に人質を差し出した。
三好三人衆と対立していた三好家当主義継陣営の松永久秀は、最高級の茶入れ「九十九髪」を信長に献上し、彼の軍門に下った。

上洛軍は上洛後僅か数日で畿内及び周辺の国を支配下に治めた。
圧倒的な快進撃を続けた信長だが、ここで上洛軍にある問題が浮上した。浅井軍の士気が低下したのだ。
織田軍は兵農分離をしている為に問題にならなかったが、徳川軍と浅井軍は百姓を雑兵として徴用している。
故に浅井軍の雑兵たちは田畑の様子が気になって仕方なく、殆ど上の空状態なのだ。

本来ならば農繁期後での上洛予定を、無理に短縮して七月前に持ってきたのは他ならぬ信長だ。
故に彼は浅井軍の士気低下について一言も不満を言わず、逆に長政に感謝の意を述べ、彼の体調を気遣った。
幸か不幸か、その信長の態度に長政は好印象を抱いた。
今はまだ顕著ではないものの、徳川軍も直に士気が低下すると考えた信長は、七月二十日に上洛軍を解散した。

今後の事は信長に一任する、という義昭の言質を取った信長は家康と長政の帰国を見送った後、すぐさま行動に出る。
義昭が征夷大将軍になるには、天皇の勅令によって任命される必要がある。その為には信長が朝廷と交渉を行う必要がある。
そのやりとりをしている間、義昭が芥川城から本国寺(本圀寺)に移ったり、献上品を持って挨拶に来た今井宗久やその他多くの人々の相手をしたりと、信長は様々な事で忙殺されていた。
そして畿内平定からおよそ三週間後の八月十二日、義昭は内裏に参内し、征夷大将軍に任命された。
ここに室町幕府最後の将軍となる第十五代・足利義昭が誕生した。

義昭を将軍の座に就けた信長は、彼の許可を得て畿内の人事に乗り出す。
義昭配下の細川藤孝を京・山城に配し、同じく義昭配下の和田惟政を摂津・高槻城に入れる。
摂津にあるその他の城に配置した人員は伊丹城に伊丹忠親、池田城には池田勝正だ。
河内にある城は若江城に三好義継、高屋城には畠山高政、そして大和には松永久秀を配した。

信長は自分に降伏した義昭配下以外の武将、つまり旧三好系が持つ所領を安堵している。
これは三好三人衆と、三好家当主義継及び松永久秀の対立で内部分裂を起こし、信長に降伏した殆どの武将が反三好三人衆派だからだ。
彼らの所領を安堵することで、三好三人衆の勢力を潰し、かつ反三好三人衆派との敵対を避ける狙いが信長にはあった。
若干、義昭の思惑も汲んでいたが、それは本当に雀の涙程度だった。それで義昭は満足するのだから、本当に軽い神輿だと、策を弄した信長は呆れずにいられなかった。

人事が終わった信長は、次に領国内の関所と座の廃止を行った。これは京の民衆の支持を集め、かつ治安を回復させる狙いがあった。
案の定、京に住む民衆の殆どが信長の政策を支持した。民衆の支持を得た信長は更なる改革を行う。
京の治安を回復し維持するため、信長は自分の兵から五千人ほど集めて『京治安維持警ら隊』を結成した。
警ら隊というが、実態は静子が技術屋集団の村でやった警察システムを流用しただけだ。
しかしこの警ら隊、信長の予想をはるかに超えて民衆に浸透した。

警ら隊は京の正式な役職を持つ集団ではないものの、信長の正規軍に変わりはない。
故に犯罪者たちは彼らに手出しなど出来るはずもなく、逃げるように京から出て行った。
犯罪者がいなくなった結果、軽犯罪を含む事件は目に見えて減った。治安の回復と共に警ら隊は民衆に歓迎された。

治安回復や人事などを含め、義昭は信長に感謝の意を表すため能楽を催す。この時、義昭は細川藤孝や和田惟政らを使者にし、信長を副将軍か管領職に任命しようと考えた。
しかし信長は「新参者の自分が副将軍など恐れ多い。京に詳しい人間がつくべき」と、義昭のプライドを刺激しないよう配慮しつつ断る。
代わりに本来は能の演目を五番まで縮めようとした信長だが、詫びという形で十三番までしっかり義昭に付き合った。
副将軍を辞退する理由、そして付き合いの良さに義昭は勿論、多くの人々は感心した。
勿論、わざわざ神輿の義昭に付き合ったのは、信長が配下へ密かに命じている事を知られない為だが。






時間は少し遡り、義昭が将軍となり、『京治安維持警ら隊』が結成された頃、静子は京の街を散策していた。
お供には慶次と才蔵、それから長可、カイザーとケーニッヒだ。彼女が信長から命じられた任務は、職人を多く岐阜へ送る事だ。
現代で言えばスカウトである。それとは別に、静子は京にある書物を買い取り、現代では滅多に見る事が出来ない文化財を見て回っていた。
見て回った文化財は建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料と多岐に亘る。
また、現代では国宝だが当時では価値のないもの、と見做されているものも買い漁る。
買い漁る、というよりは文化財の保護を名目としているが。

「大漁大漁、今日も沢山買えたぁ」

買ったのはとある公家の長編日記二〇冊、海外から輸入されたが読めなくて投げ売りされた書物四冊、制作された時期が不明な工芸品が数点、よく分からない彫刻が一点だ。

「何が良いのか分からん」

「お前が静っちを理解出来たら、それはそれで凄いと思うぞ勝蔵」

「そろそろ書物だけで床が抜けそうな感じだな」

護衛というより荷物持ちになっている三人は、静子の買ったものを見て首を傾げる。
公家の日記の何が良いのか、彼らは全く理解出来ないのだ。だがそれは仕方ない。静子にとってはどんなものでも、戦国時代を知る事が出来る第一級史料なのだ。
特に日記類は後の歴史家が編纂した資料類にはない、当時の人々の生の考えを知る事が出来るのだ。

ルンルン気分で京の街を歩く静子を、京の民は遠巻きに様子を窺っていた。
今回の上洛軍は過去と違い、規律正しい軍隊で大規模な略奪や虐殺は発生していない。
信長が略奪行為を厳禁し、違反した兵士は厳しく罰せられるのと、そもそも兵士たちには軍紀を守り勤め上げれば十分な報償が確約されているのが主な理由だ。
『京治安維持警ら隊』も結成されているので、京の民は概ね上洛軍に対して好意的だ。

その上洛軍の中で静子がしている仕事は三つだ。
一つ目は信長に最重要と命じられた職人探し、二つ目は孤児を集めて孤児院に住まわせる事、そして最後は死体処理などの衛生面の改善だ。
その合間に静子は死蔵されていた古臭い木像や、いつのものか分からない硬貨、貧乏公家が書いた日記などの書物を個人的に収集していた。
最初は驚いたものの、廃品回収をしてくれるなら結構、と言わんばかりに京の民はものを売る。
中にはまがい物を売りつけようとした輩もいたが、彼女の鑑定眼の前にあっけなく見破られ、誰一人としてまがい物を売る事は出来なかった。

「作物の種も結構入手出来たし上々(毎回、F1種か固定種か調べなくていいから、楽だわー)」

種の利権団体が存在しない戦国時代は、物々交換で固定種の種を容易に入手出来る。
だが現代で固定種を手に入れる事は難しい。
まず種の入手は、その手のイベントに参加するか、固定種を取り扱っている研究機関、または個人的に種の研究をしている農家から購入する以外にない。
対してF1種は市場に溢れかえっており、種の入手は容易だ。

何故これほどの差がついたか。
それは生育が早く、揃いが良く、病気に強いF1種の方が楽だからだ。
固定種は病気に対しての深い知識が必要、形は不揃い、育成には時間がかかるのだ。
だから市場に出荷する農家も、家庭菜園をする人たちも、固定種を育てる事はまずない。
F1種を取り扱う会社や農協組合が定期的な利益を得るために、固定種を市場から閉めだしている事を考慮しても、周囲の環境が恵まれていない限り、固定種を育てるのはハードルが高過ぎるのだ。

「さて、警ら隊の報告を受けに行きますかね」

そう呟いた後、静子は慶次たちを連れて警ら隊が利用している基地施設へ向かった。






静子が担っている三つの仕事の内、死体処理が一番簡単だ。死体を街の外まで運び、最低でも1.5メートルの土を被せるようにする事と、死体に生石灰をかける事だけで済んだ。
職人探しも京の民と仲良くなれば、地元ネットワークを活用出来るので簡単に見つかる。後は交渉次第だが、特に躓くことも無く滞りなく進んだ。

問題は孤児院の確保と孤児の招集だ。戦災孤児を放置すれば、やがて徒党を組んで野盗になる。それをしなくとも孤児たちは、日々生きるために窃盗などの罪を犯す。
戦災孤児たちが野盗へ身を落とすのを防ぐには、孤児院に住まわせ、手に職が持てるよう教育をし、里親を募集するのがベターだ。
これは江戸時代の悪法と名高い生類憐れみの令をベースにしている。行き過ぎた動物愛護法と誤解されているが、生類憐れみの令は病人や捨て子の救済も定めていた。
六代目家督が将軍になった時、生類憐れみの令は廃止されたが、この捨て子の教育制度は残したぐらい優れた制度だった。

しかし優れた制度が施行されても、孤児たちが素直に言う事を聞くはずもない。
大抵の孤児は捕まらないように逃走、よしんば捕まえて孤児院に入れても脱走を繰り返す、と完全にイタチごっこ状態だった。

「うーん、今日は三人脱走。内、二人はすぐに捕まったけど、一人は窃盗……ねぇ。力で押さえると余計悪化しそうだし、と言っても下手に街の外へ出られると徒党を組む可能性があるねぇ」

京治安維持警ら隊からの報告を受けた静子は、頭を抱えながら机に突っ伏す。
名目上は信長の配下だが、実際警ら隊の行動指針を決めて動かしているのは静子だった。
ツーマンセルでの巡回、警備犬の導入、巡回ルートの制定等、彼らにとっては初めての事ばかりで戸惑いを隠せなかった。
だが静子には技術街でのノウハウがあった為、導入に関しては滞り無く進んだ。

「幸いにも、今まで一日以上逃げられた事はありませんが……今後もそうとは限りません」

若い兵士が静子にそう進言する。彼は南方警ら隊の二番隊隊長だ。
北方・東方・南方・西方それぞれを担当している治安維持隊、事務・経理などの裏方作業を担当する業務支援隊、そして五隊の健康面を預かる衛生隊。
京治安維持警ら隊は大きく分けて、この六つの部隊で構成されている。

既に室町幕府の京職(京の治安維持)はあってなきようなもの。
朝廷周辺の治安維持は別職故に成り立っているが、将軍周辺、ひいては京の治安維持は信長の軍事力と財力があってこそ成り立っている状態だ。
その為に治安維持組織を編成し、信長の部下である明智光秀に引き継ぐのが静子の役割だ。

(まぁ引き継ぎって言っても、私が書いた書類を明智光秀の部下に渡して終わりだけど……)

静子は時期が来れば尾張に帰るが、光秀を含む部下数名は京に残る。
今後、京治安維持警ら隊が効率良く動けるかは、実は静子の組織編成にかかっていたりする。
その事を静子は知らない。

「これに関しては地道に集めるしかないね。孤児の間引き・・・・・・なんてしたら、反織田派の連中に利用されるし」

孤児が逃げない方法を考えたが、地道に捕まえ続ける以外方法は浮かばなかった。
孤児を殺めれば、反織田派がその点を利用してくる可能性が高い。

「警備犬の導入については、どうなっている?」

「余り芳しくはありません。数百人の部隊ならまだしも、治安維持の隊は四千人を超える規模ですし……年単位を考慮して頂く必要があるかと」

「ふむ……そうですね。ここで焦って導入して失敗するのは避けたい所です。犬の訓練は十分な時間を取って下さい。勿論、早く終わる事に越したことはないですが」

治安維持隊は四隊を合わせると四千人を超える。警備犬を導入するには、まだまだ時間が必要だった。
そもそも犬のブリーダーすらいない戦国時代だ。犬を集めるのにも一苦労の上に、警備犬としての訓練を施せる人間が少ない。警備犬の導入が遅れるのは仕方ない事だ。

「こんなものでしょう。報連相を忘れず、この後も業務にあたって下さい」

聞く事がなくなった静子は、各隊の隊長を見回しながら総括を述べ、会議を締めくくった。

それから八月十二日まで、彼女は『京治安維持警ら隊』を取りまとめた。
だが八月十三日。静子は信長から正式に、光秀へ『京治安維持警ら隊』に関する権限移譲と引き継ぎを行うよう命じられた。
そして八月十五日、長らく京に滞在していた信長だが、これ以上岐阜をあける事は問題と考え、帰国を決意する。
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