第10羽 追徴 ①サロン
速水朔は珈琲を煎れていた。
ここはレオンの部屋だ。
古びたコンクリのアパートメント。四階建てで、その二階。
2LDK、中々贅沢な造りだ。
地下から出ておよそ三週間が経っていた。
今日は、十二月二十四日。
速水の周囲は十二月…つまり出て来てからずっと浮かれまくっているが、正直速水はそこまででも無い。
速水はキリスト教徒では無いので、この国のこのイベントに対する情熱にはちょっとついて行けない。
それでもレオンが色々準備してくれと言ったので、一応それなりに用意した。
多分、これは近頃とみに沈みがちな速水への気遣いだろう。
…このアパートメントに速水はレオンと仕方無く一緒に住んでいる。
レオンはどうやら速水を監視しているらしい。
──つまり、ノアの言う所の自殺をしないか見張っているのだ。
「カラス…?」
速水は耳を澄ます。後ろを振り返ってみる。
うん、鳴いてない。今日はスズメだけ。
AM9:00、なんらおかしい事は無い。
が、この街にスズメがこんなに居るのかはちょっと分からない。
…可愛い鳴き声だな。
速水は笑う。今日はイブだからか、沢山で楽しそうに歌っている…。
その時、近くで…正直に言えばリビングの片隅から、別の鳴き声がした。
速水は少し驚きそちらを見た。
──鳩もいたのか。
もちろんこれは幻音で、速水がキッチンから見たリビング、ツリーの側には何もいない。
けれど実際にそこに居たような鳴き方だった。
部屋の中まで来るのは久しぶりだな。
速水はそう思った。
珈琲を煎れているとそういうことがたまにある。
匂いに誘われて来るのだろうか…?いや、そんな訳無い。俺がおかしいだけだ…。
―多分、この鳥の鳴き声は自分の心境を反映しているのだろう。
カラスは精神の危険信号…それだけでは説明が付かない事も多いが、速水はとりあえずそう考えていた。
速水はこんな風なので、おかしいと思われないように普段から気を付けている。
速水からすれば、『実際に木の上にいる鳥』も姿は見えなくて声が聞こえるだけだし、『実際にいないが、速水には聞こえる鳥の鳴き声』と聞いた感じは、大した変わりは無いのだが…、もし速水がうっかり「あ、フクロウが鳴いてる」と言うと、周囲は何だこいつ、と言う反応をする。
鳥だけでは無い。たまに聞こえる虫の鳴き声はほとんどがニセモノだ。
小学生の時、蝉の大合唱が聞こえて五月蠅かったので、今日は蝉がうるさいね。とクラスメイトに言ったら、それはトラップだったと言う事もあった。
人の声は、本当にたまにしか聞こえない。でも体調が悪いとやたらよく聞こえる…。
砂糖を入れたエスプレッソのカップ持ってリビングへ行く。
リビングテーブルの上には黒のノートパソコンがある。
速水は椅子に座り、それを開いた。
メールソフトは隼人の勧めで『Mozilla Thunder bird』。
年末と言う事でイギリスに帰国中の圭二郎からWEBメールが来ている。
相変わらず無駄に長い。うっとうしい本文はもう読まずに、添付された写真だけを見る。
…ノアとベスの子供、エリーだ。
可愛らしい寝顔や、愛くるしい笑顔に思わず微笑む。
次に隼人からのメールを見る。隼人は先月日本に帰国し、また磐井の店で働き始めた。
メールの内容は…日本はどうとか、いとこが今日も可愛いとか。…いつも通りだ。
寿の実家にいるエリックからも、こちらは分かりやすい育児日記のようなメールが送られてきている。
サラの行方は依然分からぬままなのに、彼はよくやってくれている。
速水はエスプレッソをゆったりと飲み終えた。
レオンは朝からホームに行っていて、今はいない。
彼は日々様々な人物に会い、さらに仲間を増やしている。
…地下から出る時にネットワークが渡してきた速水のパスポートには、O-1ビザが添付されていた。これは、要するに有名なミュージシャンが全米ツアーなどをする際に取得する卓越能力ビザだ。
速水のそれはご丁寧に、誘拐された日に出国、そして監禁中はずっと仕事をしていたと言う扱いになっていた。
このビザはアメリカに三年滞在が可能なので、残り一年半。申請すれば一年延長可能。
おかげで速水はいつ帰国しても全く問題が無くなってしまった。
レオンはネットワークとしては出国の際に、ダンサー達にいちいち問題を起こされては困るのだろう、と言っていた。
確かに約一年半興行し、報酬を受け取った。となると立派な労働と言えなくも無い…。
──誘拐で、強制で、最後にダメ押しで殺人付きと言う最悪な物だが。
憶測で数えてみても、ネットワークに関わりのあるダンサーはかなりの数になる。
そして、そのほぼ…全てが相手の大きさに泣き寝入り。もしくは仕方無く従っているのだ。
最後の契約が嫌で逃げたり、泣く泣く運営に入ったり、そのままネットワークに従って生きている、そう言う者も多いだろう。
レオンはそうした者達に直接話を聞いたり、対ネットワーク組織同士との繋がりを確保したり。そう言うことに奔走し出している。
…レオンと違い速水はほとんど表には出ていない。通訳としてたまにかり出されるくらいだ。
代わりに速水は人を使い、様々な事を調べ始めた。
世界各地のネットワークの所在…ダンサー達の監禁先。スクールの場所。
知れば知るほど、ネットワークはやっかいな組織だった。
資金は莫大。国家予算並み。
それを湯水のように貧しい国や地域に寄付し、逆にネットワークの活動の保証を取り付ける。
となれば当然、その土地の者にとってはネットワークこそが善。
ジョーカーは神。
これは気になって速水も見に行ったが、本当にそう言っている人達がいた。
健康な思考で。感謝の気持ちから──。
子供、老人、女性皆口をそろえ。『ジョーカーは私達の神様です』…確かにそう言っていた。
彼等はジョーカーに救われたと本気で思っているし、実際その通りだった。
速水は、『アンダー』を出てから…著名なミュージシャン、あるいはダンサー、歌手。
様々な人物達がネットワークを潰す画策をしている事を知った。
ジャックもその一人だった。
…この組織を、どうすれば潰せるのだろう。
ジャックの代わりに──。死んだベスの為に。
テーブルの上でマナーモードの携帯が振動した。
…レオンからだ。
「―何だ?」
『ああ。ハヤミ。今朝は具合はどうだ?』
レオンはいつもの文句を言った。
「だから、大丈夫。用が無いなら切るぞ」
速水は言った。
レオンは、朝起きれば具合はどうだ、戻って来たら変わりは無いか。何かあったらすぐ病院へ行け。…速水は孫に心配される老人になった気分だ。
『いや、用ならちゃんとある、ホームに来てくれないか。ずっと引きこもってないで、たまには外に出ろよ。親父が呼んでるんだ』
「……」
速水は少し渋ったが、久しぶりに外へ出る事にした。
出かける前に、エリックから貰った白い薬を一錠飲んだ。
■ ■ ■
午前中の街中を歩く。
今日は曇り。特に静かだ。
まだ道の片隅に寝ているホームレスとか、もう建物の前でたむろしている男達がいる。ごみだらけで治安最悪、といった感じだが。これでも昔よりはいいらしい。
…この街は『キング』の支配下で、だれも速水にちょっかいは出さない。
けどちゃんと用心はしている。
ここではレオンはキング。速水はジャック。
地下から帰って来たレオンと、それにくっついて来た速水は、この街の人々に熱狂的に迎えられた。
レオンの親父曰く、『俺達はお前達のダンスを見ていた』との事で、ここの街にはそんなダンス馬鹿ばかりが集まっているらしい。
レオンは親父に約束通り引退しろと言って、レオンの父親はそれを受け入れた。
…レオンの父親は、速水が思っていたより、まともそうだった。
『そう言えば、お前の兄貴は?何か情報掴んだのか?』
その際、速水は気になって聞いた。
『ああ…だがやっかいだ。某国で強制労働中だってよ』
レオンの言葉に、速水は呆れた。
…ネットワークはそこまでやってるのか──。
「よう、ジャック。ホームに行くのか?」
狭い裏路地で、ダンス仲間に声を掛けられた。
「ああ」
適当に返事をして、そのまま進む。
角を曲がって、さらに進んで。
迷路のような道を通る。途中で速水はいつもの近道を通る事にした。
派手に破れた金網の隙間から、汚い排水路の上に出て、そこに渡された二本組みのパイプの上を通る。
ホームは、少し先に見える五階建ての、古いコンクリートのビルだ。
だが付近の道が細く入り組んでいるので、見えているのに中々たどり着けない…。
イライラし、色々試した結果、この道が一番早いので良く使っている。
カラスの鳴き声がして速水は振り返った。
かーかー!と言う高い声。──ハシブトカラス。ならまだ大丈夫だ。
…ハシボソカラスが、ガーガー、そしてもっと悪い物がギーギー鳴き始めなければ。
どこかで羽音が聞こえた。
何だ、本当にいたのか。速水は苦笑する。
落書きだらけのコンクリートの、さほど高くない塀を飛び降り、ホームに着いた。
入り口は開けっ放しで開店休業、と言った感じだが、中に人はちゃんと居る。
「ああ。来たな」
レオンがロビーにいた。待っていたらしい。
「急ぎだったのか?」
速水は聞いた。ゆっくり来てしまった。
「いや。…用事は夜からだ」
「出かけるのか?親父さんは?用って何だ」
速水はまとめて聞いた。
「上だ」
レオンは速水を促した。
「お前、ちゃんと飼い犬の世話しろよ」
建物の奥へ移動しつつ、レオンが言った。
地下へと続く階段から、小さなうめき声が聞こえる。
「もう犬だけど、まだ飼い犬じゃない。ジョーカーについて吐かないんだ」
速水は溜息を付いた。
「吐くまで放っておけば良い…」
地下へは当然行かずに、階段を上る。
「…と言ってもな…。一週間か…。まあそうするか」
レオンは頭を掻いた。
隣の速水を見る。
人の皮を被った悪魔がいる気がする…。
犬というのは、地下で拘束されたままのウルフレッドの事だ。
速水は、地上に出てからわずか二週間で、彼を捕獲する作戦を決行した。
決行というより、強行だ。
エリックにオフィスの場所を聞き、拉致監禁。そして再教育。
『エリック、こんな感じの薬作れないか?』
『やってみます』
速水は聞き、エリックは答えた──。結果、精神破壊に近い再教育が施された。
速水がやった再教育の詳細をレオンは知らない。むしろ絶対知りたくない。
そして可愛そうなウルフレッドは、犬となり──もともと犬だったらしいが。
速水を見ると『ご主人様!』と嬉しそうにする。速水が聞けばネットワークの事もペラペラ話す。
しかし、肝心のジョーカーについてはまだ理性があるのか口をつぐんでいる。
「お前、ホント…。ハァ…」
速水は変わったのか、もとからこうだったのか、それとも悲嘆に暮れているのか。
たぶんどれもが当てはまるのだろう。
二階を過ぎると、赤絨毯の豪華な内装に変わる。三階の廊下を進む。
ホームは意外にワンフロアが広い。
「…あいつ、たぶん…結構利己的な奴だから。自分の不利益になる事はしない。多分…俺に従う事が利になるって踏んだんだ。だからなびいた…?…エリックと言い、やな感じだな」
速水は呟いた。
「?エリック?」
レオンは首を傾げた。
速水の思考が意味不明なのはいつもの事だが、エリックがやな感じとは?
「…エリックも、何か隠してる。レオン、何かあった時は…エリックの動向にも注意を払ってくれ。サラが行方不明だし…心配だ」
速水は言った。
「お前、エリックが裏切るって思ってるのか?」
レオンは聞いた。
だが、確かに…もしサラが人質になっていたら…という可能性は、あるかもしれない。
「…いや…分からない。けど、エリックは俺の病気の事、絶対何か知ってる」
速水は言った。
「…?幻聴か?そりゃエリックは医者だったんだろ?」
「ネットワークの、医者だ。怪しいだろ…」
エリックと、彼の連れて来た医者の治療は的確で、速水は回復できた。
…うなされながら精一杯見たが…薬も、点滴も、おかしな処方は無かった。
つまり、日本で入院した時と大して変わらなかったのだが…。
何が引っかかるのか、速水にも分からなかった。
「ハァ…もう分からない。ややこしい」
何が引っかかっているのだろう?
「…まあ、それはまたじっくり話そう。親父」
レオンが扉をノックした。
■ ■ ■
窓を背に、けれど少しずれた位置に置かれた黒皮のソファーに座る白髪交じりの男。
側近が煙草に火を付けた。
歳は六十手前と聞いた。良くそろえられた口髭。
顔の骨格はレオンよりがっちりした感じか。
細身と言うほどでは無い、引き締まった体つき。ブラックスーツ。
精悍な顔立ちは、確かにレオンに似ている…。目元とか、青い瞳とか。眉毛の辺りとかもそっくりだ。
この窓が片面に四つ並ぶ、そこそこ広い部屋には、速水、レオン、この男。それ以外に側近らしい者が二名。
暇なのか、ボディーガードなのか、側でチェスをやっている男が二名。
チェスをやっている男の女なのか、何なのか…とにかく露出度の高い、無口そうな女が二名。
速水は初めてレオンに、この男――彼の父親を紹介された時の事を思い出した。
あの時は三人だけだった。…今日は大賑わいだ。
皆黒のスーツで、女性は黒いドレス。
まるでヤクザ映画だな。こんなのって本当にあるんだ…。
「キング、何か用か?」
速水は聞いた。今はレオンがキングだが、速水はレオンを名前で呼ぶ。
なので、レオンの親父はとりあえずキングと呼んでいる。
彼の親父をそう呼ぶのは、今では速水一人だけだ。
恐い物知らずだな、とレオンに言われた。
「ジャック。親父でいい」
有無を言わせぬ口調だった。
「…恥ずかしいだろ」
速水は溜息をついた。この人物に会うのはこれで二度目だが…。
何で他人に、ファーザーと呼びかけなければいけないのか。
「ボス」
側近の男が彼をそう呼んだ。ボス、それも良いかもしれない。しかし別に速水はこのファミリーに入った訳では無いし。どうした物か。
速水が考えている間に、側近からレオンの親父が手紙を受け取った。
「レオン。今朝、ようやく招待状が届いた」
「―ああ。相変わらず遅いな」
レオンがそれを受け取る。
「招待状?」
レオンが速水にそれを渡した。見ても良いらしい。速水は見る前に聞いた。
「今夜のパーティだ。サンフランシスコの、お堅い、いやお高い?コミュニティ」
「?」
「レオンとお前で行ってこい」
キングが言った。煙草をふかす。
「…」
行ってこい、と言われて速水は手紙を開いた。
確かに招待状だ。レオンの親父の名が書かれている。
あとは場所と日時だけ。
「どう言うパーティだ?」
「ちょっと込み入った話になる。まあ、説明は移動がてらでも出来る。親父宛だが、別に俺でも良い。さあ、行くぜ」
レオンが言った。早速準備に取りかかるらしい。
「?俺は行かない」
速水は言った。
「―そうか、って、おい!行く流れだろ!」
出口寸前でレオンが振り返った。誰かが笑った。
「いや。だってレオンが行けば良いだろ?」
速水は言った。
「お前な。人がせっっかく外に連れ出してやろうって思ってんのに。一応元キングであるクソ親父の命令って事なんだがな」
「命令って言われても。俺はレオンと違ってマフィアじゃないし」
速水は当然渋った。パーティとか正直そんな気分じゃ無い。それに。
「それに。お前が用意しろって言ったから、食材色々買ったのに…」
速水は舌打ちした。
もちろん買いに行ったのはレオンの仲間だが。
「…ん?食材?」
レオンが眉を上げた。
「お前、何かやれって言っただろ。…晩には色々出来る予定…」
だったのだが。
レオンのこの様子では、すっかり忘れていたのか。
「―だから、俺は行かない。…」
…よく考えたら、別に食事に力を入れろとは言われなかったかも知れない。
速水は少し後悔した。
だからと言って今更、パーティ?
「――あ。あー、そうか…」
理解したらしく、レオンが頭を掻いた。
「…」
速水はやや俯いて黙り込んだ。
…何だ、この微妙な感じ。周囲が無駄に沈黙している。
「悪かった。…そんな変な顔で睨むなよ。このパーティはどうしても外せないんだ」
レオンがなだめる様に言う。
「別に料理好きだし。でも食材がもったい無い。明日以降だと…鮮度が落ちる」
おそらく今から一式そろえないといけないのだろう。
パーティはPM8:00からだったが、ここからサンフランシスコだと、車で六時間はかかる。
帰りは…多分、泊まりになるだろう。
「キング。そう言うわけで俺は行けない。大体、俺がいなくても良いんじゃ無いか?」
速水はレオンの親父に言った。
親父は苦笑していた。
「いや、お前も行った方が良い。ネットワークを潰すなら、あそこで顔を売るのは必須だ。コイツだけじゃ心許ない。…女房役が必要なのさ」
「じゃあ行かない」
速水は即、嫌になって即答した。帰って料理だ。
「おい。親父。コイツ単純なんだからからかうな!」
レオンが言った。
周囲は笑っている。レオンのファミリーはかなり平和的だと思う。
「悪かった。食材は何とかするから、ついて行ってくれ」
「…」
やはり親父はまともな人だ。
「――分かった。じゃあ良かったらキングか、誰か食べてくれ。下ごしらえはしてあるから、七面鳥はオーブンで焼くだけ。冷蔵庫にも色々ある。えっと、出来るか?」
「ええ。それくらいなら…」
女性の一人が答えた。さすがアメリカの女性だ。出来て当然という感じか。
速水は一応、親父の机にあったメモとペンを借りて、幾つかの手順をサラサラと記入し渡す。
「一応この手順と時間で。キング、これ鍵。レオンじゃあ準備するぞ」
速水はキングに鍵を渡し部屋を出た。
■ ■ ■
仲間の運転で、レオンと速水は大陸を縦断していた。
黒い車が二台続く。後続車にはボディーガードが二名。
コーディネートは犬に頼んだ。おかげで早く出発が出来た。今はまだ普段着。
周囲はまだ市街だが、道は大変空いている。
この調子なら、余裕を持って宿泊先に着くだろう。その後着替えて再出発だ。
招待状にはブラックタイ、つまりタキシードで来お越しくださいと書いてあった。
犬が速水に選んだのは黒いシャツに、赤いタイ、同じ色のチーフとか…。もう何も言うまい。
ピンクじゃ無いだけ良しとしよう。
「…ったく、お前のせいで、俺の株がまた下がる。後で絶対言われる…って言うか、下ごしらえまで」
レオンはまだぶつくさ言っている。
…立ち去った後、部屋から笑い声が聞こえた。
「…少し置いた方が味が馴染むし…」
速水は言いながら後悔していた。あの七面鳥は…出来れば自分で食べたかった。
せめて皆に喜んで貰えるだろうか。
「食いたかったな…お前、料理は馬鹿に上手いからな…。まあ、パーティか…。そっちはどうだろうな…」
レオンもやや未練があるようだ。
「そうだ、レオン、俺、年開けたら引っ越すから。最近体調も悪く無いし。審査の要らない物件、幾つか紹介してくれ」
速水は言った。
「何だ?いきなり。…いくつかって選ぶのか?」
「一応。あと犬小屋…」
ウルフレッドに関しては、速水は少し罪悪感を抱いていた。
…やり過ぎたかも知れない。
「それは良いが、もう少しあそこにいた方が良いんじゃ無いか?」
レオンは気づかわしげだ。
あの部屋は、元々、組員の為の部屋らしい。
蜘蛛の巣が張っていたが最低限の家具はそろっていた。
「…お前な。俺に掃除させる気だろ」
スクール、アンダー共に、レッスン中にハウスキーパーが入っていた。…それに慣れきったレオンには『日常生活には掃除が必要』という概念が無かった。
レオンの家は無いのかと聞いたら、クランプの師匠の所にいたり、ホームに泊まったり。路上だったり…。うらぶれた答えが返ってきた。
「まあ、近くならいくつかあるから見繕っとく」
車はようやく市街を離れ、何も無い荒野を進んでいる。まだかかる。
速水はジャケットを脱いだ。
「お前、今何歳だった?そういやちょっと背が伸びたよな」
唐突に言われた。
「?この前十九になった」
十二月二日。丁度ベスが死んだ日に。速水はそれを言わなかった。
「じゃ、アルコールはやめとけ。あそこはそう言うのに五月蠅い連中の集まりだ。問題は起こさないで、大人しくしててくれよ」
レオンはそう言った。
■ ■ ■
ここは豪華な建物…どうやら市庁舎らしい。
中心にドームがあって、両翼に建物が広がる、つまりホワイトハウス様の造りで、良くある鉄柵、白を基調とした外観。
速水は車から降りた。
ワルツは出来るかと聞かれ、できると答えた。アンダーでレッスンがあった。
が…あまり好きではないし、面倒なので誘われないように気を付けよう。
移動だけでかなり疲れた。
…この街は海が近いからか、カモメが鳴いている。
これはもちろん速水にしか聞こえない。
後続車からレオンの仲間が二人降りて来る。
中に入ってすぐは広い、真っ白なエントランス。…見事な丸天井。綺麗な建物だ。
長い正面の階段の先には白と金、少しピンクのクリスマスツリー。
階段の手前に男がいて、ハッピーホリデー、と歓迎の言葉を述べる。
大人しくしろと言われたので、速水はずっと黙っている事にした。
別に今日は何かしろと言われた訳でも無いし、ただの付き添いだ。
レオンの後に続く。
レオンは招待状を見せ、代わりにバッジを受け取り階段を上がる。
速水や仲間に一つずつ渡す。
ここからはレッドカーペット。
シャンデリアが無駄に多い。
部屋まで人が一人付き、フロアの説明をする。
マフィア『キング』が呼ばれるパーティとは、どんな物かと思ったが…普通のパーティらしい。
中々、大勢の人で賑わっている。
広間の奥に演奏家達がいて、ピアニストがいて。曲を奏でている。
複数の男女がフロア…装飾の入った絨毯の上…で優雅に踊る。
長テーブルの飾り付けは白と金のクリスマス仕様だ。片隅にまた銀のツリー。
無駄に大きいシャンデリア。
テーブルの上には、軽食が置かれている。
レオンは、給仕からシャンパンを受け取った。コイツには水をと言って速水を差した。
「かしこまりました」
ワルツが続いている…。
「…?」
踊っている顔ぶれを見て、速水は目線でレオンに問いかけた。
かなり有名な俳優。パートナーは女性歌手だ。名前は…。
「ああ。有名どころが来てるな。アランと、ルイーズ」
アランが燕尾服の男で、ルイーズは褐色ぎみの肌にブロンドの女性。イブニングドレスを着ている。水色の裾がたなびく。
「…」
速水は車内での説明を思い出す。
一応これは、打倒ネットワークを掲げたパーティらしい。
お堅い、お高い連中、ようするに政府筋が主催している…。
音楽が止み、拍手が起きる。フロアに人が交差する。
「さ、行くか。奥の部屋だ」
奥へと続く、やたら縦に長く黒い扉は開け放たれていて、手前にタキシードのお高いガードマンが二名。
レオンは名乗り、ボス達に挨拶をしに来たと伝える。
部屋の大きさは先程の広間の半分くらいだろうか。
こちらはダンスフロアは無く、向こうよりもテーブルが多い。
つまり立食形式のパーティ。そしてやはりクリスマス仕様。今度は色がある。
そしてレオンは壮年の男性に近づいた。六十くらいか?
男性はテーブルの側で、シャンパンを飲んでいる。
「おひさしぶりです。おじさん。レオナルドです」
「おお、レオンか?でかくなったな」
顔見知りらしい。おじさんはグラスを置いた。
この部屋にいるのは、政府高官とか、警察関係の引退した人物とか、著名なダンサーとか歌手とか、そのパトロンとか。
色々談笑している。…しかし話題は、ネットワーク関連が主。
毎年末の恒例行事らしい。
レオンは幼い頃、元キングと何度か来た事があると言っていた。
「今日は、ようやく親父が引退する気になったので、俺が代わりに…。親父は家で一人寂しくターキーを食べています」
「そうかそうか。まあ、ゆっくりして行ってくれ、キング」
「はい。あとこちらはサク・ハヤミです」
「ほお、彼が噂のジャックか…」
「ほら、挨拶」
レオンが小さく言った。
「サク・ハヤミです」
速水は名乗った。
「おい。お前、もうちょいな…。ミスター・ジミーは奥に?」
レオン言った。
「向こうで遊んでるよ」
レオンに聞いた通り、まだ続きがあるらしい…。
左手奥に、木で出来た扉がある。これは閉じていて、やはりガードマン付き。
「では。失礼します。お前、もう少し笑え。普段の顔で居るなよ。営業スマイル出せ。不機嫌に見えるぞ」
おじさんの所から立ち去る前に、レオンが速水に言った。
「…大人しくしてろって、お前が言ったんだろ」
速水は答えた。
「失礼でしたか?」
一応聞いた。
「いや。大丈夫だ。折角だ。私も遊ぶかな」
おじさんが苦笑した。
おじさんと、速水とレオンはそのまま進み、木の扉の向こうへ立ち入った。
そこは遊戯室で、ビリヤード台が二つ、カジノテーブルが幾つか。ダーツもある。
正方形の木製テーブルが二つあり、それぞれで男達がカードに興じている…。
「ジミー」
おじさんが、ビリヤードをしていた老人に声を掛けた。
老人と言っても、まだまだたくましい感じだ。白い髭、白い髪。
「―ん?」
「レオンと、ジャックが来てくれた。キングのトコは親父が引退したってさ」
「ほお。あのひねくれ者がなー…。良くやったな!」
厳つい老人が鷹揚に笑った。
「苦労しましたよ」
レオンも笑う。
「どうだ、二人とも。一緒にやるか?ん?」
どうやらビリヤードに誘われたようだ。キューを差す。
「俺はやったこと無いです」
速水は言った。
「何だそうか。また次はやろう。カードは好きか?」
ジミーが速水に聞いているようだ。
「別に、普通です」
速水は言った。
「…お前、もうちょい、笑えよ…。いつもの笑顔はどうした?」
レオンが額を押さえた。
速水はようやく苦笑した。
「だってお前、静かにしてろ、キレるな、騒ぐな人を殴るなって言っただろ。今のところ騒ぐ理由もキレる理由も殴る理由も無いし、静かにしてる。カードはした方が良いのか?」
「―お前って、馬鹿だよな」
レオンが呆れて言った。
「まあ、じゃあカードでもするか」
おじさんが微笑みながら言った。
「―あ。じゃあ俺達どきます。丁度上がり、俺の勝ち」
テーブルの男…おそらくダンサー…が言った。もう一人も立ち上がる。
「じゃあ、やるか。四人だしブリッジでいいか」
ジミーがそう言った。
「…これって勝った方が良いのか」
速水はレオンに聞いた。
「まあそうだな。適当に楽しく、良い勝負くらいがベターだ」
レオンは苦笑した。
「じゃあ、楽しみましょう」
速水は笑った。
■ ■ ■
適当に白熱したゲームを楽しんだレオンと速水は、遊戯室を出た。
「さて、もう目的は果たした。後は適当にぶらついて、何か食って、ホテルに帰ろう。周りはダンサーばかりだし、知り合いとか作っても良いぞ」
レオンが言った。
「任せる」
速水は言った。
「…お前、具合でも悪いのか?」
「いや。ここは海が近いから、カモメが…」
鳴いている、と言おうとして速水は口をつぐんだ。
受付で渡されたバッジは、録音機になっているらしい。
それに音楽もうるさいが…。
…無駄な事を言う必要は無い。
「…海が見える所はあるかな」
速水はそう言った。
「暗いから、どうだろうな…バルコニーにでも行くか?」
「一人で良い。レオンは頑張れ」
速水は言って、ボディーガードを一人連れてレオンと別れた。
大広間にさっさと戻る。
ワルツが流れている
要するに、誘われないようにするにはフロアに近づかなければ良いのだ。
じろじろ見られている気がするが…きっと気のせいだ。
万が一声を掛けられたら、『しばらく一人で休みたいので』…これで行こう。
広間の端を通り、適当な窓から外に出る。
海は闇が深くてよく見えない。
速水は正直、退屈だった。やっぱりレオンに任せた方が良い。
今頃レオンは多分、奥の広間の、年配のご婦人達に囲まれているのだろう。
彼女達は、いかにも興味津々という顔をしていた。遊戯室の者達も、ゲームの間中ずっとこちらを伺っていた。
「何か食べるか?」
振り返って仲間に聞く。夕飯はホテルで軽く食べてきた。
「いや。俺は良い。お前のガードだしな。構うな」
そう言われたので速水は外を眺めた。
レオンが小一時間ほど後、ようやく切り上げ広間に戻った所、速水が営業スマイルで女性と踊っていた。
「ありがとう。ルイーズ。……レオン、疲れた」
柔らかな拍手の中、パートナーに声を掛け。…戻るなり速水はレオンに言った。
「お疲れだな」
速水のダンスはかなり様になっていたが、本人的には堅苦しくて苦手らしい。
「ホテルに帰ろう」「ああ」
レオンは笑って言った。レオンも疲れたし、お互い様だ。
バッジを返し、速水達は建物を後にした。
ホテルに着いて、速水は上着をベッドに放った。
ポーズとして連れて来たボディーガード二人と、運転手達は別の部屋だ。
断る度に別の女性が来たのには辟易した。皆、反ネットワーク活動家で、『ジャック』と話したがっていた。
「ふう。あとは連絡待ちだな」
レオンがタイを緩め言った。上手くすれば、そのうち元締めに会えるらしい。
「エンペラーだっけ?俺は良いから、レオンが会いに行けよ」
速水もタイを緩める。
正直、場違いな気がして仕方無かった。ああ言うのは大人の社交場だろう。
速水はまだ十代だ。
──そう言えば、来年で二十歳か。一応選挙行かないとな。
適当な、いつもの部屋着に着替える。
「率直な感想をくれ。どう思った?」
「すごい退屈だった。あと曲がうっとうしい。ワルツは踊りにくい」
速水はベッドの縁に腰掛け言った。
「悪かったな。まあでも顔見せは大切だ。俺たちは反ネットワークですって、地下から出たトコで宣伝しておかないと」
レオンも速水に向かい合い、自分のベットの縁に腰を下ろす。
車中で聞いたが、他に『サロン』…これはフランス語。レオンは実際にはソサイエティと言っている。直訳すると社交界。──は、ここサンフランシスコ以外にも、ブラジル、イギリス、フランス、オーストラリア、中国、ロシアにあるらしい。
「っていうか…頭悪いんじゃ無いか?あんなトコに堂々出入りしてたら、ネットワークに向けて宣伝してるような物だろ」
『私達は、反ネットワークを掲げています』…これじゃやりにくくなるだけだ。
「まあ、その通りなんだが。…ネットワークがあまりにでかすぎて、ややこしい事になってんだよ…何か飲むか…」
そして、レオンはコーラを飲みながら説明を始めた。
「──この世界の公的機関は、なぜかネットワークに対して静観を決め込んでる。噂じゃ、GANの進めてる…何かの『計画』が関係してるらしいが…、その計画が何かは謎。政府、警察、王室、あげく国連やバチカンまでもが、ネットワークの裏での乱行に目をつぶってる。お前等仕事しろ!…って話だ」
レオンは忌々しそうに言った。
聞きながら、速水は机で携帯を充電しようと立ち上がる。
「…本当にそうだな。税金がもったい無い」
速水は同意した。
「『サロン』のおかげで、ネットワークの殺人とか誘拐とかがサッパリ表沙汰にならない。…これはどの国も同じらしい。むしろ、『裏ネットワーク』とでも言うか。こっちが正しい、オフィシャルな物のハズなのに、後ろ暗いから皆コソコソしてるのさ」
「へぇ。終わってるな…」
言いながら、速水は冷蔵庫から水を取り出した。
「ああ。…唯一様子が違うのは、スイスと…チベット?いやウイグル…?らへんだったか。それとお前の国──日本」
レオンは続ける。
「──日本?」
速水はレオンを振り返った。
「あそこはコロコロ支配者が変わるし、極端に飽きっぽいらしくて、…かと思えば皇帝がいたりして、あっと言う間にサロンが廃れたんだってよ」
「あー…、なるほど」
日本人として、その様子は安易に想像が付いた。
「政府権力なんて、あの国じゃお飾り。引き継ぎが出来ないとか何とか。──まあ、それはこの合衆国でも一緒だが、あそこまで酷くは無いと思う」
レオン曰く、この国の歴代大統領は一応、皆をそれなりに纏めている、との事。
だがアメリカは各州の権限が強くて、やたらもめ事が起きる。
狭いし、大したこと無いし。けど微妙に凄くて、微妙にズルイ国。
レオンは日本をそう評した。
「…そう言うわけで、日本では表ネットワークはともかく、裏ネットワークの力が極端に弱い。と言うかある意味無法地帯。それで活動の拠点には丁度いいって、反既存体制派のダンサーは結構、日本に行きたがるんだよ。だからジャックもそっちに行ったんだろう」
「なるほど」
速水は腑に落ちた。
なぜジャックが日本に来たのかと思っていたが、そういう理由だったのか。
「あともう一つと言うか、…──これは別に良いか?大した事でも無いし」
レオンは顎に手を当てた。
「?何だ?」
速水は尋ねた。
「まあ、話すが。豆知識?みたいなモンだ…。裏ネットワークから日本が外れたもう一つの私的な理由は、──宗教だ。ネットワークはヤーウェ勢が中心だしな。無神論者ばかりで、日本は信用できないって」
「ああ…なるほど。けどそれで対立してたら、他はどうなるんだ?仏教とか、イスラム教とか、すごく面倒だろ」
速水は言った。
それに日本を無神論者の国というのはどうだろう。仏教はともかく、確かに神道は日本限定でマイナーかもしれないが…。多神教とか、そう言った所も沢山あるだろう…。イスラム圏とキリスト圏は仲が依然良くない気がする。
「お前、意外に勉強してるな」
レオンは感心したようだった。
が、小学校で習う内容だ。速水は肩をすくめた。
レオンは続ける。
「それが、そっちは一応、『利益のためにガマンしましょう』って事でケリがついてんだよ。…ケリを付けたのは、そもそも裏ネットワークを作ったネットワークの創始者から分かれた奴らだった、ってオチが付くがな」
「…やな世界だな」
速水は溜息を付いた。
…だからやり方がネットワークっぽいのか。
「とにかく、裏ネットワークが国家、警察権力を牛耳ってるから、幹部とか、絶対逮捕出来ないんだ。ここの説得無しにGANを潰そうとすれば、逆に難癖付けて庇いやがる。『今はその時では無い』ってな。…つくづく、腐った世の中だ」
「実質、保護してるって事か…」
速水は両手をベッドについて、言った。天井を仰ぐ。
母体が一緒とは、面倒な話だ。
「だが、この国の『エンペラー』。こいつの協力を取り付けられれば、大分話は変わってくる」
「…どう変わるんだ?」
速水はやや面倒そうに体勢を戻した。顔に掛かった髪を整える。
「各国が動く。三十年前、それで前ジョーカーが逮捕されて幹部もごっそり変わった、『らしい』って親父が言ってた。──結果はどうあれ、『エンペラー』には革命を起こす権力があるんだ」
レオンは言った。
だがな…その革命が上手く行ったとは思えない。特にダンサー達にとってはそうだ。
そろそろ眠そうな声でレオンは言った。
「エリックも言ってたな…。ネットワークはトップの、ジョーカーの権力が大きい組織…。もう見えない国相手、みたいな物か…もうこんな時間か」
ようやく話が一段落し、速水は壁の時計に目をやった。
午前二時を回るところだった。
「まあ、返事待ちならどうしようも無いな。明日帰るし、そろそろ寝るか」
速水は風呂へ行こうとした。
「──ああ。と、言いたい所だが…」
レオンが起き上がった。荷物をあさる。
「まだ何かあるのか?」
レオンがくたびれた紙袋から、紙束を取り出す。
「実は…年明けまで俺たちは帰れない。招待状はアレだけじゃない。年末は目白押し。つまり、明日も、明後日も…、ああ、七日が最後だな。…見るか?」
暗い顔をしてそう言った。
「はぁ!?」
速水は思わず声を上げた。
「おまえ──騙したのか!!!?」
「…悪いっ!!ホンッっト悪いが、頼む!もう少し付き合ってくれ!!お前言ったら絶対来なかっただろ!!殴るなよ!ぐっ」
レオンは申し訳無さそうに両手をあわせた。もちろんボコボコに殴っておいた。
「来るんじゃ無かった…」
その後速水は項垂れた。
〈おわり〉