第9羽 地上(前編)
気が付けば、ここへ来て九ヶ月が経とうとしていた。
「ああ…神よ、父なる神よ…ベスを守って…!」
ノアがベッドの上でクルスを握りしめる。ノアがクリスチャンなのは、孤児院──教会にいたときからの事らしい。
速水もノアの近くで無事生まれることを祈っていたが、さすがに仏にすがっても仕方無い。
とにかく、無事に…。母さんみたいにならないように。
「ノア、大丈夫だ。皆優秀だし」
速水はノアに言う。速水の旧友が用意した助産師や産科医はいかにもなベテラン。任せておけば問題無い。そしてどうやら、速水の旧友はイギリス人のようだ。
「ううう…」
ノアが唸る。
レオンも落ち着かないようだ。胆のすわった彼にしては珍しく、うろうろしている。
エリックも速水のそばで祈っている。
そろそろ生まれるかと思ったが、それからまた時間が掛かった。
四時間ほど後──。
速水は振り返った。
「──声」
「あっ!」
ノアが立ち上がる。
赤ん坊の、激しい泣き声が聞こえた。
しばらくして扉が開き、中から看護師が、父親を呼ぶ。
ノアは駆け込んだ。母子ともに無事──。
皆がほっとしたような歓声上げる。速水も立ち上がった。
──ベス。良かった。
速水は涙を流し、レオンにからかわれた。お前、意外に良く泣く奴だなと。
肩に腕を回され、少しうっとうしかったが、速水は嬉しかった。
「ハヤミ!来いよ!皆も!」
ノアが呼ぶ。
速水は個室の扉をくぐった。
ベスは時間こそ掛かったが、元気そうだった。
さすがに起き上がれないらしい。看護師が赤ん坊をくるんで隣のベビーベッドに寝かせたところだ。
「性別は?」
「女の子だ!」
ノアは速水に言った。じゃあ、エリザベスか。
「エリーか。可愛いな」
「エリー?じゃあエリーで!ベスでもいいけど!」
ノアは赤ん坊の呼び方でまだ迷っているようだ。多分、結局ベスと呼ぶのだろう。
「ベス、ベス…パパだよー」
もうすでにベスになっている。速水は苦笑した。
「…お疲れ様。君が無事でよかった」
速水は心から笑い、ベスに声を掛けた。
「…おおげさね」
ベスは苦笑した。ちょっと泣いている。
エリックもレオンも入って来た。
わいわいと狭い。あまった看護師が外に押し出される格好になってしまった。
個室にノアとベスと、ベテラン看護師達を残し、速水とレオンは外に出た。
「ふう、ホッとしたぜ」「ああ。よかったな」
レオンが息を吐いている。速水も同意した。
エリックは少し遅れて出て来た。
ノア達と話していたのだろう。
「エリック」
速水は声を掛けた。
「ハヤミ…」
「今までありがとう。子供、頼んだぞ。外に出たら、会いに行く。…本当にありがとう」
速水は言った。
手を差し出し、握手を交わす。
「…はい…。お嬢様は私が命に代えてもお守りします。お元気で…」
エリックは少し涙ぐんで、速水をハグし、プライベートな連絡先を伝え去って行った。
■ ■ ■
「いやもう可愛かった!!いいだろ!うらやましいだろ!ああっ早く会いたいな!!」
赤ん坊と離れた後も、ノアは、またガスマスクにのろけている。
実はノアの子供でした、と分かった時、と言うか…ノアがベスの復帰ステージでMCのマイクを奪って『俺とベスの子供が無事生まれた!皆、祝福してくれるよな!』と発表してしまったのだが―、観客が唖然としていた。
「何だ、皆信じてたのか?」
速水は笑って言った。てっきりばれていると思った。
しばらく後、なぜか大歓声が沸き起こった。騙されたぜ、とか大した奴だとか。
速水はMCに頭をかき回された。
順位は上々。
皆がやめろ、もっと休め!と言ったのにトレーニングを怠らず、完全復活したベスが入ってからは、負け無し。ずっと三人でやってきたので、かなり楽になった印象だ。
「ガスマスクの一人がね、今日おめでとうって言ったんだ」
ノアが笑った。
「お前、それは…もう子供のノロケは聞きたくないって事じゃ無いのか?」
レオンが言った。
今まで我慢していた分なのか、元からそうなのか、ノアはやたら話したがり。今では愛妻家で通り始めている。バカップルの間違いだろう。
…世界平和に必要なのは、きっと金やダンスじゃ無くて。
速水はおかしくて笑った。なんてありきたりな答え。
ウルフレッドには、そのまま、バカップルとでも言っておこう。
そしてまた呟く。
「もうすぐ、出られそうだな…。隼人、どうしてるかな」
「またか。お前、ホント…寂しい奴だな。ハヤトハヤトって」
ちょっとムッとした。
「隼人は、すごい奴なんだ。優しくて、完璧で!俺の恩人で…!かっこよくて!だから―……いや。まあ…」
速水は恥ずかしくなった。これじゃまるでノロケだ。
レオンとノアとベスが目を丸くしている。
けど、速水は隼人にどれだけ助けられたか分からない。
「一度、日本に帰っても良いか?」
速水はレオンを見上げて聞いた。
「ああ。もう帰っとけ。金があるからって、家とか作らずに戻って来いよ」
「なんだソレ」
速水は言った。
ノアとベスに笑われた。
■ ■ ■
…速水達が外に出られると決まったのは、一年と二ヶ月が過ぎた頃だった。
スクール時代を含め、約一年四ヶ月。
今、世間は十二月の頭。
ウルフレッドが報告して来た。
「ラストダンス、頑張ってね」
彼はそう言った。
最後のナイフ講座で答えを言ったら、呆れていた。貴方、馬鹿なのね。まあもういいわ。そう言われた。
見限られたのかも知れない。
『──でも、貴方の事、嫌いじゃ無いわよ』
ぼそりとそう言った。
その言葉に速水は一度振り返り、黙って立ち去った。
「さあ、今夜のエントリーは──!!ついにこのラストダンスが来たぜ!!」
MCがノッている。
メンバーを紹介する。やや誇張気味だと思う。
種目はブレイク。いつものバトルだ。
これで負けたら目も当てられない。…そう思ったが何とか勝てた。
大歓声、良かった。これで出られる。
一時はどうなるかと思ったが、声もすっかり止んだ。
──ネットワーク、最悪だが、そこまで悪く無かったのか…?
速水は一瞬そう思い、やはり駄目だと思う。
ここはどこまでも速水の考えと相容れない。
部屋に戻り、一時間ほどして運営のガスマスクが四人入って来た。
速水達は、何処かへ連れ出された。
おなじみの目隠し、今日は後ろ手の手錠。
──まともに、出られるのだろうか。
足音が遠ざかる。
「!おい?」
速水は立ち止まった。
三人と、今違う方向に別れた…!?
「おいっ。どこへ」
無理矢理歩かされ、そのままどこかの部屋に入った。
扉が閉じられる。
目隠しを外された。
ガスマスクが、速水の周囲を取り囲み、入り口にもずらりと並んでいた。
一人が進み出る。
「サク・ハヤミ。下を」
部屋の片面が硝子張りになっている。
「…!」
吹き抜けのホール。階下に、レオン、ノア、ベスが居る。
そしてガスマスク。
「ジョーカーからの伝言です。『よくがんばった。これが終われば晴れてお前達は自由だ。契約通りに、四人の内の一人を殺してくれ。いやなら、まとめて運営に入れ。その場合でも、報酬は支払うから安心しろ』──」
「―な」
速水は振り返った。何を言われたか分からなかった。
今、何と言った?
ノア達にも聞こえているようだ。
「『ただし、ジャック。お前はこのラストダンスに参加は出来ない。何でかって?俺が決めたからだ。ここで間違って死なれちゃ困る。だが、外に出た後はひとまず関与しない。どうしても死にたければ死んでも良い。あとノア、お前は俺の息子だ。立派に成長したな。嬉しいぜ。時が来たら迎えに行く』──以上です」
何を…?俺が―?俺を―…?皆が―?ノア?
「ふざけるな──!!」
速水は叫んだが、ガスマスク達が群がって来た。
取り押さえる為では無い。
窓のそばに立たせる為に。
銃が三丁、階下に運ばれてきた。
レオンが、真っ先に銃を取る。
「ばか!レオン!何でお前ここに来たんだ!!親父に聞いて!!知ってたんじゃなかったのか!」
速水はガラスに頭をガンガンぶつけた。ガスマスクが引っ張る。
ノアも。銃を取った。銃口を見つめ、銃を見つめ、自分に向けようと──。
「…っ、ノア!!やめろっ」
レオンがノアに銃を向け、銃を撃ち弾いた。ノアが銃を取り落とす。
火花が散って。
ベスが倒れた。
──え?
頭を一発、自分で打ち抜いて。
いま、死んだ?
うそだろ。
「ぁあああああああああああああ!!!」
叫んだ速水は、ガスマスクに引っ張られた。
押さえ込まれ、腕に何か刺さり、痛かった。
暫く叫び続け、また何か注射され、落ち着いた後、その部屋から出される。
階下にはレオンとノアが居た。
ベスは…?
「…ベスは…?」
速水は聞いた。そこに倒れているのは…?
ノアは、伏せて大声で泣いている。
レオンは膝を付いていた。
「ベスっ!!」
速水は駆け出し、ベスの横に座った。崩れ落ちた。
ノアがひたすらベスの名を叫んでいる。
拳銃が無い。回収されたのか。
速水はふらつく頭で考えた。
どうすればいいのかと。
──何も思い浮かばなかった。
■ ■ ■
呆然としたまま、速水は気が付いたら外にいた。
ここはどこか分からない郊外。舗装された地面。車が放置され。片側は寂れたアパート。
近くにノアと、レオンがいた。
速水達はたしかどこかで説明を受けて、現金、速水はパスポートと日本の通帳、ビザも印鑑も小切手帳も渡された。
携帯には穴が開いていた。
『「貴方がた」には選択権があります。マネージャーを希望しますか?仕事の斡旋もできますが』
ノー。
彼ははっきりしない頭で、そう呟いた。
夕暮れ。
カラスがガーガー鳴いている。
〈おわり〉