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第8話 ノア ②ワイルドカード /KRUMP

「…アンタに、頼みがある」

約一週間ぶりのナイフ講座。速水はウルフレッドにそう言った。


今、二人はナイフを手に、対峙している。


「あら?」

今日はゲテモノは赤白水玉模様の軍服に、赤いベレー帽を身に付けている。

そして肌は黄色にペイント。

相変わらずとんでもないセンスだ。


初めは一方的に切られるだけだったが…人間、生きるか死ぬかになれば何とか出来る物だ。

しかし速水はまだまだ全然、ゲテモノに敵わない。


…多分、ここで、今このゲテモノより強い人間はいない。



「俺がアンタに勝てたら――」

そう思った端から、速水は自分でも無茶だと思う事を言った。


今は出来る事は、全てやるしか無い。

…その後、自分がどうなろうと知ったことか。


俺は長生きできない。いつも彼はそう思っていた。




■ ■ ■




昼間からの夜、速水はようやくベッドに倒れ込んだ。


『―まだまだね。けど、結構良くなったじゃないの』

やはりまだ勝てない。

「…」

と言うか、本当に死ぬかも知れない…。



「また、派手に…」

エリックは呆れ気味だった。血を拭くためのハンカチを速水に渡す。

「浅いから大丈夫」

ゲテモノは一応加減しているし。ダンサーだからと、顔や見えるところは傷付けない。

…もうこのくらいの切り傷は当たり前になってしまった。


が、この先…ナイフなんか使うのだろうか…。俺は何処へ向かっているんだ?


速水は自分の選択を少し後悔していた。

そしてとりあえず、ジョーカーをぶっ飛ばす為という事にした。


「なあ、エリック」

速水は何とか起き上がって、エリックに話かけた。


「エリックって、前はジャックと居たんだよな」

速水はエリック本人から、先代ジャックを世話していたと聞いていた。

「ええ」

ここへ来てからも、エリックはパンストだ。

「どうしてジャックのマネージャーにならなかったんだ?…何か事情があるのか?」

外へ出る時は、世話役はマネージャー兼監視役になるのが通例だ。


「…私は希望しましたが、外されました。ある計画に関わりがあったので」

「?…計画」


「すみません、この計画については…継続中なので、お話は出来ないんです」

エリックは申し訳無さそうに俯いた。

「いや…」

エリックも運営の人間だ。言えないことはあるだろう。


「ハヤミ」

治療を終えたエリックが、速水に話掛ける。

「何だ?」

速水はTシャツを着ながら答えた。


「ウルフレッドとあまり関わるのは、止した方が…」

そう言ってきた。


「何でだ?」

速水は聞き返した。

「――私はあの犬が嫌いです」

どうやら、個人的な感情らしい。しかしハッキリ言う。

「犬?」

速水は聞き返した。


「ええ。ウルフレッドはジョーカーの犬で、いつもジョーカーにしっぽを振ってるので、あまり相手になさらないように」

やはりキッパリ言う。

…生理的に無理です、とエリックの顔に書いてある気がする。


「―あ」

速水はピンと来てしまった。


ウルフレッドがジョーカーの犬だというなら、エリックの感情は…同族嫌悪か?

何となくだが、速水に対するエリックも犬っぽい。

…言ってみようか?と速水は思った。

ちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまった。少し微笑む。


しかし速水は『エリック、同族嫌悪なのか?』とストレートに聞くのが憚られるくらいには、エリックを気に入っていた。


「…分かった。そうする。エリックはジョーカーを知ってるのか?」

なので素直にうなずき、違う事を聞いてみた。苦笑気味なのは仕方無い。


エリックは少しバツが悪そうだ。…嫌悪感の正体に気が付いているのだろう。

速水に言い含めたのをちょっと後悔しているのか、コホン、と軽く咳払いをした。


「…私は、まだ一度もジョーカーに会った事はありません。運営の中でも、ジョーカーに会えるのはごく数人なんです。幹部とそれに続くトップが絶大な権力を振りかざし、それをジョーカーがキングのように支配する――それがグローバルネットワークです」


キングのくだりは、やけに回りくどい表現だった。

速水は変わった言い回しをするな、と思った。


エリックは続ける。

「ウルフレッドはトップの一員です。しかもジョーカー直属の…。ですから、自由が利き権力も強い…」


それにしても、エリックは良く話してくれる。


「…エリックは、俺に協力して大丈夫なのか?結構、俺の我が儘聞いてるけど」

速水は尋ねた。

…かなり無理を言ってきたと言う自覚はある。


速水の問いに、エリックは楽しげに笑った。

「私も、末席ですが…。…先代ジャックの功績で少し自由が利きます。世話役は、自分の担当者の功績によって、待遇が上がりますから」


「つまり、エリックもトップの一員か?」

速水は少し驚いた。

「ええ…本当に端の端ですけど」

だから、強い希望通りに選ばれてこちらに来た、と言っていた。

…要するに速水を追ってきたのだろう。

「ふぅん…」


「―ですが…、それすらも…奴らの手の内でしょう。…何をたくらんでんでいるか、分かりません。お気をつけを」

エリックが、子供に良く言い聞かせるように、ゆっくりと言った。


「…そうか。ありがとう。今日はもういい」

明日はまたステージだ。


「はい。ではハヤミ。おやすみなさい」

エリックがカーテンを閉めて出て行く。


エリックは運営の一員だが、速水は彼を信用すると決めた。

それは比較的最近のことでスクールにいたときでは無く、こちらに来てから。


これまで何となく、そうかなと思ってはいたが…確信が持てなかったのだ。


■ ■ ■


速水は笑っていた。ジャックらしくにこやかに。


今回のバトルはKRUMP(クランプ)だ。


ダンスの種目により、会場の造りが違う事がある。

クランプダンスの会場はブレイクダンスのショー会場に比べやや狭めというか、観客との距離が近い。


バトルスペースは一階で、ダンサーはそこで踊る。

一階のバトルスペースのすぐ周囲…スペースからせいぜい二メートルほど離れ、観客達がビッシリと座り。

吹き抜け三階建で、二階、三階、と四角く取り囲み、一階を見下ろす事ができるようになっている。

…上の階の欄干とか、そんなに体重掛けたら危ないんじゃ無いか?人も詰めすぎだ…速水は初めて来た時にそう思った。


そんな造りなので、ダンサーに触ろうと思えば触れる。当然厳禁だが。

一度ベスの身体に触った男を、速水は派手に蹴り飛ばした。

イかれてる、そう言われた。


速水はにこやかに微笑む。ジャックらしくにこやかに。


バックヤードからのぞく。


「…おお、今日も満員だな」

レオンが口笛を吹く。

レオンは元々クランパーなので、こういう雰囲気が好きなのだろう。

クランプは黒人文化と密接な関係がある。

しかし、レオンは白人だ。

レオンは、十歳から兄と共に路上生活をし。その末に唯一無二の踊り――KRUMPにたどり着いた、そう語っていた。

…色々あったのだろう。


「さ、向こうはどんなのが出て来るかな」

相手の入場は反対側からだ。姿は見えない。

速水達は、対戦前に相手チームのデータを見たりはしない。

相手のダンスを見ても、全くの無駄だからだ。

出たトコ勝負。一回限りの衝突。終われば負けか勝ちか、引き分けか。

セーフかペナルティか―それだけだ。


がーーーーーーーーーーーーーーーー!!

と大歓声が起きる。ワーなのかも知れないが、ビリビリと色々混じりそう聞こえる。


「―よう、豚野郎共!!今日のエントリーは注目の一戦だ!」

MCが相手チームの紹介をする。順位が上の方からの入場になる。

相手チームが入る。

相手は中々、強そうだ。…大きいという意味だ。

黒人二人、白人二人でクイーンは白人。彼女はジーンズに白いタンクトップ。金髪ポニーテール――なかなかの美女だ。


「―さあ、行くぞ」

レオンが速水の肩を叩いた。


「―ああ」

「殺ろうぜ」

ノアが言って進み。速水もレオンも歓声と怒号が渦巻く場所に入る。


五月蠅い。けど、嫌いじゃ無い。

速水はにこやかに笑った。


その笑みに、わーーーーーーーーーーーっ!!

きゃーーーーーーーーーーっ!!と大歓声が起きる。


これが自分に向けられた物だと、たまに速水は信じられない。


コインが投げられた。



「先攻だ!」

レオンが叫ぶ。

「バトルの組み合わせは――、よし今日は、ジャックVSジャック、キングVSキングで行こうぜ――、説明不要だしな!順番はシャッフルだ!」

MCが言って、頭上の画面に、即座にシャッフルされた対戦順が表示される。

一人が二ラウンドずつ踊り、一ラウンドは三十秒。敵と交互に踊り、合計一分という短い時間で踊り切る。

一ラウンド毎にジャッジがあり、2WINで勝ち。一、一の場合はアンコールで三ラウンド目。そしてまだドローなら判定となる。


「おい、リピートは誰だ?」

MCに聞かれた。こちらは三人、相手は四人。一人足りない。


「俺が行く」

速水は静かに言った。

その声が認証されK、J、A、J -VS- K、Q、A、J―と画面に表示される。

「チッ。…任せた!」

レオンが言って、先に中央で踊り出す。


クランプ――。このダンスはいくつかのスタイルに分類され、踊り手は自分の求めるキャラクターによって、ダンスのスタイルを選び取る。

全てにおいてオリジナリティが優先され、人のスタイルをそのまま真似る事は、最低最悪だとされる。

つまり、ダンサーの個性が大事なダンスなのだ。


同じムーブをしても、誰一人として同じ動きにはならず、腕の上げ方や振り幅などに、微妙な差異がある。


ブレイクよりも、全体の動きは早い。ブレイクを1とすれば、3くらい。

ダンサーは観客の盛り上がりに合わせ、自分が思うままに動きを早めていく。

――思うままと言うか、自分のエクスタシーのままというか―。


基本は、ストンプ――足を強く踏みつける動き。

チェスト・ポップ――胸を前に突き出す動き。

アームスイング――腕を振り下ろす動き。この三つ。


しかしその基本の動きですら踊り手の個性が出る。

例えばアームスイングの振り上げが大きかったり、そこまででも無かったり。


そしてこの基本の動作に、各人のコンセプトやキャラクターが付随していく。

いくつもの技やムーブもある。

股間をなで上げるような動き、床を殴る動き、ヘッドバッド、キック。

喧嘩をイメージした人を殴るような動き、蹴る動きそれをダンスのムーブに昇華したり。倒れ込んだり。

ブレイクの得意な者が踊ったら、きっとブレイクの動きを取り入れるのだろう。

…が、これだって、同じムーブを選択しても皆それぞれ流儀が違う。


――踊り手は自分の高ぶりを、とにかく全力で踊りに変え、感情を高め一気に『爆発』させる。…『爆発』というのは、要するに感情に任せたとんでもない速さのスピードアップだと思えば良い。


猛スピードでの踊りの中でも、動きは絶えず変化する。

踊り手は曲の盛り上がりと共に、感情を解放し自分だけのムーブを一気に繰り出す。

ひたすら狂ったようにステップを踏み、その中にテクニカルな足技を取り入れたり。

床を使う気の無いダンサーも居れば、逆に頻繁に使う者もいる。


そのスピード感は、他に類の無いクランプ特有の物だ。


それが全て感情のままだというのだから、踊っているダンサーはまともでは無い。

が、感情にまかせすぎ、熱くなりすぎ自分を見失う事もあり―、それが敗因の一つだったりもする――。


レオンは微笑み、ラブとピース――そして攻撃的な、派手な足裁き。それでも面白い動きを忘れない。底知れぬ感情。

これがレオンの『キング』のキャラクターだからだ。

彼は、キングでない時代は、よりハードで無骨なスタイルで踊っていたらしい。が、それは昔の、飾っただけの自分だったと苦笑する。


一つの事を伝える時間はたった三十秒、カウント切れと共に相手のキングが躍り出る。

KRUMPは、神聖な踊りと言われる。言ったのは踊っている者達だ。


双方のキングのダンスが終わり。ジャッジがボタンを押す、オーディエンスも。

一瞬で集計され――勝者レオン。1WIN。

レオンの仲間―ノアが押さえた快哉を上げる。

まだもう一ラウンドある。レオンが踊る。


大歓声が先程から止まない。観客が大興奮しているのだ。


そして。2WIN・レオン。

「よっっっし!!」「やったぜ!」

ノアが快哉を叫び、レオンとハイタッチする。


結果が出てすぐ、電子音とカウントダウン。



3、2、1、速水は進み出、踊り出す―。


ブレイクが得意な者は、ブレイクの動きを取り入れるのだろう――だが、速水の動きはそれでは無い。

テンポの早い曲がかかっている。五月蠅くて重いリズムの心地よい繰り返し。


スタンディングで足を開き、腕を振り上げ顔を逸らし振り向き。

背を曲げ身体をひねり、恐ろしく早く力強いステップを踏む。にこりともせず真顔で踊る。

そしていきなり笑う。これは速水が持つ『JACK』のキャラクターだ。

「相手が誰だろうとぶっ殺す」そうダンスで語る。


その間上体は絶えずチェストホップ。揺さ振られ、腕は何かに抑圧されたように激しく動く。時折泣いているような腕の動き。

頭を抱え倒れる様にし、倒れず、手足は動きを止めず素早く前に進み、腕は左右に開かれ引き絞られ起き上がり何かに持ち上げられ―。

まるで自分が殺されたように地に伏せ飛び起き笑って手を振る。キル・オフス―。

ここでぴったり三十秒。


大歓声が上がり、相手のクイーンが飛び出す。


彼女の長い金髪がなびく。彼女はそんなに怒らないで?坊や、と受け流そうとする。

下肢を小刻みに動かし両腕をクロスし振り回す。両足を一気に広げ股割りし、バウンドする。

立ち上がりさらに奇声を上げ、身体を反らし腰を振り、腕を振り下ろし―ハイスピードでハイになる。


観客は興奮し、速水の次の三十秒が始まる。


何をする気なのか、俯いたまま体を揺らす…。

次第に体のパーツが分解された様な動きが混じる。

クイーンを視界に捕らえ、半身回転させ腕を突き上げ殴る。

もちろん実際に殴るわけでは無い。


――始めて彼が踊ったとき、悪魔と言ったのはMCだ。

彼の踊りは恐ろしく、…怖い。

彼の幾つものオリジナルムーブが、人の所行とは思えないのだ。


もはや目で追えない速さのステップ、アームスイング。


一体何の恨みがあるのか。そのどれもが限りなく攻撃的で、クレイジー。

激しい怒り、その中にギリギリの理性が同居しせめぎ合う。

これがクランプダンスとして成立してしまっているのは、『ジャック』のキャラクターのおかげと言える。彼にしか出来ない、唯一の踊りに観客は熱狂する。

わーわー騒ぎ、ジャック!ジャックーーーーー!と悲鳴を上げる。

相手チームをダンスで全員始末し、ぴったりとカウントエンド。

ジャックは何処までもクールだ。


「―ははっ!相変わらずイってるな!」

ノアが手を叩いて速水を迎え、手を差し出す。

速水は息を切らし、軽くノアの手に触れる。


そして相手のクイーンがまた踊る。

腕を大きく広げ、振り上げ。腕を逸らし、ダイナミックに胸を突き出す。

足を開きステップを踏み、リズムを取る。先程よりノっている。


―ジャッジ、勝者―JACK。2WIN.


わぁあああーーーーーーーー!!!と言う勝者をたたえる大歓声が上がる。

速水は快哉を上げ、相手のクイーンと一瞬ハグをし、すぐ下がる。

最高だ!と言う声が聞こえる。

誰もがここが地下だと言うことを忘れている。声の嵐。


―2、1、インターバルカウントが切れ、ノアがパッと飛び出す。


ノアの踊りはファニーなスタイルを一択。ラギット混じりのレオンよりさらに超が付くほど快活。悪魔と言われる速水とは真逆の個性で、目を他に置けないエンターテイメント。

―――ノアは何でも勝手に、自分のスタイルに昇華してしまう。


これはクランプなのか!いや、コレもクランプだ!もうソレで良い!!

ファニー・ノア・スタイルでもう良いじゃないか!ジャッジが言う。


まだ生まれたての、進化途中の新しい踊り――それがクランプ。

ジャッジ、―勝者、ノア。


「やった!!!」

ノアが笑う。

「よし!」「やったな!ノア!」

レオンと速水は歓声を上げた。ノアをねぎらう。


そして二ラウンド目はドロー、その後三ラウンド目でノアが勝利。


そして最後の組み合わせ。

でかい―。皆が思った。

相手のジャックは黒人で、…でかかった。


クランプは、動きの激しさと力強さ―ダイナミックさが物を言うダンスだ。

例えば、十歳の子供と大人では、大人の方が明らかに有利になる。


ジャッジが物申した。さすがに体格差がありすぎると言うことらしい。


「ノー、大丈夫だ、行くぞ!」

ヒァウィゴー!速水は言った。

「おう、やろうぜ!」

ジャック同士が笑って同時に踊り出す。コレだからダンス馬鹿は!審判は天を仰ぎ観客は続けろと大声援を送る。


速水は激しくステップを踏み感情を込める。


――俺がしたいのは、いつも同じ事だ。

クランプでも、ブレイクでも、タップでも。


速水のダンスにはノアのような快活さは全く無い。

どこまでも暗く、鋭い。


再びわぁあああーーーーーーーー!!!と言う大歓声が上がった。

皆が速水を見ている。


相手の踊りがかき消されるほどの。

「ハヤミ…、全く―」

レオンが、にやりと笑った。



■ ■ ■



「…最高にBUCKだったぜ!キング」

バックとはクランプの用語で、精神的な高揚状態の事だ。

「ああ、そっちもな!」

勝敗が決まり、相手のキングとレオンがお互いにたたえ合う。


「お前、すげぇな。今回は負けたぜ!」

相手のジャック―黒人で速水よりでかい――が速水をハグする。

「アンタも良かったよ。またやろう」

速水も笑って彼をたたえる。

JACK VS ジャック。

一度目、同時での踊りは速水が勝ち、二度目は相手のジャック。三度目は結局ドロー。

そして判定で速水の勝ち。…最高に手強い相手だったが、最高に楽しかった。


まだ歓声は鳴り止まない。

「噂のJACKに会えて良かったわ」「サンキュー」

クイーンに手を差し出され、速水は握り返す。


その隣で、「さあ、ペナルティバトルだ!」「ああ、行くか―」と言う敗者の弾んだ声が聞こえる。


何か間違っている。速水はいつもそう思う。代わりに、にこやかに笑う。

大歓声に押されるように、レオン達は観衆に手を振り会場を後にした――。


■ ■ ■


「お帰り、みんな!」

ベスが笑顔で出迎える。彼女は端末でライブを見ていた。


「ただいまベス!」「最高だったね!」「ああ」

ノアとレオン、そして速水が部屋に戻る。

目隠しが取られる。手錠が外される。ガスマスクはお役ご免だ。

移動の最中も会話は弾んでいた。


「凄かったわよ!もう、最高!」

ベスが跳ねる。ノアの頰にキスし、速水に抱きつく。

「こら、ベス、あまり跳ねるな」

レオンが注意する。彼の表情も明るい。


レオンが椅子に座り、いつもの様にデータを確認する。

ベスが早く見て見て見せて、と言わんばかりに椅子に座り、ノアと速水は端末を後ろからのぞき込んだ。ベスはレオンの隣に座った。

「おお、…凄い金額だな」

レオンが呟く。

一度のショーで、日本円にして約十億八千万円の貯金。

賭けられた金額はもっと高いのだが、その一部でこの金額。これがチームの貯金になる。


「今日は客の入りが良かったよね。多分ハヤミのスポンサーはいなかったけど。えっと、これで何勝だっけ?」

ノアが左を見て速水に聞く。速水のスポンサーが居る時は金額が跳ね上がる。

「十六勝。まだまだ足りないな」

速水が端末を見つめたまま返す。


「ハヤミ、きゃーきゃーって、凄い悲鳴だったね」

「ノアもな」

速水は苦笑する。

メンバーになり、お気に入りのダンサーを見に来る女性も多くいる。もちろん金持ちだ。


この部屋のスペースは入り口から見て、入って左が速水、その奥の個室がベス。

入って右がレオン、右奥がノア。

各スペースの間は間隔が空いていて、カーテンを閉めれば、本当に申し訳程度だがプライバシーが保てる。

…まさしく、病室のような造りの部屋だった。

違うのは、入り口から右手奥に、扉が二つあって、その先にシャワーとトイレがある事くらい。


「さて、今日はさっさと休むかな。明日からはまたショーの練習。大詰めだ」

「いつも思うけど、ブレイクショーあると、せわしないよね」


「さて、俺!先風呂入る。ハヤミは?」

ノアが言った。


「ノアの次に入る。レオンは後」「げ。…まあいい」

「ならお湯張っとく」「サンキュー」


「じゃあ私は、中にいるわね」

ベスが個室に入る。

彼女は男達の裸…主にタオル一枚でうろつくのはレオンだが…、をあえて見たくないらしく、ラッシュが始まるといつもそうしていた。速水としても助かっている。


レオンが冷蔵庫を開ける。中にはチョコレートとミルクとミネラルウォーター。

スクール時代より充実している。棚にはコーヒー豆とコーヒーミルもある。


「ん、お前水飲むか?」「貰う…喉渇いた。暑いな」

速水は、レオンが冷蔵庫から出した真新しいボトルを受け取り、蓋を開けてゴクゴクと飲む。

レオンはシャツを脱いで体を拭いている。

速水もボトルを置き、タオルで汗を拭く。いつもの事だが、汗だくだ。


速水はタオルをテーブルに適当に置き、端末の前の椅子に座った。

端末は先程から放置されたままだ。

「…」

スリープになった画面を起こし、しばらく操作する。


今、画面には『Fam No.238』と表示されている。

ファムはFamily。ここではチームと同義で使われる。


K(L) …Lronardo (US)  age25

Q   …Elizabeth(US)  age21―now rest

J   …JACK (──)   age18

A   …Noah (US)   age17


データは年齢順に並んでいて、Lはリーダー。

名前をタップすればメンバーのプロフィールが表示される。

他のチームのデータも閲覧が可能で、順位順に並べ替える事も可能だ。


プロフィールには適当な顔写真が添付されている。

しかしこれは人物によって更新がまちまちだ。例えばレオンとベスはすぐ写真がアップされていたが、速水とノアはまだ何も用意されていない。速水に至っては元が誘拐なせいか名前も、国籍すらない。


速水はその画面を、下へとスクロールし、ドルを日本円に換算する。


『順位…96/242

勝ち17・引き分け3・負け2

勝率…7.65

プール金(貯金)…約186億円

一人頭支払い金…約5億3000万円』


──またチームが増えたな…。今96位か…かなり良いと思う。

けれど、まだまだ、出られない…。

「ハァ」

速水は溜息をついた。


「何だ、また溜息か?お前いつもそうだな…」

レオンがそんな速水を横目で見て言った。


「早く、ここから出たいな…」

速水が呟く。

「って言っても、この調子じゃあ…あと一年はかかるぞ?…おお。こりゃあお前も、出たら大金持ちになれるな」

レオンが横から分け前をのぞき込み、にやりと笑う。

「別に、金は良いから…俺はとっと出ないと──。……隼人が心配する」

速水は口癖のように言った。

「またハヤトか。…お前やたらソイツにこだわるな…まさか…」

レオンが、ゴホンとわざとらしい咳払いし、言葉を濁した。


「別に、普通だろ」

速水は首を傾げた。隼人は親友だし、当然だ。


「お前…普通か?──、まあ、俺には関係無いか。と言うか…お前、家族は?」

レオンが聞いた。

「家族?」

速水は聞き返す。


レオンが左隣の椅子を引き出し、速水のすぐ隣に座った。


「もうすぐ半年だろ。…そろそろ騒ぎ出す頃じゃないのか?運営がごまかしてるにしても」

レオンは気遣わしげに速水を見た。


「俺はダンスする為に、家出してたから。…多分知らないし、騒がない」

速水は答えた。

「ああ。言ってたな。…そんなに仲悪かったのか?」

「悪いってほどじゃない」

速水は返した。


「家族構成は?親父とか、母親、とか元気なのか?兄弟はいるか?」

レオンがさらに聞いてくる。

「?何だ、いきなり?」

速水は訝しんだ。

「いや、この際だし聞いとこうと思って。…お前、何でダンス始めたんだ?実際、かなり出来る方だと思うが…確かブレイクが六、七歳からって言ってたよな。その前はニホンブヨウだってノアに聞いた。ノアは日本語できるくせにそういうのは知らん。…まあ仕方無いんだが」


…そう言えば、速水はスクールにいた頃、ノアに日本舞踊をやっていたと言ったことがある。

その後速水とは会話がうやむやになったので、ノアはレオンにどんな踊りか聞いたらしい。

日本舞踊は母親が師範だったからやっただけで、覚えたのも触りだけだ。


「…ノアは日本語できるのか?」

「ああ。聞くことと、片言で話すくらいは。漢字で挫折した」

ノアは幼少から外国語を幾つか覚え、日本びいきのジャックと一緒に日本語を少しやったらしい。

当時を思い出したのか、レオンが笑った。

「で、きっかけは?結構早いが、ブレイクのDVD見た、とかか?」

その表情のまま聞いてくる。


「別に…たまたま友達がブレイク始めて、それにくっついて」


「何?お前──友達いたのか!!?いや、それもハヤトか?」

レオンが大げさに驚いて言った。


「…違う」

速水は呆れた。なんで隼人が踊るんだ。うっかり想像した。


それに友達居たのか?って──さすがに小学校当時の知り合いで、今は連絡も取っていないが、ゼロという訳は無い。まあそれも…。

「友達ってほどじゃないな。もう連絡も取ってないし…」

速水は言った。


…喧嘩別れに近い形で、その知り合いはダンス教室を辞めた。

が、別に彼は辞めなくても良かったのでは──?悪いのはこちらだし。

速水はそう思っていた。

──まあ、もう過ぎた事だ──。


「なあ。俺は、初めてお前のクランプ見た時から思ってたんだが…、お前、ブレイクより、クランプの方が向いてるんじゃ無いか?」

思考に沈む速水に、レオンが言った。

「──?え」

意外な事を言われ、速水はレオンを見た。


「いや、ブレイクもプロなだけはあるが。お前にはブレイクみたく決まった型のある踊りより、もっと感情を出す踊りの方が何となく、しっくり来るような…。まあ…要するに、本格的にやってみないかって話だが…──」

レオンは、何気ない感じで、あさっての方向を向いて喋った。

そして向き直る。


「ハヤミ。…ここから出たら。…俺の仲間達がいる街に来てみないか?皆、いかついが、ダンス好きのいい奴ばかりだ。俺のクランプの師匠もそこにいる」


速水の目を見て、レオンは言った。


レオンはさらに続ける。

「別に、クランプでどうこうしろって訳じゃ無いが、…外で色々すっぽかしたなら、しばらく業界から干されるだろうし、代わりに金には困らないだろうし。…折角こっちに来たんだ。いっそこの国…アメリカでやってくってのも、面白いんじゃ無いか?──あ、旅券が無いか?」


「ここで…やってく?」

速水は驚いた。そして少し考えた。


──このままアメリカで踊る?

本場でダンスととことん向き合い、自分のダンスを磨く…。


意外な誘いだが…それはそれで…楽しそうかもしれない。


…となると、問題は確かに、旅券…つまりパスポート。

そう言えば家に置いたままだな…、が、それは宇野宮を脅せば何とでもなりそうだ。

誘拐なら便宜も図られそうだし。いざとなれば一度強制送還してもらって?

長期滞在するなら、ビザもいるか?日本領事館に駆け込んで―、いや、それは少しマズイか?それに、こんな所で審査に×が付くのはいやだな。事情を説明するのも煩わしい。

出る時パスポート渡して貰えるか、エリックに聞いてみようか──。


「―けどあそこには、そう言うやつらもいるし。俺の親父のせいで警察は来られない」

「ん?」

速水は単語を反芻した。先程の思考は日本語で行っていたので、少しタイムラグが出来てしまった。実は単に聞き逃しただけだが。


「レオン?」

何か引っかかり、速水はレオンを見た。

…親父のせいで?


「レオンの親父って?飲んだくれじゃないのか?確か、ここを出て酒、暴力、ドラッグに溺れた、元キング…」

速水はスクール時代にレオンから聞いた、知っている事をつなげ呟いた。


「…まあ、簡単に言うと…マフィアのボスだな──片田舎の」

レオンは、とても言いにくそうに言った。


「な…。マフィア!?…レオン、お前?」

速水は目を丸くして驚いた。

「…俺も色々あったんだ」

彼は溜息をついた。

そしてゴールドのネックレスをいじる。


「まあ、もう言うが。俺は十で兄貴と飛び出して、…結局、親父の知り合いだった師匠―もちろん黒人だ―に拾われ、クランプを覚えた…色々って程でも無いな。その後、映画に出て、兄貴が居なくなって、親父を問い詰め、ネットワークの存在を知って──気が付けばここに来て、金持ちの為に踊ってた」

「はぁ…」

ノアもそうだが、中々ドラマチックな過去だ。


レオンは目を伏せた。


「ハヤミ―俺の言いたいことが、分かるか」

彼は酷く押さえた声で言った。

速水に言い聞かせるような口調だった。


「―」

速水はレオンを見た。


レオンは表面は静かだが…。全身から伝わってくるのは、激しい怒り。

本番前のレオンは必ず、厳かな祈りを捧げる。

その態度からして…おそらく、レオンは、ダンスを神聖な物と考えている──。


「おまえ…?まさか」

速水はレオンを見た。

「ああ。俺は、ネットワークを潰す」

レオンが予想通りの事を言った。


グローバルネットワーク、その強大さは計り知れないのに。

レオンは凄い事を考えるな…。速水はそう思った。


「だから。お前の力を貸して欲しい」


いきなり言われ、速水は呆然とした。

「…俺の…力?」


「ネットワークはでかすぎて、俺の仲間達だけじゃ無理だ。が、お前のスポンサーがいれば…。違うな」

レオンは速水の両肩をしっかりと掴んだ。そして揺さぶる。


「お前がいなきゃ、この組織はつぶせない、俺はそう思ってるんだ」

「おいちょっと待て!?」

強い調子で断言され、速水は顔をしかめた。


「何でそうなる…!?」

至近距離でレオンとまともに目が合い、顔をそらす。


「何だ、いやなのか?何でだ?お前だって好きなんだろ?」

ダンスを。

「いや、それはそうだけど、いきなり言われても…俺には―そんな、こと…」


がたん、と物音がして速水はそちらを見た。

「あー…俺、今出ても良い?」

ノアは扉の隙間からうわーと言う顔をしてこちらを見ている。何か誤解したらしい。


速水は慌てた。というより呆れて言った。

「違う。とりあえず戻れ!」

ゴーバック、と速水は言った。

「え゛っ。…ったく。ハヤミの馬鹿!アホ!…ックスが終わったら呼べよ?」

戻れと言われノアは文句を言いながら戻った。

別に本気で誤解はしてないが、捨て台詞という感じだ。


「レオン、ノアには話したのか?…あと手どけろ。重い」

速水に睨まれて言われ、レオンは肩から手をどけた。


「ノアはなぁ。ベスの事があるしな…そっとしといてやりたいって気も」

「ハァ…」

速水は溜息をついた。

レオンはノアを巻き込むのはどうかと思っているらしい。


「そんなの、黙ってたら怒るだろ。俺たちはチーム?なんだから」

言って、速水はさらに溜息をついた。


チームか…。

ここへ来て約四ヶ月少し…、スクールも含め、約半年。

誘拐され、面倒な事になったとは思っていたが──。


速水は立ち上がった。着替えを持ち、風呂場の扉をノックする。

「ノア、もう出て良いぞ。レオンが話があるって。後ベスにも。俺は風呂に入る」

「あ、もう終わったの?」

ノアが屈託無く笑う。

──確かに、ノアは悪い奴じゃない。素直過ぎる気もするが。


「おい、ハヤミ!」

「返事は保留。それとお前、いい加減シャツ着ろ」


レオンは、ずっと上半身裸だった。


■ ■ ■


速水はシャワーを浴びながら考えようと思ったが、とりあえずバスタブでリラックスしてしまった。…大分疲れている。

風呂から上がり、髪をぬぐい、しばらく鏡を見ていた。

…三人の中ではノアが一番器用だったので、ハサミで毛先を少しカットして貰った。


薄い扉の外ではレオン達が何か白熱した様子で言い合っている。

『―だから』『―でも』『―じゃない』『おい』『いや―』

もちろん、ほとんど聞き取れない。


速水はやたら音のうるさい大きなドライヤーで生乾きの髪を乾かし始め、六、七分ほどで乾かし終えた。

部屋に出ると、皆が居なかった。

どうやら速水が髪を乾かす間に個室に移動したらしい。

速水は訝しんだが、とりあえず先に眠る準備をする事にした。


しばらく軽いストレッチや身繕いをして待っていたが、一向に出てこないので、勝手に電気を消して横になった。



■ ■ ■



「…」


レオンは、嫌な予感がした。

と言うか、この部屋の全員。


速水がいつもの時間になっても起きて来ない。カーテンは閉まったままだ。


昨日のステージは大成功だった。

レオン、ノア、速水。

格上相手に、レオン達は一人足り無いながらも勝った。


大歓声の中の終焉──。


が、これはいただけない。


「ねえ、ハヤミ?起きてる」

ベスがカーテンの側に立ち、遠慮がちに聞いた。

「…悪い、エリックを──」


そら来た。


「ハァ…」

コンコン、とレオンは外への扉を中から叩く。

扉の外には常時ガスマスクが居て、用があるときはこうする。


「おい、エリックを頼む」

投げやりに言う。



「―ハヤミ!」

しばらく後。ドアが開き、エリックが文字通り駆けつけてきた。


どうやらすぐ近くに部屋があるらしく、いつも素早い。入ってすぐ左側、カーテンで仕切られた速水のスペースに入ろうとする。勝手に入って良いのはエリックだけだ。


「申し訳ありませんが、個室でお待ち頂けますか」

エリックは言った。


「別にいても良いんじゃないか?」

「すみません。ついでに少し、彼と内緒話がしたいんです」

いぶかしがるレオンにエリックは笑って言った。


「ハァ…」

「全くもう」「大丈夫かしら」

皆、溜息をつきながら、ベスは心配しつつ、クイーン用の個室に入る。


「悪い」

五分ほどで速水が個室をノックし開けた。

「エリックは?」

「帰った」

そう言う。全く普段通りで、エリックと何か画策しているだけではないか―?

一瞬そう思える。


「お前、前もあったよな」

実はアンダーに来てから速水が倒れるのは、二度目だ。


一度目は、初ステージでクランプをして、大歓声の中、バックヤードに戻った直後。

ガクリと気を失って倒れた。

エリックが慌てて拾って部屋で寝かせた。

ステージで興奮しすぎたせいだろうと皆気にはしなかったが…。


「スクール時代をあわせて三回か。ん?…まあ、別に多いって程でも無いか?」

レオンは、指で数えて言った。


「ああ。別に、ただの風邪だし、今日寝てれば直る」

速水はカーテンの奥に消えた。



■ ■ ■



「レオン、話がある」

夜、起きたらしい速水が、カーテンから出て来た。

ノアは『呼び出し』を喰らってしまい今はいない。


「何だ?昨日の返事か?」

レオンはベッドフォンをずらし速水を見た。

「いや、違う」

速水は否定した。


今はサイフォンは、部屋の隅の棚に移動させて、その代わりにラジカセが置かれている。


一応ここでは音楽関係の道具やCDは言えば自由に貸して貰える。

このラジカセはもうずっと部屋に置いたままだ。

編曲に関してはそれ専門のスタッフがいて、そいつらと設備のある部屋で協議する。


速水は、テーブルの上にある、編曲されたラベルの無いCDを見る。

「これ、次のか?」

ぱか、と速水はラベルの無いCDの蓋を開け、また閉じてテーブルに置いた。


「ああ。昼間出来上がった。聞くか?」

速水が寝ていた間だ。持って来たのはガスマスク。

「後で聞く」

速水はいつも、CDを自分のスペースに籠もって聞く。

「で、話って?」

「ああ。情報の共有」

速水は自分のスペースから五、六歩すすみ、椅子を引いてレオンの向かいに腰掛けた。


「情報って、なんだまた何かあるのか」

レオンが適当に聞く。


「あるって程じゃないけど。ベスも呼ぼうかな」

速水は立ち上がり、振り返ってベスの個室の扉を叩いた。


「ベス、ちょっと良いか?」

速水に呼ばれ、ベスが出て来る。

「何?」

「少し話がある」

「…今じゃないと駄目?」

少し不機嫌そうだ。…ノアが呼び出されたからだろう。

「ああ」

速水は、すこし申し訳無さそうに頷いた。


「わかったわ…」

そしてベスと速水がテーブルに付く。当然速水はベスの為に椅子を引いた。


「あら…新曲ね。…それで何かしら?」

ベスが右隣の速水を見る。


「エリックについて。レオンは何で俺がエリックを信頼してるかって聞いたけど」


「―エリック?」

唐突に言われて、レオンは訝しんだ。

速水は続ける。


「今朝、本人に確認した。──エリックは、サラの旦那だ」


速水の言葉に、ベスがはっとした。

「やっぱりそうだったのね…」

そしてそう呟いた。


速水は微笑した。

「多分、ベスは気づいてると思った。レオンはザル」「おい」


ベスも微笑んだ。

「ええ。何となくだけど…」


彼女は思い出す。

「多分、…エリックの服ってサラが選んでたんじゃないかしら?サラのスーツと、エリックの小物のブランドが一緒だったりとか…それも、一回くらいだったかしら…?」


「そんな事あったか?…まあ、俺がその日会ってないだけか」

レオンは首を傾げつぶやく。

エリックは速水の世話役だったし、レオンは運営のサラに毎日会うわけでも無かった。


「本人もそう言ってた。服のコーディネイトはサラ任せだったって。それに、こっちに来てからかなりあからさまだったから…」

一度血を拭こうとしてピンクのハンカチを渡された時は一瞬引いた。

隼人じゃないが、エリック、趣旨替えか?と。

が…それは閉じ込められた日、サラが持っていた物だった。


「奥さんの選んだ服を褒められて喜ぶなんて、良い旦那さんよね…」

ベスは少しうっとりしている…。


「なるほど。…それでお前、エリックにやたら気安かったのか。ん?でもサラがお前の味方って分かったのは、向こうを出る直前だよな?」

レオンが速水に言った。


「ああ。正直、スクールにいた頃はあまり信用してなかったけど…今は信用してる」

うなずき、速水は答える。

「そりゃ良い事だ。エリックは大変だろうが…、で、それだけか?」


「あともう一つ、ノアの契約だけど…」


ここに来た初日、速水は契約書の控えを皆に見せていた。

その後、サラとの事を全て話した。


そして、ベスの予期せぬ妊娠が判明し、──速水の子供と言うエリックの報告で、あっさり産休の許可が下りた。


もちろん、あっさり過ぎる。

そこで速水はふと気になり、ノアの契約を聞いてみた。


『ああ。俺、…父親がいるらしいんだ』

ノアはそう言った。

それに会わせると言う条件で、ノアはダンサーになると決めたらしい。


その父は、事情があって幼いノアを孤児院に預けていた…。

そしてスクールに推薦した。


「君の父は、ダンサーとしての君の成長を楽しみにしている」とか何とか。

当時十歳のノアに、運営が言ったらしい。

その時、ノアはスクールに入って六年目。


…ノアだって、そんな馬鹿な話は信じていない。

だったら会いに来いよ、なんて言っていた。


『俺の成長を楽しみにしてるって、まあどうせ嘘とか、奴らの罠だろうけど…』


『父親が…もしまともな人間だったら、会いたいか?』

速水は聞いてみた。

『会ってぶっ殺してやりたいよ。スクールどころか、さらにアンダーなんて。まともじゃないぜ』

ノアは嘆息していた。


レオンは、速水の言いたいことが何となく分かった様子だった。

「ははぁ…」

とか言っている。速水は頷いた。

「…もしかしたら、違うかも知れないけど、ノアの父親は運営の中にいるのかもしれない」

「それで許可が下りたんじゃないか…そう言うことだな?…確かに、絶対おかしいとは思ってたが」

レオンが言った。

ノアとベスがスクールで恋人だった事を運営が知らないはずは無い。

最も『アンダー』の観客達は、速水とベスが恋人だと今も信じているのだろうが…。


「運営は…何か企んでるのかしら」

ベスも眉をひそめた。


「ゲテモノの話だと、ジョーカーはかなり性格悪いらしいから。…ノアの父親…それを込みで、エリックの請願を通した…そう考えるのが一番しっくり来る」

「そうね…そうかもしれないわ」

速水の言葉にベスがうなずく。


「まあ、連中の腐ったのは、今に始まった事じゃ無いしな…。大いにありそうだな」

レオンも同意した。


「ああ…」

速水は溜息を付く。


──ネットワーク…。

たぶんジャックを殺し、それを平気で報酬とかのたまう。

さらにレオンの兄をどうにかし、レオンをここへ入れた?


それに加え、速水にはまだ他にも気になる事があった。

まさかそこまで──とは思うが…。この様子だと。


もしそうだとしたら、世界平和が聞いて呆れる…。


「けど、そうだとすると…ノアの父親は、かなり上の方なのかしら?」

ベスが腹を撫で呟く。

「幹部クラスって可能性はあると思う。話は…それくらいかな」

速水は今言うことは言ったので、席を立とうとした。


「そうだ、ハヤミ…、この際だから言うが―」

「ねえ…!ハヤミ。あなた、他に言うことは無い?」

レオンの言葉を明らかにベスが遮った。


「他に?いや」

速水は首を傾げた。

「…ここに来て、困ってる事とか、ない?」

ベスが気遣わしげに尋ねた。


速水は少し考えた。

「別に、レオンのいびきが五月蠅いくらいか──?けど耳栓あるし…、それは向こうでもそうだったから。…レオン、次これ借りて良いか?」

「ああ。もう使って良いぞ」


速水はラジカセ、ヘッドフォン、ラベルの無いCDを持ちカーテンをくぐった。


■ ■ ■


明け方、呼び出されたノアが戻って来た。


速水は朝が早いので、気が付いた。

カーテンの中でじっと身を潜める。明かりはつけていなかった。

ベスが個室から出て来て荒れるノアをなだめている。


…。


早くここから出ないと…。

今日も速水はそう思った。



■ ■ ■



──場所は変わり、オーストラリア。


「うーん…」

隼人はパソコンを開き、難しい顔をした。

ここ最近、友人は明らかにおかしい。


あまり連絡が付かない。しばらく音信不通だった。


そして先日、久しぶりに連絡がついたと思ったら、繋がりにくいので、WEBメールで連絡してくれと言ってきた。それは良いのだが…。


ある日、突然。

『隼人、俺、好きな人が出来た。彼女のお腹に子供もいるから、結婚する』

そう言う内容のメールが来た。


子供──!?しかも相手はアメリカ人!?

いかにも彼らしいぶっきらぼうな報告だったが。


真面目な彼が結婚より先に子供を作るとは信じられない。


さて何と返すか──。とりあえず、万が一本当だった時の為に、おめでとうと言っておこう。

隼人はわざとテンション高く返事を打った。

そしてその翌日、早速返事が来た。

『ありがとう。喜んでくれて。正直不安だった。急だったし。…生まれて落ち着いたら、帰国して二人を紹介するから。あと圭二郎って誰だ?』


『ああ。楽しみだ!うーん、でも、結婚より先に子供作るとは感心しないな。まあ天からの授かり物って言うし、目出度い事だけど。ちゃんと育てていけそうか?国籍はどうする?あと圭二郎って言うのは──』

隼人はそう返事を書いてみた。


問題が無いなら、『大丈夫、ちゃんと考えてあるから』などと言う彼らしい答えが来るだろう。


―Re:それを言われると痛い。

『ホント、俺がうかつだった。まあ育てるからにはちゃんとするから』


「うーん…」

返事を見た隼人はまた首をひねった。


隼人は数ヶ月前、速水としばらく連絡が取れないので一時帰国し、彼のアパートまで行った。

スーツケースもパスポートも無かったが、手紙の整理がやりかけで。まるで急に居なくなったような様子だった。

その後、彼のアパート近くの喫茶店でどうした物かと考えていたら…ちょうど、ジャストタイム。速水から電話が入った。


そして誕生日のメールは知人のイタズラだったと本人から聞いたが…隼人はあんなデコメの上手い知人に心当りが無い。

速水はとにかく交流範囲の狭い男で、ダンス仲間や知人との連絡は必要が無ければしない。

逆に、親しい者──隼人、ジャックくらいだったが―とは良く連絡を取る。


今度どこへ行くとか、帰って来たとか、最近元気か、修行はどうか、とか…。

特にジャックが死んでからは、寂しいのか増えた気がする。


なので、今、外国だからと言っても…やっぱり変に思える。

彼はメールより電話派で、声を聞きたがるのに──。


ようするに…隼人は誘拐の可能性を疑っていた。


「…、と言う訳なんだけど。圭二郎はどう思う?」

休日、部屋に呼んだ同僚に、隼人は今までの経緯を話し、最近のメールのやり取りを見せた。

「──そりゃ、誘拐だろ!間違い無いぜ!絶対にそうだ!怪しすぎ!!」

机の上のノートパソコンを見て、圭二郎は騒がしく断言した。


この騒がしい人物は寿 圭二郎。年は速水の一つ下。

彼はここメルボルンに高校留学していて、そして隼人と同じカフェでアルバイトをしている。


彼は金髪だが、名前はまるきり日本人。

本人曰く、イギリス人と日本人のハーフらしい。

長男だがなぜか名前に二が入る、しかしそこが気に入っていると言っていた。


両親は母がイギリス出身でパティシエ。父は日本人でショコラティエ。

本人もパティシエを目指しているというか、もうこの年でパティシエだと言うか。

何かにつけて、型破りでもある。


オーストラリアでは、十四歳くらいから働けるので、早く働きたくて中学時代からもうここに来たと言っていた。


隼人とは同郷と言う事もあり、早々に打ち解けた。

必要以上に騒がしいので見落とされがちだが、たまに頭が切れる人物で、義理堅く…と言うか任侠心が無駄に強い。そして行動も早い。


となれば、相談にはもってこいだ。

…隼人の年下に対する感覚は、六つ下の速水ですっかり麻痺していた。


再び隼人は『まあ育てるからにはちゃんとするから』のWEBメールを見直した。


誘拐…。

「僕もそう思ってるけど」

「だよなつか、やばくね?誘拐って!警察、警察だ!…って、今どこにいるんだコイツ!飯とかちゃんと食ってんのか?」


「…けど、ここで子供っていきなりすぎないか?実際に朔がうっかりやらかした、って可能性も少しはある…いや、無いな」

寿のつぶやきには答えず、隼人は言った。

「なんだ、真面目な奴なのか?」

寿がたずねた。


「ああ、僕が言うのもなんだけど、朔は本当に凄い。僕の六つ年下で君とひとつ違いかな。バリスタの資格も持ってるし、ブレイクダンサーとしても活躍してた。そう、無愛想な分、凄く真面目だ。…その彼がこんな『できちゃった婚』なんて…正直信じられない。まあ、本当かもしれないけど。…君はどう思う?嘘だとしたら、一体どうして彼はこんな嘘をついたんだろう?」


隼人は、そこが一番腑に落ちない。

うーん、と寿は唸った。


「仮に、誘拐だとしたら。朔は九月からずっと自由じゃないって計算になるけど…犯人の目的は何だ?お金ならさっさと請求すればいいのにね。一億、二億くらいなら、僕は借金して出すよ」

隼人は、速水が心配だった。…それ以上の要求なら犯人を笑顔でぶん殴る予定だ。


「彼は実家とは本当に縁を切っているから…。もう僕が心配しないと、誰も彼を探さないだろう。ああ、本気で心配になってきた。ほら…カラスも沢山鳴いているし」

「うーん、…俺、難しい事はわかんねぇ!」

寿はそう言った。


が、いきなり彼は立ち上がり、自分の携帯を取り出し、頭上に掲げた。


「よし!こういうときは。ばあちゃんに聞くぜ!!ばあちゃん、何でも知ってるから。…あ、もっしもーし!ようよう!おれおれ。ばあちゃん頼む。え、公務中?じゃあかけ直すから──何時なら良い?」

そして携帯を切った。


「一時間後だって。やばそうだし、色々調べて貰えればきっとすぐわかる。速水朔。ブレイクダンサーだったよな?」

寿が隼人に言った。


「…公務中?」

隼人は呟いた。珍しい単語が出て来た。

「…俺のばあちゃん、まあ今はギリギリ一般人ですっげえ情報通。あ、コレ誰かに話したら撲殺だぜ」

寿はニッと笑った。



■ ■ ■



エリックが、慌ただしく入って来た。


「ハヤミ!ちょっと良いですか」


今は昼間だが、速水はカーテンを閉め寝ていた。

「ん?何だ…」

起き出して、カーテンを開ける。


「どうした?」

「良い知らせです。子供の件に関して!」


「―!何だって?」

ノアが反応した。

レオンも顔を上げた。


ベスも呼び、四人は椅子に座り。そしてエリックが言った。

「ある名家が、生まれた子供を引き取りたいと申し出て来たそうです」

「!」

ノアとベスが驚いた。速水も、レオンも。


「ハヤミ、お前のスポンサーか?」

「いや。分からない…どう言う状況だ?」

速水は言った。

子供の事も、早めに何とかしなければ、と思っていたが…。


「何でも、実はハヤミの旧友なのだと言ったらしくて…『ハヤミさんも、ダンスをやりながら子育ては大変でしょうから。お生まれになったら、ぜひ当家が預かりましょう』―と、かなり圧力的に。ハヤミ、…あなた何かしましたか?」

エリックが聞いた。


「いや…俺は何も…誰が?旧友―?…」

心当たりは無い。

「運営は、いい加減、貴方の扱いに困ってきています」

エリックは苦笑した。


速水も苦笑を返す。

きっと、我が儘放題で有名なのだろう。ここに来てから色々あったしな…。

しかし誰が?

あるとしたら──まさか。


「まさか隼人か?…でもあいつにそんな事…」

言いながら首を傾げた。


速水は確かに、隼人ならおかしいと思う様なメールは打ってみた。

が、それだけだ。

相手がでかすぎるので、正直、隼人には期待していなかった。

むしろ日本からの援助──あの、速水を騙した宇野宮警視にたどり着いてくれればと思ったのだが…。手がかりは皆無だし、それも難しいと思っていたくらいだ。


「ハヤト?お前がメールしてる?だったら凄いが…」

レオンが言った。さすがに無いだろうと言う感じだ。


「いや…?俺も本当に分からない。何があったんだ?」

速水は傾げた首をまた反対側に傾けた。サッパリ分からない。


「良く分かんないけど、超ラッキーだよ!!」

ノアが言った。


「良かったね、ベス!」

ノアは喜んでいる。

「そんなに簡単じゃ無いわよ。その申し出は…、速水の子供ならって事でしょう?」

ベスはエリックを見た。


「…それが、出産の際には、手持ちの医師と看護師を派遣すると言ってきたらしくて…。やはり、ハヤミの知り合いと考えるのが妥当かと」


レオンが驚く。

「つまり、演技だって事を知ってるのか…?」


「確かに、俺の事知ってる奴なら嘘だって分かるかもしれない。けど…?」

腑に落ちない。

「いいじゃん!ありがとハヤミ!オンニキル!」

ノアは最後を日本語で締めた。

「え、ああ」

速水はノアの勢いに押された。


「…はぁ。なんか偉く上手く行ったな…。正直さっぱり分からんが」

レオンが溜息をつく。それでも嬉しそうではある。


「本当…信じられない…」「良かったねベス!」

ベスも、ようやくホッとした表情を見せた。ノアは嬉しそうにベスの肩を抱いた。


速水の表情は、まさにキツネにつままれた、その様相だ。


…ワイルドカード、意外な切り札が必要と思ったが…、一体何なんだ?

俺がさっぱり知らないんだから、もちろん運営も知らないだろう。

全くの偶然、というか意味不明だが、何かをするより、逆にこれで良かったのかも知れない。

よし、とりあえず──隼人に感謝しよう。


(隼人…俺、お前には助けられてばかりだな。ありがとう…)


速水は隼人のせいにした。


そしてふと眉を潜める。

「なあ…エリック、お前は立場とか、大丈夫か?疑われたり…はしてそうだけど」

もうずいぶんエリックは速水に肩入れしている。

それは運営も分かっているだろう。今回の事も、速水の差し金だと運営は考えそうだ。


となると、彼もついに再教育行きか?


「それが、私は…赤ん坊の世話係として、一緒に外に出ることに」

エリックもキツネに摘まれたような顔をしていた。

…パンストのせいでいつもそうだが。


速水は考えた。

「…エリックの方は、俺のスポンサーの差し金かもしれない」

「心当たりがあるのか」

レオンが聞いた。

「いや…けど、名家ってのが、俺のスポンサーと別だとしたら、そこと協力したんじゃないか?スポンサーは、エリックがサラの旦那だって事知ってるんだよな?」

「ええ、おそらく…。もしかしたら、サラが無事なのかも知れません」

エリックが、速水に少し微笑んだ。


「一つより二つで圧力か。しかし、お前一体本当に何なんだ?いや、すごく助かるが」

レオンが首を傾げた。

「俺もよく分からない…何なんだ?」

速水は首をひねった。


「…まあ、お前等も、とりあえず速水の旧友に感謝しとけ」

レオンがうるさくはしゃぐノアとベスにそう言った。

「―だって!…良かったね…、ベス!友達、最高!」

「ええ…」

二人はホッとしたようだ。


「──エリック、居なくなるのか」

そして速水は呟いた。

思えば、エリックには世話になってばかりだ…。

「ええ。引き継ぎはできるだけ、きちんと済ませますから」

エリックはそう言った。

なら心配はいらないだろう。


「…じゃあ、俺は…ちょっと寝る。ナイフやって疲れてるから」

速水は立ち上がった。

「大丈夫?」

ベスが聞いた。


「ああ」

速水は言って、カーテンを閉めた。


■ ■ ■


アンダーに入って、五ヶ月が経とうとしている。


今、世間は二月中旬。

次のステージは五日後で。ベスは気がつけば妊娠六ヶ月半だ。


速水達はギリギリで何とか勝ちを拾っていた。

…ベスが抜けて、中々大変だ。


当然、引き分けもあるし、負ければ『ペナルティバトル』に出なければいけない。

過去二回喰らったが、それは絶対に嫌だ。


速水達は今日、朝からどこかのいつもの部屋を借りて、ショーケースのレッスンに励んでいた。

この部屋には小さいが舞台がある。

今度の種目はブレイクダンス、そのショーだ。

ショーなら人数の不利は少ない。


ブレイクダンスのバトルと、ショーケースの披露は別の種目扱いになっている。


…ブレイクバトルの会場よりも、ショーケースの会場の方がやや大規模な感じだ。

順位が百を超えたからなのか、次のステージはけっこうな大舞台だった。


──少し前、速水と妊娠中のベスが、イチャイチャしつつ会場の下見に行ってきた。

ここがおそらく暖かい州だからなのか、不思議とそこまで寒くなかった。

もちろんベスに何かあってはいけないので、エリックも連れて行った。


ルームランナーともうすっかり親友になったらしいベスは、久しぶりに外へ出られて楽しそうだった。

速水は思う存分見せつけてきた。「外に出たら結婚しよう」とか。「名前は―」とかその辺りで。


レオンはクランパーなのでショーはあまり経験していないし、ノアはよく分からないらしい。

速水は舞台設備をすみまで確認し、スタッフと打ち合わせをした。

そのあたりはプロだと後でレオンに感心されたが、速水にしてみたら、舞台規模のわりに準備期間が短すぎて、ふざけるなと言いたい。

せめてリハーサルはやらせて欲しいと申し出たが却下された。

ネットワークのスタッフは確かにもう何十年もやっているベテラン揃いだが…。

まあ出たトコ勝負の舞台というのも、勉強になるし、良い経験かもしれない。


速水は今度また下見の機会があったら、ノアを連れて行くつもりでいたのだが…。

エリックに、「多分、大人数はベスに対する運営の気遣いです」と言われ…ノアはさらにむくれていた。

どうやら通常は一人限定らしい。


「じゃあ、合わせよう。ベスお願い」

練習室でノアが言った。


ベスは部屋の片隅で椅子に座って見学だ。

「ええ、かけるわね」

彼女はコーチ兼音楽係でもある。


ベスの声を聞き、速水は位置に立つ。

間隔は本番の舞台に合わせてあるので、やや離れて感じる。

この部屋あるステージでは狭すぎて大きさが合わないので、フロアにテープで印を付けた。立ち位置は、レオンがやや後方センター、ノアが右、速水が左。今度はコレで行くが、横一列になるときもある。


今回は六つの曲をつなげ使用する。合計八分五十七秒。

編曲を決めたのはノアと速水。速水はノアの音楽センスは相当な物だと思っているので、何か聞かれたら答えると言うスタンスだ。

レオンの音楽センスは多分いまいち。任せるとやたらハードでギャングっぽくなる。


曲が始まる。

まずはエントリーからだ。


冒頭からハイテンポな曲が来る。

ショーケースでは、皆がまずぴったりそろえた同じ動き、ステップを踏む。


リズムに乗って軽快にステップを踏む。右足、左足。クロス。ターン。リピートそして速水とノアが場所を入れ替わり。動きを変え踊る。


英語の歌詞の曲に切り替わり、合わせ技。

その後、ハイスピードのソロパート。

ノア、速水、レオン。それぞれが自分の技術と個性をアピールする。五月蠅い曲が鳴り響く。

ノアが華麗なフットワークから、重力を丸無視したフリーズ。

速水はパワームーブ。大技が主。

レオンは抜きんでた技術で締める。そしてまた三人は別れ今度は床中心の構成。

アクロバットな動きを取り入れる。


今回はバトルではないので、勝敗やペナルティはどうするのかと言うと、十二チーム中、上位四チームがセーフと言う事になるらしい。

もちろん審査員はいるし、観客の反応も重要──言ってしまえば、ただのショーで、興行だ。


ペナルティバトルより何倍かマシだ…、と速水は思う。

二度、経験したが、もう三度目はやりたくない。


ほの暗い地下で。酷いパーティ。


あれはダンスに対する冒涜だ──。


速水は全霊を込め踊る。



■ ■ ■



レオン、ノア、速水は、横一列になって…正座していた。


「うん、大分良くなったわね。けど──ハヤミあなた一分三十五秒でソロに入るタイミングが0.5秒も遅れたわね。前も言ったでしょう?技の終わりを引かないようにって。この癖を本番までに改善しなさい。あとレオンは動きが大きいのは良いけど、腕をもっとしめて。それにレオンあなたエアートラックスの中心点がぶれぶれよ。昨日の方がまだ良かったわ。ノアはヘッドスピンの回転がまだ遅い。亀じゃ無いんだから。頭と体幹もっと鍛えなさい」

ベスの穏やかだが本当に容赦無い講評が付く。彼女は指導になるとすこし人が変わる。


さらに細かい酷評が続き…。


「まあ、こんな所かしら…?あ、結構良いわ…この調子で。後は緊張しないようにね」

最後、甘い言葉で申し訳程度に言われる。


「「「はい…」」」

三人は意気消沈した。



〈おわり〉

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