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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀四年 室町幕府の終焉

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千五百七十三年 三月中旬

三月に入り、信長は足満に密命を与えた。内容については静子にすら秘され、足満が出発する直前に家を空けると告げたため、その存在を認識したほどであった。
自身の身内に自分が把握していない危険が降りかかる恐れはある。
しかし信長も足満も、それを良しとして自分に話さないのなら、その方が良いと判断されたと思い、一切の疑問を飲み込んで送り出した。
折り悪く、静子もまた京へと赴く必要があり、時間的に問い質す余裕も無かったとも言える。
仮に訊ねたところで、知らせない方が良いと確信している足満は、難しい顔をするだけだったであろう事は間違いない。
何しろ足満が帯びた密命は、近衛前久を伴って上杉謙信の居城たる春日山城へと赴くことだからだ。
雪解け前の残雪が多く残る時期に、あえての強行軍。政治的にも危険度的にも静子には伏せておく方が、彼女の精神衛生を考えるならば得策だと足満は判断した。

此度(こたび)道行(みちゆき)は命懸けの過酷なものとなる。わざわざ、わしについてくる必要はない」

「気にするな。私が行きたいと思ったのだ、偶には無茶も良いだろう」

言外について来るなと告げる足満だが、前久は理解していながら聞き流す。翻意は無理だと察した足満は、小さくため息を吐いた。

「防寒対策はしっかりとしておけ。冬山は人の領域にあらず、準備を怠れば命を落とす」

「そう言うと思ってな、事前に静子殿へ防寒装備の準備を依頼しておいた」

足満が前久を睨む目線に剣呑な光が宿る。しかし、睨まれている当人は飄々とした態度を崩さない。

「これを見越して半年も前から依頼してあるのだ、今回の件と結びつきはすまい。偶然今回初めて使うだけのこと、雪山を想定した本格的なものだ」

「……そうか」

前久が木箱から取り出し始めた装備を見て、足満は納得した。
厚手の革で作られた外套は、油と蝋で処理されて撥水能力を持っているのが良く判る。しかも内側に起毛した毛皮を貼り合わせてあり、保温能力も高そうに見えた。
同じく革製の長靴も起毛処理は勿論、先端に詰め物がされており、底面には鋲が打ち込まれた滑り止め加工もなされていた。
更には携帯用の簡易かんじきまで入っており、状況に応じて使い分けることが可能となっていた。
衣類についても厚手の布を袋状に縫い合わせ、内側に綿を入れ込んだ実用性の高いものだった。
外見からは少し着ぶくれしているぐらいにしか見えないが、製品の質を知っている足満から見ても太鼓判を押せる装備だった。

「吹雪いた時に必要となるから、頭巾や襟巻も用意しておけ」

「そうか、忠告に感謝する。何だかんだと言いつつ貴様が世話を焼いてくれるから、私は安心していられる」

「ほざけ」

前久の返しに不本意だと言わんばかりの足満は、話はこれまでだと背を向けると、前久を置いて歩き出す。前久は苦笑しつつも、彼の背中を追った。

足満が越後へと発った一方で、静子も京へと出発していた。兵を伴って京へと入ると、彼女は早速最初の目的である但馬牛(たじまうし)の買い付けを実施する。

但馬牛と言えば平安時代に編纂された続日本紀にも登場する、古くから本邦に根付いた牛だ。
現在日本の和牛の内、八割ほどが但馬牛の系統となっており、和牛のルーツとも言える品種である。
但馬牛の特徴は何と言ってもその食味にある。無論通常の牛と同じく農耕や荷役もこなすが、長命で連産可能、繁殖力が旺盛という畜産に適した特性を備えていた。
古来より取り沙汰されてきた但馬牛は、以降も様々な書物にその姿を残している。
史実に於いて秀吉が大阪城を築城した際に、一日だけだが武士の身分を与えられた但馬牛さえも存在する。
明治時代に外来種との交雑で、更なる品種改良を求めた結果、純血種が激減してしまい、一時期は絶滅の危機に陥ったこともあった。
しかし、後に奇跡の4頭と呼ばれる純血種が残されていたことで復活し、今日の和牛を生み出したのだ。

長い歴史を持つ但馬牛の買い付けをするのは、信長が但馬牛の肉をいたく気に入ったためだ。
御用牛のような扱いとなり、京へと赴いては但馬牛を買い付け、みつおに飼育と品種改良を任せていた。
静子が買い付けてくる但馬牛は純血種であり、品種改良が進んだ現代の知識はそれほど通用しない。
安易に外来種との交雑などしようものなら、明治時代の失敗をなぞってしまうことになる。
純血種の良い点を残しつつ、更なる食味を求める飽くなき挑戦が必要となったが、みつおはむしろそれを楽しんですら居た。

いつもは買い付けた牛を商人が尾張まで運ぶのだが、今回は静子自身の京滞在が短期間であり、彼女が尾張に戻る際に一緒に運ぶこととなった。
事前に交渉は済んでおり、特に揉めることもなく取引は成立した。後は静子が京へと来ることになった本来の目的を果たすだけとなった。

「いつまで経っても男装には慣れないなあ」

静子が京を訪れた理由。それは外国の技師を取り込むためだ。取り込むと言っても、現代のように技術を持つ個人が勝手に亡命など出来るはずがない。
国家にとって有益な技師が国外へと流出するのは、国力の低下に繋がるためだ。無論抜け道はあるのだが、それをすれば引き抜かれた側が警戒心を抱くようになる。
政治的な摩擦を避けるため、静子は盲点となっているルートを通じて技師を買い入れた。

端的に言えば奴隷売買である。奴隷落ちした技師を買い取ったのだ。
勿論技師が奴隷落ちした場合、国家がその売却先に目を光らせている。しかし、売却先から更に転売された場合についてはその限りではなかった。
鉱山労働などの過酷な労役で使い潰されると判っているため、それ以上の追跡調査が行われないのだ。
奴隷貿易が本格化して大規模化する前だからこそできた荒業である。とはいえ、大航海時代とも言われる戦国時代でも奴隷の売買は行われていた。
特に日本から近い中国・マカオはアジア最大の奴隷集積地となっていた。高い技術を持った奴隷を隠すのには、うってつけの場所となる。

「……しかし、凄い理由で奴隷にするんだね、キリスト教って」

今回買い付けた奴隷四名の経歴書を確認して、静子は枯れた笑いを浮かべた。四人とも火刑という極刑が下されたが、寛大な処置という名目で鉱山労働へと切り替えられた。
寛大な処置とは言っているが、少しでも金になる奴隷として売り払うのだから、物は言い様だと静子は思った。

「えーとなになに……天動説を否定した? 許可なく主の偶像を作った? 教会の教えを批判した? 何だこれ。伴天連って馬鹿しかいないのか?」

静子が見ている経歴書を、背後から覗き込んでいた長可が呆れ声を上げた。キリスト教を知らない長可にとっては、それが死に値する罪とは到底思えなかった。
歴史的背景も含めて詳しく知っている静子ですら馬鹿らしいと思っていた。しかし、これらを大真面目に取り締まっていたのが中・近世までのキリスト教圏だ。

「向こうは大真面目だよ。社会は急な変革を嫌うからね、私たちにとっては馬鹿みたいに思える内容でも、社会を揺るがす大罪になるんだよ」

「静子様、奴隷商人が参りました」

経歴書をお膳の上に戻すと同時、小姓が来客を知らせる。いつもの頭巾を被ると、長可に所定の位置に控えるよう指示を出す。

「通しなさい」

小姓に命じてから少しおいて、ポルトガル人らしき奴隷商人と、彼が連れてきた男女四名が室内へと通される。
野心溢れるポルトガル人冒険者上がりの商人らしく、不遜な態度が目についた。しかし、同時に商売人らしく金主となり得る静子の動向を見定めようとする態度も見えた。

意外に曲者だなと思いつつも静子は挨拶を交わす。無駄話は好まないのだが、商人は今後も継続した取引を見込んでいるのか、ベラベラと自分の事を売り込もうとしていた。

「殿、明智様がお見えになりました」

いい加減、静子を含む全員の憤りが限界に達しつつあったその時、玄朗が明智光秀の来訪を告げた。

「あいわかった」

ちょうど良いと思った静子は、これ幸いと商人を追い出した。
商人としては次へ繋がる言質が欲しかったのだが、周囲が発する剣呑な雰囲気に気付き、(ほぞ)を噛む思いで立ち去った。

「苦労をかける、玄朗爺」

商人が退出してから、静子は盛大にため息を吐いた。光秀の来訪は玄朗が咄嗟にでっち上げた嘘だった。要人同士が事前連絡もなく相手を(おとな)うなどあり得ない。
外で控えていた玄朗が気付く程の鬱憤に気付かない商人の図太さは、ある意味で賞賛に値するものであったのだろう。
さりとて到底真似したいとも思わないし、真似できるとも思わなかった。

「勿体なきお言葉。某はこれで」

玄朗が一礼して去っていくのを見送り、静子はもう一度ため息を吐いた。そして改めて四人の奴隷へと視線を向ける。
四十路の男性、三十路の男性と二十代と見える女性、十代に見える少女の四人だ。
そもそも静子は外国人との接点が少ないため、外国人の容姿は良く判らない。しかし、十代の少女は際立って異質だったため、強く彼女の目を惹いた。
洗髪をしていないため脂ぎってぼさぼさになっているが、しっとりとした黒髪に宝石かと見紛うような鮮やかな翠眼が印象的だった。

経歴書によれば年長の男は複数の言語を操る事が出来るとのこと。言語学者という肩書もあったため、通訳兼翻訳者として採用した。
三十路の男性は金属加工職人であり、女性は妻ではなく男性の妹にあたる。職人は男性だけで、妹は連座で奴隷に落とされたと静子は考えた。
最後の少女が謎だった。職業の記載がない代わりに、魔女の子であるという記載があった。このことから恐らく薬師であろうと静子は当たりを付けた。

「……腹を空かせておろう。某は着替えをするので、彼らに食事を与えよ」

経歴書を一読して最も困ったのは、彼らの名前が記載されていない事だった。
奴隷に名前は不要と考えたのか、それとも新たな主が付けるのが常なのか、理由は判らないが名無しでは不便だ。
ともあれ、まずは腹ごしらえが必要と静子は考えた。何よりも息苦しい男装から解放されたかった。






自身の処遇を決めることなく退出した主に困惑する彼らを置いて、静子はさっさと別室へ移った。いつもの恰好に着替え終わると、再び室内に戻り、上座へと腰を下ろす。
静子の素顔を目の当たりにして、四人は一様に驚いていた。
少女を除く全員にとって、自分よりも年若い女が、周囲に控える男性よりも上座に座しているのだ。驚くなというのは無理な話だ。

「食事は口にあったかな」

静子の問いに、最初に反応したのが少女だった。彼女は首を傷めるのではと思える程に激しく首肯を繰り返す。
年長の男は渋い表情だが、食事の内容に問題は無いようで、黙々と食べていた。残り二人は困惑しながらも、供された食事の味に驚いて、不満を述べるなどあり得なかった。

彼らに与えられた食事はチキンクリームシチューに白パン、鹿肉の唐揚げ、生野菜のサラダ、そして澄んだ水だ。
現代の欧米では肉食化が進み、パンや野菜は添え物扱いだ。しかし、近世初期までは日本と変わらず穀物中心の食事をとっていた。
庶民だけでなく豪農や地方領主、下級貴族などの食事も穀物が主体だった。
貧しい地域では税として徴収される小麦ではなく、ライ麦、えん麦や大麦、蕎麦などを荒く挽き、水や牛乳で炊いたポリッジや、それよりも薄くして水だけで炊いたグリュエルと呼ばれる粥として食べていた。
パンはパン粉を作る際に製粉する必要がある。粉挽きは領主の専権事業であり、領主所有の粉挽き所を使用して使用料を払う必要があった。
そのため、貧しい者は自宅の石臼を用いて粗く挽く以外になかったのだ。
細かい粒にしようにも時間をかければ摩擦熱で変質してしまうため、粗い粉を用いる他なかった。
更に食塩すら加えず水だけで練り、保存を第一に考えて焼しめるため固くてパサパサしたパンとなった。
このためパンと言えばスープに浸したり、飲み物でふやかしたりしてから食べるのが通常だった。

しかし、彼らが今口にしているパンは驚く程に白く、そして柔らかい。含有水分量も多く、塩は勿論、卵やバターをも加えて充分に発酵させた極上の品であった。
柔らかく甘みさえ感じる白パンに彼らが陶然とした表情を浮かべるのも無理からぬことであった。

西洋に於いて狩猟は貴族の特権とされ、狩猟される食肉の中では鹿肉が最も好まれたことから、鹿肉は贅沢な肉として遇された。
しかし、最上の贅沢とされたのは生野菜であった。
現代日本では誰もが新鮮な野菜を口にすることができるが、これは発達した流通や優れた保存技術があっての事。
それらが未発達な中世に於いては、新鮮な生野菜などというものは専用の畑と使用人を邸内に抱える、限られた王侯・貴族の食べ物とされた。
庶民はたとえ生産者であったとしても、売れ残りの干からびた腐りかけの野菜を食べており、生野菜を食べるという事は富と権力の象徴となっていた。

「慌てなくても、誰も取ったりしないよ」

がっつく彼らに静子は慌てる必要はないと語るが、大貴族であっても容易に口に出来ないご馳走を前にして、彼らの手が止まる事はなかった。
瞬く間にシチュー、唐揚げに生野菜サラダ、山盛りに用意されたパンが胃袋の中へと消えていく。

「(なあ静子、本当に大丈夫なのか?)」

彼らの食事が終わるまで待っていると、ふいに長可が静子に耳打ちした。大丈夫、という言葉の意味をすぐに理解した静子は、扇子を広げて口元を隠すと、長可に耳打ちを返した。

「(ちゃんと一定の調査はしているよ。それをしたから、こんなに長い時間を掛けたのに四人しか集まらなかったんだよ)」

長可が気にしているのは彼らがヨーロッパ諸国や伴天連のスパイではないか、という点だ。
奴隷が実は日本国内の内情を収集する役目を負ったスパイという可能性は、静子も最初から考えていた事だ。その為、色々な『検査』を足満に依頼している。
そして彼の『スクリーニング検査』を終えて問題なしと太鼓判を押されたのが、今目の前にいる四人だ。

「(何をどう『検査』したかは知らないけど、あの足満おじさんが問題なしって保証したんだから、大丈夫だと思うよ?)」

「(ああ……確かに足満のおっさんは苛烈だからな。じゃあ大丈夫か)」

足満が調査した、その一言で長可は納得した。長可には話していないが、静子が問題なしと判断した他の理由は、彼らが『破門』されている点だ。

破門とは教義に反している信徒を、宗門(しゅうもん)から追放する事を言う。破門されるとキリスト教信者としての立場を失うが、中・近世においてはそれだけではすまない。
信者として認められている権利や自身が所有する財産、破門された者が王族なら王位や領土、さらには嫡子にそれらを相続する権利を失う。
更に教会で宗教的儀式を受ける権利を失い、死した後も墓に入る権利すら失う。端的に言えば「人として扱われず、社会的に追放される」、それが中・近世のキリスト教の破門である。

中世に於ける有名な事件として『カノッサの屈辱』など攻撃的な面もあるが、破門は基本的には異端的信仰を防ぐ教会の措置だ。
それゆえ教義の解釈違いによる聖職者同士の争いが起きた際、互いに破門される相互破門という結末を迎える事もあった。
十一世紀にカトリック教会と東方正教会とに分裂したが、この時双方の最高責任者が相互破門となった事が分裂した理由であり、相互破門の最たる一例とされている。

(この経歴書を見ると、一番年下の少女は庶子(しょし)か。これまた凄い苦労してそうだなあ)

庶子とはキリスト教世界では『不義の子』という意味を持つ。庶子には親から遺産を相続する権利を初めとした諸々の権利が与えられない。
また世間からも厳しい目を向けられる事が多い。これはキリスト教の教義、つまり神学的に性行為は原罪と考えられていたからだ。
しかし、正当な婚姻の結果として子孫をもうけるための性行為は神に認められた事であり、罪には当たらないと考えられていた。
その考えから、正当な婚姻以外での性行為は神の意志に背き、悪魔の誘惑にそそのかされた罪深き邪悪な行為と考えられるようになった。

(平民の庶子というだけでも辛いのに、更に宗教裁判にかけられて魔女とされた女の娘、しかも教会から破門か。短い間に一体何をしたのかな?)

そんな事に思いを巡らせていると、静子は全員が食事を終えている事に気付いた。知らないうちに考え込み過ぎた、と思った彼女は頭を軽く振って思考を新たにする。

「食事は満足いったかな? 誰もが食べ残しをしていないことから、満足したと考える。では最初に、私の言葉を『理解』出来る者は手を上げて欲しい」

咳払いをした後、静子は彼らの反応を待った。少し間を置いて全員が手を上げた。少なくとも意思疎通に問題がない事に安堵する。

「(まあ日本語の勉強をさせていたから当然か)ならばよし。君たちの経歴は見させて貰った」

言いながら静子は経歴書を軽く振る。途端に最年長の男性が険しい顔つきを浮かべた。

「が、こんなものは参考程度だ。我が国、少なくとも上様の統治下にある地は、出自や肌の色で差別はしない。キリスト教を破門? 庶子? 全て考慮に値しない。人種や信仰が違おうとも有能でありさえすれば良い」

薄く笑ったあと、静子は経歴書を丸めて後ろへ放り投げた。最年長の男性は驚愕に目を剥くが、静子は彼らの反応を無視して言葉を重ねる。

「本来ならば己で言うべきではないのだが、私は悪しき因習を捨て、新しい文化を受け入れる程度の度量を持っているつもりだ。キリスト教の教義に反していようが、それが有意義であるならば私は認めよう。尤も私自身がキリスト教徒ではないので、教義に則した判断など出来ないし、するつもりもない」

「……」

「君たちは、今食べた食事をもう一度食べたいと思わない? もし思うのならば、私に己の才を示しなさい。君たちの才が優れているのなら、私はそれに応じた報酬を支払おう。私からの言葉は以上だ。何か質問があるのなら、この場で遠慮なく問うが良い」

箔を付けなければならないため、静子は少し偉ぶった口調で四人に宣言した。
四人はめいめいに悩み、時に四人で相談しあった。やがて結論が出たのか、最年長の男性が咳払いをした。

「アー、私が代表して質問をしたい」

流暢な日本語で男性が喋る。ともすればフロイスよりうまく日本語を使えているのでは、とも思えた。

「構わぬ。申すがよい」

「では……まずは我らに十分な糧を与えて頂いた事に感謝を。このような食事は未だかつて食べた事がない。これだけで、この国が如何に富んでいるかが解った」

「……」

「先ほど貴女は出自や肌の色を問わぬと仰った。ならばこそ問おう、我々はユダヤ人だ。それを知ってなお、先ほどの言葉を(たが)えることが無いと断言できますか?」

ユダヤ人。現代では一部を除いて、一般的に受け入れられている人種だが中・近世に於ける彼らの扱いは、弾圧の一言では語りつくせない。
基本的に中世では「ユダヤ人はいかなる権利も所有出来ない」という考えがヨーロッパ中に蔓延していた。細かい理由は割愛するが、ユダヤ人は当時ヨーロッパ中で嫌われていた。
もっともありふれたユダヤ人への非難が「彼らは高利貸しである」という点だ。

誤解なきよう付け加えるが、ユダヤ教でも高利貸しは禁止され、度々指導者たるラビたちによって高利貸しの禁止が説かれていた。
だが、金貸し以外に生きる道なし、となるとユダヤ教のラビたちも高利貸しを認めざるを得なくなり、ユダヤ教の経典とも言えるタルムードにある禁止内容の緩和をする以外になかった。

一方、中世キリスト教の聖職者は資産家であり、聖職者の他に様々な役割を持っていた。その中の一つに金貸しの役割があった。だが、中世教会は聖職者の金貸しを度々禁じた。
1179年の第3ラテラン公会議において「金貸しをするキリスト教徒は、キリスト教徒として埋葬するに相応しくない」という宣言を出した。
しかし、金を借りる側の王や貴族、商人達は様々な理由から金を貸してくれる存在が必要だった。

今まで金を貸してくれる相手が聖職者であったため、教会の威光を畏れて賃借の問題はおきなかった。
だが聖職者が金貸し業から駆逐されユダヤ人が後釜に収まった時、ヨーロッパ人の敵意はユダヤ人に対して向かう事となった。
普段軽視しているユダヤ人から金を借りる。それだけでも屈辱だが、高まった敵意を抱いたキリスト教徒たちは、借金をしておきながらユダヤ人などに金を返済したくない、と考える者が出てきた。
そういった反感を利用し、返済を出来なくなった自分達の苦境を救う手段、と言い訳を並べて借金を踏み倒す者が出始めた。
中にはユダヤ人が武器携帯の禁止、土地の所有を禁止されているのに目を付けて、暴動を起こして虐殺し、その隙に借金の証文を破棄する者も現れた。
借用書が破棄されてしまうと、ユダヤ人の所有者(大抵は王)は返済を請求できなくなり、結果的に債権を放棄せざるを得なくなった。

「先ほども述べたが、もう一度宣言しよう。君たちは有能さを示せばよい、出自や肌の色など些末な事だ」

「解りました。そのお言葉を信用し、お仕えさせて頂きます」

「私が仕えるに相応しくない、と考えたのならば遠慮なく申すが良い。追手を掛けるような事はしない。私がその程度の人間だった、と思うだけだ。しかし考え違いをしてはならない。己の才に胡坐をかき、精進を忘れた時、私は容赦なく君たちを切り捨てる」

最年長の男性が反応を示すが、静子は無視して言葉を続ける。

「それは君たちがユダヤ人だからではない。目標を持ち、歩み続けることで人足りえる存在になり、生きる意味を持つ、と私は考えている。ただ口を開けて餌を待つだけの家畜は必要ない」

静子が言い切ると同時に、最年長の男性は膝を叩いて破顔した。それは侮蔑ではなく、歓喜の笑みに見えた。

「失礼しました。お若いというのに良く学ばれている。実を言うと、言葉を交わすまではどんな馬鹿の相手をするのか、と考えていました。今までの主は口ばかり達者で、頭の方はサッパリという方が多かったもので」

笑みをひっこめた男性は居住まいを正す。それを見た残りの三人も後に続いた。

「我らは貴女様にお仕え致します。ご存分に我らをお使い下さい」

「君たちの主人として合格、と見て良いかな?」

「満点とは申しませんが、最高点とだけ」

そう言って男性は笑った。今度は残りの三人も同様に笑みを浮かべる。
黙ってやり取りを聞いていた長可達は困惑していたが、静子とユダヤ人との間に流れる和やかな雰囲気を感じて口を閉ざした。

「あ、忘れるところでした。一つだけお願いがございます」

「無茶な要望でなければ」

「いえ、単純な要望です。我らに名前を頂きたい」

男性の言葉に静子は首を傾げた。自嘲気味に笑いながら、男性は言葉を続ける。

「我らはユダヤ人。争いに敗れキリスト教へと改宗させられ、散々侮辱的な名で呼ばれた。我らは生まれ持った名前を思い出すことができません。ならばここで新たに生まれ直し、出発地としたいと思います」

レコンキスタ達成後、キリスト教に改宗されたユダヤ人や北西アフリカのイスラム教徒たちは、新キリスト教徒と呼ばれた。
だが改宗者という意味のコンベルソや、酷い場合によってはマラーノ(スペイン語で豚、汚い人という侮辱用語)と蔑称される事が多かった。

改宗する理由は国家からの強制改宗令が出たり、経済的な苦境や社会的な弾圧から逃れる為であったりした。
だがキリスト教に改宗する事はヘブライ語やアラビア語の名前を捨て、洗礼名を名乗る事と同義だった。
また改宗した事で、ユダヤ人共同体からは批判的な視線を向けられ、キリスト教徒からは背教の疑いを常に向けられた。
中には改宗をうまく利用し、今まで自分たちにかけられた規制の対象外となり、権力を得て成りあがった有力なユダヤ人もいた。

「それはこの国の民として生きるという意味かな」

「その通りです。もう宗教に振り回されるのは御免です。どちらも都合の良い時だけ仲間扱いをして、困った時には切り捨てられる。あんな連中とは決別したいと思うのです」

吐き捨てるように男性が言う。静子が視線だけを長可達に向けると、彼らは小さく頷いた。彼らから見ても男性の言葉に偽りはないと判断した。
もとより足満の調査を潜り抜けた以上、どこかからのスパイという点は考えていなかったのだが。

「ふむ……では後に名前を知らせる。今日はもう休むが良い」

「主人からの頂き物ですから、期待しております」

男性はニヤリと笑いながら言った。
後日、静子は彼らに名を与えた。一番流暢な日本語を話せる最年長の男性は「虎太郎(こたろう)」、寡黙な三十路の男性には「弥一(やいち)」、その妹は「瑠璃(るり)」、十代の少女は「紅葉(もみじ)」という名をつけた。






政治的にも軍事的にも敗北した足利義昭は、毛利家が引き取る事となった。
体外的には体調を崩して政務が行えなくなり、長期療養のために征夷大将軍の位を帝へとお返しすると発表された。
だが京の民や周辺国の民は殆ど信じておらず、信長に反逆したために放逐されたと考えていた。
まだ荷物の整理や人員確保などが残っているが、義昭が京を去る時、それが室町幕府の閉じる日となる。
とはいえ信長が幕府を滅ぼしたという外聞は悪いと考え、自分の役目は義昭の子を次代の征夷大将軍に相応しい者に育てることだと宣言した。無論、誰も信じることはなかった。

反織田勢力へ睨みをきかせた後、静子は尾張へ帰国する、はずだった。だが岐阜へと辿り着いた頃、信長から呼び出しを受けた為、静子は岐阜に残る事にした。
新しく出来た静子の岐阜用邸宅に、軍を置いても良かったのだが、これと言った用事もなく、また信長からの指示もなかったため、指揮を玄朗に任せ、尾張に到着次第、軍を解散するよう命じた。

「また気まぐれかな」

そんなことを呟きつつ静子は信長の許へと案内される。この頃の信長は茶室を密会の場にしているため、静子が案内された場所も茶室だった。
普通の茶室と違う点は、少し離れた場所に警護の人間が目立たないよう配置されている点だ。

「上様、お呼びでございましょうか」

「入れ」

茶室の外から声をかけると、すぐに信長から入室の許可が返ってきた。静子は一度息を吐くと、静かに客用の入り口へと歩み寄る。
茶室にある客用の入り口は「にじり(ぐち)」と呼ばれている。狭い入り口ゆえ膝をついて入る必要があり、勢いよく踏み込む事は不可能であり、急所を相手に晒しつつゆっくりと入ることで敵意の無さを示すことができる。にじり口は千利休が舟座敷を見て思いついたものと言われている。
まだ千利休のわび茶は大成していないため、客用の入り口は少し低い程度に抑えられていた。無論、茶室に入るには武器や防具を外す必要があるのは変わらない。

「失礼します」

入り口を静かに開け、一礼した後、静子は茶室に入る。信長は茶を()てていた。

「先だって南蛮の奴隷を買ったと聞いた」

静子の前に茶が置かれる。奴隷を買った理由を話せ、と察した静子は茶碗を手元に寄せると、奴隷購入の理由を語る。

「南蛮の技術を得るためです。私が伝えられる事には限界があります。新しき技術を広めるには、奴隷商人から技師を買い取る以外にありません」

「買う理由には弱い」

「その為の言語学者です」

「ほう?」

信長の表情が変わる。静子は信長が興味を示した事を確信した。

「伴天連が我が国の言葉を喋っているのですから、こちらも彼らの言葉を理解する必要があります。こればかりは、向こうで言葉の研究を行っている者を連れてこなければなりません。が、普通に取り入れようとしても、相手が警戒心を持ってしまいます」

本来の意味での言語学者は、言葉が多数喋られるのではなく、言語について研究を行っている者を指す。だが、今は信長に説明するため、その辺りの違いを静子は省略した。

「しかし、奴隷ならばその無用の軋轢を回避出来ます。無論、間者が入り込む可能性はありますので、その点は足満おじさんが検査しました」

「ふむ……伴天連どもの言葉か。確かに知っていて損はないな」

顎に手を当てて信長は考える。南蛮の言葉を知っていて損はない。連中が密談している内容も知ることができる可能性が高まる。
足満が検査をしたのならば、間者として紐が付いている可能性は限りなく低くなる。利点があると分かると、信長は小さく笑った。

「茶が冷める」

「頂戴します」

そう言うと静子は信長が点てた茶を飲む。すっかり冷めてぬるくなっているが、その事を言うわけにもいかず、4、5回に分けて茶を飲み干した。

「さて南蛮の奴隷の件は良い。我が国の話をしよう」

「承知しました」

「貴様の献策通り、捕らえた一向宗の者を大量に石山本願寺へ送り付けてやった。最初は効果が見えなんだが、最近の報告を聞いてようやく貴様の目論見を理解出来たわ」

信長が語りながらニヤリと笑う。静子としては史実上で行われた信長の虐殺を阻止したかった、だけだがそれ以外に効果があったのか、と内心首を傾げる。

「本願寺は今、長島一向衆を支えるだけで精一杯だ。教義の関係で見捨てる事は出来ぬ。武具がないゆえ兵にも出来ぬ。飢えた連中を受け入れれば治安が乱れ、疫病が流行する。中々の策よ」

信長の言葉で静子はようやく気付く。長島一向衆にどれだけの人口がいたか不明だが、史実で2万人が焼け死んだと言われているので、少なくとも数万人がいた事は確実だ。
それだけの難民が石山本願寺へ押し寄せる。受け入れる側の石山本願寺にいる顕如と側近たちは頭を抱えたに違いない。
何しろ食料は殆ど所持していない、武具は取り上げられ何もない、金子も少額しか持っていない。そんな人間を数万人も抱えなければならない。
そして宗教の性質上、押し寄せた難民を見捨てる事は出来ない。しかし、難民を受け入れると士気が下がり、治安は悪化し、下手すると疫病が流行する。
結果的に彼らは私財を投げ打って、数万人の難民を養わなければならないのだ。

「この策は使える。今後も一向宗は丸裸にして石山本願寺へ送り付けるよう、各方面へ通達した」

「(効果あると分かれば、容赦なく策を実行するのは変わらないな)承知しました。我が軍も一向宗と相対した時、なるべく敵を殺さず石山本願寺へ送り付けるようにします」

「うむ。さて次だが、貴様に10万石の領地を与える」

「はい? あのー、土地を頂いても私は管理出来ないのですが……」

浅井滅亡後に秀吉が信長から任された領地が約12万石とされている。つまり10万石とは光秀や秀吉、柴田たちと肩を並べる領地を所有している事となる。
名実ともに大名と言えるが、静子からすれば土地の管理などしたくないのが本音だ。

「慌てるな。まず10万の内、5万は近衛家のものだ。これは畿内の土地整備をした場合、近衛家の荘園が減るゆえの措置だ。この5万石に関して、貴様は何もしなくて良い」

「しかし、それでも5万石ですよ。私、土地の管理は無理な気がします……」

「補佐官の派遣はする。数年もあれば、土地の管理に支障はなくなろう」

「(ああ、決定事項なのですね)承知しました。色々とご迷惑をおかけする事になるかもしれませんが、よろしくお願い申し上げます」

信長の中では決定事項だと理解した静子は、何を言っても無駄だと悟った。毎度の事ながら突然の命令は勘弁して欲しい、と静子は思った。だが言ったところで改善されるはずもない。
何しろ彼は織田信長なのだから。

「板挟みになった補佐官が胃痛で倒れない事を祈ります」

「安心しろ。倒れるぐらいならクビを切る」

そのクビは解雇(クビ)なのか、それとも斬首(クビ)のどちらか少し気になった。だが、指摘するより聞かなかった事にした方が良いと思い、静子は信長の言葉を聞き流した。

「さて、もうすぐ畿内は慌ただしくなる。各陣営に服従か徹底抗戦、どちらを選ぶのだと文を送った。今ごろ、連中はどうするか頭を抱えているだろうな」

悦に入った顔で信長は語る。織田包囲網の意趣返しが出来て、彼はとても楽しそうだった。何しろ反織田連合の頼みの綱である武田軍は、完全に敗北したのだ。
今の時期、織田陣営が一気呵成に動くのは道理だ。勝機ある時、手間を惜しまず打てる手を全て打つのが信長だ。

各陣営に旗幟の宣言の打診をしたとの事だが、静子は信長の目的がそれだけではない事を察する。
この時期に降伏を促せば、自身の寛容さを知らしめる事が出来る。また、服従を蹴った場合、いくさもやむなしという空気が作れる。
だが、これだけとも思えない。信長が単純にそれだけの理由で手紙など送るはずがない。何か一つ、肝になるものがある、と静子は考えた。

「……なるほど」

そして静子は察した。足満が急に単独で仕事をこなす事、それ以前に前久が防寒用具を発注してきた事、そして信長が各陣営に送った服従を促す手紙。
全てをつなぎ合わせると、信長が各陣営に服従しろと迫ったのは、ただのブラフで本当はどちらでも良い事だと静子は理解した。
彼が手中に収めたい陣営はただ一つだ。他は信長が送った服従の手紙の返答は、どちらを選ぼうが信長にとっては些末な事だ。

「お茶、馳走になりました」

だが答えは口にしない。どこで誰が聞いているか不明だし、信長も静子が語る事を望んでいない。茶と一緒に言葉を飲み込んだ静子は、からになった茶碗を置いた。
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