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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十年 天下布武

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千五百六十七年 五月上旬

夜明け前、奇妙丸の屋敷でコソコソと怪しい動きをする人物がいた。

(……よし、ここを抜ければ後は入り口まで一直線だ)

その人物は屋敷の主である奇妙丸だった。彼が何故あちこち警戒しながら歩いているのかには訳がある。
あの日、咳病を患っていた奇妙丸は自身の素性を静子に語った。
それは信長の意向を無視した行為だったので、数日頭を冷やせという謹慎を受ける事になった。
近代人の発想では、素性を語ったり信長の意向を無視した程度で謹慎処分を受けるのは不思議に見えるだろうが、戦国時代の家長制度では家長の権限は絶対なのだ。
故に妻子や一族であろうと、家長の命令には忠実に従う義務がある。逆らえば家長の成敗権によって血が流れる事すらあった。
例え一族や妻子の方に理があったとしても、だ。

(父上の意向を無視したのが悪いのは分かっている。が、それとこれは別問題だ)

実は信長による謹慎処分は既にとけているのだが、それがなくても彼は外出し難い状態だった。
奇妙丸にとっては不可解でしかないが、教育係の教育熱が再燃したのだ。
故に彼は朝から晩までみっちり勉学に励まされるという状態に陥っていた。信長も問題視せず、むしろ『奇妙丸には良い薬だ』と爺を激励する始末。

(ここを抜ければーーー)

「どちらにお出掛けですかな、奇妙丸様」

ゴール地点は目の前、そう思った奇妙丸が足に力を入れて走ろうとした瞬間、彼の背後から声が飛んできた。
背筋を伸ばした奇妙丸は、錆びついた機械のように首だけ動かして背後を見る。
表情が抜け落ちた爺がそこにいた。

「ちょ、ちょっと厠へ……だな」

「厠はあちらにありますが」

先ほどまで奇妙丸が歩いていた道を指さしながら爺は冷静に答える。

「や、その……だな?」

背中に汗を大量にかきながら奇妙丸は言い訳を考える。
しかし最初にバレバレの嘘を言った時点で、奇妙丸の発言に信用はかけらもなかった。

「して、どちらにお出掛けですか?」

「いや……そ、そう! 今日は静子の所で勉学に励もうと思ってな!」

「静子様の所へは暫く行かなくても良い、と大殿様(信長の事)の仰せですが? それに静子様も仰られておりました。『知識とは複数の情報源から調べて比べたり、先達の教えを聞いたりして最終的に身につくもの。私からの話だけに偏るのは危険だし、知識だけの頭でっかちは愚者にも劣る』、と」

「うぐっ」

「『そして知識は活用出来て初めて智慧となる』、とも仰られておりましたな。奇妙丸様、本日は朝餉後に弓と馬の稽古がございます。それでは爺は準備にとりかかります故、これにて失礼致します。奇妙丸様、どうぞお忘れなきようにお願い致します」

ぐうの音も出ないほど正論を叩きつけられた奇妙丸は、爺の言葉に頷くほかなかった。






静子は忠勝への返答を信長に任せる事にした。
信長に確認し静子が返答を書くよりも、信長が部下に命じて返答を書く方が、細かい点での無礼を無くせるとの考えだ。
なるべく穏便な感じでお誘いを断る内容の文は、静子が信長に任せてから数日で忠勝の元に届けられた。
これで終わりだと思っていた静子だが、彼女は本多平八郎忠勝という人物を少々侮っていた。

五月八日、静子は丹羽に呼ばれて彼の家へ向かう。
直接顔を合わせる機会が一番多い丹羽が、何故静子の家ではなく、自分の家へ来るようにとの命令を出したか静子には分からなかった。
しかし悩んでいても始まらない。彼の家へ向かう以外に彼女の取れる選択肢はないのだから。

初めて訪ねる場所なので少々時間がかかったが、ぎりぎり予定の時刻までに丹羽の家へ到着した。
家、というより屋敷と表現した方が正しいだろう。少なくとも静子の家より数倍、下手すれば十数倍は大きい家だった。
屋敷のスケールに圧倒されている静子に、案内役の小間使いが話しかけてきた。様付に背中がむず痒くなりながらも、彼女は大人しく案内についていく。
この時、彼女がもう少し注意深く周囲を観察していれば、見慣れない集団がいる事に気付けただろう。
だが屋敷に圧倒されていた彼女は、自分の気持ちを落ち着けるだけで精一杯だった。

「静子様がご到着なされました」

「通せ」

仕切りの向こうに小間使いが声をかけると、短い返答が返ってきた。
それが入室の許可だったのか、小間使いが仕切りを静かに開けていく。開け終えると、仕切りの向こうにいる主人に頭を下げた。
それらの挨拶を終えると、小間使いは静子が通れるように道を開ける。
おっかなびっくりな感じで中に入ると、静子から見て左側に丹羽がいた。

「急に呼び立てして済まないな」

そして右側には本多忠勝と見知らぬ男が二人いた。静子は丹羽に薦められて彼の隣に座る。

「某、徳川従五位下三河守が臣、本多平八郎と申す」

「同じく、榊原小平太と申す」

「同じく、本多三弥左衛門と申す」

静子が座ったのを確認した忠勝が名を名乗る。二人の男たちもそれに続く。

(徳川従五位下三河守が臣……徳川一族の家来……本多忠勝、榊原康政、本多正重の三人かぁ……)

徳川三傑に数えられる本多忠勝と榊原康政。海道一の勇士という渾名を持つ本多正重。
いずれも歴史に名を残す武将だが、この時はまだ旗本先手役に抜擢されて与力五十騎の旗本部隊の将だ。
しかし何故、その三人が丹羽の屋敷を訪れているのか、そこが静子には分からなかった。

「先日は多大なご迷惑をお掛けした。そして某の願いを聞き入れて頂き感謝致す。改めてお礼と謝罪を申し上げる」

その言葉と同時に忠勝は深々と頭を下げる。
忠勝のその後を聞いていない静子はどの様な決断が下されたか知らないが、口ぶりからそう悪くはならなかったと理解し、ホッと胸を撫で下ろす。

「承りました」

「そちらの女人にもご迷惑をおかけした。……名を伺ってもよろしいか?」

突然話をふられた静子は少しびっくりしながらも背筋を伸ばす。

「は、はい。静子と申します」

織田尾張守が臣、と言わないのは流石に女の自分が織田一族の家来というのが問題だと理解したからだ。

「静子殿か、美しい名だ」

そう言うと忠勝は自分の後ろにあった風呂敷を手にとり、静子の前においた。
高さが結構ある風呂敷が何か分からない丹羽と静子は、中身が何か尋ねようとする。
だがその前に忠勝が風呂敷の封を解いた。パサリ、という音とともに中身が晒される。

「おぉ……」

中身を見て丹羽が感嘆の声を上げる。それは一輪の花だった。
全体的に白い花だが、ところどころクリームやピンク色が混ざっており、幻想的な美しさを醸し出していた。

「昨今、我が三河国に伝来した綿花という華です。気難しい華ですが、何とか咲いている華を一輪だけ手に入れました」

(綿花……? あれって七月か八月ぐらいに満開になったような……)

綿花は五月から六月上旬に種まき、開花は七月から八月だと静子は思っていた。
だから既に開花している木綿を奇妙に思ったが、種まきの時期を間違えて、たまたま成長して開花しただけと考えた。

国産木綿は永正七年(1510年)に、興福寺の大乗院に残っている「永正年中記」に「三川木綿」を年貢一八〇文の分としてとったと記されている。
一五三〇年頃には綿花から取れる木綿を、商人たちが必死に京都方面へ販路を求めたと言われている。
しかし木綿の価値を理解していたのは、三河の中でもごく一部の商人だけで大々的に販路を構築する事は出来なかった。
これは既に庶民は麻、公家や国人は絹の着物、と住み分けが出来ていたためと言われている。
更に三河の商人にとって痛手だったのが、明(中国)が木綿を日本へ輸出していた事だ。
故に戦国時代末期になるまで国産木綿に目が向けられる事はなかった。

(うーん、これは考えようによっては良い話かな。華が気に入ったから種が欲しい、といえば怪しまれないかも……?)

価値が低いと分かっていて、静子が綿花の種を手に入れようとしなかったのは理由がある。
それがまさに価値が低い、という点だ。
三河国の一部しか目を向けていない綿花を、華を愛でるような性格ではない信長が欲しがったらどうなるか。
どう好意的に見ても、怪しすぎる言動だと周りは思うだろう。
そういう事情があるため、静子は出来るだけ自然な形で綿花の種を入手しようと考えた。

「某は華に詳しくはないが、そなたの事を華に――――」

忠勝がたどたどしい感じで語り、その横にいる康政と正重が呆れ顔をしていた。
だが静子はそれらに意識を向けず、ただひたすら思考する。木綿の育てる方法、それと信長を説得する方法を。

(こっち来る時に着ていた私のシャツ……確か木綿Tシャツだったはず。論より証拠、あれを使えば説明も簡単に出来る? いや、駄目だ。あんな高度な編み物、出したら自分が怪しまれるだけだ。そうなると他の方法で木綿の良さを知ってもらう必要が……)

「……と、言う訳で、その……し、静子殿!?」

忠勝の微妙に大きな声で思考の渦から引き上げられた静子は、びっくりした顔で忠勝を見る。
彼は頬を少し赤め、小袋を握り締めながらこう言った。

「そ、某と……某と一緒になって、この華を育てませんか!?」

その言葉を心の中で噛み砕き、よく考えた静子はこう返答した。

「はい、お受け致します」






忠勝の心は飛び上がらんばかりだった。
ただし隣にいた正重は苦笑い、康政に至っては片手で顔を覆っていた。
何故、そんな対極な反応をしたのか、それは至極簡単な事だった。

「綿花の共同栽培は流石にお館様の許可がいりますが、説得する事は難しくないと思います。しかしどちらかの国で栽培するのも都合が悪いですね。丹羽様、国境付近で土地を用意する事って難しいですか?」

忠勝は自分と結婚して、自分の傍で一緒に華を育てよう、という意味で言った。
対して静子は、三河国と尾張国の共同事業として綿花を共同栽培しませんか、という意味に捉えた。

そして康政と正重は静子が共同栽培という意味で捉えた、とすぐに理解した。
だから二人共呆れたようにため息を吐いた。その二人の様子と静子の言葉を聞いて、遅まきながら忠勝も理解する。
自分の言葉は大事な部分が足りず、相手が違う解釈をしているという事が。

「は、はは……」

忠勝の顔から感情という感情が抜け落ちていく。
物凄い勢いで喜びの気持ちが上がった分、失意のどん底に落ちるのも早かった。

「え、っと本多平八郎様。返答については後日という事でよろしいでしょうか?」

「はい」

「もし共同栽培が出来るようになったら、双方にとって利益を得られると思います」

「はい」

俗にいう燃え尽き症候群になった忠勝は、静子の話を聞き流してはいはい答える。
流石に可哀想になってきた康政が、丹羽たちに気付かれないように配慮しつつ忠勝の脇腹を突く。

「(だから言っただろう。貴様の物言いは遠回しすぎて逆に分かりづらいと。もうちょっと直接伝えるようにしろと)」

「(し、しかしだな……何とも気恥ずかしいというか……その……)」

「(確かに女の気を引きたいために、綿花を用意したのはお前にしては一歩前進だ。女は綺麗なものが好きだから、という拙者の助言で華を思いついた事も褒めてやる。だが最後が駄目だ。あれでは一緒に華を育てましょう、と言っているようにしか聞こえん!)」

「(ぬぐっ……いや、待て。考えようによっては、これも一歩前進だ。何しろ綿花の事で静子殿に会う機会が増える。ならば、これはこれで良し!)」

「(……ま、まぁ貴様がそれで良いのなら、それでいいが……)」

一方、静子も丹羽からこっそり耳打ちをされた。

「(静子殿、あの綿花という華にはそれほど価値がおありで?)」

「(綿花という華ではなく、実の方に価値があります)」

「(ほぅ……差し支えなければ価値についてご説明頂きたい)」

「(綿花から取れる木綿という繊維は、保湿、通気性に優れ軽い。そして安価で量産の効く繊維として平民に愛されています。(歴史的には先の話だけど……まぁいいかな)南蛮の話になりますが、綿花栽培は印度という国を支配している大英帝国が、大々的に行っているほど実入りのある事業です)」

「(それほどのものなら、既に三河国が栽培しているのでは?)」

「(木綿は明から輸入されているので、堺などの商人は国産木綿に目を向けていません。そして三河国の人々も、木綿の価値に気付いているのは極僅かと思われます。幾ら売り手と商品があろうとも、買い手がいなければ商売は成り立ちません)」

「(なるほど……だが価値が低いのなら、種など簡単に入手出来たのでは? 何故、共同栽培などという周りくどい方法を取られる)」

「(価値がないものを、合理主義者のお館様が突然欲しいと言い出したら怪しくありませんか?)」

「(……つまり静子殿はこの機会に種を入手し、共同栽培を行った後に尾張国へ導入する方がより自然だと、言われているのですね)」

その言葉に静子は小さく頷く。
なるたけ自然に尾張国へ伝来し、その後大々的な生産を行った方が良い。
急いては事を仕損じる、ということわざもある。木綿の導入を急いだがために、周りから不信感を抱かれたら最終的に損をするだろう。

「本多平八郎殿、貴殿のお話はお館様にお話を通さねばなりませぬ。ですので、返答は後日ということでお願いたします」

「相分かった。こちらも突然のお話をして、大変失礼をした」

忠勝がそう言いながら頭を下げると、それに倣うように丹羽も頭を下げた。
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