その19 若返り 前
フランツ・カフカの代表作、『変身』という小説がある。
グレゴール・ザムザという青年が、ある朝目覚めると、巨大な虫に変身していた、という物語である。
……何故、ただのぐだぐだコメディであるこの小説が、こんな一見シリアスそうな出だしなのか?
「……な、なんでぃ、こりゃあ……」
今まさに、ヘタ校名物おっさん教師の取古佐竺がそんな状況だからである。
ただし、取古先生の場合、虫になっていたわけではなく、若返っていたのだ。
それも、CMの胡散臭い化粧品でのアンチエイジングなんてもんではない。髭生やした中年のおっさんが若さ溢れる十代にまで若返ったのだ。
「お、おお、おう……」
取古先生は鏡に映る自分の姿に戸惑い、顔やら身体やらを触ってみる。中年の脂ぎったカサカサ肌からは程遠い、ハリのあるもっちもちの肌だ。
「痛ぇ……こりゃあ、夢じゃあなさそうだ」
頬をつねるという超古典的手法で正気を確かめる取古先生。ぶっちゃけ夢で五感が擬似体験できるなら、頬をつねったぐらいでは夢かどうかなんてわかるわけないと思うのである。
「まさか……あれ、本当だったのか……?」
取古先生は何か心当たりがあるのか、昨夜のことを思い出した。
~~~~回想~~~~
取古先生がその日、なんやかんやあって学校を出たのは夜中だった。
そして、なんやかんやあってちょっぴり泥酔していた。
そんな取古先生が千鳥足で帰途に着いていると。
「俺はブリタニアエンジェル、通りすがりの天使だ! 覚えておけ!」
天使のコスプレをした不審者と出会った。
「お前……二年の井木じゃねぇか。何やってんでぃ、こんなトコで、そんなカッコで」
その不審者は、やたら目立つ太い眉毛といい、ツンツン跳ねた癖のある金髪といい、どう見ても井木だった。
「ち、ちちち違う! ブリタニアエンジェルだばかぁっ!」
慌てて否定する自称ブリタニア以下略。だがその態度はやっぱりどう見ても井木である。
「こんな時間だぜ、寮へ帰んな。もう門限も過ぎてるんじゃねえかい?」
ちょっぴり泥酔はしていてもまがりなりには教師、取古先生はしっかりと注意した。
「だーかーら! 俺は井木とかそんな名前じゃない! ブリタニアエンジェルだ!」
意地でもその名前を使うつもりらしいブリなんとかさん(仮名)。
「今日はお前の願いを一つだけ叶えにきたんだ! べ、別にお前のためなんかじゃなくて、たまたまくじ引きでお前の名前を引いただけなんだからな!」
ついにはツンデレ気味に電波なことを口走りだすブリなんとかさん。
「願いだぁ?」
取古先生の仮面で隠れた赤ら顔が訝しげに歪む。見た目にはほとんどわからないが、現在の取古先生は判断力がかなり低下している。普段なら妄言だと笑って一蹴するようなことも、もしかしたら本当なんじゃね? というテンションになっているのである。
「じゃあお前、俺の願いをなんでも叶えてくれるってぇのか?」
「一つだけならな。ちなみに、回数を増やすとかお前が神になるとかはできないぞ」
こういうシチュエーションになったらまず最初に思いつくことをしっかりと潰すブリなんとかさん。
「じゃあ……俺を高校生ぐれぇに若返らせる、ってぇのは?」
「得意分野だ。だが、本当にそれでいいんだな?」
あまりにもあっさり願いを決めた取古先生に、ブリなんとかさんは少し戸惑う。
「ああ。……先公なんてやってぇとな、時々、ガキどもが羨ましくなるんでぃ。俺もあんな風にまたはしゃいでみてぇとか、考えちまうもんなのさ」
いきなりしんみりしたムードに持っていく取古先生。一応書くがこの人は酔っている。
「……そうか、じゃあいくぞ。――ほあたっ☆」
謎の掛け声とともに杖を振りかざすブリなんとかさん。ぼむっと煙が現れ、見る見るうちに取古先生を取り囲み、そして――
「おい、何も変わってねぇじゃねぇか!?」
なんということでしょう、そこには酒に酔った仮面の中年男性の姿が!
「あー、きっとアルコールのせいで魔法が効ききってないんだな。多分酒が抜け次第効果が出るはずだから」
なんか一気に適当な対応になったブリなんとかさん。
「あ、それとな。魔法の効果は一週間ぐらいで切れるから」
「一番大事なことじゃねえのか、それ」
「またいつか会おうぜ! ハバナイスデイ!」
憮然として突っ込む取古先生を華麗にシカトし、ブリなんとかさんは爽やかに帰っていく。
「あ、おい、待て!」
慌てて呼び止めるも、既にブリなんとかさんの姿は闇に消えていた。
「………………」
一人残された取古先生は、ただただ立ち尽くしていた。
~~~~回想終了~~~~
――とまあ、そんな感じのことがあったのである。
「……しかし、どうするかねぇ、今日は……」
ひとしきり自分の姿を確認したあと、取古先生はベッドに倒れこんだ。
もちろん今日は平日である。しかし、この姿で登校しても誰が取古先生だと気づくだろうか。精々生徒のいたずらか何かと勘違いされるだろう。
「ま……行くだけ行ってみるか……」
取古先生はのっそりとベッドから身を起こすと、いつものスーツに着替えはじめた。
「……そういうわけで、信じらんねえかもしれねえが俺は取古なんでぃ」
職員室に着いた取古先生は、真っ先に同僚である本田先生に相談していた。ちなみに仮面は説明のため一旦外している。
「そんなことが……実に羨ましい限りです」
ヤングバージョンな取古先生より遥かに若く見える本田先生は、茶を啜りながら取古先生を羨望の眼差しで見つめた。
「……なんか、あっさり信じてくれんだな」
「二次元にはよくあることですから」
魂が入れ替わったり性転換したり時間ループされるよりはよっぽど実害がありませんよ、と本田先生。
「せっかくですし、貴方の願い通り生徒に交じって高校生活を楽しんでみては?」
「そうしてえのは山々なんだが……流石に一週間も担任が欠席すんのはマズくねえか?」
ちなみに取古先生は数学教師で、三年E組の担任でもある。
「自習や副担任でどうとでもなりますよ。一週間程度なら授業は支障が出ないでしょうし」
「そうかねえ……」
まあぶっちゃけ、他の先生方に多大な迷惑をかけるだろうが、それはそれである。ヤングなままむりやり授業をするよりはマシである。
「私の方から適当に言っておきますから、楽しんできてください」
「じゃあ、そうさせてもらうぜ」
こうして、取古先生の期間限定バカンスは始まったのである。
「なあ、いくらなんでも先生遅うない?」
「どうしたんだべ……」
ここは3Eの教室である。普段ならとっくに来ているはずの担任の姿がなく、教室はざわめいていた。
そんなとき、前の扉から取古先生の代わりに本田先生が入ってきた。
「取古先生は体調不良のため、一週間ほどお休みすることになりました」
唐突な発表に、生徒のざわめきが大きくなる。
「先生、どういうことですか?」
代表して帆ヶ梨絵里紗が訊く。他の席からも「そーだそーだ」「今北産業」などと野次が飛ぶ。
「取古先生によると、酔っ払って路上で寝てしまい風邪をひいたそうです。命に別状はありません」
どっと笑いが巻き起こる。取古先生の酒癖の悪さは知れ渡っているので信じたようだった。
「それはさておき、今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります」
本田先生は(そういえば軽くネタ被ってますね……)とか考えながら廊下から生徒を連れてくる。
「今日から一週間、このクラスで過ごすことになった滝誠一君です」
そうして教室に入ってきたのは――言うまでもなく仮面を外し学ランを着た取古先生(若)である。
「滝君は家庭の事情で一週間だけですがこのクラスに編入することになりました。皆さん仲良くしてあげてくださ……ど、どうしたんですか、桐支屋君!?」
本田先生の紹介の途中で突然桐支屋伯が何かを喉に詰まらせたように咳き込んだ。その顔は驚愕の色で染まっていた。
「ん……なんでも、ない……」
桐支屋はゆっくりと首を振るが、その目は未だ取古先生――いや、今は滝と呼ぶべきか――を睨んでいる。
「な、なんだよ……?」
まさか早速正体がバレたか? と滝は内心焦る。
「先生、そろそろ授業が始まるのでは?」
教室内が緊迫した雰囲気に包まれかけたそのとき、教室後方から声が上がった。
その声の主は――
「江尻、貴方喋れたんですか!?」
押鳥楼出が彼の前方の席に座る江尻空太をびっくりした顔で見つめた。
「喋れないわけないだろう」
きょとんとした顔で見つめ返す江尻。この浅黒い肌と被っている白い頭巾みたいなものが特徴的な少年は、それまで滅多に喋らず「これで饒舌設定ってどういうことなの……」とか「口調は捏造でおk?」とか散々言われるようなキャラであった。
「え、ええと。それでは私、授業がありますので」
これ幸いとばかりに本田先生はすっかりぐだぐだな空気の収拾を放棄して帰っていってしまった。
「……そういやぁ、俺、どこに座ればいいんでぃ?」
滝が、席について何も教えてもらっていないことに気づいて愕然とした。
その後、滝は学園モノにありがちな『何故か不自然に空いていて誰も片付けない空席』に座って授業を受け、合間合間の休み時間に質問攻めされながらもどうにか上手いこと捌ききり、昼休み。
「ん……来い……」
滝は、桐支屋に校舎裏へ呼び出されていた。
「な、なんでい。カツアゲか?」
不敵な笑みでまぜっかえす滝だが、内心は焦りまくりのどっきどきであった。
「………………」
桐支屋は周りに全く人気がなくなると、いきなり滝の胸ぐらを掴んだ。
「おっ、おい何しやがる!?」
「……お前、取古だろ」
やっぱりバレていた。
「な、なんの話でい?」
とりあえずすっとぼけてみる滝。
「とぼけるな。母さんのアルバムの中にお前と同じ顔の取古の写真があった」
取古先生と桐支屋の母は高校の同級生であった。それでもってその頃現役の教師だった校長板利朗真とただれた三角関係を築いていたりしたのだが、それはまた別の話である。
「他人の空似って奴だろ? 世界にゃ同じ顔の人間が三人いるってぇ話だぜ」
「ん……ただのそっくりさんが同じ江戸っ子口調で喋るわけがない……」
それはごもっともである。
「くそっ……てめえにだけは絶対にバレたくなかったんだが……」
観念した滝はこれまでのいきさつを話すことにした。
「――ってぇわけだ」
「意味わからん」
桐支屋は取古先生の葛藤やらなんやらを六文字でバッサリ斬った。
「んだとぉ!? てめえは若ぇからわかんねえんだよ!」
「顔近づけるなひげづら……」
若者に中年の気持ちがわからないのは世の道理である。
「……別にお前がどうしようとどうでもいい。俺に近寄らなければそれでいい」
「こっちだってお断りでい」
「あと、本田先生にも近づくな」
「それは関係なくねえか?」
滝と桐支屋はそんな感じに、この一週間互いに顔を合わせないという協定を結んだ。
「だが、そういう取り決めは上手くいかないのがお約束というものだ」
「江尻、貴方誰に向かって喋ってるんですか?」
続く
そんなわけで十九話、どきっおっさんだらけの高校生活~ぽろりもあるよ~前編でした。
もう前後編にはしないつもりだったんだけどなあ。
とりあえずおっさん出したかったんです。主役で出したかったんです。その答えがこれでした。
若おっさんの名前ですが、サディクには正直や誠実といった意味があるそうです。それであんな名前になりました。本当はサディクをもじりたかったんですが、佐竺以外が思いつきませんでした。
苗字は英語のTurkeyをもじりました。トゥルキエで鶴木江も考えましたがさすがに無理がありました。
あとは新キャラ江尻くん。リクエストもらったんですが口調をどうするか悩んだ末に捏造しました。駄目だったら本当にすいません。
次回は後編の予定。何かが間違って中編になったらすいません。
今回もご読了ありがとうございました。
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