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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀四年 室町幕府の終焉

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千五百七十三年 八月中旬

静子の目論見通り、明智軍の後方に静子軍本隊が追従し、静子と竜騎兵、護衛だけが光秀と共に行動するという形で朝倉軍を追撃することとなった。
互いに共闘の経験がない為、無用の混乱を避けるために前後に分けて配したというのが光秀の言だが、この状況へ持ち込んだ手柄は明智軍に在りと信長が認めているのだ、戦功を得る機会は優先的に与えられて然るべきであった。
しかし、この布陣も静子にとっては好都合であった。勢いに乗った勝ち戦とは言え、白兵戦となれば兵の損耗は避けられない。
既に勝敗が決した消化試合で僅かの手柄を立てるためだけに、苦心して育て上げた兵を擦り減らしたくは無かった。

猛追する明智・静子軍だったが、越前と近江の国境(くにざかい)付近で、その足が止まった。道が二手に分かれており、どちらを朝倉軍が通ったのか判断しかねたためだ。
史実においては、義景が刀根坂を通って疋壇(ひきだ)城を目指したとされるが、既に史実とは別の道を進んでいるため、史実通りに刀根坂を選んだと言い切れないでいた。
それならばと地面に残された足跡で判断しようともしたが、どちらの道にも大勢の人間が通ったと思わしき無数の真新しい足跡が残っており、判断の材料とはなり得なかった。

(戦術的に考えても史実通り疋壇城と敦賀城のある刀根坂方面を選ぶと思うんだけど、追い詰められて道を間違えた可能性もあるよねえ)

神懸かり的な勘の冴えを見せる信長が居ない以上、大将である光秀が判断を下すべきなのだが、彼は未だに結論を出せずにいた。
貴重な時間をいたずらに費やしているその場に、雑兵たちの恐怖に駆られた悲鳴が届く。敵襲かと身構えもしたが、困惑した雰囲気があるだけで戦闘の気配はない。
兵士たちの海を割るようにして近づいてくる人影が見え、それは下馬すると得物を馬に立てかけ、無手で歩み寄ってきた。

「よお! こんなところでいつまで油を売ってるんだ?」

耳慣れた声に光秀や静子も肩の力を抜いたが、相手が近寄るに連れてその異様な姿が明らかになった。声の主は越前への近道となる椿坂へ通じる道からやってきた長可であった。
しかし、その風貌は近づく程に濃密となる血臭と、未だに湯気を立てる血脂でてらてらとぬめり光る甲冑により、およそ人だと思えぬ風体をしていた。
頭から血と内臓を被ったかのような有様を見て、殆どの人間は絶句してしまい口を開けなくなっていた。

「残念だが、朝倉軍本隊はこっちを選ばなかったようだ」

自分の後ろを指さしつつ、長可は不敵に笑う。

「朝倉軍は椿坂へは向かっていないと見て相違ないか?」

光秀が確認を兼ねて念を押す。長可は戦意に高揚した凶相を浮かべて断言する。

ここを通れた(・・・・・・)朝倉兵はいない(・・・・・・・)

本人の言通り朝倉軍本隊ではないにせよ、少なくない人数の足跡があったにも関わらず長可は断言した。
今も甲冑から滴る返り血と、彼が残した真っ赤な足跡を見て誰も異論を唱えられなかった。

「ならば敵は椿坂ではなく、刀根坂を通り撤退しているはず。味方の城へ逃げ込まれる前に追撃を掛けるぞ!」

判断の材料を得た光秀は迷わなかった。今は一刻も早く朝倉軍に追いつく必要がある。光秀の号令を受けた明智軍は、隊列を整えると刀根坂を目指し始める。

「お疲れ様。あの暴風雨の中、良く先回りできたね」

信長が大嶽城を攻めていた頃、慶次と長可は手勢を率いて朝倉軍の陣を突っ切り、背後に駆け抜けていた。
夜間の暴風雨により見張りが減っていたとはいえ、露見すれば包囲され殲滅されたであろう決死の行動だ。
見事朝倉の監視を潜り抜け、彼らはこの分岐点に先んじて到達していた。しかし、彼らもここで静子達と同じ命題に頭を悩ませることになる。
二つに一つと山を張り、椿坂の奥で陣地を構築して待ち伏せした。
生憎とハズレを引いてしまい、彼らは本隊から落伍した兵士たちを倒し尽し、追撃してくるであろう味方へと正解のルートを示すべく合流したのだ。

潰走している朝倉軍からすれば長可を前にした時の絶望は想像を絶するものがあったであろう。
背後から猛追しているはずの織田軍が、前方からも現れた。行くも地獄、戻るも地獄ならばと前方突破を図った兵たちは(ことごと)く息絶えた。
冷静に彼我の戦力差を比較出来ていれば、自軍の方が優勢であると理解できたであろうが、恐慌状態に陥った兵士たちは武具を投げ捨てて逃げ出した。
後方へと逃げようとする先頭集団と、追い立てられて必死になっている後方集団が激突し、彼らの混乱は頂点に達した。
同士討ちすら始めた朝倉軍を相手に、慶次や長可達は鎧袖一触勝利をもぎ取った。

「これから朝倉軍本隊を叩くけど、来る?」

本来ならば静子も光秀と共に移動しなければならないが、長可達に次の指示を与える必要があった。とは言え、彼らには各自の裁量で動くことが許されていた。

「行く、と言いたいところだが、流石に疲れた。俺は良くとも兵たちが疲労困憊だ。俺と慶次たちは兵を伴って、一度本陣に戻る。お前は朝倉をしっかりと滅ぼしてこいよ」

「判った。襲撃してくる朝倉兵はいないと思うけど、一応気を付けてね」

「おう。大休止をとったあと、全員で移動する。なーに、朝倉兵を見かけたら叩き殺しておくよ」

「ほどほどにね」

そう言うと静子は馬首を巡らせて去っていった。
彼女が去ってから暫く間を置いて、ようやく慶次たちや長可の兵士も追いついてくる。彼らも長可程ではないにせよ、全身を返り血で真っ赤に染めていた。

「おっと、少し遅かったか。ま、ここらで休憩したら陣に戻って寝るとするか」

「流石に疲れたな。どうせ逃げるなら越前まで一気に逃げると思ったんだがな」

「当てが外れたな。雑兵ばかりで本体は逆へ向かったんだろう」

「次があれば今度は外さないさ」

そんな事を口々に言い合いながら、彼らは自陣へと戻っていった。
しかし、彼らは気づいていなかった。旗印すら真っ赤に染まり、敵味方が判別できない血塗れの軍団が迫ってきた場合、陣を守る兵士たちがどのような行動をとるかを。
攻撃する素振りも無くゆっくり近づく血塗れの集団を訝しみ、威嚇射撃をされて初めて旗印の惨状に気が付き、予備の物と差し替えることであわや同士討ちという状況は回避された。

一方、光秀と静子は朝倉軍を追って夜闇を疾駆していた。
背後から刻一刻と迫る軍勢に退却を諦めた山崎長門守(やまざきながとのかみ)など、数少ない武将たちは幾度か反転し、織田軍へ果敢に挑みかかった。
この決死の反撃には、さすがの明智軍も脚を止めて応戦し、本隊への追撃の手を遅らせざるを得なかった。
しかし、追われ続けて消耗しきった殿軍では勢いに乗っている明智軍に敵うはずもなく、ついには山崎も討ち取られた。

殿軍が文字通り命を賭して稼いだ時間も虚しく、朝倉軍が刀根坂の中ほどに差し掛かった頃、静子達はついにその尻尾に噛み付いた。
彼らを打ち破れば残るは義景と僅かな兵のみとなる。
しかし、腐っても最後まで義景に付き従った家臣達は腰が据わっていた。最早撤退が叶わぬと知るや反転し、静子達を逆に食い破らんと襲い掛かった。

決戦の舞台は切り立った崖に左右を挟まれた隘路。満足に軍を横展開できないが、それ故に寡兵の不利を覆せる好立地でもあった。

「弐式カ弾(貫通弾)を装填。合図とともに斉射せよ」

静子は信玄から受け継いだ軍配を天高く掲げた。進路が制限される一本道という事は、新式銃の特殊弾種の貫通弾及び散弾が最も効果を発揮する地形だ。

「斉射!」

軍配が振り下ろされると同時に雷鳴にも似た銃声がこだました。弐式カ弾は人体相手にもその貫通力を遺憾なく発揮し、予想以上の戦果を叩きだした。
銃弾が貫通した事により即死は免れたものの、最前列に負傷兵の山が出来上がり、その後ろに死体の山が築かれた。
死体の山は心を鬼にして踏み越えられても、負傷者を踏み殺すことは容易ではない。必然的に突撃は勢いを失い、朝倉兵は最後の機会を逸してしまった。

一瞬だけ躊躇したが、静子は(かぶり)を振って迷いを断ち、更なる掃射を命じた。再びの轟音とともに、団子状につかえていた集団がバタバタと倒れ伏した。
完全に勢いを失った朝倉軍へ、光秀率いる主力部隊が躍りかかった。
流石は光秀の主力部隊だと静子は思った。激流を遡行する魚のように、敵兵を踏みしめ、切り裂きながら戦線を押し上げた。
士気に加えて、兵装も練度でも上を行く明智軍は、当たるを幸いに敵陣を切り刻んだ。朝倉軍は真正面から食い破られ、武将たちも櫛の歯が欠けるように討ち取られていった。

刀根坂の戦いにおいて、朝倉軍は朝倉道景や北庄城主の朝倉景行などの一族衆、山崎吉家や河合吉統ら有力武将もを失い、朝倉軍の中核を成す部隊は壊滅の憂き目にあった。
後の首実検において判明するのだが、かつて信長に攻め落とされた稲葉山城元城主・斎藤龍興もこの戦いで命を落としていた。

この戦いで義景を見た者はおらず、明智軍と静子軍は事前の取り決め通り、僅かな兵を残して主力部隊は義景を追った。
目指すは義景のみという意見が一致していた光秀と静子は、最低限の休息すら惜しんで追撃を行った。
この神速ともいうべき行軍が功を奏し、疋壇城に逃げ込んだ義景は一乗谷を目指すこと叶わず包囲された。

直接戦闘をしていない静子軍の後方支援部隊は、到着すると同時に一乗谷へ通じる道と、琵琶湖側へと抜ける道の両方を完全に封鎖した。包囲の完成を待って、光秀が調略を開始した。
彼が敵に伝えた内容は『義景が降伏するならば、家臣たちについても無下にはしない。しかし、この一度きりの勧告を蹴って抗戦を選ぶ場合、女子供を問わず皆殺しにする』であった。
城攻めには時間と多くの兵力を要する。増援の来ない絶望的な籠城をしている朝倉軍には、力攻めよりも恫喝を含めた調略の方が効果的であると光秀は考えた。

そして、その効果は覿面だった。城から見える範囲を静子軍に任せ、明智軍が背後で多くの軍旗を掲げて実数よりも多く見せかけた結果、朝倉軍の戦意は折れた。
時を置かずして朝倉義景、義景の側近である鳥居(とりい) 景近(かげちか)高橋(たかはし) 景業(かげあきら)、疋壇城城主・疋壇六郎三郎らが城門から出てきた。
当の義景は城の中で切腹をするつもりであったのか、甲冑を身に着けていなかった。目論見通り義景を生かしたまま確保できたことに、静子はホッと胸をなでおろしていた。

「朝倉家当主、朝倉左衛門督(さえもんのかみ)殿とお見受けする。相違ないか?」

憔悴しきり人相すら変わっていたため、光秀が念のため確認を取った。義景は諦観を浮かべつつも、しっかりと光秀を見返して頷いた。それを受けて光秀は静子に目配せをした。
静子は無言で大きく軍配を振り、それに合わせて城を包囲していた静子軍は、包囲を解いて静子の背後に整列した。道を封鎖していた者たちも、封鎖を解除して戻って来ていた。

「お約束通り、包囲は解除しました」

光秀の宣言と共に、追い付いて来ていた静子本軍は朝倉兵の武装解除と撤収準備を開始した。
後は一乗谷城を残すのみだが、当主である義景が降伏した以上、もはや彼らに抵抗できる力は無かった。
光秀は織田軍に疋壇城での武装解除と開放を任せ、一乗谷城へと向かう軍を再編成する。
広大な城下町を抱える一乗谷城へ大勢で乗り込み、雑兵たちが暴走しては堪らないため、確実に統制が取れる人員を選ぶ必要があった。

「高徳院さえ捕縛出来れば、もはや越前は陥落したも同然」

高徳院とは義景の母親の名である。他にも小少将や義景の次男・愛王丸など義景の血族を捕縛すれば、朝倉家は滅んだも同然となる。
だが静子はそれらの人物より義景の娘四葩(よひら)を最重要人物と考えていた。史実では彼女は一乗谷から逃亡すると、そのまま石山本願寺へ逃げ込んだ。
そして兼ねてからの約定通り、本願寺顕如の長男・教如と結婚したと言われている。
その後、顕如や教如に対して、四葩がいかなる話や願いをしたか不明だが、一年後に越前で一向一揆が勃発する。この時、信長に寝返った朝倉家の殆どが討ち死にしている。

「明智様、宜しいでしょうか」

一乗谷へ向かう準備をしている光秀に、静子は声をかけた。光秀は連戦による疲労を見せず、静子へと向き直った。

「実は、ご相談したいことがございます」

静子はここに来るまで考えていた事を光秀に打ち明けた。最初は驚いていた光秀だが、静子の話を聞き終えると顎に手を当てて考える。

「……確かにそちらの方が宜しいでしょう。上様も茶器を手に入れる為、と言えば焼き討ちをせずともお咎めにはなりますまい」

静子の話とは、史実において実施された、一乗谷焼き討ちを遅らせることだった。
一乗谷には多くの文化財や歴史的に貴重な資料が残っている。現在でも焼け跡から茶器が出土しているため、当時から多くの茶器が存在していたと推測される。
本音を言うならば文物の保護を抜きにしても、一乗谷の焼き討ちを回避したかった。一乗谷は越前文化の集結地であるため、これを焼き払えば越前の民に大きな禍根を残すことになる。
しかし、一乗谷は朝倉家の象徴でもあるため、その崩壊を世に広く知らしめるためにも、一乗谷の焼き討ちは不可避の出来事であった。
この引き伸ばしに信長が難色を示すことは判っていたが、茶の湯の価値を高めたい信長としては茶器の保護を謳えば、暫くならば我慢もしてくれるだろうと言う目算があった。
最終的には史実通り城下町を含めて灰燼に帰すのだろうが、それでも静子は最低限の文化財を保護し終えてからにしたかった。

「そちらについては既に上様宛の文を用意しております。恐らく文だけで問題ないとは思いますが、万が一の事もありますので」

「では、上様への対応はお願いします。こちらは兵が略奪しないよう監視の目を強めます。名物の保護は、私としても重要だと考えます」

現時点では一乗谷に火を掛けない。文化財を最初に運び出し、信長には茶器を捜索していると説明する。
実際に並行して茶器の回収も行い、見つかった茶器を信長に送れば、信長も静子達の願いを無下にはしないと考えた。

「ではそれでお願いします」

静子と光秀は価値観を共有できた手ごたえを感じていた。






光秀と静子が義景を捕らえる少し前、信長は小谷城付近に敷かれた本陣へと戻っていた。
彼は既に朝倉が滅んだものと言わんばかりに、越前への抑えとして配していた柴田達も小谷城包囲へ参加するよう命じた。
織田軍が総力を挙げて小谷城包囲を行っている頃、静子から文を得た秀吉は自陣に戻ると秀長を呼びつけた。

「はいはい、何のご用でしょうか兄上」

いつも通りの飄々とした態度で応じる秀長に秀吉は噛みつかんばかりに詰め寄った。彼は秀吉が何を問いたいのか判っていたが、それをおくびにも出さず素知らぬ振りを通していた。

「お前、静子に何を差し出した!?」

秀吉は静子から渡された文を、作戦地図を広げる台に叩きつけるようにして叫ぶ。秀吉が激昂するのも仕方ない、静子の文には小谷城に関する機密情報が記されていた。
付近一帯の詳細な地形図に加えて、小谷城の防衛設備の規模と詳細が網羅されており、軍事機密を知る内通者から得た情報であることが窺い知れた。
しかし秀吉が問題としているのはそこではない。これほどの情報を得るために、秀長が静子に何を差し出したのか、それが秀吉の関心事だった。

「えーっと、少し前に朝倉家の……何でしたっけ」

「越前大野郡の郡司を勤めておる朝倉孫八郎だ」

「そうそう、その朝倉孫なにがしを筆頭に何名かが義景を裏切って、織田軍に都合の良いよう兵を動かすから代わりに助命を願いたい、という事を連名で記された文が届いたでしょう? あれと交換いたしました」

「アレか……え、アレだけか?」

秀長が静子に差し出した物を知った秀吉は、余りにも取るに足りない物だったことに拍子抜けしてしまう。
裏切りの証拠とは言え、助命の嘆願書の使い途など秀吉には思いつかず、彼の中ではゴミと位置付けられていた。

「おそらく義景や越前の民が抱く恨みを誘導するために用いるのでしょう。自分達を負かした相手よりも、裏切った味方の方が憎悪を向ける相手としては適していますから」

「なるほどな。しかし、嘆願書を受け取った上で、それを反故にするというのも極まりが悪いのう」

「何を仰います、兄上? 助命の嘆願書とやらは何処にありますか? ここに無い以上は、我々の手元には届かなかった。それで良いではありませんか。朝倉討伐における最大武功は明智殿で確定です。ならば朝倉の一族衆を助けたところで、我々に利などありますまい。連中がどうなろうと我々は関知しないのが上策でしょう」

「まあ、そうだな」

秀長の言に一理を認めた秀吉は、これ以上嘆願書について考える事を放棄した。彼は静子から受け取った文を整理し、軍議用に広げた地図と並べて見比べる。

「ならば我々は小谷城を落とす事に全力を尽くそう。この情報があれば当てずっぽうではない博打が打てる。今こそ攻め時よ」

「その通りです、兄上」

秀吉の力強い宣言に秀長は笑みを浮かべて頷いた。

(まさか小谷城に関する機密を流してくるとは、いやはや驚かされる。しかし、どのようにしてここまで詳細な情報を仕入れたのでしょう。彼女の配下にある間者の動きは把握しているつもりでしたが……ふふっ、まあ良いでしょう。此度は嘆願書程度で兄上に武功を上げる機会が舞い込んできたのです。余計な詮索をして藪を突いた結果、(足満)が出てきては敵いません)

台に広げられた文面を追いながら秀長は笑う。今までは一定の距離を保っていたが、今後は積極的に関わる必要があるだろう。なにしろ他の武将たちも静子への依存度を高めている。

(一人の女子に大の男どもが夢中になる。事情を知らぬ人間からすれば、色恋沙汰に狂った愚か者にも見えるでしょう。しかし、ここにしか活路は無い。この世の常識に縛られぬ静子殿を取り込めるか否か、それが今後の行方を左右するのです)

これからの事を考えた秀長は、ますます笑みを深めた。






静子は光秀と共に一乗谷へと入った。一乗谷城を守る将兵や、一乗谷の城下町で暮らす民たちは、織田軍が攻めてくると聞いて慌てて逃げ出していた。
平時ならば賑わっていたであろう城下町の往来も絶え、民が逃げ出す際に落とした布切れなどが風に吹かれて舞い上がり、もの悲しさを強調していた。
百年の栄華を誇った一乗谷も、こうなってしまえば廃墟にしか見えない。

「伏兵がいるやも知れませぬ。鳥居殿、無用な殺生を避けるためにも、投降を呼びかけて貰えませぬか?」

「承知した」

義景の側近である鳥居が呼びかけるならば、兵も降伏しやすいと光秀は考えた。追い詰められて自暴自棄になった敵兵が、死なば諸共と街に火を放つのを回避したかった。

「静子殿は文化財の保護をお願いいたす」

「承知いたしました」

光秀が役割を割り振り、それぞれが課せられた役割を全うする。
静子は文化財の保護・回収を精力的に行った。静子軍の兵士は末端まで統制が取れており、万が一にも略奪に走る恐れがないため適任であった。
実際に静子軍の手際は抜きんでており、文化財の保護や、隠れていた将兵の妻子たちの保護なども手際よく行っていた。
続々と集められてくる文化財を見ると、それなりに知識を持つ静子ですら見た事も聞いた事もないような品が多くあった。

「唐物の茶碗とかもあるんだね」

庭園や建築物など物理的に動かせないもの、もしくは持ち出せないのならいっそと破壊されてしまった物以外が集められてくる。
中には来歴が判る資料が添えられているものもあったが、大半はどの時代にどのような経緯で持ち込まれたのか不明な物ばかりであった。
目当てとした茶器の他にも花瓶や壺、絵画、掛け軸、手紙、書物など回収された品は多岐にわたった。

「中々の品揃えだね」

「静子様! そちらは記帳が済んでおりません。お手に取られるなら、こちらの記帳済みの物でお願い致します」

静子は小山のように積まれた書物から一冊を手に取って開いていた。
しかし、文化財の目録を作っている兵から叱られる。ばつの悪い顔を浮かべると、静子は書物を元の位置に戻して退散した。

「怒られちゃった。記録が終わったものから読もうか」

流石に数が膨大であるため、目録を作り終えた物から一時保管所として徴発した武家屋敷に分別して運びこまれていた。
そこに置かれた書物なら、後は梱包して信長の許へと送るだけであり、梱包されるまでは読んでいても問題なかった。

「静子様、少し宜しいでしょうか?」

そう思って腰を上げた時、静子に呼びかける小姓が居た。
出鼻を挫かれた気分になったが、信長が必要としない文化財は褒美として譲って貰う予定であることを思い出し、後でも良いと考えて静子は腰を下ろす。

「何用ですか?」

「はっ。実は朝倉義景の母、高徳院が静子様にお目通りを願っておりまして……如何致しましょうか?」

「明智様がお話をされた、と聞いておりますが、私に何の御用でしょうね? まあ、押し問答しても仕方ないですし、お会いしますので、こちらへお通しするよう伝えて下さい」

「ははっ、直ちに」

返事をした小姓は、高徳院を呼ぶために踵を返した。暫くして気の強そうな貴婦人と、その後ろに泣きはらした女性が続き、女性の陰に隠れるようにして最も年若い女性が通された。
静子は事前に得ていた情報から、気の強そうな貴婦人を高徳院、その後ろが義景の妻・小少将。最も後ろの女性が四葩その人であろうと静子は察した。

静子は掛けていた床几から立ち上がると、彼女らの代表である高徳院に名乗り、席を勧めた。

「私が静子と申します。どうぞ、お掛けになって下さい。行軍中ゆえ、流石に良い調度とは申しませんが、地べたに座るよりは良いでしょう」

「……お気遣い頂き感謝します」

高徳院が礼を述べて腰掛けると、呆気に取られていた小少将と四葩も我に返り、慌てて用意された椅子に腰かけた。

「御用の前にまずは一杯進ぜましょう。毒など入れは致しませぬ。貴女達を毒殺する必要性がありませんから」

そう言うと静子は手ずから茶を淹れて、先に口に含んで見せた。そのまま同じ急須から茶を注ぎ、三人へと渡していく。
静子が毒見をしてみせたが、高徳院は生殺与奪を握られている今、毒殺を疑う必要もないと考え躊躇なく茶を口にした。
小少将と四葩は高徳院の様子を窺いつつ、恐る恐る茶を口にしていた。

「さて、私にご用と窺ったのですが、どういったご用向きでしょうか? 我が軍の最高責任者は明智様です。私がどのような判断をしようと、明智様が否と仰れば、それで決定は覆りません」

「率直に訊ねますが、我らはどうなりましょう?」

「越前は上様の支配下となり、朝倉家は断絶となるでしょう。上様は朝倉家に何度も煮え湯を飲まされておいでです。今更、命乞いをしたとて赦しは頂けないでしょう」

義景が信長と敵対を表明してから三年。信長は何度も苦汁を舐めることとなり、朝倉が近江にいるだけで抑え役の将兵に軍を割かれた。
特に信玄が手掛けた甲斐武田の大遠征こと西上作戦では、織田家の命運を賭けるまでに至った。
ここまでの事をしている以上、信長が朝倉家に温情をかける可能性は限りなく低い。どれほどの財宝を差し出そうとも義景及び、その嫡子の斬首は免れない。

「敗者の一族断絶は乱世の常。ことここに至っては、今更抗おうとは致しませぬ。私がお聞きしたいのは四葩の扱いについてございます」

「扱いと仰いましても……」

「おとぼけ召されるな。私は四葩を確実に捕らえよと、貴女が命じたのを存じております。愚息ではなく、四葩を捕らえるよう命じた理由をお教えいただきたい。これから死にゆく者への手向けに、どうか情けを掛けては頂けまいか」

ようやく合点がいった静子だが、どのように説明したものかと考えあぐねる。
静子は確かに四葩を必ず捕らえるよう命じていた。それは史実を知るが故に、彼女が生きて本願寺へ辿り着くと、後に越前で一向一揆が生じると考えたからだ。
支配地域での一向一揆が発生すれば鎮圧するのに少なからず犠牲が生じる。
これ以上、越前で揉め事を起こしたくないため、静子は問題の芽を摘む意味で彼女の捕縛を命じた。最悪の場合は、死体でも良いと言い添えて。

その命をどのようにかして知った高徳院が、静子に本心を訊ねに来たのだ。それを考えれば四葩が静子を見つめる怯えた目線にも納得がいった。

「それは四葩殿が本願寺顕如の嫡子と婚姻の約定を結んでいるからです。本願寺へ逃げ込まれ、顕如の庇護を受けて一向一揆を扇動されては困るのです。無論、一向一揆を起こされれば、加担した一向宗は根絶やしに致します」

「仮に一向一揆が起きたとして、その時越前はどうなりましょう?」

「私見ですが、と前置き致します。まず朝倉家を裏切り、織田家へと寝返った者たちが混乱に乗じて討ち取られるのでしょう。その後、織田軍が鎮圧の為に出陣し、一向宗を根こそぎ葬り去ります。長島では理由があって石山本願寺へと帰しましたが、ここ越前での一向一揆にはそうした理由がないため、最後の一人に至るまで徹底的に潰すでしょう。何万にも及ぶ死者が出ます。無論、一向宗となった越前の民が、です」

噛んで含めるように高徳院に言い聞かせる。実際には長島の時と同様に、一向宗を石山本願寺へと送り付ける事になろうが、それよりも凄惨な最期が待っていると語る方が抑止力になる。

「私の予想とはいえ、それほど的を外してはいないでしょう。お三方は良くご承知おき下さいますよう、それを知って尚逃亡なさる気なら、どうぞ本願寺へお逃げ下さい。無論、我らも追手を放ちますが、逃げ延びる事も出来なくは無いでしょう」

「……」

「しかし、お忘れなきようご留意ください。一度(ひとたび)いくさが始まれば、多くの血が流れ、幾多の命が失われます。万にも及ぶ越前の民(・・・・・・・・・)の死を終生背負う覚悟(・・・・・・・・・・)が無いのなら、浅慮はおやめになることです」

淡々とした静子の語り口が恐怖を煽ったのか、四葩が震えで支えきれなくなった茶碗を地面に落とした。
おまけに腰まで抜けたのか、後ろに倒れ込みそうになったところを小少将が咄嗟に支えた。
戦場の椅子ゆえに背もたれがなく、それ故に倒れ、それ故に咄嗟に動けたのだが、支えた小少将も竦み上がっており、少し哀れに思えた。

「少し脅しが過ぎましたね。しかし、それは起こりえる未来です。越前に屍の山を築き、その地を鮮血に染めてでも我々に一矢報いるのか、それとも禍根を抱えつつも静かに余生を過ごすのか、その選択を担うのはご自身です」

流石に高徳院はしっかりと静子を見返してはいたが、顔色は青ざめ、脂汗が浮いていた。

「勝敗は兵家の常、禍根を水に流せとは申しません。しかし振り上げた拳の下し先も必要でしょう。それを踏まえて、私は今からとある書類を紛失致します。敗因が何処にあったかを考えるのも良いでしょう」

語り終えると静子は立ち上がって小姓から書状を受け取り、何気ない仕草で高徳院の方へと落としてから席に戻った。
静子の意図が判らなかった高徳院だが、書状を開いて中を検めた彼女の秀麗な眉間に見る見る皺が刻まれた。

「……いくさの行方は見えぬもの。親心としては、愚息に勝って欲しかった。ここまで追い詰められ、ようやく当主として相応しい働きが出来たというのに……」

込み上げる怒りを抑えるように、高徳院は書状を握り込んだ。

「しかし、この者たちは許せませぬ。隆盛の時は散々甘い汁を吸い、一族大事の折に当主に逆らうばかりか足蹴にし、あまつさえ当主を売り渡す輩など……」

静子が高徳院に見せたのは景鏡の助命嘆願が書かれた文の写しであった。
義景と景鏡の禍根で朝倉家が割れ、後の越前一向一揆にまで発展する以上、ここで災いの根を断っておく必要があった。
それは正道とは離れた政治的な判断であり、静子も本音を言えば、このような真似をしたくは無かった。
しかし、ここで禍根を断たねば、その芽は一向一揆という形で芽吹き、後に何万もの命が失われる。
たとえ正道に(もと)ろうとも、時として為政者は非情な決断をせねばならないと言う事を、彼女は実体験としてその身に刻んだ。

「……こちらの指示に従うのなら、景鏡に一矢報いる機会を設けましょう」

俯いて涙を堪えていた高徳院が、静子の言葉に面を上げる。

「ただし、我々が与えるのは機会のみです。景鏡を討つのか、それとも見なかった事にするのか、それは貴女がたの自由です。我々は強要致しません」

「しかし、これは……」

「重ねて申します。これは明智様も、そして上様もお認め頂いている話です。あとは貴女がたの判断で決まります」

「……」

「内通した者を売り渡すのは褒められたことではありません。しかし、裏切りというのは、本来露見すれば破滅する覚悟をして行うもの。これも私見ではありますが、恐らく上様にとって景鏡は既に利用価値がないのでしょう」

静子は咳払いをした後、手を叩く。音に驚いて高徳院や小少将がビクリと背筋を伸ばす。

「今は余計な事を考える必要はありません。単純に、景鏡を赦すか、赦さないか。それだけです」

高徳院は視線を静子から書状に移した。暫く書状を眺めていた彼女だが、おもむろに書類を掴むと真っ二つに引き裂いた。

「宜しい」

それが高徳院の答えだと理解した静子は、近くにいる小姓へ命じて高徳院が裂いた書類を光秀に届けるよう手配した。






一乗谷城陥落の報は直ちに信長へと届けられた。
ただし、城下町を含めた一乗谷一帯の焼き討ちは未だ行われず、その理由として茶器などの名物品を回収し、戦費に充てるためと報告がなされていた。
全ての報告を聞き終えた信長は一言も言葉を発しなかった。その表情には何の感情も浮かんでおらず、対面して報告を終えた兵は額に汗をにじませ、唇が青くなるほどに噛みしめていた。
左右に控える織田家重臣たちも、固唾を飲んで信長の言葉を待った。

「報告、ご苦労であった。下がって良い」

その一言を耳にした兵はホッと息を吐いた。礼をして足早に立ち去る兵を、信長はつまらなそうに見送った。実際に信長は興ざめしていた。
朝倉は滅び、小谷城に対しては秀吉が何やら盛んに動いている。浅井・朝倉討伐を掲げて出陣したと言うのに、自らの手で決着を付ける機会を得られない。
結果の判り切った報告を、ただ待つだけというのがこれほどに退屈だとは思わなかった。無聊を慰めようにも、それが出来そうな人間はこの場に居ない。

「父上、宜しいのでしょうか」

遠く離れた愉快の種へと思いを馳せた矢先、今まで沈黙を貫いていた信忠が信長に進言する。気晴らし程度にはなるだろうと考え、信長は信忠の発言を許す。

「聞けば朝倉家当主及び嫡子は未だに斬首されず、一乗谷の焼き討ちも先送りにしている様子。戦費回収のため、茶器や名物を集めるとは言え、これでは(いささ)か手ぬるいと思われます」

「……奇妙以外は下がれ」

頓珍漢な事を言いだした信忠に、信長は目頭を押さえて言葉を発した。指示通り、左右に控えていた重臣が去り、場に信長と信忠のみが遺されているのを確認して、信長は言葉を続けた。

「朝倉がどうなろうと、最早どうでも良いのだ。此度のことは静子が国人となれるか、その試練にさえなれば良い」

「試練……ですか?」

「そうじゃ。静子はここ一番で詰めが甘い。武田とのいくさでも、奴は諏訪勝頼を取り逃しておる。長島一向宗でも同様じゃ。素早く統治するため、などと色々と理由を付けてはおるがな」

「それは……」

見逃したままで良いのかと疑問を口に仕掛けて信忠は言葉を飲み込んだ。良くないと判断されれば静子は既に処罰されている。
現状静子が処罰されていない以上、信長は静子の甘さを理解しながら、それでも良しとしていたのだ。

「静子の甘いところにも利用価値はある。だが、為政者は時として非情な判断を下さねばならない。部下に死ねと命じることは出来たが、政治的判断で大を生かすために小を殺すことが出来ていない」

「その試練を乗り越えるのに、朝倉は丁度良いと仰るのですか」

「そうじゃ。今までのように守るためではない。静子が自らの意思で攻め込み、政治的判断を下す」

「ですが……出来るのでしょうか。静子は今まで政治的な判断を避けてきましたから」

「出来る。静子は必ずや敵を処断する。それが偶然朝倉であったというだけの話よ」

今まで静子は雑兵や足軽、武将を討ってきた。だが他国へ攻め込み、国人を処刑する事はなかった。否、出来なかった。
本人が避けていたのもあるが、そういった冷酷な判断が必要な場面では、いつも信長や足満が代行していた。しかし、今回はそれを自身でしなければならない。

「常に足満がいられるとは限らない。奴もいつか、その甘さゆえに静子の身が危険に晒される事を考慮し、わしの試練を黙って見守っている」

「父上は静子をそこまで買っておいでなのですか」

「無論じゃ。奴が立派な国人となれば、尾張を任せても良いとさえ思っておる」

尾張を任せる、それの意味するところを信忠は痛いほどに理解した。自身のお膝元を任せるなど、信長の父の代から仕えている家臣にすら考えなかった事だ。
それを信長は静子が国人として一人前に成長したならば、尾張一国を任せても良いと言っている。そこまで特別視される事に、信忠は嫉妬を禁じえなかった。

「今はまだまだだがな。じゃが静子が国人となり、上杉や徳川と連携出来るほどに(まつりごと)に長ければ東国の抑えは完璧となる。わしは西国の支配に集中出来る。背中を気にしなくて良いとは楽な話じゃ」

果たして静子は出来るのか、と信忠は疑問に思った。しかし、信長は既に確信をしているのか、自身の課した試練を静子が乗り越えると信じていた。

そして時を置かずに信長の確信が正しかった事を信忠は知る。景鏡の首が信長の許へ届けられたその時に。
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