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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十一年 上洛

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千五百六十八年 六月中旬

信長と家臣による兵站会議は白熱していた。
軍の中核を為す重要案件であったが、信長が決定し上意下達で済ませず、家臣たちの意見を取り入れることにした。
信長は中国の春秋戦国時代に取り入れられていた『伍』のシステムを採用し、雑兵から精鋭兵に至るまで五人を一組として軍事行動の最低単位とすることにした。このシステムを基本に、家臣たちは兵站を考える。

最初に意見を出したのは竹中半兵衛だ。
彼は自身も活用しているケータイマグを応用し、『伍』の一食分を入れられる食糧筒を提案した。
まず干し飯、干し野菜、鶏肉などの干し肉、殺菌作用のある梅干しをケータイマグに入れる。
こうすれば調理する時、沸騰したお湯を食糧筒に流し込むだけで完了する。いわば現代のインスタント食品に近い。
干し肉や干し野菜は完全に乾燥させていれば、常温でも三週間近く保存が可能だ。干し飯に至っては最高で二〇年保つとも言われている。

また兵站を維持するには軍事物資運搬用の道路整備が必要だ、という意見を出したのは森可成と丹羽長秀だ。
彼らは静子が整備したマカダム舗装を採用し、それを使って道路を整備する案を出した。
メンテナンスが行き届いたマカダム舗装の道路は、雨が降っても水はけがよく、道路の側溝を使って水が排出される。
つまり、ある程度の天候に左右されず軍需品を運搬出来る利点があった。
舗装路故に荷駄の速度も上がり、更に雨天による路面の泥濘化を無視できるため輸送隊が身動き取れなくなる事故などがなくなり輸送コストの大幅減が見込める。

道路が整備されるなら馬車の出番だ、という事で輸送用兵器として静子は三九式輜重車(さんきゅうしきしちょうしゃ)を提案する。
武具・食糧などの物資を馬一頭で曳く木造の荷馬車で、明治三十九年に制式化されて以降、第二次世界大戦後の日本軍解体まで使用された。
本来の積載量は二百二十キロだが、第二次世界大戦ほどの性能は出せないだろう。それでも馬の背に乗せて運ぶよりは多く運べる。

更に彼女は物資を運搬する箱に細工を施し、運搬途中に敵意ある人物による毒物の混入などを検知出来る策を提案した。
構造は単純でまず食糧筒を入れる専用の箱を作る。その箱に内側から開く所に紙を貼る。その状態で逆から食糧筒を詰めて、最後に木釘で底から打ち付けて止める。
そうすると開封した瞬間、挟んだ紙が破れるので開封されたかどうかが分かる。内側に張っている以上、紙を破かずに貼り直すのは不可能だ。
木釘を使っているので引き抜く事は叶わず、下手に細工をしようにも木釘は簡単にへし折れるから不可能だ。

だが荷馬車を使って運搬する事に、秀吉はある疑問点を出した。彼は馬を継続して何日も走らせては後半になればなるほど、移動距離が短くなると指摘した。
そこで秀吉は馬を走らせて運べる一日の距離毎に、防衛施設に該当する「駅」を設置し、そこで一日毎に馬を交代させて走らせる事を提案した。所謂駅馬車制度だ。
そうすれば運べる量と移動距離を一定に保ち、かつ馬の飼料を荷物に積まなくても良い。そして最初の馬の帰りを待たず、次々と荷物を運ぶ事も可能だと考えた。

どの案も実現までに最低二年はかかるものの、運用し軌道に乗り始めれば他の追随を許さないほど素早い軍事行動が可能となる。
そして彼らの考えている兵站、つまり信長の兵站管理システムは平時での応用利用も可能だ。通常の物流と軍需品の物流を一手に握れば、何がどこへ、どれだけの量が流れ運び込まれたか把握出来る。
無論、それらを使わずに運搬する事も可能だが、それは地道に間者を使って監視する他ない。

「これ以上は良い。まずは六角、そして三好三人衆を蹴散らす事だけを考えよ。足利殿を将軍職に据えた後、これらの事について再度検討を行う」

「はっ!」

その一言で今回の会議は解散となった。流石に疲れた静子は肩を叩きながら部屋を後にする。
まだ十代後半なのに既におっさん臭いしぐさをする静子へ、背後から柴田が声をかけてきた。

「よろしいかな、静子殿」

「ふぉっ! は、はい……何でしょうか、柴田様」

振り返るとそこには柴田、そして佐々がいた。どちらも迅速で勇猛果敢、かつ負けず嫌いな性格の人たちだ。
特に佐々成政の方が酷く負けず嫌いであり、信長も「お前の欠点は我の強さだ」と苦言を呈するほどだ。
しかし母衣ほろ衆の隊長に任命されるほど、信長の信頼を勝ち取ってもいた。

(この二人、私を気に入らない武将たちの急先鋒なんだよね……)

そんな負けず嫌いが相まってか、それとも自分たちより女如きが重用されているのが気に入らないのか、とにかくこの二人が織田家家臣に静子がいる事を嫌っている。
逆に積極的な活用を考えているのが竹中半兵衛、丹羽長秀だった。森可成は信長の意見に従うスタイルのため、一貫して何も言わない態度だ。

「ここでは他の人の邪魔になろう。静子殿がお休みになられている所で良いか?」

「は、はぁ……あの、人がいますけどそれは問題ないでしょうか」

「問題ない」

陣の中で静子が寝泊まりしている場所には、慶次と才蔵、そして何故か長可が同じように寝泊まりしていた。
良く知らぬ面子よりは、という信長なりの配慮なのだろう。売春婦と勘違いされない為の措置でもあるが。
そこに柴田と佐々を連れて戻ると、案の定慶次と才蔵、そして長可がいた。静子にとっても予想外だったのは奇妙丸と竹中半兵衛がいた事だ。
慶次は最初に静子と柴田、佐々へと目を向けたが、寝転がった状態から態度を変えなかった。代わりに才蔵が背筋を伸ばして立ち上がり、三人に対して恭しく頭を下げた。
長可と奇妙丸はコンパウンドボウで的当てゲームをしており、その様子を竹中半兵衛が眺めている。
かなりカオスな光景だった。ひとまず長可と奇妙丸の遊びを止めさせ、静子は二人が座れる場所を用意した。

「それで……お話というのは、何でしょうか」

そう言いつつ静子は奇妙丸たちを見る。席を外す気がない彼らは、思い思いの所に座って話に耳を傾けていた。竹中半兵衛など隠す気がないのではと思うほど、柴田たちの会話を聞こうとしていた。
柴田と佐々は同時に咳払いをしたが、口を開いたのは先ほどと同じく柴田だった。

「迂遠な腹の探り合いは得意ではない、率直に言わせてもらう。わしと佐々殿がお主を毛嫌いしているのは、お主も知っていよう。だが気に入らぬからといって、道理の通る話まで反発はしない。まずはこれだけを理解して頂きたい」

「はい」

「さて話だったな。わしには兵站の良さが全く理解出来ない。それに拘るそなたの考えも狙いも皆目見当がつかぬ。はっきり言わせてもらうと不気味に過ぎる」

(不気味……? あぁ……なるほど)

その言葉でようやく静子は彼らが自身を毛嫌いしている理由を知る。
彼らは怖いのだ。静子がいつか自分たちに取って代わり、自分たちの存在が完全に否定される事に。
二人は隠し事が苦手なのだろう。静子が簡単に本音を理解するのだから、ある意味では愚直過ぎるほど真っ直ぐだ。

「まず、私は兵站にこだわりを持っていません。しかし兵站を欠如、または疎かにすれば勝てる戦にも敗北をもたらします。とは言え兵站だけで勝利を得る事は不可能です」

兵站は現在の技術と経済をベースにした軍隊、いわば国家の縮図にあたる。
戦術・戦略より上位の価値観ではなく、二つを支える重要な要素なのだ。経済規模に見合っていない戦争を行えば、戦術で勝利を得ても戦略的敗北になる事もある。

「では何故、兵站の話を持ち出したのだ。こだわりがなければ、今この時に語る必要もなかろう」

「それはまぁ……お館様が興味を示されたという以外にないかと」

「あぁ……」

その一言で納得した柴田と佐々だった。なんという説得力だ、と言った本人の静子も驚きを隠せなかった。

(しかし、どう説明しようかなぁ。私、別に詳しくも何ともないんだけど……たまたま武田信玄を話に出したから、お姉ちゃんの言葉を思い出しただけだし……)

「私なりに兵站について考えたのですが」

腕を組んで唸ってみるが二人に兵站の有益性を理解させる案はまるで思いつかない。
妙案が思い浮かばず頭の中がごちゃごちゃになった時、今まで黙って聞いていた竹中半兵衛は口を開いた。

「静子殿は兵站を作り上げる事自体に意味があるのではなく、兵站という概念を知る事によって今まで見えてこなかった所が見えるようになる、と言いたいのではないでしょうか」

「む……確かに今まで食料事情を考慮には入れていなかったが……」

「お館様は静子殿を多用されていますが、それは仕方のない事なのです。お館様は物事によって見るものの位置を変え、考える事を大切にしておられます。全てを知る事によって見えてくるもの、見るべきもの、そして考えなければならぬ事がある事を知っておられます。故に有益となるならば老若男女を問わないのです」

「なるほど。お館様の深謀遠慮はそれほどの域に達しておられたか。己が浅慮を恥じ入るばかり、某は浅学の徒ゆえ許されよ」

「はー、お館様はそこまで考えておられるのですか」

「……何故、そこで静子殿が感心するのかは甚だ疑問だが、ともかく某も得心でき申した」

佐々から冷静な突っ込みを貰った静子だが、彼女は信長がそこまで考えている事など知らない。
せいぜい自分の好奇心を満たすだけだろうと思っていたからだ。

「お館様が度々仰る『不服なら静子を超える才をわしに見せろ』というのは、その事が影響していると思われます」

後半から竹中半兵衛が説得に近い説明をしていたが、自分が言うよりは説得力があると思い、黙って聞いていた静子だった。






半兵衛の説得により一応の納得はしたものの、そう簡単に考えを変えられない二人だった。しかしそれは仕方ない。
彼らの考えは歴史(戦史)を学び、実際の戦場で敵と刃を交えながら培ってきたものだ。
一朝一夕で変われば苦労はしない。だが彼らも無意味な反発は不和を招くと考えを改め、これからは露骨な静子への反発は控える事にした。
勿論、反論するべき所は、例え信長が賛同しようとも反論するが。

そんなこんなで、中々濃い一日目だったが二日目は特に事件や事故など起きず、二日間休憩を取った信長・徳川連合軍は浅井軍と合流後、愛智川北岸付近まで移動し布陣する。
布陣後、信長は自ら馬を駆り直接敵情視察を行い、攻撃目標を観音寺城、箕作山城、そして六角陣営の最前線基地・和田山城に定めた。
立地的に愛智川の対岸に和田山城、その後方に六角氏の本拠地である観音寺城、東側に支城の箕作城がある。
この三城を線で結ぶと三角形を成しているのだ。そして幹線はこの三角形の中を通っている。
そこまで理解した信長は六角がどの様な策を講じるか考える。

答えはすぐに出た。
六角の防御態勢はまず和田山城に主力を配置し、ここに上洛軍を釘付けにする。その間に観音寺城と東側にある支城の箕作城の兵を使い、上洛軍を挟撃する作戦に出ると確信した。
更に彼は南近江の今までの戦史を調べあげ、この辺りにいる国人たちは戦で不利になると、戦場から逃げ出す傾向がある事を知った。
それは矜持を持たないのではなく、不利になれば撤退し捲土重来を願って雌伏するというのが先祖伝来の処世術であったからだ。

(この手の輩は逃げられると厄介だ。安い挑発に乗らず徹底的に身を潜める。そのくせ、まるで鼠のようにちょこまかと動き回る。六角は、この地で完全に根絶やしにする必要があるな)

方針が決まった信長は護衛の人間を連れて陣へ戻る。
上洛軍の殆どが織田軍といえども、六角を攻めるなら軍会議を開かなくてはならない。
四万という大軍を動かす信長は強い発言権を持つが、彼はあくまで『上洛軍は信長を含む連合軍』という立場を崩さないように注意した。
軍議は自分一人で決めず浅井・徳川と話し合い、戦においては危険な場所へ先陣をきる。
それを有言実行する事で同盟相手を、特に浅井長政へ好印象を与える狙いだ。これは信長の考えではなく、濃姫の意見が採用されていた。

(全く、何が『朝倉家当主は殿に神輿(足利義昭)を横取りされ酷くご立腹の様子。したがって祖父の代から懇意で盟友の浅井家ご隠居様にはゆめゆめお気を許されぬよう』だ。くだらん……が、あやつの言う事はいちいち聞き逃せない事ばかりじゃ)

一度も接触がない朝倉義景と信長が不仲な理由、それは足利義昭が原因と言われている。
彼が立政寺で信長と会談をする事を、二年も世話になった義景に伝えたのは出立直前と言われている。
話を聞いた義景は再三に渡って義昭を引き止める説得を試みたが、結局義昭を引き止める事は叶わなかった。そうした成り行きが、義景に信長への反発を残したと言われている。

(備前守(浅井長政の通称)は暫く様子見じゃ。今すぐ左兵衛尉(浅井久政の通称)がどうこう動くとも思えんしな。まずは神輿を京へ運ぶ、それを片付けてから次の事を考えよう)

陣に到着するやいなや、信長は浅井長政と徳川家康に軍議開催の要望を出す。
すぐに了承の返事は帰ってきた。返事を確認した信長は、息つく暇もなく次に主だった配下たちを呼び出した。

「さて、今日は夜まで忙しくなるぞ」

信長はさも愉快げな表情を浮かべつつ、誰に言うまでもなく一人呟いた。






信長が敵情視察を行っている頃、本陣にいた静子は退屈を持て余していた。
必要な情報を信長に伝え終えたので、彼女としてはする事がない。カイザーとケーニッヒをもふもふするのも飽きていた。
周囲がこれからの戦に対して緊張している中、一人余裕綽々な態度の静子だった。

「……暇過ぎる。ちょっと散歩にでも出掛けよう」

暇を潰すため静子は手持ちの道具で、木製のファイヤーピストンを作っていた。
だが三本作った所で飽きた彼女は、散歩に出掛けようと考えた。
なおファイヤーピストンは、東南アジアの原住民が用いていた火起こし道具の一つで、一九世紀にローレンス・ヴァン・デル・ポストによってヨーロッパに報告された。
断熱圧縮と呼ばれる原理を応用したもので、ディーゼルエンジンの点火方式と同じ原理を利用している。
火種を焚き付けへ移すまでにちょっとしたコツが必要だが、シンプルで携帯性が良く、火打石などの特殊な材料が不要、そして短時間で火種を作れるというアドバンテージがある。
そんな戦国時代にはオーバースペックな火起こし道具なのだが、静子にとっては暇を潰す為に作った程度の認識だった。

バックパックから軽食と道具を、小型のバッグに移し替えて背負う。
カイザーとケーニッヒ、そして馬廻衆の慶次と才蔵を連れて、静子は本陣の周りを散歩する事にした。
周囲の視線から逃れたいという理由もあった。もっとも、もうすぐ命懸けの戦が始まるのに、物見遊山気分の人間がいれば、気になるのは当たり前の話だが。

「うーん、流石に自然が沢山残されているなぁ。色々と食べられるものが一杯だ」

あちこちに山の幸が見えたが、流石に拾い集める気は起きなかった。
敵が目前にいる状況では、山の幸に手が加えられている可能性は否めない。

(何か暇を潰せそうなものはないかなぁ……)

そう思いながら静子は適当な道を歩く。
二十分ほど歩いたがやはり話が上手く転ぶ事はなく、単なる散策以上の事は起きなかった。
次の道を曲がった所で帰ろうと静子が思った瞬間、彼女はカイザーの耳が自分たちとは違う方向へ動くのを見た。
続いてケーニッヒが身体を動かして伝えてくる。二匹の行動から誰かがこちらを見ている、と静子は理解した。
慶次や才蔵も人の気配に気付いたようで、気配のする方を警戒していた。

静子は袖からポケット化粧鏡を取り出す。
化粧道具類は既に使い物にならないが、鏡などの小物は今でも使える。
ハンターケース型の懐中時計のように竜頭を押して蓋を開くと、中には直径5.5cmの円形鏡がはめられていた。
デザインはシンプルの一言に尽きるが、機能性重視の静子が使っていたと考えれば違和感はない。

手鏡を上手く位置調整して後ろの人物を様子見る。しかし彼女はすぐに鏡を閉じた。
鏡に映ったのは間者ではなかったのだ。彼女は一度だけ頭を抱えた後、重い溜息をついてから後ろへ振り返る。

「本多様、そこで何をされておりますか」

瞬間、近くで草木の葉擦れ音が静子の耳に届く。それは隠れて静子を様子見していた人物が、本多忠勝だと確証を得られる音だった。

(道理でカイザーとケーニッヒが反応しなかった訳だ。敵意じゃなくて単なる視線なら、二匹は動かないもんねぇ)

二匹が音にだけ反応した理由が納得いった静子は、腕を組んで一人頷く。
それが何かの合図と思ったのか、茂みの向こうに隠れていた忠勝がバツの悪そうな顔で姿を現した。

「……き、奇遇ですな、静子殿!」

この期に及んでまだ白々しい誤魔化しをしようとした忠勝に、頭が痛くなった静子だった。

「とりあえず陣に戻りましょう」

忠勝がこの場にいた理由は問わない事にした静子だった。聞いたら余計疲れそうな予感がしたからだ。
実際、それは正しく、彼は単に静子を探していただけで、別段深い理由があった訳ではない。それでも直感だけで探し当てるのは、ある意味凄い才能だが。

何とか静子との仲を進展しようと画策した忠勝だが、カイザーとケーニッヒの二匹が絶妙なコンビネーションで忠勝をブロックし続けた。
二匹の攻防に負けた忠勝は、結局大した進展が得られず失意のまま自分の陣に帰った。
もっとも別れる直前、握り飯といぶり漬けを分けて貰う事で元気を取り戻す程度の失意だが。
急な元気のせいか、彼の失意は変な方向へねじ曲がり、何故か六角への怒りと憎悪に変換されてしまった。理不尽な怒りをぶつけられる事になった六角兵は哀れとしか言い様がない。

なお、彼は静子を見つけるより先に長可を発見した。
康政曰く、二人の会話は大層楽しい内容だった、との事だが内容を知らない静子は、長可が若干自分を避けている理由が分からず、ただ首を傾げて困惑するしかなかった。






信長、家康、そして長政の上洛軍は、翌日に戦を仕掛ける事で合意した。
どの軍がどの城を攻めるか決め、軍会議も終了間際の頃、家康が思い出したように口を開く。

「織田殿。貴殿の名物兵を見てみたいので、この後少しお時間よろしいかな?」

「名物兵?」

何の事だと言わんばかりの態度の信長に、家康は人の良い笑みを浮かべる。

「またご謙遜を。何やらこの世のものとは思えぬ獣を従えている兵がいると、我が軍で専らの噂ですぞ」

「それはわしも聞いた事がある。義兄上、差支えなければわしも拝見させて頂きたい」

家康の言葉に長政が思い出したように呟く。
二人の発言内容から、誰の事を言っているか理解した信長は少し考える。

(……確かに迫力がある上に、畏れとして威厳がある狼を連れて来いと言ったが……京につく前に噂となっていたか)

古くから日本には狼信仰がある。
かつては本州、四国、九州の山に生息していたニホンオオカミは、農作物を荒らす鹿や猪を食べていた。
その為、狼は神の使い、つまり神使として信仰されていた。
狼が人を襲う危険な害獣だという考えは、明治時代以降に西洋から持ち込まれた誤った考えであり、日本はそれまで狼と良い関係を築いていた。

現在の京都市伏見区深草大亀谷は、かつて山城の国の大亀谷と呼ばれていた。
この山は日本書紀にも登場する。それは狼同士が争いをする場面に、仲裁に入った人が、その果報により立身出世し裕福になる話だ。
近畿地方にある養父神社は、江戸時代から有数の狼神社として知られていた。

つまり畿内で狼は人を助ける神様の使いであり、おいそれと手出し出来る相手ではない。
静子の護衛は慶次と才蔵だが、それに加えて従軍に箔をつける意味で連れて来いと命じた信長だが、予想外のところで話が広がっていた事に気付く。

「ふむ……まぁ良かろう。奴は少々どころではない変わり者よ。そこをまずは理解しておけ」

「織田殿にそう言われるとは……少々恐ろしいですな」

言葉の割に全く恐れを見せない家康だった。狸め、と信長は心の中で吐き捨てると、会議を手早く終わらせる。
そして家康と長政を連れて静子の元に向かった。護衛や何やらが付いてくるので、かなりの人数になってしまった。

「静子、今良い……」

信長の言葉は最後まで続かなかった。目に飛び込んできた光景が余りに異常だったからだ。
目的の人物である静子は、確かにその場にいた。だがカイザーの背中に頭を、ケーニッヒの背中に足を乗せて寝ていた。
本陣にいるとはいえ敵が目と鼻の先にいる状況で、無防備に高鼾をかける神経に信長は頭が痛くなった。
更に彼女の近くで酒盃片手にゲームに興じる慶次と才蔵。一方長可は四メートル程もあろうかという長い竹を用いて、糸に垂らした永楽銭の穴通し訓練をしていた。

事前に「相手はとんでもなく変な奴だ」と聞いていた家康と長政も、これには驚きを隠せなかった。
周囲もどういう反応をすればよいか迷っている中、信長はこめかみ辺りを押さえながら寝ている静子に近づく。
間抜けな寝顔に一度ため息を吐いた後、彼は静子の頬を思い切り引っ張った。

「実に見事な寝具で早ご就寝とは実に良いご身分だな、貴様は」

「ふひょっ! お、おひゃかた様ッ!? いたいれふぅーーー!」

幸せな夢に浸っていた所で突然起こされた静子は、パニックになりながらも信長に気付く。

「いいからそのだらしない顔を早くしまえ」

それだけ言うと信長は静子の頬から手を離した。






よほど痛かったのか、静子は信長が引っ張っていた部分を両手で擦りながら現状を把握する。
ざっと見た限り、偉い身分の人間が二人で残りが護衛だと推測した。
突然人が増えた事でカイザーは警戒を示す小さな呻り声を口から漏らしている。ケーニッヒも声こそ上げないものの、周囲の様子を忙しなく窺っていた。

(また何かいやーな予感が……)

なお、慶次たち三人はいつの間にか酒盃や竹槍を置いて姿勢を正していた。
変わり身が早いなと思いつつも、静子も居住まいを正して信長が準備を終えるのを待つ。少しして信長と二人の男が椅子に座った。

「見ればみるほど大きい……」

「恐ろしい……あの白毛の狼、頭は人間ほどもあろうか」

「黒毛の方は今にも喉笛に喰らいついてきそうではないか……」

聞こえてくる声は静子にとって余り良い内容ではなかった。
確かにカイザーとケーニッヒは、ニホンオオカミとは比べ物にならないほどの巨躯を誇っている。
だが決して無闇矢鱈に人を襲わない。そもそも狼は警戒心が強く、滅多に人前に姿を見せない。そしてどんなに空腹でも、積極的に人間を襲おうとはしない。
大型の狼が数多く生息するカナダで、狼に襲われる確率は雷に打たれるよりも低い、と言われている。
勿論、絶対に襲われないと断言は出来ない。子育て中の狼へ不用意に近づく、故意に群れへ危害を加えるなどをすれば、狼から報復を受けるのは当然だ。

「あの様な化け物が傍に居れば、いつ寝首を掻かれるか知れたものではない」

「滅多なことを口にするな。あの女子がけし掛けるやもしれぬではないか」

瞬間的に頭に血が上り、静子はヒソヒソ囁く連中に声を荒らげようとした。

「腑抜けが声高に囀るな」

しかし彼女が顔を上げた瞬間、今まで聞いたこともない冷たい声が周囲に響き渡る。
喉まで出かかった言葉を静子は思わず飲み込む。

「わしは家臣を見世物にするためにこの場を設けたのではない。聞こえよがしに陰口を叩く卑怯者めら、言いたい事があるならわしに向かって申してみよ」

有無を言わせぬ信長の言葉に誰もが押し黙る。

「……織田殿の言う通りですな。我々は良くも知りもせず、相手を必要以上に恐れた。これでは臆病者と言われても仕方ない」

静寂が支配する場を最初に打ち破ったのは、意外にも信長の隣にいた家康だった。
彼はにこやかな笑顔を浮かべて言葉を続ける。

「織田殿、静子殿。我が家臣の非礼をお許し頂きたい。お前たち、これ以上わしを困らせるな」

信長と静子に頭を下げた後、家康はにこやかな笑みを浮かべつつも、配下たちへ迫力の篭った声で告げる。
一体誰が陰口を叩いたか不明な状況だが、家康は素直に非礼を認めて詫びた。

「義兄上、わしからも非礼を詫びたい。元々はわしが言い出した事なのに、気分を害するような事をして申し訳ない」

ワンテンポ遅れで長政も信長に頭を下げる。ここで静子に奇妙な違和感が襲う。

(あれ……? 私、徳川家康と顔を合わせたっけ……?)

長政は信長に非礼を詫びた。当然、彼は静子の名前を知らないから、彼女の名を口にしなかった。
だが家康は最初から信長と静子の名前を口にした。

(まぁ浅井側は、お館様に対して謝罪しただけかな?)

家臣にまでわざわざ謝罪した家康が、単に几帳面だったのだろうと静子は思う事にした。

「さて、それでは景気付けに神の使いのご加護を頂くとしよう」

家康は言うや否や、腰を上げて大股でカイザーへ歩み寄る。家臣が止める暇もなく家康は静子の眼前まで近寄った。
腰をかがめて視線を静子に合わせると、家康は声量を押さえて彼女にこう言った。

「綿花の時もそうだが、そなたは中々興味深い。出来れば織田殿抜きで、腹を割って話し合いたいと思っておる」

「え……?」

最初から静子の返答など考慮していなかったのか、家康は言うだけ言ってカイザーへ視線を移す。
少しおっかなびっくりな感じで、カイザーの頭に手を置こうとするが、器用に頭を動かしてカイザーはその手を避ける。

「誠に残念。どうやら神の使いはご機嫌が宜しくないようだ」

頭に手を置く事は無理だと理解した家康は、大げさな態度でおどけて見せた。
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