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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀四年 室町幕府の終焉

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千五百七十三年 八月中旬

「ひぃっ! な、何故貴様がここにいる!?」

朝倉孫八郎景鏡(かげあきら)は恐慌を来たして叫んだ。彼の眼前には斬首されたはずの朝倉義景が立っていた。
義景の背後には、彼の側近である鳥居や高橋も控えており、更に後ろに高徳院、小少将を筆頭に妻たちが並ぶ。皆の表情には裏切り者に対する怒りがあった。
景鏡は先ほどまで饒舌に語っていた。自分が如何にして義景を裏切り、朝倉家を牛耳った後に高徳院なども追放し、一乗谷を手土産に織田へと降るつもりだったと。
義景達はその一部始終を隣室にて聞いており、中座した光秀と入れ替わりに入室したのだ。

景鏡は織田家にとって無価値な人間だとして既に見限られていた。
光秀の誘導にも気付かないままに、己の裏切りを得意げに話す姿に失望し、自分達で処分する程の価値も無いとして席を立った。

「な、何じゃその目は! 貴様のせいで一乗谷がどんな運命を辿るのか判っておるのか!?」

「無論聞いておる。このいくさに限らず、終始決断できず優柔不断の(そし)りは甘んじて受けよう。弱肉強食の乱世に於いて芸事に熱を上げる暗愚の当主、まさにその通り」

「そ、そうじゃ! 貴様の優柔不断さが織田を利したのだ! いくさを嫌い、厳しい現実から目を背けた腑抜けものよ! 百年の栄華を誇った一乗谷を滅ぼしたのは、義景! 貴様じゃ!」

義景が自らの非を認めたのを良い事に、景鏡は自分の事を棚に上げ、義景を痛烈に批難した。

「貴様の言う通り、後世に於いてわしは暗君として名を残そう」

しかし、と呟いて義景は腰に佩いた刀を抜いた。対する景鏡は丸腰であった。少しでも光秀に良い印象を持たれようと、自ら武装解除を申し出た結果であった。

「貴様が裏切ったのは朝倉家だけではない。我が身可愛さから守るべき民すら売り渡したのだ。愚昧なわしを見限るのは構わぬ。わしの首を手土産に、民の助命を乞うたのなら皆も貴様を赦したであろう……」

「ひ、ひっ! ま、待て! ここは織田の、明智殿の陣ぞ! ここでわしを斬れば、貴様の妻子も連座は免れまい!」

「もとより皆、覚悟の上!」

「くっ! 血迷いおって」

景鏡は死地を脱するべく周囲を見回すが、どこにも活路などありはしなかった。それに、これほどまで騒いでいるというのに、織田軍の兵士が駆けつける様子もない。
幾ら待とうとも助けは来ない。そもそも、この場は光秀と静子が整えた景鏡断罪の場であった。

「景鏡、わしもすぐに後を追う。これから苦難を受ける越前の民に地獄で詫び続けよ!!」

言い切ると同時に刀が振り下ろされた。左肩から右脇にかけて袈裟懸けに斬られた景鏡は、呆然としたまま傷口を押さえ、ごぼりと血を吐くと倒れ伏した。
朝倉家を、ひいては越前を売り渡してまで生き残りを図った景鏡の最期は、裏切り者の末路らしい哀れなものであった。

「終わりましたな」

景鏡の首が切り落とされるのを見計らって光秀が戻ってくる。光秀が上座に座ると、義景は刀を鞘に戻し、腰から外して遠くへ放り投げた上で平伏した。

「裏切り者の始末も付き申した。もはや思い残すことはありませぬ。我が首を以て、このいくさの決着と致しましょう」

(しか)と承り申した」

「正直なところ、肩の荷が下り申した。一乗谷百年の栄華を守護する朝倉家当主、非才の身には荷が勝ちすぎ申した。ままならぬ現実から目を背け、芸事に(うつつ)を抜かしたツケが回りましたな。私に従って命を落とした者達には申し訳ないが、ようやく肩の荷が下りたと安堵してもおるのです」

義景の言葉には何の(てら)いも無かった。必要以上に自分を大きく見せようと、常に去勢を張っていた肩の力が抜け、穏やかな表情を浮かべていた。

「越前の至宝、一乗谷は灰燼に帰すでしょう。越前の民は朝倉家を(いただ)いた罰を受け、貴方はそれを見届けた上で斬首となる。朝倉家当主最期のお勤め、見事果たされよ」

かつて主君と仰いだからか、光秀の声には哀切があった。しかし、義景の死を以たずして、このいくさの決着は望めない。如何に手を尽くそうとも、彼の死は避け得なかった。

「最期に一つ願いを聞いては貰えぬか? 我が首を一乗谷が見える場所に葬って貰いたい。たとえ灰になろうとも、一乗谷を見守るのが我が役目」

「それは……」

光秀は迷っていた。一乗谷の焼き討ち後、その引き金となった義景の墓所が近くにあれば、民たちの憎悪は何処へ向かうのか、少し考えれば誰にでも判る。
どれほどの罪を犯そうとも死ねば皆仏とは言うが、苦境にある民たちにそのような綺麗ごとが通用するのか、墓を暴かれ死した後まで辱められるのではないかと光秀は考えた。

「死した後、一乗谷を見守ることすら許さぬと民が思うのなら、それは甘んじて受け容れよう。一乗谷の滅亡を招いた私こそが、その罰を受けるに相応しい」

「そこまでの覚悟がおありか、ならば何も申しませぬ」

「かたじけない。よしなにお頼み申す」

光秀が願いを受け入れた事を以て、朝倉家の行く末が決まった。義景は一乗谷の滅亡後に斬首、鳥居と高橋は義景の菩提を弔うという。

「見事な覚悟でありました。母は誇りに思います」

義景の背に高徳院が声を掛ける。死に向かう息子を見送る母の心中は如何なものか、表情は隠せても震える声までは隠しきれなかった。
その後、高徳院は俗世を離れ、終生を義景の菩提を弔って過ごすこととなる。
小少将や四葩も出家して尼となり、同じく菩提を弔うことを選んだ。他の者についても希望すれば、希望の場所へと帰参が許された。
秀吉などに言わせれば、ぬる過ぎる対応となるが、光秀は決着がついた今、無用の血を流す必要はないと考えた。

「刑の日取りが決まるまで、最期の別離を惜しまれよ」

光秀の宣言を以って、かつての主従は決別した。義景達は兵に囲まれ、朝倉家の菩提寺たる心月寺にて沙汰を待つ。

一乗谷の外縁に設けられた仮の陣にて光秀から経緯を知らされた静子は、暮れ行く落日を眺めながら大きく息を吐いた。

(残すは浅井家だけ……浅井家が滅べば、戦国の世は終焉に向かって舵を切る)

朝倉は滅亡し、浅井も間もなく後を追う、武田は最早時間の問題であり、上杉は信長の臣となった。
残る大国は安芸(現在の広島県西部)の毛利と、九州を割拠する龍造寺、島津、大友の三氏の名が挙がる。
四国の雄、長宗我部(ちょうそかべ)は光秀を通じて信長と同盟を結び、四国統一に王手を掛けていた。事実上、長宗我部も信長に服従することになる。
東国の北条は旗幟を明らかにしていないが、武田が衰退し、上杉も取り込まれた以上、去就の判断を迫られ内部が荒れていた。

(もう少し……あと数年で織田家による天下統一が成し遂げられる)

不測の事態が起こらなければ、という条件付きではあるが、静子は戦国時代の終焉を予感していた。






一乗谷が光秀の手により陥落し、朝倉家滅亡の報は浅井を攻略中の秀吉の陣へも届いた。

「今が好機よ! 調略と進軍を推し進めよ! 大博打じゃが、ここが勝負の分かれ目よ!」

朝倉家滅亡の報に、敵味方ともが動揺するなか、秀吉だけは機会を逃さなかった。信長に判断を仰ぐことなく、独断で小谷城へと一気に攻め上がった。
後に『小谷城一夜落とし』と称される、秀吉の躍進を決めたいくさが始まろうとしていた。

一方、浅井側はいくさどころではなかった。もはや浅井に味方するものは居らず、頼みの綱であった朝倉家も潰えた。浅井は既に沈み行く船となっていた。
その証拠に小谷城を守る防衛施設から兵が逃げ出し、秀吉の快進撃を阻むものは居なかった。

秀吉は小谷城の本丸へ通じる道を確保すると、秀長が率いる調略組と、秀吉自らと竹中半兵衛が率いる城攻め組に軍を分けた。

「一気呵成に攻めあがれ! 時を置けば他のものも続こう、今ならば手柄は独り占めよ!」

秀吉は兵たちを鼓舞しながら小谷城を攻略する。その際、静子より借り受けた鉄砲衆250がひときわ異彩を放っていた。
浅井側の鉄砲部隊が射程外から銃撃を受けて次々に倒れる。
火縄銃など比較にならない直進性が齎す長射程と、予め部隊が伏せている場所を知っているかのような位置取りからの狙撃が猛威を振るった。
鉄砲衆による先制の一撃で浮き足立ったところへ、横合いから秀吉の先駈けが痛撃して蹴散らしていく。
浅井側も数多くの『国友筒』と呼ばれる火縄銃を揃えていたが、発砲する前に討ち取られるため意味を成さなかった。
史実では秀吉の軍勢が清水谷の急傾斜より京極丸を急襲して陥落させたが、このいくさでは山王丸、小丸と立て続けに二つの曲輪を正面から突破し、僅か半日で京極丸へと迫った。

「恐らく当主の浅井久政は本丸にいる! 先に京極丸を落として本丸を孤立させ、その後攻め上ぼる!」

秀吉の言葉を耳にした長政は、反射的に否定しそうになった。

(違う、父上は京極丸に駆け付けている。あの人はそういう人だ)

説明し辛い親子ゆえの直感から、長政は父である久政が京極丸に居ると確信していた。
ここで調略組の秀長が中丸から合流してきた。
中丸を守る浅井家重臣の浅井七郎井規、三田村左衛門尉、大野木茂俊が寝返り、秀長の部隊を招き入れたため、無血のまま京極丸へと至った。
秀吉の軍勢は京極丸の出入り口である防衛設備、虎口(こぐち)を攻めていた。その狭さから数の有利を生かせず、秀吉側にも多くの犠牲者を出していた。
合流した秀長は調略の首尾報告を兼ねて、知り得た情報を秀吉に耳打ちする。

「兄上、赤尾(あかお)美作守(みまさかのかみ)は本丸詰めだそうです」

赤尾美作守清綱(きよつな)は浅井家重臣中の重臣だ。
赤尾に海北(かいほう)綱親(つなちか)雨森(あめのもり)清貞(きよさだ)(雨森弥兵衛(やへえ)の名でも知られている)を加えた三人は、浅井三将(あざいさんしょう)と呼ばれていた。
秀吉は赤尾が京極丸のような重要拠点を守らず、本丸に引き篭もっている理由を考える。

「恐らく浅井(あざい)長政(ながまさ)殿が嫡男、万福丸(まんぷくまる)を守っているのだろう」

「なるほど……久政からすれば直系の跡取り、長政殿がこちらについたとて殺すような真似はしますまい。確か齢十ほどの幼子、時期浅井家当主として育てていると考えれば筋が通りますな」

ここで京極丸を落としてしまえば、残る本丸は丸裸となる。しかし、京極丸と本丸の間には幅が約二十五メートルもある大堀切が横たわっている。
秀吉の進撃を阻む障害でもあるが、本丸からの援軍が駆けつける事をも不可能にしていた。
秀吉は顎に手をやって今後の方針を考えた。一つ名案が浮かんだので秀長に命じる。

「赤尾に万福丸を連れて投降すれば、小谷城の城主にすると打診せよ」

「上様に断りなく城主の約束は、流石に勝手が過ぎませぬか?」

「構わぬ! 小谷城さえ落とせれば上様もお許しになられる! わしが出世できるかの瀬戸際じゃ、急ぎ調略に取り掛かれ!」

「はいはい、人使いの荒い兄上だ」

秀吉の剣幕に秀長は肩をすくめた。彼らが話をしている間に京極丸は陥落した。
兵たちに調べさせてはいるが、久政発見の報は上がってこなかった。しびれを切らした秀吉は、先に本丸を落とすことにした。

「首魁たる久政は本丸にあり! 京極丸を拠点とし、本丸へ攻めあがる!」

秀吉の号令に兵たちが鬨の声で応じた。






史実では京極丸の北側に位置する小丸にて、浅井久政は自刃したと伝えられている。
小丸は久政の隠居後の住まいであり、長政から家督を取り戻した久政は、京極丸が攻められているとの聞くや、小丸から出陣し京極丸に駆けつけていた。
それにも関わらず、京極丸で久政が発見されなかったのには理由があった。

「父上、ご無沙汰をしております」

長政と遠藤、三田村は京極丸の隠し部屋にて久政を発見していたが、隠し部屋自体が見つかっていないことを良いことに、彼の存在を隠匿した。

「……どうした、わしの首を取らぬのか」

久政は、この期に及んで言葉を交わそうとする息子を訝しげに見上げる。
この場には彼の他に浅井(あざい)惟安(これやす)|(福寿庵という庵号を持つ)と舞楽師の森本鶴松大夫(つるまつたいふ)の二人がいた。
もはやこれまでと覚悟した久政は、最期に二人と杯を交わし、自害して果てようとしていた。その直前になって、長政が隠し部屋へと踏み込んだのだ。

「ことここに至っては、もはや父上の斬首は免れぬでしょう。ならばこそ、私は父上の真意を伺いたい。何ゆえ父上は、頑なに義兄上に逆らい続けたのですか? 武田が敗れた折に、これからは織田の世になると思われませなんだか!?」

「然り。武田が敗れたと聞いて、我々の時世(じせい)は終わったと悟った。時代に取り残された浅井に(くみ)し、共に滅ぶのは朝倉ぐらいであろうとも理解しておった」

「なればこそ! その折に織田へと降れば……」

「それは出来ぬ!」

長政の言葉を遮って、久政が言葉を発した。

「それだけは出来ぬのだ。この近江は、わしが六角の侵攻を防ぎ、どれほど挫折と苦渋を舐めようとも守り抜いた国よ。それをどうして赤の他人に明け渡せようか」

長政の問いに対して、久政は絞りだすように答えた。彼は一所懸命の言葉通り、正に命懸けで近江に執着した。それ故に近江を明け渡して織田に臣従するという選択肢を選べなかった。

「無論、この結末は予想できた。わしは勇猛だった亡き父や、いくさ上手のお前とは対照的にいくさの才に恵まれなかった。赤尾には『天下泰平の世ならば、殿は名君となられたことでしょう』と言われたわ。裏を返せば乱世を生き抜く才覚は無かったのだ」

久政は最初から理解していた。自分は乱世に適応できず、それが出来るのは息子の長政であると言う事を。
久政は長政に先祖より受け継いだ近江を譲りたかった。しかし、長政は近江よりも広い世界を夢見て飛び出してしまった。
旧弊と化した自分は、それを認めることが出来なかった。父祖が愛した近江を諦めることが出来なかった。

「この小谷城へ攻め込んだ武将……確か羽柴と申したか。彼奴の猛進撃を見て悟った、この城はもたぬと。故に、わしの我儘に最期まで付き従わんとした家臣たちに自由を命じた。命を惜しんで逃げるも良し、わしと共に戦って散るも良し、生き残りを賭して敵に寝返るも良し、思うようにせよとな。赤尾には彼奴より調略があれば、応じよと命じてある。赤尾にはお前の嫡男、満腹丸を託しておる」

「満腹丸が生きているのですか!」

「戯け! 理由もなく孫を殺すものはおらぬ。満腹丸には浅井家を託すつもりであった……」

久政は長政を一喝した。激しく対立こそしたものの、長政憎しで孫を殺すほど耄碌(もうろく)してはいなかった。
むしろ満腹丸に次代の浅井家を託すべく、当主として育てようとさえしていた。

「しかし、それも終わりよ。浅井家は織田が紡ぐ世で裏切り者として名を遺す。お前も最早、浅井を名乗れまい。ゆえに、浅井の亡霊であるわしが全ての汚名を引き受ける!」

そう声高に叫ぶと、久政は長政を突き飛ばした。突然のことに受け身も取れず、長政は背中から壁に叩き付けられた。
肺の空気を押し出され、咳込む長政に目もくれず、久政は短刀を握ると横一文字に腹を掻っ捌いた。

「猿夜叉丸よ……お前は浅井に縛られずに生きよ……」

「ち……、父上!!」

「浅井の罪と汚名はわしが背負う。お前は我が首を以て浅井の終焉を見届けよ。しかし、死ぬことは許さぬ。誰から何と言われようとも、お前は生きよ」

「父上……」

長政が駆け寄る前に、浅井惟安が介錯として久政の首を落とした。久政の首が床に落ちる。長政は震えながら久政の首を大事に胸に抱いた。

「父上……私は愚かでした。近江に固執する父上を、時世を読めぬ頑迷な老人と蔑んですらいました」

長政は溢れ出る涙を拭おうともせず、滂沱と流れるままに任せた。

「近江は祖父上、父上が家臣達と血みどろになって手に入れた地。六角を相手に大勝したことで天狗になり、近江一国で収まる器ではないと自惚れておりました。今にして思えば、あの勝利も父上が営々と準備をしてこられたからこそ……。私はまこと親不孝者でござる」

長政は久政の首に語り掛ける。

「私は所詮井の中の蛙。少しばかりいくさが上手いだけの凡百の将、偉大な義兄上に目を掛けて頂いたことで、自分まで特別になった気でいたのです。私自身は何も変わっておらず、何も成していないというのに……」

長政は歯を食いしばり、流れた涙を乱暴に拭うと頬を叩いて顔を上げた。

「父上の最期の言葉、必ずや果たして見せましょう。泥を啜り、石に齧りついてでも生き抜いて、乱世の果てを見届け、あの世で父上にお聞かせ致しましょう」

長政は久政の首に誓願すると、その首を大事に布で包み込んだ。






浅井久政の切腹後、浅井惟安と森本鶴松大夫も主君に殉じて割腹して果てた。主君たる久政と同じ場所では畏れ多いと、庭に降りて同じく腹を切った。
長政自ら二人の介錯を務め、彼らの首を遠藤と三田村に託した。久政の首は自身が運び、秀吉の許へと報告に上がった。

「久政は自害したか。本丸もまもなく落ちよう。長政殿はその首を上様に届けて参られよ」

久政の首級が上がったことで秀吉は上機嫌だった。自らが首級を上げる必要はないが、浅井の滅亡を示すために久政の首は絶対に必要であった。

「承りましてございます。それでは、これにて」

長政は秀吉の命を受け、信長のおわす本陣へと向かった。道中は誰も口を開こうとはしなかった。死者も生者も黙して語らず、ただ前へ前へと歩んで本陣へ辿り着いた。

「皆の者、席を外せ」

信長は長政が掲げ持つ久政の首を見て、家臣たちに命じた。家臣たちは大将首に湧くことなく、粛々と陣から出ていった。

「久政の最期はどうであった?」

「近江の国主に相応しい最期でありました。父上と最期に話して、己の未熟さと不明を知りました。私は義兄上が語る壮大な夢に()てられ、その覇道の中身を見ておりませなんだ」

「……」

「私では、到底義兄上に並び立てませぬ。父上は、物事の表面だけを見て判ったつもりになっていた私の目を開いてくれました。私があのまま近江の国主に収まっていれば、ここに首を並べていたことでありましょう」

自嘲を浮かべて長政は話す。信長はその全てを黙って聞いていた。口を挟まず、長政が全てを吐き出すまで待った。

「私は結局、何者にもなれませんでした。浅井は父上が終わらせ申した。私は唯の長政として、この乱世の行く末を見とうございます」

「人は誰しも天命を持つ、貴様の天命は覇道の見届け人であったまでよ。わしも久政と同じく、自分の生き方を変えられぬ。自分を見つめ直し、これから何者にもなれる貴様を羨ましくさえ思う」

「まさか! 義兄上が私如きを羨むなど……」

信長の言葉に長政は驚愕した。信長は天下に王手を掛けている。天下統一を目前に控え、武家に生まれた者ならば、誰もが羨む立場にいる。その信長をして、長政を羨ましいと語ったのだ。

「長政よ。天下の覇道を()く者は孤独だ。誰にも弱みを見せず、誰にも心を許さぬ。数多(あまた)塵芥(ちりあくた)からの憎悪を一身に背負い、時として共に歩む家臣に死を命じる必要がある。皆の命と想いを託された以上、わしは止まることが出来ぬ。突き進む道の先が崖であろうと止まれぬのだ。立ち止まり、振り返って、新たな道を歩み出せる貴様が羨ましい」

それは長政には持ち得ぬ視点からの言葉だった。信長は長政の視線に気づくと、自嘲気味に言葉を続けた。

「貴様はわしの覇道の中身が見えぬと言うたが、それはわしとて同じこと。わしは貴様の主人である静子が語る未来が理解できぬことがある。あ奴は、わしよりさらに先を見ておる」

「義兄上、それは……」

「しかし、静子が如何なる高みを目指していようが、わしの歩みは止まらぬ。わしは、手始めに日ノ本を手に入れる。静子の思い描く、見果てぬ夢の先が何処にあろうとも、わしはわしの歩調で進む。貴様も貴様の歩み方で追って参れ。わしは、先に夢の果てで貴様を待っていよう」

婉曲的ではあるが、信長は長政を気遣っていた。いくさに明け暮れる乱世の終わりを目指し、同じ道を歩む信長が自分を待つと言ったのだ。

「義兄上、私は愚か者の上に腑抜けてまでいたようです。義兄上の覇道を共に歩むのではなく、道を外れて傍観者となるつもりでおりました。私はまたしても逃げるところだったのです。義兄上の言葉で腹が据わり申した。どれ程みっとも無かろうが、この命果てるまで足掻き続け、義兄上の足跡を追って参りましょう」

「そうか……長政よ。一人前の武士(もののふ)の面構えになっておるな。わしの進む道は険しいぞ、心して付いて参れ」

決然と顔を上げた長政に、信長は言い放った。

「貴様にはわしと共に夢を見届け、市を幸せにする責務があることを忘れるなよ」






浅井・朝倉両家を滅亡へと追いやった信長は、ついに越前と近江をも掌握した。

「江北浅井跡一職進退、羽柴筑前守に一任する」

「一乗谷が采配、明智惟任日向守に一任する」

北近江は秀吉が治め、越前の一部は光秀が統治することとなった。
光秀は既に坂本一帯を治めており、それもあってか越前の支配地はやや少なくなったが、これで両名ともに十万石を超える国人となった。
秀吉と光秀は共に新参者ながら、織田家に代々仕えた譜代の臣と肩を並べるに至った。
一方静子は支配地こそないものの、莫大な財貨に加えて、古書や芸術品と言った文物が与えられた。
浅井・朝倉が遺した文物に加え、越前や近江の職人たちなどの人材をも報酬として下賜された。
論功行賞も大過(たいか)なく済み、後は帰国するだけとなるはずであった。

(なんだ、この状況は……)

静子は自分の置かれた状況を見て、そう思わずには居られなかった。静子は自分の陣にて右側を光秀と彼の家臣が固め、左側には秀吉と彼の家臣に押さえられていた。
両雄から文字通り板挟みにされ、静子は嘆息する。彼らは黒鍬衆を、ひいては静子の後方支援部隊に協力を要請しようとした。
この時代、自らの支配地には拠点となる城を建てる。これはその地を治める支配者を明確にし、内外に織田家の勢力圏内であることを知らしめる示威行為でもあった。

「実は前々からお前様を気に入らぬと思っておったのよ」

「はっはっは、奇遇ですな。私もです」

静子を挟んで秀吉と光秀は互いに牽制し合う。このところ黒鍬衆は石工集団である穴太(あのう)衆をも取り込み、城郭建築に於いて他の追随を許さぬ存在となっていた。
これまでは良く言えば無骨な、悪く言えば実用一辺倒の城を建てていた。しかし、坂本城の築城にあたり、実用性は維持しつつ、美観をも併せ持つようになった。
熟練した技術が昇華した結果だが、坂本城は美しい城として一躍天下の耳目を集めた。それ以来、支配地に建てる城は、支配者の顔として美しさをも求められるようになった。

秀吉も光秀も共に自らの力を誇示する必要がある。特に秀吉にとっては初の城となる。築城に掛ける意気込みは光秀よりも強い。とはいえ、光秀も越前には並々ならぬ執着があった。
光秀にとって越前は朝倉義景を頼って10年を過ごした地でもある。
地政学的な優位性を述べるのなら、日本海に面した越前は敦賀港(つるがこう)を持ち、日本海回りの海運の要として注目されていた。
敦賀港の権益自体は信長が押さえるとしても、海路から陸路へとつなぐ街道を押さえれば、得られる権益は莫大となる。光秀にとって越前は経済的にも重要な土地となる。

(困ったなあ……)

秀吉と光秀、互いに一歩も退く気配が無い。如何な黒鍬衆とて一挙に二つの城は建てられない。
無理に人員を割ったところで、そこには優劣が発生し、劣った組の築城を許容できる二人では無かった。

(せめて後一月時間が貰えればなあ……)

一月経てば、街道整備に当たっている黒鍬衆の大半が仕事を終えて戻ってくる。しかし、どちらも一月待つなどという悠長な事を飲んではくれない。

「静子! まだ陣に居ったのか、丁度良い」

静子が頭を悩ませていると、足音も荒々しく信長が陣へ入ってきた。彼はぐるりと周囲を見回して状況を把握すると、そのまま静子に声を掛けた。

「北伊勢が騒がしい。奇妙を鎮圧に向かわせることにした。静子は、あ奴を補佐を任せる」

「はっ」

静子は渡りに船とばかりに飛びついた。

「そこな二人。城は逃げはせぬ、黒鍬衆がおらずとも進められる準備はあろう。人手を回すゆえ、準備をして黒鍬衆を待て」

「は、ははっ」

言うだけ言うと信長は去っていった。トップの意思決定が為されれば、後はそれに従って粛々と進めるのみ。静子は北伊勢を鎮圧すれば、そのまま帰国できると喜んでいた。
築城に必要となる建材の手配で、二人が再びいがみ合うまでは。






秀吉と光秀の対立に巻き込まれて気疲れしながらも、静子は双方を上手く宥めることに成功した。二人が新たな火種を見つけないうちに、静子はさっさと信忠に従って北伊勢を目指した。

「北伊勢の跳ねっ返りどもめ、まとめて捻り潰してくれる」

信忠(奇妙丸)は上機嫌だった。朝倉攻めも、浅井攻めも前線に立てたのは序盤だけで、それ以降は後方で指を咥えて眺めているしかなかった。
溜まりに溜まった鬱憤を北伊勢で発散しようと言う腹積もりであった。年若く、功を焦るあまりに成果を残せていないが、信忠には先見の明があった。
不測の事態に対する機転も優れており、名将の陰に隠れがちだが徐々にその頭角を現しつつあった。

「口ほどにもない連中め。己の尻も満足に拭けぬのか」

瞬く間に北伊勢を鎮圧し、岐阜へと戻る途上で信忠が愚痴を零す。伊勢については信長の次男、信雄と三男、信孝が支配していた。
しかし、先だって信長より街道整備の不始末を追及され、他の全てを放り出して整備を推し進めた結果、一向宗の暗躍によって暴動を扇動されてしまっていた。
またしても失態を晒した二人に信長は鎮圧を命じず、信忠を派遣するに至った。

「大将自身が突撃するのは、どうかと思うけどね」

「何事も最初が肝要だ」

静子の苦言に渋面を浮かべながら信忠は言い返す。北伊勢に着いた信忠は、戦況を把握すると騎馬の部隊のみを率い、敵の中枢と目される集団を一息に蹴散らした。
信忠の読みは正鵠を射ており、反乱は主導者を失って崩壊した。しかし、一歩間違えば敵軍の中で孤立し、討ち死にした可能性もあるため、家臣達は生きた心地がしなかった。
家臣達が口を酸っぱくして信忠に苦言を重ねたため、信忠も意固地になって聞く耳を持たない態度となり、お目付け役の静子にお鉢が回ってきたのだ。

「ま、良いけどね」

静子にまで窘められ、さしもの信忠も反省が見えたところに伝令が駆けつけた。信長からの命令かと考えた静子は、信忠に声を掛けて全軍を停止させる。
伝令から文を受け取ると、信忠と共に中身を検めた。

「今度は越後か……」

「む、なんだ? 上杉が裏切ったとでもいうのか?」

「違うよ。上杉に技術供与をするから、その話し合いに加われって依頼。うーん、君には関係ないかな? うん、直接的には関係ないね。ともかく一度尾張に戻って、軍を再編成しないと駄目だね」

「このまま岐阜から向かえば良いではないか」

「軍事行動は計画に基づいて動くから、勝手に城の物資は使えないの。改めて越後行きの計画を練らないとね。それに数日ぐらい休みたい……」

「そういう訳なら仕方ないな。しかし、北伊勢鎮圧を祝う宴には顔を出せよ」

「余裕があればね」

その後は特に何事もなく、彼らは岐阜に到着した。翌日早朝から信忠が静子邸を襲撃し、無理やり祝賀の席に引っ張りだしたのは言うまでも無い。






いくさは始めるよりも、終わらせた後がしんどい。そう思わずにはいられない静子であった。彼女は尾張に帰着すると軍を解散し、風呂に浸かって旅の疲れを癒した。
風呂を出たところで蕭に出くわした。渡りに船とばかりに、越後の上杉を訪ねる際の土産を手配して欲しいと依頼する。
礼儀作法については信長に叩き込まれはしたものの、所詮は付け焼刃であり、生まれついての武家の娘である蕭に任せた方が良いと静子は考えた。

「お役目、承りました。お任せ下さいませ」

蕭が土産を渡す相手と、贈る品を見定める間、静子は束の間の自由を満喫する。幾ら上杉家が臣下に収まったとは言え、未だ織田に臣従するのを由としない者は多い。
それを承知で静子を越後へ向かわせる理由は何か、答えは単純にして明快だった。
上杉が請い招いた賓客である静子に対して不手際があれば、それは上杉にとって大きな過失となる。上杉家内の人事について介入されても、謙信としては甘んじて受けるしかなくなるのだ。
餌として考えるなら静子は適任であった。第一に上杉側が招聘(しょうへい)する程の技術力を持ち、信長の名代として恥じない身分があり、家柄も実績も申し分ないと言うのに女である。
相手にとっては侮り易く、敵意を向けやすい。その上で不測の事態に即応し、無事に帰ってこられる人材となれば静子以外にはあり得ない。

(やれやれ、相手を萎縮させない範囲で、なおかつ不測の事態に対応できる人数か)

中々に厄介な仕事だと静子はため息をついた。
しかし、静子としては断るどころか望むところであった。問題の芽は大きくなる前に摘んでしまうに限る。これは農業に携わる静子の持論でもあった。
静子はすっかり乗り気になっていたが、使節の陣容を知った信長が待ったを掛けた。
『政治が絡む交渉の場に、駆け引きの出来ないお前が行くな。足満を名代として送り出せ』との指示であった。
意気込んだだけに肩透かしを食らった気分になった静子だが、自分が出向かずとも足満が特有の嗅覚で悪い芽を摘んでくれると思い直した。

足満を交えて協議した結果、越後には足満が兵士3000を率いて向かうことになった。
ただし、技術指導をする士官以外の鉄砲衆は全て置いていく。鉄砲衆は少人数でも脅威となり、(いたずら)に越後の不安を煽ることになるのを防ぐための判断だ。
謙信が動員できる兵は1万程度であり、謙信以外の家臣が独断で動かせる兵数は、多くとも1000を僅かに超える程度であろう。
謙信が裏切れば、いかな足満とて一巻の終わりだが、その場合は越後に粛清の嵐が吹き荒れる。老若男女を問わず、反乱に加担した一族は全て根切りに処される。
信長は面従腹背からの裏切りを殊の外嫌う。次の支配者が誰になろうとも、愚かな支配者を戴いた越後の民は、長く苦しい試練を強いられる。

「こういう訳だから、申し訳ないけど私の名代として越後に行って貰えないかな?」

「静子の頼みとあっては断れまい、お役目確と承った」

静子たっての頼みとあらば、足満に否やは無い。謙信が静子を気に掛けていた事を知る彼は、静子が越後に向かうような事態は回避したかった。
表立っては言わないが、信長も同意見であり、足満は彼の思惑を正確に掴んでいた。
唯一、何の反応も見せなかった前久だが、彼の場合は静子が越後に向かうのならば、自分も同行するつもりでいた。

「技術供与をするにあたって、人や物の交流が無いと始まらない。まずは街道が整備されて初めて具体的な計画について話ができると思うの。それを中心に話をしてきて貰えるかな? いずれは領内で通用する貨幣のお話もしたいけど、流石に時期尚早だよね」

「街道整備だけで問題なかろう。除雪道具や融雪剤の話だけでも、上杉からすれば喉から手が出る程であろう」

「ガラス製品の素材としてカレットを造る際に、塩化カルシウムが副産物として山ほど併産されるからね。大丈夫だとは思うけど、充分に気を付けてね。謙信自身は信用できても、家臣たちが野心を抱いてないとは限らないから」

「十分に注意を払おう。わしが留守にする間、静子は真田家の動向に気を付けよ。奴ら、いよいよ内輪もめに拍車が掛かってきておる。遠からず内乱となる可能性すらある」

「一応間者を通して聞いてはいるけど、親武田派と、織田への鞍替え派が対立しているみたいだね。引き続き様子を見るけど、そっちを頼っていった場合は保護をお願いするね。敵対するなら容赦は要らないよ」

「今更敵対するようでは、先が知れると言うものよ」

真田家は完全に二つに割れていた。今や飛ぶ鳥落とす勢いの織田家に鞍替えする革新派と、信玄からの恩を仇で返すべからずと考える親武田の保守派に分かれていた。
革新派が勢いづいた理由として、諏訪勝頼の強引な徴税によるところが大きかった。
信玄の時代でも市場に対する貨幣の供給不足から貨幣価値の上昇を招き、結果として物価の下落に歯止めがかからなくなっていた。
そこに来て、更に勝頼が徴税の際の貨幣基準を締め上げたため、急激なデフレを招いてしまった。
信長の支配地以外では一定の基準を設け、それをクリアした鐚銭(びたせん)であれば納税に使用できるとしていた。しかし、勝頼は信玄の方針を引き継ぎ、精銭以外での納税を認めなかった。
この為、急激に市場から貨幣が枯渇し、これまでに倍する勢いでデフレが進行した。
勝頼の許には規制緩和を求める嘆願書がひっきりなしに届いているのだが、彼はその全てを黙殺していた。

「先にしびれを切らすのは、親武田派であろう。仮に上杉獅子身中の虫と手を組んだとて、真田家当主がいくさ場に出ることはあるまい」

「今は武藤喜兵衛じゃなくて真田昌幸(まさゆき)だっけ? 彼は勝算があると判れば、こちらの策をすぐに採用する程に柔軟だから、もしかすると何か度肝を抜く行動に出るかもね。私としては早くこっちに来て欲しいところではあるんだけどね。もしもの時はよろしくね」

「まあ、果報は寝て待てというだろう? 期待せずに待っていてくれ」

あまり気乗りしない態度を示しつつ、足満は去っていった。
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