第12羽 メッセージ ④殺人 /シカゴフットワーク
ノアは走っていた。
くそ、俺、殺人犯だ!!
「何なんだ!あいつら!!」
防護服の集団には、さほど戦闘能力が無かったのが幸いした。
イアン達は屋根を伝って逃げて、端から地上に降りた。
地上は住民達でパニックになっていた。
ノアはヤケドしまくった。…あのまま捕まって死ぬかと思った。
車のタイヤの音がする。今も追われている。
「あいつらあり得ない!だって他の家まで燃やして!」
ノアは叫んだ。建物の周囲にガソリン。扉を壊し手榴弾、そして突入。
つまり、入り込んだ自分達も出られない。それでも奴らは入って来た。
「そういう最悪の集団だ!くそ!だから反対したんだ!!」
同じく走りながらイアンが叫んだ。携帯電話取り出す。
携帯はつながらないらしい。
息を切らして走り、垣根を一つ跳び越える。
そこには、厳つい男達がたむろしていた。
■ ■ ■
ダンサー!?
パッと見てノアはそう思った。一人がラジカセを持っている。
「チッ。シカゴ連中か…!」
イアンが舌打ちする。通れないので、自然立ち止まる。
ノアは周囲を見た。こんな所になぜダンサーが?
もう三キロは走ったと思う。タウンハウスが並ぶ住宅街の終わり、右手は中層の灰色のビル。左手も。だがまだ都心ではなく、かなり辺鄙と言って良い。
総勢で十名ほど。
「よう?どうかしたのか」
一人目、黒人がノア達に声をかけてきた。明るいオレンジ色のウィンドブレーカー。カーキの綿パン。派手な緑と赤と青と白のスニーカー。都会的なファッションだ。
地元のダンスクルーの集まりかもしれない。皆、揃いの赤い帽子をかぶっている。
「おっ、スゲー煙が上がってるな」「火事か?」
他の男達は煙の上がっている方向、つまりベスの家の方向を興味津々と眺める。
その会話を聞いたノアは、歩調を押さえ安堵した。
良かった、普通の人達だ…!
「ハァ、はぁっ…」
ノアは立ち止まり汗だくのまま息を整え汗をぬぐう。イアンもそうした。
息を整えたイアンは、直ぐ顔を上げた。
「急いでいる。お前達と争う暇は無い。邪魔だから消え失せろ」
「―…」
イアンの物言いに男達は絶句した。
―もうちょっと、なんとかさ!!
急いでいるノアでさえそう思った。イアンはしまった、と言う顔をした。
サイレンの音が追ってくる。
拳銃を撃ちまくり逃げたノア達は、警察にも追われているのかもしれない。
戸惑うノアにイアンは『これは正当防衛だ!』と叫んで奴らを撃った。
――早く逃げなければ。あのイカレタ連中も来るかも!?ノアは早く走り出したかった。
遠くで聞こえた小さな爆発音に、嫌な汗が伝う。
「悪い。英語は苦手なんだ」
「―あンだと!??」
「気を悪くさせてゴメン!こいつ英語下手で馬鹿なんだ!」
ノアは間に入って必死に謝った。パトカーのサイレンが聞こえる。
レオンの話だと警官に捕まったら即、牢屋行きらしい。自分は殺人者…これからは逃亡生活?…この国の正当防衛はどこまでいけるのだろう?
「ねえ!…ここ、通ってもいい?」
ノアは無理そうだと思いつつ、一応はにかんで聞いた。
もしかしたら行けるかも?
「駄目だ」
「あ…やっぱり?」
ノアは肩を落とした。
「リーダー」
と一人が言って人垣が割れ…。十一人目、背の高い男が出てきた。
薄いブルーのジーパンに、緑の襟付きシャツ。
ウエーブのかかった肩ほどの茶混じりの金髪の白人。キャップ。目がくぼみ、鋭い眼光…。
この人は腕っ節も強いかもしれない。ノアはそう思った。
「ポリスに追われてるのか?」
そのリーダーらしい男がそう言った。低く、落ち着いた声だった。
「いや、違う。俺達は危険指定教団『No.zero-one』から逃げている」
イアンが舌打ぎみに言った。
ノアはリーダーと対峙するイアンを見てハラハラした。
ゼロワン―それが奴らの名前?いや、番号?!
「!ほぉ。なるほど大変だな――じゃあ、通そう」
リーダーは知っているようだ。有名なのだろうか。
「そう!サンキュー!」
とにかくホッとしてノアは通ろうとした。しかし、別の者が三人、ニヤニヤしながらノアの行く手を塞ぐ。イアンの前にも同じく余名が詰め寄る。
「と、それはやはり出来ないな。上からの命令だ」
「上だと?」
イアンが言った。
「…ここらも今じゃ、ネットワークが幅ってるんだよ」
イアンの前の男が忌々しげに言った。
「…俺達はBIGの言うことしか聞かないんだが、まあ、こっちにも色々あるのさ」
リーダーはそいつを一別し黙らせ、そう続けた。
ネットワークの言うことを聞きたくなる理由…。
「あ、人質?」
ノアは言ってみた。
「―ゲホン!ゴッホ!…まあ、金髪坊やは通すな、捕まえて連れて来い、って話だ」
だいたい当たったらしい。リーダーが咳き込んだ。
「ええっ!だから俺達は今―」
ノアは近づくサイレンの音に後ろを振り返った。
いや、まだ大丈夫だ。かなり裏道だし…、けどあのイカレタやつらから、今すぐ逃げたい。…群がられた時は殺される!と思った。
「もう、そこどいて!」
ノアは実力行使でいこうかと考え始めた。ジーンズの、後ろポケットの自動拳銃で威嚇して通れば簡単だ。
「BIG―つまり、お前達の『JACK』か。ここを通せばいずれ救出してやる」
焦るノアを余所にイアンが言った。
男達の一人がイアンを鼻で笑った。
「―ふん、サロンのお遊びはもうお終いだ――。いや…このシカゴも、アメリカもな…」
「畜生っ、やつらジュニアを…まだガキなのに!」「くそ…JACKも重傷なんだ…!」
厳つい男達の表情は冴えない。
「あーはいはいはい!事情は良く分かったから!早くどいて!」
ノアは足踏みしながら焦った。
リーダーは笑った。
「嫌々だが、俺たちも一応、頑張りましたって報告しなきゃならない。――そこで、俺たちのダンス『FOOT WORKING』で勝負だ。勝ったら通してやる。異存は認めない!!」
――フットワークキング!?
「え。何ソレ!?イアン出来る?知ってる!?」
ノアはイアンに聞いた。
「これは自慢だが、俺はブレイク意外は全くやらない」
イアンは胸を張った。
「―この役立たず!」
ノアは天を仰いだ。
「ええと、フットワーキング?…シカゴ??…あれ、んん、あ、ベスが――、そうだ。レオンも何か言って…?…ちょっと思い出すからストップ!」
ノアは額に手を当て、敵を手のひらで押しとどめ、だいぶ前の記憶を思い出した。
■ ■ ■
フットワーキング。
そうだ、『CHICAGO/FOOT WORK』…!
あれは、レオンが入った少し後。――、若干九歳のノアがレオンのペンダントを馬鹿にして、容赦無くアバラを折られやっと復活したあたり。
『そろそろ上で、食事にしましょう』
安息日。ベスが微笑んで、乗り気で無いノアを部屋から連れ出した。
ベスは当時十三歳。赤い髪は肩につく程度。白のワンピースがよく似合う。
『あいつ、ペナルティ喰らったよね?』『さあ』
ノアはクスクス笑っていた。
『げっ』
そしてノアは、カフェテリアでたまたまレオンを見つけてしまった。
ベスはノアの隣で、貴方もわるいのよ、と言う感じの…ちょっと申し訳無さそうな顔をしていた。
ノアはベスの画策だ。と理解した。
『ねえノア―』『…ちっ』
ノアは言われる前に動いた。
…好きな年上の娘に言われるのが一番堪える。
ベスへの意思表示にノアは若干ビクビクしながら、レオンの向かいの少し離れた位置に座った。
『俺も…悪かったよ。それ、何?…あっ、聞いてもぶたない?』
恐る恐る言った。…ノアも悪かったとは思っていた。
ベスにも、あれは意味のあるネックレスかもしれないわ、と怒られた。
『けど、大切なら初めにそう言うか、ちゃんと書いとけよ…!宝物だって』
幼いノアはむくれた。頬杖をついて横目でレオンを見る。
『これは、お前のクルスと似たような物だ。次触ったらガキでも殺すぞオラ!』
レオンは青筋を立ててそう言った。
ノアはそれで萎縮したが、ベスはそっとレオンにいわくを尋ねた。
どうやらノアがダウンしている間に、レオンとベスは少し打ち解けたらしい。
レオンは不機嫌そうに語り始めた。
彼はロサンゼルス出身で、ダンスマフィア『KING』のBIGの息子…。
『あら、じゃあ、あなたKING・Jrなの?』『…知ってるのか?』
驚いた様子のベスに、レオンが少し眉を動かした。
「BIG」とは、ダンスファミリーのリーダーの事。
「ジュニア」というのは、ファミリーの階級の一つで、実力にふさわしい者にその呼び名が与えられる…。
それくらいノアも知っている。ダンス界隈の常識だ。
『ジュニアは兄貴だ』
レオンはそう言った。
ノアは納得した。
…要するにレオンはダンスが好きなマフィアのボス「KING」の息子で、兄がいて弟。
だがキングとは何だろう?
『マフィアの「KING」ってどういうこと?ここのKINGみたいなもの?』
ノアはベスに尋ねた。
ノアはきっとダンスが上手い人とか、個人のあだ名だろう。
そうアタリをつけた。
『ええ、今から順に説明するから。ノアはちょっと黙ってて』
ベスは笑顔でそう言った。
再びむくれたノアを余所に、ベスとレオンは会話を続けた。
『私はシカゴ出身だから…確か、ロスの「KING」ファミリーは、ダンスを至上とする…少し極端な勢力だって聞いたわ…』
ベスがレオンに気を遣いつつ言った――ダンス狂い教マフィアの息子とは言いにくかったのだろう。
ノアはレオンがクリスチャンでは無いと感じていた。安息日も休まないし、お祈りの文言も全く違う。
そもそも、クルスではなく金色の小さなプレートがついたネックレスだ。プレートはやや細長い。
表に何も絵柄が無いから、裏返しなのかとちょっと気になって…そして触る寸前で「触るんじゃねぇこのクソガキ!」とキレられた。
レオンはシカゴという言葉に反応し、じろりとベスを見た。
『シカゴ?…お前は、あの連中と関わってたのか?』
『あの連中?』
ベスが聞き返す。
『「JACK」ファミリーだ』
レオンはそう言った。
『ああ。いえ、私は彼等とは関係無いわ』
『JACK?って何?』
ノアは尋ねた。外の世界がどうなっているのか、純粋に気になった。
『ああノア、外の「JACK」って言うのは』
『知らないのか?―まあそうだろうな』
ベスが説明をし始めて、所々でレオンが口をはさんだ。
どうやら、外では有名な話らしい。
■ ■ ■
――JACKとは何か?
…百年、あるいはもっと前からロスとシカゴにはマフィアの勢力があり、年中、水面下で抗争、武力闘争。
どちらがマフィア世界の主流となるか。まさに血で血を洗っていた。
そしてここ最近――レオンの祖父の代になってようやく、あらかたの陣取りが終わった。
しかし、抗争の収束に払った犠牲は、犠牲と言うには多すぎた。
憎しみの連鎖、報復、疑心暗鬼の粛正…。
穏健派の台頭。
ここらで一息入れましょう――。
―ああ、そうだな。
…これはマフィアの世界に限った話だ。
街を見れば、止まらない暴力、意味の無い殺人、不況、移民。
治安は悪化の一途をたどって行く。
レオンの父の世代は、つかの間の平穏の中、少しのダンスを身に付けた。
そして、若さに任せ、また懲りずに抗争を繰り返す日々。
…今度はダンスで。主流はブレイク。ハウス。ロック。
ひたすらに地下ダンスパーティを開き争う。
――そんな時代。
レオンの父アルバート・マクギニスは飛び抜けた実力で『KING』と呼ばれていた。
アルバートの父、つまりレオンの祖父はロス近郊の片田舎のマフィアの首領だったが、息子『KING』はアメリカ全土を統治する日も近い?と囁かれ。
まさに破竹の勢い。反対勢力はどこもあっけなくバトルに負けた。
『けど、カリスマ的な実力を持つダンサー達が、シカゴにも現れたの。それが「JACK」と彼のファミリー。もちろん私が生まれるかなり前だけど…今でもその志を引く次ぐチームがあって、そのBIGが今もそのまま、当代の「JACK」って呼ばれているの』
『へぇ』
ノアは頷いた。
シカゴにも凄いダンサーがいた、それがJACK。そういうことか。
ジャックと言うのはごくありふれた名前だ。チームのメンバーは初代から固定では無く、よく替わっているらしい。
初代JACKファミリーは勢いのまま、シカゴを締めていた悪のマフィアを粛正した。
そして気が付けば、東の支配者となっていた。
『なら、マフィアじゃ無いんじゃないの?』
ノアは首を傾げた。それは正義の味方だ。
『それが、「JACK」も元々、マフィア筋だったんだと。確か幹部の息子か?派手に親子喧嘩したとかそんな話だったな。―この世界の親父は皆クソだ』
レオンは忌々しげに言った。
『けど。JACKはマフィアとは違う、私達、シカゴ市民の誇りよ』
幼いベスはハッキリそう言った。
ベスはJACKファミリーに憧れてダンスを始めた、と目を輝かせて語った。
『今のJACKは、『ジョン・ホーキング』ねえノア、彼は若くて才能のある、とても素敵なB-BOYなの!もちろんプロとしても活躍してて、ショーケースが、バトルも本当に素晴らしいの。私は彼のブレイクダンスが大好きなの。彼が一躍有名になったのは、やっぱりDJクレイン・キリーのアイコンになった事がきっかけで…きっとそのビデオはここにもあるから、後で探しに行きましょう!』
ベスが頰を染めて熱心に語った。
『…うっ。うん』
彼女のミーハーな一面を見たノアは、多大なショックを受けた。だが頷いた。
…ブレイクもっと頑張ろう、密かにそう思った。
『レオン、その後はどうなったの?マフィアKINGとJACKの話をもっと詳しく聞かせて!』
ベスがキラキラした表情で、レオンに言った。
レオンが少し不思議な顔をして話を続けた。―思えばあれは苦笑いだ。
『その後か?…「KING」…つまり俺の父親とその仲間達が中心になって、ロス界隈をまとめ、――シカゴのJACK勢力に和解と言う名の、不可侵条約の締結を持ちかけた。俺が生まれるかなり前だな…表じゃなんて言われてるか知らないが。親父がハタチ頃の話だとよ』
あらかたの住み分けが終わって居たこともあり、その提案は受け入れられた。
要するに闘いに疲れたか、飽きたのだろうとノアは思った。
そして、会合の場でいくつかの取り決めがなされた。
一つ。
勢力範囲が隣り合ってると、もめごとばかりで疲れるから、不可侵地域、つまり緩衝地帯をロスとシカゴの中間、デンバー、オクラホマ、その他幾つかに縦に並べ儲ける。そこにはなるべく近づかない。
二つ。勢力範囲からは出ない。KINGは西、JACKは東。
三つ。もしそれぞれの勢力範囲内でもめたら、ダンスで解決。
四つ。ダンスをしないノーマルマフィアとは今まで通り武力で闘う。そして潰す…。
会合の場では、こんな会話がされたらしい。
「余った部分は歌の連中に任せる、それでいいか?」
「ああ、クイーンが丁度そこら辺だしな。南はちょうどいいやつが居れば良いが、居なくてもいいな。そんな事より、ダンスしようぜ!」
■ ■ ■
ベスがクスクスと笑った。
『ジャックってそんな感じよね。あ、そうだわ。聞きたかったんだけど、シカゴのJUKEは今どうなってるの?知ってる?』
ベスが言った。
『JUKE?…ああ、フットワーキングか?盛り上がってるな』
その後、レオンとベスが音楽の話を始めたが、ノアにはサッパリだった。あくびをしつつ聞いていた。
ベスが外にいた頃、シカゴではフットワークダンスと音楽の大ムーブメントが始まっていたらしい。
ベスはネットワークに入ってしまったため、その後が知りたかったのだと語った。
シカゴ/JUKEというのは、シカゴフットワークダンスに向いたEDM。
…EDMというのは、楽器を使わずにシンセサイザーなどで奏でるエレクトロニック・ダンス・ミュージックの頭文字を取った略称。シカゴ/JUKEはBPM、つまりテンポが1分=160くらい。
つまりそのJUKEという早い音楽に合わせ、フリースタイルで踊るフットワークダンス。それがフットワーキング、又は『シカゴフットワーク』と呼ばれるダンスだ。
もともとシカゴのクラブで流行っていたゲットーハウスという音楽が下敷きにあるらしい。
…ノアにはサッパリだったが、レオンとベスは楽しげに話していた。
ロスのKRUMP、シカゴのフットワーク。マフィア達のスタンダードもそちらに傾き始めている…。これはつまり、故郷のダンスを盛り上げよう、という訳らしい。
何度も面倒な事になりかけたが、条約のおかげで何とかなってる。
レオンがそう言った。
『だが…ダンスで物事を解決するのは、あまり良い方法じゃ無い。…俺はむしろ最悪の手段だと思っている』
レオンは苦々しげにそう言った。
当時のノアは目をしばたいた。
『何で?それって、つまり、ただのダンスバトルだよね…?』
それなら平和的だ。ノアがそう言うと。
『…チッ』
レオンは露骨にノアを睨んで舌打ちした。
ベスが顔を曇らせた。
『ノア。ダンスは戦いの道具じゃ無いのよ』『勝敗なんて感覚だしな』
そこはベス、レオン共に同意見らしい。
この二人は案外気が合うかもとノアはハラハラした。
焦ったノアは口を挟んだ。
『よくわかんないけど。ダンスは勝敗があやふやで、闘いとかジャッジには使えないってこと?』
ノアもそれは実感としてあった。実力伯仲の場合、絶対俺の方が勝った、と思ってもジャッジで負けになる場合がある。
そんな時はキレそうになる。
『そうね。ダンスバトルは…技術の差とか、優劣はあるけど、プレイングカードみたいに、勝ち負けがあっさり決まるものじゃない…、――もちろん勝敗は付くけど、ダンスの本質はもっと違う所にある…、私はそう思うわ』
ベスは少し不安げに言った。
同意を得られるか自信が無い、と言った様子でレオンを気にしていたが、当時からベスは何事にもハッキリした意見を持っていた。
十三歳にしてはかなりマセた子供だったと思う。
『だよね!』
…ノアはベスのそういう所が好きだった。笑って同意した。
『ダンスは互いに相手を尊敬する、コミュニケーションの手段だ』
レオンは静かにそう言った。
そして、胸元のネックレスに手を触れ。
『特に俺たちの教義では、私欲の為に踊ることはタブーだ。ダンスは神へ捧げる物だ』
…そう言った。
『この思想は、押しつける物では無いが―』
そう前置きして、レオンは自分の信じる宗教について語りだした。
懇々と。若干不愉快そうに。幼いノアとベスに言い聞かせる感じだった。
世間じゃキリストがはばってるが――、いや、俺達の宗教も元々は、―、今も表向きは、キリスト教で言うダンスの聖人がいて、それを信仰してるって事になってる。
だが、実際は全くの別物と言っていい。宗教の名は明かせない。
お前達は『ダンスの神』を見たことがあるか?俺はある。だから心底この教義を守りたいと思っているんだ。仲間の内でも「それ」を信じてる奴らは少ないが。
入信はいつでも歓迎する。
お前も乗り換えたくなったら、入るんだな。
『…はぁ。分かった。ごめんなさい』
よく分からなかったが、ノアは素直に謝った。
とにかくレオンのそこには触れない方が良いと、ちょっと思った。
ベスも無言でうなずき、レオンはふぅ、とため息をついた。
■ ■ ■
――そうだ、そんな事もあったっけ…。
それでその後、レオンと少し打ち解け――なかったな。
ノアがレオンとまともに話すようになったのは、ジャックが来てからだ。
後のレオン曰く、レオンはアバラ事件の時の事を『子供相手に大人げなかった』と反省していたらしい…。
「おい?まだか!当然、負けたらお前等二人とジュニアを交換だ!」
ノアは焦れる敵を前に、長い思い出に浸った。
「あ、ああゴメン!えっと」
ノアははっと顔を上げた。
シカゴフットワークの基本ステップは、
『GHOST-ゴースト-』『LEFT TO RIGHT-レフト トゥ ライト-』
『MIKES-マイク-』『DRIBBLES -ドリブル-』
など幾つもある。どのフットワークもアレンジは多彩で複雑。
ノアは運営にビデオを用意して貰いベスと一緒に少しやったが、その後はブレイクとKRUMPの時間が増え、そして今までスッカリ忘れていた。
「なるほど…うん。よし。いいや。俺、やってみる!相手はリーダー?」
ノアは前に進み出た。
「ほお?もちろんだ」
リーダーが頷く。
「あ、でも得意じゃ無いから、先攻やって?」
ノアはにこっりと笑った。
「ああ、良いだろう――曲を」
ふい、と頷いた男がスイッチを入れる。
流れて来たのはドラム缶を叩いたような、ぎしぎし鳴る早い音楽。同じ言葉をひたすら繰り返す男性ラップ。
ソレに合わせリーダーが早すぎるステップを踏み出す。
時折澄んだメロディーが入り、ドラムの軽快なリズム。テンポがほんの一瞬緩むがすぐにまたハイスピードになる。
足裁きに迷いは無く、乱れも無い。
曲に合わせ、即興のハズだが全くそうは見えない。フットワークのスピード感、上体の動きが一々格好いい。
タン!とラスト。リーダーのフットワークに、周囲の男が目を見張る。
ヒュゥ!とノアは口笛を吹いた。
「じゃあ、行くよ」
ノアがステップを踏む。
メンバーが「おい!?」と声を上げる。
「お前なんか相手じゃ無いね!」
ノアは笑顔で全く同じステップを踏んだ。
完全コピー。
「馬鹿!」
イアンは思わず言った。
これは全く駄目な方法――。
と、思ったらダンスのリズムが一瞬で変わった。
あっと言う間に目で追えなくなる。一気に高速ステップへ。
フレーズの切り替わりで一瞬停止した、それが目の錯覚に思える。
キレのある蹴り上げ、ランニング、上体の動き。
左右の脚を交互に蹴り上げ交差し、一瞬回り、再びスピードアップ、曲にピッタリの緩急を付けた脚捌き。脚を開き前後に飛び、高速ドリブル。複雑にアレンジされた動きがよどみなく繋がる。
一つも同じパターンを使っていない。平凡なフットワークでも無い。
そのことに気が付く頃には、ダンサー達は驚き、驚愕し、全ての感情をノアに向けている。
ショーさながらに個性を主張するフットワーク。
曲が終わり、ノアは止まった。
会心のフィニッシュ!――自分では、勝ちだと思ったが?
周囲の反応は。
「…っ」
リーダーの詰めた息が、勝敗を物語っていた。
どぉぉぉ!!?と男達が沸き立つ。それが歓声に変わった。
「NOAHァァ―――!やっぱすっげ!」「クール!!」
近くにパトカーが止まり警官が降りてきた。一斉に男達がそちらを見る。
「お前の勝ちだ――、止めるから早く行け!!」
俺の負けだ!と彼は笑い、率直に叫んだ。
「え――」「良いって事だ!ノア!行くぞ!!」
立ち止まったままのノアの手をイアンが引いた。
ノアは走り出す。一瞬手を振って。
「…良くやった!」
イアンが路地を走りながら微笑んだ。
〈おわり〉