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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

永禄十年 天下布武

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千五百六十七年 一月上旬

百名近くからなる慰労の宴会だがそこは武家社会の宴会、始まりもかなり堅苦しかった。
まずは始まりと言わんばかりに雑煮である。やはり現代と違い、胃液が出やすい食べ物ばかりだった。
マナーをそつなくこなしていた静子だが、その内心は驚きでいっぱいだった。
本願寺の一向一揆衆から第六天魔王と言われるほど傍若無人な評価の織田信長だが、礼儀作法に驚くほど厳しく、そして様になっていたからだ。
決して一朝一夕で身につけられるものではない。長年、それこそ幼少から躾けられなければ身につくはずがないものだ。
織田信長の評価は江戸時代に徳川家が徳川家康をより良い将軍に見せるため、わざと悪者のように記したものが多いと静子は聞いていた。
それが事実だと彼女は理解した。織田信長は決して傍若無人な振る舞いをするだけの暴君ではなく、国人に相応しい礼儀作法を身につけていると。

(歴史的発見だなぁ……でも、後の治世者が前の治世者を悪く言うのは世の常だしねぇ……)

そんな事をぼんやり考えながら、静子は杯に入っている酒を飲む。
戦国時代なので清酒というよりどぶろくに近いが、口当たりは甘く未成年の静子でも簡単に飲めた。
本来は清酒と変わらぬアルコール度数のはずだが、おそらく酒の量を増やすため水か何かで薄めているのだろう。
別に無類の酒好きではない上に余り飲めないので、水で薄めているのは逆にありがたかった。

酒と料理をチビチビとやっている静子は、周りから話しかけられなくてこれ幸いと思っている。
しかし誰も声をかけないのは、単に静子が見知らぬ人間だからという訳ではない。
彼らから見て多少変なマナーがあるが、それでも彼女の食べ方は一定の作法に則っているように見えたので、逆に声をかけづらかったのだ。
本人は『行儀良く食べないと怒られそう』程度の認識だが。

「なんじゃ、静子は寂しい酒の飲み方をするな」

静子が三杯目の杯を空にした時、彼女の前に腰を下ろしながら声をかける人物がいた。
杯を口から離し、目の前の人物を見たところで静子は変な息を吹きそうになった。
少し前に出会った少年が、徳利のようなものを持って座っていたのだ。

「(えー、これはいいの……?)下戸なので……」

少年の作法は問題ないのか、と思った静子だが周りが注意しない所を見るに、気にしないレベルなのだろう。
だから静子も指摘をしようと思わなかった。

「折角の宴会なのだ、しみったれた顔ではつまらんだろう?」

「はぁ……」

「気のない返事じゃな。そうだ、ここで会ったのも何かの縁。この間言っていた孫子で、何か別のはないかの。出来れば書き残してくれるとありがたい」

お酒が頭に回っている静子は余り深く考えず頷いて了承する。
予め用意していたのか、少年が目配せするとすぐに小姓らしき人物が紙と墨を持ってきた。
小姓から差し出された細い筆を受け取ると、静子は特に考えず紙にこう書いた。

『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震、掠郷分衆、廓地分利、懸権而動』

孫子の兵法で軍争篇第七に書かれている有名な一節である。
そして戦国時代では甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されていたとされる。
何故、静子がこれを選んだかというと、単に有名(静子の中だけ)な一節の上に、漢字で書けば格好良く見えるという単純な理由だ。

「どうぞ」

「待て。そのまま渡されても俺には意味が分からん。説明しろ、説明を」

「はい、ええとですね。まず―――」

説明しようと口を開いた瞬間、静子の耳に彼女を呼ぶ声が届いた。
そちらの方へ顔を向けると、信長がどこか楽しげな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
何か嫌な予感がすると思った彼女だが、呼ばれている以上無視するわけにもいかない。
少年に頭を下げて断りを入れた後、静子は信長の前まで移動した。

「宴は楽しんでいるか」

静子が座ると同時に信長はそう尋ねた。
彼女としては早く帰りたい気持ちがあるのだが、それをおくびにも出さないよう気をつけて頭を下げる。

「はい、この様な宴に呼んでいただき感謝の念にたえません」

「ふっ、そういう事にしてやろう。まずは飲め」

正直、お酒は勘弁してほしい静子だが、まさかここでお断りしますなど言えるわけもなく、素直に杯を受け取る。
そして何も考えずお酒を一気飲みした。正しいか、正しくないか未成年の静子には判断がつかなかったが、こちらの方が味と匂いを気にせず飲めるのだ。
お酒と言っても清酒ではなくどぶろくで、更に製法が悪いのか若干ヌカ臭さがあった。

「(よく……分からないなぁ、お酒の味は)美味しゅうございます」

「うむ、良い飲みっぷりだ。さて、貴様を呼んだのは他でもない。くろすぼうは持ってきたな?」

「あ、はい。ちゃんと持ってきました」

その答えに信長はニヒルな笑みを浮かべると、自分の膝を軽く叩きながらこう言った。

「よし、ではわしと弓勝負だ」






怒涛の展開だった。
元から静子の返事など聞く気はなかったのか、信長は傍にいた小姓に命令を飛ばした。
めまぐるしく変わる状況に、静子は目を回す事しか出来ない。そんな状況に流されている内に、あっという間に弓勝負の場に引きずり出された。

「勝負じゃ」

「は、はい……ッ!」

クロスボウを肩に担がされたままの静子が驚きの声を上げる。
ここでようやく彼女の頭の理解が追い付いたからだ。だが、追い付いただけで、もはや状況は覆す事など不可能だ。
彼女は目だけ動かして周りを見る。自分と信長を中心に、左右に椅子に座った武将たちがいた。

「静子様、矢でございます」

「あー、その矢じゃ駄目なんで。こちらで矢は用意してますので問題無いです」

和弓の矢を渡された静子だが、明らかに長さが合わないので矢はそのまま返した。
クロスボウは見た目に反して矢の長さと重さの指定が細かいのだ。合わない矢を使えば逆にクロスボウ自身を痛めてしまう。
何度も調整して得られた最適な矢以外で打てば、最悪の場合その場で破損してしまう。
作り直すのにも時間のかかるクロスボウを、酒の席で大破する事は可能な限り避けたかった。

「勝負の内容は簡単じゃ。一〇本の内、どれだけ数を当てられたか、それだけだ」

信長は和弓を片手に携えたまま言葉を口にする。対して静子はクロスボウを背負ったままだ。
弓らしきものが見当たらない事に、殆どの配下の人間から疑問と苦笑の声が上がる。

「(あー、うん……見世物小屋みたい)はい、分かりました」

目立つ事は避けたい上に、最初からやる気がゼロ以下の静子は生返事を返す。
彼女の頭の中にはこの酒宴自体が早く終る事しかない。それはやはり酒宴などは自分には不相応な雰囲気を感じ取ったからだ。

「まずはわしからじゃ」

そう言うと信長は慣れた手つきで弓を射る。流石に毎日訓練しているだけあって、軽々と的に当てた。
次は静子の番、と言いたげに信長は小さく笑みを浮かべながら彼女の方へ顔を向ける。
だがそれを見ても、静子はやる気が出るどころか逆に下る一方だった。

(いくらお館様の命令とはいえ、やっぱり目立つのは苦手だなぁ)

肩からクロスボウを下ろし、弦を引いて矢を置く。そして両手でクロスボウを構え、ゆっくりと的に狙いを定める。
この時、信長は勿論配下の人間も驚きの顔をしていた。それらを無視して静子は引き金を引く。
和弓とは違う音を立てて矢が飛んで行く。的に命中した矢は、勢いが強すぎたのか的をそのまま貫通していった。
的の材質を和弓に合わせて作ったのだから、それより強力な力で矢を射る事が出来るクロスボウの貫通力に耐えられなかったのだろう。

(ありゃ、貫通しちゃった)

のん気にそんな事を考えつつ静子は弦を引く。そんな彼女を真剣な顔をした信長が見ていた。

(……奇っ怪な弓じゃ。静子の細腕で弦が引けるのに、それに反して威力が高い。否、貫く力が強いと言える。射る体勢は火縄銃と酷似している。だが、やはり一番驚くべき事は、弦を引いたままを維持出来る事じゃろう。使えぬと思ったが、こやつのより構造を簡単にすれば籠城戦には使えるかも知れぬ)

「足軽の甲冑を持って来い!」

「は……?」

「早うせぬか!」

「は、はい!」

突然の怒号に配下は思わず聞き返した。しかし信長は彼らの驚きを無視して再度命令を飛ばす。
未だに困惑顔の彼らだが、信長の怒声に震え上がり、慌てて足軽の鎧を取りに行く。
だが理解が追いつかないのは、静子や配下の人間も一緒だった。
信長が何を目的としているのか、どんな思惑があるのか全く掴めなかった。

少しして足軽用の甲冑が用意された。それは本来の弓用の的より少し手前に二つ置かれる。
飾るような感じで立てられている甲冑を見れば、誰だって次の的は甲冑だと理解する。

(あやや、足軽用の甲冑は布か竹製が多いんだけど……)

そう思いながら静子はクロスボウを調整する。
しかしこればかりは射ってみないとどうなるか分からない。元々、狩猟用に用意したのだから、当然と言えば当然なのだが。
クロスボウ自身が痛むのではなく、矢が痛むだけなのが幸いといえば幸いだ。

その後、信長は一言も口を開く事なく無言で矢を射った。
無言の重圧にお腹の辺りをきりきりと苛む痛みに耐えながら、静子も無言でクロスボウを撃つ。
それは最後の一〇本目を射るまで続いた。流石に信長の様子が変だと配下も思っているらしく、皆一様に緊張した顔をしていた。

「……静子、この弓を引いてみよ」

弓勝負が終わった瞬間、信長は先ほどまで自身が引いていた弓を静子に突き出す。
何がしたいのか終始分からない静子だが、言われた通りに弦を引いた。

「ぬ、ぐぎぎぎ……ッ!」

弦は恐ろしいほど硬く、静子が全力で引こうともビクともしなかった。
だがこれは当然の結果である。和弓は全身の筋肉や骨を使って引くので、きちんと手順を踏まなくてはならない。
その上、戦国時代の和弓は戦争の道具なため、現代の和弓より弦が硬く作られている。

「ぷはっ……はー、はー、はー……」

結局、静子が全身の力を使って引けたのは、ほんの僅かだった。
だが信長は侮蔑や嘲笑の顔ではなく、少しだけ目を細めて静子を見ていた。

(まるで弓の使い方がなっておらぬ)

弦の引き方といっても無理やり引っ張っているだけで、きちんとした手順を踏んでいない。
だが『弓を引く』という言葉だけで、静子は『弦を引く』と解釈した。

(なるほど、こやつは知識は豊富でも、必要時に必要分の知識しか使わないのだな。つまり静子から知識を引きずり出すには、この娘に『知識を出さねばならない環境』を作ればいい)

静子の知識は、もはや一国全てを差し出してもお釣りがくるほどだと信長は考えていた。
その上、本人の性格が目立つ事を嫌うため、増長して余計な嘴を入れる事がない。
信長にとってこれほど扱いやすく、そして便利な駒はないと思った。

「どちらも一〇本命中か。そのくろすぼう、興味が湧いた。数日借りるぞ」

「うえっ! は、はい……」

驚いた声を上げながらも、静子はクロスボウを信長に差し出す。
信長はそれを神妙な顔つきで受け取った。






その後は余興などなく、特に問題もなく慰労の宴会は終了した。
静子もどこかで待機していた彩と合流し、日が沈む前に家路についた。
しかし宴会の場から帰らなかった者が数名いた。
信長の側近である滝川一益、森可成、丹羽長秀の三人と、彼の家督相続人である奇妙丸だ。

「あの小娘、作るものが毎度ながら奇天烈じゃのぅ」

そう呟きながら滝川はクロスボウを弄る。
なんだかんだ言いながらも、彼は静子の持つ道具に強い興味を抱いていた。

「物珍しさなら誰でも出来ますが、こうも形になっているとなると……それはそれで怖いものです」

「しかしこの南蛮弓、使い勝手は良さそうですが構造が複雑怪奇過ぎます。容易く扱える利点はあるものの、数を用意するのはいささか厳しいかと」

配下たちがあれだこれだと言っていたが、信長が手を突き出して話を止めさせる。

「数は三〇、次の城攻めの時に使う」

それが信長の決定だった。
そもそも森たちを呼んだのは、クロスボウについての口論ではなく、それぞれ必要な役割を彼らに与えるためなのだから。

「可成、彩を通じて静子にくろすぼうの生産を命じろ」

「はっ」

「滝川、和弓を扱える人間以外で兵三〇人を集めろ」

「……ははっ」

「丹羽、奇妙丸。静子から明の兵法書について聞き出せ。そしてそれを書き残しておくのだ」

「了解しました」

「了解だ、父上」

全員の返事に信長は満足気な笑みを浮かべる。彼は一度頷くと、全員を見渡しながらこう言った。

「奴の軍事に関する知識、必ず我が手中に収める」
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