彼は嘘つきだ。
たとえば食事中、わたしがをサラダを食べているとき、
「紫キャベツを食べると、口の中が紫色に染まるんだよ」
なんて言い出す。
わたしがそんなはずないわ、と言い返すと、
「信じる信じないはきみの自由だよ。ただ、十日ほどは口の中がずっと真紫状態だから、かなり恥ずかしい思いをするけど。まぁ、僕には関係ないけどね」
怖いくらい真面目な顔をするものだから、わたしはもう紫キャベツを食べれなくなってしまう。後日、友人と外食をしたときにサラダの紫キャベツを残したら、思いきり笑われた。
そんな風に騙されたことが、いったい何度あっただろうか。嘘が発覚してわたしが怒るたびに、彼はもうしないと神様に誓いを立てる。そしてまた、あっさりと嘘をくり返すのだ。これほど反省知らずで、不届きな男を、わたしは彼以外に知らない。友人に言わせれば、わたし以上に騙されやすい女もいないそうだけれど。
今もまた、彼は嘘をつこうとしていた。真摯な瞳でわたしを見つめ、静かにささやきかけてくる。
「必ず帰ってくるよ」
わたしは、じっと彼を見つめ返した。駅のプラットホームには、戦地へ旅立つ男たちを見送る人々で溢れていた。汽車に乗りこんだ男たちは、窓から身を乗り出して、家族や恋人と別れを惜しんでいた。
戦局は日に日に悪化し、ついに一般市民まで徴兵されるようになった。彼の許にも招集令状が届き、兵士として身を差し出すことを余儀なくされた。
「大丈夫。激戦区といっても、最前線じゃない。僕は一番後方の部隊だ。それに市民兵だからね。実際に戦うのは生粋の軍人だ」
ええ、わかっているわ。
確かにあなたの所属は最後方部隊だし、まともな訓練なんて何ひとつ受けていない市民兵。でも、それがなんだというの? そんなこと、あなたが生きて帰ってこれる保証にはならないわ。あなたと同じことを言って、白い骨になって帰ってきた若者が、いったい何人いるのかしら。
喉元までこみ上げてきた罵倒を押し殺しながら、わたしは尋ねた。
「必ず?」
彼はそっと微笑んだ。
「ああ、必ず」
――彼も、わかっているのだ。
今日が、わたしたちの最後かもしれない。この約束は、最初から破られているのかもしれないのだと。
それでも……。
「帰ってくるよ、きみの許へ――きみたちの許へ」
彼は手を伸ばすと、まだ膨らみのないわたしの腹部を、優しく撫でた。
「男の子ならリッシャー、女の子だったらマリーヌだよね」
「そうよ。双子だったら、弟がレイヴァン、妹がルイーリア」
ふたりで決めた名前を答えると、彼はいたずらっぽく目を細めた。
「三番目もいたら、どうしようか?」
ひとりでも産むのは充分大変だと聞くのに、三つ子だなんて冗談じゃない。それでも、彼の子なら何人産んでもいいかも、と考えてしまうあたり、我ながら呆れてしまう。
「じゃあ、あなたが決めて」
「僕が?」
彼は驚いたように目を瞬かせた。わたしは腹部に触れていた彼の手を取ると、彼の小指に自分のそれを絡めた。
「そう。生まれた三番目のわたしたちの子に、名前をつけてちょうだい。……帰ってきたら」
約束よ、と呟くと、彼は双眸を揺らした。
嘘つきなあなた。
これが、わたしの人生で最後よ。あなたの嘘に、騙されてあげるわ。確証のない約束でも、疑わずに信じてあげるわ。
ねぇ、だから。
きっとなんかじゃなく、必ず、絶対に、帰ってきなさい。でないと、離縁してやるんだから。
「……そうだね」
きゅっと、絡めた小指に力をこめ、彼は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「考えておくよ。この世で一番素敵な、だれも思いつかないようなとびっきりの名前を」
「お願いね」
「任せてくれ」
彼が頷いた瞬間、出発を告げる汽笛が鳴った。見送りの人々が汽車から離れ、口々にだれかの名前を叫ぶ。男たちも手を振り、それに応えた。
彼はもう片方の手を素早く伸ばし、わたしの顔を窓に引き寄せた。目を瞑る間もなく、唇が触れ合う。ほんの数瞬の、短い口づけだった。
「――天にまします我らが神に誓って、約束は守るよ。僕の愛しい人」
冗談混じりの常套句。笑う彼のまなざしは、狂おしいくらい情熱的だった。
わたしは、歪みそうになる顔で笑い返した。きっと、ほとんど失敗していたに違いない。
「待ってるわ。名なしの、わたしたちの子と一緒に」
嘘で塗り固められた約束でもいいわ。わたしは騙されやすいの。あなたの言葉こそ、わたしにとっての真実なんだから。
汽車が走り出すその瞬間まで、わたしたちは互いの小指を絡め合っていた。
最後になるかもしれない指切りのぬくもりを、確かめ合うように。 |