第14羽 MD ①ナオ /2011年7月4日
※作中の大会は架空の大会です。
2011年、速水が誘拐される前の出来事です。
次回は本筋に戻ります。
その日、十七歳の速水は久しぶりに街まで出かけた。
今年の夏は死ぬほど暑い。
今日は2011年、七月四日。
ちょうど信号が赤になった所だ。
この辺りで一番大きな駅の周辺は、平日ならやはり人が少ない。
大丈夫だろうと思いつつも、彼はいつもと違う色の帽子をかぶっていた。
ジャックが死んだのは、去年の四月。…あれから一年以上になる。
速水は、今年の四月に同大会で準優勝した。
……皆でハウスでパーティした、楽しい思い出も今の彼には思い出せない。
思い出すのは、直後の悲しい事故と、ダンスばかりの日々…。
茨城の教会の墓地にJACKの墓がある。
速水は異国の地で眠ったジャックに、頑張ったよ、全部何とかするから安心して眠れ。化けて出るなよ、と報告もした。…やっぱり化けて出ても良いと言っておいた。
ジャックがこの地で眠ったのは、引き取り人がいなかったから。
ジャックの故郷はシカゴらしいが、ジャックの妹でマネージャーのリサは、大分前に、アメリカに帰ったきり音沙汰が無い。
電話は通じず、ジャックの死後『事情が複雑だから、そちらで静かに眠らせてあげて、しばらく、仕事のキャンセルとか、ファンの対応で動けそうに無いの』とだけ書かれたメールが来て、一方的に送金もされた。
それなら仕方無い。俺がしっかりしないと。
…速水は怒りと悲しみを抑え、自分にそう言い聞かせた。
そして一年以上が経った。
ジャックが死んで、今、速水の周りには誰もいない。
ジャックを好きだったダンサーは、皆いなくなった。ハウスも無くなったし…ジャックが居ないので当然だ。
隼人は修行で忙しい。
速水はジャックの親友のウィルの誘いで、明後日には渡仏する。
『気晴らしも必要だ。ついでに、俺の仕事を手伝えよ』
ウィルはそう言った。
確かに気晴らしは必要だ。環境が変われば違う鳥もさえずるだろう。
―速水は何かが速水を追ってくる。またそんな思いに囚われ身震いした。
気のせいだ、きっと。
…ジャック…静かに眠ってるか?
俺の周りは、相変わらず鳥達が五月蠅いよ。
セキレイ、ニオ、メジロ、ホオジロ…。
俺も。もうすぐ…そちらへ…行けるかも…。
頭痛がする。踊らないと…いけない。もう踊れない。
それでも、立ち直って、しっかりと――。
「?」
信号が青になり、速水は首を傾げた。
横断歩道の反対側から、誰かが一直線にこちらに向かって、とにかく全速力で駆けて来る。
少年だ。
速水はさほど気にしなかった。
「あのっ!!」
速水が駅へ行くのだろう、と思ったその少年は速水の前に急に現れた。
速水は一瞬、戸惑ってしまった。
「あのっ!速水朔さんですよね、違いますか!??」
とても変わった身なりの少年だった。
中学生くらいか。長めの髪がとにかく真っ赤で、後ろに茶色の三つ編みが三本伸びる、真ん中の三つ編みは白。
黒い、大きな目。肌は不健康なほど色が白い。
耳には金のピアス。指にはごつい指輪。黒い多重巻きバングル。
赤の半袖パーカーを着て、カラフルなペイントが施されたジーンズ。トゲのついたベルト。
…ビジュアル系好きの日本人?
「あ」
歩行者信号が点滅を始めたので、取りあえず速水は横断歩道を戻った。
―速水は進む方向から、この少年が駅へ行くのだろうと思った。
「あのっ!あのっ!」
歩道の端で少年は、わたわたと、スタッズと悪魔の羽がついた無駄に重そうなリュックを下ろし、がさがさ漁って「あれマジック!?」と言ってノートと蛍光ペン二色を取り出した。ピンクと黄色。
「サイン下さい!」
「!」
蛍光ペンとノート差し出された速水は驚いた。
街中で声を掛けられるのは、それなりに珍しい事だった。
握手は前に一度求められたことがあるが、今回のようなケースは初めてだった。
…速水のサインが欲しいファンは、皆ハウスに足繁く通っていた。
「…えっと」
それにしても、この子は一体?
相手があまりに奇抜だったので、速水は面食らった。
「あの、二代目JACK…速水朔さん、―ですよね、すいません、サイン駄目ですか…?」
微妙なタイムラグに、少年が違いましたか?と心配そうにする。
「あ、うん、ゴメン驚いて…貸して」「―ありがとございます!!あっ!これにもお願いします、あっマジックっあった!」
速水はうっかり頷いてしまった。そして機械的にサインをした。
「すみませんっ、あとこれにも」
少し時代遅れになった赤色の四角い音楽プレイヤー。
表にはスマイルジャックベアのステッカーが貼ってある。お気に入りのようだ。
よほどJACKのファンなのか。だが速水はJACKではない。
…本体に名前を書くと、俺の持ち物みたいだな…。
「シールに書いて良い?」「はいっ」
そう思った速水は一応尋ね、シールの上に『速水朔』と日本語で書いた。
途中でちらりと少年を見た。
「君は…もしかしてダンスするの?」
彼は、ファンの人は、例えそれっぽい外見でもダンスをやっていない人が多いので、この質問はしないようにしている。
だがそんな事は忘れていた。頭の中は疑問でいっぱいだ。
…どこをどうしたら、この日本で、こんなに変わった子供が存在できるのだろう?
「はい!俺、ダンスしてます!ずっと速水さんのファンで」
「!そうなんだ」
速水は思わず微笑んだ。良かった、ダンサーだ。違ったらコワイ。
「ブレイク?」
何かバンドでもやってそうだな、そう思いつつ速水は聞いた。
「はい!あっ。来月、大会に出るんです!速水さんはWBK、出ませんか?」
速水の問いに少年は、ハキハキと答えた。
WBK…ワールドブレイクキングダム。
「WBKか…」
速水は呟いた。
ワールドブレイクキングダム――速水ももちろん知っている。
スイスの老舗スポーツメーカー『ガブリエル・ロセ(GabrielRosset)』が主催するブレイクダンスの世界大会だ。
出場が二十歳以下のソロ大会で、本戦は毎年八月にスイスで行われる。
そこで優勝すれば、ガブリエル社と一年間のスポンサード契約を結ぶ事ができる。
――ジャックがなぜか出るなと言っていた大会だ。
遺言という訳では無いが、今後も速水は出るつもりは無い。
…そもそも今年の予選へのエントリーは不可能だった。
「―あ、そう言えば…。エントリー間に合わないな」
速水はあえて言って、派手な少年を見た。
「君は予選?」
この子は…かなり若いけど…国内予選に出るのか?
速水はそう思い尋ねた。
「いえ、本戦です。実は俺、今ダンスチームに入ってるんです。たまたま、ソロで国内予選を通過して…」
少年は、照れた様子で頭をかいた。
速水は驚いた。
低年齢のダンサーを集めたダンスチームの話はたまに聞くが、国内予選通過した…と言う事は…。この子は日本で優勝したと言う事だ。
もちろん強い相手がいる時期、そうで無い時期などあるが。謙遜している感じだし…もしかしたら、結構、凄い子かも知れない?
「…凄いね、おめ」「あっ、名刺あります!!」
おめでとう、がんばって、と言いかけた速水はチームの名刺をもらった。
表にはチーム名。
『デットヒート牙城』と書かれている。知らないチームだった。
「…変わった名前だね。ここら辺のファム?」
「はい、と言っても栃木の端なんで、いつも電車で通ってます!あ、裏に名前あります」
少年がにっこりと笑って言った。
裏返すと名前があった。
七々緒尚
「ななおしょう?ハーフ?」
「あ、名前の読み、ナオです。絶対日本人です」
この少年は七々緒ナオというらしい。
「絶対?あ、そうなんだ。いくつ?」
「もうすぐ十四です」
七々緒は言った。つまりまだ十三歳だ。
「…!凄いな。その年で本戦?…ダンス、いつからやってるの?」
少し目を見張って速水は言った。
「えっと、覚えて無いですけど、三、四歳…?今のファムに入ったのは十一歳の時です」
七々緒が恐縮しながら答えた。
その後も興奮した様子で話し続ける。元気そうな少年だった。
「実はたまたま、出場者が少なくて。俺以外には少し年上が五人くらいで。そこで勝ったら本戦出場で。正直ビビってます。経験と思って、いえ、出るからには勝ちます!ぜったい!」
ぐっ、と七々緒は拳を握りしめて言った。
「へぇ…」
速水は感心した。
WBKの国内予選…JBKは、日本のジュニア世代のB-BOY達にとって、世界シニアや他の大会への足がかり、ダンス界への顔見せ、登竜門という位置づけのどこか華やかな雰囲気の大会だ。
ブレイクチームからのスカウトも入り、有望な若手を探すのに重宝されている。実力次第では、いきなりスポンサーが付く事もある。
一方の本戦は、各国トップの百名を越えるB-BOYが凌ぎを削る。真剣勝負、切磋琢磨の場。正しく若い才能のぶつかり合い…。
老舗スポーツメーカーが主催という事もあり、若干堅苦しく、重苦しい雰囲気だが、出場し出すと癖になると評判で、年齢制限までひたすらトップを狙う参加者も多い。
…この子はそこで戦うのか。…すごいな。
…どんなダンスをするのだろう?
…速水は小学生三年の時に一度、ダンススクールでWBKの国内予選を見に行ったことがある。
当然興奮し、いつか出たい、直ぐに出たい、無理なら来年絶対に出たいと思った。
しかしダンススクールでは低学年は出場させてもらえなかった。
その後、持病が悪化し、速水はダンススクールを辞めた。
時が流れ、ジャックと出会い、そう言えばあったなと思い出し、バトルの修行も兼ねて出ようと思ったら止められた。
――つまり、速水にとっては、今までタイミングが合わなかった大会だ。
…本戦なら二十歳まで。十代後半が主だから、出場しても大人げないとは言われないけど。
予選は…子供相手にさすがに気が引ける。
…そういう理由で、出場者が他の大会に流れているのかもしれない…。
そう思いつつ、速水は純粋に見てみたいと思った。
「大会って八月のいつ?」
速水は聞いてみた。
ちょうどフランスに行く予定があった。
今日もその準備で必要な物をそろえに来た。もし日付が近いなら。
「はい、八月十日です!」
七々緒が目を輝かせて言った。
「…十日か。うーん。…無理そうだな」
速水は苦笑して言った。
…ウィルに会いにフランスに行くと言っても、一応仕事もする…、その日はまだどうなるか分からない。
国外に出るとなると色々向こうの都合もあるし、安請け合いはしない方が良いだろう…。
「ですよね…」
「ゴメン。ガンバって」
少し無理や工夫をすれば行けそうなだけに、速水は申し訳無くなった。
…もし行けたら、言わずにこっそり見に行こう。
プレッシャーかけるのは悪いし。
そう思っていたら、七々緒ががばっと頭を下げた。
「―あ、あの!け結果!連絡したいです!…ご迷惑じゃなければ、…アドレス教えて下さいッ!!俺、プロ目指してて、大会めちゃ頑張りたいんです!」
七々緒はとても必死そうだ。
速水はジャックに出会った時の自分を思い出した。
「、…いいよ」
微笑んだ。
―速水はそれで、本当にできたら連絡しようと思っていた。
だが、彼のいつものパターンではもし見に行っても、結局面倒になって連絡はしない。
ふらっと来て、ふらっと消える。
速水本人は無意識だが、あいつ居たらしい、何で連絡を――と後で知り合いに言われるタイプだった。
その例外が、死んだジャックと隼人、そしてウィル。
「じゃあ、」
速水がそろそろ立ち去ろうとした、その時。
「ナオ!」
「―」
声がして速水は振り返った。
「高崎さん!」
ナオが言った。
「はぁ…お前、今度は何を見つけ――、!!?ジャック!」
その少年は、染めた茶髪の、キラキラした美形だった。
薄いブルーのスラックスに、白地のロゴ入りTシャツ。濃いグリーンのタウンスニーカー。白色でベルトの細い腕時計。外はねの髪が夏風にそよいでいる。
…七々緒より少し年上のようだ。十五、六歳くらいか?
彼と並んだ七々緒も美少年と言えるのだが、…七々緒の場合は独特の髪色に目が行ってしまう。
「あの!!お会いできて光栄です…!!あっ、高崎って言います」
高崎輝真と書かれた名刺を速水に渡し、『今度、ショーがあるからそれを是非見に来て下さい!!出来ればその後、ダンス見て欲しいし一緒に飯も食いたいし、ついでに良かったらウチのコーチに――。っとそれは無理なら良いですけど、是非!!』とまくし立てた。
「お願いします!俺、コイツに予選出場権争奪合戦で負けたんです、次こそは受かりますように!ダンスの神様、どうかお願いします!」
両手を握られ、高崎に神頼みされる。
七々緒はまだ控えめだったが、高崎は爽やかな外見に似合わず、ぐいぐい押してくる。
「お願いしますっ」
七々緒も頭を下げる。
速水は少し目がくらんだ。
…二人とも、派手だな。
この二人が居るファム…何か…凄そうだ。
少し見習いたいかもしれない。
目下地味すぎることがコンプレックスの速水は、少し興味を持ってしまった。
「…えっと、――じゃあ行こうかな。ショーっていつ?」
押された速水は言っていた。
「「あっ、九月二十日です!」」
二人の声がハモった。
〈おわり〉