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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

元亀三年 決戦、三方ヶ原の戦い

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千五百七十二年 十二月中旬

十二月一日、ついに信長が動いた。彼は主だった家臣を集め、彼らに向かって声高に告げた。

「武田を潰す。徳川に送る後詰めで我らの力を天下に知らしめるのだ!」

今まで旗幟を鮮明にしなかった信長が、ついに明確な方針を打ち出した。この言に意気軒昂たる様子を見せる家臣たちだったが、決戦の場となる立地に思いを馳せる。
家康の居城である浜松城は南北約500メートル、東西約450メートルに及ぶ巨大な構造物だ。
三方ヶ原台地の斜面に沿って一直線に曲輪が並ぶ特徴的な「梯郭式(ていかくしき)」という築城様式を採用していた。
その高低差から本丸の背後は自然の防衛線となり、攻めるに難く守るに易いという防御に優れた城だった。

それゆえ家臣たちは察した。武田戦に於いて籠城戦が主となることを。
古来より籠城戦は厳しいものだ。守りを固めて相手に出血を強いる消耗戦となるため、我慢比べの様相を呈して物理的にも精神的にも双方が疲労する。
さらに相手は天下に名にし負う武田だ。最初から厳しい戦いになることは目に見えていた。
誰が派遣されるのか、家臣たちの関心事はそこに集約され、信長の言葉を聞き漏らさぬよう耳をそばだてた。

「後詰めはーー」

家臣一同が身を乗り出すなか、信長は小さく笑みを浮かべ、誰しも予想だにしなかった人事を告げた。

「いやぁ、驚きですな」

信長の采配に従って横山城に戻る途中、ふいに秀長が口を開いた。
秀長の言葉に秀吉や竹中半兵衛は苦笑いを浮かべる。信長の示した人事はそれほどに意表を突いたものだったのだ。
なにしろ信長は、徳川に送る後詰めとして後継者たる奇妙丸を総大将とし、静子、佐久間、平手、水野の軍を配下につけ、都合数万にも上る大軍団を組織すると宣言したのだ。
後詰めとしては申し分ない兵力だ。そして浜松城だけではなく、佐久間や平手、水野の軍を周囲の城に配置し、浜松城が攻められた時の補佐役を命じた。

浜松城には信長がこれまで動かさなかった静子軍のほぼ全てを向かわせる。佐久間や平手、水野も都合数千の軍を持つが、実質的な主力は静子軍だ。
徳川軍8000と合わせれば、数の上では武田と並ぶ。

「私も驚いております。まさか奇妙様を総大将に立てられるとは。なれど、徳川にははっきりと伝わりましょう。お館様がこのいくさに懸ける意気込みが。今川との決戦以来の捨て身の大勝負となりましょう」

「わしはお館様より横山城での働きを直々にお褒め頂いた。お館様が皆の前で功有りと仰ったのは今川の時以来よ。ゆえにこそ勝てる。そう思えてならん」

根拠はないが不思議と秀吉は勝利を疑っていなかった。今川の上洛時もぶつかれば必敗と言われていた。
しかし蓋を開けてみれば我が方の勝利となった。今回の武田戦とて必ず勝てる、そんな気がしてならない秀吉だった。

「しかし残念ですな。武田を打ち破れば、その武威は天下に鳴り響きましょう。その武功には誰しも一目置かざるを得ませぬ」

「これ! 滅多なことを申すな。横山にて浅井・朝倉を押さえるのも大事なお役目よ」

「左様ですな」

軽口を叩く秀長を秀吉はたしなめる。秀長は面従腹背といった態度であり、その様子に呆れた秀吉はため息を吐いた。

「しかしながら兄上も、少しは考えておられるのでしょう?」

「む、ま、まぁな。じゃからこそ策に乗ったまでよ」

薄笑いを浮かべながら秀長は探りを入れる。秀吉は咳払いをして動揺を誤魔化した後、内心を見抜かれたことを悟られまいとした。
その様子に一層笑みを深める秀長だが、秀吉は意識的に無視を決め込むと馬の足を急がせた。

「はっはっはっ、兄上に逃げられてしもうた」

「あまりからかってはいけません。羽柴様も気を揉んでおられるのでしょう」

「然もあらん。ま、なんとかなりましょう。あ奴はしぶといですゆえ」

そんな会話をした後、秀長と竹中半兵衛は秀吉に追いつくため、馬の速度を上げた。






信長より徳川の後詰めを命じられた静子は、慶次たちにとどまらず部隊長までをも集合させた。静子から伝えるまでもなく、徳川へ後詰めとして派遣される話は知れ渡っている。
しかし改めて静子から告げることで、軍としての方向性を確認できるため、ここで宣言することにした。

「既に知っている人も多いと思いますが、我が軍は徳川への後詰めとして出陣することが決まりました」

静子の言を耳にして動揺する者もいたが、大半は案の定といった態度で受け入れていた。

「長々と御託を並べても仕方ないので簡潔にまとめます。後詰めだからと言って特別に構える必要はありません。いつも通りに出陣し、いつも通りに戦い、そしていつも通りに勝利します。以上」

簡潔極まりない言葉に不安を浮かべる者もいたが、静子はそれ以上語ることなく皆を解散させた。
大将がいつも通りで勝てると言っている以上、自分達は己の役割をいつも通りにすれば良いと割り切り、各自その場を後にした。
残ったのは慶次と才蔵、長可、高虎、足満の五人だけだ。

「さて足満おじさんは物流を任せました。残りはいつも通り過ごして下さい。出陣の日は追って連絡します」

「承知した」

静子の言葉で五人も散会する。それから一週間程度はそれぞれに課せられたことをこなす。長可や才蔵、高虎は訓練、慶次は変わらず過ごしながら間者の始末、足満は物資集めだ。
静子もいつものように書類を片付け、合間に農作物の様子を確認していた。佐久間や平手と違い、静子たちは普段通り過ぎて周囲がやきもきするほどであった。

そうして出陣の三日前、二俣城の攻略に苦戦している武田軍と徳川軍の攻防戦が佳境に差し掛かった頃、静子は鉄砲衆を集めていた。
理由は訓練の成果を確認するためである。玄朗は静子の命令通り、一番上達しているグループと、一番下手なグループを集めた。
それぞれグループごとに用意した的へ射撃させた。結果は流石に首位グループだと感心させられた。
淀みなく射撃を繰り返し、装填速度も上々だ。対して最下位グループは装填こそ問題ないものの、射撃体勢に入るまでに手間取り、発射間隔が長くなっていた。

「ふむ、少し気にしていたけどさして問題はないね」

最下位グループの結果を見た静子は安心していた。
首位グループは毎分9から10発をこなし、最下位グループは6から7発だ。確かに結果を見れば腕前にかなりのばらつきがあると言えよう。
しかし毎分5発を下回らないのであれば問題ない。あまりに下手だと玄朗が言うので、静子は毎分4発以下なのかと焦ったが、この結果ならば十分に許容範囲だった。

「しかし殿、これではあまりに差がありすぎでは」

玄朗が進言すると、静子は指で的を指した。

「射撃数では劣るけど、射撃精度は高いみたいよ」

言われて全員が的を見る。静子の指摘通り、首位グループの着弾位置はばらけているが、最下位グループの方は中心点に集中している。

「どちらが良いかは使い方次第。だから一概に射撃速度だけで上手下手を決めるのは早計だよ。短所を責めて萎縮させるより、長所を見つけて褒めて伸ばす方が良いよ」

「は、ははっ! 殿の仰る通りです。己の浅慮を恥じております」

「そんなに畏まる事ないよ。さて精密射撃が出来るとなると……スコープでの射撃が出来るかなぁ。でも数は揃えられないから、今回は無理かな」

スコープ付きのボルトアクションライフルによる遠距離狙撃での伝令潰しを静子は考えていた。伝令が減れば指揮系統は保てなくなり、大軍の有利が活かせなくなる。
今回の武田戦では射撃精度よりも射撃数による面制圧を優先していたがために、高精度の狙撃銃は想定していなかった。少しばかり悔やんだ静子だが、ないものは諦める他ない。

「過度な自信は傲慢につながるけど、自信がないと腹が据わらないからね。ともかくこれで問題はないよ。もう少ししたら出陣するけど、それまで訓練を怠らないように」

「はっ!」

全員の返事に静子は満足する。その後、玄朗に全てを任せて静子はその場を後にした。

「短所を責めて萎縮させるより、長所を見つけて伸ばす方が良い、か」

下手だと日々こき下ろされていたグループの一人、長政は静子の言葉を反芻していた。そんな考え方はついぞしたことがなかったな、と長政は思った。
同時に信長が静子を重用するのも理解できると思った。首位グループも最下位グループも己の長所と短所を目の当たりにし、逆にやる気が満ちている状態となった。

「と……夜叉様。如何なされました」

棒立ちでいる長政が気になった遠藤が声をかける。その声にハッとなった長政は、一度頭の中にある色々な思いを追い出す。

「何でもない。それよりも、もうすぐ武田といくさだ。気合を入れねばならん」

「はい。しかし……本当に武田に勝てるのでしょうか。あの娘は事も無げに言っておりましたが、正直某にはそのような結果になるとは思えませぬ」

「さてな。静子殿が何を考え、何を見ているか、それは義兄上のように遠くて見えぬ。だが、今まであれだけの事を成してきたのだ。今さら、武田だけ無理でした、などと言わぬであろう。現にこのような銃を用意しておるしな」

言いながら長政は新式銃を軽く持ち上げる。初めてその射撃を見た時は、誰しも度肝を抜かれた。
銃の名手と言われた人間ですら当てるのが困難な距離を、基礎訓練を終えたばかりの新兵が当ててしまったのだから。
中には偶然腕の良い人間が射撃したのだと思う者もいたが、自分で射撃をこなす程に、新式銃が恐ろしいものだと理解する。
とにかく装填速度が速い。従来の火縄銃では熟達者でも1分に1発撃つのが関の山だ。
それが不慣れな兵ですら6発撃てる。手数が6倍なのだ、距離を詰める前に蜂の巣になるのは明らかだ。

「確かにそれは……」

遠藤や三田村も、新式銃の性能は嫌と言うほど理解していた。何しろ彼らは鉄砲衆に組み込まれているのだから。

「確かに五十五間(・・・・)もの距離を当てられるのですから驚異的です」

三田村の言葉に二人は頷く。五十五間とは約百メートルだ。ここで新式銃の性能を知る者がいればおかしい事に気付く。
新式銃の射程距離は八百メートルある。百メートルでは十分な性能を生かし切れていない。

これこそが静子の策であった。
的の高さや中心点の大きさを変える事で、実際は八百メートル先でも狙える訓練をしながら、見た目から百メートルほどしか飛ばない銃だと間者たちに誤認させる。
百メートルなら現行の火縄銃でも届く距離だ。連射速度こそ目を見張るものの、いくさを根底から覆す兵器とは思えない。

「今はいっても仕方ない。訓練をしよう」

こうして使っている本人たちですら銃の性能を知らず、自分がどれほどの腕前になっているか理解していないため、新式銃の真価は今なお誰にも理解されずにいた。






織田が徳川に後詰めを送る。その報せは各方面へと瞬く間に広まった。四方を敵に包囲されながら、なお兵を送る余力を残していたのかと敵方は驚いた。
しかし信玄は当初から予想しており、岐阜にも今なお2万から3万程度の兵が残されていると睨んでいた。その予測は正しく、尾張・美濃には2万ほどの兵が国防のため残されていた。

「ふむ、やはりそうきたか」

織田軍の後詰めの陣容を知った信玄は、報告を受けてそう呟いた。
二俣城を力業で攻めては損害が大きいと見た信玄は、その水源を潰すことにした。
二俣城の水源である天竜川に突き出た井楼(せいろう)(取水施設)を大量の筏を流して破壊し、外部からの水の供給を断った。
二俣城には井戸が無く、貯めていた雨水では兵の飲み水を賄えない。城主・中根正照は兵の助命を条件に信玄へ降伏した。

時を同じくして、織田軍の後詰めが浜松城に到着した。内容は静子軍1万、佐久間や平手、水野たちはそれぞれ1500ほどの手勢を率い、合計で1万5000ほどになった。
佐久間や平手、水野の兵が少ないのは、浜松城だけでなく他の城に手勢を分けて配置しているためだ。浜松城で籠城している間、他の城から武田軍の背後を突き挟撃する作戦だ。
この他、奇妙丸が率いる兵1万が白須賀(現在の静岡県湖西市辺り)に待機していた。

今まで散々に手を焼かされた包囲戦を、逆に武田軍相手にぶつけるという意趣返しだ。
とにかく武田軍に戦力の集中を許さない。消極的だが一番勝率が高い策であった。問題と言えばその作戦をとる事が、最初から信玄に予測されていた点だ。

浜松城に到着した静子だが、城全体に漂う重苦しい雰囲気を感じた。下手な事は言えないと思った静子は才蔵を伴って佐久間たちとともに、家康の許へ向かう。

「コホン、正直なところ、静子殿の目算ではどの程度の勝率かな?」

途中、扇子で口元を隠しながら佐久間が質問してくる。聞こえていないふりをしている平手や水野だが、しっかり佐久間と静子の会話を意識していた。

「うーん、まぁ今のところで八割ですかね」

「……それは負ける確率が八割という事か?」

不安になった佐久間がさらに質問を重ねる。何故、自分の発言にそれほど注意を払うのか不思議だったが、特に知られても困らないので静子は答える。

「違いますよ。今のところ、八割勝ったと言って良いですよ」

「は?」

意味が分からず静子を問い詰めようとした佐久間だが、それ以上質問をする機会は無かった。家康がいる間に到着したからだ。静かに入り口が開けられると、静子たちは中へ入る。
空気が重かった。その原因は家康が苦悩しているためだ。彼の不安や恐怖が家臣に伝播し、それを感じた家臣たちも苦悩しているため、部屋全体が陰鬱な空気に支配されていた。

「我ら、徳川の後詰めとして参りました」

兵力では静子軍が最大規模だが、織田家重臣として名が通っているのは佐久間ゆえ、彼が全軍を代表して家康に口上を述べた。
しかし家康からの返事はなかった。彼は静子や佐久間たちが入ってきたことすら気付かず、頭を抱えてぶつぶつと何事かを呟いていた。

(これは相当重症かなぁ)

暢気に考えていると家臣の一人が家康に耳打ちした。ここに至ってようやく佐久間たちに気づいた家康は、慌てて居住まいを正すと口を切る。

「失礼、考え事をしておったゆえ。早速で申し訳ないが軍議を開きたい。みな、集まって欲しい」

それだけ言うと家康はそそくさと部屋を後にした。一分一秒でも惜しいと思っている家康の顔に、不安の暗い影がありありと浮かんでいた。
佐久間が静子の方へ顔を向ける。こちらに話題を振らないで欲しい、と思いつつ静子は軽く肩をすくめた。

「行きましょう」

「うむ」

徳川家家臣たちが移動するのに交じって、静子や佐久間たちも軍議の場へと移動する。相変わらず重苦しい空気はあったが、それでも屋外に出たため若干開放感があった。

「今の状況を詳細に説明する必要はないと考えている。それよりまず武田が包囲している二俣城の後詰めについて話し合いたい」

軍議の場で開口一番、家康は二俣城の後詰めを議題に上げた。現状、目と鼻の先にある二俣城の後詰めを怠れば、徳川家家臣の結束を維持することが出来ない。
無謀と言われても家康には、二俣城の後詰めに向かう必要があった。

「徳川殿、実は我らはお館様より策を授けられております。詳しくはこちらの静子よりお聞きください」

「(酷い、丸投げされた)コホン、それでは以降はわたくしが申し上げます」

佐久間から説明を丸投げされた静子だが、特に不満はなかった。むしろいつ、会話に参加しようか考えあぐねていたところだ。

「まず二俣城に後詰めは送りません」

「それは受け入れられない」

静子が言い終えると同時に、家康は即座に拒絶を示した。徳川家家臣たちもざわつきながらも、家康の意見を支持した。

「お待ち下さい、何も無意味に後詰めを送らない訳ではありません。私が後詰めを送らないといった理由は、既に二俣城は落ちているからです」

静子の言葉が信じられず、家康は表情を凍り付かせる。二俣城は浜松城を守る最後の砦だ。堅牢な二俣城が落ちたとなれば、浜松城はほぼ丸裸といっても良い。
特に後詰めを送れず、二俣城を見殺しにしたように見えるのが家康には痛かった。

「浜松城に籠城し、向こうが包囲するならば他の織田軍が背後を突き、浜松城を離れて別の場所を叩くなら、我らが武田の背後を襲う。信玄坊主が城攻めに集中できないようにするのがお館様の策でございます」

「む、ぬぅ……全軍で移動すれば背後を突かれるから、信玄は必ず兵を残す。そうなれば他の所へ向かう兵力が減る。この城は容易に落ちぬ。なるほど、信玄は兵力を大きく割かねばならないのか」

一応の納得をした家康だが、不安は残っていた。はたして、信玄がこちらの策に乗るか、だ。
もし信玄が浜松城を包囲しなかった場合、背後は突けるが支城を見捨てたと取られても不思議はない。寝返る者が続出する危険性があった。

「殿、これは危険な賭け過ぎます」

「だが既に二俣城が落ちているのなら、この策に賭ける他ない」

家康の言うとおり、徳川家に取れる選択肢は少ない。その中で最も見込みがあるのが、信長の策になる。これ以上の高望みを出来る余裕はなかった。

「つきましては籠城に向けて、我が軍より軍備を運びたいと考えています。二俣城攻略から考えて二日程度ですが、その間に大量の物資を運び込む許可を頂きたい」

「それは問題ない。申し訳ないが今の備蓄では心許ない。そちらで用意して頂けるというのであれば、それはありがたい申し出だ」

「承知しました。では、刻が惜しいので早速手配いたします(ここまでは順調に進んでいるね)」

静子は順調に推移していることに内心満足し、輸送作戦開始の連絡を足満にするよう才蔵へ命じる。才蔵は頭を一度下げると、静かに部屋を出て行った。

「それでは他の懸念について話をいたしましょう」

後は信玄が三方ヶ原台地に来るのを待つのみ、と思いつつ静子は別の議題はないか尋ねた。






他に明確な議題がなかったため、軍議はあっさりと終わった。足満は命令を受けると同時に、兵を連れて浜松城を出て、奇妙丸のいる白須賀へ向かう。
家康の返事を得る前から、静子は補給兵を白須賀に待機させていた。後はピストン輸送をし続け、できる限りの物資を浜松城へ運び込むのみだ。
足満の行動は早かった。フィールドスコープと旗を使い、僅か三十分で白須賀の補給部隊に連絡を取る。補給部隊は連絡を受け取ると同時に、行軍を開始した。
浜松城へコンテナを積んだ補給部隊が列をなして向かう。補給兵は浜松城へ到着後、指定の場所にコンテナの中身を置き、その間補給部隊の護衛兵が雑務を行う。

長蛇の列となったコンテナを遠巻きに見た徳川家家臣たちは、圧倒的な物量に度肝を抜かれた。そして、これならば長期の籠城にも耐えられると考えた。
もっともコンテナの中身は殆ど武田軍を討ち取るための軍需物資であり、籠城のための生活物資ではないため、静子と彼らでは若干思惑がずれている。

「何とも壮大な光景だな」

遠巻きに見ている半蔵が呟く。コンテナの列は途切れる様子がなく、後どのぐらい運び込まれるのか予想もつかなかった。
今日は十二月二十一日、後詰めに来てから二日の間に運び込んだ物資を考えれば、静子が他の国人と引けを取らぬ存在だと噂されるのも頷ける。

「これならいけるぞ、半蔵!」

「分かった。分かったから人の背中を叩くな。貴様は加減という言葉を覚えろ」

ばしばしと背中を叩く忠勝に、半蔵は顔をしかめながら文句を言う。他の者たちは忠勝の高揚ぶりに苦笑する。

「有頂天だな」

「まあ好意を寄せている女子に『このいくさ、勝利の鍵を握るのは本多様です』と言われれば、平八郎が調子に乗るのも無理はない」

「うはははは! 嫉妬か? 男の嫉妬は醜いぞ!」

鬱陶しい、それがその場にいる全員が抱いた思いだ。少し発破をかけて欲しいと頼んだ康政は、今さらながらに後悔した。もう少し婉曲的に伝えてくれ、と言うべきだったと。

「それで、殿はいずこに?」

「何でも静子殿が連れてきた獣が気になる、との事で静子殿の許におられる」

「ぬ、アレか。確かに驚きだった。殿が興味をもっても致し方なし」

静子は思惑があってヴィットマンファミリーを浜松城へ連れてきていた。いつもはカイザーとケーニッヒのみだが、今回はファミリー全員だ。
カイザーだけでも驚きなのに、それが全員集合となれば神話的ですらある光景だ。そして、それら巨躯の獣を簡単に操っている静子にも、一定の畏れを抱いた。

「このいくさ、結果が見えなくなってきたな」

康政はポツリと呟く。彼には直感ではあるが、とある確信があった。武田とのいくさ、籠城だけで終わるわけがない、と。






家康はヴィットマンファミリーが集合している光景に驚愕していた。大きい大きいと聞いていたが、まさかこれだけの巨躯が揃っているとは思ってもいなかったからだ。
度胸試しも兼ねて家康はヴィットマンたちに近づく。最初に反応したのはケーニッヒだが、殆ど間を置かず他も家康の行動に気付く。
傍目にはそっぽを向いているが、耳がしっかり家康の方を向いていた。

「ここまでのようじゃな」

後一歩、近づけばヴィットマンファミリーが動く。そのギリギリの所で家康は足を止めた。狼に詳しくなくとも、いくさで培ったカンが家康に危険なラインを教えた。

「しかし、見事な体躯だ。神々しささえ感じられる」

家康の評価に静子は苦笑いを浮かべる。静子にとってはいつまでも甘えん坊な子たちだ。だが評価が高いのは飼い主として鼻が高かった。

「すみません。慣れない場所で戸惑っているのもあるので、いつもより警戒心が高いのです」

「ははっ、かまいませぬ。無理を申したのはこちらゆえ」

少し雑談をした後、静子と家康は足満が運び込んだ物資の視察に向かった。二日だけという事も相まって、現場は想像以上に混雑していた。
運び込まれたコンテナから幾つものカゴ台車が出され、それらが分類ごとに手押し台車に乗せられて、保管場所へ運び込まれていく。
全て出し終えたコンテナはカラになったカゴ台車を収納して帰って行く。次々と入ってくるので整理する担当者はてんてこ舞いだ。

運び込まれた物資は箱に識別番号だけ書かれているので、中に何が入っているかは一見して分からない。
静子は識別番号の意味を知っているが、家康たち徳川家からすれば、ただの木箱をどういう理由で分別しているのか皆目見当も付かなかった。

「どうした静子、何か問題でもあったか?」

作業員の邪魔にならないよう視察していると、総責任者の足満が静子たちに気付く。

「ちょっと気になって、徳川様と視察かな?」

「そうか。何、気にする事はない。何もかも順調だ」

言いつつ足満は静子にボードを差し出す。受け取って中身を確認すると、順調に物資が運び込まれている事が分かる。
続いて静子は物資輸送の護衛兵の流れに目をむけた。物資の搬入と共に続々と入城し、搬出と共に粛々と退出していく。こちらも順調(・・・・・・)だった。

「問題ないね」

後ろで置いてけぼりの家康だが、静子本人が問題ないと語る以上、何か言う必要性を感じなかった。どういう基準で、何がどれだけ運び込まれているか依然不明だが。

「今晩はこれを兵士に振る舞ってあげて」

静子が指さしたものが何か理解した足満は、小さく頷いた。






静子が兵士に振る舞ったもの、それは酒だ。明日は濃密な一日を過ごすことになる。下手をすれば今晩が月を見る最後の日になる場合もあった。
それゆえケチくさい事を言わず、夕餉は大盤振る舞いをした。瓶詰めされた料理が次々と開けられて兵士の腹におさまり、空になった酒樽が所狭しと転がっていた。

「まるで祭りだな」

半蔵と忠勝、康政が静子軍の騒ぎに驚く。一見すると武田と戦う前の晩餐にも見えるが、三人はそんな風に考えられなかった。
数日程度だが、静子たちには何か別の思惑があるのでは、と思えたからだ。三人が気付くほどだから、主人である家康も気付いていると理解した。
なにしろ静子軍の騒ぎに何も言わず、それどころか混ざれるなら混ざってこい、と家臣に宣言したからだ。そして言うやいなや、本人はそのまま静子軍の所に混ざりに行った。

「全くけしからん……もぐもぐ……明日から籠城だというのに、はふはふ……これでは気が抜けるではないか」

「平八郎、山盛りの料理を食いながら言っても説得力は皆無だぞ」

「貴様らも料理を手に持っておるではないか」

旨そうな匂いに勝てず、三人とも料理片手に歩いていた。忠勝など皿に飯を敷くと、その上に山盛りのおかずをのせていた。半蔵や康政も皿に何種類もの料理が所狭しと並んでいた。
なお、食べる料理は少なかったものの、家康は酒井とともにへべれけになるまで飲んでいた。

「何だかんだ言いつつ、みな不安なのだろう。だから騒げる時に騒ぐ」

武田の行軍速度から、籠城戦は明日から始まる、とみな直感的に理解していた。
古くから籠城戦は悲惨な状態になりやすい。いつ終わるとも知れぬいくさ、刻一刻と減っていく軍備、負傷しても逃げ場すらない状況は精神を摩耗させる。
さらに武田は冬越えの装備をしている。長期間に及ぶ籠城戦は、どのようになるか想像もつかない。そんな不安から逃げるべく、みな騒いで明日を忘れる。

「今さら言っても始まらん。やるだけの事はやるさ」

「今は貴様の気楽さが救いだ。存分に気楽に構えておけ」

「おい、人を暢気もの扱いするな」

「違うのか?」

「違う!」

半蔵の突っ込みに忠勝は反論する。だがすぐに三人とも吹き出す。彼らはこの一時ばかり、刻一刻と夜が更け明日へと近づいていく事を忘れて騒いだ。






徳川家家臣たちと毛色が少し違うが、静子たちも大いにはしゃいでいた。
こんな時に大将が不安顔でいれば、それこそお通夜のような辛気臭い夜を過ごすことになる。空元気とみられても、上に立つ者は率先して楽しんで見せる必要があった。

「ええぞー!」

大きな焚き火を前に、慶次の猿舞いや才蔵の演武、殆ど知られていない踊りなどが披露される。
焚き火はキャンプファイヤーとも「親睦の火」とも言われ、結束力を高めるにはうってつけだ。
みな、焚き火を囲んでわいわい騒いでいた。

「いやぁー、我こそは……続きなんだっけ?」

「このたわけめ!」

漫才とも歌舞伎ともとれる芸に、みな大きな声で笑う。酒の勢いもあるが、誰かが焚き火の前に飛び込んでは良く分からない事をしていた。

「酒の勢いって侮れないね」

熱気にあてられた静子は、焚き火から少し離れて夜風に涼んでいた。毎度ながら酒が飲めない彼女だが、雰囲気だけで酔った気分になっていた。

「水だ」

「ありがとう」

足満から冷えた水を受け取る。火照った体に冷えた水がしみた。ほっと一息吐いた静子は、コップ片手に兵士たちの乱痴気騒ぎを見る。

「明日はいよいよ決戦だからな。心残りがないように騒がせておく必要がある」

「そんな不吉な事を言わない。無血の勝利は無理でも、損害を少なくできれば立派な宣伝になる。明日は圧倒してみせるよ」

周りは明日から長く苦しい籠城戦が始まると思っている。しかし静子を筆頭に数名だけは、明日は鎧袖一触で武田を打ち倒す日だと考えていた。
そのために苦労して色々と準備してきたのだ。最低でも武田の主力が壊滅する結果に持ち込まなければ、これまで血のにじむような訓練に付いてきてくれた者たちに申し訳ない。

「予想では死傷者はおおよそ200。それぐらいは出ると思っておけ」

「200かぁ……もう少し減らしたいけど、武田軍相手にその数字なら御の字なのかな」

「御の字どころか、武田を良く知る者なら耳を疑う。謙信ですら引き分けにしか出来なかった武田、その軍が完全に崩壊するのを考えればな」

足満の言葉に静子は頷く。全ての準備は整った。今回の策には他の織田家重鎮も賛同してくれている。
各陣営に色々な思惑はあるが、武田を打ち倒すという目的が一致していれば静子としては問題なかった。
その後、どのような特権や名誉がついてくるかも、彼女は全く興味がなかった。ただこのいくさの結果を以て、無駄ないくさが減る事を願うばかりだ。

「安心しろ。武田を破った軍、となれば無駄に争おうとは思わぬ。謙信の出方は分からぬが、北条と結託してまで戦おうとはせんだろう」

「そうなる事を願うよ。これ以上、いくさ続きで国が疲弊していくのは困るからね。みんな色々と思いはある。けど、私としてはお館様による織田幕府の天下統一が最もマシな未来だと思う」

「誰もが納得する未来などない。わしは静子を信じる。だから静子は自分の信じた道を歩け。それがたとえ過ちであろうともな。間違いか正しいかなど、後世の歴史家に判断を任せろ」

「うん。頑張るよ。でも、どう見ても駄目だろう、って時はちゃんと止めてね」

「それを静子が望むなら、わしは命に代えても止めてみせよう」

「そこまで肩肘はる必要はないと思うよ」

大げさだと思った静子は屈託の無い笑みを浮かべる。だが足満は一抹の不安を感じていた。
武田との戦いが終われば、彼女が望む望まないにかかわらず、静子は政治の世界に足場を据えることになる。
そして武田という危険が去れば、織田家内でも権力闘争が始まるのは目に見えている。

(武田を破り、長島一向一揆を滅ぼし、浅井を滅ぼし、朝倉を滅ぼす。馬鹿弟は毛利の所に流せば、もはや日本は織田家が殆ど掌握した事になる。そうなれば、本願寺も時間はかかるだろうが織田に服従するより他ない。天下が見える位置に信長は立つ。そうなれば、静子の力を目当てに群がる雑草は幾つも出てくる)

望まない権力闘争に巻き込まれ、果たして静子は変わらずにいられるか、そればかりは足満も分からなかった。
だが、仮に静子が変わったとしても足満がする事に変わりはない。静子を守る、敵は滅ぼす、それが自分の役目だと足満は確信していた。

「肩肘をはっているつもりはないのだがな。まぁ、先のことはひとまず置いておこう。今は明日の事だ」

「……そうだね。明日、だね」

コップに残った水を飲み干すと、静子は夜空を見上げる。空気が澄んでいるお陰で満天の星空が見えた。

「明日、歴史が大きく変わる」

静子の小さな呟きは近くにいた足満すら届かず、誰にも届くことなく夜空に吸い込まれ、消えていった。それから暫く騒ぎは続いたが、夜もふけた頃、明日に備えてみな就寝した。

十二月二十二日、運命の日がやってきた。
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