第9羽 地上(後編)
速水朔は、どこかで、ネットワークがまともだと思っていた。
世界平和を掲げていたから。
しかも、ダンスで。
出来る訳無いと思いながら、その力を目の当たりにするにつれ、出来るかも知れない。
これはこれで、放っておいても──。などと思っていたのだ。
洗脳だ。
あいつ等はジャックを殺した。ベスを殺した。
三人の中で、一番早く立ち上がったのはノアだった。
「…俺、行くから」
彼はそう言った。
「行くって…どこへ」
そう聞いたのはレオンだった。
速水は今更だが泣いていた。
「分からない…。けど、エリーにはいつか会いに行く」
それは残されたもう一人のベスの事だった。
「…死ぬなよ。連絡先…」
レオンはペンを持っていなかった。百ドル紙幣に血文字でつらつらと書く。
札束は分厚いので書きやすい。
それをそのままノアに渡した。いらない、あるから。と言われ一枚以外が帰って来た。
レオンはそうか…といって緩慢な動作で受け取る。
「レオン、ハヤミを頼む。──死なせるな」
まるで速水が憎い物のように、ノアが言う。涙をこらえているだけかも知れない。
「ああ」
ノアは振り向かずに去って行った。
■ ■ ■
「レオン…なんでこうなったんだ?」
速水は呟いた。
それが契約なんて、初めて聞いた。
「お前、今、正気か?」
レオンが言った。
「──」
心底、腹が立った。
コイツは、俺を異常者扱いしている。
「俺だって!いつもおかしいわけじゃ無い!!馬鹿にするな!!」
―ああ、ベス、ベス…!!何で死んだんだ…っ。
叫んだ瞬間、その思いが押し寄せて、また涙があふれる。
けれど蔑まれるのが嫌で、無理矢理、口を押さえ嗚咽を堪えた。
「…言え!早くっ!!」
速水はレオンを見上げた。
レオンは立って、速水を見下ろしていた。
「……ハー…」
レオンは長い吐息の後に、小さな舌打ちし、タイヤもガラスも無い車に腰掛ける。
「…俺は、はじめ、誰か殺して出れば良いと思ってた。俺はクランプと出会うまでは、そういう生活で、教育だったしな…。けど、ジャックに会って、ノアとベスを知って。それは馬鹿だって気が付いた」
レオンは、額を押さえる。
「…地下で、お前が、自分の契約書を見せた時から…俺たちは、ずっと誰が死ぬかでもめてたんだ…」
肩を震わせる。
速水が、ふらりと立ち上がった。
今度は速水がレオンを見下ろす。
…ああ、そう言えば、そんな感じだったな。
思い当たる節を思い出す前に、速水はそう思った。
「いや…。スクールにいた時に、お前が初めて起きた時に…俺は──俺たちは、お前が多分何も知らないって、分かってたんだ…!」
「何で言わなかった…?」
速水は言った。もっと早く分かっていれば。
「俺はお前に全部任せて、俺が死ぬ気だった。それで良いって」
レオンは無視し、一人で語っている。
「何で!!言わなかったんだ!!」
その瞬間、速水は殴られた。
「馬鹿野郎!!言えるかよ!!」
レオンが叫んだ。
殴った力は弱く、速水は倒れる程では無かったが、痛い。
速水は頰を触った。
──ベスはもっと痛かっただろう。
…ありきたりな自分の思考に、憤りを通り越しめまいがした。
「ベスは…何て言ってた?さいご、何か…?言ったのか」
自分が泣きながら、ははっ、と笑っている気がする。
「…潔い最後だった」
『ノア、私の家族によろしくね』
そう言って。
一瞬の出来事だった。レオンがノアを止めようとノアの銃を弾いた時には、もうその言葉が被さり、銃声が聞こえた。
これは和訳だ。
英語なら―。
私の家族に、ただいまって伝えて。
「―ぁああ、ぁあああ!!!!」
速水は膝を付いた。
今ほど英語が分からなければ良かった、と思った事は無い。
「彼女は、いさぎよかった…っ」
レオンが泣きながら、悔しそうに言う。
──ベス。
クイーン…。
皆が、騙される訳だ。
速水は、間違い無く…本気だったのだから。
…口が裂けても言わないが。
「レオン…。今から…始めよう」
速水は言った。
そして立ち上がる。
…多分、この世界は、平和にはならない。
俺が平和の為の組織を潰すから。
それでいいんだろ、ジャック。
「仲間の所へ、案内してくれ…」
〈おわり〉