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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十年 天下布武

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千五百六十七年 三月中旬

信長のいくさは変わった。それは今まで美濃攻略に関わった者なら、誰もが思うところだった。
今までは悪く言えば勢いを駆った強行突破が多かった。それ自体は普遍的な戦術であり、趨勢を決する立派な策と言える。
戦争において奇策のみで勝利を得る事は稀で、最終的には必ず真正面からの総力戦となる。
問題はそれを行うタイミングだ。そのタイミングを誤れば、自軍が損害を被るだけで終わる事になる。

「兵を例の場所まで下げろ」

「は、はっ!」

信長が指示した事は決して多くはない。
城を守る武将が血気盛んな相手なら、強行突入を行ってわざと敗退したように兵を下げる。
そうすると相手が取る選択肢は概ね二つになる。一つは勝利したと考え、勝どきを上げて終わるだけ。
そしてもう一つは、更に相手へ損害を与えようと討って出ようとする。
後者になれば儲けものだ。堅牢な城の守りから抜け、無防備な姿を自ら晒してくれるのだから。

「矢を射かけよ」

「はっ!!」

まんまと誘き出された武将は、囲地と呼ばれる敵を討つのに絶好の地形へ誘い込まれる。
信長側は高所からの弓を安全に撃ち込む事が出来、敵将側は逃げる場所が一ヶ所しかない状態に追い込まれる。
当然ながら敵将側は武将も含めてパニックに陥る。だが退路には信長側の兵が伏せており、退却は叶わず、立ち止まる味方に、次々と退却してくる兵とで停滞が起こる。
こうなってくると戦いは一方的だ。矢でなくとも岩や倒木などを投げ込むだけで、面白いように敵兵を倒していける。

「と、殿ォ!! 後ろは雑兵が殺到して逃げる事が叶いませぬ! ま、前は織田軍が待ち構えております! わ、我々は取り囲まれてしまいました!」

「ぬぅ! 兵を下げたのはこの為か! ……無事な者を集め、織田軍の方へ正面突破を図るぞ!」

そう叫んだ敵将だが、その作戦が実行に移される事はなかった。
何故なら、まるでタイミングを計ったかの如く、敵将へ無数の矢が襲いかかったからだ。
何十本もの矢が敵将の喉や胸、腕や足に突き刺さる。断末魔の叫びをあげる間もなく、彼はあっけなく命を落とした。






勿論、常にこの様にうまくいく事はない。
はじめは思うように戦果を上げられず、いたずらに被害を出していた。捗々はかばかしくない戦況に激怒するであろうと思われた信長だが、彼は不敵な笑みを浮かべこう言い放った。

「上出来じゃ」

そのふてぶてしいまでの態度はまさに泰然自若を体現していた。
虚勢を張っているかに思われたが、局所的な勝敗に拘泥せず大胆に兵を運用し、最後には勝利を得ていた。
怒りや焦りが無い訳ではない。むしろ内心は瞋恚の炎が燃え盛っていた。元より気性の激しい信長は努めて冷静な態度を取るよう腐心していた。

不利な状況であるほど、ふてぶてしく笑う。
これが信長の行っている事である。傍目には単に虚勢を張っているだけに見えるだろう。
しかし彼はどっしりと構える事によって、敵味方の『不安』という感情をコントロールしようとした。
『不安』という感情は厄介で、どれだけ否定材料があろうとも完全には払拭することが出来ず、小さな不安の種が芽吹き大きく育っていく。
故に信長は自軍の『不安』を可能な限り取り除き、逆に敵側には不安や不安の元となる猜疑の種をばら撒いた。

どれほどの逆境に追い込まれようとも、指揮官が部下の前で動揺を見せれば士気は下がってしまう。
それと同じで信長が不調の苛立ちを当たり散らせば、それは配下に余計な『不安』を与える事になる。
故に信長は『無神経なほど物事に動じない闘将』をイメージし、ことの軽重や吉報、凶報に拠らず常に想定内の事態であるかのような堂々とした態度でいる事を心掛けた。
これが思いのほか功を奏し、武将たちは勿論、足軽たちをも大きく勇気づけることとなる。

逆に敵側には積極的に『不安』を駆り立てる策を取り入れた。
落とした城の雑兵から甲冑を剥ぎ取り、それを間者に着せ、いかにも城から落ち延びた風を装わせた。
当初はそのまま『不安』を煽るような報告をさせようと思ったが、それだけでは弱いと信長は考えた。
更にもう一歩推し進め、より効果的な手段を模索する。

そして思いついたのが『嘘はついていないが、真実も伝えていない報告』、つまりは意図的に与える情報を省略することで誤解を招く報告をすることだ。
人間というのは言葉や起こった事を、自分の都合の良い方に解釈しやすい。たとえそれが嘘だったとしても、報告を受けた人が受け取りやすいストーリーなら、そのように人は解釈する。
これによって間者は嘘をつかずとも恣意的な思考誘導が出来る。そして間者は全てを語っていないだけで、嘘をついていないため嫌疑をかけられる事もない。

例えば間者に『信長は次の城を目指し進軍中』と報告させたとしよう。
一見して普通の報告に見える。しかしこの報告は肝心な部分がわざとボカされている。
信長が進軍中、これは真実である。とは言え随伴する武将や兵数などの規模についての情報が省かれている。
当然一兵卒の報告を鵜呑みにする武将は居ない。陣立てや規模についても問われる事となるが詳細については判らないと言えば良く、更に情報収集するため斥候を出そうとするだろう。だがこれは判断に要する時間を制限することや(例えばすぐ近くに信長は来ているなど)、その情報を裏打ちする証拠を武将たちに発見させる(例えば実際に信長の軍勢が移動しているところを見せるなど)ことで決断を促す事が出来る。
彼らは今が千載一遇のチャンスと勘違いし、信長の背後を急襲しようと部隊を派遣する。
しかし、信長が率いている軍は騎馬兵のみの速度優先の囮であり、誘き出された敵軍の背後を本隊が急襲する。そして敵の動きが止まったところを信長の部隊も反転し挟撃する。

致命的な失策に気付いて報告者を叱責しようにも、その頃には当の本人は雲隠れしており己が不運を呪うしかない。
しかし間者には演技力や胆力の他に、旨く行かなかった場合の機転など高い能力が要求されるため、人材確保が今後の課題だと信長は考えていた。






まだ試験段階だが、信長は新しい陣形も取り入れた。密集陣形、いわゆるファランクスだ。
と言っても地中海やマケドニア式のように、精鋭によって構成された陣形とは言い難い。
人数も少なく総勢で三〇人から四〇人程度だ。
そして五人を一列とし、最前列が不格好な木の板で作った体を覆い隠すほどの大盾を持ち、二列目以降二〇人程度が信長の開発した長槍を手にし、最後尾にクロスボウを持った兵士を数人配置した。
陣形を構成する兵士たちは、初めての陣形に戸惑いと驚きでギクシャクしていた。
それでも戦場で死を間近に感じたためか、幾つかの部隊は一蓮托生ゆえの連帯感を発揮し一丸となって攻撃をしていた。
最前列が相手の矢を防ぎ、接近してくる敵兵には長槍が、矢狭間などからの攻撃にはクロスボウが対応する。
中規模や大規模の山城でない限り、自然の地形を利用して山の各所に柵、堀、土塀を設けるといった程度の防御設備しかない場所には、ファランクスのように集団が一丸となって血路を開く戦術は一定の効果が得られた。

「密集陣形の練度を上げる事が今後の課題だな、可成」

「はっ。先ほど最終防衛を突破し、現在城攻めを行っていると報告を受けました」

「よし、上出来じゃ。密集陣形の者たちを下がらせろ。それと足軽どももだ。残りは雑兵たちだけで十分じゃろう」

その言葉通り、もはや山城は陥落一歩手前状態だった。
既に山頂から黒い煙が何本か上がっていた。それは信長側の雑兵が火を放ったのか、それとも山城の連中が自暴自棄になって火を放ったのかは分からない。
それに対して興味がなかった信長は煙を一瞥した後、森可成に背を向けて歩き出す。

「残りの城もこの調子で落とすぞ」

「はっ!」

恭しく頭を下げて森可成は返事を返す。しかし彼は、頬に一筋の汗を流していた。
怖いのだ。南蛮と明の知識を己の中に取り込み、そしてそれを実践し戦果をあげてのける信長が。

(……お館様はあれをものにし、こうして実践しておられる。静子殿の知識にも驚かされたが、やはりお館様の天稟てんぴんには叶わぬかもしれないな)

兵法書、彩からの報告、奇妙丸からの報告、その他静子から直接漏れる様々なエピソード。
それらの中から内容を取捨選択し、合理的な形にして実現させる信長に、森可成は無意識の内に恐怖を抱いた。

(小心者と誹りを受けても構わない。私はお館様が恐ろしい。一体、この御方はどこまで大きくなられるのだろうか)

森可成は信長の背中を見る。
見た目は普通の人間の背中にしか見えないはずなのに、どうしてだか森可成の目には見上げるほどに大きく恐ろしげに見えた。






一方、戦場から遥か遠くのどかな農村地帯にいる静子は、そろそろ秘密兵器その一を使おうと考えていた。
それは田起こし用に使う『はねくり備中』だ。
従来の田起こし作業は鍬や備中を使用し、前かがみで作業する事から腰を痛めやすい。
そこで立って作業が出来るはねくり備中を用いることにより作業効率向上と、腰への負担を少なくしようと考えた。
テコの原理を利用して土起こしをするので、力もそこまで必要としない。
大正時代に開発され昭和初期から昭和四十年代まで、田起こしといえばはねくり備中を使って田んぼを耕す事、という意味だった。
さすがに一人一つ渡せられる余裕はないが、各村に三〇個ほど配布出来る数は生産出来た。

「農業は他の人たちに頼れるからいいけど……戸籍の方が問題なのよねぇ。やっぱ一から作るのって、膨大な作業量だなぁ」

戸籍の方は未だ整理中だった。何しろ戸籍を作るには、まず住所を作る必要があったからだ。
そして問題は住所だけではない。家族構成を夫と妻が把握していないという状態も問題だった。
戦国時代、戦から帰ってきたら子供が増えていた、などは日常茶飯事だった。
だが男の方は特に何も思わず、むしろ我が子が増えたことを喜ぶ程度だった。
無論、全てが丸く収まる訳ではなく妻の不貞を疑い問い詰める者も居た。
だが大部分は家族が増えても気にしなかった。

そのような曖昧な考え方は重要軍需拠点を守る上で不都合が生じる。他国のスパイ、つまり間者の介入を許してしまうのだ。
夫が戦などで留守中の時、妻が間者と不貞をし、秘密を漏らすなどをすれば大問題だ。
そればかりは、いくら静子でも許すわけにはいかなかった。戸籍の整備も間者対策の一つだが、作成するだけでは意味を為さない。
静子の持つ農業技術が信長の子飼いに『知れ渡る』状態まで、極力外部との接触を限定する必要がある。

いずれ静子の農業技術は他国も知る事となり、生産量増加の為に取り入れるだろう。
その時、静子一人が技術を握っている状態では色々と不都合がある。
農業技術の中核をなすのが静子であると他国が知れば、彼らは織田家の勢力を削ぐため静子の暗殺を謀るのは確実だ。
流石に良く分からない連中から、一方的に狙われて殺されるのは避けたかった。
その為に『静子一人が知っている』状態から、次のステップである『不特定多数の百姓が知っている』状態に移行する必要がある。
その状態になれば、静子一人を暗殺しても大した効果はない。なので自分の身を守るためにも、彼女はせっせと技術を周りに広める必要があった。

だが彼女が自分の身を守るためにやっている事は、実は『底上げ』という富国政策に近かった。
農業技術は静子の村を起点に扇状に広まり、やがて織田領土の百姓全てに知れ渡る。
そうなったら織田領土は戦国時代とは思えぬほど高い収穫量を誇る国になる。
『底上げ』の最も恐ろしいのは、起点となった場所を潰そうが、もはやどうにもならない所だ。
既に領土内に広まった状態で静子の村を攻めても、それで織田領総ての生産量が落ちるわけではない。
一度根付いた知識を根絶するには、領民を一人残らず皆殺しにし、全ての記録を破壊する必要がある。
そしてそれを成すためには織田家を滅ぼす必要があり、戦力を削ぐ前提として織田家の壊滅が必要という矛盾が発生することになる。

「ま、嘆いても仕方ないか。それより伝令の方法って、早馬以外にないかなぁ」

早馬の人を一日に何度も使うのは、流石にコストが掛かりすぎる。
もっと手軽な方法で情報の伝達をやり取りできないか、と静子は考えた。

「おーい、静子ー、遊びに来たぞー……ってわぁ! びっくりしたぁ……」

腕を組んで考えていると、玄関から奇妙丸の声が飛んできた。
途中から悲鳴交じりになったので、静子は何事かと思い早足で玄関に向かう。

「どうしたのー?」

そう言いながら玄関を覗くと、カイザーとケーニッヒが奇妙丸の周りをぐるぐる回っていた。
しかし静子に気付くと二匹は驚く奇妙丸を放置して尻尾を振りながら静子に駆け寄る。
二匹とも静子の前で腰を落とし、床を掃くようにしっぽを大きく振った。
これは群れの優位者に対して、最大限の愛情と敬意を表すときに出る動きだ。言葉にすれば「何でもお申し付け下さい!」である。
その事を理解した静子は、そういえば最近忙しさでヴィットマンたちに余り構ってあげられていない事を思い出す。
おそらく「寂しいから構って構って」という感じなのだろう。これではヴィットマンたちにストレスが溜まり、体にも心にも良くない。

「よーし、どうせ明日でも出来るし、今日は仕事止め止め。カイザー、あれを持ってきて」

静子はカイザーの前でとある動作をする。それが何か理解したカイザーは、すぐに立ち上がってそれを取りに向かった。
それを見届けた後、静子はよく使ってる犬笛を拭いた。内容は『全員集合』である。待ってました、と言わんばかりにヴィットマンたちはすぐに集まった。
皆、静子を見るやいなや口を舐めて『大好き』アピールをする。色々と仕事が溜まり構ってあげられなかった事を詫びるかのように、静子は少し大げさに彼らの体を撫でた。
皆が集まった所でカイザーが頼まれたものを口に咥えて戻ってきた。
それは円盤状の形、いわゆるフリスビーに近いものだった。
彼女はそれを受け取ると、未だに呆然としている奇妙丸に向かってこう言った。

「これからカイザーたちと遊ぶけど、茶丸君も付き合う?」

若干腰が引けたが、怖いもの見たさで奇妙丸は小さく頷いた。






信長は本陣備そなえで小休止を取っていた。
現在攻めている城は既に陥落手前。そして、この次に攻めようと予定していた城から軍門に下るとの使いがきた。
信長の陣営は大した兵の損害がなく、順調と言っても過言ではない状態だ。
しかし斎藤龍興のいる稲葉山城を落とさない限り、彼は気を緩める事が出来ない。
その為の秘密兵器その一であるクロスボウを、信長は弄っていた。

「可成、このくろすぼうをどう思う?」

信長は傍に控えている森可成に質問する。彼は少しだけ考え、そして信長に向かってこう言った。

「威力高し。されど弦を引くのに道具がいる為、その時が隙だらけになるかと」

「ふむ、やはり弦を引く時が問題か」

元より信長は、静子からも『弦を引く時間が長い』との警告は受けていた。
それがどれほどのものか確実にするため、彼は実験的に戦へ導入したのだ。
結果は静子の警告通りだった。信長は火縄銃、和弓、そしてクロスボウを頭の中で比較する。

有効射程距離が一番長いのは和弓、次にクロスボウ、最後に火縄銃。
連射能力も和弓、次にクロスボウ、最後に火縄銃。
製造コストは圧倒的にクロスボウが安く、次に和弓、最後に火縄銃。
威力は火縄銃が圧倒的で、次に和弓、最後にクロスボウ。
維持費は黒色火薬を消費する火縄銃が圧倒的に高く、次に和弓、最後にクロスボウ。

「……可成、ふと思ったのだがな。このくろすぼう……矢を乗せる所に、別のものを乗せる事が可能と思えぬか?」

クロスボウには木でできた台座があり、そこに矢を乗せて発射するように出来ている。
弦受けもあるため、必然的にある程度の平坦な部分があった。信長はその上に矢以外の何かが乗せられないかと考えたのだ。

「はっ、確かに別のものを乗せられそうですが……乗せられるものがかなり限定されそうです」

「構わぬ。奴(斎藤龍興)の腰を抜かすような事が出来れば良い。それとこの弦を引く機材、これも別の何かで代用出来ぬだろうか」

言いながら信長は機材を使って弦を引く。力を使うのがこの時だけとはいえ、もどかしい時間だ。
乱戦になればこの時間は死活問題。しかし弦を緩めれば威力が下がる。威力を下げず、かつ弦を引く時間を短くする方法はないか信長は考える。

(何かしら方法があるはずだ。矢を三十三間飛ばす熟練者を一〇人集めるより、このくろすぼうの欠点を克服したものを一〇〇人分用意する方が遥かに容易い)

そんな事を考えつつクロスボウを見るが、やはり答えが容易く出る事はなかった。
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